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2015年04月12日(日)
『リチャード二世』

さいたまネクスト・シアター『リチャード二世』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター

だはー、ネクスト一期生の底力見たり。群雄割拠のこの集団、やはり面白い。

ネクストの流れとしては内田健司を主演に据えた『2014年・蒼白の少年少女たちによる「カリギュラ」』に連なるものですが、今作は『彩の国シェイクスピア・シリーズ』にカウントされている。ゴールドシアターからのメンバーも多数参加し、合同公演と言っていい態。まずこのフックにまんまとひっかりました。ひっかかったと言うのはちょっと言葉が悪いか…騙されたと言うか。一緒か(笑)。しかしこの「やられたー!」感は胸のすく思いでもあったのです。じじばばが全員ゴールドのメンバーだと思うなよ〜。以下ネタバレあります。

和正装の集団が遠い暗闇からゆっくりと近付いてくる。未来ある若者と、人生を味わい尽くした老人の逢瀬。老人たちは揃って車椅子に乗り、若者たちはそれを押したり、寄り添ったり。和やかな笑い声が湧き上がる。祝宴のようにも、葬儀のあとのようにも見える。一転、引き抜きの手法を用いた衣装替え。瞬時にして洋正装(男女ともにタキシード。ゴールドの面々は和装のまま)になった彼らはタンゴを踊る。ザッ! と言うステップの音、バッ! と言う衣装の翻り。男女のペアもいれば、男性同士のペアもいる。やがて左右に整列し舞台奥へ注目する。電動車椅子に乗ったリチャード二世が暗闇からゆっくりと現れる。

このオープニングが観たいのだ。予想のつかないヴィジュアルを、期待していた演出で。インサイド・シアターの構造を活かしたこの幕開けにはもはや愛着すらあって、自分はこの光景を目撃することに憑かれているとすら言っていい。

芝居が進む。権力者が入れ替わる。それはタンゴで表現される。権力を持つ者が衣服を剥く側、ダンスをリードする側だ。往々にしてそれは男性同士。リチャード二世の退廃と浪費と、権力を得るために身を堕としやがては反逆に起つ貴族たち。両者の関係が妖しい美で表現される。印象深かったのはやはり男性たちの美しさで、蜷川演出の嗜好が端的に表れていた。好みは分かれるだろうが、観客への目配せや媚がない(と言い切る)演出家個人の理想とする世界が舞台に載っていることが個人的には好ましい。エロスを表現する手法においてストイックさすら感じる。

ダンスと身体のバランスは、鈴木彰紀と竪山隼太のペアが特に映えていた。鈴木さんがダンサー出身だからでもあるだろう。そして内田さん演じるリチャード二世と隼太さん演じるボリングブルック(のちのヘンリー四世)のペア。顔立ちが似ている訳ではないのに、鏡を介して立っているように感じる場面が何度もあった。内田さんの身体はやはり異様さの表現にはうってつけ。あれだけ細いのに筋肉はついているので、腹筋の溝が見たことのないような刻み方をしている。動きも人間から連想するそれとは程遠い。異物が王座に就いてしまった、と言ったような人物像。そんな姿なので、権力も財力ももぎとられることは必然だと感じさせる。

権力争いに右往左往する男性たち。窮状にあって「宥め」の様子が笑いすら誘う女性たち(20150415追記:戯曲によるとイザベラの年齢設定は9歳。侍女たちはこどもをあやすように彼女に接していた)。興味深かったのは後半、ヨーク公とその夫人が息子の情状酌量に関して争う場面。昭和のじじいのように恫喝に頼る夫、鋼のような強さで立ち向かう妻。その剣幕に気圧されたかのように「許す」と言ってしまうボリングブルック。客席が湧く。まるで夫婦喧嘩、そこへ仲裁に入る近所の住人のような楽しい場面になった。夫の車椅子をやれやれと言った風に押して退場する妻の姿には、力関係の逆転すら見える。非常にモダンな演出。他のシーンでも、女性たちはひたすらタフだった。

さて、冒頭に書いたネクスト一期生の底力及びフックについて。このヨーク公爵エドマンド・ラングレーは老人だ。車椅子に乗ってはいるが、口角泡を飛ばし部下を罵倒する豪傑でもある。あれっと思った。ゴールドシアターに、こんなに声量豊かで滑舌よく、瞬発力のある役者がいただろうか……? 随分経ってからハッとした。このじいさん、松田慎也だ。

いやーやられた、気付いた瞬間声をあげそうになった。こうやって勘所を押さえるか! 体格の良さは車椅子に座ることで隠す、老人の動作は筋力を用いた動きの抑制で表現する。見事に“老い”に化けている。それでいて、ボリングブルックに付き従う姿には弁慶のような威厳も漂う(扮装からして意識的だったと思う)。義経のボリングブルック、弁慶のヨーク公……ハル皇太子(のちのヘンリー五世)とフォルスタッフの姿を見るようで、漲った一瞬。

手打隆盛、小久保寿人の化けっぷりにも瞠目。殺陣(栗原直樹! このひとの擬闘ホント格好いい)の迫力には鍛錬の度合いが滲み出る。そして前述の隼太さん、満を持してと言ってもいいのではないか。大役を遂に掴んだ。下剋上上等の集団にあって、古株が頭角を表す瞬間を目撃出来たこの興奮。増してやそれが鮮烈な演技。

幕切れは幕開けと対になる。先王の弔の場は、そう時を空けず宴へと変わる。談笑し、タンゴを踊る。七十人弱の登場人物たちのなかに、ボリングブルックの姿を探す。そっと彼のもとにスポットがあたる。広い世界、たったひとりにあたるスポットライトは、長い時間においては一瞬でしかない。それもまた暗闇に溶けていく。

そう考えるとこの作品は、バックステージものとしても観ることが出来る。王座(役)を得るため、熾烈を極める集団内競争。それを経て舞台に立つ役者。次の座を虎視眈々と狙う後続の視線を感じ乍ら、ボリングブルックはタンゴを舞う。

『彩の国シェイクスピア・シリーズ』、残るはあと七本だそうだ。

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・配役について(2/12現在)
・さいたまネクスト・シアターのリチャード二世配役表。(2/12現在)
イザベラはトリプルキャストのようだ。自分が観た日は長内映里香さんだった。しかし松田さんがボリングブルックのヴァージョンもあったのか! それも観てみたかったな。あと女方が演じた役もあったよね? イザベラではなくて、オープニングで松田さんばりに長身の女性がいるなあと思ってよく見たら男優さんだったと言う……パンフレットによると、稽古では女優が男性を演じるケースもあったそう

・蜷川幸雄はなぜ俳優を脱がせるのか。「リチャード二世」主演、新鋭・内田健司に聞く1 - エキレビ!
・蜷川幸雄との出会いが人生を変えた。内田健司に聞く2 - エキレビ!
フラジャイルな青年像を体現する役者は、蜷川カンパニーに代々いる。所謂ガタイのよい松田さんあたりを脱がさないところにも、具体的なヴィジョンがあるからだろう。松田さんに代表される青年像もカンパニーには代々いて、松重さんもその血脈ですね