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2015年04月16日(木)
『追憶のアリラン』

劇団チョコレートケーキ『追憶のアリラン』@東京芸術劇場 シアターイースト

数年前から評判が伝わり出していたこの劇団、気になりつつも機会を逃しまくっていた。芸劇初進出(場所的に平日仕事後でも行ける)、しかも今回取り上げる題材は日本と朝鮮の現代史。これは何としても行かねば、とチケット確保。ようやくお初です。

平壌で検事局に勤める日本人の主人公。太平洋戦争が終わり、彼は朝鮮人民委員会により朝鮮人を不当に逮捕、拷問し死に至らしめた罪を問われる。検事である彼の同僚たち、指導的立場の憲兵隊長、そして家族の辿った戦後が、主人公の回想という形で語られる。自宅でくつろぎながら朝鮮動乱停戦の報をラジオで聞いている主人公とその妻、と言う場面が幕開け。会話の内容から、彼らはかつて平壌に暮らしていたことが判る。無事帰国し、平穏な暮らしが戻ってきているのだと安堵しつつも、彼らの痛みに満ちた帰郷の途を、息をひそめて見守る。

真実の在処を探す旅は終わることがない。下された判決は、人民裁判を指導するソ連軍による極めて機械的なもの。有罪と無罪の境目を具体的に示すものは何もない。戦後の混乱期にあって法はなんと脆いものかと思い、同時に法規の意義を思う。何故あのシーンで『ああ無情』が選ばれたのか。法、信仰と言う側面から考えることも多い。法は主人公を裁き、信仰は主人公の妻に寄り添う。事務次官は法と信仰と言う視点から、この日本人夫婦と交流する。

歴史的背景を巧みに織り込んだ脚本(古川健)。この時代となると陰惨な暴力描写がいくらでも使えるところ、徹底して言葉に拘った論争でストーリーをぐいぐい引っ張る。緊張感が沸点に達したところにポンと置かれる軽やかな台詞、緩急も巧い。専門用語や日韓両国の発音を用いた膨大な台詞量(余談だが「君(主人公)と朴は〜」って台詞、最初「君と僕」って聞き間違えた…朴を日本語読み+呼び捨てにする憲兵の台詞だったから)を演者は達者に乗りこなす。主人公を演じた佐藤誓さん、面目躍如。明晰な言葉、力のある発声。逡巡と後悔と、抱えていく罪を全身で見せる。無機質な階段を主体とした美術(鎌田朋子)、単色を効果的なところで鋭く使う照明(朝日一真)ともに硬派でスタイリッシュ。

一年前から韓国映画を観る機会がグッと増えている。映画を観ることで初めて知った韓国の習慣や文化が沢山ある。「ごはん食べた?」が挨拶代わりなのは何故なのか、お祝いに米花輪や練炭花輪が贈られるのは何故なのか。クリスチャンが多いのは何故なのか。それらには歴史が深く関わっている。今回の作品にも、キリスト教と飢饉についての言及があった。しかしそれらと日本との関わりは、初めて知ることだった。

以前何度か書いたが自分の故郷は宮崎で、土地柄か韓国の学校との交流会があったり、食べ物や食器、衣類等に朝鮮の名残あるものが普通にあった。同級生にも在日コリアンが多くいた。今作のタイトルにもなっている「アリラン」も学校で習った。金大中は「きん・だいちゅう」、全斗煥は「ぜん・とかん」の日本語読みで報道されていた。YMO「SEOUL MUSIC/京城音楽」の歌詞は、今でも空で思い出せる。それでも、この歳になって知ることが沢山ある。意識することすらない程近くに韓国があったからでもあるし、そのルーツを知ろうとしなかったからでもある。今作の四席検事の言葉から、同級生のことを思い出した。

積極的に知ろうとし、発信している新世代を実感する。翻って自分たち世代のことも考える。そして個人として、どうしていくかを考える。

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・劇団チョコレートケーキ「追憶のアリラン」困難な歴史に切り込んだ勇気に共感:日本経済新聞
確かにこのホン、さまざまな劇場、プロダクションで観てみたいと思った。
日経の劇評は読み応えがあるものが多いなあ…と思って署名を見たら、またもや内田洋一さんだった

・『ああ無情』=レミゼ、よしおちゃん、とくるとひとり連想されるひとがいますね…深刻なシーンなのにここはちょっと顔が緩んでしまったよよよ

・Seoul Music - Seoul Music
「SEOUL MUSIC/京城音楽」の歌詞を確認しようと検索していて見付けたページ。韓国の80年代について、歌詞から解説しています