浅間日記

2006年11月30日(木) さらば自民党

本日は上京せねばならない。

最近はじめたこの仕事は、どうやら色々と難しい。
誰もが失脚を恐れ、自分が責めを負わぬよう汗をかいている。
この仕事にしがみつこうという人には、実にストレスフルだろう。

馬鹿みたいな書類をつくったり、
それをまたいちいち保存しておかねばならない。
そのすべては、自分が足をすくわれぬための作業なのだ。
まったく、これではまるで、どこかの政党みたいである。

仲間を許容できずに足を引っ張り合い排除する−競争といえば聞こえがよいが−文化は、実に無駄が多い。

アマゾン原住民は、最も協調性のある部族が生き残っているんだぜと、
Hが何かの本の受け売りで言っていたのを思い出した。


異なる政策をもつ政治家を同居させていたからこそ、
自民党は与党として発展した。

あんな出入り騒動を起こしたら、そう長くはない。
大迷惑なのは、それに日本国民もろとも、となりそうなところなんである。

2005年11月30日(水) クラークケントまがい
2004年11月30日(火) 空調考



2006年11月29日(水) a place of happiness,innocence or beauty

大好きだったナツツバキの高垣がある辻も、
ねむの木の通りも、立派な屋敷の百日紅も、冬の眠りに入ろうとしている。

この辺りの人は、周りを山に囲まれていても、
庭先の小さなスペースや辻々の隙間をおざなりにしない。

コブシや木蓮やウメは、一刻も早く春の慰めを得るために欠かせないものだし、
ツツジやハナミズキは、隣近所と花の自慢話をするのに手を抜けない。

クヌギやケヤキは夏の昼下がり暑さをしのぐ場所として大切に維持したいし、
吹き降ろす北風から家を守るために槙の垣根はおろそかにできない。

そして何よりも庭は、人間がその地で年を重ねて生きていくことを、静かに見守ってくれる。
庭木を愛情込めて手入れしたり落ち葉の掃除をする中で、
日々の緊張感から、落ち着きをとりもどすことができる。

田舎街の潤いと安定は、庭先で支えられている。

ささやかな、だが気持ちと願いのこもった庭がなかったら、
たとえ近くに日本の屋根とよばれる山があったとしても、
この街は恐ろしいほど生命力に欠けた、味気のない場所になってしまうだろう。
このことは、実際に画像でシミュレーションすればすぐわかる。

そして、庭先の細やかな変化のあるしつらえは、公共事業では絶対に実現できないのだ。



gardenの語源は、gan+eden、
つまり、楽園を守るという意味なんだそうである。

2005年11月29日(火) 一流ピカピカ



2006年11月28日(火)

夜汽車に乗って帰宅。へとへとである。

新月は、いつのまにか上弦の月になっている。


2004年11月28日(日) 化学変化



2006年11月27日(月) 脳が脳を洗う

こうして出かけた時だけ見るテレビ番組は、
その度に口がふさがらないほど衝撃的である。

争いと暴力と、健康とグルメ。そんな話ばかり。


情報は、すべからく誰か他人の脳を通過している。
金目や欲や奇妙な自己実現でねじまがった脳を通過した情報は、
それはもう本質が汚染されている。

情報は所詮人の脳が判断したことにすぎない。
そうであれば、例え不十分でも自分が直接見聞したことか、さもなければ、
自分が最高級と判断した人の脳が処理したものだけをインプットしたいなあと思う。

何でも、知っていればよいというものではない。
情報に汚染されるリスク、良質の情報を選択するセンスは、
現代人が自立して生きるための必須事項だと思う。



2006年11月26日(日) 食う飲むところに住むところ

遠路はるばる大企業の町へ。
湿った雨が降りはじめ、厚い雲に覆われた暗い空。


電車も、飲食店も、人々も、その工場のためにある。そんな町。
ビルのエレベーターの保守管理だって、もれなく関連会社。

電車の座席で世間話をする革ジャンの男達にむかって、心の中で、
あなた方はいつからここにいるのですか、と問う。

2005年11月26日(土) 世代間男女交代論
2004年11月26日(金) 文芸の話



2006年11月24日(金) ここに残るということ

祝日の昼下がりを、Aとふざけて過ごしていたら、
ラジオで「作家の灰谷健次郎さんが食道がんのため亡くなりました」という知らせ。

戦後の児童文学を支えてきた作家のひとりである。
代表作の「兎の眼」「太陽の子」がよく知られている。
享年72歳だそうである。



親を亡くすような悲しみがこみ上げて、
今もそういう気持ちでいる。

学校の図書館で読んだ「兎の眼」は、
今でも私の中にある。



後藤田正晴さんのように、灰谷さんも、
あの「最期のカード」を使ったのだろうか。

子ども達が大変な今、
メッセージを込めて旅立ったのだろうか。

そうだとしても、何故今逝ってしまわれたのですか、
という心細さは消えない。



子どもの頃に憧れ、慕情を寄せ、手本としてきた大人が旅立ってしまう。
そんな年齢になったことを実感する。

もう私もここで一緒に終わりでいいです、と言いたくなる、
自分の甘えた寂しさをどうすることもできない。

「次のことは−子ども達のことは−、あとはあなた達がやるんですよ」
というメッセージを、私はどうにかこうにか受けとって、
明日へつなげていかなければならないのだけれど。



2006年11月23日(木)

参院教育基本法特別委員会で、政府の教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」について、安倍首相が「当時の官房長官として私の所掌の中で起きた大変遺憾な出来事だ。所掌する事柄においては責任を負っている」と発言。

所掌しているというのなら、件のできごとに安倍首相が関与したのか、
もう少し真剣に質さねばならないだろう。

安倍首相は教育基本法の改正に誰よりも執念を燃やしている人物なのだから、
やらせをしてでも市民の理解を得たいという動機は十分あるように思う。

2005年11月23日(水) 
2004年11月23日(火) 



2006年11月22日(水) analyzeエンピツ日記

エンピツ日記には38のジャンルがあって、
ここでサーバを借りている私のような人は、
お好みでジャンルを選ぶことができるようになっている。
今日はちょっとその分析。



正確な統計解析でもなく、実に主観的なものだけど、
「自分はどんな日記にするか」について、
登録ジャンルからだいたい3つの志向性が読み取れる。

1つめは、日常生活。
登録がダントツで多い。33.9%の人が選択している。
私の毎日は、そんな数あるテーマに絞り込めないよ、という考えがあるのかもしれない。

2つめは、一般的な、生活に近いところにある個別のテーマ。
恋愛とか、静かな日常とか、音楽、文芸、読書、育児、ゲーム、アニメ、映画、スポーツなど。
だいたい1〜5%の人が選択している。
この辺のテーマは、多くの人にとって、生活の中で比重が高くなりやすいものなのだろう。

3つめは、もう少し込み入った事情のテーマ。
ギャンブルとか闘病とか、思い出昔話とか。
書いている人は全体の1%未満で、100人以下。

全体に、書こうとする事情が込み入って一般的でないほど、登録数は減る傾向にある。



そして、−ここからが本日の核心部なのだが−、
随分前に、私がもうだめだと退散してしまった時事社会というジャンルは、
登録数は98で、全体の0.8%。
旅放浪や遠距離恋愛と同じで、闘病や美容おしゃれより少し多い。

自分も撤退した身なので少しも威張れたものではないが、
政治や社会問題とは、なんと込み入った事情で、一般的でないことか。



私たちは日常をそう簡単に超えられない。
子どもが熱を出したり、年老いた親の介護に追われれば、
新しくできた法律のニュースより迷わず子どもや親を優先するし、
それはそうするべきだと思う。

でも、だからこそ、政治や社会というのは、
全てのジャンルに−遠距離恋愛でさえも−、
必ず内包されているものと思わなければいけない。

すべてのジャンルで、そのジャンルに関連して、
誰もが日記に社会問題や政治問題を書くことができる。
そういうものだ。

政治というものは確かに永田町が中心かもしれないが、
有権者の家には味噌や洗濯石鹸のように常備しておかねばならないし、
切らしたら大変なんである。

2005年11月22日(火) 
2004年11月22日(月) 



2006年11月21日(火)

小春日和。

「同じ気候帯や生態地域のなかで、生物間相互作用をおよぼしあいながらともに進化した生物種、云々」

というような内容が連綿と書かれた本を読む。

生物間相互作用をおよぼしながら、生物はともに進化する。

こうしたことが科学的に解明されつつある。

でもしかし、ヒトが何故このように異常発生し、
資源を採取しつくしては文明が滅びるということを繰り返し、
未来に目をそむけて現在の様々な欲望を優先させるのか、
そのことは自然科学者でもわからないらしい。
一体、どんな生物間相互作用があるというのだろうか。

2004年11月21日(日) 善意の総量



2006年11月20日(月)

雨は、明け方にはやんで、靄が立ち込めていた。
遠く離れた場所からみれば、この盆地はおそらく
何もかもすっかり雲に覆われて見えるのだろう。

けれど近景はそうではない。
埃や塵が洗い流され、世界はすっかりクリアなものとなり、
静けさと潤いをとりもどしている。

散り行く紅葉と、冬を越えていく常緑との別れの饗宴が、
音もなく、華やかさもなく、催されている。
ただ、深く沈み込んだ色彩の、静止画像として。

黒く湿ったクヌギの枝から枝へ飛び移って、鳥が遊んでいる。
その飛翔の時に見せる赤と白の羽だけが、
絵巻のようになって動かない森のなかに時間があることを示している。

2005年11月20日(日) 他人の仕事
2004年11月20日(土) 不安な気持ちはどう表すか



2006年11月19日(日)

寒い寒い雨が降っている。
湿った、東京のような寒さが家の中にしみわたっていく。

凍えているうちに色々と懐かしいことが現れて、
目の前の食卓にならんだ白い飯や味噌汁のことは、
なんだかどうでもいいやという気分になる。

2005年11月19日(土) ランディさんと私



2006年11月18日(土) 家族の支え

Hはちょっとした地元の講演会によばれていった。
インドの遠征登山報告なのらしい。

最近こうした機会が少しずつ増えている。
「家族の支えがあったのですね」とか言われて私もHも大層困惑する。

支えてなどいないと私は表情で返す。
支えられてなどいないとHも−少し私に遠慮しながら−表情で返す。


彼のクライマーとしての人生を評価するとすれば、

家庭で孤立するという恐ろしい状況をおそれずに
妻子の恨みがましい視線をくぐりぬけ毎週毎週山へでかけ、
さりとて壊滅的な関係崩壊に至らぬようフォローに手を抜かず、
よくぞ自分のクライミングへの情熱と力量を維持しましたねと、

こう言うべきなんである。
べき、というよりも、私は誰かに頭を下げてでも、
この点について、褒めてあげて頂きたいと思う。

そうすれば、ええこの人は本当によく頑張ったんですよと、
私も快活に答えることができるのに、と思う。

2004年11月18日(木) 孤独と自尊心



2006年11月16日(木) 未来を塗り替える

教育基本法改正案が衆院で強行可決。

世に出た瞬間から、「時代にそぐわない」法律として批判を浴びることは間違いない。
市民の生活や人生に重要な法律は、施行後が本当の採決である。
誰が、いつ、どうやって決めたのかも合わせて、暮らしのなかで審議されるのだ。



法律は遵守しなければならない。でも私達はそれに服従するわけではない。
「どうしようもない悪法」と批判することや、廃案を要求する権利がある。

たとえ制定されたとしても、それが受け入れられないものならば、
改める方向で準備をしなければいけない。
「時代にそぐわない」ような法律はいわんや、である。

私達は、未来を塗り替えることができるし、その作業を続けていかなければいけない。
それがどういう方向であれ、明日について考えることをやめてはだめだ。

自分が志向する未来のためには、平気で「今の憲法の縛りの中ではそれができない」と発言する先生方の論法に、ならおうと思うのである。

2005年11月16日(水) 藪と泉
2004年11月16日(火) 



2006年11月15日(水) 西陽の幻

ちょっと変則的に仕事。

蕎麦打ち職人とフラメンコダンサーと行政書士を一度にこなすような日。
一丁あがり二丁あがりの要領で、片付ける。
まだ明日も探偵業をしなければならないが、ひと区切り。
山を越えて家路を辿る。

冬の西陽は不思議な迫力で、黄金色の山肌にくっきりと陰影をつけている。
その上方には、青空と白い雲がやけに平面的に広がっている。

マグリッドの絵の中にいるような、シュールな気分で帰宅。

2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人



2006年11月13日(月) 煮えたぎる子どもたち

いつの間にか、イジメジサツなんて変ちくりんな熟語が流通している。
下品な定型化だ。

そして、連なる子どもの自殺については、「そのケース」がいじめの定義にあてはまるかそうでないのかの判定などやっている。

あれもこれも、死んだ子へ何の手向けにならないし、
明日死んでしまおうと青白い顔で決意する子への、何の救いにもならない。

もう私はすっかり、この出来事の取扱いには希望を見出すことができず、うんざりしていた。



そんな中でラジオで、中嶋博行という弁護士の話に少し救われた。

中嶋氏は「君を守りたい いじめゼロを実現した公立中学校の秘密」という本の著者である。

いじめがなくなったという学校の話を聴きながら、
これはきっと、緊張のない友人関係をつくろう、というよびかけが功を奏したのだろうなと思った。

いじめをなくそうという方向性は直接的すぎで深みがなく、大人の子どもを導く方法として智慧がない。
飲酒運転とは訳が違うのである。



緊張と興奮の現代社会にいて、子ども達は皆、煮えたぎっている。
いじめる子も、いじめられる子も、それはたまたま突沸した湯滴にすぎない。

その鍋の下で燃やしている火を止めて、少し涼しいところに置いて、
大人がそうっと冷ましてやれば、子どもたちは濁りなく澄んだ姿を必ず取り戻す。

問題は、大人がそうしてやれるかどうかだ。
まずはちゃんとしたものを食べさせて、温かい風呂に入れてやり、夜は早く寝かせることだ。



2006年11月12日(日) 楽興の時と希望の明日

「楽興の時」で始まる、音楽の泉という番組。
ささやかな日曜日の楽しみなので、時間を見計らってラジオをONにする。

長く続いている番組だし、始まりのこの曲もずっと変わらないせいか、
これを聴くと、どういうわけか子どもの頃を思い出す。

建直す前の古い家の、薄暗い部屋にあるピアノや、ゴブラン織りのカバーや、
その上に置かれた、教本−おそらく母が子どもの時に使っていたものだろう−の黒い表紙などが、ぼんやりとうかぶ。

そのすべては、自分にとって、有史以前の出来事であったのだ。

ということは、今日、一家揃ってラジオに耳を傾けるこの冬の朝も、
やがてAにはおぼろげな記憶となるのだろう。

小さい子を育てている親の姿など、−自分もそうであるように−、
しょせん儚い情景になる宿命だ。

それでもいいやと思う。またそうならなければいけないと思う。

Aがそうして幼い日を思い出すその時に、鮮明な希望の明日があるのならば、
おぼろげなものはおぼろげなままでいい。

2005年11月12日(土) 



2006年11月11日(土) 誰にもあげない

臓器移植法の改正案が与党案として提出されている。
臓器提供者の年齢制限を6歳に引き下げるというもので、
子どもが臓器提供を受けられる機会を増やすことに貢献するのだそうである。

宇和島徳洲会病院で行われていた、病気と診断された患者から摘出した腎臓を移植したケース。



ずいぶん前であるが、自分は臓器提供したくない立場だとHに言ったことがある。
信じられない身勝手な考え、という顔をされた。

世の中が臓器をパーツとして認識することに協力したくないから拒否するのだ、
と言ってみても、とうてい受け入れられないという。



それから数年たった今、改めて思う。

知らない間に誰かに自分の内臓をもって行かれたくなければ、
明確な拒否の意思表示をしておいたほうがいい。子どもについても同様に。
公証役場で書類を作っておくのも一計だ。
リスクマネジメントとして、そうしたほうがいい。



肉体は、何か尊いものからのさずかりものである。そう思っている。
人様に差し上げることを前提に曖昧に生きるよりも、
身体を丁寧に大事にして、世のため人のためになることをして、
命をぎりぎりまで使い切って死ぬほうがよい。

肉体は一人に一つのものである。

そういうことをない交ぜにするような幸せは、
例え血の涙を流して乞う人がいようとも差し上げることはできないし、
その立場に立ったとしても、受け取ることはできない。
それが、今のところの私の考え。

もう少し言うならば、
医療技術の水平展開をどうするかは、既に医療の専門家の範疇外である。
臓器移植技術を素晴らしいものにするか新しい種類の犯罪にするか決めるのは、
医師ではなく、医療消費者のモラルと政治家の役割なのだが、そのところは残念ながら、とても危い。

2005年11月11日(金) 他人の死を引き受ける
2004年11月11日(木) 月と暦



2006年11月09日(木) 29 39

どうにか外の仕事は一段落したものの、極めて体調不良。

風邪でだるい身体に加えて、山歩きで痛む腰と、差し迫った締め切りで、
身辺がどうにもならない。
こういうのを、シッチャカメッチャカというのだろう。

さらに、Aと、あろうことかHまでもが、私の不調に反応して安定を欠く。
何かからみついてくる感じで、三割り増しのオーダーがくる。

家族をこの上なく愛しているけれど、
こんな時は家出でもしない限り永遠に健康が取り戻せないような気がする。



Yさんが今度は助け舟を出してくれて、Aの夕飯と風呂をやっかいになる。
子どもを不用意に急がせたり、次々くる要望を次々切り捨てるといった状況が回避されて、楽になる。

Hはそういうわけにもいかず、引き続き無愛想な私の相手をする。
そんなに意地悪するならまたインドへ行くと、子どもみたいなことを言う。

2005年11月09日(水) 
2004年11月09日(火) 支給日



2006年11月08日(水) 山門

晴れ渡る冬空の下、お外のお仕事。

途中、山の中に禅寺をみつけ、寄り道する。
見事な山門や庭のしつらえに、ため息をつく。

その場所が何をするところなのか、
来訪者にどのような心構えを要求しているのか。

そういうことが、山門への階段の勾配や角度、
植栽のしつらえ一つで表現されている。

人が人に対して意識を細かく向けていることがよくわかる。

大味な空間プロデュースに慣れてしまった現代日本人の私には、
この小さな空間での発想すべてが新鮮で、知る喜びがある。

2005年11月08日(火) 鳥災
2004年11月08日(月) 戦場は自然現象ではない



2006年11月07日(火)

立冬。

秋の終わりと冬の始まりは、表面と裏面ぐらい違うことを実感。

秋の終わりの寒さは、秋の寒さの終わりであって、
冬の初めの寒さは、冬の寒さの始まりなんである。

今年の冬は、案外楽に寒さを乗り切れるかもしれないと、
またしても安易に考えた、自分の愚かさよ。


風邪気味の身体をひきずって、Kさんとまた山へ。
まあ元気出せという感じで、カラマツの枝葉は黄金色に色づいた。

2005年11月07日(月) 見ざる、聞かざる、言う
2004年11月07日(日) お休みの日の男親は



2006年11月04日(土)

山の家で大根の収穫。

何かの動物が、地上部をまるかじり。
父はため息をついている。

そして、来年は畑をやめることにした、と宣言。
これはタヌキやムジナのせいではなく、体力的な理由によるもの。

2005年11月04日(金) スーパードライ
2004年11月04日(木) 大統領の選び方



2006年11月03日(金) thin sun

病み上がりのYさん宅へ、子ども達の忘れ物を届けに行く。

冬枯れ始めた柿の木の庭をぬけると、
1歳になった末娘とYさんが、縁側から手をふっていた。

やつれたねえ、具合どう?、と声をかける。
微笑みながら、久しぶりにゆっくり寝たよ、と返す。
秋の陽を浴びながら、庭先で枯葉をいじりながら話し込む。



羨ましいほど楽しく仲のよい家族の母親となった彼女は、
しかし時々、秋の終わりの薄日みたいに、儚い存在に見えるときがある。

一緒にいれば楽になるのなら、それはできるだけそうしてあげたいと思う。

2005年11月03日(木) 出来高ボート
2004年11月03日(水) お家に帰ろう



2006年11月02日(木) 因縁と落とし前

九月二日に青森県八戸市で行われた「教育改革タウンミーティング」で、
内閣府が県教育委員会に依頼し、学校関係者に予め用意された発言をさせていた、というニュース。

用意されていた発言は、
「改正案は「公共の精神」などの視点が重視されていて共感している。改正をきっかけに思いやりのある社会の実現を目指すべきだ」というもの。

御丁寧に、なるべく自分の言葉で、とか、せりふの棒読みは避けて下さい、
などという演出指導までついているらしい。



けしからんけしからんという思いをしたためようと思ったが、やめた。

迷いようのない、明らかな憤りの出来事でありすぎて、
逆に、私は本当にここで憤るべきなのか、わからなくなってしまったのだ。


人は人に、力でもって言論を強要する。
そういうことがある。

そう言い聞かせた方が−頭からどうやって煙を出すか考えるよりも−
自分の思考が長持ちする。それではどうすればよいかに知恵がまわる。

ある作用がはたらくのなら、反作用がなくてはいけない。
実のところ、為政者達は、この原理を「因縁と落とし前」というかたちで、
いやらしいほど上手に活用している。

2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの
2004年11月02日(火) 避難とは何か



2006年11月01日(水)

イチョウが色づき始める。
晩秋に色づき、そして紅葉から落葉までが短いこの木が黄色くなるということは、
つまり、もう冬が近いしるしなのだ。

そうだというのに、今年はなんだか平静である。
確実に短く弱々しくなる日差しにも、それほど憂鬱になることがない。
今年は十数年ぶりに、スキーでもやるかなんて思っている。

ついに私は、寒さに鈍い身体を手に入れたのだろうか。
いや、未だ油断はできないと戒める。
何しろ気温は、これから20度近く下がるのだ。

2004年11月01日(月) 張子の虎の不屈の意志


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