浅間日記

2006年10月31日(火) 色あせた看板に書かれた意志は

日本の核保有論議の在り方について、政治家が中長期的見地から個人的に発言することは容認する方針を、政府、自民党が固めた、というニュース。

この方針の背景には、中川政調会長、麻生太郎外相の核保有論議に関する発言がある。



閣僚の立場である人が、個人としてならば、国の基本原則を逸脱した発言をしてもよいというこの方針は、
靖国神社参拝をめぐる政治家の方便と同じ手法だから、
おそらく国際世論からは認められないだろう。

それとは別に、
問題を私達の側へ引き寄せて考えなければならないことは、
日本のある地域で、日本は核兵器をもっても良いと考える人を議員として選んでいる、ということだ。





街の勢いをすっかり国道バイパス沿いにもっていかれたような、
寂れた駅前のロータリーやなんかにある、
「核廃絶宣言の街」とか「世界平和宣言の街」とか書かれた看板。
たいていは、塗装が日焼けして、あまり維持管理されていないやつ。

中川昭一議員を選出した北海道11選挙区、
つまり帯広市を中心とした十勝の1市15町1村からは、
きっともう「核廃絶宣言の街」のあの看板は、
とっくに姿を消しているのだろう。

2005年10月31日(月) 
2004年10月31日(日) 広大な国土の閉塞感



2006年10月30日(月) 権限と必要

1945年の米軍による東京大空襲について、遺族や負傷者が国に損害賠償と謝罪を求める訴訟を来年3月9日に東京地裁に起こすことを決め、各地から集まった138人が参加する原告団を結成した、と言うニュース。

主張の方針は、
政府の戦後補償が軍人軍属とその遺族が中心で民間人犠牲者に補償がなかったことが、憲法で保障された法の下の平等に違反しているという内容。
戦争終結が遅れ、空襲被害を招いたことの国の責任も問うという。



原告団の詳細がわからないので、今現在での所感については、取扱いが難しい。

しかし最低限、こうは思う。

国策が国民の生命をいたずらに危険に晒したこと、
あるいは晒そうとしたこと−それが政治的に故意であれ過失であれ−について、
為政者でない者は、法的に責任追及する権利が保障されている。

そうでなければ、国家の権限は、その必要がない。

2005年10月30日(日) レレレ
2004年10月30日(土) 都市公園事業



2006年10月26日(木) 世界の重ね方

家に戻る。

家路を辿る友に、ガルシア=マルケスの「ある遭難者の物語」。
10日間筏でカリブ海を漂流した水兵の生還、そしてその後の物語。
マルケスが記者時代に記したノンフィクションであると言われている。



やはり海で遭難し生還した佐野三治さんの
「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」を過去に読んでいる。

同じ漂流の話でも、その衝撃は、たか号で遭難した佐野さんの方が大きい。
当時の救出映像を見た記憶があることも、その理由の一つかもしれない。

マルケスが描いた遭難者は水兵だから、サバイバル技術を駆使したり、自分のおかれた状況について分析していたりと、かなり冷静である。
物語の狙いも、実は、その後の彼の人生に注目して書かれたた部分にある。



そして、リアルな遭難の物語の中でさえ、
マルケス独特の時間を自由に行き来する物語世界が、控えめであるが埋め込まれている。
「予告された殺人の記録」で全開になるそれは、
古代ギリシャ劇で発明された、デウス・エクス・マキナに匹敵する。

物語を創造するものは、能力とお好み次第で、幾層にも真実の世界を重ねることができる。
それはまるで、壮麗な城を建設するみたいに。

2004年10月26日(火) 被災



2006年10月25日(水)

赤穂浪士文化圏で仕事。ずいぶんと暖かい。

太平洋の、外洋に向かってすらっと伸びた海岸線も美しいけれど、
小さく可愛らしい湾や岬が繰り返される、瀬戸内の海岸線は、断然私好みである。

そして明日はまた山国へ戻り、この海辺とはまた別世界である晩秋の山々を美しいなと思うだろう。

よくもこの小さく限られた島の中で、これだけ変化に富む地形があるものだと思う。そこへ四季の変化が加わるから、さらに風景の多様性は増す。

美しさは一つではないし、様々な在り様こそ美しさである。
変化があることは安定であり、未来である。

そういうことを、この国に生れ落ちた瞬間から教えられている気がする。

2005年10月25日(火) 



2006年10月24日(火) 親子であることは尊いこと

朝のラジオで、福島県知事逮捕のニュース。
Aは、泥棒をした人のことかと問いただす。
みんなの代表なのに、自分が得をするようにずるをしちゃったんだよ、と解説。

その直後に、虐待で死んだ子のニュース。
速攻で音を小さくするが、Aから解説を求められる。

毎度ながら、子どもを愛情をもって育てている家庭にとって、
この手の過剰な、それでいて本質に何一つ踏み込んでいないニュースは、
親子の関係を蝕む有害情報以外の何者でもない。
情報の取り扱いに配慮を強く求めたい。うんざりしていると言ってもいい。



子どもにとって、他の同年齢の子どもに起きた出来事というのは、大人のそれよりも他人事にならないのである。

そうだから、いまや、何かの意図の下にこうした情報を流しているのではないかとさえ思う。

そうでないというのなら、世の中にいくらでもある幸せの事例を共有する知恵をみせてもらいたい。
ほとんど多くの家族や親子は、なにものにも代えがたいものとして、愛情と慈しみの中にその関係を築いているのだから。


もう少し言うと、子どもの虐待の深刻さについて、私は決して知らない訳ではない。
身近なところから、地域的に極めて現実的な情報は入っているし、それがこの地域に限った特殊な事例ではないことも理解しているつもりだ。

そして、たぶん、虐待という出来事にいささかでも関与しようとするものは、
この通常の良心の下では受容れられない状況について、一旦受容れる忍耐なしには、何故こうしたことが起きてしまうかの真実を突き止めることは難しいのだと思う。
そしてその作業は、子どもの命を緊急に救う作業と平行して、いくらかの役割分担をしてでも行われるべきだと思う。



腹を据えてAに解説することにした。
親が子どもを幸せにしないというのは、あってはならないことだということ、
ごく稀な出来事として、こういう不幸なことが起きてしまうことを、丁寧に言葉を選んでAに話す。そして、

死んでしまった子は、ウチの子に生まれてくればよかったのかもね。
そしたら、美味しいご飯がお腹いっぱい食べられたのにね。
そうでなくても、もしうちの近くに住んでいたら、食べに来られたのにね。

そう言うとようやくAは、何か少し、救いを得たような顔をした。

2004年10月24日(日) 毒を喰え、皿まで



2006年10月23日(月)

明日より出立の準備。

天気はよくない感じなので、雨の用意もしなくてはいけない。
いささか憂鬱である。

2004年10月23日(土) 曇天



2006年10月20日(金) 神の国で寝たきりの民

自民党森派会長の森喜朗元首相が、派閥会長を辞任する考えを表明、承認された、というニュース。後任は町村事務総長。

森氏は、
「日本は天皇を中心としている神の国である」とか、
「選挙の時はできれば家で寝ていていただきたい」とか、
「子どもを産まない女性が自由を謳歌して年金をもらうのは」など、
数々の発言で世の中を騒がせた。

私は自民党員ではないからよくわからないが、
会長というのは派閥の筆頭であり、つまり、
派閥のオピニオンリーダーであるのだろう。

そして確かに、発言と政策は合致している。
派閥で固められた閣僚達は、そういう国をつくっている。

それにしても、安倍政権がこれからという時に会長職をさっさと辞任というのは、ちょっと真意を測りかねる。

まるで、どこかの経済学者のようではないか。

2005年10月20日(木) 毒がまわっている



2006年10月19日(木) 成功馬鹿

失敗や挫折は、苦しみと同時に、人に哲学的な深みをもたらす。

それに比べて、成功体験とは何と人をつまらなく、思考を単純化させ、
また愚かしくさせるものか。

登頂成功に浮かれ調子のHを見て、つくづくそう思う。

身体は確かに下山したが、魂は標高6000m辺りを徘徊している。
そんな高いところにいるくせに、自分の人生を俯瞰しようという気は全くないらしい。



という訳で、タイミングを見計らい、
あんたはそうして家庭からスポイルされてもよいのかね、と、
山にしがみつくHの魂へ引導を渡すのが、
彼と人生を共にし、またこれからも共にするであろう私の仕事なんである。

その筋書きについては、今、全能力を使って、やや意地悪く考えている。

やりたくはないが、とにかく一度は帰るべき家に戻ってもらわないと、待つほうだって困る。

2005年10月19日(水) 嗅覚を失う
2004年10月19日(火) 運転憎悪



2006年10月18日(水)

N先生に手紙を出し、冬物を出し、暖房器具の手入れをする。

豚毛の洋服ブラシを二つ購入し、
コートの手入れを、今年こそ毎度毎度きちんとやろうと決心する。

そうした合間に書類に目を通し、関係者へメールを打つ。
来週の段取りと用意を再確認する。


仕事も季節も、本格稼動前というのは細切れ仕事が多いんである。

そしてまた、段取り八分が肝心で、
ここをしっかりしておけば後が楽、というのも同じ。

2004年10月18日(月) 管制塔は象牙の塔



2006年10月16日(月) 通うな危険

大阪で仕事。滞在2時間でとんぼ帰り。
家族が寝静まった家にもどり、再びPCに向う。



教師がいじめに加担していたという最近のニュースに関連して、
ラジオで元教師という人のコメント。話の中身はこんな感じである。

教育とは、子どもを社会的に一人前にすることである。
教師は、そのために必要なスキルを教えるものである。
ところが、教師の中には、自分が生徒より人間的に優れているとか、
立場が上であるというように勘違いしてしまう場合がある。
かつては地域の大人が学校に深く関与しており、そうすることで
教師の勘違いや独善性を正していたが、現在ではそうした機能が働かない。



申し訳ないけれど、どの一文も、少しも同意できない。
だから、全部ひっくり返して書きたくなった。

教育は、子どもの自立的成長を助けるためにある。
子ども自身がよりよい人生を送るためにある、と言ってもよい。

教師は人間的に子どもより優れているし、上の立場に立つ。
犬の訓練をするトレーナーは犬より優れている必要はないかもしれないが、
人間の教育というのは、そうではない。

子どもより優れているから教師なのである。上に立つから見守ることができるのである。
そして、そうした資質をもつ教師への憧れや慕情が、
学びを包括的で活き活きとしたものにする。

教師を信頼して子どもを預けるのが、これまでの地域と学校の関係だった。
現在の方がむしろ、教師への監視や注文は多いはずである。

これが、私の考え。



学ぶという行為は、教える者ではなく学ぶ者に軸足がある。
何を学ぶかと同じぐらい、誰から教わるかは重要なんである。

だから「師事する」という形をとって学ぶことができるシステムを、
義務教育でも少しは考えられたらよいのに、と思う。

よくわからないけれど、学校選びという行為が今のところ、これに代わって機能しているのだろう。






元教師の方の話は続く。

現代の子ども達は、大人が思う以上に傷つきやすいということを分かっておく必要がある。

また現代の学校は、考えられないほどの陰湿な出来事が生じる極めて危険な場所であるという事実、
そしてそのことを教師はコントロールできないという事実を認識する必要がある。

だから、「行きたくないと思うときは休んでよい」と、親が言ってやる必要がある。



この後半部分は、理解もできたし同意もできる。

しかし、極めて危険な場所と認識した上で子どもを送りだせというのは、
いささか無理な注文ではないか。

「べつに優れていなくてもよい大人がいる、極めて危ない場所」が学校ならば、
そのような場所は、そもそも行く必要がない。深夜の盛り場と相違ない。


せっかくこの世に生まれてきた、その若葉のうちに
暗黒のような悪意の中でひとり死を選んだ子を思え。

2005年10月16日(日) 真夜中の引力
2004年10月16日(土) 前腕部怪奇譚



2006年10月15日(日)

客人を迎え馬鹿騒ぎの休日。

だがしかし、どこか本調子ではない。
卓を囲んで酒を交わし、旬の秋刀魚を共に味わう喜びに、
どうも集中できない。

楽しさと平行して、
何か嫌なものが自分の中に忍び込んでいるのだ。



皆を送り出し、家族が寝静まった後で、
仕事を始める。

明日の打ち合わせの要点を再確認して、
書類にまとめてプリントアウトする。

自分の仕事を誰かが待っているということは、
自分を取り戻すために必要な、色々ある救いのうちの一つ。

2004年10月15日(金) 群集の力を確信する人



2006年10月13日(金)

この人たちは全く申し分なくジェントリーであるが、
だがしかし私を殺そうとしている、という夢にうなされる。

悪夢の理由はわかっている。
日中ずっと聴いていた衆議院予算委員会である。

議論を右脳ばかりで理解するからこうなるのだといささか反省。

2005年10月13日(木) 冬支度
2004年10月13日(水) 奴らの足音のバラード・秋冬編



2006年10月12日(木) pardon?

晴天。

日焼けした顔でH帰宅。
普通におかえりただいまと挨拶を交わす。
Aは熱に浮かされたように歓喜。

夜更けに、四方山話をきく。
そのうちなんだか泣きそうな顔になって、こわかったよと話す。

しかし同時に、次にヒマラヤ遠征する時は、という聞き逃せないセリフ。
まあ分かっていたけれど。

2004年10月12日(火) 声に出して読む手紙



2006年10月11日(水) インドへ回覧板をまわしに行った男

早朝のラジオ。

電話アンケートで、集団的自衛権を知っていると回答した人は8%というニュース。嘆息。
かくして富国強兵と重商主義は、無知と無関心に後押しされる。
やりきれない気持ちで、暗い台所で湯を沸かす。

コーヒーを淹れてラジオ体操をして、気合いを入れなおす。
私とて、本日は集団的自衛権より優先すべきことがある。
「政治の幅は常に生活の幅より狭い」。便利な言葉だ。



国際空港の重要な機能の一つに、「送迎演出機能」がある。
これは、空港の設計コンペでも、特に重視される機能とされている。
多分そうだと思う。

というのは、Hが本日帰宅するにあたり、困った問題を抱えているからである。

インドへ二ヶ月出かけていって、
ヒマラヤ未踏峰を4度目の挑戦で登頂した男。
まさに万感の思いで、家族が待つであろう家路を辿る男。

そのようなテンションに、この家は不釣合いなんである。
やはり空港まで行くべきだったか。

本気で悩んでいる。いささか面倒と言ってもいい。
隣の家に回覧板を回しにいっていた人と、対応をどう分ければよいのか。

「ただいま」とドアを開けた時に、最も集中を要する家事の瞬間
−ジャムを煮詰める仕上げ−とか、
クライアントからややこしい電話があった直後だったらどうするのか。


じゃあイメージトレーニングだよ、とTちゃんのアドバイス。
そうかそうかと、成田でゲートを出てくる様子やなんかを思ってみる。
やっと帰ってくるやっと、ついに、などと呪文のように言う。

2004年10月11日(月) 動物の悲哀



2006年10月10日(火) 傍若無人な行為

この連休に相次いだ、国内の山岳遭難のニュース。

おそらく、ひっきりなしに救助ヘリが飛んだのだろう。
山岳警備隊や地元の警察、救急関係の方は大変だったろうなと思う。

白馬岳の遭難事故はガイド登山であったようなので、
死亡した方とのあいだにそうした契約関係があれば、
これは訴訟になる可能性も高い。



人が、なんでそうまでして高所へ向かうのか、ちょっと理解できない。
笑われそうだが、本当にそう思っている。

山岳遭難は自分が死んだり怪我をするだけでは済まないのだ。

家族や友人は悲しみでその後の人生をしばらくふいにし、
関係者が貴重な休日をふいにし−場合によっては危険な救出作業に従事し−、
いくらかの税金をふいにする。

つまり、総合して言えば、社会にものすごく迷惑をかける。


かけがえのない人生の最期だというのに、ロマンのかけらもない。
家族に別れも感謝も告げられず、人に迷惑をかけまくって死んでいくんである。

好きなことをして死ねれば満足だろうと言う人があるかもしれないが、
私は、その無駄にした命を難病の子どもにあげることができたなら、と思う。



危険度の高い山に登るというのは、文字どおり傍若無人な行為である。
何の比喩でもなく、「自分が頂点に立つこと」だけを−それも四六時中−考える行為である。

クライマーというのは、自分の傍若無人な満足がなければ生きていかれぬという、
そうした性質を受け入れざるを得ない、ちょっと不器用で可哀相な人達なのだ。

そして、高所へ向うというのは、そういう人達が、
普通の真っ当な暮らしや幸せを犠牲にしてでもやむなくしてしまう行為と思っている。


だから、家族もあり仕事もあり家も手に入れたような、
社会的に十分順応しているような人たちが、
なんでまたそんなことをわざわざやるのだろうと、
私は不思議でならないのである。

2004年10月10日(日) 他人の無念



2006年10月09日(月) 徒労

間の抜けた行き違いのため、誰を迎えることもなく家に戻る。
Hの帰国は数日遅れるらしい。

こういう場面でHは気の回らない男だ、というのはわかっていたが、
その度に私はひどく消耗してしまう。


無意味な東京滞在と、やはり無意味な、
この上ない程の秋晴れの空である。

2005年10月09日(日) 貧困救済の役割分担



2006年10月07日(土)

Hを迎えに上京。


聞き間違えでなければ、確か8日の飛行機に乗ると言っていた。

しかしその後何の連絡もよこさないので、間違っていたのかもしれない。

あるいは、何かの悟りを開くべく、サドゥーの仲間入りでも果たしたか。



家ではD氏演出の舞台で、マクベスを観に行ったという話題。

「権力は人を誘い、人を殺す。人は権力に引かれ、人を滅ぼす。シェイクスピアにとって「権力」は生涯変わることのない中心的主題であった。恋とともに。」

D氏の名文解説である。懐かしいおじさんという記憶。
この人が若かりし頃の、シェークスピア全作品上演というチャレンジの最中、
私はまだ小学生で、芝居の本当の意味など、わけもわからなかった。

十二夜の馬鹿騒ぎや、ロミオとジュリエットの表面的な悲劇をたどるのがせいぜいで、
後は役者の大仰なセリフ回しや生音楽を、どこか恥ずかしい感じで観ていた。

でも、大人に混じって、渋谷のジァンジァンで芝居を観るのは楽しく、
一人前に大人へ感想を言ったりするのも、特別な感じがした。

懐かしいばかりの経験であるが、
大人になった今再び、Dさんの舞台が観たいなあと思う。

2004年10月07日(木) 大義書き換え上のご注意



2006年10月06日(金) 争って生き残る

某学会誌の「戦争と環境」という特集。
編集委員の巻頭言に、意気込みを感じる。
編集者へ敬意を表しつつ読む。



加藤三郎という方の論文を中心に読む。
この方は、元環境庁地球環境部長である。


戦争は最大の環境破壊である。

ベトナム戦争で用いられた枯葉剤は、国の全土を汚染した。
湾岸戦争で火を放たれた油田からは、ドイツ一国なみの二酸化炭素が排出された。
イスラエル軍のレバノン空爆は、重油の流出により地中海で過去最大級といわれる水質汚濁をもたらした。

戦争では、長期にわたって健康と生態系に影響を及ぼす環境汚染が、意図的に行われるのである。



加藤氏の論文で本当に恐ろしいのは、ここから先である。

戦争は最大の環境破壊である。それと同時に、
環境破壊は今後、戦争を引き起こす最大の要因になるということだ。

このことを実証するために、アメリカ国防総省の委託を受けて2003年に民間コンサルティング会社がまとめたレポートが紹介されている。

加藤氏の訳すところによればそのタイトルは、「突然の気候変動シナリオと合衆国安全保障に与えるその影響」なるものだそうである。
以下、加藤氏が紹介する同レポートの内容を抜粋。


「地球規模および地域ごとの扶養能力が低下するにつれ、防衛と攻撃の双方
にかかわる基本戦略につながる緊張が、世界中で高まる。資源のある国ぐに
は、自国の周りに資源を保護する事実上の要塞を建設するかもしれない。隣
国と古くから反目状態にある不幸な国々は、食料や清水、エネルギーをめぐ
り戦いを始めるかもしれない。防衛の優先度が変化し、目的が宗教、イデオ
ロギー、国家の名誉といったものから生き残りのための資源となるにつれ
て、これまでは考えられないような同盟ができるかもしれない」



ペンタゴンが、こんなことを考えはじめているんである。


さらに、ご丁寧なことに、各論までついている。
気候変動により起こり得る国際的な緊張や紛争に関するシナリオが、
欧州、アジア、合衆国別に2010〜2030年のあいだに起こることとして、
具体的に示されているのだ。


北京でオリンピックなどやっている場合ではない。

アジアでは、
「2012年に地域の不安定により日本が戦力(防衛力)の強化に動く」
「2030年にロシアのエネルギーをめぐり、中国と日本のあいだで緊張が高まる」、
などと、勝手に予測されているのだ。




ロウソクを灯して悦に入っている場合ではないし、
鳩など飛ばしても平和はこない。

それならば、何をすればこのシナリオどおりにならずにすむのか決断しなければいけない。

防衛上のシナリオというのは、最悪のケースを想定したものであって、
人々が願う未来としてのプライオリティは、一番低いところにあるはずだ。

2005年10月06日(木) 軍配
2004年10月06日(水) 至福上京



2006年10月04日(水) 生産性と専門性

秋の祭りも一区切り。

家主のKさんは今年もますらおぶりを発揮していたが、
心なしか、その姿がひとまわり小さくなったように見えた。

庭を観にいらしてと招待された家で、日がな談義。
自分にはおよそ縁がない暮らしぶりのお宅へお邪魔する。

おそらくは、水田跡地に建てられた宅地は水はけが悪いから、
客土をして少し肥料をやればよいですよとアドバイス。
にわか仕込みが種明かしの、木の根に空気を送る方法も伝授。

その後は、夫の年収だとか子どもの進路とか、
家のローン返済のような話題に花がさいて、
私は、ではここで失礼と仕事に戻ったのだった。

2004年10月04日(月) ますらおぶり



2006年10月03日(火) ヒマラヤ満足

インドのHはそろそろ帰ってくるだろうかと思っていたら、電話。

遠い電話の声で、登りましたよ、と元気な報告。

何と返事してよいのかわからず、
ああそうよかったね、こっちは皆元気と、無愛想に電話を切る。
自分はどうも、こういう場面で必要な愛嬌に欠ける。




クライマーとして全盛期である30代のほとんどを、
Hはこの山への挑戦に費やした。

もう何年も、自分が目指したラインに挑み、
そしてその度に消化不良で帰ってきた。

だから、登頂の成功はもちろん、
ヒマラヤでやっと満足のいくクライミングができたことは、
嬉しかっただろうなと思う。

とにかくよかった。

2005年10月03日(月) 炎
2004年10月03日(日) ナガランド州を探せ



2006年10月01日(日) 美しさに関する苦言

安倍総理の「美しい国」。

どんな思い入れがあるのかわからないけれど、
藤原正彦氏の著作「国家の品格」の向こうをはったのか知らないけれど、
政治家が政治の舞台で「美しい」という表現を使用するのは、
やめてほしいなあと思う。
別に安倍総理でなくても、また彼の理念の方向に関わらず、そう思う。



芸術表現というものは−絵画や音楽や舞踊とか−、そのまま受け取るしか術がない。
言葉にできない部分に、喜びと意味がある、ともいえる。

でもこれは、芸術を受け取る側の気持ちとしては、つらいところなのである。
村上春樹だって、音楽評論で言っている。
「聴けばわかるし聴かなければわからない。でもそう言ってしまったら元も子もないので」と。

では、例えば音楽なら音楽でうけとめた感動を、
なにか他の、言葉でない表現方法で返そうという、芸術家同士のような
−あるいはある種の原始的な−やりとりを試みるのも楽しいけれど、それはあくまで余興である。

芸才のないもの−私のような−がそんなことをしたら、
変換ロス99%、まるで伝達の意味をなさない。
芸術による感動のアウトプットは、難しい。



芸術表現に感動した人は、何とかその感動を言葉で表現したいと願う。
無理を承知で思う。

そして我々は有史以来、苦慮に苦慮を重ねた結果、
「美しい」という言葉を開発したのだ。

だから思う。
国策など、他にいくらでも表現のしようがあるではないか。
政治の土俵なら、もっと具体的な言葉を使えばよいではないか。

この尊い言葉を、そっちの世界にもってゆかないでくれ。

できれば芸術評論家とよばれる方々には、ぜひにでも総理に苦言を呈し、
それは芸術を人生の友とする者にとっての権利侵害であることを主張していただきたい。

2005年10月01日(土) 狂気のオクトーバー・フェスタ


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