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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
「ルパン」見てきました

終了直前駆け込み(またですよ)で、「ルパン」を見てきました。
主役(ルパン)のロマン・デュリスって、ラミジ役にいいのでは?というご推薦があったので、それもついでにチェックしちゃおうという魂胆もあったのですが。

映像、ストーリーともに楽しめた映画でした。
世紀末のフランス、華麗なる宝石泥棒、王政派の陰謀とか言ったらもうこれ以上は無いような舞台設定ではありませんか?
オペラ座や古城などロケ地をふんだんに盛り込み、今でもやはり、ひとつ通り裏に入ると19世紀に簡単に戻ることのできるパリという街の魅力…、ううん、あの時代のフランス文化の魅力があふれている画面…というべきなんでしょう。
そしてその時代に相応しい、華麗にして軽快な主人公…いや「かっこよさ」というのはその時代のかっこよさというのがあるんですね。
そしてルパンはまぎれもなく「世紀末のヒーロー」だわ。

「世紀末のヒーロー」という言葉にはなんとなく矛盾があるような気がしますが(世紀末というと頽廃というイメージがあるので)、でもデュリスのアルセーヌ・ルパンを表するのにこれ以上の言い方はないでしょう。いや彼はまぎれもなくあの世紀末の価値観と空気の中で颯爽と生きている、というよりむしろ、その淀み濁った水の中でこそ活き活きと泳いでいるというか。
この時代のフランスのヒーローはこれなんだろうなぁと。

でも待ってよ。この時代、海峡の向こう側のイギリスでは…、
グラナダTVのシャーロック・ホームズのドラマで、あの時代のイギリスについては社会的雰囲気も含めていろいろなことを知る機会はあったのですが。
同時代のフランスについて、同じような陰謀話を映像で見たことはなかったので、今回は比較という意味でも面白かった。
同じ時代なのに想像以上に…というか今のロンドンとパリの差の100倍くらいちがいますね。
私もあまり詳しいわけではないけれど、雰囲気で言ったらむしろウィーンの方がパリに似ているんじゃないか…とか。
映画の面白さの一つには、当時の雰囲気の再現があり、これを楽しみに映画に行くこともある私にとっては、これは拾いものでした。

ところでラミジにご推薦をいただいたロマン・デュリスなんですが、うーん、私のイメージはやっぱりラミジ=クリスチャン・ベールから動かないかなぁ。
というか、デュリスの他の役を知らないから結論は出せませんけど、別にフランス人だからって訳ではないけれど、この役からはラミジを連想するのはちょっとキビシイかな?…と。
これはあくまでも私個人の感覚なので、皆さまがどう感じられるかはわからないんですけど、
英国軍の士官役には必須で、けれども今回のデュリスのルパンからは見えないものが一つあると思うんです。
それは硬質さ。
デュリスのルパンの魅力は柔軟さで、それは対極にあるもの。

硬質さというのは信念とはちょっと違うし(それならルパンにもある)、外見とか普段の態度とかに直結するものではないのだけれど、ひと皮剥くと昔の英国士官なら持っているもの…ではないかと。
ヨアンを見るとわかりやすいのでは? ラッセルのジャックも、陽気でおおらかで水兵たちにも愛される性格していますけど、本質に硬質さはきっちり持っていて、決断時などにときどき顔を出す。
俳優がイギリス系(英連邦含)ではなくて、たとえ国民性の異なるアメリカ人でも、この硬質さを出せる人はきちんと出していると思います。…「サハラに舞う羽根」で陸軍士官を演じたロス・ベントレーとか見事でしたけど。古くはグレゴリー・ペックとか(ホーンブロワーもですが、「ナヴァロンの要塞」のニール・マロリー役も)。

ちょっと形は違うんですけど、日本の役者さんを論じる時に「若くても歴史ドラマで武士らしい武士を演じられる俳優さん」っていますよね? この感覚に似ているかしら?
娯楽時代劇ではない歴史ドラマで、武士らしく見せられる現代の俳優さん…という意味ですが。
日本の武士にもちょっと形は違うけど、同質の「硬質さ」の伝統はあるような気がします。たぶんその正体は「自分律」のようなものではないかと思いますが。その基本は社会律(武士道だったり士官心得だったり)するんですけど、その社会の中に生きていることで自分の中にも律として取り込んでしまっているもの。

クリスチャン・ベールは、たとえアメリカン・ヒーローのバットマンを演じていてもこの硬質さがあるんです。
同じようにタキシード着て、同じように美女をエスコートしていても、ちょっとやはり違うでしょう?
わかっていただだけます? ちょっと感覚的な話しで、わかりにくくて恐縮なんですが。

私が見に行った映画館、「ルパン」は明日28日までで、29日から次の作品の上映が始まります。予告を見てきたのですが、
アル・パチーノ(シャイロック)vsジェレミー・アイアンズ(アントーニオ)の「ヴェニスの商人」
名優対決の面白さに加え、ヴェネチア・ロケの映像が綺麗なんですよ〜。楽しみ。帰りにしっかり前売り券買ってしまいました。
この映画、六大都市+東北・関東・東海各県、広島、熊本で公開されるので、お近くの方にはちょっとお勧めかもしれません。


映画の話しついでに、一つだけ苦言。
土曜日にTVで「踊る大走査線・レインボーブリッジを封鎖せよ」を放映してましたよね。これ劇場で見損ねたので放映を楽しみにしていたんですけど、
うわ〜、凄く面白いテーマなのに、どうしてこうなっちゃうの? ちょっとあまりに初心者向けすぎない?
これってTVドラマの頃からこうだったの?(すみません。この映画の元にあるドラマ見てません)

いやこれと同じことを「海猿」の時も思って、ずっと不満抱えてたんですけど、「踊る…」がこうなら「海猿」がああなるのは仕方ないのか?

本店と支店の日本のタテ社会問題とか、優れたリーダーシップとは何か?とか、「踊る…レインボーブリッジ…」のテーマはすごく面白いんですけど、その描き方があまりに子供だましといか、テーマに比してドラマ展開がお約束的すぎるというか。
いや、署長3人組はコメディ担当だからあれでいいんですよ。お弁当談合も不倫メールも。マンガ的に誇張されすぎていても、ブラック・コメディだからあれはOKだと思うんですけど。
本庁からの監理官2人と青島とすみれのドラマまで単純明快にしてしまう必要はないんじゃないかと。あれでは逆にマンガみたいで現実から浮いてしまいません? せっかく現実的な面白い問題をテーマにしているというのに。

これね、実は「海猿」を見ている時も感じてたんですよ。というかずっと不満だったんですけど。
巡視船内の人間関係を見れば、もっと多くのドラマが出来る設定だったのに、どうしてあんな70年代青春ドラマみたいな見え見えのドラマになってしまったのか。
そりゃあTVですから、1回見ただけでさらっとわかる明快さがなければならない…という事情はあるのでしょう。
でも、にしてもこれは単純すぎる。お隣の局では十代の子をターゲットにあんなに複雑なアニメを放映しているというのに(=ガンダムのこと:こっちはこんなに複雑で大丈夫かと心配になるけれど)、夜9時台の大人向けドラマの海猿でこれは何?って。
ましてや「レインボーブリッジ」はテレビじゃなくて映画なんですよ!だったらTVほどわかりやすさにこだわる必要はないじゃありませんか?

これ、私の偏見かもしれないんですけど、まぁ苦言ってことで言わせていただくと、某局ってちょっとあまりに視聴者を初心者扱いしすぎる傾向があるのではないかと?
この局のスポーツ中継って、スポーツ・ファンからはおしなべて不評なんですよね。番組作りがあまりに初心者向けなので。
手とり足とり初心者に説明するがごとく丁寧な説明と、口あたりを良くするためのバラエティ的サービスの数々(スポーツ中継なのに)。

このドラマもなんだか…あまりにも「わかりやすすぎる」んです。
視聴者って本当に、こんなにみんな初心者かしら? 少なくとも十代で「特捜最前線」やら「Gメン75」やらを見ていた私の答えは、「中学生だってもっと複雑なドラマについていけます」ですけれども。


2005年10月27日(木)
ヴァスコ・ダ・ガマの冒険、26日放映

明後日26日(水)NHK教育テレビにて、ヴァスコ・ダ・ガマに関するドイツ製作のドキュメンタリーが放映されます。
詳細はこちらのNHKホームページをご参照ください。

10月26日(水) 19:00〜19:45 地上波NHK教育テレビ
地球ドラマチック「ヴァスコ・ダ・ガマの冒険」

この情報はFさんからいただきました。ありがとうございます。


これだけっていうのも何なので、以下はおしゃべりです。私のトラファルガー・ウィークエンドについて。
と言ってもずっと東京に、そして自宅にいたので、ひたすらHP更新用の、トラファルガーに関連した翻訳にいそしみつつ、でもせっかくだからこの日にちなんでと、ラミジ21巻「トラファルガー残照」をぱらぱらめくったり、青池保子画集「ノルウェイブルーの夢」を引っ張り出してみたり。

1941年のハリウッド名画「美女ありき」のDVDも掘り出し、トラファルガー海戦のシーンから後を見ました。
ローレンス・オリビエのネルソン提督に、ヴィヴィアン・リーのエマ・ハミルトン。
あきらかに模型だということは明らかながら、それでも戦列艦がずらりと並んだシーンは壮観で。
今から65年前の白黒映画だというのに、本当によく出来ています。

昨日の更新にも書きましたが、この映画に描かれたネルソン最期のシーンは、事実とは少々異なります。
映画では、ネルソンが旗艦艦長のハーディに遺言を伝えているところへ、伝令の海尉が駆け下りてきて「敵が降伏しました」と伝え、それを聞いたネルソンが「神よ感謝します。私は義務を果たしました」と言って、ハーディの目の前で息を引き取るという、大変ドラマティックかつ駆け足な展開。
実際は、つまり歴史的事実では、ハーディはネルソンの臨終に立ち会ってはいません。彼は艦長、艦の指揮をとらねばならぬ立場にあり、瀕死の提督を軍医と牧師に託し、自身は艦尾甲板に戻っていきます。

それはともあれ、「美女ありき」で印象的なのは、このシーンの盛り上げは大変ドラマチックなのに、ネルソンの人間的な部分は印象的に残されていることでしょうか?
この映画が製作されたのは1941年のハリウッド、すなわち第二次大戦参戦直前のアメリカであり、既にドイツと2年にわたり戦争状態に陥っていたイギリスにとってはこれは戦意高揚映画にもなりうる、…という事情を考えた時、ネルソンをあくまで人間的に描いた監督アレクサンダー・コルダの思いは何処にあったのか。

ネルソンがハーディに「エマ・ハミルトンのことをよろしく頼む」と遺言したあと、「私にキスをしてくれ」と言ったのは有名な歴史的事実ですが、英国では一時期、この逸話を闇に葬ろうという動きがあったそうです。理由は、救国の英雄が最後に女々しいことを遺言としたのは具合がよくない…と。
「美女ありき」が1941年の製作だと知った時、私は最後のこのシーンは当然カットだろうと思っていました。なにしろ1941年と言えば昭和16年なわけで、当時の日本の常識からすれば、人間的な女々しい救国の英雄なんてありえないですし、ドイツでも映画はゲッペルス宣伝相のもと宣伝広報に利用されてましたし、何より最近の勧善懲悪ハリウッド映画を知る者としては、1941年のハリウッドは当然、戦意高揚映画をばりばり製作しているもの、と思うじゃありませんか。

ところが実際の映画のこのシーンは、歴史的事実その通りに進みます。ネルソンはハーディに「自分を海に放り込まないで(水葬しないで)くれ、エマ・ハミルトンをよろしく」と遺言したあと、キスしてくれと頼むのです。そしてハーディはネルソンの額に軽く接吻してやる。
いや、キスっていったい何?…って最初にこの話を聞いた時には私も思ったんですけど。欧米と違って日本には日常生活にキスの習慣がありませんから、やっぱりぎょっとするでしょう? 何だかすごいイロモノのように響きますけど、そんなことは絶対にありえないので、じゃぁいったい何?と。 でも、これは…、
ハーディのそれは、よく欧米のドラマで見る、お母さんのおやすみなさいのキスだったのだ…と。
その瞬間に思い出したのは、第二次大戦のサイパン陥落だったか、沖縄戦のひめゆり部隊の話だったかで読んだ、16-7才の学徒動員の女学生看護婦を母親と間違えて死んでいく兵隊さんの話でした。
ホーンブロワーの「パナマの死闘」にもありましたよね。看護していたレディ・バーバラを母親と思いこんでうわごとを言いながら死んでいく士官候補生の話が。
ハーディ役の俳優さんは、がっしりしたこわもてタイプの人なのですが、その彼がお母さんの…というよりお父さんがベットに入っている子供にしてやるキス…と言うべきなんでしょうか、まぁいずれにせよ、戦闘中のビクトリー号の、治療中で血の海のようになっている最下甲板にはおよそ不似合いな、優しい行動をとることに、二重の意味で(第二次大戦中に作られた映画なのにという意味も含めて)、私は胸うたれてしまったのでした。

おそらくこのトラファルガー・ウィークエンドにイギリスで主役になっていたのは、英雄としてのネルソンだと思うのです。
そんなところに敢えて、世間が作り出した英雄ではないネルソン像を、ケントとポープの考察を通して紹介してみたいと思った私の深層心理は、この映画の人間ネルソン像にあるのか? 私にもよくわかりませんけれど。


2005年10月24日(月)
England expects

England expects that every man will do his duty
(英国は各員がその義務を果たすことを望む)

これは1805年10月21日に、スペイン・トラファルガー岬沖の海域でフランス艦隊を前にしたネルソン提督が、全艦隊に発した信号です。
「England Expects」というダドリ・ポープのノンフィクションのタイトルは、ここに由来します。

ラミジ・シリーズの作者であり、と同時に17世紀から第二次大戦までのヨーク家の物語を残したダドリ・ポープは、海運を家業して十代続くコーンウォールの旧家に生まれ、第二次大戦には商船士官として輸送船団に従軍、輸送船が大西洋で雷撃を受け重傷を負い、その後遺症を一生抱えていたと言います。
戦後はロンドン・イブニング・スタンダード紙で記事を書く一方、海事研究家としても知られ、11冊の海事ノンフィクション作品を発表しています。
このうちの2冊「ラプラタ沖海戦」「バレンツ海海戦」は翻訳され、ハヤカワ文庫NFから日本語版が出版されています。

「England Expects」は1959年に発表された、トラファルガー海戦を扱ったフィクションです。
本文中の作者まえがきによると、ポープがこのノンフィクションを手がけた理由は、この歴史上大変有名な海戦について、客観的かつ実際的に記録した歴史書が、当時は無かったからとのこと。
ポープは、イギリス、フランス、スペインの関係者、提督から下士官・水兵まで、海戦に関わったあらゆる関係者の記録:航海日誌、公文書、手紙、個人の日記などを検証し、全てを目撃者当人の言葉を用いて記録すべくこのノンフィクションを執筆しました。
この手法は他のポープ著作ノンフィクションにも共通する手法なので、ハヤカワNF文庫の2作品をお読みいただければ、雰囲気は掴めると思います。

そのような訳で記述はたいへん細かく、英文で約350ページにわたる本文の全てを読み切る根性はちょっと私にはなく、このノンフィクション、私も必要箇所のみ拾い読みという、大変勿体ない読み方をしてしまっているのは本当に残念なのですが。
リタイアしたらきちんと読みたい本の一つです。 なんと言っても、密度の高い作品なので、小説と違って流し読み出来ない…というか小説とて流しているわけではないのですが、ただ小説だと平時とか会話の部分とかはちょっと気が抜けるじゃないですか、それが、この本は何と言っても全編トラファルガー海戦なので、まったく気を抜ける部分がない…というのが今よめない理由(いいわけ)。

ダドリ・ポープの著作は当初、ノンフィクションのみで小説は書いていませんでした。
そのポープに小説を書くことを薦めたのは、ホーンブロワー・シリーズの作者セシル・スコット・フォレスターだったと言います。
フォレスターの薦めによって誕生したのがニコラス・ラミジ・シリーズの第一巻「イタリアの海」だったのです。

フォレスターがどのような理由から、ポープに小説の執筆を薦めたのか、その理由はわかりません。
が、でも何となく想像がつくような気がしないでもないのは…、ポープはノンフィクションを書いていても、人間を描き出すのが上手いですよね。
当時の記録から、当時の人の発言と行動を、そのまま再現(描写)しているにすぎないんですけれど、その光景が芝居のように鮮やかによみがえる。

「England Expects」には、何カ所か芝居の脚本のような記述部分が存在します。
当時の文献に記録された、歴史上の人物の発言と行動を、芝居のセリフとト書きのように客観的に描写してある部分なんですが、これが実際の芝居以上に感動的で。
狙撃兵に撃たれ、下層甲板の治療所に運ばれたネルソン提督を旗艦艦長のハーディが見舞い、遺言に似た言葉を受ける場面。

私はこのシーン、ネルソン=ローレンス・オリビエの映画「美女ありき」で見ているんですけど、映画のこのシーン…も大変印象的なのですが、それよりさらにポープの描いたノンフィクションの方がざくりと胸に残る。
これはもっとも、映画は何時間かのシーンを10分程度に煮詰め、劇的な英雄譚として、音楽など感動的に盛り上げようという演出が見えてしまっているのに対し、ポープのノンフィクションは何の飾りもなく、死にゆく提督の事実だけを淡々と描写していて、
その事実の重みがまぎれもなく実際にあったこととして読む人の胸を打つ…わけですから、これは不公平な比較なのかもしれません。

今年に入って日本でも、何冊かネルソン関連のハードカバー書籍が出版されました。
その中の一冊にこのダドリ・ポープの「England Expects」が入ることを、私はずっと願っていたのですが。

10月21日、英国ではこの200年前の英雄ホレイショ・ネルソンを称える行事が美々しく勇壮に行われていたことでしょう。
それはローレンス・オリビエが映画で演じた、英雄としてのネルソン提督像に近いものなのでしょうけれども。
このノンフィクションで、一人の人間としてのネルソンの事実を描いたダドリ・ポープは、最終章の最終節で、同じ時代を生きたある人物の言葉を紹介してこのノンフィクションの最後としています。

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ネルソンの葬儀後まもなく、ネルソンの死について最も賢明な考察を残したのは一人の女性。当時の戦争大臣カッスルリー卿の継母にあたるロンドンデリー侯爵夫人だった。

トラファルガーの戦いほど、イングランドにとって重要な勝利をもたらし、またイングランドを悲しみの淵に沈めた戦いは他にないでしょう。
個々人が、勝利を喜ぶよりも哀悼の情を示したことから、イングランドに住む人々の人間愛と、提督が人々に愛されていたことがわかります。
しかし、人々がこのような分別と熟考を示したのは、これが大勝利であったからこそのこだわりに他なりません。おそらく今後将来においても、これ以上に栄光に満ちた死はないからです。

そして彼女はこう付記する。おそらくは論理と直感の両方に突き動かされて、この勝利が遠い未来に何を意味し、晶化されるかを。

もしネルソン提督が生還したとしても、人々は彼をもう二度と遠征に送り込むことはなかったでしょう。彼の健康状態は、再度の遠征に耐えうるものではなかった。彼にはより通常の、多少は楽で世俗的な名誉が与えられることになったでしょう。
けれども今や提督は、不滅の軍歴を身につけてしまった。この世にもはや達成すべきことはなく、英国艦隊には彼ら自らが改良すべき遺産を残して。
もし私がネルソン提督の妻や母の立場にあったならば、栄光を失い生気を失った姿を見るより、その死に涙するでしょう。その死には何の棘もなく、その墓には栄光のみが刻まれるのですから。


2005年10月23日(日)
アレクサンダー・ケント、ネルソンを語る

ボライソー・シリーズの新刊の発行に際して、出版元のハイネマン社は長年「ボライソー・ニュースレター」という無料冊子を発行してきました。10月6日の28巻発行とともに出された最新版は23号になります。
インターネットの普及とともに、このニュースレターおよびバックナンバーは、全てネット上にupされ、現在は日本からでもお取り寄せなしに読むことができます。

トラファルガー200周年の月、2005年10月発行の23号では、巻頭でケント氏自身がネルソン提督に関する一文を寄稿しています。
今回はその主要部分をご紹介したいと思います。

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海とそれに関わる者の魅力は、私が思うに、二つの要素がもたらす結果にあると言える。
すなわち、精緻でありながら粗暴な船と、その中で生き、そして死んでいく者たちの神秘。いま一つは、二度と再び同じものを手に入れることの出来ない、彼らの有していた知識である。
彼らすなわち当時の船乗りたちは、本当の意味で独立独歩・自立独行であった最後の時代を代表しており、それが魅力をかもしだしているのだ。

当時、船上の全ての備品・策具は、手近の材料で修理・取り替えることができた。マスト、円材、ボート、帆、水や食料、基本的備品、大型艦であれ小型艦であれ、全ての装備は手近の材料からできていた。
陸地が水平線の彼方に消えた時から、そして艦が独航であればなおのこと、その艦の強さはその乗組員、ひいては彼らを指揮する人物の力量に左右されたのである。

海の戦いにおける戦術は、時代により大きく変化するものではなく、戦略よりは艦長の力量に左右されるもの。艦長がいかに敵の弱点や警戒不足を突き、敵艦に接近し、先制砲撃を、致命的な一撃を与えられるかに左右される。
陸上で訓練されるのは海兵隊のみであり、その他の乗組員全てを、上は艦長から士官候補生まで、機敏な登檣員から強制徴募されなすすべもなく立ち尽くすだけの陸者まで、彼ら乗組員をまとめあげるのは、指揮統率力に他ならない。
訓練を受け年季の入った水兵は用意万端、新米には必要であればロープを持たせ、指揮系統の混乱だけは何があろうと回避する。

帆走軍艦の時代において、指揮統率力と、勇気の具現において抜きんでた人物といえば、何と言ってもホレイショ・ネルソンであろう。
ネルソンという人物は、実際に提督と面と向かった者のみならず、その名声を耳にしただけの人々に対しても、その精神を鼓舞する影響力を有していた。
トラファルガー海戦においては小柄な提督のこの力が、各艦の指揮官たちの念頭につかず離れず、提督が致命傷を負って倒れた後も、その偉大な影響力のみで最大の勝利をもたらした。

ネルソン最後の戦いから200周年を記念する今年にあっては、ネルソンの偉大さが喧伝され、また多くの営利的な便乗企画が目白押しとなっている。我々はこれらの洪水に押し流され、この小柄な提督の本当の姿を見失いかけているのではないだろうか?

ネルソンの持つ本当の強さ、それは彼が、栄誉の絶頂にあった時でも決して普通の水兵の存在を忘れることはなかったことだろう。
提督は常に、可能なかぎり、乗艦の乗組員たちの名前を覚えようとしていた。部下の名前を全て覚えていたこともしばしばであった。
トラファルガー海戦で致命傷を負った時も、自身よりも重傷を負った水兵の治療を軍医に優先させた。自らが率先して手本となり、そして何よりも義務を気にかけたまま息を引きとった。

トラファルガー海戦の6年後にあたる1811年、リサの海戦に当たって指揮をとることになったウィリアム・ホステ艦長は、「ネルソン提督を忘れるな」という信号旗を掲げた。それだけで、部下の水兵たちには十分であった。それはおそらく、現代に生きる私たちにとっても。

上記は全文訳ではありません。原文は下記。
http://www.bolithomaritimeproductions.com/Bolitho%20Newsletter/default%20-%20News23.html


2005年10月22日(土)
【至急報】日本から視聴可能:本日のBBC放送

おはようございます。10月21日です。
灰色雁が目視出来る時間となりましたので(意味のわからない方はラミジ・シリーズを読んでくださいな)、海の向こうのサイトを見張るべく檣頭に上がりましたところ、英国BBC放送のサイトに、日本からでも視聴可能な本日の放送予定を発見いたしました。下記3.の「Watach/Listen to Trafalgar News」は、ブロードバンドなら日本からでもネットで画像を見ることができます。
よって急遽更新予定を変更し、至急報URGENT Signalを発信させていただきます。

う〜ん、なんだかユーリアラス号(ネルソンが見張り役に派遣したフリゲート艦)になったような気分だわ。
本来予定していた本日更新分は明日以降の日付で週末にということで。


BBC放送HP、本日はトップページの一番上に「トラファルガー特集:Trafalgar 200 on BBC.co.uk」が
BBC放送トップページ
ここからクリックで飛べるページは5箇所。
1.News:トラファルガー200に関する詳細ニュースページ
2.History:トラファルガー海戦とワーテルローの戦いについて(10月17日のSail ho参照)
3.Radio 4's Trafalgar Season :BBCラジオ4特集番組一覧
4.Watch/Listen toTrafalgar news :ここをクリックすると別窓が開きます。日本からでも映像視聴可能。
(別窓なので、ここはトップページからクリックで入ってください)
5.TV and Radio programmes :10月21日〜23日、BBCテレビ/ラジオ トラファルガー関連特別番組一覧

上記番組表のうち、BBCラジオのものは日本からインターネットで聴くことができます。
BBCラジオの聴き方については、こちらのホームページ参照
ポーツマス大聖堂での記念式典中継などもラジオで生放送されるようですね。

BBCラジオの放映予定は下記の通り。
GMTは英国標準時間、日本時間とは現在マイナス9時間の時差があります。

BBCラジオ放送予定
10月21日(金)


BBC Radio 4 FM 14:15 - 15:00(GMT) 日本時間 21日23:15-24:00
「Trafalgar」ドキュメンタリードラマ。ネルソンの声はAnton Lesser、音楽は海兵隊軍楽隊。
詳細はこのページの真ん中あたり。

BBC Radio 3 19:30 - 20:20, 20:40 - 21:30(GMT) 日本時間 22日04:30-06:30
「From Portsmouth Cathedral」ポーツマス大聖堂より、ネルソン記念コンサート中継
詳細は、こちら


10月22日(土)

BBC Radio 3 13:00 - 14:00(GMT) 日本時間22日22:00-23:00
「The Early Music Show」 ネルソンにまつわる音楽特集 第一部 ハミルトン夫人の好んだ音楽について
詳細は、こちら


10月23日(日)

BBC Radio 3  13:00 - 14:00(GMT) 日本時間23日22:00-23:00
「The Early Music Show」 ネルソンにまつわる音楽特集 第二部 当時の船乗り唄について
詳細は、こちら

BBC Radio 2, 20:30 - 21:00(GMT) 日本時間24日05:30-06:00
「Sunday Half Hour」 英国の海の伝統と英国海軍兵学校聖歌隊(クワイア)の演奏。
詳細はこちら


10月24日(月)

BBC Radio 4 FM 20:00 - 20:30(GMT) 日本時間25日05:00-05:30
「Nelson, the Latest」 現代から見るネルソン
詳細はこちら

BBC Radio 4 FM 21:00 - 21:30(GMT) 日本時間25日06:00-06:30
「Nature」当時の木造帆船の原料となった木材を探る。
詳細はこちら


ポーツマスの現地渡航組へ国際信号通信>
以下は英国内で見られるBBCテレビの本日夕刻放送予定です。
もし夕方、ヒストリックドックヤード付近が女王陛下乗艦につき立入禁止になってしまったら、皆でパブに行くのではなく缶ビールor林檎サイダーを買ってポーツマスに宿のあるどなたかのお部屋に押しかけて、この番組を皆で見るのも面白いのではないでしょうか?
ただし、
ロンドン宿泊日帰り組の方>
ポーツマス発ロンドン行きの終電はこちらでチェックのこと。このホームページ、列車運行情報ものってるみたいですよー。

BBCテレビ放送予定(英国現地時間のみ)
10月21日(金)

BBC One
「Blue Peter」 Fri 21 Oct, 17:00 - 17:25(GMT)
ネルソン時代のパウダーモンキーについて。詳細はこちら
ひょっとしてブルーピーターって、BBC子供向け番組のタイトル名(固有名詞)でしょうか?
ブルーピーターというのは出航旗(国際信号旗の「P」旗)のことなんですが、これを番組タイトルにするとはさすがイギリス。

BBC Two
「Trafalgar 200: Nelson's Glorious Victory」 Fri 21 Oct, 18:30 - 19:30(GMT)
トラファルガー200年記念特集番組。

10月23日(日)
BBC Two
Trafalgar 200 : Nelson - Legend and Legacy」 Sun 23 Oct, 20:00 - 21:00(GMT)
「トラファルガー200――ネルソン:伝説と伝統」トラファルガー広場から200周年記念行事グランドフィナーレ中継。

トラファルガー・デーのポーツマス、心ゆくまで楽しんできてくださいね!


2005年10月21日(金)
トラファルガー前夜

米国のパトリック・オブライアン・フォーラム(掲示板)も、10月21日を控え、盛り上がってきております。
米国時間の20日の朝、at day-break on the 20th(10月20日の夜明けに)という書き込みがありました。


at day-break on the 20th the fleet found itself in the entrance of the Straits of Gibraltar, but nothing of the Enemy to be discovered

10月20日の夜明けに艦隊はジブラルタル海峡の入口に到達していた。だが敵の姿は見えない。
午前7時、「敵の針路は北」との信号を揚げているフェーベ号が視認された。
8時にビクトリー号は一時停船、コリングウッド提督と、マース号、コロッサス号、ディフェンス号の艦長が来艦し、ネルソン提督から指示を受けた後、各の艦に戻った。
日没の少し前にユーリアラス号が諜報員から得た情報を伝えてきた。「敵は断固として西へ向かおうとしている」
ネルソン提督はユーリアラス号のブラックウッド艦長に「夜の間も敵から目を離さぬよう」信号を送り、夜間信号と中継艦を通じて敵の動きは逐一、提督に届けられた。
英国艦隊は午前2時に、北に針路を変更した。トプスルとフォアスルのみを張り、夜明けを心待ちに…。


書き込みの原文は、
http://www.wwnorton.com/cgi-bin/ceilidh.exe/forums/POB/?C350e5a913KHc-5770-1195-30.htm
上記は要約です。
なかなかしゃれた書き込みじゃありませんか?
これは、21日の書き込みも楽しみだわ。でもこれ出典というか参考資料はどこからなのでしょう?


21日を控え渡英中の皆様も、ポーツマスに向かいつつあるようです。
PC持参で現地から書き込みされている方もありますし、ネット・カフェの中には日本語で書き込みの出来るところもあるようです(コーンウォールのペンザンスにも日本語書き込みの出来るネット・カフェがあるらしいですよ)。
「Sailing Navy」のCaptain's Logなど見ていると、航跡図が書けそうです(笑)。
いえPC持参で各博物館の特別展の内容を即日レポートしていただけるので、感謝しております。只野さま>
今日は誰がどこ…とか、PCの前で地図を広げていると、各人を表す旗がポーツマスに集まりつつあるのが見えるよう。
皆バラバラの日程で、集合は21日のポーツマスってなんだか格好いいですよね。

続報があれば渡英中の皆様にお知らせしようと思ってたんですけど、Sea Britainのプレスレリースは今週になってから全く動きません。
ニュースは先週のうちに出尽くしてしまったんでしょうか?


明日付けの更新は、ちょっと翻訳などやってみようかと思っているのですが、哀しいかな日本は全くの平日(通常勤務)ですので、その時間は割けないと思います。
週末になってからの遡り更新になると思いますのであしからずご了承ください。


2005年10月20日(木)
海軍中佐イアン・フレミング

新作007のジェームズ・ボンド役は、やっとダニエル・クレイグに決まった…というニュース、ロイター通信のニュースにもなっていて笑ってしまいました。
ともあれ、やっと決まって良かった良かった。

このボンド役候補、ホーンブロワーを演じたヨアン・グリフィスも一時は名前が挙がっていましたが、モンテ・クリスト伯でアルベールを演じたヘンリー・カヴィルまで出てきたのにはびっくりでした。クリスト伯の時、カヴィルはまだ18才くらいで(今だってまだ20台半ばだと思いますが)、私は密かに心の中でカヴィルを、ラミジ・シリーズのパウロ・オルシニにキャスティングしていたものでしたが。


私が初めて見た007はロジャー・ムーアで、「黄金銃を持つ男」だったような気がします。映画館に行ってはいませんから、テレビの洋画劇場だったのか? 中学生の時でした。
ロジャー・ムーアは「ダンディ2の華麗な冒険」というTVドラマ――アメリカの大金持ちのトニー・カーチスとイギリスのお貴族様のロジャー・ムーアが事件を解決していくという1話完結ドラマ(放映はフジテレビorTBSだったような気が)、で知っていたので、ちょっと興味があって、じゃぁ007も見てみようかと。

折しもそろそろ、背伸びして大人の本(文庫)に手を出したいお年頃だったものですから、この映画をきっかけに、そのままハヤカワ・ポケット・ミステリのフレミング原作に手を出し、他に何冊もシリーズがあることを知って、端からフレミングを読み始めました。
今から思えば無謀な読書だったと思いますが…13才の、少女とも言えない年齢の女の子の読む本じゃありませんもの…事実、当初私は本を読みながら、非常に素朴かつ重大な疑問を抱えていました。

ジェームズ・ボンドは陸上でスパイ活動をしているのに、なぜ海軍中佐なんだろう???

陸上で活動する軍人さんは全て陸軍さん、海軍さんは海の上でしかスパイ活動はしない、と中学1年の私は思いこんでいたみたいで、まったくやれやれです。

初めて映画館で見た(テレビやビデオではなく)ボンドは、ティモシー・ダルトンでした。歴代ボンドの中ではいちばんソフトムードな役者さんですが、私にとってのボンドはやっぱりこの人でしょうか?
ピアース・ブロスナンに変わってしまってからは映画館には行ってません。というか、ダルトン主演でも後期の作品になると、ただアクションの派手さだけが目立つような作品になってしまったので「なんかこれって007とは違うんじゃないか?」と思うようになってしまいました。
“007らしさ”というのは、私の場合、英国紳士らしさとイコールなので、やはりそこは、アメリカン・ヒーロー映画(シュワルツネッガーとかスタローン主演路線)とは一線を画してもらわないと…、
歴代ボンドの中で、ソフトムードのダルトン・ボンドが一番好き(世間一般では少数派だと思います)…というのも、私のそのあたりの好みが出ているかもしれません。

ところで、この007シリーズの原作者、イアン・フレミング自身を主人公にした映画の企画があるそうですね。
映画関連のニュースに出ていました。
これはちょっと興味が。映画化が実現したら見に行ってみようかな…と。

英国の冒険小説作家は、サマセット・モームの昔から諜報活動関係者が多いのが伝統ですが、その典型はこのイアン・フレミング海軍中佐でしょう。
フレミングが活躍していたのは、第二次大戦時の英国情報部。

クリストファー・クレイトン、ノエル・ハインド共著の「ポーツマス港の罠」(新潮文庫)という本があるのですが、この小説、容易に想像つくと思いますが、私はタイトルにつられて(笑)買いました。
1956年のポーツマス港を舞台にしたスパイ小説で、実話に基づくという触れ込みも、おそらくは本当だろうと思わせる迫力があります。

この作者の一人であるクリストファー・クレイトンも英国冒険小説作家の例にもれず、諜報活動経験者でした。
…どころか、戦時中はイアン・フレミングの部下で、副官のような立場にいたこともある人です。
その当時の、つまりフレミングの部下時代の経験をクレイトン自身が書いた本があると知って、私は興味を持って探してみました。
その本、英語タイトルは「OP・JB」と言って、英国では政治ノンフィクションの分類なんですが、日本語版は落合信彦氏の翻訳で「ナチスを売った男」(知恵の森文庫)というタイトルになっています。
妙なところからぐるっとまわってイアン・フレミングに戻ったような形です。

映画化されるというフレミングの映画が、どのような物語になるのかはわかりませんが、クレイトンによれば、フレミング自身は戦時中の自分の活動について、自ら語ることはなかったということです。
「サハラに舞う羽根」のタイトルで映画化もされた小説の作者で、やはり諜報活動経験者でもあったA.E.W.メイスンは、「自伝を書かないのか?」と訊ねられた時に、こう答えたそうです。「私の人生は全て、私の小説の中に書かれている」
イアン・フレミングの人生も、その多くは、彼が書いた小説の中にひっそりと形を変えて描かれているのでしょうか?


2005年10月19日(水)
BBCのトラファルガー特集

米国のオブライアン・フォーラムに「英国BBC放送の歴史解説欄に特集がある」との書き込みがありました。おすすめは、「Battle of Trafalgar Animation」という、英国国立海事博物館のコリン・ホワイト氏が監修した、ネットゲームだそうです。

Battle of Trafalgar Animation
http://www.bbc.co.uk/history/war/trafalgar_waterloo/launch_anm_trafalgar.shtml

この一つ上のページは、トラファルガー・ワーテルロー特集で、上記のトラファルガー・ネット・ゲームはこの特集ページの「Interactive Content」の一つ。
このコンテンツの中には、トラファルガー同様、ワーテルローの戦いのゲームあり、またひょっとして一番下の「Weapons Through Time」というコンテンツはイラストからしてライフル銃隊関連でしょうか?

BBCトラファルガー&ワーテルロー特集
http://www.bbc.co.uk/history/war/trafalgar_waterloo/

BBCラジオ4には、関連特集番組のページがありました。
http://www.bbc.co.uk/radio4/history/trafalgar/

10月16日夜(日本時間17日未明)にはラジオドラマの放映もあるんですね。
http://www.bbc.co.uk/radio3/dramaon3/pip/nragh/
ネルソン役はケネス・ブラナーのようですが、どのような声の演技を見せてくれるのでしょう?

他の民放2局(チャンネル4とITV)のホームページも見てみたのですが、今のところは特集ページを見つけられませんでした。

でも今週はトラファルガーウィーク、何か番組の放映などあるかもしれません。渡英中のかた、毎晩TVのチェックをお忘れなく。


2005年10月17日(月)
Band of Brothers

金曜日に帰宅しましたら、玄関にamazonの段ボール箱が。
来た〜!来た来たっ! やっと来ましたアレクサンダー・ケントのボライソーの最新28巻。原書でございます。

私がボライソーにハマった時には日本語訳はまだ6巻までしか出ていなくて、原書の最新が15巻だったかしら?
試しに7巻(「反逆の南太平洋」)を読んでみたら何とかなってしまったものですから、手あたり次第にペーパーバックを探したり取り寄せたり、昔はamazonありませんでしたから、大手書店から海外オーダーかけるのですが、結構時間がかかって手に入るまで2ヶ月とか。
そうやってなんとか、当時の最新刊まで追いついたのです。
1989年に幸運にも友人が英国留学しまして、絶好の金づるじゃない本屋づるを捕まえた私は、日本で発売になった新刊を彼女に送る替わりに、ボライソーの新刊やシャープのTV録画を送ってもらう…という私設amazonを確保、16巻以降は発売と同時に原書を送ってもらうことができるようになりました。

何故そこまでして新刊を確保していたかというと、サブキャラクターつまりボライソーの部下たちの安否が心配だったからで、悠長に日本語訳なんて待っていられなかった…というのが本音。
リチャード・ボライソーには、彼が「幸いなる少数(The Happy Few)」と呼ぶ極上の部下たちがいました。
ジャックにとってのプリングス、マウアット、バビントンのような存在ですが、リチャードの軍歴はもっと長いですから、幸いなる少数と言っても10人以上います。そして軍歴が長いゆえに、幸いなる少数の中にも幸いならざる運命に陥る者が出てくる。それは…戦争が続いている以上、命を落とす者がいるのは仕方ないことなのですが。
また運命の皮肉もいろいろあるもので、リデャードの部下が軍法会議の議長に当たり別の部下を裁かなければならなくなったり、旗艦艦長の任命をめぐって先任後任の逆転があったり、
大河小説ゆえに、サブキャラとは言っても主人公並みの存在感を持つ部下同士のドラマも、ボライソー・シリーズの魅力の一つです。
主人公と違ってサプキャラは安泰ではありませんからね。いつ何処で何が起こるかわかったものじゃないのですよ。


ところでこの最新28巻のタイトル「Band of Brothers」、そして、リチャードが部下たちを呼んでいたthe happy fewというこの2つのフレーズは、実はシェイクスピアの戯曲「ヘンリー5世」に由来します。

But we in it shall be remembered,
We few, we happy few, we band of brothers.
For he today that sheds his blood with me
Shall be my brohter; be he ne'er so vile,
This day shall gentle his condition

これはヘンリー5世のセリフ。
クリスピアン・スピーチと呼ばれる有名な演説の一部です。
1415年10月25日(聖クリスピアンの日)に行われたアジャンクールの戦いで、数にして3倍のフランス軍と戦うことになったイギリス軍を率いる王ヘンリー5世が、部下の将兵たちに檄を飛ばした演説。
王みずからに「今日ここで私と共に血を流した幸いなる少数は、生涯私の兄弟となる」と言われてしまってはね、それは奮戦するでしょう。そしてイギリス軍はみごとに形勢逆転、数にまさるフランス軍を打ち破ることになります。

この逸話およびクリスピアン・スピーチは英語圏では有名で、17世紀以降、古今東西あらゆる政治家や武将が効果的に引用してきました。
特に軍隊関連では、もともと仲間意識の強いところですから、よく引用されていたようです。最近ではアメリカでTVドラマとなった第二次大戦の空挺部隊の番組タイトルとして、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
まぁもっとも、アジャンクールの戦いというのはイギリスが勝手にフランスに攻め込んだ戦いですから、シェイクスピアは朗々とうたいあげても、それで勝たれてしまったフランス軍はお気の毒。ゆえにまぁ英語圏のみで有名なスピーチということで。


さてところで、ホレイショ・ネルソン提督も、この逸話を好んだ一人でした。
と言ってしまったら本末転倒で、本来、ネルソンがこの逸話を好んだので、同時代を描いた海洋小説もこの逸話を使用している…と言うべきでしょう。

「Nelson's Band of Brothers」という特定グループを示す固有名詞があるのですが、これは1798年のナイルの海戦をともに戦った部下の艦長たちを指して、ネルソンが用いた呼称です。
ナイルの海戦は、ネルソン艦隊がフランス艦隊を、地中海を舞台に4ヶ月にわたって捜しまわった挙句の勝利で、その間に多くの労苦がありました。
追跡戦の途中でネルソン提督の旗艦ヴァンガード号は嵐のためマストを損傷、座礁難破の危機に見舞われます。旗艦を曳航し救おうとした部下に、2艦もろとも犠牲になることを恐れたネルソンは曳航索の切り離しを命じますが、部下の艦長は命令に背いて提督を見捨てず、ヴァンガード号は救われた…などというエピソードもありました。

ネルソンと部下たちの関係は、当時の海軍…艦長は神であり上の命令には絶対服従…の中ではかなり珍しい、柔軟性に富んだものだったようです。
ネルソンは、艦長もしくは司令官の権限にふんぞりかえることなく、常に部下たちの待遇(仕事をしやすい最適の状況を作り出す)に気を配り、その意見をよく聞いて、方針の決定に参加させることもありました。
38才という異例の若さで司令官職についたネルソンには外部の風当たりも強く、自然、部下たちの団結を生んだという事情もあるのでしょう。
ネルソンの指揮統率能力(Nelson's Leadership)というのは、効果的に機能した指導力の典型として、現代でも研究対象になっていますし、英国ビジネス界では今だに、Nelson's Leadershipと題した管理職講習があるようです。
でも思うに、現代よりもっと年功序列の厳しかったあの時代に、先任順位に関係なく、まだ30台だったネルソンを司令官に抜擢した当時の上司、フッド提督とジャービス提督も、ある意味凄い人物ですよね。


事実は小説より奇なり…と申しまして、もちろん小説は歴史的事実の迫力にはかなわないのですが、でも提督や艦長、部下たちとの実際のやりとり、人間関係などは史書からは想像するしかなく、そこに代替人間ドラマとしての小説の面白さがある。
というわけで、その部分を私は、同時代のフィクションである数々の海洋小説に求めているのでした。

それで話戻ってボライソー最新刊。到着したのはいいんですけど、実はこの巻ばかりは結末がすでにわかっているので、読むのちょっと辛いかな…と思っています。
この28巻は、日本語訳で言うと6巻と12巻の間に入るエピソードで、今まで抜けていたリチャード17才〜18才の一時期を描いています。
この時に何があったかは、12巻「スペインの財宝船」の冒頭に書かれていますので、読者は知っていますが、その詳細は今まで語られていませんでした。
この時期の話は、実は私は決して読めないだろうと思っていました。アレクサンダー・ケント氏がこのエピソードを書くことは決して無いのではないかと、アレクサンダー・ケントというペンネームの由来を知った時に、そう思ったのですけれども。

本名をダグラス・リーマンのケント氏は1924年産まれ。中等教育の途中に第二次大戦が勃発し、卒業と同時に彼は進学せず、17才で海軍に志願しました。戦争の最後の3年間に従軍し、終戦時には21才の中尉で魚雷艇の副長でした。
アレクサンダー・ケントというペンネームは、戦争の初期に戦死した友人の名前だそうです。
彼の第二次大戦を舞台にした海洋小説の中に、やはり卒業と同時に志願した17才の少年が、偶然にも配属先の艦でかつての同級生と再会し、目の前で失うという話があります。その時の彼にとってたった一つの真実が何だったか…という話なのですが、たいへん印象的なシーンで忘れることができません。
この28巻で17才のリチャードは、同い年の友人を失うことになる筈です。


TV版ホーンブロワーの第二シリーズのラスト、原作とは異なるあのラストに、白状すれば私は、決して読めないだろうと(当時は)思っていたボライソーのこのエピソードをだぶらせていました。
それと同時に、このTV版の脚本というかこの最後のストーリー展開は上手いなぁと感心していました。
ホレイショはアーチーという対等の友人を失って、海尉艦長職を得る。そこから艦長の孤独が始まるのだろうと。
その時イメージしていたのは、原作や、グレゴリー・ペックの演じた艦長ホレイショの孤高の艦長像でしたから、私はそれもあいまって、直後の任命辞令のシーンで不覚にも泣きました。
第三シリーズで、原作とは違って、ブッシュとあんなに仲良しさんだとは予想だにしませんでしたからね。

いや、それはそれなりでまたいいと、今は思っておりますが。

でも第三シリーズを最初に見た時はちょっと愕然としたことは確かで、「う、うそ…、ブッシュをウィリアムって名前で呼んでるよ」と絶句し(ぜんぜん原作と違うじゃないのっ!)、そして、それでは第二シリーズの最後で勝手に泣いた私はいったい何だったんだ…と。
TV放映で四夜連続で見てしまうと気づかれないと思うんですけど、私は第二シリーズと第三シリーズの間が3年あいてましたから、第二シリーズは第二シリーズで完全完結していたんです。

それでもやっぱり、ホーンブロワーを「ホレイショ」と呼ぶ対等の友人はもうこの先登場しないでしょう(ブッシュはサーと呼んでいますから)。
その点を考えると、ヘニッジ・ダンダスやスティーブンのいるジャックは幸福な艦長だと思うのですが。

対等の友人を失うリチャードですが、その後多くの信頼できる部下=幸いなる少数との出会いがあり、階級・立場の差はあっても生涯の友と呼べる存在が現れます。
その先の物語を知っている今は、ある意味安心して28巻のページを繰ってよいのでしょうか。


2005年10月15日(土)
[Sea Britain 2005] 10月20日〜23日の行事予定

10月21日前後の記事は、ばらばらと出てくるため、現時点でまとめて良いのかわからないのですが、今週末に発たれる方もありますから、とりあえず現時点のものだけ。
あとから出来るだけフォローしていくようにいたします。

この日英国全土でいろいろな催しがあるようですが、とりあえずロンドン近郊とポーツマス付近のみ。
その他、ブリストルやチャネル諸島などでも催しはありますが、ここではとりあげません。この方面に行かれる方、下記ページにいくつか情報がありますので、チェックなさってください。
Sea Britain 2005 プレスレリース http://www.seabritain2005.com/server.php?show=nav.004007000
このページに掲載されている時間は、スペイン(カディス、トラファルガー岬)をのぞいて、英国現地時間(グリニッジ標準時)です。

10月20日(木)
◆ロンドン・トラファルガー広場
10:00-11:00 海軍第一委員(昔の第一海軍卿)による行事開会セレモニー

◆ロンドン郊外・グリニッジ
カティサーク号
19:00- グリニッジ海事博物館 Painted Hall にて晩餐会(チケット購入により参加可能)
この行事に関する詳細は、http://www.seabritain2005.com/server.php?show=ConWebDoc.870


10月21日(金)トラファルガー海戦記念日
◆ポーツマス・ヒストリックドックヤード
この日の予定および、ヒストリック・ドックヤードへの行き方については、「Sailing Navy」の只野氏のホームページに詳細が紹介されています。
リンクの許可をいただきましたので、こちらをご参照ください。
トラファルガー記念イベント10月21日〜23日
ポーツマス及びH.M.S.ビクトリーへのアクセス
8:00〜19:45まで各種行事予定(詳細は上記HP参照)

◆ポーツマス・ポーツマス聖堂
19:30〜トラファルガー記念コンサート(BBCオーケストラ)

◆スペイン・カディスおよびトラファルガー岬沖
12:00〜13:30(スペイン現地時間) 記念式典
(多数の帆船が参加する予定)


10月22日(土)
日本国内・各書店 キッド・シリーズ4巻「叛乱勃発、ノア錨地」発売!
居残り組のトラファルガー・ウィークエンドは、キッドとレンジとともにノア泊地で反乱に巻き込まれましょう。
英国現地組は10月6日英国発売のボライソー最新刊「Band of Brothers」を購入して帰国のこと。

◆ロンドン・ロイヤルアルバートホール
19:00〜トラファルガー記念コンサート
(ロイヤルフィルハーモニーオーケストラ、海兵隊軍楽隊など)
チケットは、アルバートホールのHPから http://www.royalalberthall.com/
当日記でも以前に詳細を紹介しています。7月31日の日記


10月23日(日)
◆ロンドン・トラファルガー広場
11:00〜12:30 トラファルガー・パレード

◆ロンドン・聖ポール大聖堂
15:00〜15:50 記念式典(関係者のみ)


海戦当日は、スペインのトラファルガー沖でも式典が行われるようです。
日本でも5月の日本海海戦100周年の時は、ロシアの関係書を招待して対馬の海では慰霊祭を執り行っていましたね。

またこの日21日の正午には、海戦を記念して、英国内の各教会が一斉に鐘を鳴らすとのことです。

何か細かいニュースがありましたら、またフォローしたいと思います。
只野さん、リンク許可ありがとうございました。


2005年10月12日(水)
HH続編嘆願署名のその後+最近のサプライズ号

こちらのページでも署名をお願いいたしましたusHHfanさんの「ホーンブロワー続編嘆願署名」、その結果がホームページに公表されています。

オンライン署名結果(英語です)
http://www.scaryfangirl.com/petition_stats.htm

総計約2,400名、世界42カ国から署名が集まったそうです。さすが七つの海に冠たる英国海軍(?)。
左下に各国毎の署名数と、一番下には円グラフが掲載されていますが、
あらら…、日本は英国とオーストラリアを抜いて、アメリカに継ぐ2位を確保。

それもこれも御協力くださった皆様のおかげ、
そして何よりも日本語ページを作成し皆を鼓舞してくださった「順風満帆」のBLANCAさんのお力によるものだと思います。
BLANCAさん>本当にご苦労さまでした。
この結果が実りを結ぶよう、皆で祈りましょう。


さて、話し代わって、春先より船体改修のため一時、航海じゃない公開をお休みしていたアメリカ・サンディエゴ海事博物館のサプライズ号ですが、この9月から再公開されているようです。
アメリカのオブライアン・フォーラムに、最近サンディエゴに行かれた方の書き込みがありました。
下のページに写真をupされていますが、これが素晴らしい!

サプライズ号近況
http://cybertravelog.com/tall_ships/
各写真をクリックすると拡大します。

昨年11月に訪問された方の写真を拝見したことがあるのですが、ひょっとして展示物ふえてます?

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さて、今週末の更新予定です。
え〜と実は、一昨年からこのページにお付き合いいただいてる方はご存じかと思いますが、私は密かにモータスポーツ・ファンでして、今年もまた週末は鈴鹿のF1に、フランス系カナダ人のジャック(・ヴィルヌーブ)の応援に行ってまいります。
ので、土曜と日曜は更新おやすみです。

ただし、トラファルガー200周年が近づいている関係で、早い方は来週末にはもう日本を発たれてしまうと思います。
ので、現時点でわかっているトラファルガー200周年関連情報だけはなんとか月曜日にテキスト作成しようと思っています。
…が、月曜中にupできない可能性ありえますね、でも火曜日になっても、とにかく週の前半には何とかしますのでお待ちください。

行かれる方は精一杯エンジョイされますように。できるだけの情報提供はさせていただきたいと思いますので。
なんと言っても200年に一度の機会ですから、このチャンスにしか味わえない英国人気質(もしくはお祭り気分?悪のりぶり?)をその目で味わって、レポートしていただければと思います。

…と、さらっと書けるようになるには、私も聖人君子じゃありませんので、ふふふ、実は2週間くらいかかってます。
でもね、いろいろじっくり考えたんですけど、ちょうどこの時期職場に人がいないのに、無責任にもお休みとって行っちゃうことは「出来ない」のではなくって、私の気持ちとして「やりたくない」んですよね。やりたくないことをやりたくはないでしょ?
別にお仕事に人生も健康もかける気はないのですが、これに関してはだから、正直そういうコトなんだと。


2005年10月07日(金)
最近の映画など

ここ1〜2週間はちょこちょこ時間を使って映画にいきました。
「シンデレラマン」も行きましたよ〜。
やっぱりロン・ハワード監督にはハズレがありません。ラッセルもレニー上手いですしね。

M&C関係の情報収集にあけくれたおかげで、ここ2年、ラッセル・クロウという人のインタビューやら記事やらをいろいろと読む機会があって、おそらくマスコミに作られたイメージではないプロの役者としてのクロウという人に少しは触れられたか…と思いますが、この人、職人ですよね。
ファンになったつもりはないけど、つくづく「いい役者さんだなぁ」と思うので、この人の演じるものは見てみたいなと。

「シンデレラマン」、たしかに中村勘三郎と蜷川幸雄が推薦しても恥ずかしくない出来の映画だと思います。
本当にロン・ハワードにははずれがない。ハリウッドで私が一番好きな、信頼できる監督です。
ただハワード作品で横に比較すると…、「アポロ13」と「ビューティフル・マインド」にはちょっと及ばないかな。
アポロ13号はやはりスケールが違いますし、ビューティフル…は、同じく家庭と夫婦の物語ではありますが、あの脚本のトリックであっと足をすくわれるところがありますから。
大恐慌の時代に、あがきながらもそれでも再び前を向いて生きようとする人々…というテーマは一昨年アカデミー作品賞をM&CやLOTRと争った「シービスケット」にも共通しますが、シービスケットが3人の男の再生を描いていたのに比べて、こちらは一つの家族の再生ですし。

ラッセルは6月の全米プレミアの時に「アメリカは貧しい人々が真面目に必死に生きようとしていたこの時代のことを忘れている。今こそこの時代の生き方を思い出すべきだ」と言っていたけれど、実は皮肉にも私は、この映画の中でラッセル演じるジム・ブラドックと同じような立場になった人のインタビューを、先週見て、なんだか考えこんでしまいました。
シンデレラマンのジム・ブラドックは大恐慌で職を失い、その日その日の食糧を手に入れ家族を養うために、毎日、港に日雇いの仕事を探しに行きます。
先週、ニュースでニューオリンズのアフリカ系アメリカ人のインタビューを見たのですが、彼は水害で家を失い、貯金も多くはなく、強制避難で職場も失ってしまったために、毎日の暮らしと家族のために、日雇いでがれき撤去の重労働に従事しているのです。その人の言っていたことが全くブラドックと同じで…今のアメリカは、やっぱり多くのこと大切なことを忘れてしまったのではないかしら…と。

ただこの物語はテーマを家族に絞ったゆえに、ひとつのパラドックスを抱えてしまったかな?とも思います。
ブラドックは家族のために賞金のかかった危険なボクシング・マッチに挑みます。妻のメイはお金よりも夫が無事でいてくれることを祈りたいと思っている。
もしブラドックが本当に家族のためだけにボクシングをやっているのだとしたら、これは矛盾になりません?
たぶんブラドックには他に理由があったと思うんです。彼自身がボクシングというスポーツを愛していたと思うし、自分はまだ引退年齢じゃない、まだやれる、若い者には負けない、挑戦してみたいという気持ちがあっただろうと。だから危険と言われてもマッチを引き受けた。
ま、そのあたりを出してしまうと、感動の家族愛物語…ミルクのために戦った男…というテーマがぼやけてしまうのかもしれませんが。

マネージャー役のポール・ジアマッティが素晴らしい。
この人、この前は「サイドウェイ」の、ワインおたくの小心な英語教師役で見たんですけど、今回の、試合に指示を出すマネージャーとしての激しさと、時おりジム個人にみせる思いやり深さと、ビジネスマンとしての計算高さが見事に融合しているキャラクターは見事でした。ぜひぜひ彼に助演男優賞を。
日雇い仕事で知り合った元証券マン(なのかな?)のパディ・コシダインも魅力的です。この人、「イン・アメリカ」のお父さん役も良かったんですよねぇ。

ニューヨークのビジネス街ど真ん中のセントラル・パークが、ホームレスの人のテント村になっている…という光景は衝撃的でした。
東京で言えば、ビジネス一等地である丸の内や大手町前の皇居前広場とか日比谷公園がホームレスに占拠されてしまうような感じ?
よくパニック映画とかのCG映像で見る、ニューヨークの廃墟…とかより、なんだかよっぽど背筋が寒くなるようなコワイ光景…やっぱり現実にあったことだとわかっているからでしょうか。


それから「頭文字D」も見てきました。広東語版、日本語字幕のバージョン。
アンソニー・ウォンが父親の文太役だと聞いた時から見てみたいと思ってたんですよね。実写でダウンヒルレースやってくれるっていうし、モータスポーツ・ファンとしてはやっぱりちょっと、見ておきたい映像(ちがう?)
だって私、この漫画を知ったのは鈴鹿サーキットの売店だったんですもの。もう10年前ですけど。
私はその昔バイク漫画が流行った80年代はじめに、少年サンデーや少年マガジンを読んでた世代なので「あらぁしげの先生なつかしー!」のノリで。

いやいや、ホンモノのスプリンター・トレノ(AE86)やスカイライン(R32)がダウンヒルレースを繰り広げてくれる実写映像を堪能させていただきました。
これより凄いドライビングは、もちろんWRC(世界ラリー選手権)とか見ていればあるでしょうけど、でもラリーは単独走行で、テール・トゥ・ノーズのドッグ・ファイトなんてありえないじゃありませんか?
2台が重なりあうようにコーナーを流れていく…なんて、まるでフィギュアスケートのペア競技の妙技を見ているようで…綺麗…うっとり。
この漫画、深夜にアニメ化されたものも2〜3回は見たのですが、あのCG映像よりこちらの実写の方が、やはり迫力が違うわ。まぁ映画館のスクリーンは大きさが違うという部分はあるかもしれませんが、やはりCGはホンモノにはかなわない、限界があるような気がします。CGの動きはやわらかすぎるんでしょうか?

でもストーリーとキャラクターは、原作とはちょっと変わってしまっています。
イツキがガソリンスタンド店長の息子だったり、高橋兄弟が兄だけになってしまったりというのはストーリーをまとめる都合上仕方ないと思うんですけど、イツキとお父さん(文太)と須藤のキャラクターがちょっと変わってしまった(もう少し強烈でちょっと下品になってます)のは残念かな。
のんびり屋でいい加減だけど決して悪いヤツじゃないのが、イツキのいいところだと思うんだけれども。
それから文太お父さん…アンソニー・ウォンは滅茶苦茶かっこよかったんですけど、もうちょっと人情の部分を強調した脚本にしてくれたらよかったのに、そういう芝居も出来る人なのに(「インファナル・アフェア」でトニー・レオンのヤンに見せていた、隠れた思いやり深さとか)。
原作では、拓海がエンジンブローしてしまったあと、お父さんがトラックで迎えに来ます。ショックでポロポロ泣き出した息子に、ぼそっと。「おまえクルマこわしたの自分だと思ってるだろう、それは違うぞ」って言って頭ぐりぐりしてやるんですけど、このシーンは映画にはありません。こういう柔らかな情の部分が消えちゃってるんですよね、この映画では。
それが同じアジア人でも、香港人と日本人の微妙な情感のズレなんでしょうか?

この映画、アジア5カ国、シンガポールやタイでも大ヒットしたそうです。
作者のしげの氏もパンフの中で語っていらっしゃいましたが「群馬の走り屋たちという日本の地方ローカルな物語が、アジアに通用するとは思っていなかった」。
それは、確かにそうなんだけど、でも例えば、両側田んぼの国道沿いのコンビニの駐車場にクルマをとめて、ジェイ・チョウの拓海とエディソン・チャンの涼介が缶コーラを飲みながら広東語で話しをしている。
…別にぜんぜん違和感ないですよ。いや彼らが上手く日本人になりきっているという意味ではなくって、これって台湾でもタイでもありえる光景だと思うんですよね。
アジアも発展して来ているから、今はタイでも都市近郊なら幹線道路沿いにコンビニがあるし、若者が自力でこのようなクルマを手に入れるのは今はムリにしても、でもあの時代の日本車は、日本の中古車が多いタイなどの日常では見慣れた光景だし。
そしてなにより、豆腐ですよ!
豆腐をこわさないように配達することでドライビング・テクニックが磨かれた…というこのストーリーの基本が、説明なしでわかってしまうのは、まいにち豆腐を食べているアジア人ならではのことでしょう。
もっとも中国の豆腐の方が日本の豆腐よりちょっと硬いからこわれにくいかもしれませんけど(笑)。

ジェイ・チョウの拓海くんはぴったりだと思います。ぼーっとしている時は本当にぼーっとしていて、フツーの高校生に見えるところがナイス。
アニメの拓海くんは声がかっこよすぎたので(声優さんのファンの方ごめんなさい)、ちょっとちがう…と思っていましたので。
エディソン・チャンの涼介さんはめちゃくちゃかっこよくって、これもベストだと思います。原作だと「涼介さま〜」という追っかけギャルが出没する設定の彼ですが、原作読んでいた時は追っかけなんてアホかいなと思っていた私が、このエディソンの涼介なら「きゃ〜っ!」ってみぃはぁしても良いと思いました。この彼にアニメ版の声の吹き替えが乗ったらカンペキ!だと思いますが、日本語吹き替え版を見に行った友人の話だと声のキャストは違うそうですね。


さておしまいにご要望におこたえして…って言いますか、「素直に書け!」というお声を身近から頂戴したので、ここ1年私がハマっていたものの話しを。
先週最終回を迎えた土曜6時放映のガンダムだったんですけど。
いやべつにわざと語らなかったわけではありませんで、ここは海洋小説と映画関係のサイトですから、映画化されたアニメはともかくTVシリーズはジャンル違いだろうと。また、ガンダムという話題が通じるのは年代的に現在50才くらいの方が上限ですから、一般的話題というのにはムリがあるだろうとも思っていたからなんですけれども。

前々から評判は聞いていた最新作のガンダム(2002年〜2003年放映「ガンダムSEED」)、昨年10月から続編(SEED Destiny)の放映が開始されたのをきっかけに、久しぶりに見てみました。
そうしたらすっかりはまってしまいまして、毎週いろいろと先の予想をたてては、次の週に当たったりひっくり返されたりして、1年間すっかり楽しませていただきました。
複雑なストーリー、よく出来た多人数のキャラクター、張り巡らされた伏線、予想外の展開。よくできたドラマだったと思います。
申し訳ないけれども、夜9時台の「海猿」より、ドラマとしては複雑に出来ていたんじゃないかと。これを6時台の30分枠放映というのはちょっと勿体ないかも。
まぁこの作品をこのままゴールデンタイムに持って行くことはできませんが(アニメゆえの子供だまし的設定がありますから)、ある程度のクォリティのものが出来るのなら、ゴールデンタイム1時間枠でアニメ・ドラマを放映するという可能性も、将来的にはあるのかなぁと思いました。

ただ、これだけ複雑なドラマだと、おそらく本当の子供さんたちはついてこれなかったのではないかと思います。
この番組の対象年齢は子供よりは少し上の、ティーン世代だということですが、それでも、最終回などはセリフの中にキーワードが隠されていて、それに気づけばすっとわかるけれども、気がつかないとわかりにくい展開でしょう。
なんだかこれでは現代国語の読解問題のよう…。というより視聴者にある程度の読み解きを要求するようなものを、本来ならば流しで1回しか見ない筈のテレビという媒体でやってしまっていいのか?というと、それはちょっと問題があるような気もします。
でも友人の「でもガンダムってそういうものでしょう?難しくてよくわからないのがガンダムだと子供の頃は思ってたわ」という意見もあり、まぁそれは昔からの伝統で、それでも(それゆえに?)半世紀以上人気がもっている作品群とも言えるのかもしれませんが。

大規模テロをきっかけに再び起きる戦争、対立する2勢力と、中立の第三勢力…の筈が、同盟条約に規定された派兵という形で一方の陣営に引きずりこまれていく…という流れの中で異なる立場に立つ3人を主人公に三軸の複雑な物語が進行していきます。
勧善懲悪はどこを見ても存在せず、登場人物それぞれにそれなりの理由や信条があり、その結果として殺し合い(実際にはモビルスーツ戦ですが)が起こってしまう…まぁ現実ではありがちな展開なのですが、それをドラマとして真っ向から描いてしまうと、ある意味、正義という名の言い訳が無いだけに、やりきれない展開になることもしばしば。
ま、視聴者にこのやりきれなさと厭戦気分を感じさせることがこの作品のテーマなのかもしれません。

ただ、前作より舞台が拡大したゆえに、風呂敷を広げすぎてしまったかな?という感もあり、確かに国のトップと最前線にカメラを据えればそれで戦争を描くことはできますけど、でもそれでは一般国民の視点が抜け落ちてしまっていない?
…などという突っ込みを、ティーン向けアニメに入れてしまうのは大人の反則?そこまでは求めるのはムリかしら?
でも時に優れた人間ドラマなどかいま見せられると、ついそれ以上を期待してしまったりします。

最後に、このHPらしい話で締めましょう。
以前に一度書きましたけど、この番組の製作スタッフにはかなりマニアックな海洋小説ファンがいらっしゃるようです。
地球連邦軍の航宙艦が、ドレイク級、ネルソン級、アガメムノン級だったり。地上部隊の空母の名前がジョン・ポール・ジョーンズ(アメリカ海軍の父)だったり。
オーブ海軍の戦闘準備命令はなぜ「合戦用意」なのでしょうねぇ?
アタマを抱えながらも、このような密かなでマニアックなお遊びを私も楽しみにしておりました。


2005年10月06日(木)
ヨアン・グリフィスの新作と英国の奴隷貿易禁止法

すっかり更新が遅くなってしまって恐縮です。
今日のニュースは、本当は先々週、敬老の日の直後くらいにはネットに出ていたのですが、ヨアン・グリフィスの次の映画の話。
アルバート・フィニー主演の映画「アメージング・グレース」で、ヨアンは準主役のウィリアム・ウィルバーフォースを演じることに決まりました。

ウィリアム・ウィルバーフォースは1759年に生まれ1833年に没した英国の政治家です。
リチャード・ボライソーが1756年生まれですから、ほぼ同年代の人。あの時代:フランス革命〜ナポレオン戦争期に活躍した政治家ということになります。

「アメージング・グレース」というのは、おそらくどなたでも、その美しい旋律はご存じの筈の賛美歌。
アメリカではアフリカン(黒人)たちに愛されている賛美歌ながら、その作者は実は奴隷貿易船の船長だった過去を持つ英国人牧師だった。
…というパラドックスをテーマにしたTBSだったかの紀行番組を以前にTVで見たことがあるのですが、この映画で主演のアルバート・フィニーが演じるのが、この牧師ジョン・ニュートンです。

ニュートンは1725年、商船船長の息子としてロンドンに生まれました。11才の時、父の船で海に出、その後さまざまな船に乗り組み、23才で船長となりました。しかしその船は西アフリカのシェラ・レオネから奴隷を積荷として運ぶ、奴隷貿易船だったのでした。
あるとき船は嵐に遭遇し、沈没必至となったニュートンは神に祈ります。そしてその時、彼は天啓を受けたと言います。
以後ニュートンは、ヒューマニズムを実践するようになりました。彼の船では奴隷は積荷ではなく、人間としてそれにふさわしい待遇を得ていたと言われます。
30才頃に大病をしたニュートンは、それを機に船を降り、伝道師となりました。

伝道師としての彼の説教は、多くの人々に影響を与えました。
この薫陶を受けた若者の一人がウィリアム・ウィルバーフォースでした。

ウィルバーフォースは裕福な商人の息子として1759年ハルに生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、政治家を志し、21才でトーリー党(保守)の国会議員となりました。
彼は奴隷制度を廃止しようと決心し、1789年30才の時に、はじめて議会にて奴隷貿易反対の声を上げます。
この政策は、彼の属するトーリー党から激しい反発を受けました。しかしウィルバーフォースは、彼の意見に同調する政敵であるホイッグ党(リベラル)議員の協力も得ながら、超党派で奴隷貿易禁止法を成立させようと奔走します。
1791年に163対88で否決されたこの法案が、最終的に可決成立したのは、実に17年後の1807年3月でした。

ただしこの法案は、あくまで「奴隷貿易」を禁止するだけのものでした。奴隷制度そのものが廃止されたわけではありません。
英国議会が「奴隷制度」廃止法案を可決したのは、ウィルバーフォースが74才の生涯を終えた1ヶ月後の1833年7月のことでした。

「アメージング・グレース」というこの映画がいつ頃の英国を舞台にしたどのような映画になるのかはまだわかりませんが、現在のアルバート・フィニーとヨアンの年齢を考えれば当然1780〜90年くらいの話であろうと思われます。

私も今回いろいろ調べていて初めて知ったのですが、ほら皆さん>やっぱり奴隷制度廃止とかいうと真っ先に連想するのは、アメリカのリンカーン大統領と南北戦争でしょう? それって19世紀半ばの話じゃないですか? イギリスってはるかにアメリカに先行していたんですね。

この意識の差みたいなものは、今回のオーブリー&マチュリン6巻にも描かれているような気がします。下巻の102ページとか。
イギリスでは奴隷というのは植民地のプランテーションで働く労働者のことで、本国で召使としての奴隷を目にすることはほとんどない。
アメリカのボストンで奴隷の召使を見たスティーブンはショックを受け、「日常生活で奴隷を目にするのはとても耐え難いことだろうね」と言うのですが、植民地インドで育ったダイアナにはあまり抵抗がなく、それが当たり前の光景だと答えています。
こういうのって、本国育ちの英国人(まぁマチュリンは厳密にはそうは言えないんだけれども、とりあえずこの話をする時はこのくくりでいいでしょう)と、植民地育ちの英国人(ダイアナ)と、アメリカ人(ダイアナの愛人であるジョンソン氏)の1812年における価値観の違いがさりげなく出ていて、オブライアンって上手いなぁと思います。
だからたぶん、アメリカの奴隷制度廃止はイギリスより20年近く遅れるんですね。

ところで、奴隷貿易禁止と言えば、やはり海洋小説ファンにはこの人、ジェームズ・タイアックですよね。1811年からリチャード・ボライソーの最後の旗艦艦長を務めた彼は、それまでは西アフリカ沿岸で奴隷貿易船の取締りに従事し、奴隷商人たちからは「半顔の悪魔」と畏れられていました。

タイアックが初めて登場したのは19巻「最後の勝利者」。
これは1806年〜07年の話ですから、タイアックは奴隷貿易禁止法案が可決されてすぐの時代から西アフリカ沿岸で取締任務についていたということになります。

そういえば、先ほどのウィルバーフォースの説明の中で、彼はトーリー党だったが、奴隷貿易禁止法案に熱心だったのは政敵のホイッグ党だった、というくだりがありました。
海軍はホイッグ党寄りなんですよね。だのにジャックのお父さんはトーリー党の議員なので、ジャックは苦労しているんですけど(オーブリー&マチュリン2巻下P381)。
ゆえに海軍は取締りに熱心だった…というようなことはありえるのかしら?

また1815年頃になるともう、奴隷貿易商人だったというのは憚るべき過去だという雰囲気が、英国社会には産まれているのではないかと。
これはボライソーの何巻だったか忘れましたが(20巻台のどれか)、宮廷に力を持ち何かとリチャードに便宜をはかってくれるサー・ポール・シリトーの父親は、実は奴隷貿易で富を蓄えた商人だったが、それは隠さなければならない秘密である、という話がありましたので。

ざっと思い出しただけでもこれだけいろいろとつながりが出てくる奴隷貿易廃止問題、ヨアンが脇を固めるフィニーの映画もきっと、同じ時代を別の観点から切り取った物語として、今後いろいろ逆に、同時代の海洋小説を読んでいく上でも参考になるものになると思います。

この映画、日本でも公開されるように祈りたいと思います。

参考資料
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/REwilberforce.htm
http://www.anointedlinks.com/amazing_grace.html


2005年10月02日(日)