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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
マルタ(2)1798〜1803年

マルタの史跡は、騎士団関係のものを中心に多々ありますが(この小さな島に世界遺産が3つ)、今回はグランドハーバーと英国海軍に焦点を絞ります。参考資料は現地で買い求めたピーター・エリオット著「The Cross and the Ensign」マルタ英国海軍史。発行はハーパーコリンズ社(英国でオーブリー&マチュリン及びシャープシリーズ等を出している出版社)。

英国海軍がグランドハーバーと関わりを持つのはナポレオンのエジプト遠征がきっかけである。
1798年5月19日ツーロンを出港したナポレオンのエジプト遠征船団は、6月11日マルタ沖にその威容を現した。
あらかじめフランス系の聖ヨハネ騎士団員に根回しをしておいたナポレオンは、ヴァレッタを無血開城し、島を占領した。
騎士団は3日以内の退去を求められ、彼らが去るとナポレオン自身も7日後には、ボーヴォワ将軍と三千の兵を残しエジプトに向けて出港する。

マルタ人も最初は無抵抗にこの新しい侵入者を受け入れたが、フランス軍がカトリック教会から宝物、タペストリー、絵画などをごっそり持ち去ったことが、彼らの怒りに火をつけた。
またフランス駐屯軍が重税を課したことにも、住民は強い反発をいだいていた。


この時代の海洋小説に一番最初に登場するマルタは、この1798年で、ボライソーの11巻「白昼の近接戦」
戦隊司令官になったばかりで、ライサンダー号でこの地中海にやってきたリチャード・ボライソーは、司令官でありながら商船の船長に化けて占領直前のヴァレッタに潜入…をしたものの、熱病がぶりかえしてひっくりかえり、艇長のオールデーに大変な心配をかけたりして、読み返すと相変わらず頭痛がするような行動ばかり。…困ったものです。

この時期、英国海軍は全地中海でナポレオンの船団を探し回っていました。
ホレイショ・ネルソン提督も彼の艦隊を率いて東奔西走、エリオットの「The Cross and the Ensign」を読んでもこのあたりの追跡戦は実に面白いのだけれども、解説しているといくらページがあっても足りないのではしょらせていただき、

結論から言うとナポレオンは無事アレキサンドリアにたどり着き軍勢を降ろしたものの、ネルソンはアブキール湾に錨を降ろすフランス大艦隊に対し8月1日の海戦で大勝利を収めた。これがナイルの海戦である。

これにはボライソーのライサンダー号も一役かったことになっています。
9巻(上)P.203でジャックが回想するのも、この時のことですね。

さてマルタに話しを戻すと、
前述の通り、マルタの島民たちは日に日にフランス軍に対して反感を強めていた。そこへナイルの海戦で損傷を受けたフランスの戦列艦3隻が入港する。
1798年9月3日、教会の財宝が競売にかけられたのをきっかけに、後にマルタの大司教となったザビエル・カルノバを指導者としてマルタ島民は蜂起した。対するフランス軍は3,000とは言え、堅固な城塞都市ヴァレッタに立てこもる。

マルタの島民は沖を通過した英国艦オリオン号に救援を求めた。ナイルの海戦の拿捕艦を回航中だったオリオン号のソマレズ艦長は、今すぐに救援はできないが、ジプラルタルの司令官ヴィンセント伯爵に通報することを約束し、マスケット銃1,200丁を島民に譲った。
その一方でマルタ島民はシチリアとナポリの王にも救援要請を送っていた。

ナイルの海戦で艦に損傷を受けたネルソンは、補給と修理(とおそらくはハミルトン夫人)のためにナポリに寄港しこの知らせを受け取った。
彼はただちに74門艦アレクサンダー号ほか戦列艦3隻をマルタ沖に派遣したが、艦隊をまかされたアレクサンダー・ボール艦長*は、堅固な要塞ヴァレッタに正面攻撃をかける危険をおかさなかった。
守りの弱いゴゾ島に海兵隊を派遣してこれを押さえ、グランドハーバーを海上封鎖すると同時に、アレクサンダー号の備砲の一部を島の西側の聖パウロ湾から陸揚げして島民たちに提供した。

*注)このボール艦長は、9巻(上)P.81で、ジャックがゴゾ島のモチェーゴ亭で会食していたあのボール艦長と思われます。

【ゴゾ島イムジャール港】A.J.クイネルのクリーシィ・シリーズ(新潮文庫)の舞台でもあります。


グランドハーバーの封鎖は1年以上に及んだ。
翌年の12月には陸軍が到着し、陸上からもヴァレッタを包囲した。それでもボーヴォワ将軍は断乎降伏を拒否した。ヴァレッタの食糧は枯渇した。
翌1800年9月3日、ボーヴォワ将軍はついに旗を降ろした。2年と2日にわたる大包囲戦だった。
そしてグランドハーバーは地中海における英国海軍の要衝となる。


さて、次に海洋小説にマルタのグランドハーバーが登場するのは、ボライソー16巻「姿なき宿敵」の1803年。
バレンタイン・キーンを旗艦艦長に任命し、アルゴノート号に中将旗を上げていたリチャード・ボライソー提督は、甥のアダムが海尉艦長をつとめるブリッグ船ファイアフライ号がもたらした急送文書によって、グランドハーバーに召喚される。
そこで待っていたのは、かつての副長で親友でもあるトマス・ヘリックが議長をつとめる査問会で、裁かれるのは旗艦艦長のキーンの越権行為。
けれども、この査問会のため哨戒海域を離れた隙に、残してきた艦隊はフランス艦に襲われ、やはり長年の部下であったフランシス・インチはこの時の傷がもとで後に戦死する。
これがきっかけで、この16巻以降、かつて副官のオリバー・ブラウンが「我ら幸いなる少数」と呼んだボライソーファミリーに亀裂が入り、人間関係も複雑に展開していく。

長年のボライソーシリーズ・ファンの間では、16巻〜22巻はやや不評…というか、4〜7巻、13〜15巻と彼ら独特の暖かなチームワーク(オブライアンで言えば8巻のような)に馴染んできただけに、リチャードとヘリック、キーンとアダムの間に変な緊張関係が出来てしまうと、読んでる方も辛いんですよね。
でもそれが、複雑な人間関係を描いては右に出る者のないアレクサンダー・ケントの魅力でしょうし、さすが御大、最後の落とし所(23巻)はちゃんと心得ていらっしゃいます。
まぁでも、いま16巻から23巻を連続して読める方は良いのですけれども、これをリアルタイムで毎年1冊とか2年に1冊とかで読んでいた私は、ずいぶんと気を揉みました。

実は私、行きの乗換えのロンドン・ガトウィック空港で23巻の(「Cross of St. George」邦題:聖十字旗のもとに1999年12月刊)を買っていきました。
これは1814年の物語で、この中でヘリックはもう一度、リチャードとアダムの部下の軍法会議の議長を勤める巡り合わせとなります。場所はカナダのハリファックス。
ここでヘリックは実に昔の彼らしい判決を下して本国に帰って行き、アダムやジェイムズ・タイアック(キーンの昇進後、後任となった旗艦艦長)とも暖かいつながりが復活するのだけれど、あとで考えると、このハリファックスでの別れが、ボライソーとヘリックの今生の別れとなることに気づく。
そう知って読むとこのシーンは泣けます。ボライソーの小説は、活字を丹念に拾って出会うシーンにこそ感動があるのでこれ以上は申しませんが、これだけは知っていて読んだ方が感動的なので、敢えてねたバレをお許しください。

いずれにせよ、このグランドハーバーはキーンの査問会の舞台となったことで、シリーズ後半の転換点となった場所であり、そしてその亀裂が修復されるのが23巻のハリファックス。私はだから、23巻を持ってマルタに来たというわけ。
馬鹿な感傷だと笑ってください。でも私ハリファックスのこの和解シーンを、最初の亀裂の入ったこのマルタのグランドハーバーを見ながら読みたかったんです。

まったく良い年齢をして、小説の主人公たちに何を思い入れてるんだ!って笑われてしまいますね。
でもシリーズ後半の、この人間関係の軋轢の意味は、若い頃ではたぶんわからなかった…というか、一つの組織、業界に長年勤めて初めて実感としてわかるというか。
そりゃ会社勤めは海軍勤務とは違いますから、生き死には滅多にありませんけど、でも長年勤めているとこのような人間関係は…身近にもあったりしませんか? ケントの描く組織内の人間関係は、200年の時を越えてもなかなかにリアルなので、
20才台ではこれは、頭でわかっても実感としてわかりにくかっただろうなぁと思います…年齢を重ねたからこそたぶん、より思い入れてしまうのではと。

リチャードはファラロープ号で25才の時にヘリックと出会い(4巻「栄光への航海」)、共に叛乱を乗り越え、後には独航艦の艦長と副長として、太平洋で孤立して長い時を過ごします(5巻「南海に祖国の旗を」、7巻「反逆の南太平洋」)。その艦に最初は候補生として後に海尉として乗り組んでいたのがキーンで、最終的にリチャードとヘリックとの付き合いは34年、キーンとも30年になるはずです。
リチャードは常に、先頭に立って走って行って…時々コケる(重傷を負ったり行方不明になったり熱病に罹ったり)ので、彼の次席指揮官は。ボスが倒れている間の指揮代行が出来ないと務まらないという、なかなか…大変な役回りだったりしますが。
やがてヘリックもキーンも艦長に昇進して自分の艦を持つようになり、地位が上がるについて彼らの関係も、提督と旗艦艦長、艦隊司令官と次席司令官へと変わっていきます。
責任を負うものが多くなると、個人の付き合いでは譲れたものが譲れなくなったり、仕事への姿勢の違いが一艦内では留まらず艦隊規模の命運を左右するようになったり、それが軋轢の原因にもなるわけです。
その彼らの30余年の人生航路を、読者もまた毎年1冊とか2冊とか、15年、20年かけて一緒に旅してくるわけです。

それが、例えばラミジ・シリーズにはない、ボライソー・シリーズの、大河小説の魅力だと思います。
オブライアンの邦訳は今がちょうど中間点の10巻ですが、ジャックもスティーブンもそろそろ中年の域にさしかかり、結婚もして落ち着いて(ん???)、プリングスも昇進して去っていくし、ちょっと変わり始めましたよね。

11巻以降は私も未読なのでわかりませんが、ジャックもいずれ司令官位に上がることになるようです。
この先20巻まで、1年1冊〜2冊で何年かかるのかわかりませんが、彼らの人生航路を、読者として共に辿っていけることを、楽しみにしています。


2007年05月19日(土)