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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
帆船模型展に、あのレパード号

土曜日は雪の中、銀座の伊東屋まで帆船模型展を見に行ってきました。
なにせ「あのレパード号が展示されているよ!」と聞いたものですから。

あのレパード号って、そう、あのレパードですよ。5巻の主役、副長が3回替わって、疫病が蔓延したり氷山にぶつかったりして散々な目に遭遇する、あのジャックが指揮した(ことになっている)50門艦です。
実在したレパード号は、昨年11月6日の日記にご紹介した通り、当時は別の艦長が指揮していたわけですが、パトリック・オブライアンはアレクサンダー・ケントとは違って実在の艦を主人公の乗艦に使ってくれるので、模型展で艦に出会うという楽しみもあるというわけ。

H.M.S.Leopard ドックヤードモデル、縮尺1/129、スクラッチビルド



艦尾から



日本のザ・ロープ(帆船模型愛好家の会、今回の展示会を主催)と交流のあるアメリカのShip Modelers Associationの会員の方の作品です。
ひょっとして、オブライアン・ファンかしら?この方?
「ドックヤードモデル」というのは、実船を建造する前に構造・装飾などを検討するために制作された構造模型のこと。ネイグルが艦長のところに持ち込んだのもこれですね。
「スクラッチビルド」というのは、模型業界の用語だそうで、「市販のキットを使わず自分の手で模型を作り上げること」なのだとか。
カティサーク号など有名な帆船には、市販のキット(木造ですが、プラモデルみたいに各パーツがすでに形になって出来ていて後は組み立てるだけ)があるのですが、レパード号のようなマイナーな艦にはもちろん、キットはありません。

それでも「どうしてもこの艦が作りたい!」と思う場合は、自らが船匠になって、図面から起こして、各パーツを精巧に縮小し手作りすれば、マイナーな艦でも模型を作成することができます。
英国海軍省は、ほとんどの艦についてその設計図を保管していたため、今でもその気になれば200年前の艦の設計図を入手することができる。これを縮小すれば良いのです。
映画M&Cの、精巧に再現されたサプライズ号も、200年前の設計図(現在は英国国立海事博物館に保管)をもとに、正確に再現されています。
ゆえに、例え200年前の、架空の人物が主人公の歴史小説であっても、その乗艦が実在艦なら、その気になれば帆船模型を作ることができるのです。
もちろんそのためには非常なる忍耐と情熱、それからある程度の設計図面の知識が必要だと思われますが。

それにしても、200年前の木造艦の設計図がまだ残っているって凄い国だと思いませんか?英国って、
5年前の欠陥マンションの構造計算書が見当たらない…などと言っている何処かの国とはえらい違いだわ。

ということで、残された設計図からレパード号の構造模型を手作りされたアメリカの方に敬意を表しつつ、
以下は実在したレパード号の一生です。

実在したレパード号の一生(H.M.S.LEOPARD,50)
1790年 シアネス海軍工廠にて建造。
1797年 ノア泊地の反乱に巻き込まれる。
1799年 T. SURRIDGE艦長の下で、John BLANKETT海軍少将の旗艦となる。
      東インド会社の船団護衛任務でインドへ向かう。1800年ボンベイ着。
1800-02年 Peter HEYWOOD 艦長の下でセイロン島沿岸を測量。
1802年  George Ralph COLLIER艦長の下で英国へ向かう。1803年帰国、チャタム工廠にて船体補修。
1803年  Francis William AUSTEN艦長の下でLOUIS海軍少将の旗艦。仏ブーローニュ沖に展開。
1805年 R. RAGGETT艦長の下で、Billy DOUGLAS海軍大将の旗艦。仏ブーローニュ沖に展開。
1806年 Salusbury Pryce HUMPHRYS艦長の下で、現カナダ・ハリファックス鎮守府に配置される。
      G. BERKELEY海軍中将の旗艦。
1807年 米チェサピーク湾停泊中に乗組員が脱走、一部が米艦チェサピーク号に逃げ込む。
      HUMPHRYS艦長はチェサピーク号に砲撃を加え、降伏に追い込み、脱走兵を取り返した。
1808年 James JOHNSTONE艦長の下、喜望峰への船団護衛任務につく。BERTIE海軍中将の旗艦。
1810年 英国に戻る。
1811年 チャタム工廠にて、兵員輸送船に改装される。
1812年 William Henry DILLON艦長の下で地中海へ。
1814年 Edward CROFTON艦長の下で英国ポーツマスへ戻る。

これを見て思ったんですけど、厳密に言えば1811年に兵員輸送船に改装されているわけだから、ジャックが指揮したことになっている1812年に軍艦として登録されていたかどうかは少々微妙ですね。このあたりでオブライアンは上手くごまかしたということでしょうか?

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土曜日は、電車が間引き運転されていたとは言え、路上の雪はまだシャーベット状で滑りにくかったのですが、この寒さでこのシャーベットが一夜にして凍結、日曜日には大変キケンな状態になりました。
日曜日はうちは法事があって、お寺さんに出かけたのですが、お経がすんで私たちがお堂を出てくると、何やら騒ぎが。
我々の前に法事を済ませお墓参りに行かれた別のご家族のおばあさんが、お墓で滑って転んで、これからお医者さんに連れて行くというのです。

私たちもお墓参りの予定だったのですが、ご住職さんが「今日はお墓はキケンです。後日になさったほうが…」と。
確かに墓地は広いので、とても雪かきの手なんてまわりません。確かにキケン。
そのようなわけで、お墓参りは諦めて、まっすぐにタクシーで帰りました。

でも、お寺さんは、当然のことですが、昔ながらの日本建築ですし、樹木などもきちんと刈り込みをしているので、雪の日にはたいへん情緒がありました。

さ、寒いぞ。でも頑張るぞ(お寺の屋根の鬼瓦)



つ、冷たいぞ。でも頑張るぞ(ちょっと可哀想)



2006年01月23日(月)