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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
幕末の洋装と海軍のはなし

今となってはもう随分と昔の話になってしまいますが、昨年の11月23日の日記に、幕末の洋装と海軍の話を書きました。

「幕府海軍の榎本の洋装は何処で調達したのか? 日本国内で洋服が製産されるようになったのはいつ頃か?」

という疑問を掲げていたのですが、この疑問の答えを教えてくださった方がありました。
Sさん、本当にありがとうございました。
しばらく前にいただいていたのに、ご紹介がすっかり遅くなってしまって申し訳ありません。

ご紹介いただいたのは、「日本洋服史」というホームページです。
こちらは、東京洋服商工協同組合のホームページの一部で、トップページから「スーツの歴史」>「近代洋服史」とたどって行くと、幕末の洋服事情がわかります。

このホームページの内容を簡単に解説しますと、日本で初めて本格的な洋装を採用したのは、幕末の長崎に設立された幕府海軍伝習所でした。
理由は、まぁ必要に迫られて…というか、皆さんも想像がおつきだと思うのですが、羽織・袴に大小の刀をさしていては、とてもではありませんが、帆走軍艦上で機敏な振る舞いはできません。(段索に袖や刀が絡まって、さぞかし大変だったろうと思います)
そこで、この伝習所の伝習生たちの為の制服用にオランダから洋装が輸入された。
ですから、そもそもここの伝習生だった榎本武掲は、オランダ留学前から洋装に親しんでいた…ということになるのですね。

この洋装が国内で大量生産(というほどでもないけれども)されるようになったのは、それから9年後の長州征伐の時だったそうです。
このとき幕府は足袋職人や仕立屋を使って2000着の段袋(洋装まがいのもの)を仕立てたとか。
というわけで、11月の話題だった鳥羽・伏見の戦いの時の洋装は、おそらく国産のものだったのでしょう。

もうひとつ、この日の記事に関して教えていただいたこと。
鳥羽・伏見の戦いのあと大阪を脱出することになった幕府海軍のどたばたについて。
実は今、朝日新聞の夕刊では、吉村昭氏の「彰義隊」という新聞小説が連載されていますが、この小説にかなり詳しいことが書かれているとのこと。該当部分のコピーを送っていただいたのですが、英国軍艦だけではなく、アメリカ軍艦なども絡んでいたようですね。
新聞掲載は昨年の11月頃になります。
新聞縮小版またはこの小説がハードカバーになりましたら、ご参照ください。


2005年01月16日(日)