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2006年11月29日(水) 写真は嘘をつかない、と言うけれど

雨が降ったため、めずらしくおとなしく家にいた先週末の夫。朝からパソコンとプリンタでごそごそしているなと思っていたら、年賀状の裏面のデザインを考えていたらしい。
ふだん「まめ」という形容とはほど遠いところにいる人であるが、なぜか年賀状だけは毎年写真を加工し、挨拶文を入れ、印刷までしてくれる。私はわりといろいろなことにまめであるが、年賀状づくりは面倒でしかたがないと思っているのでとても助かる。
さて、「でーきた」の声を聞いて見に行ってびっくり。その年の夏旅行の写真を使うのはいつもと同じであるが、来年のはモナコで撮った二枚の写真をかっこよくレイアウトしている。A Happy New Yearのフォントもおしゃれでいい感じ。こんな凝ったことができるんだとすっかり感心してしまった。

……が、ひとつ大きな難があった。
これまでの年賀状には風景写真を使っていたのだが、今回初めて人物入りの写真を採用した。F1モナコグランプリのコースとして有名なトンネルをバックにふたり並んで撮ったものなのであるが、その私の顔がいまいちなのだ。夫はいつもどおりの顔なのに、私はいつもよりぜんぜんいけていない。しかも画像サイズを調整する際に横に引っ張ったらしく、なんとなく太って見えるではないか。
これが百何十枚も全国にばらまかれるなんて……。
「こんな顔やだ!写真差し替えてよお」
「大丈夫、いつもと変わらないよ」
「それにこんなワイドテレビに映ったみたいな体型、やだー!」
「そんなに違わないと思うけど……」
「そんなわけない、ほら、車のタイヤだって心もち楕円形に見えるじゃないの」

ああ、男性にはわかるまい。一ミリでもきれいに写りたいと考える女心なんて。
旅先で夫が私の写真を撮ってくれることがある。それはいいのだけれど、不満なのは「撮るよ」と声をかけてくれない、あるいはこちらの用意ができる前にシャッターを押してしまうこと。だから彼が撮った私の写真はあさっての方を見ているものばかりだ。
「自然体のほうがいい」と夫は言う。しかし私としてはありのままではなく、ありのままよりちょっぴりでも美人に写りたいの。
観光名所やすばらしい風景の中では「ここにはもう二度と来られないかもしれない」という思いからその欲求が強くなる。だからその前にちょっと髪や服を直したいし、笑顔だってつくりたいのだ。いつのまにか撮られていたというのではお気に入りの一枚にはなりにくい。
私は記録することが好きなので、写真も好き。いつも写真うつりが悪いというわけでもない。けれどもたまに「いくらなんでもこれは……」と言いたくなるようなひどいものもあり、そういうのは即ゴミ箱行きだ。残しておいたらそのアルバムを開きたくなくなってしまうもの。
女性のエッセイを読んでいると、雑誌やテレビに出た際のうつりが悪くてショック……というぼやきがよく出てくる。先日読んだ林真理子さんのエッセイにも、週刊誌にいい加減な記事を書かれたことよりもそれに添えられていた写真が現在よりも何キロも太っていた頃のものだったことに怒っている話があって、その屈辱はおおいに理解できると思った。

……なんて言ったら、男性のこんな声が聞こえてきそうだ。
「写真うつりが悪いんじゃなくて、実物がそうなんだ。写真は嘘をつかないよ」
たしかに、本物の美人はあくびをしているところであろうが眠っているところであろうが決してブサイクには写らない。が、並レベルの女性の場合はちょっと油断すると納得のいかない写真が生産されてしまう。だから、みな撮られるときは細心の注意を払うのである。
「今日は写真を撮るとわかっている日は白っぽい服を着るようにしている」と言う友人がいる。膝の上に白いハンカチを広げるとそれがレフ板の役目を果たして顔が明るく、肌が美しく写るという話は有名であるが、同じ効果を期待しているのだ。
また、中山美穂さんにそっくりの美人なのに惜しいことに顔がとても大きい別の友人は位置取りに余念がない。小顔の人の隣を避けるのはもちろんのこと、写真の両端は横伸びするので中央に陣取るそうだ。そしてややあごを引く。
自他とも認める「写真では美人」の友人が言うには、「顔をつくることを照れてはいけない」とのこと。
おおげさなくらいの表情が写真で見るとちょうどよいのだ、シャッターを押す人に「わあ、顔つくってるよ」と思われる恥は一瞬、でも写真は一生残るんだから、と。うん、なるほど。
免許更新センターで彼女の言葉を呪文のように唱えたので、私の免許証の写真はまあまあである。


しかし、最近大失敗をした。
パスポートの更新に行ったのだが、当日写真をお願いしようと思っていた写真屋さんが休み。ほかを探している時間がなく無謀にも駅の三分間写真で調達したら、新しいパスポートは夫にも見せられない代物になってしまった。
自動写真機に実物とは似ても似つかぬ美女に撮ってくれなんて注文はしない。でもさ、一応七百円払っているんだから、せめて実物通りに撮ってくれたっていいじゃないの……。
この先十年もこの顔で行かなくてはならないなんて本当に憂鬱だ。


2006年11月27日(月) お酒に呑まれる人々

先日、うちにアンケート依頼のメールが届いた。
といっても、毎年この時期になると送られてくる、卒論のテーマに「web日記」を選んだ大学生からの「インターネット上で日記を公開している方を対象に意識調査を行うことになりました。つきましては……」というあれではない。仲良しの日記書きさんからの「今度これこれこういう話を書こうと思っていて、参考にしたいので回答よろしく」というものだ。
日記の裏とりは私もよくする。その友人にも何度も協力してもらっているので、もちろん喜んで応じることにする。
質問はこういうものだった。
「バーのカウンターでひとりで飲んでいるときに、バーテンから『これはあちらのお客様からです』とお酒を差し出されたことがありますか」
つまり、見ず知らずの男性からお酒を贈られたことがあるかということだ。
「そういう経験がありそうな女性に訊いてみようと思って、小町さんにメールした次第」
とのことで、気をよくした私はすぐさまキーボードを叩いた。

「もちろんあるわよ。え、その後どうするかって?そうね、気持ちとプレゼントされたお酒はありがたくいただくけれど、それだけよ。ま、相手がよっぽどいい男だったらわからないケド」

なあんて書けたらかっこいいんだけどなあ!と思いながら、正直に答える。
「経験がありそうと見込んでくれたのはうれしいけど、残念ながらそういうことは一度もないです」
そうは言っても見得っぱりな私、
「ほら、私ってお酒飲まないじゃない?バーにひとりで行ったこと自体がないのよね」
という一文を付け加えるのは忘れなかったけれど……。

* * * * *


お酒を好んで飲むことのない私にそのような武勇伝はない。しかしその代わり、それに呑まれての失敗談もない。
立ち読みした某女性誌の今月の読者投稿欄のテーマは「お酒にまつわる恥体験」。
「隣席の男性から女性の胸の谷間画像を見せられた。なんだこれは?と思ったら、なんと私の!昨夜の飲み会で酔っ払った私は部内の男性たちに谷間を作って見せては写メを撮らせていたらしい」
「酔うと誰かれかまわず電話をかけ、いまから飲もうよとしつこく誘う癖のある(らしい)私。ある飲み会の翌朝、通勤電車の中で携帯をいじっていたら、深夜三時に部長の自宅にかけた発信履歴が……」

お酒を飲んで記憶をなくすという話はよく聞く。ドラマでは「目が覚めたら隣に見知らぬ男の人が寝ていた」という場面はありがちだし、現実でも女性のお尻を触って逮捕された人が「酔っていて覚えていない」と供述しているというニュースがしばしば流れる。
私なら朝起きて夕べ自分がなにをしたかわからなかったら恐怖を感じると思うのだが、それを繰り返す人はそれほど不安でもないということなのか。
友人と食事をして終電で帰る途中、若い女性が乗り込むやいなや通路にペタンと座り込んだ。そしてパンプスとバッグを放り出し、うつらうつらしはじめた。
気分は悪そうではないが、どう見ても酔っ払っている。親切な乗客が席に移るよう声をかけると「うるさい!」と大声で叫び、車掌がいったん降りるよう促しても頑として応じない。短いスカートの足元を気にすることもなく、もしこれが女性専用車両でなかったら……と想像したらぞっとするような光景だった。
しかし、彼女に対して心配も同情も湧かなかった。自分がどんな醜態を晒したかなんてどうせ覚えちゃいないんだから。

お酒が好きでよく飲むという人よりこの世からお酒がなくなっても困らないという人のほうが、「酔っ払い」に対してシビアだと感じる。自分はそれで人に迷惑をかけたことはないという強みから、つい視線が厳しくなってしまうのだ。非喫煙者が喫煙者に寛容になれないのと似ている。
そして私も酒癖の悪い人とだけは飲みたくないと思っているクチだ。……が、そうもいかないのが仕事関係の飲み会。
独身の頃勤めていた会社に酔うと服を脱ぎ、男性にしなを作る女の子がいたのだけれど、私はそれが気持ち悪くてしかたがなかった。この変わりようはなんなんだ。お酒のせいとは思えども、やはり見る目が変わってしまう。
ふだんはそんなことはまったくないのに、お酒が入ると気が大きくなるのかやたらケンカっ早くなるとか自分や他人の秘密をぺらぺらしゃべりだすとかいう人もちょくちょくいる。お酒が「狂気の水」とも呼ばれる所以だろう。
道路にお好み焼きを作っている人を見ると、自分の限界もわからないのかと不思議でならない。知人が「タクシーで吐いたら倍の金額をとられた」と憤慨していたことがあったが、狭い車内であの匂いに耐えなくてはならない運転手さんのほうがずっと気の毒だ。
うちの夫は“ざる”であるが、このあいだ初めて二日酔いになった。夜中の三時に帰ってきて、翌朝起きるなりトイレに直行。背中をさすりながら、「高いお金出して飲んだお酒、全部吐いちゃったね」「もう無茶な飲み方できる年じゃないってことよ」といじめてしまった。


とまあこんな私であるが、「私もお酒を飲めたらよかったのにナ」と思うことはたまにある。週末に夫がちょっといいお酒を飲んでほろ酔い気分でいるのを見ると、常に素の私はちょっぴりうらやましくなる。
私は甘いものが好きだけれど、ケーキやアイスクリームはいくら食べても嫌なことを忘れさせてはくれないものねえ……。


2006年11月22日(水) 食事とトイレは……

新聞をぱらぱらやっていたら、「トイレにこもる女性たち」という見出しが目に留まった。便秘持ちはつらいワ……という話かと思ったら、まったく違った。
最近、会社のトイレの個室が用を足すためだけでなく気分転換のためのスペースとしても使用されるようになっている。中で仮眠をとったり、つめや眉の手入れをしたり、携帯メールを打ったり。個室を何十分も占拠する人がいてトイレが混むため、その目的外使用を自粛するよう貼り紙をする会社も増えてきた、という内容である。

「ああ、いるいる」と相槌を打ちながら読む。
以前いた職場に定時近くになると必ずトイレに立ち、三十分帰ってこない派遣の女性がいた。ある日の夕方、彼女と入れ違いで個室に入ったらシンナーの匂いが充満していてびっくり。中でマニキュアを塗り直していたらしい。すっかり乾くまではペンなんか持てないもの、そりゃあ席に戻ってこないはずである。
私の友人は休日出勤をした日にオフィスが入っているビルのトイレで覗きに遭った。ドアの向こうに人の気配を感じ、「ほかにも誰か来ていたのね」と思っていたら、天井とドアの間から男の顔が出てきたから腰を抜かした。幸いだったのは、便器の蓋に腰かけて携帯メールの最中だったことだ。
最近の公衆トイレはどこもとてもきれいである。いまやウォシュレットはめずらしくないし、ストッキングを履きかえるときに便利な足置き台がついている個室もある。化粧直しのためのパウダーコーナーは鏡が大きくて照明が明るい。清掃も行き届いていて、いつでも気持ちよく使用できる。
私自身はどれほど美しく清潔であろうと個室の中でうたた寝する気にはならないけれど、そういう人がいると聞いても不思議には思わない。

自宅以外のトイレの居心地がこのようによくなったのはここ十数年のことではないだろうか。それまでは公衆トイレと言えば「くさくて汚い」というイメージだった。
よくあんなトイレがあったもんだわと思い出すのは、電車のトイレだ。私が子どもの頃は和式便器の穴から線路の石が見えた。つまり、出したものはそのまま線路に落下する仕組みだったのだ。よって「停車中には使用しないでください」という注意書きがあった。
飛行機もしかり。むかしは汚物は外に放出し、空中分解していたのである(便器の穴を通して雲が見えた、ということはもちろんないが)。
いまでは考えられないことであるが、当時は乗り物のトイレは「そういうもの」だったのだ。

というように、トイレの様相は時代で変わるのだが、文化によってもずいぶん違ってくるものなのだということを実感したことがある。中国に行ったときである。
噂に聞いていた、ドアや隣との仕切りのないトイレに出会うことはなかったが、仰天したのは個室の鍵をかけない人、ドアをきちんと閉めない人がものすごく多いことだ。表示が「空き」になっているから、ドアが半分開いているから、となにも考えずにパカッとやると先客あり……ということが何度あったことか。
はなからドアを閉める気のない人も何人か見かけた。日本の和式トイレはドアに背を向けてしゃがむが、あちらのはドアに向かう格好になる。西安のケンタッキーで妙齢の女性が順番待ちをしている友人と談笑しながら用を足しているのを見たときはすごいショック。ど、どうしてドアを閉めないんですかああっ!?
「それを見られるのは恥ずかしい」という感覚は女性であるなら国籍、人種を問わない普遍的なものだと思い込んでいた。しかし現実には、髪を茶色に染め、かわいいストラップのついた携帯を持ち歩き、フライドチキンをほおばる、自分となんら変わらぬように見える女性が人前で用を足すことができるというこの摩訶不思議。
翌日旅行会社の現地の女性に話したところ、「ほんの十年くらい前までトイレにドアがないのは当たり前でしたからね」とのことで、彼女がその話にちっとも驚かなかったことに私はまた驚いたのであった。

しかし、外国の人に言わせると日本にも、日本人にとっての「ドアを開けたままトイレ」に匹敵する信じがたい習慣があるらしい。
去年香港に行ったとき、現地ガイドの女性が私に温泉に行ったことがあるかと尋ねてきた。もちろんと答えると、彼女も日本を旅行した際に近くの温泉地に寄ったことがあるという。しかし、お湯には浸からず帰ってきた、と彼女。
「あら、どうして?時間がなかったんですか」
「どういうものか見るだけで十分ですよ。人前で裸になるなんてぜったい無理です」
思い出しただけでも恥ずかしいというふうに首を振りながら言った。
香港には銭湯のような公衆浴場がないため、見ず知らずの人と一緒にお風呂に入るなんてとんでもないことのように思えるらしい。同じツアーの誰ひとり、挑戦してみようという人はいなかったのだそうだ。
以前、「オトコの前開き事情」というテキストの中で小用の仕方についてアンケートをとったら、女性だけの家庭で育ったという三十代の男性からの、
「トイレは個室でするものと習い、中学にあがるまでそう思い込んでいたため、大人になったいまでも朝顔ではできないし、人がしているのを見るのも恥ずかしい。みんなはその最中を人に見られるのが恥ずかしくないんでしょうか」
という回答があった。銭湯や温泉のない国の人が他人とお風呂に入るのを尻込みしてしまうのも同じ感覚なのだろう。


海外のトイレはドアの下のほうが何十センチも空いていて、外から足元が丸見えということが少なくない。犯罪防止のためとわかっていても、ドアを閉めれば他人の視線を完全に遮断できるトイレに慣れている私は落ちつかない。
それに、百貨店やホテルでも「我慢しよかな……」とひるんでしまうようなトイレにお目にかかる。

先日、買い物の最中にあるビルのトイレを借りたら、洋式便器の蓋が自動で開いてびっくり。センサーがついていたらしい。
世界広しと言えども、こんな公衆トイレがある国なんてそうはないのではないだろうか。
食事とトイレはやっぱり日本が一番、である。


2006年11月20日(月) そんな頃もありました

先月末から2006世界バレーの応援に燃えている。
いつもテレビの真ん前で正座をして見るのだけれど、昨日は夫が家にいたので何度も「もう少しお静かに願います」と言われてしまった。興奮して大声をあげたり床を転げ回ったりする妻は阪神ファンのオヤジみたいなんだそうだ。
金曜から男子大会が始まったのだが、女子とはまた違った魅力がある。越川選手の時速百二十キロのジャンピングサーブはふつうの人が受けたら手首を骨折するそうだし、エジプト戦では石島選手のスパイクがあごに当たった選手が脳しんとうを起こしていた。もう度肝を抜かれる迫力なのだ。
私は学生時代バレーボールをしていたので、選手のレベルの高さやプレーのすごさをやったことのない競技よりもリアルに感じられる。だからなおのことおもしろい。

部活の思い出は数多い。というより、中学・高校の六年間で記憶に残っているのはほとんどバレーボールのことしかない。
中学のバレー部の顧問は女の先生だったのだが、笑っているところを見たことがないと先輩たちも言うくらい怖い人だった。
一年生は夏休み明けまでボール拾いしかさせてもらえないのだが、コートの周りに立って先輩の練習を眺めていればいいわけではない。ボールが飛んできたらいち早く反応できるよう、絶えず膝を曲げ腰を落としたレシーブの体勢を取っていなくてはならず、これがかなりきつかった。ほんのちょっとでも楽をしようものなら、「やる気がないならやめてしまえ!」と怒鳴られた。怖さと厳しさの違いもわからない年頃だったから、本当に鬼のように見えた。
二学期もなかばになり、ようやくポジション別の練習に参加させてもらえる日がきた。先生は「百五十五センチ以上、こっちに来て一列に並べ」と言い、そのときの私の身長は百五十三センチ。しかし、「先生はアタッカーを決めようとしているんだ!」とぴんときた私は二センチも足りないのに列に加わった。嘘がばれるのは怖かったが、どうしてもアタッカーになりたかったのだ。
私の読みは当たっており、ほかの人たちはセッターかレシーバーになった。私はというと、身長不足は先生の目には明らかだったはずなのに、なぜか見逃してもらえた。
私はそれに感謝して、なによりうれしくて、ますます練習に精を出した。そうしたら、跳んだりはねたりしているうちにぐんぐん背が伸び、卒業時には百六十三センチになっていた。
両親も妹も長身ではないのに自分がこうして伸びたから、私は成長期にバレーやバスケをするとかなりの確率で“予定”より背が伸びるのではないかと思っている。

もうひとつよく覚えていることがある。
家が近所で、小学生のときから一番の仲良しだった女の子がいた。バレー部にも一緒に入ったのだが、一年生のときからすでに百六十五センチあった彼女は誰よりも早くレギュラーの座を獲得し、その後エースになった。
しかし、彼女にはときどき奇妙なことが起こった。突然目がうつろになり、すべての動作が停止してしまうのである。
考えごとをしていてちょっとトリップした、というようなものではない。たとえば息の詰まるようなラリーの最中、トスがあげられたのに彼女はジャンプもせず放心状態……ということが何度もあった。公式試合のラインズマンをしているときにそれが起き、サーブのイン・アウトの判定ができなくて審判をしていたよその学校の先生にものすごく怒られたこともあった。
そういうときはどんなに大声で呼びかけても目の前で手を振っても反応がないため、頬を何度も強く叩いて目覚めさせるしかない。ほうっておいたらネットをくぐって相手コートを通り、どこまでも歩いて行ってしまうのだ。そして覚醒したときはいつも本人はきょとんとして、なぜ自分の周囲に人が集まっているのかまったくわかっていない様子だった。

高校は別だったのでそんなこともすっかり忘れていたある日、新聞の健康相談欄を読んで驚いた。小学生の息子がこれこれこんな状態になることがあるのだが大丈夫だろうか、と書かれてある内容が彼女のそれとそっくりだったのだ。
回答を読んだ記憶がないのでなんだったのかはわからないままなのだが、緊張状態にあるときによくそうなっていたので、ストレスの表れ方のひとつだったのかもしれない。

* * * * *

人生を振り返って、あのときはがんばったよなあと真っ先に思い浮かべるのは中学・高校の部活である。大人になって要領というものを身につけたらすっかり踏ん張りがきかなくなってしまったけれど、スポーツ選手を見ているとひたむきだった頃の自分を思い出してちょっぴりじんとくる。
残りの期間、めいいっぱい応援しようっと。


2006年11月17日(金) 山あり谷ありの人生も、山なし谷なしの人生も。

食事中、友人の携帯にメールが届いた。それを読んだ彼女が「なんだかなあ」と苦笑して言う。
「人生ってほんま、人それぞれやねんなあ」
「なによ、突然?」
「いまの、高校時代の友達からやってんけど、『再婚することになりました』って。同じ三十四才でも、結婚話どころか浮いた噂すらないような私みたいなんもおれば、結婚して出産して離婚して再婚する、そういう子もおるんよなあ……って」

同じ教室で机を並べていた頃はふたりの人生がその後こうも違ってくるとは夢にも思っていなかった、という彼女の言葉に私も箸を止めて思いにふけってしまった。
たしかにあの時点では、クラスや部活で仲良しだった友達と自分の歩いてきた道のりは似たり寄ったりだったように思う。親の庇護のもと勉強が本分という身分、まだ恋も知らないわけだから、見てきた景色に大きな違いは生まれようがなかったとも言える。
しかし、それから二十年たったいまはどうだろうか。
一中学生、一高校生だった頃にはわずかだった経験や経歴の差が、三十なかばともなると歴然だ。独身に戻った人がいれば、結婚数年で未亡人になってしまった人がいる。起業して成功をおさめた人がいれば、倒産やリストラで職を失った人がいる。オリンピックに出た人がいれば、詐欺罪で捕まった人がいる。それどころか、すでにこの世にいない同級生さえいるのである。

「こういう山あり谷ありな人生を送ってきた子と比べたら、私なんか世の中のことぜんぜんわかってないヒヨッコなんやろうなあ」
と友人がつぶやく。
それを言うなら私も同じだ。ここまでの道のり、目の前に山や谷が立ちはだかり絶体絶命のピンチに陥ったということはない。
そりゃあ転んで捻挫したこともあれば、靴に穴を開けたこともある。もう疲れたとその場に座り込んでしまったことも。けれども、その程度の困難を山だの谷だのと言うことはできないし、もしかしたら「苦労」という言葉を使うことさえ図々しいかもしれない。

……でもさ。べつに引け目に感じる必要はないのではないかな。
人生経験が豊富、というのはプラスの響きを持っているけれど、本当に大事なのはバラエティよりも質、ひとつひとつの経験をどれだけ自分のものにしてきたかではないだろうか。
ひと頃、ネット上で「人生の経験値」という遊びが流行った。リストアップされたさまざまな事柄について経験したことがあるかないかを答えていくものであるが、○(経験あり)が多ければ多いほど魅力的な人かというと、関係ないだろう。
経験は例外なく知識を増やすが、思慮深くなったり心が豊かになったりすることとはまた別だ。ある出来事を通じて他人の痛みがわかるようになる人もいれば、喉元過ぎればなんとやらな人もいる。それはたしかに自分を成長させるチャンスを与えてくれるけれど、そこからなにかを得るも得ないもその人次第、ゲームのキャラクタのように経験値は自動的にはアップしないのだ。
それに。ある経験をしなかった人は必ずかわりの経験をしているのだから、心配することはない。たとえば、私の友人は夫婦が別れるときの苦悩を知らないけれど、その高校時代のクラスメイトは「どうして結婚しないの?」と周囲から言われつづける憂鬱やどんなにつらくても仕事をやめることができないプレッシャーはぴんとこないかもしれない。
人間の手は二本しかない。あれもこれもは持てないものだ。


一点から放射状に伸びる道をそれぞれが歩いていくみたいに、先に進めば進むほどみなの姿が小さくなっていく。同じ制服を着、同じ給食を食べていた頃とはもう違う。
人生に“開き”が生まれることが「大人になる」ということ、それがだんだんとオリジナルのものになっていくことこそが「生きる」ということなのだろうね。


2006年11月15日(水) 気持ちよくリンクを張るために。

初めましての日記書きさんからリンク依頼のメールが届いた。
件名に「お詫び」という文字が入っているので、なんのことだろう?と思い読んでみたら、過去に何度かうちのサイトにリンクを張ってテキストを書いたことがあるそうで、その際に連絡をしていなかったことについて謝っておられるのだった。
そのたびにトラックバックの送信を試みたのだが、いつもエラーが出てしまい、お知らせできぬままになっていた。もしかしたら小町さんのほうでトラックバック拒否の設定をしているのかもと思い、今日はメールであらためてリンクのお願いを……という内容だ。ものすごく丁重な文面だったのでこちらも恐縮して、モニタに向かってぺこぺこ頭を下げてしまった。
「うちはブログではないのでトラックバックを受け付ける機能がないのですよ。お詫びだなんてとんでもない。リンクはもちろん遠慮なくどうぞ、です」
すぐさま返事を送ったのだけれど、その方が「知らせずにいたことがずっとひっかかっていて……」とおっしゃるのはとてもよくわかった。
私もそういう気分を味わったことがあるから。

よそのサイトにリンクを張る際に許可を得る必要があるかないかといえば、後者である。それを公開した時点で自動的にその人は「リンクを張られることを承諾した」ことになるから、そのときはああしてくれ、こうしてくれと注文をつけることはできない。連絡を義務づけることもしかり。それは張る側の意思と責任において行われるものである。
とはいえ、そこは人間同士の付き合いだ。「リンクをさせてもらいますね」あるいは「させてもらいましたよ」という言葉を受け取ってうれしく思ったり安心したりする人はいても、腹を立てる人はあまりいないだろう。それによって有意義なつながりが生まれることもあるかもしれない。そう思うので、私は先方に「リンクのご報告は辞退します」という断り書きを見つけないかぎり、一報入れることにしている。
……のだけれど、一度だけ通知しなかったことがある。
その書き手とはコンタクトを取ったことがなかったため、私はリンクの報告に「いつも楽しい日記をありがとう」という気持ちを添えた文面を作った。そしてさあ送信、と思ったら。肝心のメールアドレスがどこにも見当たらないではないか。
その人が登録しているリンク集まで訪ね、アドレスの表示がないかと探したのだが見つからない。
「うっそー。メールを送れないサイトがあるなんて……」
が、よく考えたら、そこはブログなので読み手が感想を送りたいと思えばコメント機能を使えばよいわけだ。そのためメールアドレスが置かれていないのだと気づいた。
しかし困った。「○日更新の私のサイト(http://www.****.****.html)でリンクをさせていただきます。どうぞよろしく」なんてメッセージを投稿したら、ほかの読み手の目にはまるで宣伝ではないか……。
頭を抱えていたら、たまたま過去ログの中にリンクに関する記述を発見。「ご自由にどうぞ」とあるだけで報告がほしいといったフレーズはなかったので、本意ではないがその言葉に甘えさせてもらうことにした。
けれど、なにかこうすっきりしないものが残ったので、「これからも可能なかぎりは連絡を入れよう」とあらためて思ったのだった。

もうひとつ、個人サイトにリンクを張る際に気をつけていることがある。
少し前、元同僚から「mixiって知ってる?もし会員だったら、招待状を送ってほしいんだけど……」というメールが届いた。
あら、やっとパソコンを買ったのねと読み進めたら、そうではなかった。自分は現在、会社のサイトを運営・管理する業務に就いているのだが、このところmixi内部からのリンクがよくある。不当に会社の評判を落とすような内容でないかが気になっているのだが、閲覧できない。mixiの運営事務局に事情を話して頼んでみたが開示してもらえなかったため、会員になって確認したいのだ……という話だった。
そう、私が「こういうリンクの張り方は避けよう」と思っているのがまさにこれ。相手がこちらのテキストを読むことができない場所からはリンクをしない、ということだ。
私自身はリンクを逆探知してもどこからかいな?と確かめに行くことはないけれど、それに気づいたら必ず読みに行くという人もきっと少なくないだろう。もしそのとき該当のページにアクセスできなかったら、ナイーブな人なら「なにか悪口が書かれているのでは……」と不安になるかもしれない。本当は「こんな素敵なサイトがありますよ」と紹介されているのだとしてもそれはわからないのだから、「正体不明のサイトから大量に人が流れ込んできた、怖い!」となってしまっても不思議はない。実際、親しい日記書きさんの中にもmixiをやってみようと思った理由のひとつに「以前リンクを張られたことがあって、読めないのが気持ち悪かったから」を挙げる人がいる。
SNSやパスワードで読者制限をしているサイトからのリンクがいけないわけではないのだけれど、いらぬ気を揉ませることになるとすまないものな、と私は思っている。

* * * * *

以上、「どうせなら気持ちよく張りたい」私のリンクの“後味”をよくするための工夫、二点でした。


2006年11月13日(月) はらたいらさんの訃報

先日のはらたいらさんの訃報には驚いた。そんな年ではないだろうと思ったし、実際六十三歳での死は早すぎだ。
有名な人が亡くなると私はいつも、その人が一番活躍していた頃、自分がどんなふうに過ごしていたかを思い出す。私にとってはらさんといえば『クイズダービー』。私はこの番組とドンピシャの世代で、土曜の夜は七時から『まんが日本昔話』、チャンネルはそのままで『クイズダービー』、つづけて『8時だョ!全員集合』を見る、というのが小学生の頃の常だった。

それを見ていたのは二十年以上も前のことなのに、番組のディテールまで記憶している。鳩の大群が飛び立つスポンサーのロート製薬のCF、「巨泉のクイズダービー!」の掛け声につづくバッコン!という競馬のゲートが開く音、それぞれの枠の歴代解答者まで覚えているくらいだから相当のものではないだろうか。
……と思ったらそれは私だけではないようで、mixiでこの話をしたところ、「クイズダービーのことならまかせて!」というマイミクさんが何人もいらした。とくに印象に残っているのはやはりはらさんの驚異的な知識量で、
「子ども心に『全問はらたいらに賭ければいいじゃん』と思っていた」
「今回のことで初めて漫画家と知った。クイズが得意なタレントだと思っていた」
という声が挙がった。
私も当時、「この人はどうしてこんなになんでも知っているの?」と母に訊いたことがある。そうしたら、「漫画家だからよ」という答え。子どもの私は「そうか、漫画家というのは頭がいいのか」と思い込み、いまだに「漫画家=博識」というイメージが消えない。
ニュースによると、「当時、漫画家の地位は低く、はらさんは『自分の正解率が低かったら、やっぱり漫画家はこんな程度だと思われてしまう』と新聞や雑誌で勉強を欠かさなかった」そうだ。「三択の女王」こと竹下景子さんもはらさんの答えをときどき盗み見していたというから笑ってしまう。
「テレビ放送が始まった頃のエピソード。撮影で雪が必要になったものの、冬とはいえスタジオ周辺にはありません。そこで悩んだディレクターは都内のある場所に出かけ、雪を調達したのですが、それはいったいどこでしょう?」
という問題がさっぱりわからなかった竹下さんは、はらさんが「上野」と書いたのを見て「上野動物園」と推測した。しかし、はらさんはその後に「駅」とつづけていた。もちろん正解は「上野駅」(北国から走ってきた夜行列車の屋根に積もった雪を調達)で、竹下さんは司会の大橋巨泉さんに「動物園でどうやって調達するんです?白クマのところから持ってくるとか考えたんでしょう」と突っ込まれ、カンニングは大失敗に終わったそうな。

「はらたいらさんに3000点!」というフレーズはあまりにも有名だが、竹下景子さんに賭けるときはなぜかどの参加者も「いつ見ても素敵な竹下さんに1000点」とか「息子の嫁に来てほしい竹下さんに1500点」とかいう具合にひと工夫していたっけ。巨泉さんの、
「ひとりを除いてみ〜んな同じ答え」
「倍率ドン!さらに倍!!」
も懐かしい。いま思えばずいぶん地味で、子どもが見て喜ぶような番組ではなかったのに不思議なものだ。


夫はテレビで川島なお美さんを見ると必ず、「あっ、お笑いマンガ道場……」とつぶやく。私の「はらたいら=クイズダービー」並みに強烈に「川島なお美=お笑いマンガ道場」という公式が刷り込まれているらしく、口走らずにはいられないみたいだ。
私はその番組を見たことがないので「フーン」てなものだが、『クイズダービー』を知らない人にとっては今日の日記がまさにそうだったろうな。
……とは思ったのだけれど、はらさんの訃報を聞いていかりや長介さんが亡くなったときと同じさみしさを感じたものだから、つい書いてしまった。
うちのサイトは読み手の年齢層が高めだから、今日の話についてきてくれた方もけっこういらした……と期待しよう。


2006年11月10日(金) 友達リストから外すとき

同僚の話である。
街でばったり懐かしい友人に会った。携帯のアドレスを交換して別れたら、その夜「近いうちにお茶しようよ」とメールが。彼女は喜んで誘いに応じ、後日旧友のA子さんと会った。
しかし、数年ぶりの再会は楽しいものではなかった。待ち合わせ場所で合流するなりA子さんが言った。
「悪いんだけど、一本だけ仕事の電話をかけたいから会社に寄ってもいいかな。すぐそこだから一緒に来てもらえる?」
同僚はビルの前で待っているつもりだったのだが、遠慮しないでとオフィス内の小部屋に通された。用事を片づけてくるねとA子さんが去り、部外者がこんなところまで入り込んでいいのかしら……と居心地の悪い思いをしていると、若い女性がお茶を運んできてくれた。
お客でもないのに悪いなあと恐縮していたら、彼女が名刺を差し出すではないか。どうして私に?とりあえず受け取ったもののきょとんとしていたら、「○○様はいまお肌のお手入れはどのようにされてますか?」と突然訊かれた。
「はっ?」
「こちらの美顔器はエステティックサロンでも使用されている高性能なものでございまして、ご家庭でも簡単にプロのエステと同様の効果を得られると私どもが自信を持ってお勧めする……」
女性はそう言いながらテーブルの上にパンフレットを広げ始めた。そこは美容器具を販売する会社だったのだ。

「あらいやだ、私のこと、お客さんだと思ってるんだわ」
この人は自分をお客と勘違いしてお茶を出し、商品説明を始めたのだろう。同僚はそう思った。
が、まもなくそうでないとわかった。戻ってきた友の顔を見てほっとした瞬間、A子さんが言ったのだ。
「それ、いいでしょう?分割にすれば月々の金額はスポーツクラブに通うくらいだよ。自己投資だと思えば安いものよね」

* * * * *

「こんなのってある?友達だと思ってたのに……」
同僚が悔しそうに言う。彼女にとってA子さんは「古い友人」だったが、A子さんにとって彼女は「ターゲット」だったのだ。
私にも同じ経験がある。
同僚と食事に行った帰り、「うちに寄って行かない?」と自宅に誘われた。じゃあお言葉に甘えて……とお邪魔したら、ソファに腰掛けるやいなや分厚い冊子を手渡された。見るからにお金持ちそうな人たちが別荘でくつろいだり着飾ってパーティーに出たりしている場面の写真がずらり。何者なのだろう?と思うまもなく、この人はお医者さんだとかこの夫婦は一年の半分を海外で過ごしているといったことを彼女が説明し始めた。
それは「ダイヤモンドDD」と呼ばれるアムウェイ・ビジネスの成功者たちのアルバムだったのだ。

もしかして私を勧誘するつもりなの……?
私の動揺に気づいているのかいないのか、彼女はおもむろにテーブルの上にアルミホイルを広げた。その上に二種類の歯みがき剤を少しずつひねり出し、
「左が市販の歯みがきで、右がアムの。で、これをね」
と言いながら、それぞれを指の腹で円を描くようにこすった。
「ねえ、見て。市販のはもともと真っ白だったのにグレーに色が変わったでしょう。でもほら、アムのほうはきれいな水色のまま」
このグレーはアルミホイルの色である、市販の歯みがき剤に配合されている研磨剤は汚れだけでなく歯の表面まで削り取ってしまうが、アムウェイの製品は粒子が細かいためそうならないのだと説明した。
そして、「伝えたいことがあるから近々時間をつくって」と言った。

その後は断っても断っても“不屈の精神”で口説いてくる。ふつうの会話をしていてもいつのまにかそちらの方向に話を持って行かれる。
私は困惑する以上に悲しくなった。彼女が私との関係を大切にしたいと思っているのなら、一度きっぱりと断った時点であきらめてくれたはず。鬱陶しいと思われてもかまわないと開き直っているかのように電話やメールが頻繁にくるのは、彼女にとって私は勧誘が失敗したときには失っても惜しくない存在だからであろう。
「今度ゆっくり遊びにおいでよ」
もうその言葉を無邪気に受け取ることはできない。なんのために?またデモンストレーションのようなことをするつもり?

ずいぶん前であるが、友人が片思いをしていた男性に勧誘され、やはりアムウェイを始めたことがある。動機が動機だけに周囲はそりゃあ心配したが、彼に近づきたい、好かれたい一心で一時はかなりのめり込んでいたらしい。大切な友人だったが、会社にまで電話がかかってくるようになり、さすがにしばらく距離を置こうと思った。
その後何年かして彼女は男性をあきらめ、活動もやめた。それで私たちの付き合いは元に戻ったのだけれど、その頃食い潰した人間関係のいくらかは修復できていないようだ。共通の友人たちは彼女の執拗な勧誘にどれほど迷惑したかをいまだに口にする。
「金儲けに私を利用しようとした」という思いは拭い去れず、表面上はこれまでと変わらぬ素振りで接しても“友達リスト”に復帰させる気にはなかなかならないのだろう。どれほど儲かるのか知らないが、その代償は決して小さくなさそうだ。

宗教とか生命保険の契約とか。友人知人から持ちかけられる話はいろいろあるが、電話やメールがくると「またあの話か?」とどきっとしてしまうほど切ないことはない。


2006年11月08日(水) ネタばらしの罪

映画を観に行った同僚が激怒している。内容がつまらなかったのね?と話を聞いたら、そうではなかった。
チケットを買うために並んでいたら、すぐ前にいた若い男性が『フラガール』のポスターを見て、「これ、おもしろいんかな?」と隣の恋人に話しかけた。すると彼女、「こないだ見たよ。むっちゃよかった、感動した!」と言ったかと思うと、どの場面でぐっときたか、誰のどんなセリフで泣いたかをペラペラ話し始めたのである。
同僚は悲鳴をあげそうになった。それはまさにこれから彼女が観ようとしている映画だったから。咳払いをしたり睨みつけたりしてみたが、カップルはまるで気づかない。列を離れようかとも思ったが、しかしいまから並び直したのでは次の回はあきらめなくてはならない……。
女性の解説は延々つづいた。結局、同僚は聞いてしまったストーリーの答え合わせをするように観ることになってしまったそうだ。

私がその場に居合わせたら、「やめてください」と言っていたと思う。悪気はなくてもこういう鈍感さは許せない。
家で日曜洋画劇場なんかを観ながら私が興奮したり感動したりしていると、横から夫が「でもこの人、最後は死んじゃうんだよ」とか「犯人は誰それだよ」とか言うことがあり、そのたび私は怒り狂う。だから彼女の腹立ちと無念は痛いほどわかった。

しかし、私がさらに嫌いなのがスポーツの試合の結果をテレビで見る前に知らされることである。
映画は事前にあらすじを知ってしまっても俳優の演技や衣装、音楽を確かめるという楽しみは残る。が、スポーツ鑑賞の醍醐味はなんといっても「応援」だ。録画放送であってもリアルタイムで見ているつもりで声援を送る、手に汗握る。選手がどんなプレイをするかにも興味はあるが、勝敗を聞いてしまったら見る気が失せるくらいテンションががた落ちするのだ。
先日アメリカで行われたフィギュアスケートのグランプリシリーズ。これを夜のテレビで観るのを私は一日楽しみにしていたのだが、不注意から放送前に結果を知ることになってしまい、本当に悔しかった。
こういうときはいつも私は招かざる情報に出くわさぬようテレビ観戦を終えるまでできるだけパソコンには近づかないようにするのだが、その日はうっかりしていた。メールのチェックをしようとYahoo! JAPANにアクセスしたところ、放送の何時間も前なのにもうトピックスの欄に「スケートアメリカ、安藤美姫優勝」と出ていたのだ。

「地団駄踏みたくなければ、放送終了までネットはしないが吉」
これをあらためて思う出来事がつい数日前にもあった。
いま日本でバレーボールの世界選手権「2006世界バレー」が開催されているのであるが、先週末の日韓戦はそりゃあおもしろかった。二次ラウンドに進めるかどうかがかかった試合で、しかも韓国は宿命のライバルである。序盤からの激しい攻防、第一セットは日本が先取したが第二セットは奪い返され……と観ている者の胃がきしむような熱戦だった。
さて気迫で粘り勝ちした直後、私はmixiを開いた。「全日本女子バレーを応援しよう!」というコミュニティに参加しており、韓国戦関連のトピックがさぞかし盛り上がっているだろうと思ったのだ。
そうしたら。掲示板は別の意味で熱くなっていた。
「ワンジョウがブロック止められたー!」
「シンさん、凄いぞ!!二段をよく決めたっ」
「連続ポイントだああ〜〜〜〜(≧∇≦)!!」
と試合開始から掲示板は実況中継状態。こんなふうにバレー好きの人たちとオンラインでつながりながら応援するのも楽しいかもね、と思いながら読み進めたところ……。第二セット、韓国にリードされて悲痛なコメントが連なっているところに突然、「この試合、勝ちましたよ」という書き込みが。
参加者のひとりが、どこかで拾ってきた「日本が韓国を下して二次ラウンド進出を決めた」という新着ネットニュースの文面を貼りつけていたのだ。

その後の展開は言うまでもない。
「みんなが応援してるってわかってて、どうしてそんなこと書くんですか」
「途中で結果を言うなんて最低です。興奮を返してください!」
しかし、書き込んだ男性は謝るどころか怒りだした。
「非難されるようなことだとは思ってません。なんでこっちが悪者になるんだ、親切心で結果報告してるのに」
「結果を知りたくないなら、テレビだけ見てりゃいいでしょうが。録画放送だと知っててノコノコ公の掲示板に顔出しておいて、ネタばれされないことが当然の権利だと思わないでください」

たとえば、電車の中で近くにいた人が「今日のバレー、日本が勝ったんだってね」と話し始めた……という不運はあきらめるしかない。「あんた、なんで結果をばらすんだ!家に帰ってテレビを楽しみにしてる人間もいるのに」と責めることはできない。
けれども、該当のトピックは“テレビを見ながらみんなと韓国戦を応援したい人たち”が集まる場所だった。それナイスレシーブだ、サーブミスだと一喜一憂しているところに「その試合、勝ったんですよ。それ、録画ですから」はあんまりだ。
「結果を書いてはいけないとは知りませんでした」なんて、ここまで空気を読めない……というか、人の気持ちがわからない人もめずらしい。

しかしもうひとつ難を挙げるなら、試合中にその心無い書き込みを目にしてしまった人たちは放送終了までは怒りを堪え、騒ぎ立てるべきではなかった。すぐさま抗議のコメントを投稿することでトピックは上げられつづけ、自分たちと同じ“被害者”を増やすという結果を招いてしまったのだから。


想像力をほんのちょっと働かせれば、いまここで自分があらすじや勝敗を披露したら、これからその作品や試合を観ようとしている人たちにどれほどのダメージを与えるかわかるはず。誰も知らない情報をいち早く手に入れたとき、人に話して驚かせたくなる気持ちはわかるが、その衝動を抑えられないのは幼稚である。
公開中の映画、後にテレビ放送を控えたスポーツの試合、出版されたばかりの小説などについて日記に書くときは、冒頭に「ネタばれあり」の注意書きが必要だ。うっかり加害者にならぬよう私も気をつけなくては。


2006年11月06日(月) 模範の人生(後編)

※ 前編はこちら

うちには子どもがいない。人の親になる覚悟が私にはまだないので、つくっていない。
私にとってはこれだけの話なのだが、世間的には結婚して七年目の夫婦であれば子どものひとりふたりいるのが“ふつう”なので、「なにか深刻な事情があるのでは……」と思いたがる人がときどきいる。

私は何事についても「私は私、他人は他人」なほうだし、なにより現在の状況は自らの選択の結果なので、そのことに気後れのようなものはもちろんない。
だから、人から子どもの有無を訊かれることに抵抗はない。未婚か既婚か、子どもがいるのかいないのかというのはその人の生活を決定づける要素であるから、相手が初対面やそれに近い関係の場合、そこが判明すると会話の幅が一気に広がる。知り合ったばかりの人にどうしてそんなプライベートなことを話さなくちゃならないのとむっとする人もいるだろうが、私にとっては「ご実家はどちらで?」という質問と変わらない。
しかしながら、子どもはいないと知っている人から「どうしてつくらないの?」「ほしくないの?」などと訊かれると、ひっかかりを感じることがある。
「この人にとってそれはそんなに興味を惹かれることなのかしら」
という素朴な疑問が湧いてくるのだ。

私が結婚退職するまで同じ会社で働いていた仲良しの先輩がいる。いまでもよく食事をしたり旅行に行ったりするのだけれど、どういうわけか彼女は私に会うたびに「で、子どものほうはそろそろ?」と言うのである。
付き合いも長いし、結婚式にも出席してもらったくらい親しい間柄なのだが、どういう意図で毎回それを尋ねてくるのかについてはまったくわからない。もし私が子どもがほしいのにできなくて悩んでいたらどうするのだろう?といつも思う。
彼女は決して常識のない人ではない。たばこを吸うときは私に煙がかからないようにしてくれるし、年上には甘えなさいとごちそうしてくれることもある。仕事もできる、いい先輩だ。だからなおのこと不思議なのである。
友人にこの話をすると、「その人、独身なんやろ?小町ちゃんに子どもができたらいまみたいに遊べなくなるとか、取り残されたくないとかいう気持ちから探りを入れてくるんよ」と言う。
そんな、ばかばかしい!と思う。思うけれども、最近届いたメールにその一文を見つけたときは「そんなこと訊いてどうするんです?」と尋ねてみたくなった。

しかしまあ、こんなのはストレスというほどのものではない。耐えがたいほど不愉快なのであれば「そういうことは言わないで」と言えばいいし、そこまででないならその都度「ま、そのうちにね」と流せばいいだけの話である。
精神的にきついのは、「あなたにとやかく言われる筋合いはない」とは言えない相手からのプレッシャーだ。

* * * * *

年上の友人は新婚当初から周囲からの「子どもはまだか?」攻撃に悩まされている。
とくに義母は毎月電話をかけてきて、どう?と訊く。子どもはもう少し先でいいと思っているなどと答えようものなら、「あなた、そんな悠長なこと言っていられるような年じゃないでしょっ」「じゃあいつまで待てばいいの!?」と受話器からつばが飛んできそうな勢いで返ってくる。
「あなたたち、ちゃんとすることしてるんでしょうね?」と言われたときはそのデリカシーのなさに怒り狂い、しばらく電話に出なかった。そうしたら、次に顔を合わせたときに「私、このあいだ四国八十八箇所巡りしてきたの。子どものこと、お願いしてきましたからね」と言われたそうだ。

私の義父母はもちろんこんな無神経な人ではない。しかしそれでも私の帰省の足は年々重くなっている。
今年の正月、夫の実家で一年ぶりに顔を合わせた義弟の奥さんに突然言われた。
「小町さんとこ、大丈夫なの?」
大丈夫、ってなにが?質問の意味がわからず訊き返したら、「結婚してけっこうたつのに子どもまだでしょう。できないってわけじゃないんだよねえ?」。
それは心配なのか、それとも好奇心なのか。
隣人や同僚といった人たちにどう解釈されようと実害はないのでかまわない。けれども身内にあれこれ思われるのはあまり心地のよいことではない。

いや、その言葉が義父母からのものであったなら、私は憂鬱な気分になりつつも納得しただろう。
孫の顔が見たいというだけでなく、家や墓を継ぐ人間が必要という意味でも子どもを望まれているのだということは長男と結婚した者として理解している。子どもを持つ、持たないは表向きは夫婦の問題とされているが、しかし実質的には決して夫婦だけの問題ではない。いつまでたってもオメデタ報告がなく、ほしがっている素振りも見えないとあらば、どうするつもりなのかと気をもむのは親としては無理もない。
だから私は「大きなお世話です」「そんなの私の勝手でしょう」と開き直ることはできないし、少々のプレッシャーをかけられたとしてもしかたがないとも思っている。

しかし正直、「子ども」がこれほど重圧になるとは予想していなかった。
義妹は昨年出産、義弟の奥さんは現在三人目を妊娠中。残るはうちだけ、しかも夫はほしがっている……という状況は、私にとってかなりヘビーなものがある。
私とて、いずれは、とは思っている。一生子どもは持たないと決めたわけでもなんでもない。しかし、「じゃあその気になるまでのんびりしていようっと」とはいかないから悩むところなのだ。
「さあと思ってもすぐにできるとは限らないよ」
「三十五を越すとリスクが高くなるっていうし」
「年とってからの育児はしんどいよ」
飽きるほど聞かされてきたこれらの忠告が正しいことはわかっている。それでもいますぐどうこうと思えないから、葛藤しているのである。


聞けば、ひとり生んでもその呪縛から逃れることはできないらしい。今度は「ひとりっ子はかわいそうよ」「次は男の子ね」と言われるそうだ。
「結婚はまだ?」
「子どもはまだ?」
「ふたり目はまだ?」
年頃を過ぎても結婚していない人、結婚しているのに子どもがいない、あるいはひとりしかいない夫婦が不思議でたまらない、気になってしかたがないという人が世の中には少なくないみたい。

……でもね。
世間の「標準」が模範の生き方、でもないだろうと私は思っているんです。


2006年11月03日(金) 模範の人生(前編)

先日友人に会ったら、「週末、法事で実家に帰らなくちゃ……」と浮かない顔。
遠方なのに一泊で戻ってくるというので、三連休なんだからゆっくりしてくればいいじゃないと言ったところ、「実家に長居したくない」と首を振る。
「結婚のこと、ああだこうだ言われるのはもうたくさん」

彼女の郷里がとても田舎で、そこに暮らす人たちの価値観が恐ろしく古いのだという話は以前にも聞いたことがあった。飲み会の席で、恋人を親に会わせるタイミングは?という話題で盛り上がったとき、彼女は「その相手と結婚すると決めるまでありえない」と言った。
「うちの親を含め実家のほうの人たちは、娘が男を連れてくるイコール結婚相手って目で見るから、彼氏ができたからちょっと紹介しておこう程度の気持ちで会わせてもしその後別の人と結婚しようものなら、あそこの娘はふしだらだとか言われてしまうんよ」

私たちは「いったいいつの時代の話よ!?」とのけぞったが、彼女によると、そういう土地柄なので男も女も結婚が早い。高校卒業と同時に関西に出てきて、現在も大阪で仕事をしている彼女は独身であるが、三十四にもなって未婚というのは郷里では「結婚できない理由がなにかある」とみなされ、肩身が狭いどころの話ではないらしい。
彼女の母親は知り合いから「お嬢さん、病気なの?」と訊かれたことがあるという。そういう世間の目が堪えるのか、娘の顔を見ると「戻ってきてもいいから、とにかく一度は嫁に行って」と懇願する。それに嫌気が差し、彼女はいまでは仕事を理由にどうしてもの用があるときにしか帰省しなくなってしまった。

ここまですさまじいのは特別だとしても、結婚しろ、しろとあまりにうるさく言われるため、実家や親戚の集まりに顔を出すのが苦痛だとこぼす女性はほかにも私の周囲に何人もいる。
このあいだ内館牧子さんのエッセイを読んでいたら、OL時代、上司や同僚男性から「まだ結婚しないの?」と言われつづけ、悔し涙にかきくれたという話があったが、この頃はそういう発言はセクハラであると知られるようになったので、未婚の女性が職場で露骨にからかわれることは少なくなっただろう。しかし身内や親しい関係の人からそういうことを言われ、気に病んでしまう状況は変わらないみたいだ。

私は二十八で結婚したので、いまでも苦々しく思い出す……というほど誰かの言葉にうんざりしたり、悩まされたりしたことはない。けれども、彼女たちの「私のことはほうっておいてよ!」という叫びはものすごくよくわかる。
というのは私もいま、「結婚はまだ?」と同じ種類のプレッシャーの渦の中にいるから。
そう、「子どもはまだ?」というやつだ。 (つづく


2006年11月01日(水) 違います、違います

先週の金曜、仕事から帰宅してパソコンを立ち上げた私は思わずきゃー!と声をあげてしまった。
今日はいやにメールが多いなあと思いながら開いていったら、あれにもこれにも「もしかして小町さん、オメデタですか?」と書かれてあったからである。
その日の朝更新したのは、「とれない責任(前編)」。「小町さん、どうして突然こんな話を?……ややっ!」となったみたい。けれどもこちらはそれが読み手にそんな想像をさせるとは露ほども思っていなかったため、イスから転げ落ちるくらい驚いた。
次の更新は週明けであるが、いますぐつづきをアップして「後編でオメデタ報告があるのでは……」と思っている人たちの早合点をなんとかしたい気分になった。

そういえば前にもこんなことがあったなと思い出したのは、六年前、結婚するのでと会社に退職を申し出たときのこと。噂はすぐに広がり、会う人ごとにおめでとうを言われたのであるが、そのとき少なからぬ人が「小町さん、できちゃったんだって?」と付け加えるので慌ててしまった。
「違いますよ!」とそのたび否定しながら、どうしたらそんなふうに話がねじ曲がるのかと閉口していたところ、営業部の同期から「部長が『企画の小町くん、オメデタだそうだ』とみんなの前で言っていた」という証言を入手。
なぬー、はた迷惑な勘違いをしてくれてえ!営業部は私の古巣だ。早々にクレームをつけに行かねば……と思っていたら、バンバンと背中を叩かれた。振り返ると、件の部長が立っている。
「おい聞いたぞ、オメデタやって?いつなんや」
「いつや、じゃないですよ!私、オメデタなんかじゃありませんっ」
「え?わしは九月末で結婚退職って聞いとるぞ」
「結婚と退職はしますけど、妊娠はしてません!部長が変なこと言うから、みんなにできちゃった結婚だと思われて困ってるんですよ」
「わしはそんなことは言ってない、ただ“オメデタ”って言っただけや」
「ですから、私はオメデタじゃないんですってば……」

どうも話が噛み合わないと思ったら。
部長の世代(六十過ぎ)の人はめでたい事柄にはなんでも「オメデタ」という言葉を使うのだとわかってびっくり。部長は「小町くんが結婚するそうだ」という意味で「小町くんがオメデタだ」と言ったのである。
しかし、多くの人はそう聞けば「妊娠」と解釈する。これにはまいった。
あのときは「結婚するんだって?」と誰かに言われるたび、この人も誤解しているのでは……が頭をよぎり、訊かれてもいないのに「何年かは夫婦水入らずでのんびりしようと思ってまして、ええ」なんてアピールしたっけ。

おっと、話がそれてしまいましたが、そんなわけで今日は声を大にして「オメデタではありません」報告でした。