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2006年11月06日(月) 模範の人生(後編)

※ 前編はこちら

うちには子どもがいない。人の親になる覚悟が私にはまだないので、つくっていない。
私にとってはこれだけの話なのだが、世間的には結婚して七年目の夫婦であれば子どものひとりふたりいるのが“ふつう”なので、「なにか深刻な事情があるのでは……」と思いたがる人がときどきいる。

私は何事についても「私は私、他人は他人」なほうだし、なにより現在の状況は自らの選択の結果なので、そのことに気後れのようなものはもちろんない。
だから、人から子どもの有無を訊かれることに抵抗はない。未婚か既婚か、子どもがいるのかいないのかというのはその人の生活を決定づける要素であるから、相手が初対面やそれに近い関係の場合、そこが判明すると会話の幅が一気に広がる。知り合ったばかりの人にどうしてそんなプライベートなことを話さなくちゃならないのとむっとする人もいるだろうが、私にとっては「ご実家はどちらで?」という質問と変わらない。
しかしながら、子どもはいないと知っている人から「どうしてつくらないの?」「ほしくないの?」などと訊かれると、ひっかかりを感じることがある。
「この人にとってそれはそんなに興味を惹かれることなのかしら」
という素朴な疑問が湧いてくるのだ。

私が結婚退職するまで同じ会社で働いていた仲良しの先輩がいる。いまでもよく食事をしたり旅行に行ったりするのだけれど、どういうわけか彼女は私に会うたびに「で、子どものほうはそろそろ?」と言うのである。
付き合いも長いし、結婚式にも出席してもらったくらい親しい間柄なのだが、どういう意図で毎回それを尋ねてくるのかについてはまったくわからない。もし私が子どもがほしいのにできなくて悩んでいたらどうするのだろう?といつも思う。
彼女は決して常識のない人ではない。たばこを吸うときは私に煙がかからないようにしてくれるし、年上には甘えなさいとごちそうしてくれることもある。仕事もできる、いい先輩だ。だからなおのこと不思議なのである。
友人にこの話をすると、「その人、独身なんやろ?小町ちゃんに子どもができたらいまみたいに遊べなくなるとか、取り残されたくないとかいう気持ちから探りを入れてくるんよ」と言う。
そんな、ばかばかしい!と思う。思うけれども、最近届いたメールにその一文を見つけたときは「そんなこと訊いてどうするんです?」と尋ねてみたくなった。

しかしまあ、こんなのはストレスというほどのものではない。耐えがたいほど不愉快なのであれば「そういうことは言わないで」と言えばいいし、そこまででないならその都度「ま、そのうちにね」と流せばいいだけの話である。
精神的にきついのは、「あなたにとやかく言われる筋合いはない」とは言えない相手からのプレッシャーだ。

* * * * *

年上の友人は新婚当初から周囲からの「子どもはまだか?」攻撃に悩まされている。
とくに義母は毎月電話をかけてきて、どう?と訊く。子どもはもう少し先でいいと思っているなどと答えようものなら、「あなた、そんな悠長なこと言っていられるような年じゃないでしょっ」「じゃあいつまで待てばいいの!?」と受話器からつばが飛んできそうな勢いで返ってくる。
「あなたたち、ちゃんとすることしてるんでしょうね?」と言われたときはそのデリカシーのなさに怒り狂い、しばらく電話に出なかった。そうしたら、次に顔を合わせたときに「私、このあいだ四国八十八箇所巡りしてきたの。子どものこと、お願いしてきましたからね」と言われたそうだ。

私の義父母はもちろんこんな無神経な人ではない。しかしそれでも私の帰省の足は年々重くなっている。
今年の正月、夫の実家で一年ぶりに顔を合わせた義弟の奥さんに突然言われた。
「小町さんとこ、大丈夫なの?」
大丈夫、ってなにが?質問の意味がわからず訊き返したら、「結婚してけっこうたつのに子どもまだでしょう。できないってわけじゃないんだよねえ?」。
それは心配なのか、それとも好奇心なのか。
隣人や同僚といった人たちにどう解釈されようと実害はないのでかまわない。けれども身内にあれこれ思われるのはあまり心地のよいことではない。

いや、その言葉が義父母からのものであったなら、私は憂鬱な気分になりつつも納得しただろう。
孫の顔が見たいというだけでなく、家や墓を継ぐ人間が必要という意味でも子どもを望まれているのだということは長男と結婚した者として理解している。子どもを持つ、持たないは表向きは夫婦の問題とされているが、しかし実質的には決して夫婦だけの問題ではない。いつまでたってもオメデタ報告がなく、ほしがっている素振りも見えないとあらば、どうするつもりなのかと気をもむのは親としては無理もない。
だから私は「大きなお世話です」「そんなの私の勝手でしょう」と開き直ることはできないし、少々のプレッシャーをかけられたとしてもしかたがないとも思っている。

しかし正直、「子ども」がこれほど重圧になるとは予想していなかった。
義妹は昨年出産、義弟の奥さんは現在三人目を妊娠中。残るはうちだけ、しかも夫はほしがっている……という状況は、私にとってかなりヘビーなものがある。
私とて、いずれは、とは思っている。一生子どもは持たないと決めたわけでもなんでもない。しかし、「じゃあその気になるまでのんびりしていようっと」とはいかないから悩むところなのだ。
「さあと思ってもすぐにできるとは限らないよ」
「三十五を越すとリスクが高くなるっていうし」
「年とってからの育児はしんどいよ」
飽きるほど聞かされてきたこれらの忠告が正しいことはわかっている。それでもいますぐどうこうと思えないから、葛藤しているのである。


聞けば、ひとり生んでもその呪縛から逃れることはできないらしい。今度は「ひとりっ子はかわいそうよ」「次は男の子ね」と言われるそうだ。
「結婚はまだ?」
「子どもはまだ?」
「ふたり目はまだ?」
年頃を過ぎても結婚していない人、結婚しているのに子どもがいない、あるいはひとりしかいない夫婦が不思議でたまらない、気になってしかたがないという人が世の中には少なくないみたい。

……でもね。
世間の「標準」が模範の生き方、でもないだろうと私は思っているんです。