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2006年10月30日(月) とれない責任(後編)

前編から読んでね。

どうして突然あんな話をしたかというと、昼休みに同僚と『14才の母』について話したからである。
「ああいうドラマはほんっっとに不愉快!」
と彼女が息巻く。
「結局、タイトル通り生むことになるんだろうけど、十四才になにができるのかって訊きたい。妊娠検査薬を買うお金もなくて万引きで手に入れるような子がどうして子どもを育てられるわけ?愛とか命とかいう言葉で中学生が子どもを生むなんていうとんでもないことが美化されるのは我慢できない」
やけに感情的になるなあと思ったら、彼女には中学三年生の娘がおり、毎週かじりつくようにして見ているのが気になっているらしい。

私はそのドラマを先週初めて見た。テレビをつけたら制服姿の女の子が彼に妊娠を告げる場面だったので、「ああ、これが彼女が言ってたあれか」と思い、見てみたのである。そうしたら、同僚が「生んでめでたしめでたし、って話にするのはぜったいやめてほしい」と言っていた意味がよくわかった。
中学生が妊娠しても頑張れば幸せなママになれるんだ、なんて幻想を抱かせる結末にはしてくれるなと彼女は言いたかったのだ。
しかし事前にその言葉を聞いていなかったとしても、やはり私はそれを見ながら、予想される今後の展開にううむと考え込んでしまっていただろう。
産婦人科医が主人公の女の子にこんな話をする場面があった。
「どうして十六才にならないと結婚できないか知ってる?医学が発達した現代でも、あなたのような年齢で出産することは命の危険を伴うからなのよ」
私はそのくらいの年齢にならないと精神的に未熟で結婚どころではないからだとばかり思っていたので、そういう事情もあったのかと驚いた。
学校をやめなきゃならないとか、生活費はどうするのかとか。そういった問題ももちろんあるが、ローティーンでの出産は命がけのものになるという事実があるのであれば、見ている者が「生む選択をすることが自分の行動に責任をとること」であると解釈してしまうようなストーリーにするのはまずい。

かつて、『3年B組金八先生』で杉田かおるさん演じる浅井雪乃が同じクラスの男子生徒の子どもを妊娠、“十五才の母”になった。金八が奮闘し、クラスメイトやその父兄、教師たちが若いふたりを祝福し、支えていくというハッピーエンドであったが、今回もこの三十年近く前のドラマと同じ展開になるのだろうか。
だとしたら、初体験の低年齢化が進み、「援助交際」という言葉もすっかり浸透、どこにでもいる普通の中高生の身に主人公と同じことが起こってもちっとも不思議でないこの時代に制作者が「中学生が妊娠する」というショッキングなテーマを取り上げた意味はいったいどこにあるのだろう。

女の子は十四才、相手も中学生という状況においては、「生む」を選んだから命を大切にしている、「生まない」を選んだから大切にしていない、とすることはできない。
「赤ちゃんに罪はないから」とその後の算段も立てられぬまま見切り発車で生むことが、「好きな人の子どもだから」とまだ十数年しか生きていない子が最悪の事態も覚悟して出産を決意することが、命を尊ぶ行為であろうか。それは勇気ではなく、無謀というのではないか。
「宿った命」「かけがえのない命」を主人公はしばしば口にする。しかし、命の重さというものを本当の意味で理解していないのは出産に反対する親たちではなく、主人公のほうなのだ。

私たちは小さい頃から「自分の行動に責任を持て」と言われて育つ。しかしときに、責任をとりたくてもとれないほど大変な過ちを犯してしまうことがある。十四才にとっての責任をとろうにもとれない事態のひとつが、「妊娠」なのだ。
「もし私が未希ちゃんと同じ立場になったら、やっぱり生むと思います。命を奪うなんてぜったいいけないと思うから。未希ちゃんガンバレ!」
『14才の母』の公式サイトの掲示板には、十代の女の子のこんなメッセージが目立つ。しかし、同僚はしみじみと言う。
「うちの娘は主人公よりひとつ上だけど、携帯ばっかりいじってて、楽しいことしか考えてなくて、自分の弁当ひとつ作ったことがないような子よ。そんな子が妊娠したからって親になんてなれるわけがないでしょう。いまの娘が子どもを育てたらどんな子になるのかって考えたら……恐ろしいわ。それは弟や妹の面倒を見るのとはもうぜんぜん次元が違うことなんだから」

後先考えず避妊もしないでセックスをした、その時点ですでに「命の軽視」が始まっていたこと。妊娠という事態の責任は「十四才」にはとりようがないこと。その結果、かけがえのない命が失われてしまうこと。
命の尊さを説くとは、「自身の人生も背負えないうちは母になる資格も権利もないのだ」ということを若い人たちに伝えることではないだろうか。
“十五才の母”のようなきわめてレアな恵まれたケース(夢物語)に仕立て上げるのではなく、その過ちの罪深さとその年で人生を固めてしまうことの重大さを考えさせる内容のドラマにしてもらいたいと思う。


2006年10月27日(金) とれない責任(前編)

私は六年前、二十八で結婚した。それと同時にいろいろなものを得たが、そのひとつに「もう子どもができてもかまわないんだな」という安堵感があった。
初めて男の人と付き合った十八の年から結婚するまでの約十年間、「妊娠してしまったらどうしよう」は私にとって絶えず心の隅にあって消えることのない不安だった。

しかし、それは妊娠する側である私だけのものではなかった。
雑誌では「彼が避妊してくれない」という悩みや愚痴を見かけることがあるけれど、私が付き合った男性にそういう人はひとりもいなかった。感度がどうの、ムードがどうのと言って彼らがコンドームをつけるのを渋ったことはない。避妊せずには怖くてできないという私のことを理解してくれていたというのもあるだろうが、彼らも万が一を恐れていたのだと思う。
私の初めての相手はいつもコンドームを二枚重ねにして使っていた。ずっと後になって、そうすると摩擦で破れやすくなりかえって危険なのだということを知ってぞっとしたのだが、当時は彼の「こうすればまず大丈夫だろ」を心強く聞いていた。
その後付き合った人たちもちゃんとコンドームを用意してくれたし、それでも今日は危険日だから気乗りしないと私が言えば、「つければ平気だよ」なんて言って無理強いすることは決してなかった。

そんなふうに避妊には人一倍神経を遣っているつもりの私であったが、過去に一度、「妊娠してしまったかもしれない」と戦慄したことがある。
大学生のときのことだ。くるべきものがこない。
「まさか、そんなはずは……」
しかしピルを飲んでいるわけではないから、ぜったいにないとは言えない。もしそうだったら、この先の人生はどうなってしまうのか……。私は恐怖におののいた。
希望の会社に就職が決まり、来春には社会人になることになっている。大学まで出してもらったのだから、少なくとも三、四年は仕事がしたい。が、もし生むとしたらそれは望むべくもない。
……いや、生むという選択肢は実質、なかったに等しい。
私がなによりも避けたいと思ったのは「子どもができたから、じゃあ結婚」となることだった。彼のことは大好きだ。彼もきっと同じ気持ちでいてくれるだろう。しかし、いまどんなに愛し合っていても自分たちはあまりに若く、互いに互いが一生連れ添う相手であると確信を持って判断することは現時点では不可能だということもわかっていた。いずれは彼と……と夢見てはいたが、子どもができたことでそれを前倒しにすることは考えられなかった。
そんな、妻になる勇気が持てない人間に親になる覚悟ができるはずがあろうか。

というようなことを一週間、ひとりで考えつづけた。彼にはそれが決定的になったら伝えようと思っていたから、まだ話していなかったのだ。
しかし、「今月、遅れてない?」と言われたとき、張りつめていた糸がぷつんと切れた。泣きじゃくる私に「あほやなあ、もっとはよ話さんかい」と彼は言った。
「だってそうかどうかもわからんのに早々と話して、無駄に心配させたってしゃあないやんかあ……うわーん」
「なに言うとんねん、これはふたりの問題やろ」

その数日後、妊娠ではなく遅れていただけだったと判明するのであるが、私はあの二週間に思い知らされた。二十歳を過ぎていても自分は精神的にも社会的にも話にならないほど子どもなのだ、と。

* * * * *

どうして突然こんな話をしたかというと、……とつづけたら長くなってしまったので、それは次回


2006年10月25日(水) 仲直り

前回の「賞味期限、気にするor気にしない」の終わりに、「期限切れの玉子、どのくらいまで食べていますか」と書いたところ、「一ヶ月」という方がけっこういらした。私なんてやっぱりヒヨッコだったのね。
実際、冷蔵庫で保管していればそのくらいは品質的に問題はないようだ。調べてみたら、パックに記載されている日付は「生食できる期限」であり、火を通すのであればひと月以上食べられるということだった。
ニューヨーク在住の方からいただいた情報によると、かの地で売っている玉子の賞味期間はさらに長くて二ヶ月近くあるそう。三日前に買った玉子には「13/12/2006」と書かれているとのことである。

さて、メールを読んでいると女性より男性のほうが賞味期限に敏感であるという説は当たっているようだったが(女性で期限を気にするという方はゼロだった)、一番のチャレンジャーだと思ったのは「冷蔵庫のポケットから取り出そうと殻を掴んだとたん、グシュッと潰れた」という男性。
「そういえばここ半年、玉子を買った覚えがなかった」
そうで……。
男性の中にもツワモノがいらっしゃる。


それでは今日のお話。
一昨日、毎日新聞の記事で「夫婦げんか」についてのアンケートの結果を読んだ。第一生命経済研究所が三十代から六十代の既婚男女八百人を対象に行った調査によると、「先に怒るのは妻、先に謝るのは夫」というのが現代の夫婦げんかでもっとも多いパターンなのだそう。
また、けんかの頻度がもっとも高いのは三十代で、若い世代ほど女性優位の傾向が強く見られるということだ。

ふむふむと読む。夫婦げんかはうちもしょっちゅうしているが、なるほど、先に怒るのは私である。決して気短ではないのに、どういうわけか私がカチンときて火蓋が切って落とされる……ということが多い。
しかしながら、「謝る」については調査結果通りではない。先に折れるのはたいてい私。私も強情だが夫はそれに輪をかけてなので、こちらが意地を通したら一週間でも二週間でも口をきかないという事態になってしまうのだ。

先日、毎日新聞の投書欄で五十代の主婦が書いたこんな文章を読んだ。
夜の六時にパートから帰宅、ちょっと一服していると、五時に会社を出た夫が帰ってきた。第一声が「まだ夕食の支度をしていないのか」。「私だっていま帰ってきたばかりなのよ」と答えながら準備にとりかかろうとしたそのとき、「おまえは料理が下手だからな」と夫。あんまり腹が立ったので、「だったら離婚して、料理のうまい人と再婚すればいいでしょ」と夕食づくりを放棄した------という内容だ。
この「食事づくりの放棄」は、夫婦げんかの際にしばしば見られる妻側の攻撃手段のひとつのようだ。「夫とけんかをして、昨日夕食をつくらなかった」という話を友人から何度か聞いたことがある。
そんなとき、いつも私は「気持ちはわかるけど、相手を困らせることで勝とうとするのはよくないよ」と言う。言うのであるが……かく言う私も実は結婚生活六年のあいだに二度、それをしたことがある。
もっとも、私の場合はインスタントラーメンもつくれない夫を飢えさせてやろうと思ってのことではなく、「私は家政婦じゃないわよ!」という気持ちが爆発してのことだったので、反撃というより“ストライキ”だったのだけれど。

しかしいずれにせよ、それを放棄するというのは賢い策ではない。家に食事がなければ外で食べればいいし、ホカ弁という手もある。「俺が悪かった、だから飯つくってくれえ」と泣きついてくるなんてことはありえず(それを狙うなら、ワイシャツのアイロンがけをやめるほうがまだ有効だろう)、事態はこじれるばかりである。
どちらかが「なんで私が……」という気持ちをぐっと抑えて歩み寄らなくてはいつまでたっても仲直りはできない。だから、私は「心が広いほうが先に謝るんだ、そうだ、私のほうが大人なんだ」と自分に言い聞かせ、「そろそろいい加減にしない?」と言いに行く。
すると夫もいつになくしおらしく、ああ、振り上げたこぶしを下ろすタイミングをなくしていたんだなあということがわかるので、私の怒りも(なんとか)おさまるのである。

知り合いの話である。奥さんとけんかをし、「顔も見たくない、出て行け!」「おう、出て行くわい!」という展開になり車の中で寝ていたら、深夜、コンコンと窓を叩く音で目が覚めた。
見ると奥さんが立っている。「言いすぎたと謝りに来たんだな」と思いながら彼が窓を開けたところ……ばさっと毛布が投げ込まれたそうだ。
「で、どうしたんですか」
「それがな、『風邪引くから家入んなよ』とか言われるものとばかり思ってたからびっくりしてさあ。ほんまに俺をここで寝かせる気かい!って思ったら、つい謝ってもうた」
俺って情けねえと彼は嘆いていたけれど、そんなことはない。
奥さんはかなりの意地っぱりなのではないかなあ。そんなところで朝まで寝かせられないと思いながらも素直にそう言うことができない。それで、「毛布を差し入れる」という口実をつくって車まで行ったのだ、きっと。
「だから、あなたが無言で受け取ってそれでおしまい、にしなくて奥さんはほっとしたと思いますよ」
と言ったら、彼は「いやいや、うちの嫁さんにかぎって……」と首を振っていたけれど、本当に冷酷非情な奥さんならわざわざ毛布を持って行ったりはしない。
こういうわかりづらい「仲直りをしよう」のサインもあるのだ。

ちなみに、うちではけんかのルールとしてこれは守ろうと決めていることがひとつある。どんなに頭にきていても同じ布団で寝るということだ。
過去には私か夫が客間で寝るということが数回あったが、これをやると食事をつくらないこと以上に雰囲気が悪くなってしまう。それじゃあいけないと話し合い、ここ数年は一緒ではイライラして眠れそうになくても「そうだ、寝返りを打つふりして蹴っ飛ばしてやろー」と思い直して、とにかく寝室で寝ることにしている。

さて、さきほど紹介した投書の主も仲直りの方法というか夫婦安泰のコツについて書いているのであるが、オチがなかなかおもしろいのでぜひ読んでみてください(こちら)。


2006年10月23日(月) “賞味しちゃう”期限

阿川佐和子さんのエッセイに、「食品の賞味期限なんて守らないよ」と仕事仲間に話したら十人中九人に絶句された、という話があった。
最近の人は賞味期限に神経質すぎる。弟も期限を一日過ぎただけでさっさと捨ててしまうが、なんてもったいない。色や匂いが変でなく、ちょっと舐めてみて苦いとか酸っぱいとかがなければ、まず問題ないんだから------というのが阿川さんの言い分である。

阿川さんのエッセイを読んでいると、エ!と驚かされることがしばしばある。過去、
「ブラジャーを取り替えるのは三週間に一度。パンティじゃあるまいし、そんなに頻繁に替える必要があるだろうか」
にはギャーとのけぞり、
「炒め物の皿に残った汁を白いごはんにかけて食べるのが好きだが、店員さんにはあきれた目で見られる」
にはそりゃそうでしょうと頷いた。私の“常識”とはかなり違うなあと感じる部分が少なくないのだ。
しかしながら、この「賞味期限を気にしない」については私も同じ感覚である。傷んでいるかどうかではなく期限が切れたということでポイとする人のほうが信じられない。

以前友人が、夫の実家から届いた宅配便を開けてみたら調味料の類だったのだが、期限切れのものばかりだった、とぷりぷりして言うのを聞いたことがある。
「あなた車運転しないから、重い買い物は大変でしょ。うちにあったの送っといたわ」
と言う義母に彼女は口先だけで礼を言い、電話を切ったあと全部捨てたという。
「ふうん、そんな古いの送ってきてたんだ?」
「そうやねん、先月の日付とかやで。信じられへんわ」
えっと驚く私。身内とはいえ人に期限が切れた食品を送る感覚は私にも理解できない。だけど捨てることはないだろうに。だってサラダ油に味噌にマヨネーズでしょ?ひと月やそこいら期限を超えていたってどうってことないじゃない。

しかし、「期限が切れたものを食べて、もしなんかあったらどうするの」と彼女。そんな、なにも起こらないってばあ……と笑い飛ばしたけれど、周囲を見渡せばこういう人はめずらしくない。
私の妹は結婚してから賞味期限を気にするようになったという。彼女の夫が期限切れのものを嫌がるからである。それこそたった一日過ぎただけでも口にしようとしないらしい。
「そんなん黙って出したらええねん。腐ってるわけじゃないんやからばれへんよ」
「私も最初そう思っててんけど、これがけっこうな確率でおなか壊すんよ。私はなんともないのに」
仲良しの同僚の夫もそのクチで、冷蔵庫に期限切れのものを発見すると迷わず捨ててしまうという。そのため、彼女が使おうとしたときには処分済みで、慌てて近所のスーパーに走るということがよくあるそうだ。

周囲の話を総合すると、女性よりも男性のほうが賞味期限にうるさいように感じる。
思うに、日常的に買い物をしたり料理をしたりする女性は食品の“健康な状態”を知っている。だから見た目や匂いのちょっとした異状にも気付くことができる。自分の目や鼻で、「鮮度は落ちているけど、火を通せば問題ない」とか「期限内だけど、やめておいたほうがよさそうだ」といった判断ができるのだ。
たとえば、私は期限から一週間過ぎたくらいの牛乳なら平気で飲んでしまうが、夏場だとちょっぴり気になることもある。そんなときは鍋で沸かしてみる。モロモロにならなければ傷んでいないということだからね、とむかし母に教えてもらったのだ。揚げ物用のサラダ油もしかり。開封してからけっこう経っているけれど、酸化していないかしら?と思えば熱してみる。嫌な匂いがたたなければ大丈夫。
しかし、多くの男性はそういった知恵や目安を持っていないため、カビているとか異臭を放っているといったわかりやすい異状がないかぎり“アウト”を見分けることができない。そのため、賞味期限を死守しようとするのではないだろうか。

* * * * *

ちなみに、食品の期限表示には二種類ある。
比較的日持ちのする食品につけられる、美味しく食べられる期限を「賞味期限」と言い、それを過ぎるとすぐに傷んで食べられなくなってしまうという意味ではない。それに対し、日持ちのしない生鮮食品につけられる、安全に食べられる期限が「消費期限」。こちらは、この日にちを過ぎて食べておなかを壊したら自己責任ですよ、というものだ。
五、六年前から「製造年月日」の表示がなくなったのは不親切だなあと思う。賞味期限、消費期限と併せて製造年月日が記載されていた頃は食品の賞味期間を正確に知ることができたので、その一・五倍くらいの日数までなら問題なかろうという判定を自信を持って下すことができた。たとえば、期限を一週間過ぎた食品を食べようかどうしようか考えるとき、賞味期間が三日間のものであれば「やめておこう」になるし、一ヶ月間のものであれば「余裕だわ」となる。
が、いまは製造年月日のかわりに買った日付を参考に賞味日数の見当をつけるしかない。

では、私はどういうものを期限後どのくらいまでなら気にせず食べてしまうかというと。

玉子
一週間。阿川さんは買ってから一ヶ月使うそうだが、私はそこまでは気分的に無理。
牛乳
開封済みなら五日くらい。未開封なら一週間。
納豆
もともと腐っているものだしね!と四日過ぎていたものを食べたが、なんともなかった。
ショートケーキ
「本日中にお召し上がり下さい」とあるのを三日後に食べた。美味しかった。
瓶詰めジャム
開封済みなら半年、未開封なら一年やそこいらは平気。阿川さんはジャムは半永久的に腐らないと信じて、使い切るまで捨てないそうだ。


製造者はこのくらいの余裕は持たせて期限を設定しているはずだと確信しているので、自分がチャレンジャーであるとはまったく思っていない。むしろ限界がこの程度の私はかわいいほうで、世の中にはもっとすごい人がいくらでもいるだろうと踏んでいる。
さて、冷蔵庫の中に期限切れの玉子と牛乳を発見しました。あなたは経過日数何日までなら食べちゃいますか。


2006年10月20日(金) ペットロスとクローンペット

電車の中で読む本には注意しなくてはならない。会社帰りに出久根達郎さんのエッセイを読んでいたら、うちの一話に涙が止まらなくなり困ってしまった。
わが子のようにかわいがっていた犬の「ビッキ」が闘病の末、八歳で死んだという話だ。骨と皮になり、息も絶え絶えの状態のときに、仕事で三日間家を空けなくてはならなくなった。自分の留守中に万が一のことがあったら……と不安がる出久根さんに「安心して行ってらっしゃい」と言うかのように、ビッキは自力ではもう飲めなくなっていたはずの水をがぶがぶと飲んでみせたという。
結局、主人の帰宅を待たずに死んでしまうのであるが、その後の話を読んでいると出久根さん夫婦にとってビッキは“ペット”という言葉では表しきれない存在であったことが伝わってくる。家の中は火が消えたようになり、一ヵ月半たっても二時間も三時間も写真を眺めては涙してしまう、とあって胸がしめつけられた。


ビッキは戒名を与えられ、墓石には碑文も彫られたそうであるが、飼っていた犬や猫が死んだときにペット葬儀屋を依頼したり、動物霊園でお葬式をあげたりする人は昨今ではめずらしくない。何年か前に散歩中の事故で犬を失くした伯母によると、お坊さんがお経をあげてくれ、焼香もし、火葬後はお骨上げ、卒塔婆を立てた墓もあって……と人間のそれと変わらないということだ。
うちの実家にも柴犬がいるが、彼女が死んだらやはりどこかで焼いてもらって、庭に骨を埋めるだろう。墓のまわりには彼女がくつろげるようにと芝生を植え、命日には好物を供えてやるに違いない。

昔といまとでは飼い主とペットの関係がずいぶん違っているなあと思う。
私が子どもの頃は番犬として犬を飼う家が少なくなかったし、祖母の家にいた猫はネズミをとらせるために飼った猫の子孫だった。当時は猫というのは「自由な動物」であり、ごはんをもらうときくらいしか家に戻ってこないものだった。いまのように部屋から一歩も出さないという飼い方ではなかったから、首輪をつけた猫をそこいらで、ときにはわが家の台所に忍び込んでいるのを見かけたものだ。
いまは犬にしろ猫にしろ愛玩目的で飼い、れっきとした家族の一員だ。昔と比べると経済的なゆとりもあるから、死んだときは手厚く葬ってやりたいと考える人が増えるのは必然である。「ペットロス症候群」なる言葉が聞かれるようになったことにも頷ける。

……しかしながら。「もしこの子が死んだら、また同じ子を飼いたい」という気持ちは私には理解しがたいものがある。
昨日産経新聞のオンラインニュースで、二〇〇〇年に世界で初めてペット猫のクローン販売をビジネス化したアメリカの「ジェネティック・セービング・アンド・クローン社」が思うように注文が取れずサービスを停止したという記事を読んだ。
ペットのクローンニング事業については以前、それに取り組んでいるアメリカのいくつかのバイオテクノロジー企業を取りあげた番組を見たことがある。動物のクローンニングには法的制約がない。そのため、これらの企業にはペットのクローンを希望する飼い主からの問い合わせが殺到しており、約11万円を支払ってペットのDNAを冷凍保存し、クローンニング技術の確立を待っている人が大勢いるという内容だった。
「愛するペットといつまでも一緒にいたい」
その気持ちはよくわかる。しかし、「だからクローンを」というのには強い違和感を感じた。
そして思い出したのが、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『シックス・デイ』という映画である。舞台は近未来、すでにクローン技術が完成し、人間のクローンは法律で禁止されているがペットは問題なしとされ、社会にすっかり浸透しているという設定だ。
ある日娘のクララが飼っていた犬が死に、妻は娘を悲しませまいと死んだペットを再生させる会社「Repet(リペット)」で愛犬のクローンを買ってきてほしいと夫に頼む。クローン嫌いの夫は「いや、オリバーは私たちの心の中だけに生き続けることができるんだよ。これは生命の自然ななりゆきなんだ」と諭すが、妻は「クララはまだ八歳なのよ。そんなこと理解できないわ!」と譲らない。
------という場面があるのだけれど、「死」というものを正面から受けとめず、存在をよみがえらせることによって悲しみを回避しようとする姿には不気味さを感じた。

さきほど紹介した産経新聞の記事によると、ジェネティック・セービング・アンド・クローン社の顧客第一号となったテキサス州在住の女性は十七年間飼っていた猫のニッキーが死んだ翌年、遺伝子バンクに預けていたDNAからつくられた“リトルニッキー”を受け取った。水遊びが好きなところまで同じだと喜んでいるということだ。
しかし、クローンペットは記憶まで受け継ぐわけではない。加えて、先代とまったく同じ環境で育てることができないのだから性格も違ってくる。
つまり、姿かたちは同じでも中身はまったく別の猫。ニッキーが生き返ったわけではないのである。
ペットへの愛や失った悲しみをそういう形で表現したり乗り越えたりしようという思考が健康的なものであるとは、私には思えない。

書類をコピー機にかけるかのように犬や猫が“複写”されるなんて、考えただけで寒くなる。そういう世の中になったら命の重さもずいぶん変わるだろう。なんせ細胞さえ預けておけば、死んだって再生できるのだから。
クローン猫販売がビジネスとして成立しなかった理由がそういった倫理的懸念にあるのか、それとも価格(約384万円)にあるのかといったことは記事には書かれていなかったが、いずれにせよほっとした私である。
しかし、「いくら金を積もうとどれだけ科学が進歩しようと、命は代替できるものではない。犬も猫ももちろん人も、“現品限り”なのだ」という、いまは当たり前と思われていることが当たり前でなくなる時代がそのうちやってくるのだろうか。
そういえば、『シックス・デイ』の舞台となった近未来は「二〇〇七年」だったっけ……。

このところ生体臓器移植や代理母出産などのニュースを立て続けに耳にしている。
どこまでが「自然ななりゆき」と言うことのできる生なのか、命なのか。それを可能にする技術力に人々の感情(望む声)が加わり、そのラインがわからなくなってしまったのだ。
人間はいったいどこまで求めることができるのだろうか。私の中にももやもやするものがある。


2006年10月18日(水) 思い出の国語の教科書作品

わが家の新聞を日経に変えてからというもの、読む意欲がめっきり減退してしまった。
なぜなら日経には読者投稿欄がない。それを読むのが私の朝の日課であり楽しみであったのに……本当に悲しい。
なので、いまは毎日新聞の「女の気持ち・男の気持ち」はネット版を、読売新聞の「気流」はお昼を食べに入った店に置かれているのを見つけると貪り読んでいる。

さて、そんなふうにして読んだ昨日の読売新聞に、「小学生のとき、母が誕生日に『小公女』の本をプレゼントしてくれ、以来本の虫になった」という主婦の文章が載っていた。
わかるなあと相槌を打つ私。むかしから本が大好きで、国語と道徳の教科書はもらったその日に最後まで読んでしまう子どもだった。いまこんなふうに文章を読んだり書いたりを趣味にしているのも、小さい頃に両親が本をたくさん与えてくれたからだと思っている。

* * * * *

教科書といえば、先日同僚たちと飲みに行ったときのこと。子どもの教科書に「ごんぎつね」が載っていて懐かしくてつい読んでしまった、という話が出た。
「新美南吉、だっけ?」
「そうそう、授業中にかわいそうって涙ぐむ子おったなあ」
「最後、兵十が土間にかためて置いてある栗を見つけて火縄銃をぽとりって落とすねん。私も泣いたわ」

そこから話題が「国語の授業で習った印象に残っている作品」になった。題名を思い出せずともあらすじを話しはじめると、
「“おきゃんなせっちゃん”は『どろんこ祭り』!」
「ゆみ子の“一つだけちょうだい”は『一つの花』」
なんて声がすかさずあがる。みな年齢が近いためか、思い出の作品はかなり共通していた。たとえばこういうもの。

「チックとタック」(千葉省三)
夜中の十二時になるとボンボン時計の中から出てくる二人の子ども、チックとタック。ある日台所にあった巻き寿司をつまみ食いしたら、わさびがたっぷりで口の中が大変なことに。以来、時計が「ヂッグ、ダッグ」と音を立てるようになっちゃった……という話。
挿絵の巻き寿司がすごくおいしそうだったのを覚えている。

「やまなし」(宮沢賢治)
クラムボンってなに?やまなしってどんなの?と当時ずっと疑問に思っていた。カニのお父さんが川面にぷかぷか浮かんでいるやまなしを見上げながら、「じきに沈んで、ひとりでにおいしいお酒ができるよ」と子どもたちに言う場面では熟した果物の甘い香りが漂ってくる気がしたっけ。

「手ぶくろを買いに」(新美南吉)
「このおててにちょうどいい手ぶくろください」
帽子屋の戸の隙間からもれる電燈の光がまぶしくて、思わず母ぎつねが化かしてくれた人間の子どもの手ではないほうの、本当の手を出してしまう子ぎつね。帽子屋さんが優しい人でよかった、と全国の子どもたちがほっとしたに違いない。

「スーホの白い馬」(モンゴル民話)
モンゴルの草原で暮らす心優しい少年スーホと大の仲良しの白馬。が、白馬があまりに見事なので殿様が奪い取ってしまう。スーホに会いたい一心で逃げ出した白馬は家来が放った矢を受けながら懐かしい家にたどり着くが、そこで息絶える。
嘆き悲しむスーホ。すると、夢に白馬が出てきてこう言った。
「泣かないで、スーホ。私の体を使って楽器を作ってください。そうすれば私はいつもあなたのそばにいられます」
という由来を聞いたからだろう、私の中で「馬頭琴」は寂しげな音色というイメージだ。

「大造じいさんとガン」(椋鳩十)
利口なガンの頭領「残雪」のせいで一羽のガンも捕まえられなくなってしまい、いまいましく思っていた老狩人、大造。
が、大造じいさんがガン狩りの際におとりに使おうと飼い馴らしたガンがハヤブサに襲われたとき、残雪が助けに現れる。大造じいさんは「思わぬチャンスが来た」と残雪に狙いを定めるが、やがて銃を下ろしてしまう。
「おうい、ガンの英ゆうよ。おまえみたいなえらぶつ(えらいやつ)を、おれはひきょうなやり方でやっつけたかあないぞ。なあ、おい。今年の冬も仲間を連れてぬま地にやって来いよ。そうして、おれたちはまた堂々と戦おうじゃあないか」
この話もぐっときたなあ。

ひとつだけ、誰も題名を覚えていない作品があった。乗り降りする客がひとりもいない砂漠の駅に勤める三人の駅員さんの話。
あるとき、ひとりずつ休暇を取って旅に出ることにした。ひとりは汽車に乗って西へ、もうひとりは東へ。三人目は砂漠を歩いて出かけ、オアシスを見つける。そこでもいできたオレンジを二人にお土産に持って帰る------というストーリーなのだが、「オアシス」という言葉の清涼感とみずみずしいオレンジのイメージが私の中に鮮明に残っている。二十年も前に読んだ話だというのに。

こうして挙げてみると、教科書は名作の宝庫だったのだなあとつくづく思う。

* * * * *

……という話を夫にしたところ、「スイミー」と「チックとタック」を知らないと言うからびっくり。たとえ教科書が違っても、このふたつは日本の小学校を出た人なら誰でも知っている話だと思っていたよ。
そういえば、八月にアムステルダムのアンネ・フランクの隠れ家を訪ねたとき、夫はペーターの写真を見て「アンネの弟?」と真顔で言った。「アンネの日記」を一度も読んだことがないと聞いて、ええっ!?教科書に載っていなかったらしい。
給食の献立と同様、国語の授業で習った作品も学校によってけっこう違っているのだなあ。
さて、みなさんはどんな話が記憶に残っていますか。


2006年10月16日(月) 女子高生のスカート丈についての一考察

電車の中で、背後から女の子のにぎやかな会話が聞こえてきた。
「さっきから思ててんけど、あんたのスカート、なんでそんな長いん」
「せやねん、ダサダサやろ。おかんがクリーニングとってくるん忘れとって、これしかなかってん」
「なんかむっちゃ変やで〜。ぎゃはは」
吊り革を持つ手を換えるふりをしてさりげなく振り返ると、制服姿の女子高生がふたり。どれほど長いのを履いているのかと視線を落として……「ええええ?」。
笑われていた女の子のスカート丈は膝上五センチというところ。隣りの女の子と比べればたしかに長いが、私の目には「制服やったら十分短いやん!」とつっこみを入れたくなる丈である。

自分が高校生だったときのことを思い出す。
当時、スカートは長いのがカッコイイとされていた。三年の途中から膝丈(膝上ではない)のスカートを履く女の子が出現したが、まだ走りで、校内で数人見かける程度。「短いほうがかわいい」という新しい価値観は私が卒業してから急速に広がったようだ。
そんなわけで、私の高校時代は足首と膝の中間くらいが一般的なスカート丈。私は憧れていた先輩を真似てもう少し長い「くるぶし上十センチ」にしていたのだが、中学のときのように服装検査があるわけでもないので問題なかった。私の記憶ではオシャレな女の子ほど長くしていたものだ。
そして、それよりさらに長いのを履いていたのがちょっと怖い人たちである。
学校帰りに公園などで近所の高校生がタバコを吸っているのをときどき見かけたが、彼女たちのスカートはつま先しか見えないような超ロング。私の学校にはいない種類の人たちだったので、「おお、これが不良少女というやつか」と妙に感心してしまった。

それから時は流れ、女子高生と言えばミニスカートという時代になった。が、私は街で彼女たちを見かけるたび、「ああ、私は八十年代の高校生で本当によかった」と胸をなでおろすのである。
あの頃、私は部活で鍛えたそりゃあ立派なふくらはぎをしていた。膝下丈のスカートを履いていたらダサいとかオシャレに無頓着とみなされる現代の高校生だったら、制服を着るのはさぞかし苦痛だったのではないだろうか……。
いや、しかし。あの頃の女の子は私に限らず、みな頑丈そうな足をしていたように思う。
ちょうどその頃放送されていたドラマ「スケバン刑事」をYouTubeで確認してみたところ、斉藤由貴さんも南野陽子さんも浅香唯さんもスカートの裾からのぞく足は、はっきり言ってものすごく太い。いまのアイドルではありえない足首をしている。
当時人気絶頂のアイドルだった彼女たちでさえこうなのである、私の足がたくましかったのも当然ではないか!

この二十年のあいだに女の子の足は本当に変わった。
太腿あらわに街を闊歩する女子高生は一様に棒のような足をしている。むかしだって足の細い子はもちろんいたが、上から下まで同じ太さのこんな足は記憶にない。
そして私は「なるほど、こういう足だからこの丈のスカートが似合うのね」とつぶやきながら、ラマルクの進化論を思い浮かべるのである。
「もともとキリンの首は短かったが、高いところにある木の葉を食べようと背伸びをしているうちに徐々に首が長くなっていき、いまの長さになった」
長いスカートを履いていたらダサい子だと思われる、モテない(=高い木の葉を食べられない)。高校にあがったらあのスカートが待っていると思えば、痩せないでいるわけにはいくまい。そこでいまの女の子たちは中学に入った頃からダイエットをしたり引き締め体操をしたりして、それを履ける足を作り上げていくのではないだろうか。
日本人はまぶたの脂肪が厚いためもともとは一重まぶたの人が多かったのだが、戦後二重まぶたが急に増えた。「ぱっちりした大きな目」が美の基準になり、若い女性はこぞってアイプチ(知らない人はとうのたったお姉さんに訊きましょう)などでそれを手に入れた。そしてその子どもも年頃になるとやはり二重に憧れ、“努力”する。そうしているうちに「二重」という形質が日本人に定着したのだ------という話を聞いたことがあるが、これもまた「こうなりたいと望む方向に進化する」の例かもしれない。
そう考えると、丈の短いのが流行りはじめた頃から女子高生の足がどんどん細くなっていったのも納得である。彼女たちは「大根足」という言葉を知っているのだろうか。

このたび二十年ぶりに「スケバン刑事」が復活、四代目麻宮サキを松浦亜弥さんがやるそうだが、スカート丈は膝上二十センチ、すらりとした見事な足だ。むかしのスケバンは人より長いスカートを履いたが、現代のスケバンは人より短いものを履くらしい。
ところで、「スケバン」なんてとうに絶滅したと思っていたけど、まだいたんだなあ。


2006年10月13日(金) 解説はいらない

出久根達郎さんのエッセイに、おもしろい本を見分けるコツについての話があった。
出久根さんが経営する古本屋の常連で多読家の客が言うには、「あとがきを読め」。読者サービスを忘れぬ心ある著者はあとがきまで気を抜かないから、これがおもしろい本にハズレはない。逆に、出版社や編集者への礼ばかりで通りいっぺんの文章なのは読者が眼中にない証拠で、本編も中身がないことが多い。誰それに捧げる、なんて臆面もなく記してあるものは例外なくつまらないのだそうだ。

おもしろいものが書けるかどうかは読者への気遣いの有無より才能の量によると思うので、私はこの判別法にはぴんとこなかった。けれども、たしかに友人の中にも“あとがき先読み派”はいる。
小説を後ろから読んだら展開がわかっちゃうんじゃないの?と尋ねる私に、「エッセイなら一話か二話ピックアップして読めば肌に合うか合わないかわかるけど、小説の場合は最初の何ページかを立ち読みしただけでは判断できない。でも、あとがきを読むとおもしろそうかどうか手っ取り早くわかる」と彼女。
小説を読まない私は、ふうん、そういうものかと思ったっけ。

* * * * *

エッセイにもあとがきはあるが、私にとっては“おまけ”である。初回に読んだら次からは読まないのだけれど、それの後ろについている「解説」にはさらに執着がない。
この数ページも本代のうち、と一度は読むが、いつも「これってべつになくてもいいよなあ」と思う。著者の人柄や作品を褒めちぎるのがパターンなので、なんだか白けてしまうのだ。

いや、しかし。じゃあ著者を持ち上げていない解説ならおもしろく読めるのかというと、そういうわけでもなくて。
それは著者と親交のある人がエールを贈る場、というふうに私は認識しているのであるが、過去には「こんなんもありなんか?」とびっくりしたことが何度かある。
たとえば、内館牧子さんのエッセイ『愛してると言わせて』(角川文庫)についていた歌手の辛島美登里さんの解説。全体的におちょくりモードで、それは親しみを込めての軽口なのだろうとは思えども、なんだか場違いな文章だなあという感想を持った。
そうしたら文末に「追伸」がついていて、「原稿を渡したら、角川の編集者の方から『もう少し内館先生の良い点も書いていただけませんか』と言われてしまった」とあった。これじゃあそうも言いたくなるわなと頷いたものだ。

しかし、私がもっとも驚愕したのは村上龍さんの『すべての男は消耗品である。』(角川文庫)の解説だ。
山田詠美さんが書いたものであるが、私はいまだかつてこういうタイプの解説を読んだことがない。山田さんは「私はこの本が大嫌いだ」と明言した上で、
「女である私が、このような本を書いたら、ただの馬鹿だよ」
「いくつかある彼の素晴らしい小説までもを、田舎臭いイメージの中におとしめる最悪のエッセイ集だと私は思っている」
といった辛辣な言葉を吐いている。

「はたして、このこと(芥川賞を最年少で受賞した作家、という周囲の視線)は、彼を過剰にスポイルしては来なかったか。私は、本人が自覚していようがいまいが、イエスだと思う」
「村上龍は、本当に、意味のない言葉に、あえて読み手を疲れさせる意味づけをするのが得意である。こういうのを確か、はったり屋と呼ぶのではなかったっけ」

まさかこの調子のまま終わるってことはないよなあ?最後は「しかし、私はそんな村上龍が好きなのである」なんて具合でまとめるんだよねえ?
……と思った私が甘かった。
「こういう言い方を伏線にして、実は、最後に誉め言葉、(愛ゆえの忠告とか、なんとか)を最後に持って来ようなどという気は、まったくない。だって、この本は、そんな気を起こさせないくらいひどいからである」
本当に最初から最後まで、掛け値なしのボロクソだった。

私はどう解釈すればいいのかわからなかった。世の中にこんな解説があるなんて。それとも、一見罵倒のようだが実は屈折した愛情表現なのだろうか……。
ほかの人がどう読んだのか知りたくてAmazonのカスタマーレビューを読んでみたところ、山田さんの解説に驚いたり快哉を叫んだりしている人が何人かいた。私の目に皮肉と嘲笑に映ったものは、他の人の目にも皮肉と嘲笑だったようだ。

たしかに、私が解説をおもしろいと思って読んだことがないのはそれが誉め言葉のオンパレードと相場が決まっているからである。しかしだからといって、これはいただけない。
この『すべての男は消耗品である。』を読み切るのにはかなり苦労した。読んでいるあいだ中、不快感と戦っていなくてはならなかったから。そんな私でもこの解説にはうんざりした。まさに「毒には毒で」だったんだもの。
ふつうの解説を期待して依頼したのにとんでもないものが返ってきた、というわけではないのだろう。エッセイの特色からして、著者はすべてを計算した上で辛辣な文章を書きそうな山田さんに、あるいはうんと挑発的に書いてくれと頼んだにちがいない。
しかし私は、
「どうだ、王様は裸だなんて、気が付くやつはいないだろう。そんなふうに問いかけられているのに気付かない愚かな男女が、この本を誉めたたえ、バイブルにするのだろう」
という山田さんの言葉をこのエッセイの愛読者はどう感じたのだろうな、と考えてしまう。
それとも彼のファンはそんなにやわではなく、「リュウさんらしい演出だな」と笑い飛ばすのだろうか。


それは私にとって食後にサービスでついてくるコーヒーみたいなもの。褒め称えるばかりのありきたりな文章ではものたりないが、悪しざまに書いてあるようなものはノーサンキュ。
「あー、おいしかった。ごちそうさま!」
とぱたんと本を閉じられる、読後すっきりの解説って意外と見当たらないものだ。


2006年10月11日(水) 感想メールを送る際に気をつけていること

毎回くすっと笑わせてくれるあるサイトを訪ねたら、冒頭にいつもと調子の違う一文を見つけた。
体調不良で何日か日記を休んだところ「平日なのに更新してませんね」とメールが届いたそうで、サイト更新は仕事ではないので休むこともある、ちょっとむっとした、という内容であった。

読み手にそう言われて愉快でなかった理由。私の勝手な推測であるが、「更新をそう簡単なことのように言ってもらいたくない」という思いがあったのではないだろうか。
仕事を持っている人が毎晩パソコンに向かう時間を捻出するのは相当大変なことであるが、多くの書き手がさらに苦労するのは「今日書くこと」の確保。“ネタ”はティッシュペーパーのように一枚取り出せば次が待機してくれているということはないのだ。
生みの苦しみをひけらかすつもりはまったくないが、蛇口をひねれば水が出てくるみたいに毎日更新があって当たり前、のように言われるのはちょっとね……が胸をよぎったのではないかしらと思った。

* * * * *

悪意がないことがわかっていれば、私が読み手から届いたメールに腹を立てることはまずない。けれども、あまりうれしくはないなあと思ったり困惑したりすることはたまにある。
そういう経験を踏まえ、自分が誰かの日記に感想メールを送るときはしないよう心がけていることがいくつかある。そのひとつが、書き手の家族や恋人を悪く言わないこと。
たとえば誰かが夫や妻、恋人に対する嘆きや憤りを書いていたとき、自分も同じような思いをしたことがあると励ましの声をかけたくなることがある。しかしその際、日記の中で書き手がどんなに強い口調で相手を責めていたとしても、「ご主人はデリカシーのない人ですね」とか「あなたの彼女は思いやりがないと思います」といったふうにこちらも一緒になってその人を非難するようなことを言わない、ということだ。
なんだ、そんなこと当たり前じゃないかと言われそうだが、書き手に同調するあまり線を踏みそうになることはある。

以前ある男性の日記で、「妻がついた嘘が原因で義父母に誤解され、危うく心証が悪くなるところだった。まいっちゃった」というぼやきを読んだことがある。
その嘘の内容というのが私には驚くべきもので、「奥さん、そらあかんで!」と思ったのであるが、同じように感じた読み手は少なくなかったらしい。次の回の日記に「(奥さんの行為に)背筋が寒くなりました」といったメールがいくつか届いたと書かれていた。
では、読み手が自分に同情してくれたとわかって書き手の男性はどうしたかというと。
「そうでしょう、信じられないことをしますよね、まったく許せませんよ!」とあらためて妻の非を責めた?いや、その逆で彼女のフォローに回ったのである。
妻には悪気があったわけではなくて、これこれこういう背景があってのことなのでわかってやってくださいな、という感じで。

私はそれを読んだとき、微笑ましく思うと同時に「書き手の味方になりさえすればいいというものではないんだよな」としみじみ思った。
男性はメールを読んで、たぶんびっくりしたのではないか。「ハハハ、それは災難でしたね」と笑って読み流してもらうつもりで書いたのに、読み手の反応が予想外にシリアスなものだったので、「しまった、妻に悪いことをした」と思ったのではないだろうか。

そんなふうに想像するのは、私ならそうだから。
たとえば夫とケンカをしたという話を書こうとすると、愚痴めいた口調になってしまうことがある。しかし、もしそれを読んだ人から「失礼ですけど、あなたのご主人はずいぶん冷たい人ですね。人間性を疑っちゃいます」なんてメールが届いたとしたら、私はぎくりとするだろう。
ちょっとぼやきたかっただけで、読み手に夫の悪い印象を植えつけてやろうと思って書いたわけではない。言い過ぎちゃったかなあと反省しつつ、「でもふだんはそういう人ではないんですよ。そこまで怒らせた私も悪いわけだし……」なんてもごもご言って彼をかばおうとするに違いない。
そして多くの人もそうではないかと思う。中には読み手が一緒に批判してくれることを期待して夫や妻や恋人の“仕打ち”について書く人もいるかもしれないが、たいていはそんなことは望んでおらず、そうなったら慌てるのではないだろうか。

むかし付き合っていた男性との思い出話を書いたら、「そういうタイプには気をつけたほうがいいと思う」的なことを言われたことがあるけれど、やはりいい気持ちはしなかった。
とうの昔に別れた人であっても悪く言われたくないという気持ちが働くのである。身内や現在の恋人についてはなおさらだろう。
日記には書かれていないが、書き手とその対象の間には一読み手には推し量れない特別な情がたしかに存在する。それを思うと、たとえそこに感情的な言葉が並んでいたとしても、私は間違っても自分が相手の人間性を非難することのないよう注意して、「お気持ち察します」を伝えたい。
誰かにとって大切な人を悪く言うというのは結局、その「誰か」を否定するのと同じことである気がするから。


2006年10月09日(月) 結婚したらしてみたかったこと

三連休の初日、土曜日は仕事だった。空いた電車に乗って少し早めに出勤すると、エレベーターで同僚のA子さんと一緒になった。
「あらっ……」
思わず声をあげる。いつもパンツルックの彼女がスカートを履いていたから。それも、あらたまった場所に行くときのようなかなりドレッシーな格好だったのだ。仕事帰りにどこかに出かけるのかしらん。
すると彼女は照れくさそうに、今日は誕生日なので夫と待ち合わせて食事に行くのだと言った。
「まああ、すてき!なに食べに行くん?」
「なんのお店か知らないのよ。主人が予約入れてくれたから」

これを聞いて、私は感動してしまった。自分の誕生日を祝うために夫が店を探してくれるなんて……。
なんでも、毎年互いの誕生日には外で食事をすることにしていて、結婚してから欠かしたことがないのだそう。共に仕事を持つ身だと都合のつかない年があっても不思議ではないのに、たいしたものだと感心していたら、
「“忙しい”を理由にしてたら結局どんなこともできない、やらないで終わっちゃうと思って、それを言い訳にはしないでいようって決めてるの、主人と。年に二回くらい、相手に『ありがとう』って伝える機会を持つのはすごく大事なことだしね」
とA子さん。その後、笑いながら「それに、たまにはごちそう食べたいわよお」と付け足した。

結婚して二十年ともなれば夫婦間のさまざまなことが惰性になって、誕生日についても「いまさら」とか「そんな年でもない」とかいう言葉で自分のも相手のもさっさと片づけてしまいそうなものだ。しかし、A子さん夫婦にとってそれをきちんと祝うことは夫婦に必要な“けじめ”であり、そのための時間を捻出することも夫婦ですべき努力のうちなのである。
ああ、賢い夫婦だなあと私は感嘆のため息をついた。

翻って自分たちはどうか、と考えてどきり。夫婦歴六年にして、誕生日のみならずあらゆる記念日がなあなあになってしまっているではないか。
結婚前は誕生日には互いにプレゼントをし、バレンタインには私がケーキを焼き、クリスマスにはチキンを買ってきて家でささやかなパーティーをしたものだ。が、いまではそういうイベントもすっかりハレの日ではなくなっている。
夫はそれらにまるで執着がなく、自分の誕生日になにかをしてもらおうというのがない代わりに、妻のそれを祝ってやらなくっちゃというのもない。結婚記念日だから仕事の後まっすぐ家に帰ろうというのもない。プレゼントや外食が面倒なら無理につき合わせる気はないけれど、今日はなんの日かということくらい把握していて、妻から請求される前に「おめでとう」とか「ありがとう」とか言ってもいいんじゃないの、とはよく思う。
それでも私はなにもしないのも寂しいなあと、彼の誕生日にはちょっとしたものを贈ってきたのであるが、今年はとうとうあげなかった。というのも、去年ネクタイピンをプレゼントしたら、何日も包装も解かずそこいらに放置したまま。頭にきて引き出しに仕舞ってしまったのだけれど、それから一年半、「そういえばあれはどこ行っただろう?」と訊かれたことはない。

相手がこう無関心だと、こちらもせがない。いつしかその日を楽しみにすることもなくなってしまった。
クリスマスこそ独身の友人が「ひとりで過ごすのは耐えられない」と避難してくるので賑やかにするけれど、誕生日や結婚記念日は年々地味になってきて、最近は夕食をいつもより少しごちそうにするくらい。買い物に行くのも作るのも片づけるのも自分だから、「お祝いだあっ」とはしゃぐ気にもあまりならない。

* * * * *

先日、結婚相談所が実施した「結婚したらしてみたいこと」アンケートの結果を見ていたら、「年に一回海外旅行に行く」「週末はふたりで料理を作る」といった回答が上位にあった。うん、なるほどね。
でも私が憧れていたのは、「節句や民間信仰の行事を楽しむ」ということ。人日の節句には七草粥を炊き、節分には恵方に向かって丸かぶり、十五夜には月見団子を飾り、冬至にはかぼちゃを煮てゆず湯に浸かり、年末にはおせち作り……というようなことをしたらどんなに楽しいだろうと思っていた。
が、現実は夫は出張がちで平日は家におらず、ひとりでするのはつまらない。前後の週末にずらしてすることもできなくはないけれど、こういうのはやはりその日でなくては雰囲気が出ない。
これについては夫のせいではないが、残念ではある。

……なんて辛気くさい日記を書いている今日は六回目の結婚記念日。おまけに、これ以上ない晴天。
こんな日に家にひとり、予定もなく朝からサイトを更新しているだなんて、もしやなにかの罰ゲーム?


2006年10月06日(金) 「いただきます」の意味

前回の日記に子どもの給食費を払わない親について書いたら、「給食費を払う親の中にもとんでもないのはいますよ」とメールをいただいた。
どれどれと読んで……ポカーン。なんでも、「給食費を払っているんだから、うちの子に『いただきます』を言わせないで」と学校に苦情を言う親がいるそうなのだ。
どういう理屈なんだと唖然としつつ、そういえば同じ話を半年前、「給食の思い出」アンケートをしたときにも別の方から聞いていたことを思い出した。
もしかして有名な話なんだろうか、とネットで検索したところ。一年ほど前に新聞でも取り上げられたほど巷で沸騰した話題だとわかった。
牛乳論争も知らなかったが、“いただきます論争”にもまるで気づいていなかった。いつも夫から「ぽーっとしてなにも見てない、考えてない」とバカにされている私であるが、それが証明されたみたいだ……。

気を取り直して私のようなボンヤリさんのために説明すると、事の始まりは「永六輔その新世界」というラジオ番組に寄せられた一通の手紙。
永さんが「びっくりする手紙です」と前置きして紹介したその内容とは、ある小学校で児童の母親が「給食の時間にうちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているのだから、言わなくていいではないか」と申し入れた、というもの。
それには大きな反響があり、大半は母親に否定的な意見だった。しかしながら、そういう考え方の持ち主が世の中に稀ではないことを示すような、
「食堂でいただきますを言ったら、隣のおばさんに『なんで?』と言われた。『作ってくれた人に感謝して』と答えたら、『お金を払っているんだから、店がお客に感謝すべきでしょ』と返ってきた」
といった体験談も混じっていた。
そこから「給食や外食時には『いただきます』は不要か」という議論が起こったということだ。

* * * * *

「『いただきます』を言わせてくれるな」と学校に電話をかける親がいる、そのこと自体には私はそれほど驚かない。わが子の給食費を出し渋る親がいるご時世である、そういう“常識”を持った人がひとりやふたりいても不思議はない。
私が開いた口がふさがらなかったのは、「いただきます」は人から物を恵んでもらったときに使う言葉だ、という母親の言い分を学校側が一理あるとし、そのクレームを受け入れたことである。

その“一理”はいったいどこにあるのか。
番組に届いた母親を支持する数通の手紙の中には、手を合わせる仕草を宗教的行為だとする意見があったという。
私が通っていた小学校では、日直の「手を合わせて」につづいて全員で「いただきます」と声を合わせて言い、食べはじめるのが常だった。そしていまでも私は外食時にも家でひとりごはんのときにもそうしている。それを済まさなくては箸をとるタイミングが見つけられないほど、体にしみついた習慣だ。
これまでに何万回と行ってきたことであるが、しかし私は手を合わせることが「拝む」に通じるものであるという発想を一度もしたことがなかった。人が「はい、チーズ」と言われるとピースサインを出すようなもので、それ自体に深い意味はない、「いただきます」の言葉とセットになっている動作だったのだ。
が、言われてみればそのポーズはたしかに「合掌」である。だから仏教を連想して抵抗を感じる人がいるというのはわからないではない。
しかしながら、「それは特定の宗教の押し付けにあたる」という声には、手を合わせるのやめるという形で対処すればすむ話である。「いただきます」ごとなくす必要はどこにもない。

「どうしてごはんの前に『いただきます』って言うか知ってる?動物や植物から命を“いただく”からなんだよ」
幼稚園の頃だったか小学校の頃だったかに誰かから教えられたことであるが、何年か前にそのことをあらためて考えるきっかけがあった。
その頃職場で親しくしていた女性がベジタリアンだった。一口に菜食主義といっても、「肉は食べないが、魚は食べる人」「肉も魚も食べないが、卵と乳製品は食べる人」「卵も乳製品も摂らない、植物性食品だけの人」などいろいろなタイプがあるのだけれど、彼女は「牛乳以外の動物性食品は一切不可」というほぼ完璧なベジタリアン。
彼女は肉や魚が目に見える形で入っていなくても、原材料にまでさかのぼって動物性成分が含まれていないかを確かめる。煮干でだしをとった味噌汁は飲めないし、ラード(豚の脂)で揚げたフライドポテトは食べられない。つゆにかつお節が使われていないことが証明されないかぎり、ざるそばさえ食べられない人だった。

市販の食品は利用できないものだらけで、もちろん外食もできない。よって菜食主義に転向してからの十年間、旅行にも行っていないという。そんな不便で窮屈な生活をどうして自分に強いるのか。
彼女がその理由のひとつに挙げたのが「どんな動物にも生きる権利があるはずだから」ということだった。彼らは人間に食べられるためにこの世に生まれてきたわけではない、その命を奪って自分の食料にすることはできない、と。
彼女の菜食に傾倒する姿は私が理解できるレベルを超えていた。けれども、私たちが口にするものは例外なく動植物の命と引き換えに与えられるものなのだ、余さずおいしくいただく、それが肉や魚を食す人間の務めなのだ、ということをつくづく思った。
彼女との付き合いはその後、悲しい結末を迎えてしまうのだけれど(こちら参照)、このとき私は何十年かぶりに「いただきます」を言う意味について考えさせてもらったのだった。


何人かで飲んでいた席で、うちのひとりが誤って畳の上でお茶漬けをひっくり返した。すると、「あっ、お米の神様が泣いてる!」とすかさず突っ込みを入れた人がいて笑いが起こった。
小さい頃、お米一粒に八十八の神様が宿っているとか八十八の手間がかかっているとか、親や先生から聞かされた。だから感謝して食べなくちゃだめだよ、と。
「雀百まで踊り忘れず」で、私はいまも茶碗にごはん粒を残さない。

牛や鶏や魚、野菜や果物の命に対して、それらの生産に携わった人、調理をしてくれた人、給食費を払ってくれている両親に対して、平和に食事がとれる環境に対して。あらゆるのものにありがたいという気持ちを持つこと、子どもにそれを教えるために「いただきます」は必要なのだ。
------ということを、「こちらは代金を払っているのだから、誰に恩を感じる必要もない」と主張する母親に説明するどころか、それもそうかと納得してしまうとは……。そういう人たちが子どもにものを教えているのだから、心許ないことこの上ない。
もし自分の子どもが通う学校に「いただきます」がなかったら、私は「うちの子には言わせてください!」と電話をかける母親になろう。


2006年10月04日(水) 給食費を払わぬ親たち

内館牧子さんのエッセイに、小中学校の給食室を取材したときの話があった。
たくさんの栄養士や調理員の人たちに会って内館さんが感動したのは、子どもたちが栄養バランスのよい献立をおいしく安全に食べられるようにと現場で涙ぐましい努力がなされていることだったという。
ニンジンやピーマンはそれが入っていると気づかれないよう工夫をして調理する。アレルギーで食べられないものがある子どもの分はみなと同じに見える、似た食材に差し替える。食中毒事故を起こさないため、サラダの「生野菜」にも火を通し、空中に浮遊する雑菌がつかないようゆで卵の殻は教室に運ばれる直前に調理員がいっせいにむく。調理器具の洗浄、消毒もそこまでしているのか!と驚くほどの神経の遣いようだそうだ。

これを読んで思い出したのは、少し前に見たNHKの番組だ。
小学校の給食事情を取り上げていたのであるが、食品アレルギーを持つ子どもの給食を個別対応している自治体があって舌を巻いた。卵、小麦粉、そば、青魚、牛乳……など子どもによって摂取できないものが違うから、それは恐ろしく手間のかかる作業になるはずだ。それでも、「みなとできるだけ同じものを食べさせてあげたい」という思いで別に作り、間違いがないようそれぞれに手渡ししているという。
半年前に「給食の思い出」アンケートをした際に、「いまの給食はナンだ、クスクスだ、ビビンバだ、チリコンカンだ、とワールドワイドな献立になっている」とか「メニューの和洋中によって食器が替わる」といった話を聞き、自分の頃と比べるとすごい進化をしているのだなあと思っていたのだが、子どもたちのためにここまでしてくれているとは……脱帽である。


しかしながら、十月一日付けの産経新聞の記事によると、そんな給食をありがたいと思うどころか「頼んだ覚えはない」と給食費を払おうとしない親がいるというからびっくりである。
高級外車に乗っていたり携帯料金を月々何万円も払っていたりと支払い能力があるにもかかわらず、「義務教育だから払う必要はない」と応じない家庭が増えており、やむなく学校側が立て替えるものの子どもが卒業すると回収できないままになってしまう例が絶えない……という内容だ。

「なんて親だ」という憤りについては多くの人と共有できるものであろうので、あらためて書かない。私がこの話を取り上げようと思ったのは、「給食費の不払いにはどんな対策が有効だと思うか」というYahoo!のアンケートで、「その子どもには給食を出さない」を選んだ人が31%でトップという結果(回答期間は七日までなので途中経過であるが)を見たからだ。
その理由として、「それは無銭飲食と同じ。子どもに罪はないが、しかたがない」という主旨のコメントが並んでいる。
上記の新聞記事によると、教員やPTA役員が立て替えた給食費を踏み倒されるだけでなく、未納によって予算が少なくなると安い食材を使ったりデザートをなくしたりすることで調整せざるをえず、きちんと払っている家庭の子どもにしわ寄せがいく事態になっているということだ。
子どもを持つ親なら誰だって、そんなばかな話があるものか、一部の身勝手な親のためにわが子の給食の質や量を落とされるのは我慢ならない、と思うに違いない。「『頼んだ覚えはない』と言うんだから、やめてやれ!」と言いたくもなるだろう。

お金を払わなければものは買えない、食べられない。それが社会のルールであり、正直者が割を食うなんて不公平があっていいわけがない。私もまったくそう思う。
しかし、である。だからといってこの問題を「子どもに給食を提供しない」ことで解決しようとしてはならない、と強く思う。
「弁当を持ってこさせればいいじゃないか」という意見も多いが、そんなに簡単に言っちゃいけない。それは子どもの心と体にどんなに大きな傷を残すリスクをはらんだことであるか。
おかしな理屈をこね、子どものための出費を渋るような親なのである、明日から給食なしとなったところで手作りのまともな弁当を持たせるかどうかわからない。みなが同じ食器で同じものを食べている中、コンビニの袋からおにぎりや菓子パンを取り出す子どもがいたら……。なんて寒々しい光景であろうか。
クラスのみなが彼のところに給食が配られない理由を知ることになれば、いじめの原因になりかねない。たとえそうはならなくても、給食の時間には教室に微妙な空気が流れるだろう。本人がみじめな思いをするだけでなく、周囲の子どももまた困惑するのではないか。もしそういう子が隣席にいたら、私は給食をあんなに無邪気においしく食べられただろうか……。
「給食の思い出」アンケートの回答の中に、「子どものほうが親よりよっぽどいいもの食べてます」というのがあったが、それは内館牧子さんのエッセイを読んでも頷ける。
給食費を納めてもらえない子どもの中には、給食が一日のうちで一番のごちそうだという子もいるかもしれない。「そんなこと知ったこっちゃない、払わないのが悪い」で片付けてよいのか。

子どもが食べる分を親が払うのは当然。「払わないから給食停止」ではなく、「どんな手段ででも払わせる」のが筋というものだ。差し押さえによる強制徴収なのか別の手立てなのか、とにかくそのための方法を模索するべきである。
「滞納者の住所、氏名を公表する」にも19%の人が投票しているが、そういう見せしめのようなことにも私は反対だ。自分の子どもが食べる分をよその家庭に負担させてもなんとも思わない人たちは世間の目を気にするような感覚を持ち合わせてはいないだろう。
それで恥をかき、苦しむのは子どもだけ。とんでもない親を持った子を守ってやるどころか、制裁の道連れにしてどうする。
そうでなくても、彼らはもう十分とばっちりを受けているのだ。

給食費を払わぬ親はわが子が毎日どんな気持ちでそれを食べているか、想像したことがあるのだろうか。
クラスメイトがそのことを知っていてもいなくても、後ろめたく居たたまれないに違いない。みなのように給食の時間を楽しみになんてとてもできないだろう。もしかしたら食べないでいるほうがよほど気が楽だと思っているかもしれない。
子どもは「自分だけただで食べたい」なんてこれっぽっちも思っちゃいない。どうしてそれがわからないのか。
自分たちも給食を食べて育ったんだろうに。


2006年10月02日(月) イニシャルG

※ 食事時には向かない話なので、これからごはんという方はまた後でいらしてね。

子どもの頃の夏休みの思い出について書いた田辺聖子さんのエッセイの中に、「南京虫」という単語が出てきた。
それがどんな虫なのか、私は知らない。丸くて赤くて人の血を吸い、その痕は大きくふくれあがるらしい。戦前の大阪下町の家には夏になると当たり前に出たそうだ。
朝起きて布団を畳むとそこに夜のうちに集まってきたのがわんさかいて、それを嬉々として退治したという内容である。

……が、私は途中で本を閉じてしまった。
なにがだめといって、私はこの世で虫ほど嫌いなものはない。夏が苦手なのも、彼らを目にする機会が増えるからというのが理由のひとつであるくらいだ。
川上弘美さんは蝶恐怖症で、遠くを飛んでいるのを見ただけでも足がすくんで動けなくなるそうだが、私は虫全般に対してそう。バッタを捕まえたりセミの脱け殻を集めたりしていたふつうの子どもだったのに、いつからこんなふうになってしまったのかわからない。が、とにかくいまはそれに触るなんてぜったいに無理だ。
蚊が腕に止まっても叩けないし、レタスにアブラムシがついていたらその部分をちぎって捨ててしまう。洗い流せばいいじゃないと言われそうだが、いったん見てしまったらもうだめなのだ。殺虫剤のCFは正視することができないし、それを買うときも缶に描かれている虫のイラストに指がかからないよう細心の注意を払う。
われながらこの拒絶反応は尋常ではないと思う。

そんな私がもっとも嫌悪し、恐怖するのはなにかと言うと……。
一匹見たら百匹いると思えとか、世界が核戦争で滅びても生き残るとか言われているあの黒いやつ……。そう、「イニシャルG」だ(その名を書くのもおぞましい。某漫画でこう呼んでいたので拝借)。
私は独身時代に長くひとり暮らしをしていたが、振り返ればそれはGとの闘いの歴史でもあった。
部屋探しをしていて、どんなに間取りや家賃、日当たりなどの条件がいいところを見つけても、一階に弁当屋やコンビニといった食べ物屋のテナントが入っていたら迷わずあきらめた。敵はといを伝ってあがってきて、エアコンの通風孔や換気扇から侵入してくる。そんなところに住んだら、どんな恐ろしい目に遭わされるか。
しかし、そうでないマンションに住み、台所を完璧に片付けていても、どこからでも入り込んでくるから手ごわいのだ。
ホイホイを置くのは嫌。それが目につくたび「あの中に……」と思い吐き気を催しそうだし、触れないから捨てるときにも困る。かといってホウ酸ダンゴも気がすすまない。もし部屋の真ん中でひっくり返られたら……。
よって、出現したときに殺虫スプレーで闘うということになるのであるが、そのたび恐怖で頭の中は真っ白になり、脂汗が背中を伝った。ノズルをうんと伸ばして構えるも、噴射した後のGの反応を想像したら指が震えてボタンが押せない。もしもがき苦しんで、最後の力で空中戦を挑んできたら……。
しかし、ここで取り逃がしたら大変なことになる。殺虫剤で仕留め損なうと、そのGはそれに耐性を持つ子どもを生み、どんどん強くなっていくというではないか。
私はほとんど半狂乱で煙報知器が作動するんじゃないかと思うほどスプレーを捲き散らし、えずきながらそれをゴミ捨て場に持っていったものだ。

こうした激闘は今年の夏も多くの方が経験されたに違いない。
「掃除機で吸い込んだはいいけど、袋を交換しようとしたらガサガサいってて怖くてできない。どうしよう〜〜っ」
と友人から半泣きで電話がかかってきたことがある。
「けど、はよ交換せなパイプの先から出てくるで……」
「吸い込んだら袋の中で窒息死するって聞いてたのに!」
そんなわけがない。彼らには一滴の水が人間にとっての中ジョッキ一杯分に相当するそうだ。空気だってほんのちょっぴりあれば生きられるだろう。
また別の友人はカレー鍋の中にそれを発見、蓋の隙間から台所用洗剤をドバドバと流し込んだ。
「で、それからどうしたの」
「蓋を開ける勇気がなくて、鍋ごと捨てた」
わ、わかるわ……。

しかしながら、たまにはこんなめずらしいケースも。大学時代、仲良しの女の子から「部屋に出たんだけど、どうしたらいいかな」と電話が。どうしたらって、やっつけるしかないじゃないの。
「なに、スプレーがない?じゃあ新聞紙を丸めて……え、新聞とってない?じゃあ雑誌でもなんでもいいからっ。ぐずぐずしてたら逃げられるで!」
「いっそ逃げてくれたほうが……。だってこんな大きい虫、殺せない」
「なに言ってんの、勇気出して!」
結局、彼女は捕物に失敗してしまったのだが、それほど怖がるでもなし、Gを目の前にしているにしてはのんびりしていたなあと思っていたら、後日理由が判明。
彼女の故郷、軽井沢は涼しいのでそれが生息していない。彼女はそのとき初めて見たため、私たちが無条件に抱く恐怖や嫌悪を感じていなかったのである。

* * * * *

で、数日前、わが家にも出た。今年もなんとか見ないで済んだと胸をなでおろしていた矢先、洗面所の壁に……。
が、ラッキーなことに夫が家にいた。あわわわわと身振り手振りで伝える。電球も替えてくれない人であるが、Gの退治は自分の役目と認識しているらしい。もっとも、妻は腰を抜かしていて使いものにならないからであるが。
「はい、もうだいじょうぶだよ」
「ううううっ、あ、ありがと……」
このときほど「結婚してよかった」と思う瞬間はない。