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2006年10月30日(月) とれない責任(後編)

前編から読んでね。

どうして突然あんな話をしたかというと、昼休みに同僚と『14才の母』について話したからである。
「ああいうドラマはほんっっとに不愉快!」
と彼女が息巻く。
「結局、タイトル通り生むことになるんだろうけど、十四才になにができるのかって訊きたい。妊娠検査薬を買うお金もなくて万引きで手に入れるような子がどうして子どもを育てられるわけ?愛とか命とかいう言葉で中学生が子どもを生むなんていうとんでもないことが美化されるのは我慢できない」
やけに感情的になるなあと思ったら、彼女には中学三年生の娘がおり、毎週かじりつくようにして見ているのが気になっているらしい。

私はそのドラマを先週初めて見た。テレビをつけたら制服姿の女の子が彼に妊娠を告げる場面だったので、「ああ、これが彼女が言ってたあれか」と思い、見てみたのである。そうしたら、同僚が「生んでめでたしめでたし、って話にするのはぜったいやめてほしい」と言っていた意味がよくわかった。
中学生が妊娠しても頑張れば幸せなママになれるんだ、なんて幻想を抱かせる結末にはしてくれるなと彼女は言いたかったのだ。
しかし事前にその言葉を聞いていなかったとしても、やはり私はそれを見ながら、予想される今後の展開にううむと考え込んでしまっていただろう。
産婦人科医が主人公の女の子にこんな話をする場面があった。
「どうして十六才にならないと結婚できないか知ってる?医学が発達した現代でも、あなたのような年齢で出産することは命の危険を伴うからなのよ」
私はそのくらいの年齢にならないと精神的に未熟で結婚どころではないからだとばかり思っていたので、そういう事情もあったのかと驚いた。
学校をやめなきゃならないとか、生活費はどうするのかとか。そういった問題ももちろんあるが、ローティーンでの出産は命がけのものになるという事実があるのであれば、見ている者が「生む選択をすることが自分の行動に責任をとること」であると解釈してしまうようなストーリーにするのはまずい。

かつて、『3年B組金八先生』で杉田かおるさん演じる浅井雪乃が同じクラスの男子生徒の子どもを妊娠、“十五才の母”になった。金八が奮闘し、クラスメイトやその父兄、教師たちが若いふたりを祝福し、支えていくというハッピーエンドであったが、今回もこの三十年近く前のドラマと同じ展開になるのだろうか。
だとしたら、初体験の低年齢化が進み、「援助交際」という言葉もすっかり浸透、どこにでもいる普通の中高生の身に主人公と同じことが起こってもちっとも不思議でないこの時代に制作者が「中学生が妊娠する」というショッキングなテーマを取り上げた意味はいったいどこにあるのだろう。

女の子は十四才、相手も中学生という状況においては、「生む」を選んだから命を大切にしている、「生まない」を選んだから大切にしていない、とすることはできない。
「赤ちゃんに罪はないから」とその後の算段も立てられぬまま見切り発車で生むことが、「好きな人の子どもだから」とまだ十数年しか生きていない子が最悪の事態も覚悟して出産を決意することが、命を尊ぶ行為であろうか。それは勇気ではなく、無謀というのではないか。
「宿った命」「かけがえのない命」を主人公はしばしば口にする。しかし、命の重さというものを本当の意味で理解していないのは出産に反対する親たちではなく、主人公のほうなのだ。

私たちは小さい頃から「自分の行動に責任を持て」と言われて育つ。しかしときに、責任をとりたくてもとれないほど大変な過ちを犯してしまうことがある。十四才にとっての責任をとろうにもとれない事態のひとつが、「妊娠」なのだ。
「もし私が未希ちゃんと同じ立場になったら、やっぱり生むと思います。命を奪うなんてぜったいいけないと思うから。未希ちゃんガンバレ!」
『14才の母』の公式サイトの掲示板には、十代の女の子のこんなメッセージが目立つ。しかし、同僚はしみじみと言う。
「うちの娘は主人公よりひとつ上だけど、携帯ばっかりいじってて、楽しいことしか考えてなくて、自分の弁当ひとつ作ったことがないような子よ。そんな子が妊娠したからって親になんてなれるわけがないでしょう。いまの娘が子どもを育てたらどんな子になるのかって考えたら……恐ろしいわ。それは弟や妹の面倒を見るのとはもうぜんぜん次元が違うことなんだから」

後先考えず避妊もしないでセックスをした、その時点ですでに「命の軽視」が始まっていたこと。妊娠という事態の責任は「十四才」にはとりようがないこと。その結果、かけがえのない命が失われてしまうこと。
命の尊さを説くとは、「自身の人生も背負えないうちは母になる資格も権利もないのだ」ということを若い人たちに伝えることではないだろうか。
“十五才の母”のようなきわめてレアな恵まれたケース(夢物語)に仕立て上げるのではなく、その過ちの罪深さとその年で人生を固めてしまうことの重大さを考えさせる内容のドラマにしてもらいたいと思う。