せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年10月19日(火) 本日ようやく暖房が入りまして少しばかり温んだ部屋にて執筆中

前回の街の悪口からつづき。

暇が多い人ならばどうにか余暇を楽しむ手段もあろうから、適応も出来よう。しかしワタシの場合はそもそもその暇がなかった。いきなり大忙しな生活が始まってしまって、それも無理難題を押し付けられて日々混乱し、苦戦しながら、例えば最初の数年は次から次へと起こる同居人や大家にまつわる問題とも戦わねばならなかったし、知り合いもいないところへ突然越して来る羽目になったので、どこへ行けば何が手に入るとかいうような、いわゆる土地勘というのを養うまで、すっかり労力を割くことになった。

更に混乱ついでに変な男にひっかかったり、我儘な友人に手を焼いたりというような、余り褒められたものでもない経過もあったのだが、ともかく最初の数年間というのは本当に大忙しだった。

それでそれらの嵐のような何年間かが過ぎた頃、ようやく落ち着いて辺りを眺めてみたらば、なんだか途方も無く場違いな処にいるような気がしてきたのだ。ワタシが日々関わっている事どもは、そもそもワタシが本来手掛けてきた事とはずいぶん趣向が違っていた。自分が希望したので無いところにやられたような気がして、最初の頃は随分混乱したり転向すべきか迷ったりした。

あの時思い切って転向しておれば、今頃もっと幸せな暮らしをしていたろうにという思いも無いではない。しかしあの頃のワタシは、というかどの頃もそうだけれど、その時その時で入手可能な情報と既に培った知識と有りっ丈の知恵を最大限に活用して、最適と思われる決断を下すように心がけていたのだから、その決断が失敗だったからと言って、今更ワタシを責めたところでどうにもなるまい。それに時には、事前には知る由も無い問題というのが待っている場合もある。予期せぬ問題が持ち上がって、こんな筈では無かったのにと後悔しようとも時既に遅しで、過去に立ち戻って決断を変更する訳にも行かないのだ。

そんなワケでワタシはこれまで随分苦汁を舐めさせられてきた。その数年間の中で、殆ど惰性で生活が回っていることに気付いて以来、本来のワタシのよさだとか元々持っていたエネルギィだとか、そういったものを取り戻したいと思うようになったのだ。

ワタシの生活は、もはや本来ワタシが持っているうちの三割程度のエネルギィで成り立っている。最初にこの街に越してきた頃と現在までの間の数年分が、なぜかぽっかりと抜け落ちたようになっている。何をしていたのか、自分でもよく思い出せない。業績も残さず、前進もせず、ただどうにか日々を繰っていたように思う。この停滞の時期が、いかにも口惜しい。まだ若い身空で、一体何が哀しくて異国の地で数年間も、亡霊のように暮らさねばならなかったのか。

そしてこの街で亡霊でいるというのは、誠に不経済極まりないのである。


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