無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年02月05日(土) 『九州発言者塾 第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か』/ドラマ『古都』

 だーかーらー、「眞野裕子」「ヌード」で検索して来ても、何の情報もないっつーてんの!(+_+) ……やっぱさー、これだけパソコンが普及してネット人口が増えたのって、そりゃ、ビジネス上の理由とかもあるんだろうけれど、アダルト系が目当てってのも相当高い率であるんだろうねえ。小学生のパソコン普及率も高くなってるけど、「とりあえずパソコンさせときゃ時間潰してくれるから」なんて放任するんじゃなくて、「親が必ず一緒に使う」ってのを最低条件にしないとイカンと思うよ、古臭い道徳観かもしれないけどさ。


 昼から天神・アクロス福岡へ。
 『九州発言者塾第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か“防衛・外交そして教育”―講演と討論―』を聞きに行く。しげも誘ったんだけれど、「他人のお喋りずっと聞かされ続けるのはイヤだ」と断わられた。いや、それが「講演」なんだけど(^_^;)。
 出席者は九州大学教授の清水昭比古氏、月刊『発言者』主幹の西部邁氏、漫画家の小林よしのり氏、作家の佐藤洋二郎氏。
 いろいろ物議を醸しまくっていらっしゃる方々ばかりですが(^o^)。こういう講演を聞きに行ったとなると、すわ「こいつ信者か」とか「コヴァか」とか白い目で見られてしまうのだけれど、別に私ゃ右でも左でもござんせん。つかもう、今の時代、右か左かって区分け事態があまり意味なくなってきてるなあと実感するんで。いるのはもう、キチガイかそうでないか、その違いだけだ。でも実体験としてメイワクかけられてきたのは圧倒的にヒダリの方々ばかりだわね。人の話ってまるで聞かないんだ、あいつら。
 庶民の力など微々たるもんで、歴史だの政治だのは個人の思いがいくらあったって変わるこっちゃないし、また変わっちゃマズイ面もあるだろうと思ってるもんで、政治的なことをこの日記で書くことは控えるようにしてはいるのだけれども、世の中見ているとなんだかなあ、シロウト考えでもこれはヘンだよなあ、と思うことはいろいろあるんである。だから、こりゃさすがに無視はできないなあって大事件が起こったときに、「これはオカシイ」と書くことはあるんだけれど、そうするとこれが西部さんや小林さんの言ってることと一致することもちょくちょくあって、アイタタとなっちまうのである(もちろん違う部分もたくさんありますよ)。
 そうすると、自分が漠然と考えているモノの考え方の基盤に何があるのか、自分が何に拠って立ってモノを言っているのか、自分と意見の違う人たちは何に拠って立ってあんなにヒステリックになれるのか(^o^)、そういうことが気になりだしてしまうので、本を読んでるだけでは飽きたらなくなって、直接その人たちの話を聞いてみたいという衝動にも駈られてくるのである。そういうわけなんで、会場でやたらウンウン頷いたり拍手したりするヤカラと意識は違うので、あまり誤解されないようにお願いします(^_^;)。このシンポジウムには、某協会も背後で絡んでるとかいう話もありますが、そっち方面との繋がりも私は全くありませんので。

 講演のタイトルは以下の通り。
 1「福岡から日本国の自立・自尊を問う」清水昭比古
 2「米中のはざまで日本国の自立をめざす」西部邁
 3「戦後外交史と国家戦略」小林よしのり
 4「教育、自立への道」佐藤洋二郎
 でも殆どタイトルに縛られないざっくばらんな話ばかり。つかみんな「自分史」を語るんだね。全部の内容を細かく書いてるととても書ききれないのですごく乱暴に纏めてしまうと、以下のようになろうか。
 清水氏 「城山三郎の『落日燃ゆ』を読んでください」
 西部氏 「東大辞めたあと好き勝手したけど、そういうことも大事」
 小林氏 「庶民感覚だとやっぱ『反米』のポーズ取るしかないじゃない」
 佐藤氏 「歴史は言葉でしか遡れない」
 あまりポイント突いてないかなあとは思うが、日頃ぼんやりした生き方しかしてない人間が他人の言葉を捉えるときはこんなもんである。
 実のところ、みなさんのお話はこれまで著書に書かれていたことを繰り返しているのが多くて新味はあまりなかったのね。けれどやはりナマで話を聞くと、ああ、この人のこういうところに「共感」してるんだなあ、ということは感じるから、一応、聞きにきて損したとは思わないようにしよう(^o^)。
 小林さんの「庶民感覚」という言葉に納得するのは結局は私も自分が庶民でしかありえないことを自覚しているからだ。政治的にはアメリカ・ブッシュに追随しなければならないことは理解していても、原爆落として人道上の罪を犯したとは思っていないアメ公に対して感情的に信頼を寄せる気にはどうしてもなれない。イラクへの自衛隊派遣だって喜んじゃいない。そこで石油がどうとか北朝鮮がどうとか言い出すヤツがいるのだが、そういう「現実主義」の「正論」聞かされたって、納得できないのが「庶民感情」というものなのである。日頃「人間は感情の動物ですから」とか言ってるヤツに限ってそういうときだけ道学者みたく「理性」を持ち出して来るのはちと卑怯に感じるんだけどね、私は。
 もちろん、小林さんの意見にだって諸手をあげて賛成というわけにはいかない場合もある。「北朝鮮がミサイル撃ちこんでくるんだったら、こっちも報復できるようにしなきゃだめでしょ」という意見には「それが口実にされて本気でミサイル撃ちこんできたらどうすんの」と思わないでもない。でもあの国のデタラメさを思えば、「経済制裁は慎重に」という姿勢だけじゃ何も進展しはしないのも事実なのである。結局はどこかで何かを「覚悟」しなければならなくなるのだ。小林さんはそこで「核武装」まで考えているらしく、それは確かに一つの答えではあるのだけれども、私はそこまで踏み切っていいかどうかということになると「やめたがいい」ということにどうしてもなってしまうのである。なぜかって、私は基本的に日本人を、人間を信用していないからなのだ。つか、“全ての人間を信用できる”楽天家でないと、「核武装が戦争抑止に繋がる」とは言えないのではないか。
 人間は弱い動物である。それは肉体的にも精神的にもそうだ。プロメテウスが火をもたらしたことは、人間に「知恵」を与えもしたが、同時に「戦争」をも与えた。どんなに平和を望もうと、いったん与えられた「技術」を冷静にコントロールできるメンタリティを人間は持ちえない。諸刃の剣が使われなかった例がどれだけあるか。「専守防衛」は既に拡大解釈されて「イラク派兵」という形で行使されている。「イラク派兵反対」を唱えるなら、「核武装」も否定しなければならないんじゃないか。小林さんだって、「武器を持ってるだけで使わずにすむ」と思っちゃいないと思うんだけれどもねえ。

 講演後はパネル討論。
 清水氏がまず口火を切ってこう語る。
 「今、学校では弁論大会をやらなくなった。その代わりにディベート大会なるものをやる。『原発についてどう思うか』というテーマで、賛成か反対かを討論させるのだが、自分の意見を言わせるのではなくて、予め賛成か反対かの立場をクジで決めて、ネットで情報・根拠を集めて討論させるだけだ。しかも、トーナメントで勝ち進んで行くと、さっき賛成だった生徒が反対の立場で意見を言わされることもある。こんなアメリカ追随の、定見を持たせない教育があっていいのか」
 西部氏が補足して説明する。
 「アメリカは徹底した個人主義の国だから、ともかく自分の意見を押しつけようとする。だから『他人の立場に立ってみる』という形のディベートもそれはそれで意味があった。しかし、日本がそれをそのまま導入しても意味はない。なぜそんな無意味なことが行われるかというと、結局は日本人からコモンセンス(常識)が失われているからだ。しかしそのことで学校教育に期待しても限界がある。教育は『知育』と『徳育』に分かれるが、今失われているのは『徳育』の方で、それは家庭において、地域においてなされるべきで、その復活が必要だ」
 そこで小林氏が場を盛り上げようと極論を言う。
 「知識はマンガ読んでれば手に入る。わしは学校で習う前に『影』の字が書けたけど、『伊賀の影丸』のおかげだ」
 最後に佐藤氏が「何事にも中庸が必要で」とまとめる。
 つか、まとまったのかどうかはよく分からないけれども、要するに「伝統の基盤は家庭にある」という論調はみなさん共通していることなのだ。

 しかしそこでやはり疑問に思うのは、これから先、どれだけ「家庭」とか「地域」に期待ができるか、ということなのである。
 ちょうどパネル討論のときに学校のセンセイとやらが、「ゆとり教育に反対している親をどう思うか」と質問していたが、そりゃあもう、バカ親だとしか言いようがあるまい。小林さんがこの質問に答えて、「知識をムリヤリ詰めこむことも大事で、学校は必要だと思う。けれど、仕事が忙しいからとかいう理由で、朝の飯も味噌汁も作ってやらないような親をわしは許さん」と仰っていた。まさしくその通りだと思う。その通りだとは思うが、小林さんがいくら「許さん」と仰ろうと、そんなバカ親ばかりがどんどん増えているのである。
 子供の「学力低下」をどうするのか、文科省が押し進めてきた「ゆとり教育」に文句をつけ、路線変更を求める声は多いが、これがつまりは「学校以外の教育機関がこの日本には存在していない」ということ、「家庭には教育能力が殆どなくなっている」ことの逆証明だってことに気付いてる親がどれだけいるのだろう。知育も徳育も、今の親は子供に対してできなくなっているのだ。その最悪な状況が、果たして一朝一夕に改善できるものだろうか。
 西部さんは、「詰めこみ教育が効果を挙げた例はギリシャの昔以来、歴史上一度もない」と断言されたが、家庭は、「ゆとり」と「詰めこみ」のどちらの教育も、知育と徳育のできない、ただの「他人どうし」がなぜか一緒にいるだけの空間に成り果てているのである。
 ウソだというのなら、子供をお持ちのご家庭の親御さん、自分に対してこう問いかけてみて頂きたい。あなたは自分の子供の勉強を何年生まで見ていられるのか。「そんなのは学校の仕事だ」と言い訳した時点であなたは負けである。昔の親は、いろはも漢字も算数も、学校があってもみんな「家庭で」教えていたのだ。教科書を読む力があれば、家庭教師を雇わなくても親が子供を教えられるはずである。
 また、子供に「ウソをついてはいけない」といつまで本気で教えていられるか。「大人はみんなウソをついているのに、どうして子供だけついちゃいけないの?」と子供から問われたときに、「うるさい」とかなんとか適当なことを言って突き放してはいないか。たとえ世の中がウソだらけでも、そんなに簡単にウソをついていいわけではないと、なぜ自信をもって言えないか。それはアナタがウソまみれの人生を送っているからではないのか。
 その程度のことにも答えられない「親」と称するただの「他人」が、「ゆとり教育」に異を唱えて人口の7割を占めているのが現状なのである。そんな国家のどこに未来があると言えよう。
 その流れを止めようというのが「ゆとり教育」の本来の目的だった。「学力低下」も当初からの予測通りで、落ちこぼれていくやつにムリヤリ勉強させて表面的な学力だけを底上げしてみせても社会で通用する「実力」のある人間は育たなかったという「現実」を踏まえて、「余裕の時間を本当に有効に使える人間を育てよう」というのが目的だったのである。だから、今「学力低下」だの何だのと騒いでるバカ親どもは、「自分の子供が余暇を有効に利用できなかった」連中ばかりで、そんなバカ親の子供は、たとえ「詰めこみ」されたって、やっぱりバカな人間にしか育たないのである。それはまさに「詰めこみ教育」されてきた今の親たちの姿そのものではないか。
 文科省も腰砕けというか、やっぱり中にいるのは「自分の子供だけは違うだろう」と楽観していたバカ親ばかりだったので、路線変更をやり出しているのである。これで、せっかく余暇を利用して自分の勉強ができるようになった子供たちの足が引っ張られることになる。この国はいったいいつまでこんな「悪平等」を続けていけば気がすむのだろうか。


 夜、上戸彩主演のドラマ『古都』を見る。
 川端康成がラリってるときに書いた内容が何もない小説なんだけれども、なぜか映像化が繰り返されている。岩下志麻、山口百恵に次いで二役の少女を演じる上戸彩だけれども、これはどうもミスキャストっぽい。そっくりな双子が登場するからといって、『ふたりのロッテ』みたいに入れ替わりをモチーフにしたわけではなく、自分とそっくりな人間がいることで現実の実感が揺らいで行く、『ウィリアム・ウィルソン』的な幻想小説としての面白さが『古都』の主眼なのである。それを普通のドラマに仕立ててもねえ。
 原作読む力のない脚本家と演出家じゃ、それも仕方ないんだけれど、渡部篤郎のストーカー的演技はドラマの中で唯一狂気を感じさせていてよかった。原作のエッセンスをつかめてたの、渡部さんだけだったんじゃないか。


 夜、久しぶりのチャット。直前に告知したにも関わらず、宇津見さん、鍋屋さん、あやめさんが参加。ありがたいことである。私としげの二人だけで向かい合わせでチャットするハメになるんじゃないかと心配していたのである。体力的にそうしょっちゅうはチャットは開けないが、またたまに掲示板の方で告知しますので、よろしければちょくちょく覗いて頂けるとありがたいのである。


 見逃しかけてた映画関係のニュース。
 かなり以前から何度もウワサをされていたのだけれども、OO7シリーズの最新21作目が『カジノ・ロワイヤル』に決定したそうな。
 御承知の方も多かろうが、この『カジノ・ロワイヤル』こそが原作者イアン・フレミングが1953年に発表したOO7ジェームズ・ボンドシリーズの第1作で、早くもその翌年、最初に映像化された作品でもある。もっともそれはアメリカのCBSテレビによる"Climax!"という単発テレビシリーズの一編としての映像化で、ボンドを演じたのはバリー・ネルソン(『大空港』『シャイニング』)、敵役ル・シッフルは名優ピーター・ローレ(『M』『カサブランカ』)という布陣だった。アチラではDVDも出ているそうだけれど、残念ながら日本では依然、未公開。当然私も未見だが、バリー・ネルソンの風貌はキザったらしいアメリカンってな雰囲気なので、さて、女にだらしなくても決してニヤケてるわけじゃないイギリス紳士のボンドのイメージに合っていたかどうか。
 アルバート・ブロッコリ率いるイオン・プロとMGMによる“本家”OO7シリーズが『ドクター・ノオ(OO7は殺しの番号)』を皮切りにスタートしたのが1962年、当然『カジノ』も映像化候補に挙がっていたのだが、このフレミングの処女作に関してだけはその映像化権をチャールズ・K・フェルドマンが握っていた。てなわけで、彼が1967年にコロンビア映画でジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲストと五人の共同監督というムチャクチャな体制で、本家とは全く関係なく作りあげたのがコメディ映画ファンに語り継がれることになる『OO7/カジノロワイヤル』(DVDタイトルからは「OO7」が省かれちゃってるけどね)。この大怪作については語り出したらキリがないから省略するけど、そういった事情で、フレミングの原作が15作で尽きてしまって、オリジナル映画を作らざるを得なくなっても、イオン・プロは『カジノ・ロワイヤル』の映画化だけは断念してきたのだ。
 そのあたりの事情に変化が生じて来たのが昨年あたりからクエンティン・タランティーノが『カジノ』をリメイクしたがっているとのウワサ。どうやら今回、MGMとバーバラ・ブロッコリ(アルバートの娘)は、タランティーノの機先を制する意図で、ついに「ジェームズボンド21」として『カジノ』の映像化に着手したと見てよいようだ。……コロンビアから権利買い取るの、高くついたろうなあ。
 まあ、タランティーノが作れば映画はまたトンデモナイものになることは分かりきっているので、何としてもそれは阻止しようってバーバラさんは考えたんだろうね。気持ちは分からないでもないが、フェルドマン版『カジノ』のデタラメさを愛する人々にとっては、タランティーノ版が見られないことはちょっと残念に思っているんじゃないかと思う。私もそうだし。
 ただ、製作発表はあっても、主演のピアース・ブロスナンはボンド役を降りることを表明しているし、現在決まっているのは監督のマーティン・キャンベル(『ゴールデンアイ』以来の再登板)、脚本のニール・パーヴィスとロバート・ウェイドほか一部のスタッフ、役者ではジョン・クリーズのQとジュディ・デンチのMだけだ。この程度の状況で製作発表(しかも公開予定は来年である)というのはいささか早過ぎる気がするのだけれども、これはもしかすると、ウワサとして流れていた次のボンド役、コリン・ファレルやエリック・バナ、ジュード・ロウ、ユアン・マクレガー、オーランド・ブルームといった人々の誰かが色よい返事をしたんじゃないかというカングリもしたくなる。でもこの中の誰一人として「ボンド」と言われてピンと来る人がいないんだがなあ。ブロスナンのイチオシはファレルだそうだけれども、まだ20代じゃ若過ぎないか。
 けれどこれで残念がっているのは日本の香川県だろう。レイモンド・ベンソン作で、タイガー田中(『OO7は二度死ぬ』では丹波哲郎が演じた)の娘も登場するシリーズ最新作『赤い刺青の男』の映画化の希望と撮影の誘致の署名を活発に行ってたんだけれども、これがみんなパアになっちゃった。仕方ないとは思うけれど、せっかくだから
一部分だけでも日本ロケしてくれないものかね。

2004年02月05日(木) 入院日記4/気持ちのいい検査(* ̄∇ ̄*)
2003年02月05日(水) タクシー慕情……演歌だね/DVD『銀座カンカン娘』/『総特集 江口寿史』
2002年02月05日(火) ゴーマンかましちゃ、いけまっしぇん/『コンセント』(田口ランディ)ほか
2001年02月05日(月) 恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平)


2005年02月04日(金) 『魔女の宅急便』実写化?(゚o゚)/映画『レイ』

 先週休んでた分の仕事が押せ押せで、一日がかり。
 けど結局、完成しないまま、来週に持ち越し。まあ月曜日がシメキリだから遅れたことにはならんのだけれども、今日中に片付けておきたかったなあ。月曜日生きてるとは限らんのだから(シャレにならん)。

 帰宅してひと休憩してからキャナルシティへ。ここんとこ見たい映画が立て続けに上映されるので、追いかけるのも大変なのである。
 AMCで映画『レイ』。
 「レイ」と聞いて真っ先に綾波レイとか火野レイとかアムロ・レイを思い浮かべる人はオタクの定番ではあるけれども、ちょっとも少し趣味を広げていただきたいかな(~_~;)。レイ・ハリーハウゼンやレイ・ブラッドベリが浮かんだ人は今どきはもう病膏肓の域なんだろうねえ。私がそうだが。……『0課の女』? まあ人は好き好きですから構いませんけどね。
 もちろん映画のタイトルの「レイ」はレイ・チャールズである。ほかに誰がいるよ。
 つまらない前振りで申し訳なかったが、アメリカでは大ヒット、DVDも発売した途端に売り上げトップを記録したというのに、日本では、確かに『オーシャンズ12』とか『オペラ座の怪人』とか、強敵がいるのは分かるけれども、興行収入ベストテンにも入らないという状況。「レイ・チャールズ」って言っても、若い人は全然知らないんじゃないの? と悲しくなってしまったからである。しげも最初に知ったのは『いとしのエリー』からだって言ってるしなあ。
 とは言え、ここで「レイ・チャールズのアメリカ・ミュージックシーンにおける偉大な軌跡」を語るつもりはない。語りきれるはずもないし、語れるだけの音楽的素養も私にはない。言えることは、『レイ』が一人のミュージシャンの半生を描いた伝記映画としては殆ど稀有と言っていいくらい出色の出来だ、ということである。
 伝記映画の大半がつまらないのは、たかだか2時間か3時間程度の時間では一人の人間の人生を描くことなど到底かなうものではなく、薄味のダイジェスト版になってしまうものが殆どだということだ。だから内容を「濃く」するために、その人物の人生の一時期だけを切り取る、という手法を取った映画のほうが最近では多い。『ネバーランド』もそうである。
 ところがこの『レイ』は、レイ・チャールズの幼少期からヘロイン中毒から脱する60年代までの30年間ほどを殆どダレさせることなく見せてくれている。
 一つはもちろん、レイ自身の「音楽」の魅力による。ナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンのモノマネに過ぎなかった彼が、「オリジナル」に目覚めるまでの苦闘、ゴスペルとの融合、カントリーへの回帰、音楽性が変容していく軌跡を克明に描いていることが「流れ」を生んでいる。
 しかし、この映画に芯が一本、貫かれているのは、ヘロイン中毒による幻覚がレイを襲ったときに現れる「水」のイメージが、彼の幼少期と直結して何度となく繰り返されているためである。観客は始めあの「水」が何を意味しているのか探ろうとし、その正体が判明したあとは、レイが中毒から脱してどのように救われるかを想像する。その間に途切れがないためにダレずに見ていられるのだ。
 レイの音楽も、愛も、苦しみも、全ては幼少期の母と弟の間で起きた出来事が底流にあってレイの人生を支配、抑圧してきた。そんなレイを本当に救えるものは家族の愛でもなければ親友でも愛人でもなく、結局、「音楽」であった。センチメンタルな要素を極力排したその冷徹な視点が、この映画を人情悲喜劇に堕することから救っているのである。


 しげのチョコレート制作が本格化。家の中はチョコ臭が充満していて空気が濃い。
 甘ったるくて気分が悪くなるが、喚起すると寒くなるし、なんで2月なんて一年で一番寒い時期にこんなイベントを仕掛けやがったんだとお菓子業界に悪態の一つもぶつけたくもなる。
 テレビで言ってたけれども、近年は、本命チョコ、義理チョコのほかに「ご褒美チョコ」で、自分で自分に贈るチョコの割合が増えてきてるんだそうな。「義理チョコ」ってのもいかにも日本人的な人間関係のしがらみを感じさせてあまり好きじゃなかったが、自分にご褒美ってのも寂しいなあ。クリスマスも「自分に乾杯」か? 「負け犬」でもいいやって開き直るんだったら、「チョコだって食わねえ」という気概が欲しいやね。


 米バラエティ誌によると、ウォルト・ディズニー社は、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』を実写映画化することにしたとか。
 今のところ分かっている情報は、角野栄子の原作を基に、『イノセント・ボーイズ』の脚本家、ジェフ・ストックウェルが脚本を執筆するということだけれど、ここんところの「実写化」「ハリウッド映像化」の中でもこれが一番のビッグニュースってことになるんですかいね。いや、「次は何が実写化されるか」ってのはオタク間の話題によくなるところだけれども、『魔女宅』というのはちょっと思いつかなかったねえ。考えて見ればファンタジーだし、いかにもディズニー好みだし、『ナウシカ』や『ラピュタ』を実写化するよりはるかに予算がかからずにすむだろうし、ありえないことではなかったのだが。
 そうなると気になるキャストは誰やろか、ということになるのだが、アチラの若い女の子って言われてパッと思いつくのは、私ゃ、エマ・ワトソンかダヴェイ・チェイスかダコタ・ファニングくらいなんである。
 エマ・ワトソンじゃもうこれはどうしたってハーマイオニーになっちゃうわけで、魔法使い繋がりでイメージが固定されるのは本人やプロダクションも嫌う可能性が高かろう。ダヴェイ・チェイスは『千と千尋の神隠し』『リロ&スティッチ』の声アテでディズニーと縁が深いけれども、なんたって「貞子」なわけだし、顔出しするとなるとイメージがかなり違ってくる。ダコタ・ファニングはイメージ的に悪くはないけど、前二人の年齢の15歳に比べるとまだ10歳で幼い印象。もっとも、映画が実現するころにはちょうどいいトシになってるって可能性もあるから、こちらのほうがかなり有力かもしれない。けれど、『宇宙戦争』に『シャーロットのおくりもの』に『不思議の国のアリス』などなど、ちょっとこの子は映画に引っ張りだこと言うか、いささか出過ぎの感すらあるから、新鮮味は少し薄れてしまうかもしれない。……まあ、新人さんが起用される可能性が一番高いとは思うけどさ。いっそのこと、日本人から選んで安達祐実にさせるというのはどうか。こないだ初めてナマで見たけど、あの子なら、あと10年くらいは17歳で押し通せるぞ。いやマジで背丈ちっちゃいままでストップしてるんだって。グラビアとかはかなりムリしてるんだなあと驚いたんだから。あれなら続編作る場合もモーマンタイだぞ!(冗談なんで本気に取らないように)
 けど、映画化が実現するとなると、当然ディズニーランドにも『魔女宅』のアトラクとかショーとかが展開されることもありえるわけである。アニメ版と同様のクライマックスになるなら飛行船の大活劇が「体感」できるわけで、そっちの方が興味深いのである。

2004年02月04日(水) 入院日記3/またヘンな夢を見た
2003年02月04日(火) 予想通りに世の中が動くって味気ないね/DVD『パパ・センプリチータ』/『名探偵コナン 10+PLUS SDB』(青山剛昌)
2002年02月04日(月) チョコレート一本勝負/『何だかんだと』(ナンシー関)ほか
2001年02月04日(日) HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)


2005年02月03日(木) チャットルーム新設/『DEATH NOTE(デスノート)』5巻(大場つぐみ・小畑健)ほか

 チャットルームをホームページに新設。と言っても作ったのはしげだ。
 これまでのチャット部屋も廃止したわけじゃないんだが、「スピードが早いから」という理由でしげが借りてきたのである。ログは残しにくいらしいけど、「おしゃべり」は消えていくのが宿命みたいなもんだからまあいいかね。
 土曜の夜にとりあえず練習の意味でしげと二人で入ってみる予定なので、ついでに我々夫婦とおしゃべりしてみたいとお考えのもの好きな方はご遠慮なく起こし下さい。何も出ませんが(^o^)。詳細は掲示板をご参照のほどを。トップページを経由せずにいらっしゃる方は次のURLまで。
http://www.avion.co.jp/jetchat/chatpage.php3?00227728


 木曜ドラマ『富豪刑事』第4話「富豪刑事のキッドナップ」。
 出来悪いなあと思いながらも1話も見逃さずに見てますよ、『富豪刑事』。決してフカキョン目当てじゃなくて、あくまで筒井康隆ファンだからなんだけれども、筒井さん、このドラマに本気で納得してるのかなあ。内心怒ってるか諦めてるかどっちかだと思うけれども。でも出演している筒井さんは、頭を打ってフラフラして倒れるというコメディアン定番の演技を、上手いとは言えないけれども実に楽しそうに演じている。ご本人は「番組がヒットしたら続編も書こうか」とか言ってるらしいけれど、本気なのかなあ。あんまり楽しそうなので、文句付けるのが憚られるんだけれど、今回もやっぱりドラマ自体はトホホな出来なのであった。

 工場経営者・高森陽一(吹越満)の息子・英一が誘拐され、犯人から一千万円が要求された。鶴岡(升毅)ほか焼畑署の刑事たちは、身代金の受け渡しに向かう陽一を尾行するが、犯人に警察の存在がばれてしまい、金も見事に奪われてしまう。犯人は緊急配備された検問を見事に突破していた。布引(寺島進)は、犯人がなぜ一千万という金額を要求してきたのか、ちょうど従業員の給料一千万円が金庫に保管されていたことから、身内による狂言誘拐と推理し、陽一の妻・歌子(星野光代)を疑う。
 犯人は警察に通報したことに腹を立て、さらに一千万円を要求してくる。神出鬼没の誘拐犯に焼畑署の刑事たちは途方に暮れるが、美和子(深田恭子)は「重くて身動きがとれないほどのお金を用意したら」と提案し、自分が一億円を用意すると言い出す。

 トリックも真犯人もバレバレで、小学生の推理クイズレベル。こんなんで騙される警察がいたらお目にかかりたい……と言いたいところだが、バカでマヌケでかつての評判も地に落ちた感のある警察だったら、焼畑署刑事たちなみのドジもやらかしそうである。つか、実際の誘拐事件でもこのドラマ以下の信じられないミスやらかしてる例、いくつもあるんだよなあ。これではどんなバカ刑事が出てきても「リアリティがない」という批判ができないのである。困ったもんだ。
 でも、『富豪刑事』シリーズならではの、「いかに大金を使って犯人を追い込むか」というアイデアもイマイチ効いていない点で、やはりマイナス。「一千万でいいんですか?」「なら一億円だ!」なんて小学生だって騙せないような誘導に乗るなよ……って、でも「降り込め詐欺」がこれだけ流行ってると、この程度の口車でも人って簡単に騙せそうだよねえ。
 現実がフィクション以上にバカげてるおかげで、リアリティ云々が言いにくくなってんだけど、だからと言ってバカばっか出してもドラマは面白くならないのだ。やっぱり話はもうちょっと練ってほしいよ。
 落ちは「上手い脚本家と演出家だったら」効果的だったと思うけれども、やっぱり使い古されたネタではあるから(つか、こないだのアレもコレだったね)、もちっと工夫が必要だったと思うんである。フェアなつもりかどうか知らんが、余計なヒント与えすぎ。もう本格ミステリはやめて倒叙形式でやった方が、まだ見られたものになるると思うけどねえ。
 夏八木勲が、昔は「篭脱け詐欺もやったもんだ」って言ってたのは映画『白昼の死角』を受けてのセルフパロディのつもりなのかなあ。こういうのもわざとらしいとシラケるんである。


 最近は小説もマンガも含めて、読んだ本の感想を書く余裕がなくなってるんだけれども、こいつだけは書いとかなきゃなんない。なんたって今一番ホットなミステリーコミックだからね。
 大場つぐみ原作・小畑健作画『DEATH NOTE(デスノート)』5巻。
 とは言え、“人気取り”だけが目的のジャンプマンガにしては面白いと絶賛してきたけれども、さすがに連載一年を経過しようって時期になると、旧来のジャンプマンガ同様、「引き伸ばし」も顕著になってくる。第2のキラ、弥ミサに続いて、第3のキラ「ヨツバキラ」まで登場させたのはそのあたりの思惑がちょっと露骨だなあという印象。夜神月とLとの一騎打ち的緊迫感が、これでかなり薄れてしまっている。
 もちろんそれで一気につまんなくなったというわけではない。月が自らの記憶をなくすことによって、月とLに一時的に(なんだろうけれど)共同戦線を張らせ、ヨツバキラに対抗させることで「対決」要素はちゃんと残している。ヨツバ幹部8人の中の誰がデスノートを持っているのか分からなくすることで、誰がその人物か推理させるという謎解きの要素もちゃんと盛り込んではいるのだ。
 けれど1、2巻のころほどのワクワクするほどの面白さはさすがに薄らいできた。『デスノート』をしても引き伸ばしによる構成の混乱を避けることはできなかったか、という残念な思いがヒシヒシとしてくるが、こうなるとドラマの着地点をどのあたりに置くか、“本気で”考えてほしいものである。ただ「人気があるから」という理由だけでムダに連載が長期化したせいで絞りカスみたいにボロボロになっちゃった作品や作家さんをこれまでいくらでも見てきてるから。
 でも仮に『デスノート』がつまんない終わり方をしたとしても、原作者を取り替えさえすれば小畑さん自身は生き残れるだろうから、あまり心配はないのかな。

2004年02月03日(火) 入院日記2/またヘンな人に会ったよ
2003年02月03日(月) 世界は非常識でいっぱい/『ホスピタル』1・2巻(唐沢なをき)/『軽井沢シンドロームSPROUT』2巻(たがみよしひさ)ほか
2002年02月03日(日) ラーメンファイト!2/映画『ヴィドック』/『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮の皮』1巻(阿部川キネコ)
2001年02月03日(土) 笑いの王国/『かめくん』(北野勇作)ほか


2005年02月02日(水) ない袖まで振らせようとするな/DVD『鉄人28号』6・7巻

 2月に入ってしげがソワソワし始めている。
 お察しの方もいらっしゃるだろうが、14日のバレンタインデーが目前に迫っているからだ。
 もとはと言えば、其ノ他君との「勝負」から始まったこのバレンタイン戦争、牛乳パック大から始まってボールやパラソルチョコを実物大で作るという年々巨大化の一途を辿っていたのだが(其ノ他君もよく食ってたよな)、このまま行けば等身大チョコくらい作りかねないよなあと心配していたのである。
 ところが今年は、チョコを渡さなきゃならない相手が増えたとかで、さすがに巨大化路線を取るには予算が尽きてきたらしいのである。その代わり「ネタで勝負!」と、ない知恵をいろいろと振り絞っているようなのだが、その「ネタ」がどんなものなのか、想像するとちょっと怖い。ちゃんと「食べられる」ものなんだろうなあ。
 ……いやね、『愛エプ』見てたら、デヴィ夫人とか杉田かおるとか光浦靖子とか、トテモ人間が食えそうにないようなシロモノを作ってんだけどさ(鮟鱇鍋なんだけど、よく洗ってないから内臓の内容物がまんま鍋の中で腐臭を漂わせてるんである。……辛そうに食ってた高見盛の顔が実に哀れ)、しげの料理の腕もあれと大差ないのだ。……いや、ホント。
 今んとこ私がそこまでの被害に遭ってないのは、そんな「鮟鱇」なんて、初めから失敗すると分かっている食材をしげに使わせてないからである。
 ただ形に凝るだけならいいけどねえ、へんな「ネタ」仕込んでさあ、悲しい気持ちになるようなものは作らないでほしいと言うか、あまり悪趣味なものに走らないでほしいなあと切に願うものなのである。


 今日から出勤の予定だったのだが、トイレに行ったら便がまだ水。昨日飲んだ下剤、えらく効き過ぎである。歩いてる最中にも漏らしそうだったので、とても出勤できる状況ではない。職場に連絡を入れて欠勤。これでまた仕事が滞るなあと思いつつも、一日寝て過ごす。風邪も治っているわけではないので、音のしない部屋で咳だけが響いているのがやたら寂しい。え? しげはどうしてるのかって? そりゃ、寝てるに決まってるじゃありませんか。


 DVD『鉄人28号』6・7巻。
 第十五回『不乱拳の弟子たち』から第二十回『まだら岩の怪人』まで。
 正太郎が正義に目覚めてようやく物語がオーソドックスな冒険活劇になってくれるかと思ったら、いきなり敷島博士の乱れた性関係(^o^)が語られるというまたまた辛気臭い展開。普通のドラマとして見たら決して悪くない脚本なんだけど、やっぱり深夜アニメで子供向けではないわな。だったら横山光輝の絵柄に似せようとする必要もなかろうに。
 原作でも人気ロボットであるロビーをたった1話で使い捨てるのは贅沢と言うより考えナシだし、VL2号はやっぱり空を飛ばない。なにか思惑があってあえて鉄人に空中戦をさせまいとしてるのかね? 今川監督は。
 十七回以降はビッグファイア博士、クロロホルム探偵、ニコポンスキー、PX団と原作での人気キャラはシャネル・ファイブを除いて殆ど登場。けれどやっぱり展開は「金田博士はスパイだったのか?」なんてことで正太郎が悩むという鬱陶しいお話に。だーかーらー、そーれーはー、『ジャイアント・ロボ』んときに「フォーグラー博士は本当にバシュタールの惨劇を起こしたのか?」ってやったときの二番煎じじゃないのー? いくらビッグファイア博士にびっくりジャンプをさせたり、PX団首領に片手挙げ笑いさせても、横山光輝の表面をなぞってるだけにしか見えないのである。
 せめて千住明の重々しい音楽だけでも差し換えてくれたらまだマシになると思うんだがなあ。


 夜、父から電話。
 親戚からの借金の申し出、断わったとのこと。そりゃ、いくらなんでも「1300万貸してくれ」じゃ、借金の桁がデカ過ぎるというものである。庶民が右から左へスムーズに動かせるものじゃない、というよりはそんなカネがあると思ってるほうがどうかしている。
 仮に手持ちのカネがそこそこあったとしても、返すアテの全くない相手に親戚とは言え誰がホイホイと貸すものか。非常識を通りこしてキチガイ沙汰なんだが、それを堂々と頼み込んで来れるあたり、父が親戚からナメられてるのは一目瞭然なのである。義理とか世間体とかを考えさせれば押しきれるだろうと、アチラも甘えてねだってきたんだろうが、それが通用してきたのは父がまだ働き盛りだったころまでである。もう父だって親戚づきあいをあえてしなきゃならんトシでもないし、縁を切ったところで今後困る事態になることはない。それでも私にわざわざ相談してきたということは、最後の最後で踏ん切りがつかなかったんだろうが、そこがいいトシして情けないのである。だいたい親戚なんて、「血が繋がってるだけの他人」以外の何だというのだ。世の中、親子・兄弟でもカネが絡めば血で血を洗うがごとき醜い争いを繰り広げるのはザラだというのに、借金申し出てきた時点で縁切る覚悟ができなくて、なんで世渡りができようか。なんだかなあ、やっぱオヤジって基本的に「善人」なんだなあと思ってしまうのである(注・誉めてない)。生前、お袋から「苦労知らず」と言われてたのもムリはないのである。
 だから、借金を断ったと聞いて、ようやく「そりゃ、よかったね」で終わるかなあと思っていたら、父がまたとんでもないことを言い出した。
 「それでなあ、俺に断わられたから、今度はおまえんとこに借金申し込むって言いようったい」
 「はあ!? なんで?」
 「それくらい切羽詰まっとうってことやろう」
 「……まず、自分とこの家と土地売って借金返せばいいじゃん! でなきゃ自己破産せな!」
 思わず怒鳴ってしまったが、それこそ名字も違う、四親等も離れてる親戚から借金申し込まれる筋合いなんてない。これはつまり、「アンタが貸してくれないなら、息子にたかってやるぞ」という、父に対する「脅し」である。こんな下司な親戚とよくもまあ、これまで付き合ってきたものだと思うが、ホントにウチの親戚こんなやつらばっかりなんだよなあ。私の人格の根底に人間不信が横たわってるのも仕方ないのである。
 まあ、「脅し」である以上、私のところにホントに借金の申し出に来ることはまずないと思うが、もしホントに来たら、「まず、今までの借金、全部返してからそれ言ってね?」と静かに返事してあげようと思っているのである。

2004年02月02日(月) 入院日記1/3年ぶり
2003年02月02日(日) 閃光の意味は/アニメ『明日のナージャ』第1回/『グーグーだって猫である』2巻(大島弓子)
2002年02月02日(土) ファンタジーの地平に/映画『ハリー・ポッターと賢者の石』/『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)
2001年02月02日(金) ゆっくり休もう/舞台『人間風車』ほか


2005年02月01日(火) 「ポリープ」って音の響きは美味しそうなんだが/舞台『ジャン・コクトーの「声」より』

 朝から下剤飲んで、病院で内視鏡の検査。
 以前も経験があるので、詳細は省略。ケツカメラは前はかなり気持ち悪かったんだけれど、今回は体力消耗してたせいもあるのか、腹がちょっと張るくらいで苦痛はなかった。前回同様、今回もポリープ発見。カメラで見た印象は、腸壁に張り付いたマッシュルームみたいである。
 どうやら私は定期的にポリープができる体質らしい。放たっといたら腸の中ポリープだらけになるんか? ってことは、ケツカメラも定期的に突っ込んでもらわなきゃならんってことかよ。トホホ。
 大雪の中、帰宅して夜まで寝る。


 6時過ぎからお出かけ、キャナルシティ横の「ぽんぷらざホール」で、制作集団アントンクルー番外公演『ジャン・コクトーの「声」より』を見る。
 地元劇団の芝居はあまり見ない。自分とこの劇団もそうだけれど、やっぱねえ、一人よがりな人間ばっか集まっててさ、「一般の人に見せられるもの」をちゃんと作ろうってところが少ないから(ウチがカンパ制でおカネ取らないのは、練習見てるとどうしても「そんなんで芝居やってるつもりか」って思いがしてしまうから)。
 だからと言って、地元劇団の芝居は絶対見ないとまでは思わなくて、芝居の企画によっては「これは面白そうだ」と思って見に行くことがある。ハッキリ言えば80年代以降の小劇場演劇作家の作品を扱った演劇はどこの劇団が演じても大同小異でもう見たくはない。今回はジャン・コクトーが原作ということで興味を持った。

 男から別れを告げられた女。
 寂しさに耐え兼ねて、女は睡眠薬で自殺を図るが、友人マルトに助けられて一命を取り止める。そしてその翌日の深夜、女は男からの最後の電話を待っている。
 電話のベルが鳴る。しかしそれは男からのものではない。1920年代のパリでは、電話の混線は日常茶飯事であった。見知らぬ女から何度となくかかってくる電話に苛立つ女。ようやく男からのベルが鳴る。
 女は昨夜の自殺未遂を悟られないように、明るく振る舞う。しかし、男のつく嘘に気付いたとき、女もまた嘘の上に嘘を重ねるようになっていた。
 そして、再び混線する電話。電話の向こうの、名も知らぬ女は、ずっと、二人の会話を聞きつづけていたのだ……。

 びっくりしたのはやはり主人公の「女」を男性に演じさせていたことだ。これはかなりな「冒険」で、大失敗に終わることも覚悟の上の勇気ある演出だと思う。
 多少、女顔した男性なら、黙って立っているだけなら女に見えなくもないが、声を出して動いてしまうとこれはもうどうにもごまかしようがない。演技力がある俳優であっても、完全に女になることはできるものではない。ましてや、ヘタクソが演じればこれはただのオカマにしか見えないのである。美輪明宏などは、「男でも女でもないもの」として存在しているが故に圧倒的な存在感を観客に感じさせてくれるが、あの域にまで達するのはそんじょそこらの俳優には殆ど不可能に近い。
 だから主演の菊沢正憲氏、熱演ではあるのだが、首の動きや足さばきにところどころ「男」ないし「オカマ」が見えてしまうのはいかんともしがたいのである。けれど、プロの役者だってこんな演技をやれと命令されたら「やれるかい」と逃げたくなる人も多かろうから、果敢に挑戦されただけでも素晴らしいし、少なくとも1時間は舞台を持たせることはできたのだから、決してひどい出来ではない。女には見えないからこそ、観客は自らの想像力を駆使して「見立て」ようとする。その想像力を阻むほどにヘタならば問題なのだが、そこまでのことはなかったので、充分演劇として成立していると言えるだろう。元気がありすぎて女の孤独までは感じられなかったのが残念だが。衣裳もユニセックスなブラウスにスラックスで、へたにスカートなどを履かせて「女」を強調しなかったのもよかった。

 コクトーと言えば不条理劇という印象があるが、これは随分とストレートな芝居のように見える。しかし、姿の見えぬ相手と「声」だけで繋がる「電話」の存在自体がコクトーにとっては不条理極まりない存在だったのであって、ましてやそれが自分が全く知らない女に聞かれ続けているとなれば、これは恐怖を喚起する悪魔の道具にすら思える。現代では、コンピューター制御でこんな混線は殆ど考えられなくなってしまったが、ちょっと前だと携帯電話の盗聴問題は携帯の普及を阻む大問題であった。
 顔の見えない無情な声、耳には届かない気配だけの声が、女の心を侵食していくこの芝居は、普通の芝居のように見えて実はやはり「現実の不条理」を描いたものなのである。
 そういったコクトーの感覚が現代人には伝わりにくくなっているだけに、『声』を舞台に乗せるには演出上の工夫がかなり必要だろうと思われるが、そういう点にはあまり注意を払ってはいなかったようだ。電話をわざわざフランスから昔のものを取り寄せたり、小道具には凝っていたけどね。


 アニメーション映画賞関係のニュースも、残すところはアカデミー賞くらいになってきたが、その前哨戦ともいうべき第32回アニー賞が、先月30日に発表。
 作品賞のノミネートは『イノセンス』『Mr.インクレディブル』『シュレック2』『The SpongeBob SquarePants Movie』の4本で、最有力候補は『インクレディブル』だった。結果は大方の予想通り、『インクレディブル』が作品賞を獲得。それどころか、監督賞、音楽賞、アニメ効果賞ほか、10部門を制覇するという快挙である。
 『インクレディブル』の映画自体は私も感嘆して見たし、作品賞受賞自体に反対はないのだが、さてまあ『イノセンス』が一部門も受賞できず(作品賞、監督賞、アニメ効果賞、音楽賞でノミネート)、『インクレ』が10部門全部受賞となると、アメリカは自国ビイキが過ぎるなあと思ってしまう。いや、世間の評判に引きずられて、審査員がみんな「インクレ熱」にかぶれただけではなかろうか。どうしてもそんな風に疑ってしまうのは、「最優秀声優賞」が、『シュレック2』のアントニオ・バンデラスや『インクレ』のサミュエル・L・ジャクソンら錚々たるメンツを蹴散らして、エドナ・モード役のブラッド・バード監督本人に与えられた、という冗談のような結果ゆえにである。そりゃあねえ、確かに女性の声にしか聞こえない名演だったなあと思いはするけれども、ブラッド・バードは美輪明宏じゃないでしょう。ヒッチコックの作品で助演男優賞に監督本人を選ぶようなもんで、ファンは喜ぶだろうけれども賞としては問題があるんじゃないか。
 同様に、『イノセンス』がその思想性から作品賞は敬遠されるとしても、アニメ効果、音楽に関して言えば、『インクレディブル』が『イノセンス』より優れているとは言い切れないと思う。「インクレびいき」が、『イノセンス』の評価を総体的に貶める結果になってるんじゃないかといささか腹立たしい気持ちにすらさせられてしまうのだ。
 CGアニメーションの進化を認めるに吝かではないのだが、それでも生身の人間の「感情」を表現するのにCGキャラクターは「余白」がなさ過ぎる。それに気付かずにCGアニメに馴らされてしまっているアメリカ人の鈍感さでは、商業アニメ以外のアートアニメーションの表現力は決して理解できないのではないだろうか。
 さて、そしていよいよ残るは「本命」アカデミー賞であるが、これも十中八九、『インクレ』が受賞するだろう。対抗馬の『シュレック2』『シャークテイル』だが、前者は敵としてはお話にならないくらい寒々とした出来映えで、後者は未見だが予告編を見る限りではやはり二歩も三歩も後塵を拝しているように思われる。
 昨年、アカデミー賞は、“アメリカ以外のほとんど全ての国で”映画賞を受賞しまくったシルヴァン・ショメ監督の傑作『ベルヴィル・ランデブー』を落として、出来としてはそこそこの『ファインディング・ニモ』を受賞させた。今年は、アニー賞に作品賞にも監督賞にもノミネートされなかった『シャーク・テイル』をノミネートして、『イノセンス』を落とした。アカデミー賞は作品の出来だけではなくて、「ヒットしたかどうか」も考慮に入れると言うが、だったら一昨年、小ヒット程度の『千と千尋の神隠し』に受賞させたのはおかしいということになる。なんだかそのときの「意趣返し」のように身ビイキをしているようで、もう散々言われているアカデミー賞の「不透明性」を感じてしまうのである。
 これで来年『ハウル』が作品賞を受賞でもしたら、やっぱりかなり「政治的判断」が作用したと思われても仕方がないと思うけどね。なんとなくそうなりそうだなあ。

2004年02月01日(日) しばしのお別れ。
2003年02月01日(土) オタクについて考える夜/『コラムは誘う ―エンタテインメント時評 1995〜98―』(小林信彦)
2002年02月01日(金) 餃子、餃子、餃子〜、餃子を食べぇよおー♪/『真・無責任艦長タイラー�ァ”�活編』(吉岡平)/『東西奇ッ怪紳士録』(水木しげる)ほか
2001年02月01日(木) だ〜れだ?/舞台『菜の花の沖』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)