無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年01月21日(金) やっと週末/映画『ネバーランド』ほか

 残業で退社が七時半。
 しげと合流して、ダイヤモンドシティへ映画を見に行く。今年もようやく映画鑑賞が軌道に乗り出したな。
 晩飯は寿司屋で一緒にしたが、そのあとの買い物は別行動。私はいつもの通り「フタバ図書」でマンガの買いこみ。
 しげはキャナルでもダイヤモンドシティでも「チャイハネ」に入り浸っていて、こないだからアクセサリーや服などがどんどん増えている。どうも何かに「目覚め」ちゃったみたいなのだが、いったいどこへ突っ走っていくのか、若干心配ではある。まあ、似合わないブランドものにハマるよりはマシだが。


 映画『ネバーランド』。
 『ピーター・パン』シリーズの作者、ジェームズ・マシュー・バリ。彼が戯曲『ピーター・パン』を生み出すきっかけになったデイヴィズ家との関わりを描いたもので、いわゆる「バックステージもの」ってことになるわけだが、史実に取材してはいても、物語自体はかなり脚色されているらしい。例えば、映画ではバリの戯曲は『ピーター・パン』以外は当たらなかったように描かれているが、そんなことはなくて、『小牧師』『屋敷町通り』『天晴れクライトン』など、どれも大ヒットを飛ばしている。
 原作はアラン・ニー作の戯曲『THE MAN WHO WAS PETER PAN(ピーター・パンだった男)』。残念ながら邦訳されていないので未読。だもんで、映画と内容にどのような違いがあるかは分からない。けれど、バリの人生全てを描くのではなく、あくまでデイヴィズ家との関わりを持った一時期にのみ物語を絞って人物、場所が整理されている点など、いかにも元は戯曲っぽいな、という気はする。けれど、現実と空想が錯綜するシーンなどはもちろん映画でしかできないことで、単なる舞台の引き移しになっていないことは確かである。似たような演出は同じく舞台の映画化である『笑の大学』でも見られたが、『ネバーランド』の方がはるかに洗練されている。彼我の差はやはり監督の才能の違いなんだろう。
 ピータ・パンとウェンディの関係や、ネバーランドについての解釈も、ディズニーアニメのように飛んだり撥ねたりするだけの、ファンタジーの表面的な楽しさだけを追及したものではなく、バリの事故死した兄がいる場所、そしてシルヴィア・デイヴィス夫人が旅だって行く先、すなわち「死後の世界」であることを明確に打ち出している。ピーター・パンが大人になれないのは死んでいるからだ。必然的に生きているウェンディは、ピーターを置いて先に大人になっていく。しかし、現実ではそれが反転し、全く逆の現象が起きている。バリは兄にもシルヴィアにも置いてきぼりを食らわされて、この世に取り残されてしまっているのだ。
 バリ(ジョニー・デップ)が、シルヴィアの母(ジュリー・クリスティ!)に向かって「彼女がいなくなってしまうなんて……」と言って俯いたその表情に、萩尾望都『ポーの一族』のラストでオズワルドが「みんな、みんな、私を置いていった!」と叫んでいたシーンがオーバーラップした。“残されたものの悲しみ”を乗り越えるところから人生は始まる。その悲しみからいつまでも癒されることのなかったバリは、だからこそ「永遠に大人になれないピーター・パン」だったのだ。
 まとまりのいい映画ではあるが、見終わって切ないというよりはやり切れない印象、後味の悪さのようなものも感じてしまうのは、「本を開けば、そこに母さんがいる」とピーターに語るバリの姿を見ても、彼が本心からそれを言っていないことが伝わるからだ。バリとピーターがベンチで寄り添う姿、それもつかの間の幻想に過ぎない。そして、映画を見終わって、観客である我々も、彼等に置いてきぼりを食わされてしまっていることに気付くからなのだ。
 ……で、イアン・ハートが演じるコナン・ドイルがどこかに出てたそうだけれど、いったいどこに?(バリとドイルは協力して合作劇『ジェイン・アニイ』を書いた仲である)


 松井今朝子『大江戸亀奉行日記』。
上野不忍池に昔から住んでいたイシガメたちと、上方から侵攻してきたクサガメに、アメリカ産のミドリガメとが三つ巴の大戦争、と、設定だけを聞くと『ウォーターシップダウンのうさぎたち』か『ひげよ、さらば』か、どっちにしろ動物に譬えた壮大なロマンをイメージしてしまう。けれど、何しろ大活字でやたらイラストが入るものだから、中身は実に薄い。30分かからずに読めてしまうって、絵本じゃないんだから(-_-;)。
 好戦的な石亀慎太郎とかフェミニストの亀野千鶴子とか出してこれでユーモアだ諷刺だとかいうのもどうだかなあ。もともと作者にそんなたいそうな小説を書く意図自体がなかったんだろうけど、それにしてたってみんなが戦争に倦み疲れたところで亀奉行が一喝したらそれで再び平和に、というのはなんだか映画『ハウルの動く城』みたいで、いくらなんでも終わらせ方が安易過ぎないか。イラストがカワイイと言えばカワイイかってのがせいぜいの見所ですかね。

2003年01月21日(火) 「アニメ」ってだけで通じるアメリカ人、どれだけいるんだ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』4巻(完結/森雅裕・有栖川るい)ほか
2002年01月21日(月) 妻の寝相と丈夫な膀胱/『夜と星の向こう』(今市子)ほか
2001年01月21日(日) 日曜の夜は出たくないのに/『トガリ』(夏目義徳)1巻ほか


2005年01月20日(木) 類友な話/ドラマ『富豪刑事』第二回ほか

 職場の同僚で、映画好きの方がいらっしゃるのだが、昨日『カンフーハッスル』を見に行ったのは、この方から「もう笑えて泣けてサイコーですよ!」と勧められていたこともあったのである。でも私が実際に見た感想は「そこそこ」。映画を見た以上は、この方に感想を「報告」するのは義務であろう。けれども、そこで迷ってしまったのは、「いや、それなりでしたよ?」ということを、正直に言うべきかどうかということだった。
 別段、淀川長治を気取っているわけではないが、私は「どんな映画にも誉めるところはある」と思っているので、よっぽどクソつまらない限りはたいていの映画は面白く見られる。『カンフーハッスル』だって、キラ星のごとく輝いているシーンは随所にある。凡百のクソ映画群に比べれば充分「面白かった」と言えるのだ。ただやっぱり全体の作りが雑な点は否めず、シーンとシーンの繋がりがドラマチックな高揚感を味わわせてくれるまでには至っていない。「すっげえ面白かったぜ!」ってのと「まあ、いいんじゃない?」ってのとは、どちらも「面白い」の部類に入りはしても、映画の出来という点ではレベルが全然違うのである。基本的には「つまんない」と思ったものを、「面白い」だなんて、私には口が裂けても言えないことである。
 というわけで融通がきかねえなあと自分でも思いはするのだけれど、正直に「まあまあでしたね」と伝えてみた。もちろん、誉めるところもあるが、ここがこう欠点だと思う、と具体的に指摘したのである。てっきりガックリされはしないかと心配していたのだがさにあらず。その方、「なるほど、わかりますよ」と頷いてくださった。偏狭、尊大、狷介で底の浅い人間にはイヤというほど出会ってきているので、もしそうだったらどうしよう、とビクついていたのは全くの杞憂であったのだ。
 映画の批評が人によって千差万別であるのは、すべての人間に個別の「文化」があるからである。すなわち、自分がどういう立場で、かつどういう視点で映画を見るかということは、その人が生まれ育った風土や習俗、知識や経験、社会的な立場などによって左右されざるを得ない、ということである。ゆえに、厳密に言うなら、人と人とが「感想を完全に共有する」ことは不可能だ。だからこそ、他人の意見が自分のそれと違っていても楽しめるのであるし、また「一人一人の違い」をこそ楽しまねばならないし、自分の好きな作品が貶されたからと言って憤慨激昂するというのは、他人とのコミュニケーションを根本的に否定しているのと何ら変わりがないのである。「角を立てない」ことを人間関係の美徳のように称揚してきたのは「和を以て尊しとなす」の完璧な誤解で、現実にはお互いの内心の憎悪を増大させる効果しかない。人生には、最終的には相手を傷つけ自分も傷つく覚悟の上で「腹を割って」話すしかない場合のほうが圧倒的に多い。たかが映画の感想の話で何を大袈裟な、と言われるかも知れないが、そのたかが映画の話程度のことでキレる単細胞なのかどうか、ということもこちらが正直に話してみないと分からないことなんでね。
 ただまあ、気をよくした下さったのはいいけれど、これから先、その方が映画を見るたびに私に感想を求めて来はしないかなあとちょっと心配になる。私だって全ての映画を網羅して見ているわけではないのだ。……と思っていたら、帰宅して夜、その方からいきなり電話があった。「藤原さん、チャウ・シンチーの『北京より愛をこめて』という映画が深夜テレビであるんですが、これ、面白いですか?」。……だから見たことありませんてば(^_^;)。
 しげから、「アンタってヘンな人ばかり知り合いが増えるね」と言われてしまったが、その筆頭はおまえだ。

 夜、しげのところによしひと嬢から連絡がある。
 実は何ヶ月か前、長らくの苛酷な労働条件と胡散臭い体質に堪えかねて会社に辞表を叩きつけていた彼女であったのだが、このたびメデタク別の会社に再就職が決まったそうだ。今時の不況を思えば転職の決断はなかなか勇気が必要だったろう。よくぞ思い切ったものだと感心したが、その時の態度が「すぱーん」としていて、実に威勢よくって、清々しかったのである。結果的に吉と出たからよかったという見方もできようが、やはり、「女は度胸」だよなあと思う。
 でも、次の職場もまた「すぱーん」と辞めるようにならないように頑張ってね。
 

 山田真哉『女子大生会計士の事件簿』。
 そんなに面白くなかったので、感想は簡単に。美人会計士が仕事上で遭遇する事件を解くって短編集だけど、会計士の仕事内容をビジネスマンに知ってもらおうというコンセプトなので、小説としての深みはゼロ。
 でもそれは作者自身断わっていることなので、「文芸書」として売ろうとしてる角川が悪いやな。単行本のときにはちゃんと「ビジネス書」のコーナーに置いてあったというしね。マンガにもなってるそうだけど、やっぱり「学習マンガ」になってるのかなあ。

 木曜ドラマ『富豪刑事』第二回「美術館の富豪刑事」。
 今回は原作にないオリジナルかな。前回も原作アリにもかかわらず、かなりひどいアレンジだったが、オリジナルとなるともう眼も当てられないくらいの讃嘆たる出来。
 見てる最中から「なんだこれは」とアタマを抱えたくなるくらいにショボかったので、どこのどぐされ野郎が書いた脚本だと思ったら、『トリック』の蒔田光治だった。よりによってなんてやつに書かせるか……と思ったら、プロデューサーも蒔田さんなんだな。笑うっきゃねえな。一応、原作が好きで企画を立てて、筒井さんに頭を下げてドラマ化を了解させて、ウキウキして自分でも脚本を書いて、という経緯なんだろうけれど、こういうのを典型的な「身のほど知らず」と言うのだよ。
 もうこんなヘタレ脚本ならストーリーもトリックも犯人もバラシたいくらいなのだが、一応ルールは守って書かない。でもドラマ見なくてもゲストの配役表見れば、誰が真犯人なのか、誰でも分かるよな。さて、次のうち誰でしょう?
 三井隆信(七瀬美術館の館長)……岡田眞澄
 大槻厚夫(七瀬美術館の職員)……伊藤正之
 今村信一(七瀬美術館の職員)……蒲生純一
 関口久志(七瀬美術館の職員)……松澤一之
 ……だからよう、これだけは言わせてもらうけどよう、“ドラマの初め5分でどんなストーリーになってどんなトリックが仕掛けられて犯人が誰かすぐに視聴者にバレてしまう”土曜ワイド以下の脚本を「最上のミステリー」なんて宣伝するな、ボケエ!(`□´) !
 好きな役者さんもたくさん出てるんで続けて見てるけど、その演技力がこれくらい発揮されてないドラマも珍しいぞ。西岡徳馬、山下真司以下、刑事があそこまで間抜けだと、いくらリアル志向のドラマじゃないと言い訳してもシラケルだけなのである。それから深田恭子、ミスキャストなのは今更言っても仕方がないけれど、せめて滑舌くらいは練習しようよ。「みっしちゅさちゅじん」じゃねえだろがよ(T∇T)。 


 続けて『H2』第2話。
 先週は第1回を見逃してたけれど、あだち充の原作はセリフがスラスラ出るくらい読んでるから、ストーリーに付いてけないということはないんだな(^o^)。
 第2話を見る限り、シチュエーションもセリフも原作をかなり忠実で、ちゃんと原作を尊重している姿勢が見えて嬉しい。野田(中尾明慶)が柳校長(竜雷太)に「お前の息子を誘拐した。千川高校に野球部を作れ」とキョーハクして、校長が「分かった。作る」と“即答”するその“間”、これがあだち充のあだち充らしいところで好きなのだが、これもちゃんといい間で映像化してくれている。あだち充をラブコメでやわいマンガだと思い込んでるアンチも多いと思うが、その本質はすごくストイックでハードで潔いのだ。それがこういう“間”に現れてるんだけど、いやしくもマンガファンを自称する人間なら、そういうところを読みとってほしいなと思うんである。
 全体の雰囲気も危惧していたほどに悪くはない。原作がマンガだから実写化する際は普通にシリアスなドラマにすることはできず、どうしても人間描写にムリが生じる部分はあるのだが、懐かしの『月曜ドラマランド』ほどにカリカチュアし過ぎてはいないので、マンガ原作の実写化に反対な人にもある程度は受け入れられるだろうという印象だ(柳沢慎吾が出てるあたりは『ドラマランド』へのオマージュがあるのかもしれないが)。
 比呂(山田孝之)と英雄(田中幸太朗)、主役二人の演技も臭過ぎなくて爽やかな印象で好感が持てる。春華(石原さとみ)とひかり(市川由衣)に至っては、よくぞ原作のイメージをここまで実感させてくれたものだと歓喜の拍手を送りたい。いや、厳密に見れば決して原作のイメージ通りではないのだが、役者の熱心さが伝わってきて、これはこれで一つの「春華」だし「ひかり」だなあと思わせてくれているのである。『わたしのグランパ』の石原さとみも良かったけど、今度の石原さとみもいいなあ(* ̄∇ ̄*)。

2003年01月20日(月) 貴乃花引退/『探偵学園Q』8巻(天樹征丸・さとうふみや)/『魔法遣いに大切なこと』1巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか
2002年01月20日(日) それでもアニメだけは見る/DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』/『フルーツバスケット』3・4巻(高屋奈月)ほか
2001年01月20日(土) 英雄、果つる島/映画『アヴァロン』ほか


2005年01月19日(水) 平日は早寝がしたい/映画『カンフーハッスル』

 夕べ、映画見た後、日記を書き終わったのが2時過ぎ。
 くたびれて起きたら朝の8時。もう慌てた慌てた。なんとかしげに車すっ飛ばしてもらって、始業時間には間にあったけれど、平日はやっぱり日記書く余裕なんてないと実感した(^_^;)。もうトシヨリだから夜更かしはからだに響くのである。と言うわけで、今日こそは日記を短めに書くぞ。読書の感想も省略。

 例によって例のごとく、トンガリさん、今日も小さいトラブルから大きなトラブルまで、ヤバ過ぎてここにはとても具体的には書けないことを、二、三件、立て続けにやらかしてくれて、ほとほと対応に窮する事態に陥っている。全く、どうしてたった一日であんなことやこんなことまでしでかせるというのだ。困り果ててまたまた支店長に相談したのだが、相変わらずのノラリクラリである。
 いくら本人とやりあっても、すべて知らぬ存ぜぬで押し通されるものだから埒があかない。何度も何度も上司に「何とかしてくれ」と頼んでも少しも動いてくれない。そんな恨みが溜まりに溜まっているので、支店長の「善処します」の言葉が政治家の空約束と同じようにしか聞こえないのだ。だから私が言いたいのはねえ、アンタがトンガリさんをどうにかする気がないんだったら、もう私をあの人の担当から外してくれってことなんだってば。あの人のトラブルの責任をこっちにまで回されて共倒れするのは真っ平ご免なんだって。
 ……明日が見えないなあ。

 今日はAMCはレディースデイでしげは千円、私も招待券があったので、映画『カンフーハッスル』をようやく見る。
 『キネ旬』の評論家連中の評価がやたら高かったけれど、普通に映画として見ようと思ったら筋立てはデタラメ、キャラクターの始末のつけ方はいい加減で、とても誉められたシロモノではない。それはまあ、盗作を恐れて脚本を作れず行き当たり場当たりで映画を撮ってかなきゃならない香港映画の宿命のようなものだから、批判するのはかわいそうではあるのだけれど、それにしてもラスト近くになるまで主役がいったい誰なんだが判然としないようじゃ、マトモにドラマとしては評価のしようもないのである。だって周星馳、中盤殆ど出番ないんだから(^_^;)。
 アイデアとしても、『少林サッカー』はまだ「拳法」と「サッカー」の合体、というムチャクチャをやらかしてくれた分、面白くはあったのだけど、今度は普通なくらい普通なんだものなあ。もちろんそれは昔なつかしのカンフー映画に対するオマージュだから、当然ではあるんだけれど。

 でも客席、レディースデイのおかげで女性客ばっかりだったんだけれど、登場人物がヘンな動きしただけで、みんなうるさいくらいに笑うんだよねえ。なんであんなに笑いの沸点が低いんだ? そのくせ、会話のギャグやパロディじゃ全然笑わないんだから、アタマの程度は知れるのであった。我々の背後にいた二人連れとか、見終わった後、「なんかこれ、すごくない? でも(時間が)長くない? 千円も払いたくな〜い。試写会のほうがよかったー」とか言ってたしなあ。
 ああ、でも初めからバカ映画を楽しむつもりで見に行くなら、場面場面は楽しいから別に損した気分にはならなくてすむと思いますよ。


 映画の後、しげも私も機嫌が悪くなって、些細なことで口論。「今の若いもんはコミュニケーションのための言葉を知らない」「トシヨリが若い人の文化に馴染めなくなってるだけでしょ」てなもんだから、不毛なだけなのである。でも不毛だということがわかっていながらあえて言いあってるのだから、話をどう帰着させるかということも見当はついているのである。でも、そこにたどりつくまでに車の中で3時間もかけるこたあなかったな(^_^;)。てゆーかあ、明日に疲れを残しちゃダメじゃん、って感じぃ?

 ……やっぱりちょっと長くなった? でも読んだ本の感想とか、ホントに省略しまくってんだけどな。

2003年01月19日(日) S(エス)の悲劇/DVD『みんなのいえ』/『ブレーメン�供截幹�(川原泉)
2002年01月19日(土) ハルオ再び/『ルパン三世 公式magagine』3号(モンキー・パンチ責任編集)ほか
2001年01月19日(金) DESERT MOON/『パタリロ!』(魔夜峰央)71巻ほか


2005年01月18日(火) 第59回毎日映画コンクール発表/映画『スーパーサイズ・ミー』ほか

 今日も本は小説も雑誌もマンガも何冊も読んだんだけど、感想書く時間ないです。映画見に行ったんで、その感想書くだけで時間が取られちゃうのよ。最近、日記が物足りないとお感じの方もいらっしゃいましょうが、これが精一杯ですんで、ご了承下さい。
 そう言えば昨日も書ききれなかったけれど、初めてアニメ『ブラック・ジャック』を見ました。いやはやアニメファンの間で話題に上らないのも当然だなあという出来でしたねえ。いや、駄作とまでは言わないけれども、かといってすごく優れてるとまでは言えないような、なんかすげえ「それなり」感と言うか(なんかうまく言えん)。今回のキャラデザインは手塚治虫の絵に一番近い、とか言われてたけど、どうなんでしょうね。ピノコは確かにそんな感じかなあ、と思わないでもないけど(神村幸子さん作画のエンディングは秀逸)、ブラック・ジャックはどうだかねえ。なんか“甘過ぎる”気がしませんか? 力有武(ハナのでかいオッサンね)も微妙に似てなかったなあ。


 仕事ではまたちょっとトンガリさんとの間にトラブルがあったのだが、もうあまり書く気がしない(^_^;)。ここまで来ると、バカをほっといてる上司の方がバカなんじゃないかって気になってくるし。そのあたりのドタバタで、少しばかり残業。いつものようにしげが駐車場に迎えに来てたんだけど、20分ほど待たせた。最近しげはココロが落ちつかなくて、30分くらい早めに迎えに来るので、残業すると、1時間くらい待たせてしまうのである。申し訳ないけど、トラブルは予測できないしなあ。

 帰りの車の中で、映画の話などをしながら、ふとしげに「『スーパーサイズ・ミー』も始まってるねえ」と言ったら、「それなに?」と聞いてきたので、あらすじを説明する。
 ここんとこ、映画に誘ってもなかなか乗って来なかったしげが、話を聞いた途端に「それ面白そうだね」と興味を示した。ココロとカラダのバランスが崩れて、「人に会うだけで気分が悪くなる」とまで口にするようになっていたので、少しでも外に出たいという意志を示したことはいい徴候である。まだまだ孤独感から脱しきれてはいないが、夕食もここんとこ毎日ちゃんと作ってくれてはいるので(雑炊ばかりだが)、少しずつだが生活のリズムを整えられるようになってはいる。
 帰宅して、早速ネットで予告編を見たしげ、「今から見にいこうか?」と言い出した。いきなりではあるが、ここで「明日にしようよ」と言えばしげのまた気が殺がれるかもしれないし、私も2、3日前よりはまあまあ元気ではあったので(血便は止まってないが)、動ける時に動くのが一番だ、と判断した。映画館のホームページを見ると、「ファーストフード割り引きあり」とある。ハンバーガーなどを買って、それを窓口で見せれば300円割引するという、なんだかよく分らないキャンペーンである。けれど、下らないから面白い。こういうキャンペーンは大好きなので、私も乗り気になる。時間を調べるとちょうど最終回に間に合いそうなので、食べかけていた夕食を中断して天神まで出かけることにした。


 シネテリエ天神で映画『スーパーサイズ・ミー』。
 30分ほど早めに着いたが、ロビーで待ってるお客さんたちが、みんなファーストフードを食っている。ちゃんとキャンペーンを見てきているのだなあ(^o^)。こういう珍しくも楽しい風景は、やはり劇場通いをしなければ見ることができない。
 映画は、ドキュメンタリーとしての撮り方は、奇妙なくらい『華氏911』とよく似ていた。監督自身が「体当たり」の取材をするやり方、時折つまらないギャグアニメーションを挿入して諷刺する手法、いや、そもそも「初めに結論ありき」で、情報を好き勝手に取捨選択して、都合のよい結論に持って行こうとするスタイルとか、『華氏』に酷似していると言ってもいいのだ。
 にも関わらず、『華氏』がどうにも退屈で、マイケル・ムーアの“私が正義だ”面を見ていると鼻白む思いすら抱いたのに対して、本作のモーガン・スパーロック監督に対して怒りを全くと言っていいほど覚えないのはなぜなのか。それはもう、ひとえにこの人がひたすらバカだからなのだね。もちろん、これは愛すべきバカなのだ。
 だいたい、どこの世界に「ファーストフードが健康に悪い」ことを証明するために、「マクドナルドハンバーガーだけを食って1ヶ月過ごす」なんて実験をするやつがいるか。もちろん、結果は分かりきっていて、監督は11キロ太って、病人になってしまうのである。
 監督がそんなバカな実験をすることになったのは、ある裁判がきっかけである。ハンバーガーばっかり食べて太ってしまった女の子二人が、マクドナルドを訴えた。「私たちが太ったのはマクドナルドのせいです!」。もちろん、こんなバカな訴えは裁判長の「食い過ぎたアンタらが悪い」の一言で結審。けれど、マクドナルドが「太り過ぎと当社の食品との間に因果関係はない」と答弁で断定したことが、この裁判記録を見た監督のアタマにカチンと来た。訴え自体は難癖だったとしても、そんな「消費者の栄養問題なんか知りませんよ、私らはカネがもうかりゃいいんです」なんて態度はないじゃないか、という怒り。かくして、監督は自ら「スーパーサイズになろう」と、ファーストフード生活を始めたのである。……しかし驚いたのは、1ヶ月過ごすどころか、わずか五日で血糖値やら血圧やらが一気に正常値から異常値になっちゃうところだね。日本とアメリカとでは多分、バーガーのサイズも違うとは思うが、やっぱ、健康に悪いのは歴然としてるのである。
 もう笑っていいやら悲しんでいいやらの展開になるのは、20日を過ぎたあたりから。監督が医者を訪ねてこう訴える。
 「前は食べると気分が悪くなってたんですが、今は食べると気持ちいいんです」
 「それは中毒です」
 はい、“ハンバーガーでも食べ過ぎると中毒になる”んですよ。ファーストフードにばかり通ってる学生諸君、一日、二日、ハンバーガーを食べないでいると、気分が落ちつかない、なんてことになってませんか?
 この映画の一番オバカなところは、「そんな実験せんでも、ファーストフードがからだに悪いことはわかっとる」、すなわち、人体実験のデータとしては貴重であるかもしれないが、一般人から見れば監督の所業はただの「無駄」でしかない点だ。しかし、こういった“どうでもいいこと”に熱中する人間の「美しさ」を賞揚できない人間は、実は人間の本質を知らないのである。実験が終わった時、監督の恋人も友達も声を一つにして言う。「彼はいいやつだがクレイジーだ」。そう、人間の本質は狂気なのだ。我々一般人は、理性やら常識やらといったものが邪魔をして、内なる狂気をどうしても発露できない。それをこの監督はまさに「カラダを張って」我々の代わりにやってくれたのである。どうして感謝の拍手を贈らずにいられるだろうか。
 だから、この映画を見たからといって、明日からファーストフードに行くのを続けるか止めるか、悩む必要はない。タバコや酒と同じく、「する人はするし、しない人はしない」、それも初めから分かりきっていることだからだ。


 第59回(04年)毎日映画コンクール各賞が発表。マニアの方にはいちいち説明するまでもないことだけれど、何十年も前からアニメーションをちゃんと映画作品として評価してきた殆ど唯一と言っていい賞がこれなんですね。

 ■日本映画大賞 『血と骨』
 ■日本映画優秀賞 『誰も知らない』
 ■監督賞 黒木和雄(『美しい夏キリシマ』/『父と暮せば』)
 ■男優主演賞 ビートたけし(『血と骨』)
 ■女優主演賞 深田恭子(『下妻物語』)
 ■田中絹代賞 淡路恵子
 ■脚本賞 荒井晴彦(『ヴァイブレータ』)
 ■男優助演賞 オダギリジョー(『血と骨』/『この世の外へ クラブ進駐軍』)
 ■女優助演賞 田畑智子(『隠し剣 鬼の爪』/『血と骨』)
 ■スポニチグランプリ新人賞 上野樹里(『チルソクの夏』/『スウィングガールズ』)土屋アンナ(『下妻物語』/『茶の味』)柳楽優弥(『誰も知らない』)
 ■外国映画ベストワン賞 『ミスティック・リバー』
 ■撮影賞 鈴木一博(『ヴァイブレータ』/『機関車先生』/『ガールフレンド』/『ココロとカラダ』)
 ■美術賞 桑島十和子(『下妻物語』)
 ■音楽賞 日野皓正(『透光の樹』)
 ■録音賞 弦巻裕(『誰も知らない』)
 ■技術賞(照明) 熊谷秀夫(『透光の樹』)
 ■記録文化映画賞 ◆長編=『わたしの季節』 ◆短編=『螺鈿−北村昭斎のわざ−』
 ■日本映画ファン賞 『ハウルの動く城』
 ■外国映画ファン賞 『2046』
 ■アニメーション映画賞 『雲のむこう、約束の場所』
 ■大藤信郎賞 『マインド・ゲーム』
 ■特別賞 双葉十三郎 故・三橋達也 
 ■宣伝賞 ◆最優秀賞=UIP(『シービスケット』) ◆優秀賞=ワーナー・ブラザース映画(『ラストサムライ』)/20世紀FOX(『デイ・アフター・トゥモロー』)

 アニメーション映画賞に『雲のむこう、約束の場所』、大藤信郎賞に『マインドゲーム』と、昨年私の特にお気に入りだった2本が選ばれたことには、もう思いきり快哉を叫びたい気分である。年初めにはオシイがオオトモがミヤザキが、という話題だったのが、結局作品として評価されたのは「新人」の作品ばかりであったというのは実に痛快。つか感涙。
 だからもう、世間の婦女子が「ハガレンが種が」といくら騒いでいようが、もう私は何も言いませんよ。これだけオタクの趣味が細分化しちゃうと、オタクのメインフィールドがいったいどこにあるのかということを問うこと自体、無意味になってしまってるからね。「オタクなら見てて当然だろう」なんてモノイイはもう通用しない時代なのだねえ。
 でも、私ゃこれからもハガレンや種も見れば、ミヤザキもオシイも見る。日本アニメが一番だ、みたいな狭量な発言をするつもりもないし、商業アニメと実験アニメ、アートアニメとかの間にある垣根も考えない。映画だろうがテレビアニメだろうが、CGだろうが手描きだろうが、なんでも見たその上で誉めたり貶したりするからね。つまり、すべてのアニメを差別せずに見て行くっていうこと。それが普通に作品を評価するときの「基本」なんだから。
 私自身はオタクと呼ばれようがマニアと呼ばれようが、そんな「他称」はどうでもいいのだけれど(そこまでの知識はないんだけどねえ)、ともかく“見もしないで批判する”ような、作品評価の基本もわかってない馬鹿ったれな「自称オタク」たちと、いっしょくたにされたくはないからね。

 しかし、こうあちこちで『下妻物語』の評価が高いと、やっぱりDVDで買うべきかどうか本気で悩む。ちょっとしたらCSで流れるってことも、わかっちゃいるんだがなあ。

2003年01月18日(土) 『青空侍』2冠目!/『イリヤッド 入谷堂見聞録』1巻(東周斎雅楽・魚戸おさむ)ほか
2002年01月18日(金) バンパイアの夜/『ビッグマックプリーズ!!』(小屋一平)/『光の島』1巻(尾瀬あきら)ほか
2001年01月18日(木) はな゛がつま゛ってくるしい/アニメ『ジャックと豆の木』ほか


2005年01月17日(月) 十周年の、祈念の日に/マンガ『ラブやん』(田丸浩史)1巻ほか

 阪神・淡路大震災からちょうど10年。
 職場で、正午に黙祷を捧げるように指令が出る。去年はこういうのをやった記憶がないから、10周年だということでの特別措置なのだろう。次は20年後ということか。毎年やらないと意味がないような気もするが。ゲンバクだってハイセンだって、もう60年も経っちまえば夏が来ても巷で話題にすることは少なくなる。戦後生まれが戦前生まれの人口を上まった、と報道されたことすら遠い昔となり、歴史の記憶の風化はもはや止めようもない。
 それでも阪神・淡路大震災についてどうしても寂しく思いを馳せてしまうのには、理由が二つある。一つは震災で家をなくした人が福岡に引っ越してきて、知り合いになったこと。テレビを通してしか震災を見ていない私にとって、「家は震災でなくなりました」と言った時の彼女の凍りついたような表情が、唯一私が震災の恐怖を肌で感じたように思えた瞬間であった。
 もう一つはちょうど10年前、母が死んだことだ。1995年という年は一年中、世の中に暗いイメージが蔓延していた。あの時の母は、大阪に親戚や友人がいたこともあって、無事を確認するまでかなり心に疲労を感じていたようだ。震災のほかにも、オウム真理教事件が起きたのがこの年だった。ジャイアンツファンの母にとっては原辰徳の引退も大ショックだったろう。そういった出来事の数々が心労となり積もり積もって、母の命を短くしたようにも思う。未来への希望が見えない時代にいきなり行ってしまった母のことを思うと、私は何度も暗澹たる気分にさせられたものだったが、その後の10年の更に暗い歴史を思うと、あのときこの世を去った母はまだ幸せだったのかもしれないとすら感じてしまう。阪神大震災の教訓は、今、新潟中越地震では生かされているのかどうか。
 テレビの特集記事で、「震災はまだ終わっていない」と呟くご老人の姿や、復興はしたものの客足が2割も減ってしまった商店街、再開発された街の陰で未だに空地のままになっている土地などが映し出されている。今はまだあれから10年、災害の爪あとは具体的な形であちこちに残っているし、こういう番組を通してあの時の記憶が反復されてもいる。震災を経験しなかった人々の心にも、震災の後に生まれてきた子供たちにも、何か響くものはあるだろう。しかし、更に10年を経過したらどうなるか。
 10年が経ち、1億の日本人がその時の記憶を忘れ、更に10年の後には、今の記憶もまた忘却の彼方に消えて行く。それは避けられないことではある。しかし、ほんのひと握りの人々が、10年前の、20年前の記憶を一生忘れずに受け継いでいくことも確かだと思う。仮にあの空地に再び建物が建って、100人中99人が、そこがなんの土地だったか忘れてしまうようになったとしても、あとの一人がそこに立って、「ああ、ここはあのときの……」と、過去の幻を見出すことだろう。歴史とは、実はそういう「たった1人」によってのみ、語り継がれていくものなのである。

 しげが「そういえば」と言った。
 「10年前は○○さんとまだ付き合いがあったね(○○さんというのは、例の中傷葉書ばら撒きのホモオタさんのことである)」
 「もう、そんなになるかな」
 「阪神大震災の時、○○さん、『大阪人は行いが悪いから天罰が当たったんだ』と言ってたの思い出したよ」
 「そんなこと言ってたか。……そのころからイカレてたんだなあ」
 言われて私も思い出したが、ホモオタさんは、あちこちで地震、台風などの災害があるたびに「天罰だ」と言い、その災害は「自分が起こした」と嘯いていたのである。他人を恨むあまり、自分を神のように優れた特殊な存在だと思いこむことでしか、精神を保てなくなっていたのだろう。
 先月もホモオタさんは中傷メールをバラ撒いて、何やら注意を受けたような話である。注意だけかい(-_-;)。
 イカレてるだけじゃなくて犯罪スレスレの行為を行っている人間だと会社も承知しているはずなのに、大っぴらに処分することもできずに大事に大事に飼っているんだから、世の中やっぱりどんどん悪くなっているのである。


 マンガ、田丸浩史『ラブやん』1巻。
 しげが古本屋で買って来たので読む。「前々から買おうかどうか迷ってた」そうだが、私も買おうかどうか迷ってたのである。買って正解。こういう下品で下らないだけのマンガは大好きだ。ジャンプ系の人気マンガとかね、ガロ系のゲージツマンガとかね、まあそういうのばかりじゃなくてひたすらアホなだけのマンガというものもないと、マンガの裾野は広がっていかないのよ。ストーリー解説もこんなのなら簡単にできる。
 「キューピットの『ラブやん』は、カズフサくん(恋人ナシ暦25年)の片想いを成就させようとやって来ましたが、彼はオタクでロリでプーだったのでムリでした(てへ)」。
 天使が来るとなりゃあ、ヒロインたるその天使とイチャツクのが常道だろうに、主役をロリにしたところが秀逸。天使に目もくれずに小学生一直線のカズフサくん、まあ今時の風潮考えたら、こんなアブナい主人公いつ打ち切りにあってもおかしかないが(路上でチン○ほっくり出してんじゃねえよ)、マンガなんだから、そのスジの方は目くじら立てないでいただきたいものである。


 『テアトロ』2月号、巻頭の「今月のベストスリー」に、舞台『ピローマン』(出演 高橋克実、山崎一、中山祐一朗、近藤芳正/作 マーティン・マクドナー/演出 長塚圭史)の江原吉博氏による批評が掲載されていて、これがもう手放しの大絶賛である。
 私もしげも先々月に福岡公演を見ていて、「これぞ演劇!」と大感動したのだったが、映画にしろ舞台にしろ、見る人によって評価は変わるものだから、自分たちが見て面白いと思っていても、それが劇評でケチョンケチョンに貶されていると(それが必ずしも的外れなものでなければ)、やはり「自分の見方もまだまだだなあ」としょげてしまうのである。
 逆に、「そう、そこなんだよ!」というところを誉めてあると、これはもう同士を得たようなものである。

〉「作家は、智恵遅れの兄から殺人事件は自分の作品を真似てやったことと告白され、せびるその兄に童話を語って寝かしつけた後、顔に枕を押し付けて窒息死させ、すべての殺人は自分の仕業だと刑事に申し出る。兄が犯人と知ってから作家が兄に聞かせる童話の語り聞かせは客席に染み入るようだ。作家役の高橋克実と知恵遅れの兄を演じる山崎一の意気がぴったりあっている」(原文ママ)

 そうなんだよ、客席に染み入ってたんだよ! と、ひと月半前の記憶が鮮明に蘇える。『ピローマン』は昨年見た演劇のベストワンであり、これまで見た演劇の中でも上位に位置するほどの素晴らしさだった。あまりに感動したために、劇中劇である童話をワープロで打ち直して、職場の若い子たちに「これ読んでよ」とムリヤリ読ませてしまったくらいである(^_^;)。しげなどは、出演者の近藤芳正さんのホームページのBBSに感動の書き込みまでしてしまった。我々の有頂天ぶりがどれくらいのものか、お分かり頂けるだろうか。
 なんにせよ、こういう素晴らしい芝居を今年も何本見られるか、丹念にチェックしないと、最近はいい芝居はチケットが完売するのが早くて、見逃してしまうことも多いのである。ケラリーノ・サンドロビッチさんの『消失』も、蜷川幸雄の『ロミオとジュリエット』も北九州公演、チケット取れなかったものなあ(+_;)。


 第62回ゴールデン・グローブ賞の授賞式が16日開催され、各賞が発表された。
 アカデミー賞の前哨戦、あるいはアカデミー賞よりも実質的な価値があると評価する向きも多いGG賞であるから、興味は津々なのであるが、残念ながら殆どが日本では公開待ち、あるいは未公開である。

 ◆映画ドラマ部門
  ■作品賞 「アビエイター」("The Aviator")
  ■主演男優賞 レオナルド・ディカプリオ(「アビエイター」)
  ■主演女優賞 ヒラリー・スワンク("Million Dollar Baby")
 ◆映画ミュージカル・コメディ部門
  ■作品賞 "Sideways"
  ■主演男優賞 ジェイミー・フォックス(「レイ」)
  ■主演女優賞 アネット・ベニング("Being Julia")
 ◆共通
  ■監督賞 クリント・イーストウッド("Million Dollar Baby")
  ■脚本賞 アレキサンダー・ペイン、ジム・テイラー("Sideways")
  ■助演男優賞 クライヴ・オーウェン("Closer")
  ■助演女優賞 ナタリー・ポートマン("Closer")
  ■作曲賞 ハワード・ショア(「アビエイター」)
  ■主題歌賞 "Old Habits Die Hard" / ミック・ジャガー、デヴィッド・A・スチュワート("Alfie")
  ■外国語映画賞 「海を飛ぶ夢」("The Sea Inside")
 ◆テレビドラマシリーズ部門
  ■作品賞 "Nip/Tuck"(2003年-)
  ■主演男優賞 イアン・マクシェイン("Deadwood",2004年-)
  ■主演女優賞 マリスカ・ハージティ("Law & Order: Special Victims Unit",1999年-)
 ◆ミュージカル・コメディシリーズ部門
  ■作品賞 "Desperate Housewives"(2004年-)
  ■主演男優賞 ジェイソン・ベイトマン("Arrested Development",2003年-)
  ■主演女優賞 テリー・ハッチャー("Desperate Housewives",2004年-)
 ◆ミニシリーズ・TV映画部門
  ■作品賞 「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」("The Life and Death of Peter Sellers")
  ■主演男優賞 ジェフリー・ラッシュ(「ライフ・イズ・コメディ!」)
  ■主演女優賞 グレン・クローズ("The Lion in Winter")
  ■助演男優賞 ウィリアム・シャトナー("Boston Legal")
  ■助演女優賞 アンジェリカ・ヒューストン("Iron Jawed Angels")

 下馬評通り、『アビエイター』の評価が高い。ヘタに『タイタニック』なんぞに出たために、ミーハーなバカ女のファンがついて、役者としてはかえって損してしまったディカプリオだけれども、この人の演技力が並々ならないことは『ギルバート・グレイプ』のころからご覧になっていれば、納得できることである。言わばディカプリオは“ようやく”本来の評価を取り戻した形になったわけで、『アビエイター』を見るのが楽しみになってきた。
 このリスト見て初めて知ったけど、日本では劇場公開予定の『ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方』、もともとテレビ映画だったんだね。東京じゃもう公開ずみらしいけれど、福岡にはまだ来てない。つか来るのか。これを見ずしてどうしてセラーズファンが名乗れようかってなくらいに期待してるんだけどなあ。
 さて、これでアカデミー賞の方は概ね『アビエイター』『Million Dollar Baby』『Sideways』の3本に絞られた形になったわけだけれども、勝手な想像ながら『Million Dollar Baby』に票が集まるんじゃないかな。『アビエイター』がGGを取ったことで、差異化を図ろうとする会員もいるだろうし、何より昨年、クリント・イーストウッド監督には『ミスティック・リバー』に賞を与え損なった経緯があるからね。もちろんこれは映画本編を全く見てない憶測なので、アテにしたりしないように。

2003年01月17日(金) 言語作用としての2ちゃんジャーゴン/『POPEE THE PERFORMER ポピー ザ ぱフォーマー』(増田龍治・増田若子)ほか
2002年01月17日(木) 部屋の中を歩けるようになったよん(それが普通だってば)/アニメ『七人のナナ』第2話/『クレヨンしんちゃん』31巻(臼井儀人)ほか
2001年01月17日(水) 雪が溶けて川になって流れていきます/『これから』(夏目房之介)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)