無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2004年09月29日(水) |
保険屋の勧誘を断わるには/久米田康治『勝手に改蔵 SPECIAL SELECTION』 |
昨日からしげは病院のデイケアに通うようになった。 今のとこ、「火曜日だけ」なのだが、気に入ったらほかの曜日も通いたいと言う。根が体育会系なので、スポーツの日とか行く気マンマンなのである。 まだまだ精神病患者に対する偏見の強い日本においては、こんなふうに気軽に病院通いすることも憚られたりしてしまう場合も多かろうから、しげのように積極的に行けるというのは喜ぶべきことなのであろう。どの程度の治療効果があるか、しばらくは様子見だろうけれど。 昨日のSSTは、しげは初めてなのでとりあえず「見学」扱いだったとか。 患者さんたちが「お題」を出しあって、それにどう返事したらよいか、みんなで考えましょう、という治療法なのだが、何しろお題を出すのも患者さんなので、どこかトンチンカンなのである。 例えば「保険屋に仕事を聞かれたらどう断わるか」とか。なんかシチュエーションが今一つよくわからない。要するに訪問販売にいきなりやってきて、「ご主人のお仕事はなにしてらっしゃるんですか?」とか訊かれたことがある人が出したお題らしいのだが、保険屋ってそんなことまでズケズケと聞いてくるものなのだろうか。私の知り合いの保険屋さんはだいたいムリに勧誘してくるようなことはあまりないんだけどね。もっとも糖尿だのなんだので何度も入院歴のある私を勧誘しようって保険屋もそうそういないだろうが。 プライバシーをやたら聞きたがる保険屋っての、ありえないとまでは言わないけれど、多少は誇張が入ってんじゃないかって気がする。それとも「ちょっとこのひとアタマのネジがちょっくらひん曲がってんのかな」ってことに気付いて、興味本意で詮索した保険屋とかいたんだろうか。だとしたらどうにも腹立たしいことである。 しげはSSTの様子を見ながら、自分もお題を出したいなあ、とウズウズしてたそうな。患者さんで一人、やたら発言したがりのオジサンがいて、「こいつ、うぜえ」と思った、ということなのだが、自分自身、日頃からなにかにつけウルサイくらいに発言したがりなくせに、全く「何を言うのか」なのである。で、患者さんたちが結局どんなふうに勧誘を断わったのかは昨日のことなのにもう覚えてないんだよなあ。SST、役に立ててないじゃん(-_-;)。 しげに、もちっと文才がありゃあ、こういう病院でのデキゴトも面白く語って伝えられるんだろうが、なにしろ言葉に不自由してるし記憶力もないやつなんで、どういうことがあったのか、ディテールについてはよくわからない。そのあたりをうまく説明できるようになれば、しげのコミュニケーション能力も上達したってことになるんだろうけれど、そんな日が来ることがあるのかなあ。デイケアに「作文」ってカリキュラムはなかったような気がするんだけど、そういう日も必要なんじゃないのかな。
ここんとこ三、四日、沖縄で停滞していた台風がようやく九州に上陸。いや、別に待ち望んでたわけじゃないけど。 今年はもう三度目の上陸だけれども、日本上陸自体も8個目で、最多記録を更新したとか。“当たり年”って言い方が適切かどうかは分からないけど、確かに「またかよ」って感じはする。そのわりにそれほど鬱陶しくは感じないのは、福岡自体は大した水害に遭ってはいないせいだろう。例年、水害のたびに父の店は海に沈んでいるのだが、今年はその被害もなし。 今回の台風、海にいたときはやたら進み具合が遅かったくせに、上陸した途端に福岡を避けて、大分から四国に向かってあっという間に通り抜けて行ってしまった。風がひどかったのは午前中から午後にかけての数時間くらいのもの。電車もバスも普通に動いていたし、私ももちろん普通に出勤した。休んでばかりのトンガリさんまで五日ぶりに出勤してたから、普通過ぎるくらいである(仕事が進んでた様子はなかったが)。 退社時間にはまだ雨がかなり降っていたものの、帰宅したときにはほぼ小雨になっていた。感覚的にはちょっと風が強かった、というだけの日であったが、夕刊を見ると、鹿児島あたりの道路はやはり冠水してビルが海に沈んでいるのである。被害状況にやたら差が生じているようだが、福岡だけがまあまあ無事ってのもちょっと気味が悪い。まさかまたどでかいのが次に控えちゃいないかと心配になるが、記録更新はイチローだけで充分なんで、台風には別に頑張ってもらいたくないのである。
『月刊ガンダムエース』11月号。 安彦良和『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』はいよいよ完全オリジナル『シャア・セイラ編』の開幕。ネコミミセイラに萌え〜なオタクもウンカのごとく涌いたと思われる今話であるが(^o^)、私としてはシブいオッサンがたくさん出てきてくれるのが楽しい。こないだ死んだガルシアさん見ても思うけど、安彦さん、絶対美少年美少女よりオッサン描く方に力入れてるよな。アニメ本編じゃ名前しか出てないジンバ・ラルとか、あっという間に死んだラスロ・ザビとか、いい味出してんだ、これが。って、オッサンフェチかい、わしゃ。 唐沢なをき『犬ガンダム』、トニーたけざきみたいに毎回単発ネタで行くのかと思ってたら、ちゃんとストーリーが繋がっていて、マチルダ犬も登場。マチルダさんに似せようとすると唐沢さんの絵柄っぽくならないのはご愛敬か。 関係ないけど、うちで昔飼ってた犬は一度も食糞しませんでした。おふくろの躾方、すごくうまかったから、ストレスなかったんだろうなあ。
『手塚治虫マガジン』11月号。 『新・聊斎志異 女郎蜘蛛』にチラッと「手塚治虫のひいじいちゃんの額」が出て来るんだけど、これ、顔はちょっと違ってるけど『陽だまりの樹』の手塚良庵(のちの良仙)だな。発表が『陽だまり』以前の1971年なので、実はこのころからご先祖さまのことを描きたかったんだろう。『手塚治虫マガジン』の評判、必ずしもよくはないようだが、私も全ての手塚作品を読んでるわけではないので(世の中にはそういう御仁が実際にいらっしゃるから怖いのだが)、毎号、未読の短編を読めるのに重宝しているのである。つか、長編は全部読んでるのに自分でも驚く。我々の世代にとって手塚治虫マンガがいかに血肉となっているかの証左であるが、私より数歳下になると、もう手塚作品をあまり読んでない連中が圧倒的に増えるのである。今読んでも面白い作品、たくさんあると思うんだけどなあ。 『陽だまり』もひっそりとアニメ化されたけど、近年の手塚アニメの中じゃ一番、出来がよかった気がする。今度の『ブラック・ジャック』はどうなるかねえ。「これまでの映像化の中でも一番原作に近い」ってのが売りみたいだけど、たいていそういうのって裏切られるからなあ。
マンガ、久米田康治『勝手に改蔵 SPECIAL SELECTION』。 単行本は3巻で買うのやめちゃってたので(例によってしげが「いつまでこんなつまんないの買うんだよ」と嫌ったからである)、完結記念にせめてもの「セレクション版」買い。まあ「つまんない」と言われるのも仕方ないのである。これ、ギャグマンガになってないから。じゃあ何マンガかと言われると困るんだけど、読んでて作者の精神状態が心配になる点では吾妻ひでお、鴨川つばめ、冨樫義博の系列の作家さんなんだよねえ。それはマンガの面白さとは「別物」なので、ジャンル分けなんてできないんである。
任天堂の山内溥相談役が、突然「“劇場用アニメ”を制作する」と発表。 いや、それ自体はそんなにオドロキでもなんでもないのだが、問題はその“題材”なんだね。発表した場所ってのが、山内相談役が理事を務める「小倉百人一首文化財団」が建設した記念殿堂「時雨殿」地鎮祭後の会見の席で、記者から「百人一首をモチーフにした作品を任天堂で展開する予定はありますか?」という質問に対して、「例えば、アニメ映画を制作して、ゲームと連動させたりといったことを提案しようと考えている」とコメントしたというのだね。 「百人一首アニメ」って、何それ(~_~;)。 なんだか「その場限りのコメント」という気がして仕方がないのだが、何をどうやったら百人一首が“映画”になるのか、想像もつかないのである。単に王朝を舞台にして、それに「和歌」を絡めるんかなあ。少なくとも「アニメ」にするんだから、ただ平安貴族が歌読んで終わり、程度のものじゃ売れるわけもない。『陰陽師』みたいにアクションやオカルトで「見せ場」作らないとモノにはならんやろ、と思うんだけれど、なんかなあ、こういうシャチョーさんが自ら音頭取った映画って、大コケするパターンが多いからなあ。『ファイ○ルファ○○ジー』とか(^o^)。 まかり間違っても、『紫式部 源氏物語』とかにならないよう、任天堂の人たちは山内さんを「監視」しとかなきゃマズいんじゃないでしょうかね。
2003年09月29日(月) 痛痒な腰痛/『だめんず・うぉ〜か〜』5巻(倉田真由美) 2002年09月29日(日) やっぱり被害に合うのはしげ。/アニメ『サイボーグ009・地上より永遠に』/DVD『マジンカイザー』第7巻最終話ほか 2001年09月29日(土) 郵便ポストが赤いのも/『エクセル▽サーガ』8巻(六道神士)ほか 2000年09月29日(金) Sashimiと震災の真実とバーブラと/『爺さんと僕の事件帖』2巻(しかくの)ほか
| 2004年09月28日(火) |
立てよ鉄人!/DVD『サムライ7』第1巻 |
休み明けで、今週は4日仕事すればすぐ連休。 なんだけど、そう思うとかえってその4日が長く感じられるのはなぜなんだろう。 仕事の話となるとやっぱりトンガリさんの話になってしまうのだが、今日もまた欠勤。ホントに週に一日、二日しか出てきやしない。トンガリさんに比べたら、オレってなんて仕事してるんだろう、と一瞬、錯覚してしまいそうになるが、最低ラインを基準にして考えても意味はないのである。 「上見て暮らすな下見て暮らせ」ってのはしげのモットーであるが、上も下も見始めたらキリがないからなあ。そもそも絶対評価なんてものがありえるのかどうかという議論はあるが、相対評価に重きを置くことの弊害は確かにあるのである。 なんかまた仕事が遅れるなあ、派遣でもなんでもいいから代わりの人材ほしいよなあ、とかブツブツ文句言いながらパソコン開くと、驚いたことに遅れてた仕事が少しではあるがこなしてある。なんで? 先週は放置されたままだったのに、いつの間に? と思って更新記録を見てみると、なんと日付けは昨日である。 昨日って、土曜出勤の振り替えの休日だったじゃん! つまりなんだ、トンガリさんは昨日が休日であることを忘れて出勤し、とりあえずちょっと仕事して帰った、ということらしいのだ。 アタマほんとにボケてやがんな、出勤してきて誰もいないので(留守番に誰か一人くらいはいたかもしれんが)、きっとビックリしたんだろうな、お気の毒さんなことだ、とは思うが、日頃の行状を思うと同情する気にはなれない。一応、仕事はしたんだからいいじゃないの、と言えればまだいいのだが、それほどの量はこなしていない。昨日まる一日仕事していたわりには溜まった仕事の五分の一も終わってはいないのである。もしかしたら反日くらいで帰っちゃったんじゃないか。こっそり仕事するなら、ちゃんと全部片付けとけよな。 当然、昨日出勤したからって出勤記録には残らない。自主的に休みの日に出て来て働いたってだけのことであるが、トンガリさんのことだから、もしかしたら昨日の分の出勤も給料よこせ、とか言い出すかもしれないなあ。でもって今日はまた休んでるんじゃ、意味ないのである。 仕事が遅れてることに関して「いったいどうなってるんですか」と突き上げ食らってる面もあるんだが、そんなのは給料泥棒飼っててノホホンとしてるおエライさんたちに言ってほしいのである。
今日はしげもマジメに仕事。 迎えには来れないというので、バスで博多駅を回って帰る。バスセンターの紀伊國屋に寄ると、予約していたDVDがどちゃこんと来ていた。『カレイドスター』を全巻買い終わったので、つい安心してほかのシリーズ買いを増やしちゃってたのが、かなり溜まっていたのである。 つか、『ウルトラQ ダークファンタジー』、なんでいきなり2〜3巻同時発売するかな。第1巻だけ特別価格で2000円と客を惹いといて、あとは一気に通常価格1巻につき4000円って、ちょっと商売の仕方、アコギとちゃうか。ちょっと買うのをセーブしたいところなのだが、一度頼んだものは仕方がないので全部買ったけどよう。……ってまさか来月もまた3巻同時発売とかするのか? こないだ返品した『カレイドスター』がダブってた件については、今日は担当責任者の方がいて、丁寧に謝られた。こないだはこの方がいらっしゃらなかったので、代理の人では事情が分からず、多少モメはしたのだが、こうして改めて謝罪されるとかえってこちらのほうが恐縮してしまう。非常に口調がハキハキとされてる方で、印象は「クラスの女委員長タイプ」(ショートカットの眼鏡っ娘なんで、ますます「まんま」である)、そのあたりがちょっと苦手ではあるのだが、DVDが入荷するといちいち連絡を入れてくれるので、仕事ぶりは実に堅実なのである。誰かさんは見習ってほしいくらいだ。 月に二回は確実に連絡が入るので、ついに私の携帯には「紀伊國屋」が登録されてしまった。……なんか、劇団のメンバーより親しくなってないか(^_^;)。
コンビニで「タイムスリップグリコ」の新シリーズが出ていたので、ちょっとばかしオトナ買い(と言っても6個くらいだけど)。今回は『鉄人28号』のみのリリースなので、それなら、と買うことにしたのである。以前は「なつかしシリーズ」とかで、昭和の風俗シリーズとか別にほしくないようなものまで混じってたからなあ。 嬉しいことに、鉄人、ブラツク・オックス、モンスター(ロボットのほうね)と、ダブリなしでゲット。これがミニチュアだってのに関節が実に自在に動く! しかもそれでちゃんとバランス保って立つんだよ、これが! パッケージに、鉄人がブラック・オックスを持ちあげてる写真が載っていたので、試みに、鉄人にモンスターを持ち上げさせてみたら、それでもちゃんと立つのだ! なんという造形! いや、マジで感涙ものですよ、これは。 「フィギュアって呼ぶなよ、食玩じゃん」とワルクチ言ってる人もいるけれど、ここまでのクォリティで作ってくれてたら、これはもう立派にフィギュアって言っていいんじゃないか。ついついパソコンの前でジオラマ作って遊んでしまうのだが、こういうおもちゃを手に入れるとついトシを忘れて没頭しちゃうというのは、基本的に精神年齢がが小学生のころから一歩も前進してないってことなんだなあ(^_^;)。
DVD『サムライ7』第1巻。 「黒澤明原作」って触れ込みだけれど、『七人の侍』の脚本は橋本忍、小國英雄との共作である。これって橋本さんあたりから文句来ないのかなあ。じっさい、「宇宙SF」に仕立てていながら、キャラクターはカンベエにキクチヨ、カツシロウと『七人の侍』そのまんま、“農村の水車小屋で長老が「やるべす!」と言う”シチュエーションまで全く同じというのは、宇宙ものに仕立てた意味が希薄になっちゃってて、言いたかないが「珍品」と評するしかない。そのくせ「百姓」は用語規制で「農民」に言い換えられてるのな。 それにしても自らをサイボーグ化した「野伏せりさま」が、「米俵」を奪っていくってギャップ、こういうのは面白がるべきなのか呆れるべきなのか。とりあえず主人公はイマドキのアニメだからちゃんと美少女(農村の巫女さん。多分、これがいずれカツシロウと恋仲になるんだろうな)になってます(^o^)。ああ、キャラデザインは一応草剪琢仁だけど、過剰な期待はしないようにね。
2003年09月28日(日) 女優に有情/舞台中継『赤鬼 RED DEMON』/『砲神エグザクソン』6巻(園田健一)ほか 2002年09月28日(土) こんぴーたなんて使えません/『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻(えびはら武司)/DVDBOX『電人ザボーガー』 2001年09月28日(金) さらば長嶋/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�掘��検憤舵�良和)ほか 2000年09月28日(木) 百鬼夜行とヤオイSFとデクノボーと/『イミューン ぼくたちの敵』(青木和)ほか
| 2004年09月27日(月) |
波瀾万丈……だったかもしれない一日/DVD『北九州モノレール』 |
土曜日に休日出勤だったので、今日は珍しくも平日休業。 一日寝て暮らすというのも選択肢の一つであるが、せっかく平日にうろつけるのであるから、普段行きつけないところに行きたい、ということで、北九州スペースワールドに行く計画を立てていたのだが、天気予報を見ると、あいにく雨のち曇りである。窓の外を見ると、なるほど、結構まとまった雨が降っている。それでも「のち曇り」なら、出掛けても損はあるまい、と判断して、お出掛け決行することにする。
最初は朝から遊び倒しの予定だったのだが、しげが「ちょうどいいから、アタマのおかしい病院にアンタ行かない?」と言う。しげが神経科に通って一年になるので、病院の先生が一度おいで下さい、と言っていたというアレである。……いつも思うのだが、しげが神経科のことを「アタマのおかしい病院」と呼ぶのはどんなもんだろ。病院のアタマがおかしいわけじゃないだろうに。 私は今度の土曜日に行こうかと思っていたのだが、しげは「きっと混むから、今日にしようよ」と言うのである。なるほど、それは確かにその通りだ。 けれど、そうなると午前中はほぼ病院で時間が潰れてしまうわけで、スペースワールドで過ごす時間がかなり取られてしまう。それでもしげは構わんのだろうかと思っていたら、逆にしげから「遊ぶ時間が減るけどいい?」と聞かれてしまった。なんかこの「自分が思ってること」を相手の気持ちにむりやりすりかえて許諾を求めるというのもしげの悪い癖だが、こういうところも何度注意しても改まらないのである。全く、こないだからずっと「デートだデートだ」と心ここにあらずって感じだったのはどこのどいつだよ。
そんなわけで、雨の中、朝の9時から病院へ。 待合を覗くと、それでも2、3人は患者さんが待っている。平日だからと言って、お客さんが少ないというわけでもないらしい。 院長先生と、しげと一緒に面談。先生からは予想していた通り、「この一年で、何か変化はありましたか?」と聞かれる。 「ヒステリーを起こすことは少なくなりましたが、相変わらず家事はしようとしません。一人で活動することができなくて、仕事も休みがちです」と答える。しげにも同じことを聞くが返事は同様。とにかく自分で判断して行動することがどうしてここまでできないのか、なぜここまで物忘れが激しいのか、それがわからない、と訴える。 「父も家内のことは心配してるんですが、『車の運転もできるし、パソコンも扱えるのに、家事ができないとはどうしてだ』って言うんですよ」 「それはそうですよ。車の運転やパソコンは機械的ですからかえって簡単なんです。自分で判断しなきゃならない家事の方がずっと難しくて、今の若い人はその能力自体、低下してるんですね」 しげの生活能力の低さはとてもそれだけだとは思えないが、肝心なのはこれからどうしていくかということである。 「知り合い以外からは電話も取れないとか、不安や恐怖心がかなり強いようなんですが」 「奥さんは奥さんなりに合理的に努力してますよ。何かするときに事前にシミュレーションしたりするのはその表れです。子供のころに経験した外部からの恐怖心が蘇ってくるところに奥さんの場合は、問題の原因があるように思いますね。そのせいで『気持ちはある』けれど、それが実際の行動に移せないんです」 院長先生はそう言って、作業療法士の方を呼ばれた。 「週に一度、火曜日に『SST』、“Social Skills Training”と言って、何か問題に遭遇したときにどう対処するかを実際にトレーニングしてみる療法を行ってるんですが、これに参加してみませんか?」 要するに演劇における「エチュード」である。そういう療法があることは私も聞き知っていたので否やはない。傍らのしげの様子を伺ってみると、目がランランと輝いている。演劇が絡むと途端に元気になるのだから、実に分かりやすいのだが、全くどうしてこの元気が生活一般に発揮されないものなのか。
療法士のSさんに案内されて、教室を見学。SST自体は火曜日しかやっていないのだが、毎日何かしらカリキュラムが組まれていて、患者さんが集まって習字とかもの作りとかスポーツとか、いろいろ行っているそうな。 教室はそう広くはなく、テーブルが三つほど、それぞれに療法士さんを交えて3、4人の患者さんが座っている。奥には畳みの座敷もあって、そこで休むこともできるそうだ。実際、そこで寝っころがってる人がいた。壁には患者さんたちが書いたとおぼしい習字が貼られていて、棚にはフィギュアが飾られている。Zかなんだかのガンダムがあったので、しげが「これどれ?」と私に聞いてくるが、私は「ガンダムはファースト以外認めない」派なので、そんなのは知らないのである。 教室に隣接している別室にはパソコンも置いてある。ネットもできるということなのだろうか、なかなか至れり尽くせりの設備、という感がある。Sさんにそこで今後の説明を聞いて、早速明日から通うことに即決。Sさん、「ここの食事は普通の病院食と違っておいしいですよ」と仰る。これもしげにはかなり魅力かもしれない。
なんだかんだで、病院を出たのが11時。 父に連絡を入れて、店の駐車場に車を置かせてもらう。そこから博多駅までは徒歩、駅弁を買って快速電車に乗り込んで昼食、スペースワールド駅(昔の枝光駅)に到着したときには1時になろうとしていた。雨はまだやまない。しげは「あれとかこれとか乗れないかなあ」と心配していたが、午後から晴れるという天気予報が当たることを祈るばかりである。と言ってもしげが乗りたがるアトラクションはたいてい「水もの」なので、雨でも関係なく動くのだが。
入園すると予想していた通り客は閑散としている。これが休日となると一つのアトラクションに乗るのに20分、30分待ちは当たり前なので、遊園地はやはり平日に限るのである。 最初に観覧車に乗って、しげは駅弁を食べる。さっき買ってたのを、電車内では食べないでいたのである。本当は、観覧車内は飲食禁止なのだが、「ゴミ出さなきゃいいよ」と平然と食っている。全く困ったやつなのだが、煮豆だのサラダだの、食い残したのをいきなり「はい」と手渡されたので、慌てて食った。もう降り口近くて、係員さんの姿が見えかけていたのである。 そのあと、中央スペースドームで、9月末まで開催中の「ゴジラ展」を見る。 年末の『ゴジラ ファイナルウォーズ』を視野に入れてのイベントなので、何か新情報でもあるかと期待していたのだが、中身はこの5月に上京した時、大丸でやってたゴジラ展とほとんど同じ、これまでのシリーズの回顧展だったので拍子抜けしてしまった。スチールやジオラマ展示でさしたる目玉もなく、パンフレットも用意されていない。「ファイナルウォーズ」の設定資料も、さんざん雑誌やネットで紹介されてたイラストがあるばかりで、せめて着ぐるみの写真くらい展示しろよ、と腹が立った。なにかいい土産ものでもあればとショップコーナーを見てみたが、「スペースワールド限定商品」と書いて売ってたゴジラの爪とか背ビレのレプリカ、これがまたやっぱり大丸で売ってたものと同じである。 まさか東京と福岡と、両方のゴジラ展を見にくるバカはいなかろうと思って大うウソこいたのだろうが、バカはやっぱりいるのである。油断するものではない。
水もの好きなしげに誘われて、「アドベンチャークルーズ」に「ファンタジークルーズ」をハシゴ。ここで百円のカッパを買う。山からコースターで池の中に落ちて行くので当然飛沫がかかる。搭乗者はみんなこれを買ってるのだが、おかげでまわりはにわかテルテルボウズの群れか白装束集団、という雰囲気になっていて、なんとなく不穏なムードがなきにしもあらず。雨も降っているし、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだが。 しげは「濡れるのが好きだから」と言ってこのカッパを買おうとしない。白い集団の中で、一人だけ黒いというのもなんとなくヒキョウな。まあ錯覚なんだけど。もちろんしげはびしょぬれになったのだけれど、けたけた笑っていて嬉しそうである。このあと「惑星アクア」にも乗ったのだが、やっぱりけたけた笑いまくっていた。だからおまえ、こわいって。
今しかやってないイベントはあと「バイオハザード4Dエグゼクター」だが、看板にはしっかりミラ・ジョボビッチがいるのだが、アトラク映像には登場せず。なんかこれも詐欺にあった気分である。しげは案内役の「タカヤマ」さんが滑舌悪くて気に入ったみたいだったが。客は私たちと若い女の子4人連れだけだったのだが、この子たちが実にけたたましく悲鳴をあげてくれるので、そちらの方がおもしろかった。会場から出て、一人が「うるさくてすみません」と謝ってきたが、なあに、全然謝るこっちゃない。 そのあと「ブギウギスペースコースター」「クリッパー」「宇宙博物館」などを回る。 最後はやっぱりしげのお気に入りの「アクア」を乗り倒す。閉園時間ギリギリまで乗ったのだから、しげも充分満足だろう。「あんたは楽しくないと?」としげは心配そうに聞くのだが、別に楽しんでないわけではなくて、私はもともとアトラクで声を出したりしない、というだけのことである。 適当に土産を買って帰るが、「宇宙ポテト」とか「宇宙クッキー」っていうネーミングセンスはどう判断すべきでしょうかね。ここで珍しくも『北九州モノレール』のDVDを発見する。モノレールに乗ったときの運転手席から見た映像を延々映しているだけというDVDなのだが、こんなん誰が楽しくて買うんだ。かなりなトンデモ物件じゃないのかねえ。もちろん私は即買いしましたが(^o^)。 しげが、こんなの東京にも絶対にないよ! 東京のグータロウさんにプレゼントに送ってあげようよ!」というのだが、滅多にないものがすべて価値があると思っているのなら、それは大きな勘違いというものであろう。
博多に着いたのが7時。 父と待ち合わせて、「ひらお」でてんぷら定食。テレビで人気の店らしく、やたら人が混んでいた。ネタ自体は屋台の味で、まあすごく誉めるほどのものじゃないけど、値段が安いのと、イカの塩辛が食べ放題なのが魅力のようである。 父、帰りしなにその塩辛を買って、土産にくれる。瓶にたっぷり詰めてあるので、一週間くらいは持つだろうか。 帰宅して、『北九州モノレール』を見ていたら、猛然と睡魔に襲われて、そのまま落ちる。……運転席からの映像って、前方の線路しか見えないんだよね。眠くもなりますって。
『天国にいちばん近い島』の作家、森村桂が自殺。享年64。 平成9年ごろから体調を崩し、鬱病による入退院を繰り返していたそうで、その果ての自殺だとすれば、あまりにもその作風とのギャップがひどくて、やりきれない。 森村さんがどれほどのベストセラー作家だったのか、その著書を殆ど見かけなくなってしまった現在では、どんなに言葉を尽くして説明しても若い人にはピンと来ないだろう。昭和40年代、文庫ブームが起きた時の主流作家の一人は紛れもなく森村さんだった。地方の小さな本屋でも、森村さんの文庫本は書棚のひと棚からふた棚、いや、へたをすると三棚くらいは軽く占めていて、他の作家の追随を許さない感があったのだ。 当時は、まさかこれだけ売れている作家が、数年後には誰からも見向きもされなくなるとは、とても想像がつかなかった。私が所持している昭和59(1984)年刊の『続天国にいちばん近い島』の巻末には40冊以上の著書が出版されているように記載されてはいるが、実はそのころには既に現物は殆ど絶版状態だったのである(十年ほど前まで、角川文庫は、おかしなことに絶版本のタイトルを、あたかも現在もまだ流通しているかのように平然とカタログに載せていた)。 しかしそれでも『天国にいちばん近い島』だけは別格だった。なによりもこれは森村さんの出世作であり、その内容も、作家である父・豊田三郎の残した言葉を信じて「この世界のどこかに“天国にいちばん近い島”がある」と、単身ニューカレドニアに渡っていき、そこでさまざまなトラブルに巻きこまれながらも優しい人々との出会いを通して森村さんが自己を回復していくという、ロマンチシズムにあふれた波瀾万丈の傑作冒険物語だったのだ。森村さんが、ウベアの澄み渡った青い海に足をひたして、「お父さんに会った」と感じるその情景、この描写に心を打たれ、涙した読者は何万人、何十万人といることだろう。 「自分さがし」と言ってしまうと今ではすっかり手垢がついて陳腐な表現になってしまったが、父をなくし、社会にもうまく適応できず、それでも「人間らしく生きることとはどういうことなのか」、懸命になって考え、旅に出た女性の、これは魂の放浪記だったのである。大林宣彦監督、原田知世主演の映画は、原作の内容にかなり改変を加えてはいたが、その根幹の部分ではそういった原作の精神を踏襲していたと思う。 角川文庫版は、昭和44(1969)年の初版発行以来、順調に増刷を重ねて来たが、平成6(1994)年に改版され、副題にあった「地球の先っぽにある土人島での物語」が外されてしまった。本文にあった「土人」もすべて「島の人」に書きかえられてしまっている。森村さん自身は「南洋の土人サンのマンガ(※島田啓三『冒険ダン吉』のことかと思われる)で育っていた私には、この言葉が異人サンと同じイメージの、ロマンチックなよび名だった」と語っていたから、この改変は無念なことであったろう。もともと差別性なんか微塵もない言葉だし、ニューカレドニアの人たちが「土人」という言葉に反応するはずもなく、こういう無意味な自主規制は作品の質を落とすものでしかない。改版後ほどなくして、ついに『天国にいちばん近い島』ですら絶版になってしまった。 森村さんの存在は、ある年代以上の女性たちにとっては「救い」であったと思う。めまぐるしい社会に馴染めず、コミュニケーションがヘタで、それでも夢はきっと実現するものと信じ、性善説を信じ、病気や離婚にもめげず、そしてついに新しい伴侶も得て、日本にもう一つの「天国にいちばん近い島」を見つけて、お菓子づくりや絵描きの毎日で、幸せな晩年を過ごすはずだった。そういう人は、絶対に自殺なんてしちゃいけなかった。 そんなふうに思うのは、もちろん読者の勝手な押しつけである。病気の上での自殺であるなら、どんなにやるせなく感じようが、これはもう諦念するしかないことである。森村さんの心からは、かつてはあんなに溢れていた夢も希望も、活力もすべて失われてしまっていたのだろう。どんなに明朗に見える人間もタノトスから完全に逃れる術はない。森村さんの死に、そのことを切実に思う。
2003年09月27日(土) のべつ差別/アニメ『妖獣都市』/『仮面ライダーSPIRITS』5巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) 2002年09月27日(金) トンデモさんがいっぱい/オペレッタ『マリツァ伯爵夫人』 2001年09月27日(木) 「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか 2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)
| 2004年09月26日(日) |
To be or not....../竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻 |
朝方、起きぬけのしげがなんだかベソかいたような顔をしている。 なんだまた鬱か、と思ったらそうではなくて、「オレ、茶碗割ったかもしんない」と言って、真っ二つに割れた茶碗を持ってくきた。 「なんか、足がゴリゴリするなあ、と思ったら、割れてた」 「……そりゃ確実に割ってんだよ」 しげの寝相はかなり悪いのだが、特にその足の破壊力ときらまさに悪魔的と形容するほかはなく、私も何度となく被害に遭っているのである。つか、足元の茶碗くらい片付けてから寝ろよ。 うちにある茶碗だの皿だの、食器類がわじわと減ってきていて、気が付いたらカレー皿やら小振りのどんぶりやらは、今や一人分しかない。私一人のときにはここまで茶碗割ったことはないのになあ。またそのうち百円ショップで皿とか買わにゃならないなあ。うちじゃあ食器の新陳代謝はしょっちゅうなのに、どうしてしげの脳みそは新陳代謝してくれないのだろうか(注・しげのに限らず人間の脳みそは新陳代謝しません)。
しげはひと足先に芝居の練習。私はカメの日光浴と、水換え。 ひところ元気のなかった竜宮亀太郎も、エサを生き餌に変えてから前にも増して食欲旺盛になって、自分よりも2倍弱はデカくなった玄武をモノともせずにその上に乗っかり、エサを食らっている。でも食い方がドヘタくそで、噛んだエサがすぐに口の中からポロポロこぼれるのである。だもんで私は日に一回くらい、しかも少量しかエサをやらないようにしているのだが、しげは「亀キライ」とか言ってるくせに、スキを見てはすぐに水面いっぱいに広がるくらいに餌をばらまくのである。 「だってこいつら、ちょっと顔近づけただけで『エサ?エサ?』って思ってバタ狂うんだもん」としげは言うのだが、だからって大量にやったら、結局は食い残してしまうのである。しばらく経つとそれが下に沈殿して、糞と混じって腐敗する。これですぐ水が濁っちゃうんだよなあ。「部屋の中がカメ臭くなる」って文句言ってるくせに、そうしてる一番の原因はしげにあるのである。 本当は、日光浴は毎日させてやりたいし、水換えも三日に一度はしたいんだけど、しげはそういう協力はする気ないのな。させても水槽割るからさせないけど。
午後から練習に参加。今日の出席者は、桜雅嬢、加藤君、鴉丸嬢、其ノ他君、穂稀嬢。 昨日のことがあったので、果してしげをこのまま使っていいものかどうか、演技の様子を見てみたが、殆ど上達していない。歩き方から「普通に歩く」ことができないのだから、これはかなり重傷である。 普通、人は足を前に出すとき、カカトから真っ直ぐ降ろしていくものだが、しげはガニまたで、足のウラをほぼ平面にぺったんぺったんと降ろしていくのである。幼児かペンギンの歩き方を想像していただければよかろうか、みっともないと言うか滑稽だと言うか、ともかく、こんな珍妙な歩き方では、演じる役柄がどうしても限定されてしまう。シリー・ウォークじゃないんだから。 この十年ずっと、「歩き方がヘンだ、演技にならないから矯正しろ」と言い続けてたのだが、しげは全く改善しようとしなかった。「やってみたけどうまくいかん」ということならともかくも、「普通に歩くとキツい」とか言ってすぐやめてしまうのだから、どんなにエラそうなことを言っても、しげには本気で芝居をする気がないのだ、と断定せざるを得ないのである。キャスト変更したいものの、ともかく人材がいない。はっきり言っちゃえば、ある人くらいしか代役ができる人はいないのである。しかし、「しげの代役なんだけど」と言えば、恐らくは固持されるのは想像がつくのである。となると客演を頼むしかないが、いきなりの主役を依頼できるものでもない。にっちもさっちもいかないのである。 鴉丸嬢からは夕べ電話があって、事情を説明したのだが、「しげさんくらい、芝居のこと考えてる人はいないよ」という返事だった。そんなことは分かっているのである。考えてることを「表現」できないからアタマを抱えているのだ。 「演技の才能とは何か?」というのは実はすごく簡単で、「自分の表現が他者からどのように見られているかを客観的に把握できる」ということである。つまりは「鏡を見ろ」ということなのだが、しげは全然鏡を見ようとしない。 ではしげに演技の才能が全くないかというとそうではなくて、「恥を知らない」がゆえに、「これはできない」という役は基本的にはないのである。これは本来、演技者としては相当な「強み」になるはずなのだが、努力が全く伴わなかった。この十年、直観だけで芝居をしてきたツケがここに来てしげのクビを締めているのである。 加藤君、其ノ他君にも、このままでいいのかどうか聞いてみたのだが、「構わない」ということであった。 「いつ『鬱』が来るかわかんないよ? いいかな、それでも?」 「そのときはなんとかします」 其ノ他君がそういうからには、これは口先だけではない。何かあったら本当になんとかするだろう。となれば、私にはもう何も言うことはない。しげの芝居が形になろうがなるまいが、このまま行くしかないのである。
桜雅、穂稀両嬢は先に退出、残ったメンバーで何となくの流れでカラオケに。カラオケ自体も随分久しぶりだが、加藤君が歌うのを聞くのも今回が初めてである。と言っても日本全国、オタクの歌いっぷりはみんな同じで、アニソン歌えばみんな絶叫するのである。でも声のノビが実にいい。これが演技の時の発声に生かせてないのが残念なくらいだ(^o^)。しげと交互に戦隊ものなんか歌いまくって、盛りあがること。 このメンバーだと全く酒が入らないので、歌いながら乱れてクダ巻いたり、つまんねえオヤジギャグ飛ばしたり、マイク持って離さないようなマナー知らずなやつもおらず、安心して歌えてありがたいのだが、最初に『誰がために』とか絶叫系をリクエストされて、調子に乗ってそんなのばっかし歌ったおかげで、一時間足らずでもう声が出なくなった。其ノ他君の『アニメタル』に合わせて歌ってたときにはもう声がカスレ状態である。明日が仕事じゃなくてホンニよかった(^_^;)。 帰宅したらもうヘロヘロ。日記も付けずに寝る。
マンガ、星里もちる『ルナハイツ』3巻。 少年マンガ描いてたころと違って、最近は時々混じってくる殺伐としたネタがなんだか神経に障る(やりすぎると柳沢きみおになっちゃうからなあ)。今回も怪文書バラまく同僚がいたり、まどりに言い寄る後輩に南條が異常なほど嫉妬心を抱いたり、「作り過ぎ」ていてどこかいやらしい。それでもギリギリ「読める」のは、のほほんとした重さんがいるおかげではなかろうか。この人も今巻ではちょっとだけ殺伐入ってたけど。
野間美由紀『新・パズルゲーム☆はいすくーる』2巻。 掲載誌が変わったせいで、タテ広告のスペースを使っての作者のダベリングコーナーがなくなっちゃったのがちょっとサビシイ。話は相変わらず他愛無いし、トリックと言えるほどのものはないけれど(「春巻き」とかねえ。)、まあ、ムリして作ってないだけ微笑ましい。かと言って過大評価は禁物でミステリ好きには勧められないけど。
竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻(完結)。 あんまり売れ行きよくなかったんで打ち切りだそうな。それでも7巻まで続いたのは竹本さんにしては長期連載なんだけれど。イーナスが美人系じゃなくてカワイイ系だったら、あと3巻は続いてたかな。いや、それより竹本さんのSFが今ひとつ受けないというのは残念でならないのだ。「女神能力」なんてアイデア、そうそう思いつける人いないぞ。ただ女の子どうしがキスしまくるだけのマンガじゃないんだってば。
『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガンが24日、心臓疾患のため死去。享年69。 『悲しみ』は今ベストセラーになってたら絶対『かなこん』とか省略されちゃうんだろうな。小説も読んだし映画も見たことは確実なんだけれども、かなり昔なんで、もうおおざっぱな筋しか覚えてない。映画は原作に忠実だったって記憶があるけれども、ホントにそうだったろうか? ファザコンな少女がヤモメな父の新恋人を事故に見せかけて殺すって話だったから、見ようによってはこれもミステリーである。今だったら特にショッキングな物語でもないけれども、当時大ヒットしたのは、それがやはり「18歳の少女」によって書かれた(しかも美少女)という事実が、話題をスキャンダラスなまでに大きくした要因だったろう。 ただ、そう言いきってしまうと、じゃあサガンは「年齢のせいだけで」売れたのかって勘違いされてしまいかねないのだが、必ずしもそうではなかったのではないかと思う。小説自体ウロオボエの私が言い切っちゃうのは多少乱暴ではあるのだが、「つまんなかった」という記憶はないので、充分内容を伴ったものだったろう、と推測しているのである。 ではサガンは綿矢りさのルーツなのかってことになるけれども、『蹴りたい背中』のように、読んではみたけど、改めて大の大人がああだこうだと語り合うにはどこか気恥ずかしく感じる雰囲気ってのはサガンにはなかった。綿矢りさは「現象」だけれども、サガンは「事件」だった。だからかつては女子学生が「サガンを片手に歩く」というのがステイタスたりえたのである。残念ながら日本の女流作家で、たとえ作品が読まれてはいても、そのような形でステイタスたりえた作家はまだいない。いったいサガンの「何が」ほかの作家たちと違っていたのだろうか。 それはヌーヴェル・バーグの雰囲気を直接的には知らない私には、これこれこうとうまく説明はできないし、個人主義がどうのこうのと、マコトシヤカなウソを並べたてる気はないのだけれど、『悲しみ』が「少女」という存在を、圧倒的な「強者」として成立させた、という点だけは間違いない事実だと思うのである。その「思想」は換骨奪胎されて、日本の「少女マンガ」にも受け継がれた。少女が主導権を握る時代を予見したということで、サガンは少女マンガ家たちの心のルーツでもあるのである。
2003年09月26日(金) 真剣に死刑/『ワイド版 風雲児たち』16巻(みなもと太郎)/『サトラレ』5巻(佐藤マコト) 2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか 2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか 2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ
| 2004年09月25日(土) |
だから鬱になってるヨユーなんてないんだって/『鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』 |
いよいよ仕事が立て込んできて、なんかまだ病み上がり感覚の身にはいささかキツイ。 取りまとめなきゃならない仕事が二つ三つ重なってるので、あちこちの関係者に進行をせっつかないといけないのだが、思った通り、だいたいみんな仕事してくれてない。そのことは見越して、当然スケジュールに余裕は持たしてるのだが、各所に頼んだ仕事、ちゃんとシメキリ通りに仕上げてくれた人が一人しかいないというのは、ちょっとみんな仕事サボリすぎじゃねえのか。これじゃあトンガリさんから「あんたたちだって仕事してないでしょ!」と逆ギレされるのもムリはないのである。もちろん、トンガリさんも、頼んだ仕事、見事にぶっちこいてくれてましたとも。
でも今日はトンガリさんのことで腹を立てる段ではなかった。 またまたまたしげが鬱に入り、ひと騒動やらかしてくれてたのである。 朝方は「迎えに行くから電話よこしてね」と言っていたしげ、帰りになって連絡を入れても、どうやら携帯の電源自体切っているらしく、「お留守番サービス」にしか繋がらない。 仕方なく帰宅してみると、今日は仕事のはずなのに準備もせずに寝こいている。 「仕事は? 昨日もおとといも休んでるから、今日は行くんじゃなかったのか?」 「行かん」 「どうして」 「……」 具合が悪い時にはしげはちゃんとその旨はっきり言う。黙っているということは、ただのサボリだということだ。 「なんで理由が言えないんだよ」 しばらく押し問答をしていたら、ようやくか細い声で「理由はない」と答えた。 「……もう、仕事したくないのか? 店、やめるのか?」 「……」 「仕事せんと、芝居もできんやろうが。どうするとや?」 「……」 「仕事ちゃんと行ってこい。今からなら間に合うやろ」 「もう『行かん』って言ったもん」 「だから、それを『行きます』ってもう一度連絡しろってんだよ。まだ間に合おうが」 「……」 「芝居もする気ないとや?」 「……」 「自分のしたいことも言えんのか。だったら公演なんかできんめえもん。仕事行かんのなら、みんなに公演は中止するってメール送るぞ。それでもいいとや?」 「……」 これはもうどうしようもない、と、しげの目の前で次のようなメールを劇団の主だったメンバーに送った。
> 女房がやる気なくしたんで、今度の公演は中止します。突然ですがすみません。連絡も取らないで下さい。
実際に本気で公演を中止するつもりだったのかどうか、と疑問に思われる方もいらっしゃるだろうが、9割9分本気だった。私の目から見ればしげは全くと言っていいほど芝居に本気で取り組んではいない。今まで何度もしげに芝居のキャストだのスタッフだのに引きずりこまれながら、私が途中で抜けることが多かったのは、「お前がヒステリーを起こすようなら芝居には協力しない」という約束を一度もしげが守れなかったからである。「起きるものは仕方がない」などという言い草はモノ作りには通らない。医者が手術の失敗を「調子が悪かった」で済まされるものではないのと同じだ。 何でもそうだが、「本気でやりたい」と思うのなら、誰でもそのための下準備はする。それは単に先立つものが必要、とかそういう物理的なことだけでなく、自分の心構えの問題でもある。生活を切り崩してまで芝居に打ちこむ覚悟があるなら、それはそれで構わない。しかし結局は私に甘えることでしか芝居がやれない、というのなら、そりゃ根本的に生き方自体、間違えている。自分で自分の生活立てた上で芝居やるんじゃなきゃ、何の意味があるか。なんだかんだでしげは既に私に7万円、返せるアテもない借金を作っているのだ。練習に出ても演技プランをマジメに考えてる様子もない。これでは私もこれ以上は協力のしようがないのである。被害が大きくなる前にやめさせるのも仕方がないと、考えていた矢先だった。 ただし、「連絡を取らないで下さい」と書いたのは、残りの1分、しげが改心する可能性をそれだけは残しておいたからである。これは「少し時間をくれ」というPPのみんなへの「腹芸」だったのであるが、それに気が付かずにすぐさま「どういうこと?」とメールを送ってきたのが若干名いた(^_^;)。全く、行間を読むことができないヤツラである。 メールの返事はほったらかしといて、しげに詰め寄る。 「仕事もやめるなら、挨拶に行こう。一人で行けないなら、オレも付いてって、一緒に頭を下げてやる。ウソついて仕事休んでばかりですみませんって謝ってやる。劇団のみんなにもちゃんと謝ってまわれ。それくらいのケジメは付けれるな?」 「……」 「返事せんか。もうみんなにはメール送ったんだから、これからどうするかは決定したろうが。いったん『行けない』って連絡入れたら、もうあと戻りはできないんだろ?」 「……」 ……まあ、このくらいの「ほのめかし」ではしげは私が何が言いたいかはわからない。 「さっき、仕事に行けって言ったとき、『もう、一度“行けない”って言っちゃったから、訂正はできない』って思ったんだろ?」 「……」 『黙っとったってわからんやろうが。なんで自分の意志なのにはっきり言えんとや。結局、おまえは何がしたいとや?』 「……」 「したいことはないんか」 「……芝居がしたい」 「聞こえん」 「芝居がしたい」 まだ全然か細い声だったが、泣いてはいなかった。 「仕事はどうするとや」 「行く」 「なら、店に電話してこい」 しげが電話している間に、私は劇団のみんなに「お詫び」のメールを送った。
> 先ほどは、突然の内容のメールでご心配をおかけしまして申し訳ありません。 > 実は、女房がまた鬱になってしまい、仕事もここんとこずっとサボリ、今日も病気だとうそついて休もうとする、当然、収入がないからパピオの使用料も払っておらず、私からも既に七万円借りたままで返す当てもない、いったいこれからどうするつもりなのか、問いただしてみても返事もしない、もうどうしようもない状態になったので、これはとても芝居がやれる状態じゃないと思って、PPのメンバー全員に先ほどのメールをお送りしたのです。 > メールを送っている間、情けないことに女房は私を止めようともしませんでした。 > そのあと、「言いたいことも言えんで芝居やろうなんてふざけたこと言うな!」と言ったら、ようやく「芝居やりたい。仕事も行く」と言い出しました。 > みなさんご存知の通り、女房は心の病気で意志薄弱です。優しくものを言っただけでは、自分で決断せずにすぐに逃げようとします。一旦は追い詰めないと、ちゃんと返事させることもできなかったのだとお察し下さい。 > 予定通り公演は行いますし、明日の練習もありますが、女房はこういう感じでいつまた鬱になって逃げようとするかわかりません。キャスト変更も含めて、どうしたらいいか、みんなで相談した方がいいと思います。明日はそういう話もしたいと思いますので、お見えになれない方もご意見をお寄せ頂けると有り難いです。
正直、しげのキャストだけは変えてしまいたいのだが、ほかにやる気のあるやつがいないのである。と言うかよ、やる気ないヤツが揃ってるのに、劇団維持する意味なんてないってホントに思うんだけどねえ。しげが「今度の公演で引退する」って宣言したあとも、「じゃあ自分が引き継いで」って言い出したやつは現れなかったし。 私は芝居が好きだ。好きなのだが、だからこそ本気で芝居が好きでもないやつと組んで公演を売ってく気なんて、サラサラない。今度の芝居を最後に解散してしまっても構わないと思っているのである。
『TVアニメ 鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』。 原作ファンの方には申し訳ないが、私は原作よりアニメ版のほうが面白いと思ってる派である。もちろんメディアが違うので単純比較はできないし、優劣を競うのも無意味だ。「面白い」ってのはただの「感想」なんで気にしないように。ただ、そこには当然理由があって、それはこのシナリオ集の水島精二監督の脚注を見ればよく分かる。私が「ここのセリフはうまく原作をシェイプアップしてるな」って思ったとこ、脚本家の會川昇さんの功績かと思ってたら、殆ど水島さんの改訂だった。原作の量が少ない分、構成に手を入れてはいるものの、元の會川さんの脚本はかなり原作に忠実なのである。 映像にする場合、「語りすぎ」「描きすぎ」は禁物なんで、原作にあった「いいセリフ」「いい絵」ってのは必ずしも全部は使えない。ましてや、少ない原作を補完するために多数の設定の付け加え、改変を行わざるをえなかったので、やむをえずカットしたってとこもあると思う。逆にそこをカットできないと、作品はふやけたものにしかならない。原作に人気があってもアニメはコケてって例は多いけど、これはやっぱマンガのアニメ化としてはかなり理想形に近い演出で作られてるのは間違いないのである。井上敏樹の脚本の回だけはふやけてるけど(^o^)。
横山光輝原作・長谷川裕一漫画『鉄人28号 皇帝の紋章』2巻。 新アニメシリーズの辛気臭さ、無意味な勿体つけ、青臭くて鼻につくメッセージ性に比べると、長谷川さんの「まんが」っぷりには感動すら覚えてしまう。正太郎、ちゃんと「探偵」してるしさ(アニメ版の正太郎は慨嘆するばかりで冷静さがない)。「なぜオックスは飛べないのか?」なんてセリフ、ゾクゾクするよ。ロボットバトルロイヤルも次巻はいよいよ大詰めになりそうな予感。鉄人・オックスのタッグ対ギャロンか? これは燃えるぜ!
和田慎二『スケバン刑事』(完全版)2巻。 描き降ろしカバー、海槌麗巳が随分優しい表情になってるけど、これって『if』を書いた「後遺症」かな?(^_^;) サキも今描くとかなり「カワイイ系」に近くなってる。連載当時ですら古臭い絵で、説明的なセリフは多いし、キャラの底は浅い、正直つまんないマンガだったんで、少女マンガ誌じゃなきゃ目立ちもしなかったろう。それでも今巻の『無法の街』とかは好きなエピソードだったな。町ぐるみ排他的ってとこは、実際あるしね。
島本和彦原作、『逆境ナイン』の実写映画化が進行中である。 原作者の島本さんのHP『島本和彦外伝』の本日の日記で、その撮影現場の様子が“熱く”レポートされているのだが、ちょっとサビシイ気分になってしまったのは、「原作のマンガが現在手に入らないのが申し訳ないが」とか、「エキストラの女の子の99.999%は原作マンガなんて知らないんだろうなあ(笑)」なんて自嘲的に書かれているあたり。 ごく一部の島本和彦ファンが撮影現場にも来ていて、島本さんに気付いてサインを求めてきたのだが、そのあと「あれは誰?」とばかりに「島本和彦なんて知らない人」までもが我も我もと押し寄せて、「団扇だとかTシャツとか帽子とか携帯の電池入れ(を外した裏)だとか紙コップを開いたもの」にサインを求めたのだという。これにまた島本さんが腹を立てもせず、いちいち全部サインしてあげてたというのだから、もう泣けてくるじゃないか。島本さん、「あの場所ではアレが楽しかったからやったのだ。漫画家はそれくらいしか感謝の気持を表せないからなあ」なんて書かれてるけど、別にエラぶった人でなくたって、これは断っても当然のことだ。感謝って、自分のファンでもない人たちになんで感謝の印を見せるんだよ。いい人過ぎるよ島本さん(+_;)。紙コップに描いてもらったサインなんて、そいつ、ウチに持って帰ったら捨てちゃうに決まってるじゃないか。 なんかすごくアタリマエなことを書くのは気が引けるのだが、サインって、憧れの人のものをほしがるものじゃないのか? たとえ有名人であっても、別にファンでもなんでもない人のサインをもらって嬉しいのか? シティボーイズのギャグで「海老名みどりをおっかけてどうする」ってのがあったけど、「有名人ならそれでいい」っていう態度、例えば「宅間守のサインが欲しい」ってのと同レベルで「島本和彦のサインが欲しい」と言ってるのに等しいんだぞ(ここで「宅間守のサインなら欲しいよ」とか突っ込む人、アンタは帰れ)。 昨年だったか、私は天神で、歌手の白井貴子のサイン会に偶然出くわしたことがあった。実は私は、学生のころ、彼女のコンサートに一回だけ行ったことがある程度のファンではあった(^.^)。すんごい小さい方なのだけれども、いつでも可憐でパワフルで、今でも好きなことは好きなのだ。けれども、最近はCDも買っていないので、これで「ファンでござい」とサインの行列に並ぶのはあまりにも失礼だと思った。たとえあちらにファンかそうでないか気が付かれないとしても、サイン欲しさに「フリ」をするような下劣なまねはしたくない。別にカッコつけでも何でもなく、自然にそう思うのだ。結局私は、白井さんのトークをちょっと聞いただけでその場を離れた。 『逆境ナイン』のコミックス、とうに絶版になっている(つか、キャプテンコミックス自体が全部入手不可能になっている)。マンガがアニメ化されたことだって殆どない(『炎の転校生』がオリジナル・レーザーディスク・アニメになったくらいだが、レーザーディスクがまだ普及してないころで、これがもののみごとに売れなかった。製作したガイナックスは大馬鹿である)。一般に島本さんを知らない人がいるのもムリはない。 けれど、一般人は知らないかもしれないけれど、もしも誰か評論家が本気で「現代マンガ史」を編もうとしたら、島本さんは絶対に外せない人なんだぞ(と思うんだけどなあ)。パロディでコメディを描くマンガ家さんはそれまでにもたくさんいたが、“パロディでストーリーマンガを描く”なんてスタイルを発明していきなり確立しちゃったのは、島本さんが殆ど初めてなのである。“エポック・メーキング”な人なのだ、島本さんは。それなのにご本人自身が謙遜するように「知られてない」みたいなことを仰るなんて……嗚呼(TロT)。 だから逆に、この映画がきっかけになって、コミックスの復刊とか、そういうことがあったらなあと思うのである。もっと知られよ島本和彦。羽住英一郎監督、もしかしたら“それを狙って”『逆境ナイン』を映画化しようと企んだのではなかろうか。ともかく原作に惚れこんでいなければ、数ある島本マンガでもよりによってコレを「映画にしよう」なんて発想は、絶対にありえない。なんつーかね、野球マンガのフリしてこれ、ぜんっぜん野球マンガじゃないんだから。 梶原一騎的“やればできる”精神主義を、本質的にはただのヘタレな連中にあえて語らせて「ズレ」を生じさせてギャグに落とす。「逆境に燃える」のは分かるけど、実力が伴わなきゃ、普通は絶対勝てないもんだ。つまり、こういう「勘違いな連中」が、ストーリー展開としてはケチョンケチョンにやられて終わり、というのが「これまでのギャグマンガ」の笑いどころだったわけだ。 ところがこのマンガではそれをムリヤリ「勝利」に持って行くという、ありえないことをやらかしてるんだね(^o^)。登場キャラクターたちはみんなその「勝利」に感動してるんだけど、読んでる方はただひたすら「唖然」である。 これは実は、ジャンプ的「友情・努力・勝利」の完全否定なんだね。当然この観念も梶原一騎の影響下にあるもので、彼らの勝利は「真の」友情の結果でもなければ、「真の」努力の成果でもない。どんなに「それらしい燃える言葉」が羅列されようと、彼らの勝利は「なぜか勝ってしまった」としか言いようがないものである。客観的にヒレツな行為ですら、登場人物たちの“誰一人として”ヒレツだと思わなければ(つか、「堂々と言い放って」言いくるめられれば)何となく許されてしまう。主人公の不屈闘志の「堂々としたヒレツ」なキャラクターに、ほかのキャラクターたちが全て巻き込まれて「洗脳」されていってしまい、結果的に「誰もがヒレツだけど立派に見えてしまう」という、トンデモない世界が現出してしまうのだ。散々非道なことやっといて、「それはそれ!! これはこれ!!」と堂々と言い張るようなもんで(ちゃんと作中でそう言ってるのである)、基本的に詐欺と変わらんのだよなあ、このマンガ(^_^;)。 でも、だからこそ面白い。梶原一騎的熱血スポコン漫画だったら、こいつらは真っ先に「粛清」されてしまう軟弱キャラだ。だって、こいつら、基本的に精神主義ではあるけれども、カジワラ的な「修行」はしてないから。つか、カジワラの修行にだって実は意味なんてなかったのだが、その「無意味な修行」がなぜか結果を出してしまうという点をパロディにして最後までそれを押し通しているのである。彼らは「自分たちは軟弱ではない」と「根拠もなく」思いこむことによって、ただ勝利していく。結果的にそこでは友情も努力も、そして勝利の価値さえも無化されていく。島本マンガの本質は「燃える無意味」なのであり、「勘違い人生でどこが悪い。みんな勘違いして生きてんだ!」という堂々たる主張なのである。もっとも、キャラクターたちはみんなバカなので、自分たちの行動が客観的にどう見えるか全然自覚してないが。 ……まあ、ホントに「努力が大切」と信じてる人には嫌われるし、人気は出ないわな、こういうマンガ(^_^;)。でも、羽住英一郎監督は島本マンガの本質をちゃんと「分かってる」と思うのである。でなきゃ、サカキバラ・ゴウ役にココリコ田中を起用したりしませんて。まあたいていのマンガファンは藤岡弘、(「、」を忘れないでね)のイメージでサカキバラを見てるとは思うんだけど、藤岡さんに演じさせたら藤岡さん自身のセルフ・パロになっちゃうから、それはあまりに失礼というものなのである。藤岡さんはいつだって真剣にヒーローを体現すべく努力されているのだから、ファンを自認する者ならば、たとえそれが「藤岡弘、探検隊」であろうが決してツッコんじゃいけないのである。
2003年09月25日(木) 文化の分化/『浪花少年探偵団』(東野圭吾・沖本秀子)/『探偵学園Q』12巻(天樹征丸・さとうふみや) 2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか 2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき) 2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|