無責任賛歌
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| 2001年09月26日(水) |
彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか |
オタアミ当日まであと59日!
一昨日24日、作家、中岡俊哉氏が異ガンで死去。74歳。 唐沢俊一さんの裏モノ日記に、「心霊研究家としての肩書きに触れてなかった」と書いてあったが、読売新聞、ちゃんと「超常現象、心霊現象に関する多数の著作がある」と記載してる。 まあ、これを書かなきゃウソだよなあ。 昔はしげ以上に怖がりで、心霊写真なんて見ることもできなかった私ですら(隔世の感があるなあ)、中岡氏の著作を何冊かは所持している。 怪作『新・世界の怪獣』もしっかり持ってるし。 ああ、地球は怪獣バグンによって滅ぼされちゃったんだよなあ。それまで「怪獣」というのは必ず倒されるものだと思っていたのに、人間の兵器を全て寄せ付けず、世界各地を荒らしまわる大群獣バグン。 しかも各国は自分たちの利権ばかりを考えていて、ともに怪獣に当たろうとしない、その結果、人類は自滅とも言える滅亡を遂げる……。あの崩壊のイメージは、映画『ノストラダムスの大予言』以上に、今でも私のトラウマの一つになってるのだ。 もちろん、氏の「どう見てもウソ」の心霊写真を、「ホンモノ」のように見せかけた「罪」は大きいとしても、そんなのはオトナになれば自然と判断がつくものであったし、何よりコドモに「得体の知れないものに対しても興味を持つ」視点を与えてくれていたことは、大いに評価していいのではないか。最近はたいした著作を書いてはおられなかったろうが、その死はやはり惜しい。
……ちょっと本棚から『クロワゼットの超能力』(笑)を引っ張り出してみたのだが(心霊関係のはどこかに紛れこんでて解らん)、中岡氏がどの程度超常現象を信じていたかは分らないが、その「筆力」には頷かざるを得ない。 「超能力を頭から疑っている人に理解してもらおうというのは、盲人に血の赤さをわからせようとするくらいむつかしいのではなかろうか」なんて、今なら一発で削除をくらいそうな表現まであるが、この人の文章、同じことを二度三度と畳みかけるように訴えるところに特徴があるのだ。 「私は超能力の実在を信ずる。 私はまた、超能力は誰にでも潜在している可能性を信じている」 こんな具合。つまり「アジテーションの文体」なのだね。クサイが、この表現に私はけっこう騙されていた。かなりトシをとるまで「ユリ・ゲラーはニセモノだけれど、クロワゼットは本物」なんて言ってたのだ。 言葉は決して真実ではない。メディアが真実を伝えることは不可能に等しい。だとしたら、「真実だ」と思いこましてくれるものがそこにあり、たくさんの人々がそれを受け入れれば、それは畢竟、「真実」としての機能を果たしだす。……いやねえ、なんつーか、読み返してみて、結構「自分の文体」と似通ってるところ見つけちゃったわけですよ。 私も知らず知らずのうちに中岡さんの影響を受けていて、この日記の読者をアジってたのかもなあ。
今週はお仕事が始まったのが、火曜日なので、まだ二日目なのだが、体が異常に疲れている。 職場でもウチでも椅子に座ってる時間が長いせいかなあ。腰にはっきりと痛みがあって、捻ると一瞬、激痛で立往生する。 日記の更新で夜更かししてるから、という理由もあるのかもしれないが、それにしたって5時間は寝ているのになあ。もっとも入院中は8時間、9時間は寝ていたわけで(つーか消灯されてちゃ寝るしかないわな)、やはり人間は位置に血の1/3は寝ないと体調が万全にはならないものらしい。 布団が固いせいもあるのかな。そろそろ新しく布団を買おうかなあ。
帰宅してみると、しげ、20時間の睡眠からやっと目覚めている。 ……臭い。言っちゃあなんだがマジで臭い。20時間でこれなのだから、イバラ姫も100年の眠りから目覚めたときにはさぞや臭かったであろう。 しげには、日曜日に「休日くらいは洗濯しろよ」と言っておいたのに、途中でほっぽらかしていたので、「まだ洗濯もの残ってるだろ」と言ったら、「ちゃんと干したよ、見えんの?」とこきゃあがった。 「ウソをつくなよ、やってないだろ!?」 「ウソなんてついてない! 後から出したんじゃないの?」 「お前がそう言うと思って、昨日から着替えてない!」 ……あ、臭いのは私もだった。 どっちにしろ、しげが洗濯をサボったせいでこういう事態に立ち至っているのだ。自分のやったことを確かめもしないで意地だけ張るのがあまりに業腹なので、怒って洗面所にしげを追い払う。籠の中に洗濯物が残っているのを発見して、しげはやっと自分のボケに気がついたらしい。ブツブツ言いながら洗濯を始める。 多分、しげの脳細胞は寝ている間にどんどん死滅しているのだ。
テロップで近鉄優勝とのニュースが流れる。 ああ、ダイエー勝てなかったか……とちょっと気落ちしちゃったのは、別に私が福岡生まれだからではない。 多分、私の野球の知識は、岡田斗司夫さんか虹森多佳子さんナミなので、見ていてそう面白いものではない。ゲームの「面白がりどころ」がどこだか見当がつかないのだ。 まあ、虹森さん曰く「ホームランだけは解りやすいんですけれど」。 『スタジアム 虹の事件簿』を読んでて思わず頷いちゃったのは、虹森さんのこのセリフだったりするのだ。実際、王選手の現役時代は756号や800号の瞬間をか見たくてテレビにかじりついてたけどね。それ以降はサッパリ。 西鉄ライオンズの3連覇も生まれる前のできごとだしな〜。親父とお袋は二人揃って徹底的な巨人ファンだったから、地元球団に対して思い入れできる材料自体がなかったのだ。
それでも今まで、あの福岡ドームの中に5回ほど出かけてはいる。 1回目はコミケ(多分ドームができて2年目くらい)、2回目はオヤジに連れられて試合観戦(ダイエーは見事に負けた)、3回目は家電製品の即売会、4回目は2年前のダイエーの日本シリーズ優勝の中継観戦、4回目は去年の5月ごろ、ペナントレース観戦(やっぱり負けた)。 自分から出かけて行ったのは、家電製品を買ったときだけで(あの時は何を買いに行ったんだったか)、後は全部、知り合いとのつきあいである。 福岡県民が全てダイエーのファンってわけじゃないのだ。 じゃあ、どうして残念だったかっていうと、「もう一度ON対決」が見てみたかったって、それだけ。
八百長、とはちょっと違うが、スポーツだって人間のメンタル性の影響が強い以上、勝負になにかしら「時代の要求」みたいなものが関与してくることはありえるだろう、と思っている。 去年は日本全国の誰もが「ON対決」を望んでいた。そんな中で他チームが「巨人」や「ダイエー」に勝つことがどれだけムズカシイか。まさしく「20世紀を締めくくる対決」をみんなが待ち望んでいたのだ。 けれど今年はどうだろう。昨年の覇者でありながら、巨人戦の視聴率は全く振るわず、話題は殆どマリナーズのイチローだ。人々が野球にゲームとしての面白さではなく、「時代のヒーロー」を求めているのだということがよく解る事実ではないか。
9時からRKB毎日放送、『ブラック・ジャック�掘“畄爐療刑洋鼠�人』。 画面に出て来たタイトルはこれだけだけれど、新聞を見ると「舌から味覚が消えていく? 鬼の頑固シェフを襲う脳のガン“俺を今すぐ殺してくれ”」とサブタイトルが。 ……これ見て、この番組面白そうだ、と思うやつがいるのかね(^_^;)。 前二作を見逃しているのでどんなものかと思ったが、これがもう、楽しいくらいの珍品。 マンガの実写化がそもそも不可能だってこと、演出の堤幸彦は熟知しているのだろう。最初のテレビ化が『加山雄三のブラック・ジャック』てあったように、ここでは『本木雅弘のブラック・ジャック』をひたすら描く。 もちろん、それは正しい。 本当にリアルな医者のヒューマンドラマを作ろうと考えるなら、そもそも欺瞞だらけの手塚原作に頼る必要はない。……『ブラック・ジャック』って、そんなに「名作」か? 作者自身、あとづけで設定やらテーマやらを考えていったシロモノだぞ(まあ、手塚作品は全部そうだが)。
とにかく今回のドラマ化も頗るデタラメ。 一応、ブラック・ジャックとドクター・キリコの「医者は何のためにあるのか」論争が交わされる。まあ、BJもキリコもとうの昔に警察にとっつかまってなきゃおかしいという至極マットウなツッコミは置いといて(^o^)。 「医者が体の病だけを治してもしかたがない。心の病も救えねば」というのと「医者が人間の命をどうにかしようなんてのはおこがましい」というのは理念上、矛盾しまくってるんだけどねえ。 蟹江敬三のシェフが、ガンそのものはBJに治してもらったんだけれど、味覚を失って絶望し、飛び降り自殺する。 ところが落下地点に飛び出した弟子の池内博之のおかげで一命をとりとめる。感激したシェフは死ぬことを思いとどまったけれど、今度は弟子が大ケガして命が危ない。しかも外国の首相の晩餐用に料理を作らなければならないのに、味覚は戻らない。 で、BJに弟子を治療してもらって、料理を作るのはシェフ、味を見るのは弟子という二人三脚でこの難関を乗り越えるのだ。 ……ちょっと、ムリヤリドラマを作りすぎてるよなあ。BJのやってることって、結局自分の失敗の尻拭いだしね。 で、BJが苦悩するたびにキリコがどこからともなく現れて、「お前は間違ってる〜。安楽死させろ〜」って幽霊みたいに囁くのよ。
これに、ヒューマンなものを感じろって、そりゃちとばかしむちゃな話だ。展開的には「ホラーもの」と全く変わんないんだよ? あっ、だから、ピノコが双子になってるのか。まんま『シャイニング』じゃん。 ……つまり、『BJ』のコミックスに、かつて「怪奇コミックス」とサブタイトルが付けられていたように、これは現代の「奇談」として見たほうが面白い作品なのだね。
鴻上尚史『ドンキホーテのロンドン』(扶桑社文庫・650円)。 『SPA!』連載の『ドン・キホーテのピアス』の文庫化第4弾。 連載、単行本化、文庫化という過程を辿るので、実際に鴻上さんがロンドンに1年間の演劇留学に出かけたのは、1997年の9月から7月まで。もう4年前だ。 鴻上さんとは4つ年が離れているので、留学したときの鴻上さんは今の私と同い年、ということになる。 わあ、ロンドンに留学できたんだ、いいなあ、という感覚は私にはあまりない。鴻上さんの「将来、英語圏で自分の芝居を上演する」ことの意義を認めるに吝かではないが、伝統的なシェークスピア演劇が、日本の伝統芸能、例えば歌舞伎や能とよりもはるかに優れている、とは思いにくいからだ。 ちょうど今月の『言語』10月号が「シェイクスピア学の楽しみ」特集号なのだが、実はイギリスの伝統演劇、一端、17世紀に途絶している。王政復古により、初めてシェイクスピア研究が行われるようになったのであって、例えば『ハムレット』が初演時においては筋肉隆々、ヘラクレスのような知性と肉体を兼ね備えた男として演出されていた、なんてことは、近年の研究でようやく解ったことだったりする。 鴻上さんも書いていたが、1年間の留学で鴻上さんが知ったことは、「なんでい、みんな変わらないじゃないか」ということだったとか。 でも、そんなん行く前からわかりきってることだと思うが。というか、「文化的に劣った国日本」と思いこんでる連中の方がはるかに多い国から、何を学ぼうと言うのか。 実際には現場で経験しなければ分らないことも多かったかと思う。でもそれって、「反面教師」的なもののほうが多かったんじゃないかなあ。
けれど、鴻上さん個人に学ぶものがあったにせよなかったにせよ、結果的に鴻上さんの留学のおかげで、日本の演劇界の閉鎖的な雰囲気が少しは壊されていくのだったら、これは嬉しいことだ。 マスコミは、日本人が海外で成功している例をあまり嬉しがらない傾向がある。あるいは逆に過剰に評価しすぎるかの両極端だ。どちらの場合も、肝心の「芝居の中身」が置き去りにされているのが特徴だ。 この7月の、野村萬斎『まちがいの狂言』(シェークスピア『まちがいの喜劇』の翻案)のロンドン公演についても、その内容にまで踏み込んで紹介しているニュースはごく少なかった。「演劇」という分野そのものが日本では異端視されているのである。 鴻上さんが未だに気がついていないらしいのは、たとえ日本に国立劇場が増え、世間的に演劇の存在が認知されていくようになっても、それは表面的な部分に留まって、決して普段の我々の生活に密接したような存在にまで演劇が認められることはありえないということだ。 なぜなら、日本の演劇と、社会主義活動は長く密接に絡みあってきた歴史がある。公共の場において、たとえば学校教育の中においては、お遊戯や部活動を越えた正規の形での演劇教育は、まず望み得ないのだ。 ……ヒカゲの存在でいいじゃん、とも思うのだけれどね。ヘタに光を浴びると、ヨコヤリガ上の方から入りまくるに決まってるんだから。
赤塚不二夫『アカツカNO.1 赤塚不二夫の爆笑狂時代』(イースト・プレス・2000円)。 『天才バカボン』と『レッツラゴン』の中から、いわゆる「実験マンガ」的なものを数ページずつだけ抜き出して、当時の雑誌インタビューなども交えて構成したもの。 「数ページずつ」だから、完全に一本のマンガが読めるものは一本もない。 伝説の「等身大マンガ」、ラストでコマが小さくなるところまで収録しないと、ギャグの効果が半減すると思うんだけどなあ。
子供の作り方を初めて知ったバカボンが、パパとママを「汚らわしい!」と怒る話なんか、これを『バカボン』でやったもんだから当時はむちゃくちゃ衝撃的だったんだが。 確かになあ、言われるまでパパとママのナニシーンなんて想像もしてなかったけど、バカボンにハジメまで作ってるんだものなあ。……やってるんだよなあ、あの二人。 ギャグキャラクターに「肉体」を与えたマンガ家って、赤塚さんが初めてなのではなかろうか? っつーか、当時私も「それ」を知ったばかりだったしさ、最初はバカボンに同情しながら見ちゃうワケよ。「そうだ、僕はオトナになったって、そんな汚らしいことはしないぞ!」とか思っちゃったりしてさ(^_^;)。 いや、小学生のタワゴトですから。 だから、オチでバカボンが「なんだ、これって自然なことなんだ!」ってスッキリしちゃうところが思いっきり肩透かしされちゃうことになるのよ。 なのに、そこがまたカットされてるから、これもギャグがギャグとして完結してない。 ……誰だ。こんな変な編集したの。
「山田一郎」改名事件も懐かしい。けれど、たとえ完全収録されたからといって、こういった実験作品を今の読者が楽しめるかというとそれは別問題だろう。 事実、しげなどは同じ実験マンガでも、唐沢なをきだと笑うのに、赤塚不二夫だと、白けた眼で見るだけなのだ。 時代と寝ている時、ギャグマンガは強いけれど、そこから一端リタイアすると、ただのつまらないマンガに堕してしまうんだろうか。
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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