無責任賛歌
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| 2003年01月30日(木) |
なんでも食うよ/『ブラックジャックによろしく』4巻(佐藤秀峰)/『プリズム』(貫井徳郎)ほか |
「人生の一大事は食うことである」とはしげの行動原理だが、もう私はしげに逆らうことはしない。 「今日の食事はどこにする? 『王将』? いいよいいよ」 なぜしげがそこまで「王将」に拘るか、などという疑問はとうに捨てました。
姉の娘さんがここで働いてることは前にも書いたが、案外出会うことがない。今日はちょうどいて、目線で挨拶をかわす。働き始めてもう3年くらいになるだろうか、随分背も伸びた。おそらくそろそろ高校も卒業じゃないかと思うんだが、幸いなことに学校の方に無断アルバイトしていた件はバレていないようである。 だいたい、たかが学校フゼイが、法で禁止されてるわけでもないのに、人んちの家庭事情に立ち入ってアルバイトをさせない、というのが言語道断横断歩道なのである(このギャグ最初に言い出したの誰だったかなあ)。あたら10代の若い時期を、机上の勉強だけさせててなんの社会常識が身につくもんかね。 13歳過ぎたら、世の中はもっともっと子供をバイトさせたほうがいいと思ってる親、多いと思うぞ。いや、バイト禁止の学校があってもいいんだが、少なくともどこも一斉に同じじゃなくて、許可してるとこと禁止してるとこが半々なのが公平でいいと思うんだが、このへんの学校、みんな「右へ習え」だからねえ。その方が「教育したフリ」ができていいんだけろうけどさ。
壁のポスターを見ると、「新製品」と銘打って「トントロラーメン定食」ってのがあったので、そいつを注文。ラーメンもトンコツなので多少、臭みはあるが、歯応えはあって美味い。
NHKBS2で『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』。 LDも持ってるし、多分そのうちDVDも買いそうだ。けれどこうやって放映してるとつい見ちゃうんだよねえ。今さらこんな有名な映画を解説したってしょうがないよな、とは思うが、私の文句なしフェイバリット・ムービーの一つだから、そうもいかないのである。 原題は“DR. STRANGELOVE. Or:How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb.”つまり正確に訳すのならこれは「ストレンジラブ博士」という人物名なのであって、「博士の異常な愛情」ってのは意訳なのだけれど、こちらの方が日本人には通じやすかろう。 実際、このドイツから亡命してきた既知外博士は、核戦争が起きれば「選ばれた民」のみをシェルターに隔離し、男一人に女数人をあてがえ、と主張するのだが、これがナチスの「優良種」思想に基づくことは明白である。 冷戦構造が崩壊しても、戦争の火種はなくならない。 そういう現実を見れば、狂気と疑心暗鬼と事故が戦争のスイッチを押してしまうこのブラックユーモアに満ちたSF映画は、時代を経ても普遍的にイントレランスな世界観を描いた作品として生き残っていくのではないか。 ……と、一応、マジメな解説はここまでにしといて、やっぱりスバラシイのは、キューブリック映画においてもピーター・セラーズがちゃんとピーター・セラーズ演技を見せてくれてるってところだね。狂ったジャック・リッパー将軍(スターリング・ヘイドン)からなんとか攻撃中止命令の暗号を聞き出そうと、マンドレーク大佐(セラーズ)が懸命に媚を売りまくるのだが、人類滅亡が迫っているだけにその切迫した事態とのギャップが激しくて笑えるのである。 マフリー大統領とストレンジラブ博士もセラーズが演じているから、彼の出番は最後まであるのだが、人類滅亡の瞬間にマンドレークにもう一つくらいギャグをトバしてほしかったと思う。
マンガ、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』4巻(講談社/モーニングKC・560円)。 違和感がどんどん増してきている。 その違和感の正体がなんだか、これまではあまりうまく言葉にできなかったのだが、ようやくハッと気がついた。 これ、やっぱ医療マンガじゃないのだ。 確かに、これは現実に存在している病気を扱っている。 作品中で描かれている医療現場での様々な問題も本当のことが多いのだろう。 それでもこれは「ただのフィクション」なのであった。 しかも極めてステロタイプのドラマ。 扱われている題材に惑わされてしまったが、「感動の仕掛け」がどうなってるかってことだけに注目すれば、このマンガ、そんなに出来のいいマンガだとは言えなくなる。
「問題」を語るのはいい。作者も、恐らくは真剣に取材をし、このマンガを描いているのだろう。作者は読者に切実な問題を突きつけている。「生まれた子供に障碍があることを知ったら、親としてあなたはどうしますか?」 こういった質問を突きつけられれば、ガキはともかく、とりあえずマットウに生きてるオトナなら真剣になって考える。 果たして、自分はその子を育てられるだろうか。 差別だらけの世の中に子供を放りこんで、その責任が取れるのだろうか。 いや、たとえどんなに子供が苦しんでも、やはり親としてその子をこの手で抱きしめたい、それは親のエゴなのだろうか。 思いは錯綜し、答えは容易に出ない。 そんな、答えが簡単に出せるとも言えない状況に読者を追いこんでおいて、このマンガが何を描いたか。 “生まれてくる新生児に意志があり、自らの命を死にかけた双子の兄弟に分け与える”という“ファンタジー”である。 「リアルなマンガ」を読んでいた気になっていた人は、ここでコケちゃったんではないか。いや、実際に障碍を持つ子供の親である人で、このシーンに激怒した人もいたんじゃないかと勝手な想像もしたくなるくらいにこの「演出」はヒドイ。 赤ん坊だって1個の人間である。それは事実だ。 しかし、『ベイビートーク』じゃあるまいし、彼らにオトナ並の意志・判断力があるかのように読者に錯覚させようというのは「詐欺」でしかない。 子供に「意志がない」からこそ、親はその子を育てるべきか否か迷うのではないか。赤ん坊が「障碍があっても生きたいよ」という意志を持っていると分っていたら、それを見殺しにする親がいるものか。 こういう作者自身のファンタジーを読者に無条件に押しつけるような演出は、私は大嫌いである。こんなふざけたマンガ、読まんでもよろしい。
なんだかなあ、何かに似てるよなあ、この演出、と考えていて思い当たったのが「つかこうへい」。登場人物がやたらと眉間にシワ寄せたり絶叫したり、ひところはそんなんばっかりやってたもんな。絶叫系の演出って、私は好きじゃなかったんだな。
貫井徳郎『プリズム』(創元推理文庫・672円)。 帯に「『慟哭』の作者が放つ究極の推理ゲーム」とか書いてるけど、なかなかよく出来たアイデア小説ではあるけれど、誇大広告はよくないな。基本アイデアの先行作は、作者があとがきで紹介しているものの他にもいくつもある。 小学校の女性教師が自宅で死体となって発見されるが、その真相を4人の人間が全4章の各章で4通りの推理を披露して見せる、というのがミソ。 ……なんだけれど、目次を見ちゃうとそのトリックがバレてしまうという珍しい作品。まあフェアプレイではあるけれど、もう少しネタ隠しした方がよかったんじゃないかなあ。おかげで、2章読み終わった時点で「もしかしてこれって……ってこと?」って思ったけど、かえってまさかそんな単純な結末にはしないよなあ、と混乱しちゃったよ。 各章の登場人物が語る被害者の「真の」姿ってのが全然違ってるってのも、よくあるアイデアだし、解説氏が誉めるほどではない。こないだ見た『You are the Top』も同じアイデアだったしね。 『慟哭』、評判が高いんで読んでみようかと思ってたんだけど、『プリズム』がこの程度だと、あまり過剰な期待は抱かない方がいいかもなあ。(2003.2.21)
2002年01月30日(水) どうしてくれよう。/『マジンガーバイブル 魔神全書』(永井豪とダイナミックプロ)ほか 2001年01月30日(火) 昨日・今日・明日/『火の接吻』(戸川昌子)
| 2003年01月29日(水) |
雪がとっても白いから/『あひるの王子さま』5巻(森永あい) |
夕べから冷えこんでいたので、さて、雪でも積もってたら厄介だな、と思って外を見てみたのが朝の5時頃。寒くて目が覚めてしまったのである。 でも外は別に地面が白いというほどでもなく、ヤレヤレ、とヒト安心した。 ところが7時を過ぎるころ、しげが外を覗いて「積もっとうよ!」。 ……わずか2時間ほどの間に積もったのか、それとも未明の私は眼がどうかしてたのか。 どっちにしろ、雪が降ってるとしげは怖がって職場まで送ってくれない。 仕方なく、タクシーで出勤。今年は珍しくしょっちゅう雪が積もる。
タクシーの運ちゃんとの他愛のない会話。 運「今年は珍しく雪が積もりますねえ」 私「最近にしちゃ珍しいですねえ」 運「最近は2年にいっぺんも積もればいい方でしょう」 私「2年前にはちょっと積もりましたけどね」 運「そうでしたかねえ」 私「坂道が滑って車が登れなくて大変でしたよ」 運「私らが子供のころには毎年のように積もってましたがねえ」 私「雪合戦とかしてましたねえ。雪だるまも必ず作ってました」 運「やってましたねえ」 私「このトシになると、雪なんて鬱陶しいだけでしょう」 運「そうでもないですよ、やっぱリ子供に返って雪だるま作ってみたくなるとき、ありますよ」
ふと、思い出した。 私が雪だるまを最後に作ったのは、多分、高校生のときである。 ウチの店の真正面に、飾りのつもりで作っておいた。 そこへ通りかかった小学生が、急に「ええい! ええい!」と叫んで、手に持っていたカサで雪だるまを殴り出したのである。 私は外に出て、子供を「コラッ!」と叱った。 子供はビックリしてピョン、と飛びあがり、向こうへ逃げて行った。だが、しばらくして立ち止まり、不思議そうにこちらを振り返った。 「なぜ自分が叱られたかわからない」、そんな顔だった。
ムシャクシャして道端の壁やらポストやら地蔵やらを蹴飛ばすオトナも世の中にはいるし、こういう子供も決して珍しくはないのかもしれない。 ただ、私には道端に作ってある「雪だるまを壊す」という発想が昔も今もない(そう言えば道端のものを蹴ったりした経験も全くないな)。目鼻が落ちてた雪だるまを直してやった経験ならある。 あの時の子供の行為は、ちょっと蹴飛ばすなんて程度ではなかった。 よっぽど腹に据えかねたことでもあったのか、いきなり傘を振り上げ、骨も折れんばかりに雪だるまを殴りつけていた。 そこは往来だし、歩いている人もいた。店のガラス戸から外は丸見えだから、ちょっと中を覗けば、私の存在にも気づいたはずである。 だが、彼には眼の前の「壊すべき」雪だるま以外には何も見えていなかった。興奮して明らかに我を忘れていたのである。 なぜ、彼は大声を張り上げ、あそこまで雪だるまに自らの憎しみをぶつけなければならなかったのだろう? 私の眼からは、あの時の子供はやはりどこかが狂っていたのではないか、としか思えない。キレる子供なんてのは、別にここ最近になって生まれてきたわけではない。確実に、昔から、どこにでもいた。 私だって、決して精神が常に安定していたわけではない。雪だるまを壊しこそしなかったが、「別の何か」を壊してきていたのかもしれないのだ。 ただ、それは自分自身には決して見えない。見えないから狂っていられるのだ。 私は何を壊してきたのだろうか。 あの時の子供のように、私は今もなお狂ったまま、キョトンとしているだけだ。
桜は人を狂わせるっていうけど、雪にもちょっとそんなところがあるのかな。……って、だったら北の方に住んでる人はやたら狂っちゃうじゃんかよ(^_^;)。
帰りはさすがに雪も溶けた。 しげも駐車場まで来てくれたので、ホッとする。 暖かいものが食べたいようにも思ったが、うどん屋の類にしげはあまり行きたがらない。マルショクで弁当や焼鳥を買って帰る。
しげに、円谷君からメールが送られてきて、「今回の演出を降りる」とのこと。 やっぱリケツ割ったか、とは思ったが、一応、「理由はなんて言って来たん?」と聞いてみる。 「うん、これから試験で勉強が忙しくなるからとか……」 「そんなん、最初からわかってたんじゃない?」 「だから、みんなにそのまま転送できなくて」 円谷君も、決して責任感がないわけではないと思う。やる気だってあるだろう。ただ如何せん、彼は客観的に状況を把握する能力に著しく欠けている。演出にはトコトン向いていないのだ。まあ、芝居に関わって1年も経っていないというのに、演出をやりたいと言い出すこと自体、自分が見えていないということであるのだが。 「ゴロちゃん(=円谷君)、文章ヘンやん」 「知らんよ」 「……ヘンなんよ、前にもヘンなメール送って、○○さんを怒らせたことあるし」 それだけじゃ状況が分らない。なんだか円谷くんがイタズラメールを送ったみたいではないか。どうも言葉遣いが馴れ馴れし過ぎたとか、そんな感じらしいのだが。 確かに円谷君は私が知る限りでもしょっちゅうトンチンカンなことをやらかしている。理由は、たいていの場合、先入観に振りまわされて早合点を起こしているのだ。だから自然、「人の話を聞いちゃいねえ」とか「言い訳ばかりしてる」と受け取られることになる。本人に悪気がない分、かえって始末に悪い。 「じゃあ、なんで、演出させるかね、向いてないってわかるやろ」 「本人がしたいって言ったから」 「言えばやらせるって問題じゃないだろ。それだから、真剣に芝居しようとしてないって思われるんだよ」 これにはしげも反論はできない。 「で、演出はどうすんの」 「鈴邑さんになると思うけど……」 「引き受けてくれるんかね?」 鈴邑君が本気で取り組んでくれるんなら、こんなありがたい話はないが、子供二人抱えて生活もタイヘンだろうに、大丈夫なんだろうか。
またもやしげの噂話。 女は噂話が好きだなあ、というのは古今東西を通じての真理かもしれないが、全く、「人の口に戸は立てられない」の「人」ってのは女のことだよなあ、と思っちゃうのである。 というのも、最近、鴉丸嬢が其ノ他君からキツク叱られたそうなんだね。 「おまえ、しげさんになんでも話し過ぎるよ」 其ノ他君と鴉丸嬢の間にあった出来事が、逐一しげに筒抜けになっているのである。でしげがまた私にそれを筒抜けにする。だから私は鴉丸嬢と其ノ他君の「あんなことやこんなこと」も全部知っちゃってるのである。 鴉丸嬢は当然、「これはここだけの秘密よ」と言って、しげに話をするのだが、女の「ここ」というのはたいてい「地球上」という意味なので、秘密にもなんにもなりはしない(^_^;)。 まあ、聞いてる私は「ふ〜ん」ってなもんなんだけれど、其ノ他君も「あんなことやこんなこと」が全部私の耳に入ってると知ったら、居たたまれないだろうなあ(^o^)。 もちろん、女同士の情報は常にインタラクティブである。 ゆえに、私の「あんなことやこんなこと」も、全部鴉丸穣&其の他君にも筒抜けになっているのだが、私はそういうのを特に気にもしない。けれど、聞かされる其ノ他君のほうはやっぱり居たたまれないだろうと推測する。 ……最近、この日記覗いてるか? 其ノ他君。女性ってのはそういうものなんだから、早々にあきらめちゃった方がいいよ。 大丈夫。私はキミの秘密を他人に漏らしたりはしないから(^o^)。
帰宅して、『ヒカ碁』を見ようと思ったが、しげが「『スライドショー』を見ると!」と駄々をこねて、仕方なく付き合わされる。 そうとう疲れてたんだろう、全部見終わる前にそのまま落ちてしまった。 薬もちっとも効かないし、体力増強する手段、何かないかなあ。
マンガ、森永あい『あひるの王子さま』5巻(角川書店/あすかコミックス・420円)。 鈴木君とゆみこちゃん別れちゃいましたね〜。 これで麗一君にも希望が出て来たってことなんだろうけれど、まだまだヒト波瀾もフタ波瀾もありそうだから見逃せませんね〜。3歩進んで2歩下がるじゃないけど、希望が出てくると麗一くんの煩悩も開放されちゃうわけで、そうなるとブサイク好みのゆみこちゃんには嫌われてしまうことになる。 まあ、そう簡単にハッピーエンドにはさせられないっつーか、ここまで人間関係がドロドロと錯綜しちゃうと、誰かが不幸になるしかないような感じなんだが、ちゃんとギャグマンガとしてラストまで通せるのか、森永さん! そしてついに! ミスターが犬から人間に戻った! ……でも、犬のカラダじゃなきゃ、ゆみこちゃんの側にいられないんじゃないのかな。(2003.2.20)
2002年01月29日(火) 休み過ぎだって自覚はあるのよ。一応。/DVD『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』/『西岸良平名作集 蜃気郎�供戮曚� 2001年01月29日(月) 癒し癒され恋焦がれ。/アニメ『地球防衛企業ダイ・ガード』13巻ほか
| 2003年01月28日(火) |
肉は飲みこめ!/『トレイル・オブ・ピンクパンサー』/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN ランバ・ラル編 �機Ν供戞憤舵�良和)ほか |
昨日行き損なった「すし大臣」で豪勢に食事。 この店、もうすぐ改装して店名が変わるらしい。改装中、しばらくはここの寿司も食べられめえ、ということなのだろう、しげはいつも以上に回転するすしに目を光らせている。 ともかくここはネタがいい。 牛ステーキを見つけるや否や、まるごと頬張ったしげ、どこにつかえたか咳込みそうになる。それでも吐き出さずに飲みこんだしげを見ながら、「お前さあ、いくら肉がもったいないからって、そんな『絶対に吐き出さないぞ』って顔して、無理して飲みこむことはないだろう」と言ったら、「なんでオレの考えてることがわかるん!?」と驚かれた。 ……わかるもなにも、まんまそういう行動取ってたじゃないか。
NHKBS2で『トレイル・オブ・ピンクパンサー』を見る。 この『ピンク・パンサー』シリーズと言えばいいのか、『クルーゾー警部』シリーズと言えばいいのか、ピーター・セラーズがドジな警部を演じた、ブレイク・エドワーズ監督によるコメディシリーズ、これが実に数え方が厄介なのである。 ずっと昔に日記に書いたような気もするが、改めてその全貌を紹介すると、
� 悒團鵐�の豹』The Pink Panther(1964) �◆悵徹任妊疋奪�リ』A Shot in the Dark(1964) ��『クルーゾー警部』Inspector Clouseau(1968)※ �ぁ悒團鵐�・パンサー2』The Return of the Pink Panther(1975) �ァ悒團鵐�・パンサー3』The Pink Panther Strikes Again(1976) �Α悒團鵐�・パンサー4』Revenge of the Pink Panther(1978) ��Trail of the Pink Panther(1982) �─悒團鵐�・パンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』Curse of the Pink Panther(1983) ��『ピンク・パンサーの息子』Son of the Pink Panther(1993)※
※��のみ、クルーゾーをアラン・アーキンが演じている。監督はバッド・ヨーキン。
この�Г世韻鮓饗蠅里泙泙砲靴燭里蓮⊆造鰐い世貌�本劇場未公開……というより、今回が初公開だからだ。 ピーター・セラーズが1980年に死去して、このシリーズも終わりかと思われたが、監督のエドワーズ、なんとセラーズが出演している没フィルムをツギハギし、三たび盗難にあった宝石ピンクパンサーをクルーゾーが追う、という物語をでっち上げたのだった。……『死亡遊戯』のパターンだね。 �Г鉢┐倭宛緤圓砲覆辰討い董↓Г納鷺�したクルーゾーを、�┐妊�ルーゾー並のドジ刑事、クリフトン・スレイ(テッド・ワス)が捜索する、という展開になっている。つまり、�┐世韻鮓�ても前半の事情がわからないのだが、どういうわけだか日本では�Г詫�入されず、�┐世韻�公開された。だもんで、実際の順番とタイトルの番号にズレが生じているのである。 �Г�未公開に終わった事情はわからない。しかしこれが正真正銘、最後のクルーゾー=セラーズ映画であることは確かで、ファンは名のみ聞くこの映画を見たくてたまらなかったのだ。 それだけ渇望されてた映画だってえのに、NHKもたいした宣伝もなくサラッと放映してくれるよなあ。 『ピンクパンサー』シリーズのオープニングと来れば、あのアニメーションが楽しみ、という方も多かろうが、第1作からアニメ監督を担当しているリチャード・ウィリアムスは降りて、アーサー・レオナルディというわけの分らぬやつに代わっている。ゲームのパックマンを取り入れただけのパロディにも何にもなっていない下品なギャグの連続は、期待が大きかっただけにガックリであった。
冒頭、怪しい骨董屋(?)アウグスト・ボールズ教授(ハーベイ・コーマン)の店に、新たな変装用具を買いつけにやって来るクルーゾー。まるまるシークエンスがカットされているが、どうやらこれは『ピンク・パンサー3』で使用される予定のものがカットされたもののようだ。 というのも、クルーゾーが「警部じゃない、主任警部だ」と言い張っているのは、『2』で精神病院に叩きこまれたドレフュスの後任として、『3』ではクルーゾーが「主任」になったことを何度も強調するギャグがあるからだ。それに、次作『ピンク・パンサー4』にもボールズ教授は登場するのだが、役者がグレアム・スタークに変わっている。本来なら、ボールズ教授の初お目見えは『3』の予定だったが、シークエンスがカットされた結果、『4』にまでずれこんだ形になった、ということのようだ。でも、これが『5』ではまたコーマンに戻るのだからややこしい。 クルーゾーが捜査のためにルガーシュ王国行きを警視総監から命じられるシーンも同じく『3』での未使用カット。総監を演じたマーン・メイトランド、新たにドレフュス役のハーバート・ロムと絡むシーンも追加撮影しているが、ドレフュスと会話しているときはハゲなのに、そのあとのクルーゾーとの絡みでは髪がフサフサになっている。3歩歩いたら髪が生えるとはスゴイ増毛剤でも使ったのか。ツギハギ映画の苦しい事情がこのあたりで露呈してしまうのは仕方のないことなんだけどさ。 ルガーシュに行くはずのクルーゾー、なぜかロンドンに向けて出立。犯人が怪盗ファントムと目星をつけての行動だが、ファントムことチャールズ・リットン卿(デビッド・ニーブン)は南仏にいるのである。これはもちろん『3』の舞台がロンドンであるための齟齬だが、それを「クルーゾーがトンチンカンなため」と言い訳するのは、さすがに苦しい。更にロンドンでクルーゾーはスコットランドヤードのドラモンド刑事(コリン・ブレイクリー。なぜか本作ではクレジットなし)に「初めて」会うのだが、これも『3』でクルーゾーは既に彼に会っているのだから再度初めて会うのもおかしな話である。 ホテルのフロント係(ハロルド・ベレンズ)とクルーゾーがトンチンカンなやりとりをするシーンも『3』の未使用カット。クルーゾーが「マッサージは来てるか?」「……メッセージ?」「だからそう言っておろう!」フランス語訛りだとメッセージがマッサージになるのだろうか。 しかしこうして見ると、ほとんどの未公開カットが『3』からのものだということが分る。未公開シーンを寄せ集め、というから、たいした量はなかろうとタカを括っていたのだが、どうしてどうして、前半40分ほどはクルーゾーは出ずっぱりだ。『3』は1時間43分の作品だから、これだけのカットシーンを復活させたら2時間20分もの大作になってしまう。そりゃカットされるわなあ。 『3』はシリーズ中でも一番予算がかけられ、シリーズを通じても最も面白いものの一つなので、これだけ未使用カットも存在しているのだろう。
後半は、失踪したクルーゾーの行方を求めて、女記者マリア・ジュヴェ(ジョアンナ・ラムレイ)が、かつてのクルーゾーの関係者を訪ね歩く展開。旧作からの名シーンも挿入されて、シリーズを通して見てきたファンにはなかなかのサービスになっている。 ドレフュス署長(ハーバート・ロム)、ケイトー(バート・クォーク)、エルキュール・ルジョイ(『ドッキリ』以来のグレアム・スターク……と言いたいところだけれど、別の役を何役もやってるのである)、チャールズ・リットン卿(『ピンクの豹』以来のデビッド・ニーブン。『2』ではクリストファー・プラマーに変わったが再び復帰)、シモーヌ・リットン(キャプシーヌ。この美しき方が男とは……)、ブルーノ・ラングロワ(ロバート・ロジア。『4』に引き続いての出演だが役名が違う)、クルーゾー・シニア(リチャード・マリガン。『小さな巨人』のカスター将軍)。 ラストは「クルーゾーは本当に海の藻屑と消えたのでしょうか?」とマリアが結んで、「『ピンクパンサー5』に続く」のクレジットが出てチョン。 セラーズが死んでもなお、映画を作り続けることに意味があったかどうかは今さら言うまい。 もしも、今からこのシリーズを見てみようか、という人には、とりあえずは『3』をオススメする。クルーゾーのために気が触れたドレフュスが、クルーゾーを殺すためだけに最終兵器を使って世界を脅迫するというトンデモなくデタラメなギャグ巨編である。本作で死んじゃったドレフュスが次の『4』では何の説明もなくいけしゃあしゃあと生き返ってるあたりも思いっきりデタラメだ(^_^;)。 もちろん一作目からきちんと見たい、という人には、『ピンクの豹』は古典的なロマコメとして楽しめるし、『暗闇でドッキリ』は上質のミステリコメディだ。とりあえずこの三本だけ押さえておけば、見て損した気分にはならないと思う。
ついでの豆知識。 �┐如叛扱舛靴拭疋�ルーゾーを演じたのは、字幕では「ターク・トラスト二世」となっているが、3代目OO7のロジャー・ムーア。 ��でクルーゾー・ジュニアを演じたのは、『ダウン・バイ・ロー』『ナイト・オン・ザ・プラネット』などジム・ジャームッシュ映画で有名なロベルト・ベニーニである。
DVD『みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショー ほぼ完全版!』。 1999年2月、渋谷公会堂で行われたライブを、WOWOW版よりもちょっとだけ長く収録。謎のゲストは泉麻人。いや、出てただけだけど。 みうらじゅんという人はやはりどこか壊れてる人だと思う。 だからこの人を面白く見せるためにはいとうさんのようにツッコミどころを心得ている人がいないとどうにも持たない。 みうらさんの映し出すスライド、実はそんなに面白くはない。面白くないんだけど、みうらさんはそれを面白いと思っている。その面白がり方が常人とは違っているので、そこをいとうさんに突っ込んでもらわないと、見ているほうはどうしたらいいのかわからない。みうらさんを単体で見て面白がるのは、見る側によっぽど悪趣味な感覚がないと難しいのだ。 これを好きになるかどうか、これには好みの問題が絡んでくるだろうなあ。
『ガンダムエース』2003年3月4月合併号 No.009(角川書店・650円)。 巻頭ポスターが生頼範義とさいとうちほ。生頼さん、ジオン軍の後ろにでっかい顔を描いてるけど、あれ、ギレンなんだろうな。パッと見たらロバート・デ・ニーロに見えるんだが。 さいとうさんはシャアとララア。ララアはどう見ても眼鏡を外した姫宮アンシーである。どうせならシャアも仮面を外して鳳暁生にしちゃえばよかったのに(^o^)。 さて、安彦良和さんの『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、「ランバ・ラル編」の開始。 ブライトとマチルダさんとの会話を盗み聞きしていたアムロが自分の部屋に戻ってきたとき、待ち構えていたフラウ・ボゥがコートをはおっているんだけど、大学時代、某友人は「あの下は素っ裸にちがいない」と頑強に主張していた。つまりフラウ・ボゥはアムロに夜這いをかけに来たというのである。……んなわけあるかい(^_^;)。今回マンガの方を見ると、ちゃんとコートの下にスカートが見えている。てゆ〜か、アニメの方でもそうだったと思うんだが。ヒトって、いろんな妄想を抱きたがるものなんだなあ。 そしてついに出ました、私の大好きなイチオシキャラ。 そうっ! クランプさんです! ……ああ、そこのヒトこけないように。てっきりランバ・ラルか、クラウレ・ハモンなんて言うと思ってたでしょ。いや、ハモンさんも好きだけどね、ガンダムシリーズじゃ私、たいてい「副官」をひいきしちゃいたくなるのよ。縁の下の力持ちっつーか、ドレンもそうだったけど、「いかがいたしましょう?」って上官にお伺いを立てながらも毅然としてる態度とか、任務をキチンと果たそうって姿勢が好きでね。 それにしてもランバ・ラル、痩せたね〜。しばらく出演がなかったから、その間、カラダがなまっちゃイカンとトレーニングしてたのかも(^o^)。 ギレンの演説(カラー!)が終わって、これで映画第一作までを消化した形だね。
ああ、トニーたけざきさんは今月もトニーたけざきさんでした。18ページなんてケチ臭いことしないで、こっちにもドーンと100ページ与えて早いとこ単行本出そうよ。 あさりよしとおさんの巻末マンガはあまり面白くありませんでした。まる。
どうもグズグズと体調が芳しくない状況がもうひと月も続いている。 今日も疲れて寝てしまい、日記が書けなかった。どこかで爆走しなきゃならんのだが、そうしようと思うと書きたいことが出てくるのである。いや、別に書かなくてもいことでも、つい書いちゃうから長くなるのである。短く簡潔に要点だけ書く技術がないものか。(2003.2.19)
2002年01月28日(月) 多分、しょっちゅう見ている夢/『おせん』其之三(きくち正太)/『END ZONE』1巻(えんどコイチ)ほか 2001年01月28日(日) 宴のあと
| 2003年01月27日(月) |
歴代1位?/『グランサー』1巻(長谷川裕一)/『寄生獣 完全版』1・2巻(岩明均)/『アンナさんのおまめ』1巻(鈴木由美子)ほか |
1月26日の日記の続き。 DVD『帰ってきたウルトラマン』5巻。 前巻ラストの16話『大怪鳥テロチルスの謎』と今巻の17話『怪鳥テロチルス東京大空爆』も前後編。 『ウルトラマン』のころはほとんどなかった前後編、『帰ってきた』ではやたらとあるが、怪獣が2体以上出る時にはゴージャスな気がしたものの、本作のようにテロチルスしか出ない時には一本の作品を二本に水増ししたような印象がして、あまり嬉しくなかった。 今話のゲストは当時青春スターのトップを走っていた石橋正次であったが、こいつと彼女の悲恋物語など、怪獣少年の私にはクソ面白くもなんともなかったのである(^o^)。翌昭和47年、『飛び出せ!青春』や『アイアンキング』に石橋さんが出演するようになってファンになり、ようやく心のワダカマリは解けたのであった。 この2話放送、『帰ってきたウルトラマン大全』では「より高い視聴年齢層の獲得に向けて」のテコ入れであった、とあるが、ドラマを青春路線にシフトするのは大きな勘違いだったと思う。見ていた方は「ああ、高いギャラ取る役者使ってるから2話に水増ししたんだな」なんて思ってたんだから(←つくづくかわいくない小学生である)。 しかし、テロチルスも2話もかけてウルトラマンと戦ったわりにはあっけなくやられるねえ。空から落ちて死ぬだけって倒され方、どうなんですか。やっぱ怪獣ってのはやられる時もハデにドドゥッ!と倒れて、ババーン!と爆発したりジョワワッ!と溶解したりしてほしいものである。
第18話『ウルトラセブン参上!』。 コメンテーター(^o^)市川森一の初参加作。 うーん、ベムスターのデザインは好きだったんだがなあ。どうもテコ入れ臭さが強くてオハナシとしてはなんかチグハグなところが目立つんだよなあ。 こういう新参の脚本家入れるとさ、これまでのシリーズとの整合性が崩れることよくあるんだけど、そういう面もあるんだよね。 冒頭、加藤隊長とマットステーションの梶キャプテン(南廣!)がロスタイムなしで衛星通信を行ってるのには目をつぶろう(^_^;)。これが宇宙怪獣ベムスターにステーションごと食われちゃうんだけど、梶の死ぬカットってのが描かれなくて丸飲みされちゃうから、案外、救出ポッドとかに隠れてて助かるんじゃないかって、見てる方は思うわけよ(宇宙怪獣に食われてるのに助かるかい、というツッコミは意味なし。ちゃんと死んだカットがなきゃ、正義側が助かることはよくあることだ)。でもやっぱりラストまで死んだままだから、どうもドラマに乗り切れない。 これまでのシリーズで優柔不断にすら見えるくらいに慎重派だった加藤隊長が、親友を殺されたからって錯乱するのも違和感があるし、みっともない。 でもやっぱり、納得いかないのはウルトラセブンが助けに来るとこだよな。なんでわざわざウルトラセブンが飛んで来なきゃならないのか、脈絡も必然性もないし、唐突な印象がするばかりだ。それに『ウルトラセブン』の最終回が印象に残ってる身にとっては、「おまえ、カラダ治ったんなら、自分が地球守れよ!」とか「わざわざ地球の近くに来たんならアンヌに会ってやれよ!」とか言いたくなっちゃうんである。 もっとも、このウルトラセブン、声が村越伊知郎だったから(これもクレジットなし)、実は本人じゃなくて、よく似たセブン上司の一人だったのだろう(^o^)。 しかも、セブンからもらったウルトラブレスレット、新兵器ってほどのもんじゃないしなー。八つ裂き光輪(ウルトラスラッシュなんて言いたくねえ)使えよスペシウム光線も効かないから光輪もダメってことなんだろうけど、安易な武器の増強はウルトラマンの超人性を低めるだけの話だ。
19話、20話は簡単に行こう。 19話『宇宙から来た透明大怪獣』の忍者怪獣サータン、このへんから怪獣のデザインが「なんじゃこりゃ?」ってのが増えてくるんだけど、初期の怪獣をデザインしていた池谷仙克さん、1クール13話で降りてたんだね。こいつのデザイン、初代ゴジラの雛形を作った利光貞三さんなんだけど、なんかどっかの妖怪画で見たことあるんだよなあ。あの、『妖怪大戦争』に出てた「二面女」にも似てるし、どこかに元ネタがあるんじゃないか。 20話『怪獣は宇宙の流れ星』、タイトルでオチをバラしているという、トンデモナイ話(^_^;)。磁力怪獣マグネドンを倒せないMATが、佐竹参謀から「無能」だのなんだのケチョンケチョンに言われた末に「解散」まで言い渡される。なんだかほかのウルトラシリーズに比べても、一般庶民から防衛軍まで、ことあるごとに「MATは何やってんだ」と言われてる回数がメチャ多い気がするんだけど、「解散」したら、誰が怪獣と戦うんですか。 このアタマの悪い脚本を書いたのは、サヨク脚本家で元大島渚組の石堂淑郎。権力側のアタマの悪さを強調するあまり、脚本自体のリアリティが消えちゃったことに気づいてないのね(^_^;)。 なんかいろんな人が絡んでたんだねえ、このシリーズ。
DVD『ジャングルはいつもハレのちグウ デラックス』6巻(完結) 封入パンフの金田一蓮十郎さん(今さら言わなくてもいいと思うがうら若き女性である)の書き下ろしマンガ、ハレの「最終巻のジャケットはこれでいいのか? てゆうか内容もさぁ…もっとこう…」という呟きが笑える。 ダマと銀行強盗の2ショットで、主役陣は陰に……っつーか、ハレ、ハレの形してないし(^_^;)。 いや、でも前後編でこれまでで最高の脚本、作画と演出レベル。やっぱもう、ハレグゥはダマっすね。\(^^\) (/^^)/ア、ソレソレソレソレ。
マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ グランサー』1巻(講談社/マガジンZKC・560円)。 『クロノアイズ』シリーズ第2弾。 前作で提示された「時空間が枝分かれして行く」というパラレルワールドに関するSF設定(いわゆる「ハックルベリーの無限大」だね)、それ自体は前作をシメるアイデアとしてはよかったんだけれど、となると、救える未来は救えるし救えない未来は救えないってことになって、なんかスッキリしなくなる。『ドラゴンボール』もそれで失敗してたし。 というわけで、「監視者」としての「クロノアイズ」ではなく、「視線者」=「グランサー」の登場。これで歴史の「修正」が可能になったってわけやね。SF的にどうこう、ってのも大事だけどさ、読者がキモチヨクなれるかどうかって視点をちゃんと長谷川さんが理解してくれてるのが嬉しいね。 新シリーズともなれば当然、新キャラも加わる待ってましたの展開。 でもって、やっぱりロリキャラかい、ってとこにはあまり突っ込まないよーに。長谷川さんのマンガだもの、一方にアナみたいなグラマーだけどじゃじゃ馬ってタイプがいれば、ビメイダーP……じゃなくて、サイボーグ・ヒルダのような○○で○○なタイプがいないとバランスがとれないではありませんか(何のバランスやねん)。ああ、もちろんちゃんとあ〜ゆ〜シーンやこ〜ゆ〜シーンもありますから、ご安心を(〃∇〃)。
ああ、それにしても今回の「コミケ破壊指令」編、オタクで読んでてイタくなっちゃう人、多いだろうな。……え? なんですか? 私は別に痛くありませんよ?“あのころは”コミケにゃ参加してませんでしたから(^o^)。 未来から来た考古学者、ナスターシャ・キンスキー(猫のコスプレつき)、ジャパニメーションの隆盛が世界戦争を回避したと固く信じる彼女は、グランサーに、時空犯罪者による「1980年」のコミケ破壊を阻止してもらうよう、依頼にやってくる。 この「1980年(昭和55)」ってのがキモだね。いやもう、会場見るとあっちこっちにラムがいるわ、えーっと、トチロー(鳥さんつき)、ソルジャー・ブルー(デブ)、クラリス、セイラさん、仮面ライダー、V3、ゴレンジャー、メーテル、デスラー、バルタン星人、グレンダイザーなんてのが闊歩闊歩してんである。ヒルダの「この国はくるっています!」というコトバが、なんと説得力のあることか(^_^;)。アメリカが銃社会となって狂ってしまったのに対して、日本はオタク社会となることで象牙の塔となりつつあるのではないか(テキトーなこと言ってるだけだからマジで受け取らないよーに)。 うっかり若き日の両親(ラム&シャア)に会って、その結び付きをジャマしてしまったタイキ、時間犯罪者を探すだけでなく、「ばっくとぅざふゅーちゃー」もしなければならなくなる。 よくあるネタだと軽んずるなかれ。なんとタイキの両親、犯罪者に「現代」に誘拐されてしまうのだ。このときの父さんのリアクションがまた楽しい。 ビッグサイトを見て、「み、みらいとし!」(そう言えば10年前、しげが初めて福岡の天神イムズの中に入った瞬間、全く同じセリフ言ってたな)、ゲームボーイを見て「最低でも100年は経っているっ!!」、あのへんにあるよく分らないノコギリのモニュメントを見て(私もこないだ初めて見た)「モビルスーツが実用化されているんだ!!」。 ……まあ、1980年の人間がホントにタイムスリップしてきたらそう思うわな。江戸時代の侍が現代に、って思いつきなら誰でもするが、「1980年のオタクが現代に」なんてアイデア、長谷川さん以外の誰に考えつけよう(^o^)。 はい、もちろんオチもSFのセオリーに則っております。マンガでSF読むなら長谷川裕一。できればこの第2部も長く続いてほしいな。
マンガ、岩明均『寄生獣 完全版』1・2巻(講談社/アフタヌーンKCDX・各900円)。 『スラムダンク』以来、なんだかはやりだしたねえ、完全版。 カラーページを再現して、大判にしたってだけなんだけど、同じ企画があっちこっちで立つってことは、結構売れてるのか。最初の単行本買ってた人の中にも、改めて買うって人、いるだろうしね。 『寄生獣』はネットカフェで読んでたんで、現物は持ってなかった。二度買いにならずにラッキーである(『ドラゴンボール』は買ってたけど、誰かに貸しっぱなしになってるらしく、手元にない)。 BSマンガ夜話で、以前いしかわじゅんがこのマンガに関しても「絵がヘタ」発言をして物議を呼んでたみたいだったけど、確かにデッサンが随分「固い」。現実以上にキャラクターが骨と関節に支配されていて、あれでは登場人物はみんな肩凝りと関節炎に悩まされてしまうだろう。 骨格自体がそんな感じだから、口なんかが崩れて、「骨格に合わない」動きをしてしまうと、ひどく不自然になってしまうのである。 要するにマンガ表現としてまだまだコナレていない。これは近作の『ヘウレーカ』などが随分「コナレてきている」のと比較すれば一目瞭然だろう。もちろん、そのぎこちない表現が逆に「骨格にとらわれない」寄生獣の動きと好対照をなしているので、これ、決して欠点になっていない。絵の荒さがかえって安穏とした人間たちの愚かさぶりを表している部分もある。 そういうところを指して、「絵はヘタだけれどマンガとしては正しい」という言い方がされていたのだと思う。いしかわじゅんの批評も、的ハズレなことばかりではないのだな(^o^)。 しかし、今回読み返して思ったのは、このマンガのルーツに『デビルマン』があることは確か岩明さん御本人も述べられてたと思うけど、ほかに『風の谷のナウシカ』もあるのだね。「人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか」なんて、宮崎駿が言いそうなセリフだ。いや、あの人なら半分なんて中途半端なことは言わないかな(^_^;)。 寄生獣はまさしく王蟲たちである。大海瀟と救世主の物語だったわけだ。
さて、ここから1月27日。
24日放送の『千と千尋の神隠し』、平均視聴率が46.9%で、劇場用映画としては『キタキツネ物語』(1979)の44.7%を抜いて、歴代最高記録を更新したんだって。瞬間最高視聴率は52.3%。 日本テレビが宣伝にも随分力を入れていたからそこそこは行くかと思ってたけど、そこまでとは正直、驚きである。ビデオの売り上げもダントツだし、まだ見てない人ばかりがテレビに見入ってたってわけでもないだろうな。多分リピーターも結構な数がいたと思う。しかし、そんなに何度も見たくなるものなのかね。宮崎駿本人も言ってるぞ、「アニメ見てるヒマがあったら外で遊べ」(^o^)。いや、夜だから遊べないけど。 このままアカデミー賞取ったら、多分凱旋リバイバル公開するんだろうね。そのときには英語版の公開もあるだろう。『もののけ姫』のときには英語版はそれほどヒットしなかったようだけれど、この分だと英語版もそれなりにヒットしそうである。今年はジブリの新作がないけれど、これでまた充分オカネが稼げちゃいそうだね。もう、『ハリー・ポッター』が何作続こうと、『千と千尋』を抜きさることはほぼ不可能だろう。 でまあ、ここまで売れてるもんにイヤゴト言うのもなんだけどさあ、やっぱリどうにも「宮崎駿ファン」としてはヒトコト愚痴をこぼしたくもなるんだよねえ。……「おまえら、宮崎駿の映画、たいして見てないじゃん」。 すげえ不遜な言い方だってことは承知してる。けどさ、別に宮崎さんが一スタッフだったころの初期作品まで見ろって言ってるわけじゃないよ。「宮崎作品が好き」とか言ってる連中の中でさ、『未来少年コナン』を見てないとか、『ルパン三世 カリオストロの城』を見てないとか、『風の谷のナウシカ』を見てないとか、そういうやつって結構いるんだよ。 映画は作家で見るものではなくて、作品で見るものだ、という反論は言えるだろう。けれど、そのデンで行くなら、役者目当てで映画見るのも邪道だってことになるんだよ? 現実には、「こんなスバラシイ映画を作る人の、ほかの作品を見てみたい」という気持ちになってもいいと思うんだけど、それがなぜか「トトロどまり」になっちゃってる人って多いんだよね。
どうもねえ、そういう人たちの見ている「宮崎駿」と、私の見ている「宮崎駿」って違うような気がするんだよ。いや、どっちかがホンモノの宮崎駿ってことじゃなくて、そりゃどっちもニセモノなんだろうけれど、彼らがどういう「宮崎駿」を見たがっているか、それがよく分らないのだ。 宮崎駿に何を見てる? ヒューマニズムなの? 「生きる力」なんか喚起してる? ただキャラがかわいいから好き? ここまでバケモノになってしまった宮崎作品なんだけど、なぜそこまでの存在になってしまったのか、どうもそれを表すためのコトバが未だに現われてはいないように思えてならないのだ。これが「ただの」愛とか優しさとか環境保護(^o^)とかを語ってるだけのアニメなら、こんなバケモノになりはしない。いったい「宮崎駿」って何なの? もちろん私にも全然、答えは思いつかないのだが、疑問自体が浮かんでこない今の「宮崎ブーム」が、私には得体の知れない妖怪が側でニヤニヤ笑ってるように感じられて。およそキミが悪いのである。 晩飯は「しーじゃっく」で回転ずし。 すし大臣に寄ろうと思ったら、休みであった。 明日は寄ろう……なんてこと書くと、なんかすげえ豪勢な生活をしてるように見えるかもしれないが、貯金は全くないぞ(威張るな)。
マンガ、鈴木由美子『アンナさんのおまめ』1巻(講談社/講談社コミックスKiss・410円)。 しげはなぜか鈴木由美子の新刊が出るたびに買ってきてるんだが、多分私に隠れて読みながらべそべそ泣いているに違いない(^o^)。 『白鳥麗子』も『音無可憐』も、鈴木由美子の描くヒロインってのは全部「勘違い少女」で、その勘違いがいつ壊れるかも分らないっていう、綱渡り状態にある。そこから落っこちちゃうんじゃないか、あっ、ちょっと落ちかけたぞ、そこへ現われたヒーローが、そっと手をさしのべる。に助けられる、そのタイミングがウマイから、女の子は涙するのである(須らく、モテナイ男子諸君は鈴木由美子を読んで、女性を研究すべし)。 本作もそんな感じの出だしで、超絶美人のアンナは、街を歩いていると必ずと言っていいほどナンパされる。ところがそれをアンナの親友、サカナ顔のリリは、自分が注目されてると思いこんでいるのである。 さあ、ここまではこれまでの鈴木マンガと一緒。順当に行けば、リリはそのうち「もしかして私ってブスだったの?」と不安に思う瞬間が来る展開になるところである。 ところが全然そんなふうにならないんだよねえ。リリの「自分がかわいい」という錯覚にはいささかも揺らぎがないのである。「ブース」と言っても聞こえない、地球上の男は全て自分に注目すると思っている(ブス過ぎて注目されているのだが)。アンナの彼氏の恭太郎が、つい「こんなブスにはオレが側にいてやらなくちゃいけないかも」と血迷って言い寄っちゃったときも、「しつこくしないでもね、超ウザイしー」ってな反応である。、ここまで来ると、これまでの鈴木マンガと違って、リリに感情移入はしない。絶対にしない。 しないけれど、もう、リリにはどんどこ勘違いしまくって、エスカレートしてほしくなるのである。もちろんそれは、リリのために周りの人間が(特に恭太郎が)不幸になっていくためである。人の不幸は蜜の味♪ 全く、ヒロインの彼氏でもないのに勝手に不幸にされていくって、こんな理不尽な話はないが、意外と運命ってそういうものかもしれないよ(^o^)。 ハッキリ言って大同小異のマンガはか描いてこなかった鈴木由美子の、ようやくやってきた新境地ってとこだろうか。(2003.2.19)
2002年01月27日(日) 寝ててもDVDだけは見る(^_^;)/アニメ『コメットさん』第43回(最終回)/DVD『マジンカイザー』3巻/『キカイダー01』3巻ほか 2001年01月27日(土) 祭りの前
| 2003年01月26日(日) |
短いほど分らない話/DVD『帰ってきたウルトラマン』4巻/『プリンセスチュチュ』2巻ほか |
1/25日の日記の続きです。
帰宅して、DVD『帰ってきたウルトラマン』の4巻を見る。 13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」、14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」の前後編は、名作の呼び声も高い、津波怪獣シーモンス&竜巻怪獣シーゴラス登場の巻……と言いたいところだけれど、ちょっとこの怪獣の「分類」に違和感があるのである。 昔から気になってたんだけどさ、シーモンスって、津波起こしてないじゃん? 起こしてたのは、シーモンスを追っかけて来たシーゴラスの方であってさ。竜巻はシーモンスとシーゴラスが一緒に起こしてるんで、「竜巻怪獣」と言ったら両方になってしまう。 今回、DVDを見返して確認したのだが、本編のナレーションでは、シーモンスを「伝説怪獣」、シーゴラスを「津波怪獣」と言っているのだ。こっちのほうが正しいんじゃないか。これも脚本と実際の制作過程での混乱があったんじゃないかと思うけど、あくまで本編主義で行くなら、オープニングの字幕は間違いだ、ということになる。もっとも、そういう細かいことを言い出すと、ウルトラマンが津波をはじき返した「ウルトラバリアー」も、ナレーションの名古屋章さんは「ウルトラバーリア」って発音してるんだけどね。 字幕のミスは他にもあって、高村船長役の小林昭二や娘役の西村恵子、後編にはなんとクレジットがない。いくらなんでもひどすぎないか。
ドラマ自体も、実のところ、決してそんなに名作と言うほど完成度の高いものではない。 シーモンスはなぜ海を渡ってくるのか。 それがドラマのキモになってはいるんだが、前編ではそのことに全く触れられていない。南洋の西イリアン島に伝わる歌に「シーモンスが海を渡る時は気をつけろ」という警告が含まれていることをMATは知るのだが、そのとき誰も「なぜシーモンスは海を渡って来るんだ?」と気にしないのか不思議だ。怪獣を攻撃することにばかり気をとられて忘れてたのか(^_^;)。 でもって、後編でそれはシーモンスが産卵をするためだった(カメか)、と明かされるのだが、結局ウルトラマンとの対決に破れた二大怪獣は、そのまま海に帰ってっちゃうんである。……子供どこで産むのよ(ーー;)。 二大怪獣の謎を握る高村船長、物語の冒頭でシーモンスに襲われて記憶喪失になるのだが、記憶が戻ったら、怪獣撃退の方法くらい思い出してくれるんじゃないかと期待するじゃない? けど実はそんなもの何も知らなかったのである。 ……結構脚本雑だぞ、上原正三。 あと、嵐のシーンで、『空の大怪獣ラドン』や『三大怪獣地球最大の決戦』の町が破壊されるシーンをそのまま使ってるんだけど、東京に中洲があっちゃマズいでしょう(^_^;)。
いや、アラはやたらとあるんだけれど、それでもやはりこの作品は圧倒的に面白い。 それはひとえにゲスト陣の名演によるところが大きい。 高村船長の小林氏の痴呆演技もすばらしいが(こらこら)、それを支える娘のヨウコ(これがまた困ったことに、『帰ってきたウルトラマン大全』では「陽子」、DVD解説書では「洋子」と表記が違うのである。船長の娘なら「洋子」の方がふさわしい感じがするんだけど、断定はできないし)役の西山恵子の健気さ。ウルトラシリーズ中でも屈指の名演と呼んでいいのではないか。 ほかにもこの前後編のキャストは超豪華である。藤田進(岸田長官)・菊池英一(川崎操舵士)・幸田宗丸(保険会社員・木島)・西本裕行(工場長・赤城……スナフキン!)・向井淳一郎(自衛隊指揮官)。これで胸が踊らぬオタクはいまい。
そして、小林昭二・西山恵子の二人の歌う『シーモンスの歌』! これが当時の怪獣少年たちの心をいかに揺さぶったか。 今でもハッキリ覚えているが、翌日学校に行ったら、男子がみんな「ケナケナ、シーモンス」♪と歌っていたのである(そこしか覚えていない)。 この伝奇色溢れる歌の作曲は、小林昭二本人! うおおお、燃えるぜい! 以下に、私が耳コピした歌詞を挙げるので、当時燃えた少年たちはもう一度燃えていただきたい。 いやね、正確な歌詞を書きたいけどさ、『帰ってきたウルトラマン大全』にもDVDの解説書にも、この歌詞が載ってないのよ。『大全』なんて言ってるワリに各話のキャスト表もきちんと調べてねえし、クソの役にも立ちゃしねえぞ、あの本。 口の動きも含めて確認したから、そう間違ってはいないと思うよ。
ヌレクハ ヒーウーモ ケナケナ シーモンス ヨードサ ハーウーコーム メウラー シーモンス
(シーモンスは島の守り神 シーモンスは気立ての優しい怪獣 だがシーモンスが海を渡るときは気をつけろ 恐ろしいことが起こる)
トルメジ イーウーシ ハウコム シーモンス ソルトラ シーリーカース リラベラ シーゴラス
(シーモンスを苛めるな シーモンスを苛めると角光る 角光ればシーゴラスも怒り 海も天も地も怒り この世は地獄となる)
原語にもとネタあるんかな。なんだか訳と一致してないような気がするんですが(^_^;)。正確な歌詞カード持ってるって方は教えてください。 でもこの手の歌詞っていい加減なこと多いからなあ。『モスラの歌』とかも伊福部昭音楽全集とカラオケの字幕とじゃ全然違ってるもんなあ。
15話の『怪獣少年の復讐』、ビッコで貧乏で孤独で(あんまりな設定だな)差別されている少年が、父親を殺した怪獣にかえって世間に対する復讐を望んでしまうという実に複雑な心理を描いた名編。脚本は田口茂光。上原さんより実力は上なんじゃないかな。 でもこの脚本も、字幕では怪獣が「エレドー“タ”ス」となっているのに、本編では「エレドー“ダ”ス」。どうすりゃいいのよ。 史郎少年を演じたのは、これまでは次郎の親友役を演じていた高野浩幸。名演なんだけれど、同一シリーズで別の役を演じるってのはちょっとねえ。ほかの人が見つからなかったのかな。
DVD『プリンセスチュチュ』2巻。 わっ本放送のときは気づかなかったけど、プリンセス・クレールのフィックス音楽、「ジムノペディ」だったんだ。どうして気づかなかったんだろう。アタマ寝てたのか。 気づかないと言えば、チュチュに出て来るキャラクターの名前もいったいどこから取って来てるんだかわかんないものが多い。いかにも原典がありそうなんだけれど。 私が気づいてるのは、ドロッセルマイヤーだけだな(~_~;)。これはもちろんバレエ組曲『くるみ割り人形』の登場人物……というより、原作『くりみ割り人形とねすみの王様』に出てくる語り部の名前。あの物語は実際に作者のE.T.A.ホフマンが女の子たちに語って聞かせてあげた話がもとになっているから、ドロッセルマイヤーはホフマン自身だということにもなる。 アニメのドロッセルマイヤーはあまり優しいおじさんって感じはしないが(^o^)。 『夢見るオーロラ』に出て来たパウラモニとパウロの二人も、いかにもなにかに出て来てるっぽい名前なんだけどなあ。 で、このパウラモニ、ゲストで1回こっきりしか出てて来ないのがもったいないくらいのキャラである。「夢見ることに恐怖を覚える」って複雑な心理を演じなきゃいけないんだけど、その要求に見事に答えた声優さんは勝生真沙子さん。今さら説明するのが野暮なくらいの大ベテラン(いや、古狸ということではなくて)である。 世間的には勝生さんと来れば海王みちる(セーラーネプチューン)なのかもしれないが、私にとっては絶対的に北島マヤ&四方田麿子。マイナーだなあ(^_^;)。 みちるファンの女の子なんかは勝生さんのクールビューティーぶりがステキ!みたいな感じだったみたいだけれど、私はあの方のキレてるっつーか、イッちゃってるっつーか、妄執に捕われてるっつーか、ともかくいきなり甲高い声上げて包丁振りかざしそうな女の演技させたら天下一品なところが大好きなんである(なんか誉め言葉に聞こえんな)。 もちろんキャリアのある方だから、普通の役もされてるんだけどさ、そっち方面の演技ができる女の人って意外と少ないから。これって、女性の声優にいかにもアニメアニメした作り声を要求してきた弊害なんかじゃないかと思う。勢い、『The八犬伝』の玉梓や『スケバン刑事』の海槌麗巳なんて役があると、勝生さんに振られることになるのである。 あ、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』のクラリス(ジョディ・フォスター&ジュリアン・ムーア)の吹替えも勝生さん。いかにもでしょ?
物語が折り返し地点に来たせいか、今巻はゲストキャラが少ない。 さすがに前巻のアリクイ美みたいな強烈なキャラはそうそう出せまいが、巡業バレエ団エレキ座の団長が電気ウナギだったりと、まあ、細かいギャグキャラはちょこちょこ登場。どうも金冠町に来るまではこのエレキ座も普通の劇団だったらしいので、この町に入るとどうやら普通の人でもおとぎ話の世界に取りこまれてしまうらしい。「団長ってウナギだっけ?」「この町に付くまでは……?」「ま、いっか、電気代浮くし」って、そういうもんか(^_^;)。
ハイ、ここから26日(^o^)。
朝、なんとか起きて『仮面ライダー555』の第1話と、『おジャ魔女どれみどっか〜ん』の最終回を見る。 『555』は設定に凝り過ぎ、ハッタリのかましすぎ。まあいつものことだけど。でも主役が誰だかわかんないような出だしってのはどんなもんかね。 竹井みどりさんがチラッとだけ出てすぐ死んでしまった。……もちょっといい使い方しようよ。 『大鉄人17』や『多羅尾伴内(小林旭版)』で、「ホクロがセクシーでキレイなおねえさんだなあ」とか思っていたのだが(小学生だろ?)、『くれないものがたり』でなんだかヘンな世界に行かれてしまった(-_-;)。もっともっと使われていい女優さんだと思う。 『どれみ』はまあ、普通の終わり方かな。4年も続いた番組のラストとしてはあっさりしすぎてはいるが。作画がいいので、ありきたりって印象がだいぶ薄れているのはいい。でも、今さら「みんなと別れたくない」くらいのことで引きこもるか、どれみ、とか思いはするけどね。 未来さんのエピソードとの関連性は全くなかったみたいだね。多分そういうことになるだろうと思っちゃいたけど。あれはやっぱり突発的な番外編みたいなものだったのである。
で、眠くて昼は寝てました。
夜、しげがいきなり「ドンキに行くよ」と言い出す。 なんのことやらわからず、「ドンキってなに?」と聞く。 「ドンキホーテ!」 何やら買い物があるらしいのだが、「ドンキホーテ」くらい、省略して言わなくてもいいんじゃないのかなあ。 本当に長い単語を省略するのならともかく、なんでもかんでもとりあえず省略してみるっての、はっきり言って「若気のいたり」なんである。流行語と同じで、トシ食ったら「あんな言葉使ってた」って恥ずかしくなるぞ。私もムカシよくやったからわかるんだが、『長靴をはいた猫』を『長猫』とか、『どうぶつ宝島』を『ど宝』とか、『カリオストロの城』を『カリ城』とか(アニメばっかりかい)、自分では意識してなくても、いかにもマニアな言葉使って自分たちのステイタスにしてるつもりになってるんだね。 「だってぼくたち若いんだから、自分たちの言葉使ったっていいじゃん、オジサンは相手してないし」とか言い訳するやつもいるが、だったらオトナの前でそんな言葉を使うもんじゃない。使い分けできてないだろ? そういった相手に対して無自覚に甘えた言葉ってのは、不快感を与えるばかりでなく、使ってる本人がアタマ悪そうに見られちゃうんだけどね。それって損だと思うけど、どう? おかげで、こちらも「今の言葉、何?」って聞いたときに、その実物を知らないと、その中身を理解するのにえらく手間がかかるのである。 「ドンキ」だけで通じる、知らないほうがおかしい、という判断は「鈍器」という単語を知らない人間の発想だろう。単語の発音が短くなれば、必然的に同音異義語となる確立が増える。「マック」がパソコンを指すのかハンバーガー屋を指すのか混乱した例を考えてみればよい(関西は「マクド」で混乱する必要はなかったようだか)。 「ロッテ」と言えば私にとっては「歌のアルバム」である。 「ケンタ」と言えば、深作である。 「ファミマ」と言えば「あ〜み〜ま〜、ゆ〜や〜ゆ〜」を連想してしまう。 たかだか2、3文字を省略しなきゃならんほど、今の若い人たちはめんどくさがりになってるのか? でも、「ファーストキッチン」なんかは特に省略なんかしてないだろうが。それともあれは「ファッキン」とでも言うのか? こうなると店の名前を新しくつけるんなら、最初から「ポプラ」とか「ガスト」とか、3文字以内にしてくれと、頼みたくなってくるね。
ともかく車に乗せられて、香椎まで出かける。外はちょっと雨。 腹が減っていたので、食事をまず先に『びっくりドンキー』(これも「ドンキ」になるじゃんかよ)ですます。 ハンバーグスパゲティに、イカ焼き。ちょっと味が濃いが、ここのイカ焼きは美味い。しげにも少し分けてやるが、もっと欲しそうな顔。しげはしげでハンバーグを食っているのだから、そんなには食べ切れないのだが。でも追加でデザートを頼んだら、やっぱり半分取ってペロリと平らげたのであった。 そのあと、「ドンキホーテ」の中をうろつく。初めて知ったけど、あそこ、お茶のサービスまであるのね。紙コップ持って店内をうろつくのはちょっと動きにくかったけど。 しげがフライパンだのトイレットペーパーだのバレンタイン用の道具らしきものだのを買ってる間に、私もシャツだのパンツだの靴下だのを買う。なんだか日用品を買うのって久しぶりのような気がするなあ(^o^)。
帰宅してネットを開いたら、山本弘さんとこの『SF秘密基地』で600000のキリ番をゲット。そういうのが全く話題にならないサイトだから、特に書きこみをする気はないが、ちょっと嬉しかったのでここにだけ記録しておこう(^o^)。
マンガ、金田一蓮十郎『ジャングルはいつもハレのちグゥ』10巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。 最終巻とか言っときながら全然終わってない。『ガンガン』本誌ではタイトルを『ハレグゥ』(省略やんけ……)として、連載継続中である。このタイトルでまたテレビアニメ化してほしいな♪ それにしても、この作品の原作とアニメの関係は極めて幸福な関係にあったのではないか。 原作ももともとギャグのキレがよかったのだが、アニメがそれに拍車をかけるように暴走した。その様子を見て、原作マンガが負けじと暴走し始める。その変化が顕著なのがダマばあさんの存在で、最初はもっと普通のババアだった気がするが、もうこの10巻になると完全にこのマンガのヒロインである。って言っていいのか、オイ。 えー、説明するだけでタイヘンなんですけどね、財産争いに巻き込まれたウェダを殺しに、刺客が送り込まれてくるわけですよ。スッゲェ美女の。でも実はそいつ、ダマだったんです。……なんで? って、理由なんてないです(-_-;)。 いやもう、それ以上、説明を求めないで……。次回からはまた都会編のようです。 マンガ、城平京原作・水野英多作画『スパイラル 〜推理の絆〜』8巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。 未だにこのマンガは「読み」切れないなあ。 いやホントに面白いんだかつまらないんだかわかんないのね。キャラクターの誰一人として、感情移入できるやつがいない。それも当然で、背景となる設定が全然見えてこないからなんだけれど、キャラクター同士の腹の探り合いというか、いかにして敵のウラをかくかって権謀術数はオモシロイのである。 ……私事だけどさ、実は私が今回劇団のために書いた戯曲、『スパイラル』の影響受けちゃってるんだねー(^_^;)。いやね、この「いかに敵のウラをかくか」ってのをあまりクドくならないようにやってみたくなったのよ。成功するかどうかは芝居が出来あがってからのお楽しみなんだけど。 で、書いてみて確かに思うのは、この「権謀術数」やってる間って、純粋な思考ゲームになっちゃうから、「キャラクター」がすっごくジャマになるのね。『スパイラル』のキャラクターの背景が未だに描かれないのは、もしかしたらそのあたりに理由があるのかもしれないけれど、今後の展開を見てみないと、今はまだ簡単に判断が下せないんだよね〜。 考えてみれば、ミステリーが傑作かどうかってのは、完結してみなけりゃわからない。面白いかつまらないかわからないまま読んでくってのも仕方のないことなのかもなあ。
そこで気になるのは、鳴海清隆の存在だ。 『機動警察パトレイバー』の帆場英一を彷彿とさせる、「全ての事件の鍵を握る男」。帆場は結局、最後の未来を読み切れなかったが、鳴海兄はいったいどこまで未来を読んでいるのか。 いや、そもそも「人間」はどこまで「先」が読めるものなのだろう? 全てが読めるとしたら、それは限りなく「神」に近いのではないか? その「神」はまた、「ラプラスの悪魔」とも呼ばれる。 果たして城平さんはこの物語の支配者を「神」「悪魔」どちらの視点で描いていこうとしているのだろうか。 囲碁・将棋の世界における名人クラスになると、最初の数手で終局までが見通せるそうだ。本作の「全ては鳴海清隆の手の上で踊るものたち」という設定に疑問を覚えるのは、未だに姿を見せぬ彼に、既に見通している未来などというものがありえるのだろうか、ということが気になるからである。 全てが自分の仕掛けた通りに人間たちが動いていくとすれば、それは恐怖につながらないだろうか。不確定要素のない未来など、私は見たくもないのだが。
巻末のあとがきで、城平さんがエドワード・ゴーリーのファンであることを知る。有名人でゴーリーファンを表明してるのは、私が知る範疇では江國香織さんに続き二人目。でももっともっと知られてほしい作家さんである。 新刊の『ウェスト・ウィング』まだ見つけてない。早く買わねば。
マンガ、和田慎二『神恭一郎事件簿� ^Δ隼爐虜住�計』(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・620円)。 神恭一郎シリーズの短編はまとめると一冊にしかならないんだが、それを三分冊して売ろうってアコギなやり口。 ミステリコミックが流行してるから、今、再販したら売れるだろうってハラで出し始めたんだろうと思うけど、あの、ハッキリ言ってさ、イマドキ通用するレベルの話じゃないのよ。 昔はミステリ作品が少なかったから、仕方なくこんなもんでも読んでたけどさ(1973年!)、もうこれがアイリッシュの『幻の女』の稚拙な模倣作でしかないってことは知れ渡ってることなんだからね。 ……このマンガをこれから読もうって人は、先に『幻の女』を読んでおいてくださいね。でないと評価の仕方を間違えます。 考えてみたら、「神恭一郎」って名前も高木彬光の「神津恭介」をモジってるんだものなあ。まあ、昔のマンガ家さんって節操ない人多かったから、和田慎二一人を責められはしないんだけどね。さすがに最近はここまで露骨なパクリはしてないみたいだから。
またもや字数オーバーになっちゃったので、続きはまた翌日。(2003.2.18)
2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか 2001年01月26日(金) 夢の通い路
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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