目次過去未来


2011年12月31日(土) 大晦日



 しばらく日記書く暇がなく、大晦日の深夜に至ってようやく書く事が出来た。
午後は、大掃除、一年に一回の大型ガスコンロの解体掃除。
忙しすぎてついに毎年大晦日に打っていた蕎麦を打つ時間がなかった。が、例年にない事をした。白ワインに炭酸ガスを溶かし込んでシャンペンを作った。普通白ワインは発酵しガスが完全に抜けた状態のものをいう。シャンペンは白ワインの醗酵が完全に終わる前に瓶詰めしたものをいうのだが、やすもののシャンペンもどきは、後からガスを装填する。これを家でやってみようと思い立ってやってみた。
安物の白ワインも発泡性を帯びるとちょっとしたシャンペンもどきになって面白い。ついでに冷やした水にも強制的にガスを補填してみたら、立派なペリエもどきになった。深夜12時近く北アルプス槍平で亡くなった故市川啓二君に杯を捧げた。久しぶりに訪ねた市川啓二君のホームページは今年五月に閉鎖されていた。









2011年11月08日(火) 素粒子学者に聞け −放射能の真実−




↑一般諸君の書き込み文字がうるさい場合
は、右下隅の吹き出し模様をクリックして×にする事が可。


オックスフォード大学ウェード・アリソン名誉教授
(「放射能と理性」著者。放射線の医学その他への応用に関する著作あり。
 英国の代表的な素粒子学者)


 前から奇妙な説が一部にある。「自然放射能10万倍以下は大丈夫云々」と言うように使われるその、「自然」と言う言葉に反応した素人が考え出したと思われるが、「自然放射線と人工放射線は別だ(有害だ)」という御託を並べているが、それなら、天然の雷の発する電気と、人間が発電所で作り出している電気は別物か?
電気も同様、天然人工は問題ではなく、ある値を超えると人間に作用した場合間違いなく死に、程々をうまく利用すると、ホメオパシーの主張する所と同じく、毒も薬になるのである。
これは逆に無農薬有機栽培等にも言へ、度を超えた有機栽培で土が時を過ごすと、土中に細菌が繁殖し、空気中の窒素と結びついて硝酸が出来る。これが植物の根を通して作物に入ると、亜硝酸と言う物質に変る。体内にあるアミノ酸から発生したアミンと言う物質と亜硝酸が出会うと、何と発がん物質になる。
どちらにしても極端に度が過ぎると、薬も毒になると言う事だろう。



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2011年10月23日(日) 放射能の事は女将に聞け 2/2  



放射能発見から現在まで。



1890年〜 放射線研究黎明期
レントゲンがX線発見、後、ベクレルがウラン化合物から放射線が出ている事を発見、キュリー夫人はトリウムからも放射線が出ている事を発見発表。物理学も論理的研究の時代
その前後から顕著な健康障害が出始める。

1927年 マラー博士がショウジョウバエを使って放射能の影響について研究発表。放射線は一ミリたりとも浴びてはいけない。子々孫々影響を受けると、ショウジョウバエの遺伝研究を元に発表。ノーベル賞。
この説をLNT学説といい亡霊として現在も残る。(後にショウジョウバエの成体は遺伝子レベルで自己修復をしない、やられっぱなしの数少ない生命体である事が判明)

1945年 広島長崎に原爆落とされる

この間にDNA の構造解明 

1954年 ICRP(国際放射線防護委員会)勧告「可能な限り最低のレベルに」

この間に
生物のDNAは例へ放射線にやられても自己修復する事を発見

1984年 ラッキー博士によるアポロ宇宙船乗組員の宇宙での栄養被曝調査。放射線はある値までは健康増進になると発表、ホルミシス効果と命名

1985年  第一回オークランド会議開かれる。 ラッキー博士の論文を日本の服部禎男博士が真偽を巡り米国の専門家に質問、これがきっかけで専門家が世界中から百数十名参加。結果はラッキー博士の論文が圧倒的多数により承認

1989年 「放射線ホルミシス研究委員会発足」世界中から衝撃的なデータ収集

1994年 ワシントン会議 ホルミシスの成果を発表世界に衝撃を与える

1996年 ポリコーブとファイネンデーゲンが、DNAの修復論文を発表

1997年  セビリア会議 マラー学説を基とするICRPに科学者が問題提起

1999年 ブリッジ会議 政治の世界と科学の世界の間の意思疎通をはかるもICRPは、「五十年前のマラー仮説は誤りがあるが、いろいろな本教科書に載っているのでいまさら変えられない」と主張
現在に至る。

2001年 ダブリン宣言 チュビアーナ博士、「自然放射能の10万倍以下では癌にならない」

2005年 「国際ホルミシス学会」発足
服部禎夫博士、バンガード賞(ホルミシス概念を世界に広め認知させた)受賞

2006年 ヴィレンチック博士論文発表
「自然放射能の300万倍までDNA自己修復可能」

いつの間にか放射能怖いが主流となっているが、実は確実に人を死に至らしめるものがあり、それは活性酸素と呼ばれる。これがDNAを破壊する、それを自己修復しても仕切れずやり残しの傷跡が皮膚に残る。これが皺であり、この蓄積を老化と呼ぶ。激しい運動、例えばオリンピックの柔道で優勝戦まで行く選手に、発生する活性酸素をシーベルト換算するとDNAは致死に至る破壊を受けるが、人体の自己修復機能のおかげで死なずにすんでいる。

 反対にマウスに数分間250ミリシーベルトの放射線をあてるとなんと、人年齢65歳相等のマウスは、SOD(細胞のミトコンドリア内に存在する酵素)、GPX(活性酸素消去酵素の一つであるグルタチオンパーオキシダーゼ) が飛躍的に増えて細胞膜、角膜の透過性が上がり、人年齢6歳と同じレベルになった。
他に、がん抑制遺伝子、p53の活性化、免疫系の活性、LDLコレステロールの減少、各種ホルモンの増加など害があるどころか、活性酸素と対抗する強力な味方が閾値内放射線と言う事が出来る。

結論 宿の女将の言葉
かってウランの産地の人形峠(採算が合わないうえ、品質が低い事もあり採掘は中止。)にあった放射性廃棄物はみなレンガにして売った。健康増進のためにとてもよいので飛ぶように売れた。

ホルミシス効果と名付けたラッキー博士のベット下にはぎっしりと放射性物質が敷き詰められている。現在97(1919年生現在92歳 -2011/11訂正-)歳。現役の学者である。


参考文献

      本当は怖いだけじゃない放射線の話 大朏 博善 
      他ホルミシス効果資料
      放射能を怖がるな  T.Dラッキー
      分子生物学資料(分子栄養学) 三石巌 他
      放射能は怖いのウソ。服部禎男



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2011年10月21日(金) 放射能の事は女将に聞け 1/2



 鳥取県の大山に行った。
友人達は曇天の中、頂をめざして登って行ったが、山頂には一緒に行かなかった。三十数年前に登った時、既に山頂稜線のがれ場は、踏み込んでは行けない程の崩落が進み、風景は殺伐としていた。ただ秋の風に乗って無数の赤トンボが待っていた事が記憶に残った。
登って面白い山と、眺めておくだけにした方がいい神々しい山がある。前者に対してはいろいろあると思うが,後者に対してはたった一つ、それは富士山である。
あれは登る山ではない眺める山であるとずっと思っている。大山は一度登っただけだが、何度も登ろうと思う程惹かれるものはない。

 登って行った二人を見送り、橋の袂の駐車場の直ぐ横の谷にクレーンブルドーザーが入り、作業しているのをしばらく見ていたら、昨年の新穂高温泉の谷の治山治水工事と重なった。
ここでもシジフォスの神話が現実となっていた。過去復旧工事九回、渓間堰二百数カ所、他工事二十数カ所と書かれた工事説明があった。日本の多かれ少なかれ山谷を持った地域はまったく目立たないが、ここと同じような果てしない工事をやっている事が想像出来た。
ある意味、山海に自然なんて存在しない。人が何らかの形で自然をコントロールして日本はある。

 友人達が無事下山後、山道を抜け年間十ミリシーベルトを出し続けている三朝温泉に向かった。日本で同レベルの放射線を出している場所に富士山がある。
ICRP(国際放射線防護委員会)の今となってはその根拠となる学説は完全に崩壊しているにもかかわらず、未だ公式見解は年間一ミリ〜二.数ミリシーベルト以上浴びると危険だと根拠のない強弁をしている。
日割り換算してもそれの十倍を今回は浴びる事になる。

ここに人は約千年前の昔から住んでいる。人々は腹の中で笑っているだろう。
ラジウムはラドンガスにして深く肺に吸い込んだ方が体には効果的だと言う事は、近所にある岡山大の医療研究センターの調査等で解っている。
この界隈の癌罹患率は日本各地の平均の半分で、九十百歳の人も多いと宿の女将が話していた。
 驚いた事に、京大の原子力関係者や反原発の社民党等がこの地に来て何事かを講義に来るというのである。講演に来て、ここの水で調理された料理を食って温泉につかって帰ったとしたら、完全な分裂病のあほである。

 過去営々とこの地でラジウム温泉の宿を営み続けて来た人々、ここで生き、生計を立てている人々に対して、この度の福島をきっかけにこの地に警告を発しに来たと言う。
あ・ほ!

 福島原発事故に関して不思議な事がある。
人は自身の健康状態等を普通、誰に見てもらったり、適切な判断をしてもらうのだろうか、医者だろう。
科学者に自身の生死に関わる事をゆだねはしないだろうに、なぜか放射能に限って、科学者の意見ばかりを信じてマスコミは報道し、医者の意見を聞かない。
医者で福島原発の放射線量で騒いでいる人はまずいない。
そんな事を思いながら、岩風呂に入って思い切りラドンガスを吸った。


 新田次郎の小説、八甲田山死の彷徨で有名になった青森歩兵第八師団第五連隊の津川謙光連隊長はこの事件(雪中行軍で9割が遭難死)後責任を取って辞任を申し出たが、戦争が近いので却下され、日露戦争で任務を果たし戦傷退役後、この地に住み三朝のために尽力した。

…続く。

放射能の事は女将に聞け 2/2









2011年09月08日(木) 愁傷



 こんな人が「日本」の首相になった。

 かって民主党が千葉で圧勝した時に千葉民団(在日本大韓民国民団 略して民団)の組織に応援してもらった事に感謝している。フランスの友人達よ、フランスなら多民族国家だから、母がユダヤ系でハンガリー移民二世(アメリカでは移民二世で大統領はいない)のサルコジが、例えば在仏(こういう言葉は無いが)のハンガリー人団体に支持を受けると言うのはまだわからんでもない、筋は通っている。

が、この首相、日本人なノダ!、*在日特権を持つ上記の人達は、他の外国人とは全然違った厚遇(強制連行されて日本に来たと言う根も葉もない在日第一世代の嘘に騙されたあげくの贖罪意識から特別扱い)を受けているにも関わらず、日本の事が大嫌いで、教科書から領土までことごとく反日的な態度を取る人々の集まりである。その組織になんと感謝しているのだ。ところで日本国籍のないもの共が、党のサポーターになれるのか。

「頭おかしいんとちゃうか?」と、不肖宮嶋風に書いてみた。



  
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*在日特権

( [清 掃] ごみ容器の無料貸与 廃棄物処理手数料の免除 [衛 生] 保健所使用料・手数料の滅免 [教 育] 都立高等学校  高等専門学校の授業料の免除 通名(例、朴→金本)で、公式書類にまで使える。(会社登記、免許証、健康保 険証など ) 民族系の金融機関に偽名で口座設立→犯罪、脱税し放題。
職業不定の在日タレントも無敵。凶悪犯罪者の1/3が在日。が、実名では報道されない。[生活保護] 家族の人数×4万円+家賃5万円
在日コリアンは、 ほぼ無条件で貰える)


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2011年08月23日(火) まだ続く、放射能被害の嘘。



 読売新聞は取っていないので、チャンネル桜月曜の放送ワイドでの紹介で知ったのだが、その中で、福島の一部地域を「無人地帯」とするというような報道を紹介していた。年間500ミリシーベルト越えるから人は住めなく誰も入っては行けない所とすると言うのである。我が意を得たんだろうか、笑顔でうれしそうに見えるマエダ(仮名)という福島原発事故の際に、映画祭と称し最も離れた沖縄に番組キャンセルして行き、真っ黒に日焼けして(最近映画祭は白昼外でやるらしい)また何食わぬ顔をして番組にでている自称映画評論家は長年の反原発の主張に近づけたからなんだろう。何だか嬉しそうだった。

 長期にわたってNASAからの要請で宇宙における飛行士の被曝を調査研究、一定の結論を出した、*ラッキー博士は人体に対する放射線の許容閾値(いきち−ある時点迄は大丈夫だがそれ以上は有害となる)内はむしろ健康に良いとの結論をだした。
高低に関わらず放射線被曝は何でもかんでも悪でDNAを破壊してしまうと言ったLNT(linear no threshold)ドグマを元にした研究は、ノーベル賞生理学・医学賞をもらったH・Jマーラ博士が放射能被害仮説に実験に使ったショウジョウバエ(オス)に、DNA修復機能がない極めてまれな例である事が判明し、LNTドグマは崩壊している。人の場合は、二重螺旋の半分が破壊されても自己修復する事がわかっている。

 番組で言っていた500ミリシーベルト/年間(下のグラフの赤の棒範囲)で危険?立ち入り禁止?これがどういう事態を招くのか政府はわかっているのだろうか。
無法地帯になるで。危険地帯と言うお墨付きを与えると普通の人は行かなくなる。では誰が行くか。塀がある分けないので、誰でも行こうと思えば行ける。当然変なのが非合法に住みつく。後は推して知るべし。
チェルノブイリの中心地に近い所に研究者を始め人動物、ただしアフリカから飛んで来たつばめの一種はだめらしいが、住んでいるのだ、研究者は合法的に畑を作りそれを食って調査活動している。非合法居住者も勿論いる。
しなくてもいい事をして問題を複雑にする事、外国人移民問題と同じである。

 ラッキー博士の長年の調査の結果 下の表。
グラフ中 ZERO相当点というのは健康に良い効果と悪い効果を及ぼす境点。




mGY(ミリグレイ)のグレイはシーベルトと同。


9/2(金)以下追加。


世界の都市地域の被曝線量(ラッキー博士著書翻訳者茂木弘道さん提供)



地域・場所・ケース

ミリグレイ(シーベルト)/年間   
(mGy/y=msy/y)

                           

1.000mSy/年間 宇宙飛行士(船外活動の場合―0.1mGy/h)、マヤクのロシア原爆工場労働者、ロッキー・フラット核兵器工場の一部労働者(コロラド)、オーストリア・中国・ドイツのウラン鉱山の一部労働者

500mSy/年間 オーストリアのバッド・ガスタイン(廃鉱利用の療養施設)の労働者、アメリカのラジウム・ペインター(時計の文字盤つくりの)、宇宙飛行士(1mGy/d)

200mSy/年間 イラン・ラムサールの一部地区、マレーシア・ナイジェリア・タイの鉱山、フリー・エンタプライズ・マイン(アメリカ・ボルダーの施設)、イングランドの核爆弾工場の1759名の労働者(ガン発生率低)、北イタリアのラドンのある村、ロシアのマヤクの近くの村ガン発生率低、カナダの乳ガン患者が300ミリシーベルト以下の放射線照射を浴びたケース

100mSy/年間 健康に最適レベル インド・カンヤクマリの土壌からのガンマ線、成層圏飛行(0.03mGy/1飛行)、イラン・テレシュ・マガレ―の家庭のラドン、ブラジル・ガラパリの家庭、ル―マニア(ラドンが多い)、ドイツ・シュネーべルグ(白血病がない)

40mSy/年間 エベレスト(ネパール)の頂上

30mSy/年間 オーストリアの鉱山(高ラドン濃度)、ニスカ・バンジャ(バルカン)、フィンランドの多くの家庭、ルーマニア(ラドンが多い)、中国のヤオトン居住者

20mSy/年間 ギリシャのイカリア温泉入浴者、ロシアのマヤク近くの村、ゴルンジャ・スチュバ(コソボ)、ゲオファギア(コソボ)、ガラパリ(ブラジル)、マッキンレー山(アラスカ)

10mSy/年間 プルトニウム労働者のガン発生率低、ポーランドのコーウエイの家庭、インドのタミール・ナヅ、チャトラプール、ケララ、ヒマラヤ及びネパールの住民、
日本の三朝温泉、富士山、フィンランド(の平均)、キルギスタン、ラムサール(イラン)、ロッキー・マウンテン高地、

5mSy/年間 エジプトのナイル渓谷、オーストラリアのダーリング・スカープ、インドのカンヤクマリ、モスコーのラドンレベル、ロッキー・マウンテン(海抜1500〜3000の間の住民24万人は全米平均に比べガン発生率が低い)

注:ここについては問題あり。(上記のうちの例外ケース)

これらの地区では、いずれも被曝による健康被害は全く生じていない。


 放射能廃棄物は今後、かって裁判でもめたカニの殻遺棄問題(殻からバイオマス物質キチン・キトサンが発見されたのをきっかけに、カニの殻を土中に埋めた事の責任のなすり合いから、奪い合いに変わった喜劇的事件)に関してと同様に、人に対しての効用が正式に認められれば、その時点で奪い合いになる事を予想しておく。


参考文献:「放射線を怖がるな」T.D.ラッキ− 訳・解説 茂木弘道 日新報道


*T.D.ラッキ−
1941年コロラド州立大学(化学)、ウイスコンシン大学で理学修士(生化学)、ノートルダム大学助教授、准教授(1946-1954)、ミズーリ大学生化学主任敦授(1954-1968)、退職により名誉教授授与される。NASAのアポロ計画に協力し、地上の数百倍の宇宙放射線環境内での安全性を追求する中で、適度の放射線被曝は「人体に恩恵をもたらす」ことを発見し、'放射線ホルミシス効果'と名付けて世界に発表した。


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2011年08月04日(木) 遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 2/2



 先月7月の最終週北アルプス涸沢にいた。
天才政治家西村眞悟夫婦、三文画家夫婦、助っ人強力(ごうりき)大陸(米国・アフリカ)浪人愛国者一人の異色の取り合わせ。
別にサミッター、としてでもピークハントを目的とした山行きでもなく、涸沢の懐にいて酒が飲めるぞーの山旅であった。

 梅雨明け十日はもう無くなったのではないか。二年前の上高地涸沢も雨の合間の移動、去年の新穂高槍平もバケツひっくり返したような大雨だった。いずれも七月最終週だった。
今年は台風一過後でもあり、お山は晴天だと思いきやぐずぐずと変化を繰り返す不安定な天気が続いた。腕時計の気圧計は下方グラフは振り切れていた。
だが、ひと言「楽しかった」に尽きた。

 最初、酒を一人で涸沢にあげるつもりだった。日本酒一升、赤白ワイン四ℓ、焼酎一升、シャンペン一本、特別の赤ワイン一本、スコッチ年代もん、他。これに非常食・行動食 衣服他が加わる。山での修業時代は既に終えて久しい。苦痛を伴うのは本懐ではない。
楽しくて楽しくてしょうがないといけない。

 そこで愛国者ゴーリキいしばし(仮名)を思いついた。二年前北アルプス入門を終へ、今年は奥穂ということで、そこらのオッサンを連れて行くなら、助っ人等いらないが、次の国政を担う重要な人を、荷物でへとへとになった個人が何かあった時に対処出来ないと思った事もあって、ひょっとしたらアフリカ行きを決めていたかもしれないゴーリキいしばし(仮名)に声をかけた。
ゴーリキいしばし(仮名)は不言実行の人である。
大震災直後、すぐ東北に入って、数日の間、家の中にたまった汚泥をかき出しくみ出し続け、何食わぬ顔でまた会社に戻っている。また、過去靖国神社を清掃し、奉賛した。
 来てもらって本当によかった。今回ゴーリキいしばし(仮名)の収穫は、かって、下りが得意と言っていたが、実は荷を背負った場合、登りより下りの方がしんどいと言う事がわかった事だと思う。より登山の真髄がわかったと思う。遭難も下りの時に多く起きる。

 曇り空の中、横尾の小屋八時前に出発、涸沢2300メートルの小屋に着いたのは午後一時前、涸沢カールの雪は、二週間前には例年より多いと言う情報があったにもかかわらず、行ってみるとヒュッテ、小屋に続く登山路にはほとんど雪はなかった。
なくても、アイゼンを試す事は付けた事のないものにとっては良い経験になるので付けて雪面を歩いてもらった。

 西村御大は、数十年前に冬の前穂で死にかけている。若い頃にそういう経験を持った人は又格別なものがあるんだと思う。
今写っている写真を見ていると、清々しい顔をしている。これだけでも今回の山行きは大成功だと感じた。
 小屋前のデッキで小屋売りのジョッキビールから始めて持って来た全主類の酒を飲んだ。
シャンペンはゴーリキいしばし(仮名)が、雪渓に穴を堀り埋めてしばし冷やしておいた。何かにかこつけ二度三度乾杯した。

 山鯨と言えば猪(いのしし)の事だが、今回、山でほんまもんの鯨を酒の肴にすべく、
あの傲慢無礼者集団シーシェパードが勝手に住み着いている和歌山太地の鯨屋のおっちゃんから送ってもらった鯨の皮と、鯨の珍々、通称’たける’を持って上がった。
腐らしてしまうのを覚悟で持って行ったが、厚さ10センチ縦30横20センチほどの発泡スチロールの箱に一杯の保冷剤を入れ、途中泊の山小屋で、保冷剤の半分を冷凍庫に入れてもらい、継ぎ足して上がった。小屋前で開けた時に既に二日経っていたがまだ凍っていた。
見事、それは二千メートル雲上の酒の肴となった。本わさびも持って上がり卸して供した。
ちなみに鯨の珍々をポン酢で和えたのを鯨の「ちんぽん(珍宝ん)」と言う。
例えばこういう楽しみを方していた椎名誠の怪しい探検隊というのがあったが、そのメンバーの一人だった写真家の岡田昇は目の前の冬の奥穂高の向こう側槍平方面に下山中に行方不明となり今だ遺体は見つかっていない事を思いだしていた。

 眼前の前穂六峰、一番奥の三つのピークはガスで見えなかったが、反対側遠く常念岳は見えた。
 宴たけなわ、一人のおっさんが思いつめたように寄って来た。あの人は西村御大か?と言うような事を聞くのでそうだと答えると、破顔一笑、言葉が溢れ出た。御大はぶれない、俺は支持する…云々。

 夕飯食ってそろそろ律儀な登山者が眠りにつく頃、ゴーリキ、我々夫婦、何故か御大奥さん参加、外の軒下テーブルにて宴会第二弾。
御大酔い多分心地よい疲労感で部屋にて爆睡の模様。無理もないと思った。政治政局思い、現政権に怒髪天を突き、ために神経すり減らし、辺り味方も多けりゃ敵もそれに上回るくらいいるだろう。胆力無しにはやれる仕事ではないと改めて思う。しかも二千メートルは数十年ぶり、若かりし頃と体形も大部変化してしまっている。この高さは酔いが回るのも速い。

 ほの暗くなったこの席に、先ほどのおっさんが来て、我が夫婦をぼろくそ全否定するも、あんまりそのいいかたがおもろくて、腹をよじらせて笑いすぎて高度のせいもあったと思うが息継ぎが出来なくなって酸欠一歩手前で死にかけた。
ここ十年、あんなに笑った事はなかった。

 しかし、このおっさん、いい所があって、最近の山小屋は酒と言えどなんでも売って居て大吟醸酒迄用意されている、その一番高価な奴を御大に飲んでくれと持って来たらしい。
 ぼろくそ言われたけど、うまい酒をお相伴に預かったので許す。何をぼろかす言われたかと言うと、「あんたみたいな猿に何でこんな美人の嫁はんが来るんや!おかしい!」てな事を延々抜かし続けた。喜んでいいのか怒っていいのか、東京人の軽妙洒脱な言い方に笑い転げてしまったと言う訳だった。
 ほんまに笑い死ぬかと思った位笑った。

 翌朝ゴーリキは早朝片道ベテランで1、5時間の所、難なく二時間で上がり、十一時には小屋に帰って来た。ゴーリキいしばし出発の後、ヘリが一機奥穂方面に飛んで、一人が堕ちたと言う情報が山小屋に届いた。
どんなベテランでも堕ちる時は堕ちる。ましてや北アルプスは初心者、もしもの時の事を考えて頭に思いがめぐった。堕ちた本人意識があるのかないのか、小屋番に聞いても埒が明かない。わからない。
数時間後それは杞憂に終わったが、心配した。そして昼近く、それぞれの思いを胸に山を後にした。

 山行きを終えて現在、西村御大は仲間達と精力的に駅前に立ち、ビラを配り挨拶している様子。そのエネルギーはすごい。これを書く間迄に時事通信すでに三、四信。

これからも、合間を縫って「山で酒」に同道したいと思った。また行こな、眞悟さん。





















2011年07月31日(日) 遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 1/2



 先週金曜日午後京都に帰って翌土曜夕、山ぼけ酒ぼけのまま河内国民文化研究会主催の尖閣ビデオをユーチュウブに公開した「何かのためにsengoku38の告白」の著者、一色正春元海上保安官、西村眞悟(前衆議院議員、現たちあがれ日本。)の両氏講演を聞いた後の懇親会、さらに場所を変へ、もう馴染みとなってしまった八尾にある日本一(にっぽんいち)のたこ焼き屋「たこ八」で昨日迄信州に共にいた西村さん夫婦、一色さん、小林よしのり女系天皇論完全破綻を宣言した「皇統は万世一系である」の著者谷田川惣(やたがわおさむ)さん、研究会主宰三宅博(前八尾市会議員・現たちあがれ日本)さん他が集い腹一杯たこ焼きビール焼酎を飲みかつ喋りし後、偶然にも一色、谷田川さん両人とも京都に住んでいたため、谷田川さんの車で家の近く迄送ってもらった(谷田川さんは酒が飲めない。念のため)。

 帰りの車の中は憂国の士の集まりらしく話が絶えなかった。ここでは書けないかなり過激な話もした。二昔前なら、当然出て来るような話題だが、書かない。ちょっと山の疲れをひきずりながら帰宅したら、家人が西村さんがもう時事通信で山中記書いていて読んだところだという。ほとんど帰ったその日に書いたのではないか。そのエネルギーにあらためてびっくりしてしまった。
ちなみに土産にもらったまだ温かいたこ焼き、ちょっと目を離した隙に全部平らげられてしまった。

 山行き等の話を書く場合は、少しおいて「何か」が頭の中でまとまる迄、時間がかかるたん譚には真似が出来ない。一週間位して書こうかと思っていたけれど触発されてすぐ書く事にした。 続く。


→遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 2/2



西村眞悟時事通信→涸沢の山中にて



→2002年の今日のたん譚









2011年07月06日(水) 福島南相馬市他、子供の体内放射能検査結果
−1−



 六月の始め頃、高田先生とメールでやり取りした時に、この後、南相馬市を始めとして調査しにいく予定ですと書いてあった。七月に入って結果報告がビデオ映像でホームページに発表されたので、転載します。

 2011年6月18-20日福島県南相馬市などでの放射線衛生調査を、高田(札幌医科大学教授専門放射線防護学)博士が子供達の健康調査。結果発表と講演のビデオ。




クリック→高田純博士のページ


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2011年07月02日(土) 大理石の呪縛



 いい歳になる迄、大理石はとても堅いものだと思っていた。イタリアバロック期の彫刻家(建築家でもあった)、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、通称ベルニーニの大理石の扱いについての言葉に、「わしは大理石をロウのように扱へたが、古代人の彫刻家達が出来んかったのはわしが天才やからや、それ位大理石の扱いは難しいんやぞ」とか何とか物の本に書かれていて、その呪縛にずっと囚われていた。絵画のカラバジオと並んでその彫刻にびっくり仰天したバロックの巨匠が遺した言葉だから頭から完全に信じ込んで、ん十年…。その呪縛が解けた。

ベルニーニ 「聖テレサの法悦」
コルナーロ礼拝堂















 きっかけは、破産したのか税金を滞納したのかどうか、その経緯は不明だが、裏に「差し押さえ物件」とラベルが貼られた、直径120cm 厚みが2.5センチの馬鹿でっかい大理石の丸テーブル天板を手に入れたことからだった。
送られて来て、その重さはもとより、猫の額程の庭(以後、猫額庭)に置いてみるとあまりに存在感が有り過ぎて庭が埋まってしまう感じがし、猫額庭にはまったく不釣り合いな代物だった。これが置かれていた場所は一体どういう屋敷だったのかと思いを巡らしつつ、困ってしまった。

 思案した末、円の中心を出してふた回り小さい丸テーブルにする事にした。直径80センチなら、猫額庭にうまく調和する。で、大理石切専用のダイアモンド丸刃を手に入れグラインダーで切る事にした。
生まれてこの方、石を切ることなど考えた事も無いし、ベルニーニが、一つの大理石の固まりから上の作品を彫り出すことが出来るのは天才だからで、そこ迄行かなくてもぶきっちょな工作音痴には自分で石を加工してどうにかしようという事等思いもしなかった。

 もともと、運賃だけで手に入れたようなテーブル板だ、どうなってもええかと腹を決め凄まじい切断音のもと切り始めた。
庭中ものすごい切り粉が飛び散り、顔はアフリカのぴょんぴょん飛ぶマサイの戦士のようになり、髪の毛は今有る白髪の十倍くらいの真っ白に染まり、辺りは初夏なのに銀世界になった。
が、なんと!簡単に切れる!!

 生まれて初めて石を切った。大小の大理石片が足下に転がった。
切り落とした大理石片を見ていると、その断面は白い粉砂糖の固まりのように見え、決して固そうな感じはしない。じっと見ていると何だか手刀で割れそうな気がしてきた。

 昔取った杵柄、一般の空手大会用瓦なら十枚位、K会館仕様の瓦(他流派の使用する試し割り瓦はアーチを描いているが、K会館のは座布団状で二倍の厚みが有る)なら四、五枚位は割った。
  そこで右手の甲を下にして置き(左利きのため)、適当な長さの大理石片の端を右手掌に置きかるく握り、もう片端は他の大理石の上において、一撃を軽く加えてみた。割れなかったがいけそうな感じがしたので、今度はかなりの速度をつけて、石に当てる瞬間に、右手で地に着いている方の片を少し浮かせてそれが落ちるのと同時に突き抜く感じで叩いてみたら、カチンと言う音とともに簡単に割れた。
割れなかった時は手はかなり痛いが、割れると力が突き抜けるので全然痛くない。
「え?」と言う感じだった。あまりにもあっけなく割れた。

 大理石は本当は脆く柔らかいのではないかと思い硬度を調べたら、柔らかさとしては、砂岩の次に柔らかい。これは本当に意外だった。一番堅いのは花崗岩次に安山岩、そして大理石砂岩と続く。
これまで勝手に大理石はとても堅いと心から信じ込んでいた。
叩いて壊れ易いと言う事と硬度とは違うらしいが、思い当たる節はあった。
 スペインに滞在していた頃の、中程度の下宿の階段は横二・五メートルくらいの大理石で出来ていて、真ん中辺りは角が取れて極端にすり減っていた。今から思えば柔らかいからそうなったと得心がいった。

 そうか、天才ベルニーニのはったりはさておいても過去それに続く彫刻家達は柔らかいからこそ、精緻で優雅な指の動きや顔の表情を鑿一本で彫りだせたのだ。
 脳は見たくないもの、興味の無いもの、固定観念を持ってしまったものについて壁を作るといったのは養老孟司言うところの馬鹿の壁だが、今回、この経験で大理石は堅くない事がわかった。
 となると、ある興味が湧いた。現代美術彫刻家がこの柔軟性を逆手に取って何か作品を作っているのではないかと思い、ネットで大理石彫刻を調べた。現代彫刻家は扱いにくい大理石等使わないと勝手に思っていたが、イタリアのトリノで制作している彫刻家がいた!

以下のFabio Vialeの大理石彫刻、面白い。一見、発泡スチロールで出来た髑髏
(下写真)、巨大なタイヤ、巨大な紙飛行機、イタリアの国旗、水に浮かぶ一見折り紙の船、他。これら全て白や黒の大理石で出来ている。





大理石彫刻の驚くべき作品→Fabio Viale

の頁に飛んで、上段のworks をクリックすると一連の作品が見られる。


大理石は脆く柔らかかった!











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