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2010年07月06日(火) 旅の終りの、とある一日



 フランスを表面をなでるように旅し去って行く旅行者には何の問題も無い。ただ個人旅行で動こうものならまず予定通りには行かない事、1990年頃と2010年の現在まったく変わらない。
 今はどうだか知らないが、最速を誇ったフランスTGV(新幹線)、日本の新幹線と同じように考えてはいけない。今回も前回も前々回も15・6年に渡って、一度として正確に来たためしがない。それも5分とか10分とかの遅れではない、何十分の遅れなんである。そのたびに、ホームが変わったりするので、耳をそばだてていないと乗り損なう事になる。
 今回は、予定が狂ってドイツの友人宅訪問が中止になり、その分、南仏滞在を延ばしたため、ドイツパリ行き往復切符をキャンセル(安売り券だったので払い戻し無しで数万円が露と消える)し、新幹線のパリ行き切符の日時を駅で変更してもらった。

 当然二人で動いているので、日本の駅だと、予約変更も続き番号でやってくれるのは当たり前でまかせておいても心配無しだ。ところがこっちの駅員はどっこい勝手にテキトーに席を決めてしまうのである。
一昔前、フランス新幹線は全席指定、立って乗ると罰金を食らっていたが、今は昔。
パリに向かう新幹線に乗り込んでみると予約していた筈の席が埋まっている。おかしいと思って訊ねてみると果たして我々の席だった。

ところがである、一人のフランス人女からクレームが来た。曰く、「私の席よ!あんたの座っている席。」「そんな事はありませんよ。予約でちゃんと取ってあるんだから」と、切符を見ると、相棒の席は予約番号があり、こっちの切符には、なんと!どこでも勝手に座れと言う意味の事を書いてある切符だった。
少しもめたので、周囲の客の注目を集めてしまい、完全に形勢不利。で、セ・ラ・フランス(これがフランスや!)と皮肉を込めて言ったらちょっと客達に受けた。で、終着のリヨン駅に着くまで数時間、外の二階に繋がる階段で過ごした。

で、一件落着ならそれはそれで目出たい。が、そうはいかんぞ。パリのリヨン駅は南フランス方面からの最終駅でそこからは、日本の主要駅みたいに各地方には発着しない作りになっている。戦争になって敵がせめて来た時に一挙に制圧されないようにしての事かもしれない。
ドイツに行きたかったらそこ行き専用の駅に他の交通手段で向かわなければならない。当然重い沢山の荷物、タクシーしかない。

 新幹線から多くの客が降りたすぐはタクシー乗り場は当然混む、と言う予測のもと、構内のカフェで少し時間を置き、乗り場に向かったら少しはましだろうと思うのは日本人だけで、前より行列は増えている。ちょっと数えても百人は越えて列んでいる。来ているタクシーは多くて五台前後!
天下のパリーのリヨン駅でっせ!これは十年前も同じ。
 さて、観光地京都、駅前に何台タクシーが常駐していると思う?常に五十台はいる。
五十人の行列が出来たとして、あっという間にいなくなる。

 で、不思議なのは、三台来ては乗せて去り、五台来ては乗せて去り、全く来ない空白の時間も度々で、大体稼ごうという意欲が感じられない。。
パリーでっせ!リヨン駅でっせ!タクシー一台もいない空白のある駅。想像出来まっか?
 
 その間に、係の人間が、子供連れ、老人をごぼう抜きにして乗せる(別に専用乗り場を作れば良いと思うがそうはしないようだ)から運転手も訳が分からなくなり、大げんかを始める。一歩も引かない。後に続く客が五万といるのだから、妥協すれば良いのに、乗せる乗せないでずっともめている。一端乗せた旅行鞄を引きずり下ろしたり、また運転手が乗せたりを繰り返している。
 一方、駅正面出口タクシー乗り場横にあるカフェで不審な男、何事かでもめ始める、自動小銃を持った警察官数人が取り囲む、もめたあげく逃げ出す男にタックル。その後同じパターンで、今度は女がもめていてやはりダッシュで逃げたところ追っかけられタックルされて御用。素手を撃ち殺す訳にも行かないので、渾身のタックルをしたが、その若い警察官、思い切りアスファルトに腰を打ち付けた。
 そのしばらく後、ジャンキーの男が、うろうろし補導される。実に待っている二時間近くの間にこれだけの事件が起こった。待っている客はもううんざりしていた。

 で、歩けば二三十分、車ならすぐに着くホテルに着いたのが八時過ぎ、駅に午後五時近くに到着してから実に三時間近く経っていた。
これを国民性と見るか、ただ時間にルーズだと見るか、現地に住む日本人はすでにあきらめて八百年経っている。
で、おまけ。
 猫の命がかかっているので、フランスではウィッヒー、日米などではワイファイ(wifi)環境の整った、日本人に人気があると言う瀟酒な小さいホテル(といっても五階建て)をネットで探して、へとへとになってついた。ところがである!レッドショッセ(フランスでは一階をこう呼ぶ)にエレベータもフロントも無い。両肩が着きそうな急激な階段が一階(フランスでは二階が一階で三階が二階で四階が三階 何のためにこういう事になっているのか意味未だに不明)まで続く。
重い荷物を引きづり上げた途中になんと休憩用なのか何なのか、途中休止しろとばかりのソファが窓辺にしつらえてあって、それなしではフロントにはとてもたどり着けなかった。
悪口ばかりでは何なので良い点を言う。純フランス関連で、ここだけはウィッヒーが難なくつながった。
日本の新聞、ほんまもんの政治家西村眞悟の時事通信、チャンネル桜の報道番組は快適に読め、見られた。最初と最後の日にである。

 結局猫の自動給餌器は、映像から自動給餌されていないようだったので、動物園に勤める友人の娘さんに来てもらって、双方向で話して世話してもらった。部屋のどこからともなく、フランスからの声が聞こえ、部屋で普通に喋る京都からの声が、マイクに向かってもいないのにフランスに届く事に、「未来を感じた」という感想だったが、現在です。
フランス滞在記は、「ジットでじっと」に書くつもりにしている。ともかく無事に帰国。


→2002年の今日のたん譚












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