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2007年09月11日(火)
そんなにいやなら燃やしてしまえ!
少し前の新聞に、画家、* 小磯良平の遺作を展示している神戸市立小磯記念美術館で「戦争画 何もならない」と題した記事があった。 小磯良平の繪を初めて見たのは、二十年くらい前、京都の朝日会館での企画展だった。 芸大の音楽学部の学生達の風景を描いたものだった。 繪を見る時には、一切の前口上、提灯記事など読まない聞かない事にして臨むことにしている。 其の時の第一印象は、国籍不明の人相をした日本人がそこに描かれていた。解りやすく言えば少女漫画に登場する主人公達のようなおよそ日本人とは思えない顏相で、それは小気味よく「うまく」描かれていた、ということだった。昭和のニューアカデミズム出現と言う風情を持っていた。 それ以上の興味はなく、一昨年だったか、長年学校の美術の先生をしていた知人が、小磯良平賞の大賞をとったと知らせて来て以来の事だった。 その小磯良平の書簡が見つかり、今月十五日に同美術館で公開するのだそうである。それは結構な事だが、どうしていろいろな後解釈をつけ、何かを匂わせて記事にするのか。 新聞には、手紙には「戦争画」のあり方を厳しく批判し苦悩する心境が記されていたとあり、まだ読んでいないので解らないが、あり方とは何なのかよくわからない。戦争の事か、それとも自分が描きたくない主題だったからなのか、それなら言うが、写真なら良いのか。 共に、戦時においての戦意高揚に使われた。それだけである。良いも悪いもない。 人は、そのとき持てるあらゆる最善の手段を使う。 その時に、優れた写真家画家を使う。当たり前の事だ。 「戦争画 何もならない」、そうだそうだと付和雷同する繪描き、鑑賞者に限って、ルーブル美術館で感動したりする。(あそこに有る殆どは、思想上の独裁者?の子キリストとその取り巻きの物語、貴族の肖像、後は小磯良平が何もならないと言って憚らない、「戦争画」なんである。) 何もならないのに、戦争を描いた画布を木枠から外し巻いて 残してあるのはなぜか。そんなに嫌な繪なら燃やしてしまえばいいものを、未練がましく残しておくのは、捨てられない何かがあったからだろう。 小磯良平は売れた繪描きである。新制作と言う団体を作った一人でもある。趣味で描いているうちは何の問題も無いが、いったん商売になる(画商とからむ)と、その全てが売買の対象になる。本人が嫌でも何でも、その「戦争画」は現実に残り、それを残された家族はいろいろな細事に巻き込まれる。 繪描きは繪を描くのであって、芸術家でも、何か意味深なものを持って描いているのでもない。繪を描いているのだ。もし何かを訴えたければ、文章の方がより手段としては有効である。評論家などは繪描きに対して、そこに何かがあるような事を書く(これを絵解きという)が、なに、描かれている繪に百万言費やしても、何が描かれているか正確にはついに書けない。 だから、売れた繪描きを何か特別な存在のごときに扱わない方が良い。昔、宮廷付き、今画商付きなだけである。(趣味で描かれているお方は高尚な芸術、試み可 好きなようにやってくれ)* 小磯良平(明治36年〜昭和63年)戦時、陸軍の委嘱で上海、ビルマなどに四度従軍、「娘子関を征く」「ビルマ独立式典図」などを描く。これはなぜか画集にも載せていない。展示も無しの摩訶不思議
笑えない笑い話 中国のお百姓が、最後の金で種を買って畑に蒔き、収穫を待った。ところが、待てど暮らせど芽が出ない。不審に思って掘り返してみると種はそのまま、割って見ると、種そっくりの形をし、墨で黒く塗ったまっ赤な偽物であった。 お百姓は慨嘆し、一家で農薬を呷り飲んで自殺を図った。ところが、死ねない。死ねないはずだ、この農薬も真っ赤な偽物であった。一家は不幸中の幸いだと気を取り直し再出発をする決心をして、宴を開いて酒を酌み交わした。ところがこの酒も真っ赤な偽物で、メチルアルコールであった。 百姓一家は全員死んでしまった…。 こういう話は掃いて捨てるほど有る。 日本の料理店などで使われている、80パーセント以上の割り箸が中国製で、水不足のせいだろう劇薬で漂白した後、水で洗わない。だから金魚鉢に箸を一週間入れておくと水が真っ黒になり金魚は死ぬ。日本製の割り箸は死なない。日本にいる中国出身の人、台湾人、は決して日本で割り箸を使わないという。 これを聞いて、あ、そうだったかと思い当たる事があった。 少し前に、大阪で開かれた、日台 友好 (09/26 訂正→日台交流)協会主催の集会に行ったおり、会員の方からパーティに招待され、一週間後、指定された寺に出かけて行った。パーティは全くの無料で生臭もの無しの、* 台湾素食バイキングで、見事な?偽物であった。 市井で、豆腐を加工したものを肉と偽って売ると立派な詐欺になるが、ここは寺で精進を是とする。それは食にも及ぶ。だから問題の無い偽物である。 このパイキング形式の料理がずらっと並べられたテーブルに、ひときわ大きな笊籬(いかき)にてんこ盛りされた、不思議なものが目にはいった。金色の長さ12・3センチ幅1センチ厚み6ミリくらいのプラスチックのケースで、手に取ってみると、片方がキャップになっていて、スボンと抜ける。 中から出て来たのは、二本の細身のステンレス様の棒。この棒は、折りたたみ?釣り竿のように片方がスボッと抜けて、またより細い棒が出てくる。これを逆さにして、今収納されていた穴に入れるとなんと箸に早変わり! 其の時は、割り箸を使えばいいのに、何でこんな手間な、お金のかかることするのか、在日台湾人はお金持ちなんだなとぼんやり思っていたが、とんでもなかった。 すでに彼らは、自己防衛をしていて、日本で出回っている割り箸(中国製)は絶対使わない、危ないと知っていた。 知らぬは日本人パカりなり。 最近ようやっとマスコミが報道し始めたが、在日本の良識ある中国人は、10年くらい前から警告しているがマスコミは取り上げないと言っていた。* 台湾素食(たいわんそしょく、タイワンスーシー)素食とは中国語で菜食の意味で「質素な料理」ではない。素食には肉や魚を使わず、動物由来の油、卵、乳製品も一切使わないのが一般的で、肉の味がしても、肉は使ってない。豆腐などで、そっくりに作ってある。出汁にも肉や魚介類を一切使っていない。昆布とシイタケは出汁だけでなく、食材としても好んで使われる。 →2002年の今日のたん譚 三流
先日、豊作の葡萄の半分が害虫にやられてがっかりしているところへ、庭に気配がしたので簾を開けてみたら、葡萄棚の上になにやら茶色い固まりがもそもそしている。こちらに背を向けてひたすらもそもそしている。距離は二メートル、固まりが振り返ってこっちを見た。まるまる肥った猿だった。 「うりぁー!」とこちらが威嚇したら、猫のように「シャー!」と牙をむいて威嚇し返してきた。 近くにあった棒きれで棚をたたくと、素早く塀の向こうに消えた。 猿はひたすら、熟れはじめの葡萄を食っていたようだ。猿が手を出していたあたりの葡萄を食べてみると、もう十分甘い。ナスや胡瓜など、もうそろそろ収穫という日の前日当たりに、必ず野生の獣類にやられる、熟す時期をよく知っていると、何かで読んだことがあり妙に納得してしまった。 その日の晩、食後の口直しに猿の食い止しを食べた。 産経新聞の連載に、日本アルプスに記者が取材し、霊峰の勇姿を載せている。断然山派なので嬉しく読んでいてしばし、顔が引きつった。ある意味、山は神さんのいる所と思っている。一人で山に入って夜テントでいる時などは独特の存在を意識する。 そういう場所に、ずかずかと外国人が大量に押し寄せることに言葉では言えないがとても抵抗がある。 外国人と言っても、特定アジア人と一部ではいわれている人々が、日本山岳の顔である上高地に押し寄せ、さらに一般の観光客は行かない上部の涸沢まで押し寄せている。その押し寄せかたの尋常でないことは、涸沢小屋や、ヒュッテの料理や飯までに、影響を与えているらしい事からもわかる。 彼の国の人たちが大人しくしていればいいが、彼の国からわずかな時間でいける対馬に見るように、ゴミは捨て放題、食堂に自分の食い物を持ち込む(山では許されるが) 大声で話すなどやりたい放題をしていることがある。 上高地へはここ何年か行っていないが、 いくら商売になるとは言へ、山小屋の晩飯にキムチやチゲが並ぶなんてなぁ。それに騒がしい涸沢は想像できない。 休山男としては暗鬱たる気持ちになってしまうのである。→2002年の今日のたん譚
だーれも大臣達靖國参拝行かないのか? この前の新聞に、安倍首相が、21日だかにインド訪問をする際に東京裁判で判事を務めた* ラダビノード・パール氏の長男と会談すると読んで、ああ、やっぱり安倍首相は近現代史に於いて、ある確信を持っている首相だなと嬉しかったが、ならば、以前のように当然今日の日も参拝はして当然だと思うが、どうなる事か。 三島由紀夫が書いていた。 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。 日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。 それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである」 この人達が我々で、自分の半径十メートル位の事しか考えられない我々は、国防や日本の行く先などは問題とせず、年金と大臣のスキャンダルで選挙に行く。大新聞は日本つぶしに精出し、中枢部には日本人の顔した外国人が巣くい、それを罰する法律も無い。 故山本夏彦じゃないけれど、女に選挙権はいらない、ついでに男にもいらないという箴言に深く同意する。 昔の貴族院みたいなのをつくって候補選挙民共々近現代史の最低の知識の試験、候補はどんなに他国が悪く言っても、はっきりと「日本」を擁護出来る事、犯罪を犯した息子を持つ母親のごとしの感覚を持ち、さらに一票投ずる権利がそれでも欲しいなら、金を払って持つことにすりゃいい。個人で試験されて、金を払ってまで一票投じたいなんて奇特な人そこらにはなかなかいないだろうから、必然投票人の質は高くなる。 我々口をききたくない人々は投票しぱなっしで、責を問われない。 責を問われないくらい気楽なものは無い。評論家と同じである。しかし評論家はやがてメディアからお呼びがかからなくなるのでやはり問われているのである。一人、有権者だけが問われない。 フランスに次いで、世界中で国民国家成立二番手が明治の日本である事は、フランスの思想家が書いている。 王や独裁者に替わって国民が運営する国であれば、当然みなで、国を外敵から守る義務が出てくる。みな平等に兵役につく。これが本来の徴兵制である。自分だけ手を汚さないで、兵を志願制にして、志願してきた組織を忌み嫌い、ついぞ報道しない見ないのが三島由紀夫の口もききたくない人達、我々である。 だからもうずいぶん前から、匙投げている。* ラダビノード・パール(インド人)… 東京裁判において当時唯一の国際法専門家 京都霊山護國神社内にある、パール博士顕彰碑(この写真部分が靖國神社にもある)
以下パール博士の言葉* 「日本は国際法に照らして無罪である」* 「大東亜戦争は日本は無罪である。欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。 田中正明著『パール博士の日本無罪論』(慧文社)* 「日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」 →2002年の今日のたん譚
「日本での工作は完了した。」もと北朝鮮の工作員だか向こうの幹部だかがそう公言して憚らないと聞いていた。 まさか、完了したは言い過ぎだろうと思っていたら、日本の公安調査庁の頂点の人物が、真面目な顔で北朝鮮擁護をぶっていたのに驚いた。人権派の弁護士の親玉も似たようなことを言っていた。 自衛隊二十数万の隊員のうち、中国製の嫁さんが100人を超すという。これを見たら、本当に日本への工作は完了したと言われてもしょうがない。 日本人は特殊な情報というものに対して無関心無節操な面がある。先の戦争の始まり、最中、終りすべての局面であった。これは今に始まった事ではないのだ。 大東亜戦争の始まった、特に米国との戦いでは、米国は日本の事をぜーんぶお見通しだった。この時、日本側の暗号パープル、津、はすでに完全に破られていた(税関吏に成り済ました諜報員や、大使館に泥棒に入ったFBIが解読コードを盗んだ)。にもかかわらず、真珠湾は壊滅的打撃を受ける。 なぜか。ハワイの米軍は先制攻撃を知らなかった。米本土が見殺しにしたのである。時の海軍大将キンメルには何も知らされてなかった。 アングロサクソンはこういう事はよくやるらしい。 英軍が独軍の暗号を破って、明日にも人口数万の英パーミンガムの東、コヴェントリー の町に爆撃があるという情報を持っていたが、暗号を破ったという事実を知られたくないとは言へ、コヴェントリー の住民を犠牲にした。(米国が広島長崎原爆投下の正当化に後何百万の日本人を助けるため落としたとの、へ理屈にも通ずる所がある) 真珠湾攻撃もこれと同じ人身御供である。前の将軍は先制攻撃をさせる事を聞いて、部下のことを思い反対して更迭され、その後に来たのが何も知らされていないキンメル大将だった。 情報を守るためにここまでやる。 そうして、罠を仕掛けて置いて網にかかるともう大義名分(米国は自分からは戦争をしないが仕掛けられたら話は別)は出来た。堂々と戦争に持ちこめる。してやったりである。 一方日本はどうか。わが帝國海軍は大将自ら禁じられている時間帯もかまわず無線で頻繁に交信し、それは全て米国に記録され泳がされ(海軍だけに…。)ていた。 撃墜王の坂井三郎が南洋に置いて戦う最後の一機の零戦(れいせん)も失い、横須賀に着いた時、町には音楽が流れ、ごく普通の世間の空気であった事に、今まで血みどろで戦ってきた現場とのあまりの相違に拍子抜けしている。 その国鉄横須賀線には戦時中にも関わらず、米国人が平然と乗っていた。「日本の情報を得るには、汽車に乗ると良い、乗っている将校クラスのがぺらぺら喋っている」ので簡単だと書いていた。 硫黄島のアメリカ版実録映画の中でも、捕まった捕虜があそことあそこに穴があると、一本の煙草でべらべら喋る(日本人として出兵していた朝鮮人は、日本国に「強制連行された」と、字幕だかナレーションだかが入っていた。当時日本人として誇りを持って戦地に臨んでいた朝鮮人がそんな事言う分けないのだが、ここにも情報の操作が入っている)。ちなみに最初に白旗揚げて出て行ったのは朝鮮人である。 今来ている映画、300(スリーハンドレッド)の中にも興味深いシーンがある。スパルタ三百とペルシャ百万の軍の戦いを描いたものだが、これを終始スパルタは日本、ペルシャはアメリカと置き換えて見ると面白い。 スパルタには七つの掟があり、その最初の一つに、 「戦えない子は谷底に捨てるべし」 とあり、今なら大変な事になるが、当時はそうしなけれは、自分たちが生き残る術は無かった。映画中のスパルタの悲劇は、捨て去るべき生まれながらの傴僂(せむし)の子が、親の情から掟を破り生き永らへ成人した事にある。 その子は人一倍、スパルタである事を誇りに思い、ペルシャとの戦いに志願するも、隊長に盾を頭上高く持ち上げてみよと言われ、身体的に出来ない事を悟る。冷徹に断られるや、この傴僂はペルシャに寝返るのである。 歴史に残る、このテルモピュライの戦いは、ルーブル美術館にある巨大な作品「ナポレオンの戴冠式(約、縦六メートル横十メートル)」を描いたダビッド(ジャック・ルイ・ダビデ)も描いている。 この戦いは、スパルタの選ばれた戦士300名の特攻である。主権維持の尊守とブライドを持ち、背水の陣の戦いを戦う兵は強い。 ペルシャ百万(映画では)と言えども、一度にかかってはこられない。(日本の武士の戦闘でも、一人によってたかっては戦えない。お互いの刀が邪魔になり、味方が負傷する。戦いは矢→槍→剣の順)海岸線にある、峡谷(幅が狭く、両側が切り立った崖からなる谷)を利用してそこで迎え撃つ。 バッタバッタと切り倒し、屍骸で波打ち際から、峡谷の入り口まで高さ十メートル位の壁を作ってしまう(映画デス)。 無敵とも思えた戦法も、先の傴僂が持っていた崖の抜け道の情報を、自分の安楽との引き換えにペルシャに渡してしまうことで、一歩も引かない覚悟のスパルタの戦士は玉砕してしまう。傴僂のたった一つの情報で、あっという間に形勢逆転してしまった。 「スパイのためのハンドブック」の著者、ウォルフガング・ロッツと言う人がいる。イスラエル建国時に、軍に入隊、* モサドにいた。後、エジプトで工作活動し、最後には夫婦共々捕まり、エジプト政府の釈放条件が、何とエジプト人捕虜五千人との交換であった。しかし、最後までイスラエルのスパイである事はばれなかったようだ。かくも情報は大事な物なのだ。 スパイ防止法は必要だ。* ヒューミント 「ヒューマン・インテリジェンス(human inteligence」の略語 『リーダーズ英和辞典第二版』(研究社)では「〔特に重要な事柄の〕情報」「諜報(機関)」「(秘密)情報部」の訳語* モサド(モサッド(מוסד)秘密諜報組織… 1972年9月5日早朝、オリンピック会場内のイスラエル選手村に、武装した黒い九月のメンバー8名が乱入し、イスラエル人選手とコーチの2名を殺害し、残りの9名を人質に取った。これの報復として モサドはテロリストを一人づつ暗殺して行く。この過程は、スピルバーグの映画「ミュンヘン」に詳しい。
今年は蝉が他所ではすでに鳴いているのに住んでいる界隈ではまだ聞いてなかった。が、ようやくここ一日二日前から裏の木で鳴き始めた。あまりに鳴かないので* 七年前に思いを馳せたが、当時大きな天変地異は無かったようなのにおかしいなぁと思っていた矢先、無事育って地上に生を得たようだ。そうすると庭のどこかに空蝉(蝉の抜け殻)があるはずなので探した。今年はブドウが豊作でたわわになっているそのブドウの葉の裏に見つけた。 葡萄はボルドー液(伝統的農薬)が間に合わず消毒しなかったために半分方害虫にやられた。ボルドー液は硫酸銅と石灰を混ぜてつくる。その硫酸銅を買いに行くのが面倒だと思っていた矢先、やられた。 風鈴の音と蝉の声あとは夕立で夏完了。 空蝉(うつせみ)の みをかへてける葡萄の下に(源爺?)* 蝉が地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)近くを過ごし地表に出て長くて一ヶ月を生きる。
2007年07月16日(月)
みたま祭りと祇園祭り
先日、東京に行くことがあったので、靖国神社のみたま祭りを見、明けて昇殿参拝をした。日頃視聴している、スカイパーフェクTVの、チャンネル桜のスタジオ見学も兼ねた。 みたま祭りで賑わう参道に並んだ露店を一つ一つ見てある事に気がついた。靖国神社の各露店のおじさんおばさんの顔がとてもいい顔なのである。この人達を* テキ屋(やくざとは一線を画す)というが、本当にいい顔なのだ。お化け屋敷の前で口上を言って客寄せしているおばさんの顔も普通の顔ではない。何とも言えないいい顔だ。これ一筋と言った佇まいだ。気風がいいと言う言葉、そのままお化け屋敷のおばちゃんにあてはまる。 ところが、京都の祇園祭で、室町に立ち並ぶ露天商の面々は、茶髪の兄ちゃんネェちゃんが多く、「ええ顔(任侠顔)」したおっちゃんは皆無と言っていい。全部ひきうけまっせの顔が無い。ちんぴら顔。 神社と町の祭りの性格の違いもあるが、見物も祇園祭はただのふらふら物見遊山、一方、靖国神社の人々を見ていると、多く拝殿まで歩き、それぞれのやり方でお参りして手を合わせている。↑ホテル4Fにもかかわらず、泊まった部屋には窓を 開けると坪庭が付いていて都心にも関わらず小鳥が来る。 次の日に昇殿参拝を家人と共にした。台風の影響か、かなりな雨だった事も幸いして、わりと少人数のかたまりで本殿に参る事が出来た。 ジーパンにTシャツ姿の若い夫婦と乳飲み子、戦争体験者だと思われる老夫婦、個人参拝の青年数人。 他十数人。先の子供を連れた夫婦の、昇殿参拝する心意気は買うが、やっぱり昇殿参拝の時は、手を清め、口を清めするのだから、Tシャツとジーパンならば、賽銭を投げ入れて参拝する拝殿にするべきだろう。 ここに祭られている人々は幸せだなと思う。ここを極端に嫌い、家の墓で弔うと言う人があるが、家で弔い続けようと思っても、その家が代々続くと言う保証は無い。途絶えればそれきりである。その思いを強くしたのは、今住んでいる近く哲学の小径の裏山に墓地がありそこに散歩した時の事。 そこには同志社大学の創始者新島襄の墓があるが、一般の人々も一緒に眠っている。クリスチャンの墓地だから日本の墓とは趣が違う。ここで驚いたことがあった。一部の墓に何か襷(たすき)がかかっている。 何だろうと思い近づいて絶句した。「某年某月までに当教会まで連絡無き場合、撤去します。」 この墓のご家族が何らかの理由で長い間放置、又は、家が途絶えてしまっていたら、だれも花を手向けてくれない、手を合わせてくれない。そうして、撤去!されてしまうと、生きた証はどこにもなくなる。 反対に、国に殉じてなくなられた英霊は、全国から絶える事無く、永代にわたって感謝されお祈りしに来てくれる。生きている間と死んでいる間?は比べてみるまでもなく、死んでいる間が長い。この間、ずっと感謝されるのである。 病院で病気でのたうって死ぬのと、非情な決断のもと、負けはしたけれど人のため国のためにと死んでいった生き方とを思うと、どちらにより生の輝きがあったか。 一昨年は蝉時雨の中、大勢の志を同じうする人々に混じって参拝したが、今回は、家族で個人的に参拝した。一度は日本人としてしておかなければならないと思ったからだった。 午後から、渋谷のチャンネル桜のスタジオに伺い、報道番組(チャンネル桜 SO -TV でも見られる)のスタジオなどを見学した。思いのほか、小さく狭いのだが、討論番組などを画面を通してみる限り、とても広く見えるのは、スタッフの腕だろう。終始笑いに包まれて、一時間ほどお邪魔して夕刻台風の影響下、京都に帰ってきた。 * テキ屋(的屋)…昔(室町時代を起源とするらしい)はやくざと同根だったようだが、分かりやすく言うと、やくざは博徒(ばくと・賭博をもって業となす者)、テキ屋は街商(がいしょう)、大道商人(だいどうしょうにん)、香具師(やし)とも呼ばれる。
幾度目かのパスポートの期限切れで、京都駅ビルにある旅券事務所に行った。これは本人が行かなければならない。手間である。 しばらく待たされた後、呼び出され窓口に行き係の人と一対一で書類を確かめる。名前から始まり事細かくチェックしていく。担当のお姉さんは、ぶつぶつ何事かいいながら指でいちいち項目をなぞりながら、確かめている(後から思えばふりだけしていた)。 そうだろう、外国で唯一身元を保証するものだから慎重に慎重を期すのは当然の事でこちらはじっと待つ。一週間前後で、出来ました葉書で知らせるから、葉書とともにまた本人が取りにこいと言われて無事終了。 何日か後の日曜の朝電話がある。 最近電話がかかってくる事はほとんどない。大抵E-mailである。携帯電話は持った事が無いので、コンピュータでのやりとりということになる。これには感謝している。時を選ばずかかってくる電話には本当に往生していた。 一旦仕事や熱中する事(例えば読書)にかかったら電話がかかってきてもいっさい取らない、居留守を使う。一度これでばつの悪い思いをしたことがある。 制作中に電話がかかってきた。かなりしつこい。仕方なく出たら、「わだずは…、なんじゃらもんじゃら…、」日本語になってない。何だ、いたずら電話かと思って「どこにかけてんでぇ(とはいわなかったが)違うよ、」といって電話を切った。制作を中断されると流れが変わってしまい続けて出来ないので、茶を飲んでいたらまたかかってきた。出ると知り合いからで、さっきかけたという。 久しぶりにニューヨークから来た共通の友人、米国住まいの英国人にこちらをびっくりさせようと電話をさせたという。 ちょっと乱暴に切ったので、しらばっくれて「違う所にかけたんではないか」と言ったら履歴に残っているから間違いは無いと言われて冷や汗が出た事があった。 電子メールが来ると、コンピュータは声で到着を知らせてくれるが、好きなときにあければよい。こんな嬉しい事は無い。 時折見かけるが、高級なレストランにまで携帯を持ち込んでなんとテーブルの上において食事をする輩がいる。喫茶店でもみかける。携帯電話が確かに便利な事は実感として知っている。携帯の黎明期、雪舞う奥琵琶湖を友とドライブしていた時に、軽トラックの肩輪を路肩の溝につっこんで吹雪の中、途方に暮れている老夫婦に遭遇した。 この時、友人の持っていた携帯が役にたった。圏外ぎりぎりだったようだが、助けを呼べた。本当に便利だと思ったが、個人で持つという発想は出て来ず、車に標準搭載すればいいと思った。 非常の時などはそうそうあるものではないし、もし、そんな時に遭遇(人の生き死に)しても持っていなかった事への後悔はしない事にしている。 話を元に戻して、日曜の朝、電話がかかってきた。昼近くまで寝ているので迷惑千万だがその日なぜか出た。旅券事務所からであった。何事かと思ったら、名字が違うという。んな、阿呆な!と言ったら旧漢字がなんとかかんとかと言う。名字はご先祖から伝わっているものだから、新仮名遣いになったとしても、戸籍登録は当然昔のままである。ところが、国は新仮名遣いにあらため、旧(正)字を排した。漢字を制限した。教育でも教えない。 そうしておいて、旅券申請は旧字でせよといい募るのである。例えば、戸籍で廣田となっていて普段は広田さんで使っていても廣田と書けという。くさがんむりも、真ん中が離れているものがある。うちはこれで文句が来た。。 「ちがうってあんた、膝つきあわせてこの前、確かめたのはあなただよ。こちらは質問された事にちゃんと答えたよね。その時にそれを発見できなかったのなら職務怠慢ぢゃないか。それに今回、肝心な事は本人確認できればいいのであって、免許証の写しも提出したし写真もあるのだから、そんな事でいちいち電話してくるなよ。」といったら、それではこちらが訂正しておきますといって電話を切った。自分で何も考えられない。 馬鹿その二。 国際免許証取得のために行った免許試験場で。 国際免許証は一年しか有効期限がない。毎年外国にでかけると毎年試験場に足を運ばなければいけない。結構遠い。タクシーで数千円。 デジタルカメラの発達で高画質でコンビュータからプリント出来るようになったので、試験場で高い金払ってお尋ね者の犯人のように撮ってくれる写真よりはいいと、できるたけ男前に撮ってプリントして持っていった。その写真にクレームがついた。 係のお姉さん「コンビュータでプリントしましたか。」 たん譚「なんで?いけないの?」 係のお姉さん「そういう決まりです。」 そこで、 たん譚「この写真に写っている人誰にみえますか?」 係のお姉さん「あなたです。」 たん譚「この写真何のためのものですか?」 係のお姉さん「本人確認のためです。」 たん譚「じゃこの写真でいいですよね、外国で提出を命じられた時は、日本の免許証も同時に出すことになってます。だとしたら、二重にチェック出来るという事ですよね。もう一度聞きますけど、これは何のためのものですか。」 係のお姉さん「本人確認のためです。」 たん譚「だったらこの写真が何を使い、どこで撮られてようとかまいませんよね。本人とわかればいいんですから。 たとえ国際免許証に張ったこの写真がすり切れても、日本の免許証があるから大丈夫ですよね。」 係のお姉さん「…。」 納得いかなそうなので、コンビュータではありませんと言ったら納得した。 一時間後、国際免許証を受け取った時に、 「プリンターで印刷しました」と言ってやった。 馬鹿その三。 某インターネットバンク申し込みの際のクレーム。 某インターネットB「本人確認出来ません。」 たん譚「何で?」 某インターネットB「住所がネット上からの書き込みでは、 ぽこぺん市ぺこぽん17 としてますが、あなたが送ってきた免許証のコピーでは、住所が、 ぽこぺん市ぺこぽん町 17 となっていて、本人確認出来ません」ときた。 即入会を取りやめにした.こういう所は、何か問題が発生したとき面倒が必ず起きると予感したからである。→2002年の今日のたん譚 本末転倒
名越二荒之助と言う名前を初めて知ったのがいつだったのか覚えていないが、どう読むのかしばらく悩んだ事はおぼえている。ナコシニ・アラノスケか、コウノスケ? ナゴシ・ニアラノスケ? ナコシジ・コウノスケ? 正解は、ナゴシ・フタラノスケであった。最初の出会いは「日韓二000年の真実(現在は改題して日韓共鳴二千年史)」という分厚い本だった。もう十年くらい前になる。日本と韓国のあまりの文化の違いに興味を持って関係の本を読んでいて出会った。 その後、講演に一度二度でかけた折、お年にも関わらずぴんとした背筋、論、熱を帯びるや迸る活力に圧倒された。 この好々爺は評価がまっ二つに分かれる。 まづ、「日本は悪い事をした。この前の戦は侵略戦争でアジアの人々を苦しめた。」という思いを抱いている人に取っては、鼻持ちならん右翼の爺さんで、 その多くの著書の中の一部をつまみ読みしただけの人は、嘘をかいているインチキ爺さんといって蔑む。 他方、この爺さんの著書を多く読み、その講演なども聞き、チャンネル桜の近現代史の講座などを聞いている人々に取っては、「何を訴え続けているか」がよく分かる。もちろん偏狭な右翼などではない。 少し前、嫌韓流の本が評判を呼んだが、「日韓2000年の真実」を読んでいれば、一回り大きな視点で日韓をみられる。 毎日、画架に向かっている間はチャンネル桜の近現代史講座他を聞きながら描いている。本当につい先日まで元気に講座を開いて、不勉強な地方議員がゲストに来た時など、不満あらわだが番組の終りには必ずねぎらいの言葉をかけた。つい先日も出演していた。それが突然の訃報。お元気そうに見えたが、人は死ぬるのだ。御冥福を祈ります。 写真は、 去年の印度親善旅行の時、ガンジー財団が管理するガンジー埋葬の地ラージガードで献花後、ガンジー平和財団を訪問、ガンジーの住んでいた家の横で記念植樹が終わった後の一こま。 手には「大東亜戦争その後」の著書を携へて。ご本人は、チャンドラボーズが贔屓であった。 名越先生 「君は絵描きか」 たん譚 「はぁ」 名越先生 「藤田嗣治知ってるか」 たん譚 「はい、知っています。戦争画を描いたばっかりに、戦後悪者扱いされ、こんな阿呆な国に愛想が尽きたと、フランスに帰化して二度と日本の地を踏まなかったですね」 名越先生「君、藤田の戦争画見たか、素晴らしいよ」 藤田の絵が良く知られているのは、日本画的に描かれた女や猫の作品だろう。戦争画を知る人はまとまった展覧会を見た人は別として少ないと思う。 しかし知る人ぞ知る。これが傑作揃いなのだ。画面の下には皇紀何年と記されて、戦争の場面を的確に描写している。実に迫力がある。 ※※ 名画と言われる、ピカソの「ゲルニカ」を説明無しで戦争の悲惨を表現してると分かる人は少ないだろう。'85年、マドリッドのプラド美術館別館で見たが、先の知識を持ってしても、浅薄なたん譚は「 なんじゃらほい」とただ思っただけであった。この絵からは、ゲルニカの戦争の悲惨惨劇はどう見たって想起されない。 これを↓先入観無しに見たら,子供を連れた父親が、馬車に共々蹴飛ばされた事故現場に、間一髪助かった母親がぐったりとなった子を抱き上げて嘆き悲しんでいる、当たりは既に暗くなっており,御者は大変な事になったと天を仰ぐ。駆けつけた通行人がランプで当たりを照らしている…。交通事故現場 に見えるぞ。ゲルニカ
それに共産主義者のピカソが本当に戦争の悲惨(反戦)を描いたとは思えない。共産主義は武力革命を肯定している。すなわち絵に描いてある事どもは、武力革命の時には起こって当然の現象だからだ。※※ たん譚「戦争画を描いた画家の多くは実力者でした。戦いの場に実際に行ったりして描いている。部屋にいて写真を見ながら描いているのとはわけが違いますね。」 名越先生「で、どうですか。君、南方戦線の戦争画を描いて下さいよ。」 たん譚「え?戦争画ですか…。」 −小学校の頃は実に沢山の零戦紫電改隼飛燕他の戦闘機の絵を描いた。しばし多くの思い出があたまをよぎった。 絶句していると奈良市議が写真を取りましょうかと言ってくれ、戦争画の絵の話はそれきりとなった。そしてお話ししたそれが今生の別れとなった。→2003年の今日のたん譚 高貴
2007年03月31日(土)
なかった、沖縄の集団自決強制
「沖縄の集団自決」に関して民放のどのニュースを見ても真相は分からない。この事に関して「教科書記載七社全記載が変更…」て、後の一社はどうなんだ。報道しない。全部で教科書は八社ある 。(訂正;04/01 高校の日本史なので10種のうち七種) 沖縄の集団自決軍強制はありえない。この辺の詳しい事は、曾野綾子さんの著書や、今度スカイバーフェクTV の767chから、ハッピー241chの無料放送に移行した、チャンネル桜の詳しい検証放送を視聴したら、無かった事がよくわかる。 民放はサヨクもどきの洗脳ばぁさんやじいさんの意見ばかり取り上げて(人は嘘をつく)、なぜ教科書がそれを改めたかに着いて、客観的に取材をしようとしない。 「自殺した者は国の戦後年金保証対象外」の事情から、軍が強制した事にすれば、島民に年金保証が得られる事から、軍の責任者が、みんなが助かるのだったらと、そういうことにした事がわかってきた。これは住民の方達が明かした事である。民放はこの事をしってかしらずか報道している。 当時の住民に今のような反日的な日本人はいなかった、みんな一丸となって戦った。だから米国に捕まるくらいだったら自決するというのが島民自身当然持っていた意識だった。 軍は自殺を「軍人ではないのだから」となんと反対している。 詳しく真相を知りたいなら、チャンネル桜のアーカイブ で検索「沖縄」で有料(100円くらい)だが「桜沖縄スペシャル− 集団自決の真実!軍命令はなかった(1〜4)」で映像で見られる。かなり詳しくインタビュー形式で取材している。 納豆で放送免許取り上げるのどうのこうの言うんだったら、再三に及ぶ、真実を伝えない民放特にTBS、朝日NHkの偏向下請けおまかせにこそ、放送免許取り上げすべきだろう。 「従軍慰安婦」について、加瀬英明さんがニューズウィークに反論を掲載した。日本語版は来週発売なので読んでいないが、内容は手に取るようにわかる。占領軍が日本で起こした強姦暴行の件数(神奈川だけで一ヶ月だけで二百数十件 、*訂正4/6 二千九百件。占領期間七年間の間に三万件)を知り、他国の女を傷つけないために自前のプロの慰安婦を用意した日本の事情を知れば、米国他外国人にとって黙るしか無いだろう。自国の事を胸に手を当ててよーく考えてみよう。* 歪曲報道 高山正之 →2002年の今日のたん譚 「桜とお花見」