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2002年08月29日(木) 三流



 田原総一郎という司会者がいる。今は司会者で名を馳せているが、15.6年前には、当時オムニ(日本版)という科学雑誌に、企業内研究者の提灯記事を書いていた。何度か読みかけたが、提灯記事の性格を持つ上に、その文体がとても「下品」で読むに絶えなく、以後、再びテレビでは見るが、氏の書く文章は読んでいない。

 三流である。何が三流かというと、司会業なのに、自分の意見でもって、ゲスト達の言論を遮って何とも思わない事で、ニュースステーションの久米宏も同列である。イタチの最後ッぺで、ぽろりと稚拙な持論をいい、先までのニュースソースを茶にして、コマーシャルに行く。そうすると、見ている人にとって、その最後ッぺが、強烈な印象として残る。

司会者やアナウンサーは仕事中に、私見をいうな!

意見言うなら、自分がそう言う席にゲストとして、言論人として出た時に言え。
 今回も、サンデープロジェクトで、高市早苗議員へ難癖を付けて、靖国参拝する不特定多数の人々に対して、「靖国神社に行ったら、下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」とまで言った。

氏は一見、バランスをとった司会をしているようで実はそうではない。最初に結論ありで、自分の考えを全面に押し出して、裁判官のように言論人の意見を切って捨てる。
今回も
「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」と、事はそう簡単にどっちかなどといえない問題に、自分の持っている私見を中心に話を進めてしまうのである。あげくに見解の違う相手を罵倒してしまうのだ。

 満州事変(1931(昭和6))年について、最近少し偏向して日本に対する悪意の記事が多い、ニューヨークタイムスも当時、以下の記事を書いている。

「日本は満州事変に関して効果的な広報をまったく欠いている。日本の側にも数多くの点で正当な主張はある。国際的な条約で認められた満州での権益を中国側に侵害されたことを主張する権利がある。・・・だが日本は国際世論への配慮を怠り、激しい批判に対する自国の立場の説明や、正当化をしないままに終わっている。
国際連盟理事会での日中代表による公開討論会においても語学力、表現力の決定的な差によって、すっかり親中反日の空気に覆われてしまった。「連盟はそれに影響されて、中国にあまりにも有利な見解を軽率すぎるほど早急に採用してしまった」」
 この時の首相、犬養毅の序文がついた河上清の「日本は発言する・日中危機の中で」と題する本が米マクミラン社から緊急出版された。タイムリーな発言は、全米で評判になった。

満州事変周辺には、以上のような当時の状況があった。

 著者の序文では河上清は自分自身を「みずからの生まれた故国を深く愛しながらも海外に長く住んで欧米のものの見方を十分に理解している愛国心あふれる日本国民」と言っている。

単に、白か黒かではないのである。

ジャーナリスト。 24歳の時、当時の大新聞・萬(よろず)朝報に評論記事を 送った所、いきなり第一面の「論壇」に掲載され、その縁で内村鑑三、幸徳秋水、内藤湖南など、萬朝報のそうそうたる執筆 陣に混じって、健筆をふるうようになる。
       参考文献: 国際派日本人養成講座













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