2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会

■転勤でこの春ロンドンに引っ越したC君・ I 嬢夫妻が一時帰国したので、ご近所の会で集まる。お店は、C君が日本で三日と空けずに通っていた本郷のBECHA(べスナー)。ご近所の会は以前はメールでやりとりしていたのだけど、「日本とロンドンを近づけよう」と画像つき掲示板を借りて交流するようになり、時差も距離も感じさせないほど盛り上がっている。ロンドン在住の夫妻はもちろん、東京在住のメンバーとも数ヶ月ごぶさたしていたわたしにとっても、あまりブランクを感じずに済んだのは、ご近所掲示板のおかげ。掲示板で出た話題を、会って再確認。オフ会ってきっとこんな感じ!? 
BTT日英お酒■ロンドン土産のチーズを食べたり、今朝オーストラリア出張から戻ってきたK君のおみやげのワインを飲んだりしながら、話題は日本とロンドンを行ったり来たり。宴もたけなわとなったところで、取り出されたのは二本のウィスキーボトル。一本は日本で流通しているもの、もう一本はロンドンで買ってきたもの。グラスに注いでみると、色が違う。飲み比べてみると、味の違いも明らか。どちらも英国バージョンのほうが濃いのだが、好みは分かれた。「何が違うんだろう?」「何かが足されているのか?」「何かが足りないのか」と議論になる。■ダンナさんのC君の転勤が決まって、電撃入籍した二人は、11月に日本で披露宴の予定。今回の一時帰国で、ドレスから料理からお花からすべて決めてきたとか。かなりキツイ一週間だったそうだけど、ある意味効率的。あとはロンドンから遠隔準備するそう。新婚旅行は、披露宴ついでに日本国内をまわるのだとか。「このメンバーで行きたいなあ」と真顔で言うので、「さすがにそれは……」と一同。でも、入籍記念日にも下田へ旅行した仲なので、一泊ぐらいなら新婚旅行に便乗するのもありかもと話す。

2002年08月07日(水)  ティファニー


2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』

■シナリオを読んでいると、シンクロ二シティを感じることが多い。野沢尚さんの訃報を聞いたときは、読売テレビで放映されたドラマ『砦なき者』を読んでいた。原爆記念日の今朝、何気なく月刊シナリオのページを開くと、今夏公開の黒木和雄監督作品『父と暮らせば』(脚本:黒木和雄/池田眞也)があった。広島で被爆した父と娘の、原爆投下数年後の物語。原作は井上ひさしさんの戯曲で、今年は映画上映と舞台上演があり、新聞などでも度々取り上げられている作品。わたしは戯曲も舞台も未見なので、シナリオに最初に出会うことになった。映画脚本化にあたっては試行錯誤の後に原点の戯曲をなるべく生かす形に落ち着いたらしいが、映画にしてはシーン数がずいぶん少なく、登場人物も少なく(父と娘と後から広島入りした若い男性の学者。学者は映画化にあたって加わった)、その割りに台詞が長い。この台詞の力がとにかく強い。井上ひさしさんは何人もの原爆体験を読んで戯曲に凝縮されたそうだが、事実に裏打ちされた一言ひとことの重みや深みはただものではなく、突き刺さるように響いてくる。頭では書けない(思いつかない)台詞の連なり。最初は戯曲的過ぎる気もしたけれど、読んでいるうちに、この台詞がいちばん生きるよう計算された脚本なのだと思えてくる。7月31日より岩波ホール他で全国ロードショーのこと。■子どもの頃は毎年、親に連れられて原爆写真展を見に行った。千羽鶴の像のモデルになった佐々木禎子さんの物語など、原爆関係の本もよく読んだ。平和のありがたみを考える機会はずいぶん与えられたほうだと思う。そんなわたしでも、原爆記念日を経るごとに、記憶や危機感は薄れてしまってきている。原爆のことよりも考えなくてはいけないことが年々増えているせいもある。平和ボケのせいもあるかもしれない。だからこそ、8月6日と9日ぐらいは立ち止まって思いをめぐらせる時間を持つべきなのだ。偶然ページを開いた『父と暮らせば』はそんなメッセージだったのかもしれない。■原爆記念日になると、思い出す本がある。数年前、義父にすすめられた『絶後の記録』。原爆で失った妻への手紙という形で綴られた被爆体験の手記で、妻への思いにあふれた言葉があまりに優しく美しく恋文のようでもあり、原爆で引き裂かれた夫婦の悲恋が痛い。遺された夫である著者の小倉豊文氏は、被爆当時は広島市内の大学教師。原爆の正体を知らされないままに、悲しみに暮れる間もなく復興のために奔走し、その合間を縫って天国の妻にあてて地上の様子を書き綴っていた。1948年に出版され、海外でも版を重ね、1982年に中央公論社の文庫となり、今に読み継がれている。

2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド

■職場の広告代理店で英語を教えているDavidが手首に七色のゴムを何重にも巻いていた。"What's this?"と聞くと、"It's peacebands"と言い、"I'm anti-actioning to Bush's reaction"と付け足す。ブッシュ大統領の動きに反対する意思表示なのだそう。何本も巻いているのは、shareするためだそうで、わたしにも一本くれる。これから友人に会う、と言うと、もう一本くれた。色んな考え方があるのは楽しいことじゃないか。かたいこと言わないで柔軟に行こうよ。そんなメッセージが込められているのだろうか、七色のゴム。

2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN

■六本木のラフォーレミュージアムにて、MTV JAPANが『クリエイティブ進化論』と銘打ったクリエイティブ・カンファレンスを開催。MTVというからには未公開の映像や目からウロコの新戦略を見聞きできるのでは、と期待を膨らませ、同僚たちと連れ立って出かける。会場のホールは広告関係、音楽・映像関係、(タイアップ候補の)得意先関係と思われる人で埋まっていた。15分の休憩とMEYOU(「ミユ」と読ぶらしい)のヒップホップLIVEをはさんだ二部構成。前半は、2003年度マーケッター・オブ・ザ・イヤーに選ばれたsenior vice presidentのトッド・カニンガム氏が「MTVのブランド戦略」についてプレゼン。あっと驚く話はあまり聞けなかったが、「今の若者は成功することが当たり前と思われているので、そこからのエスケープ願望がある」というインサイト(洞察)は興味深かった。後半は、「最強のブランドとは」についてクリエイティブ戦略中心のプレゼン。プロモーションビデオのヒストリカルや世界各国でのCMは期待に応えて楽しませてくれたものの、肝心のブランディングについては、膝を打つタイミングがなかった。正論過ぎてハジケ足りない感じ。3月にアドフェストで聞いたプレゼンの内容がかなりエキサイティングで刺激的だったので、今回はそれ以上のニュースを期待しすぎたのかもしれない。個人的にはMTVの影響をかなり受けて育ったし、「音楽の似合う部屋」ということでお宅訪問取材を受けた縁もあるので、MTV JAPANにももっと伸びて欲しいしいのだが、一緒に行った同僚いわく、「日本は民放(の音楽番組)があるから、他の国よりも根付かせるのは難しそう」。携帯での新展開も企画しているようなので、今後にご注目。会社に戻る時間の都合で、笹本裕CEOからの「日本戦略」プレゼンを聞き終えたところで、パネルディスカッションとパーティーを残して退出。タオル、カップ、MEYOUのCDなどの詰まったおみやげ袋の中に、「music and more」パッケージに入ったm&mを見つけて、ヤッター! パッケージ写真はm&mギャラリーに加え、中身は胃袋に入れてパワー補給。

2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』


2004年07月28日(水)  日本料理 白金 箒庵(そうあん)

■白金のプラチナ通を歩くたびに、「こんなところに風流な趣の日本家屋が……」と気になっていた建物は、箒庵という名の日本料理屋だった。願いが聞き届けられたのか、今宵、このお店でご馳走になることに。店構えからも店員さんの物腰からも、しっとりした空気が漂う。食事は「お肉のコース」と「お寿司のコース」を半々頼んで、和気あいあいと分け合う。味付けは上品で、どれも「もう少し食べたい」量が供される。デザートの水まんじゅうまで、おいしゅうございました。お店を出てから、昼食にちょくちょく通っている乃木坂の和食屋『志門』の姉妹店だとわかって納得。ランチは5000円前後の様子。夜は自腹で行くにはかなり背伸びが必要なので、またご馳走の機会に恵まれますように。


2004年07月27日(火)  コメディエンヌ前原星良

■『パコダテ人』の名子役・前原星良(せら)ちゃんのママから「オーディションで青山に来てまーす」とメール。表参道で遅めのお昼を食べているところをキャッチして、ひさびさに前原母娘と再会。小学2年生になった星良ちゃん、印象は、はじめて会った幼稚園児の頃とそんなに変わってない。あいかわらずマイペースで甘えてきて、子猫がじゃれてくる感じに似ている。顔は犬(たぬき?)系だけど。所属事務所のピノキオプロモーションのブックでは3番手につけていて、オーディションにも引っ張りだこ。お座敷の数では負けないのだけど、「いつも最終のいいところまで行って落ちちゃうのよー」とママは悔しそう。でも星良ちゃん本人は「えへへ」とへらへらしていて、大物の予感。「写真撮ってあげるぅ」とママの携帯をこっちに向けてきたので、「かわいく撮ってね」と言うと、すかさず「かわいくなってね」とにこやかに返してきた星良ちゃん。バラエティも行けるんじゃないかなー。

2002年07月27日(土)  上野アトレ
2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月26日(月)  ヱスビー食品「カレー五人衆、名人達のカレー」

去年の5月、突然レトルトカレーの面白さに目覚めた(>>>2003年5月25日 レトルトカレーの底なし沼)。紙の箱の中にレトルトパウチの袋、その中にカレーというルールの中でそれぞれが個性とワザを競わせていて、それを見比べ、食べ比べるのは、なかなか味わい深い。グラム数や原材料のスペックを読み比べるのも、けっこうはまる。以来、新種や珍種を見つけては、手にとって楽しんでいる。最初はいまいまさこカフェの中に「レトルトカレー食べ比べ」のページを作ろうかと考えたのだけど、サイトで検索すると、何百種類も制覇しているツワモノが続々出てきて、恐れ入って退散。スパイスの微妙で絶妙な掛け合わせから生まれるカレーは、極めたくなる要素を秘めているのかもしれない。

カレー界の「通」と一目置かれる東京カリー番長のみずのじんすけさんは、会社の後輩の友人で、以前から噂を聞いていた。そのみずのさんが開発に携わったという「カレー五人衆、名人達のカレー」が7月12日に発売され、早速いただく。箱の中には欧風カレーとインドカリーがひと袋ずつ。別々に食べてもいいし、混ぜてもいいとのことで、両側から攻めて行き、最後は渾然一体となったところを味わう。混ぜたときに味の底力を感じる一品。「パク森カレー」をはじめ、ヱスビー食品のカレーは裏切らない。冷蔵庫の掃除がてら山芋、みょうが、大葉、オクラをたっぷりかけたら、これがよく合った。ちょっと、じねんじょカレー風。

みずのさんは『俺カレー』『東京カリー番長の神様カレーguide150』『東京カリ〜番長のザ★カレー』という本も出されていて、いずれも『ブレーン・ストーミング・ティーン』より売れている。ちなみに『東京カリー番長』は「5年前に結成された4人組の出張料理ユニットでリーダー、炊飯主任、調理主任、DJ主任がいまして、水野は去年までリーダー。現在は料理研究家としての活動に重きを置いているので調理主任になりました」と、こないだの七夕の日にめでたく彼の妻となった会社の後輩ミユキちゃん。彼女は出張スイーツユニットをやっているので、辛いものと甘いものの最強カップル誕生!となった。

他に最近食べたのは、「ナイルさんの野菜カレー」と「華麗なる食卓 バターチキン味」。ナイル〜は銀座の老舗、ナイルレストランで食べた味を思い出したので、再現度は高いと思う。華麗なる〜は同名の漫画とのタイアップ商品で、「華麗」と「カレー」のダジャレが楽しい。フルーツカレーに近い印象。

2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件
2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月23日(金)  ザ・ハリウッド大作『スパイダーマン2』

■昔はハリウッドの大作しか観なかったのに、98年の函館の映画祭で、これまで見向きもしなかった低予算邦画の面白さに目覚めてからは、ミニシアター系ばかり観ている気がする。話題沸騰の『スパイダーマン2』も最近のストライクゾーンからは外れているのだけど、仕事で手がけたCMのシネアドが今日まで上映ということで、同僚T嬢とともに駆け込む。美大で映画を専攻したT嬢は大の映画好きで、「スクリーンで観るからには、観た!って満足させてくれなきゃイヤ」と言う。そんな彼女はもちろん『1』も観ていて、『2』はこの夏の本命なのだった。■製作費は220億円とかで、オープニングタイトルからして凝っている、金がかかっている。そして、スパイダーマン登場。ビルの谷間を蜘蛛ターザン状態でびゅんびゅん抜けていく映像の気持ちいいこと。画面がしなっている感じ。スパイダーマンの動きもすごいけど、ドクター・オクトパス(自分の手足+人工頭脳アーム4本=8本足)の迫力もすごい。さらにスパイダーマンとドク・オクがビルの壁で、走行中の電車の上で繰り広げる対決シーンになると、口が開きっぱなし。何がCGで何が特撮だかわからないけど、こんな映像を作ってしまうことにただただ驚く。それでいてスリルだけかというと、ストーリーもしっかり作りこまれている。『1』を観ていないわたしにも、キャラクターの設定や相関関係はすごくわかりやすかったし、それぞれの人物に共感できるように丁寧に描かれていた。ヒロインのメリー・ジェーンはもう少し華があるほうがいい気もしたけど、彼女とピーターの会話は書き留めたくなる台詞がいっぱいあった。いい台詞は日本語に訳しても、光っている。脚本家チームが練りに練った言葉なのだろう。ひさびさにハリウッド映画を観た!という気分を味わって大満足。でも、何百億もかけた作品と同じ1800円で張り合わなきゃいけないと考えると、映画製作に関わる一人としてはフクザツ。予算のスケール=感動のスケールとならないためには、アイデアで勝負するしかないわけで……。■劇場は『風の絨毯』も上映していたAMCイクスピアリ16。シネコンに入るのもひさしぶり。座席はゆったり、しかも空いていて観やすい。向かいにセガフレードがあるのも魅力。会社の近くにあったら通いたいほど。次は明日から燃焼系ロードショーの世界初!ムエタイ・アクション超大作『マッハ!!!!!!!!』(!8つが正式名称のよう)が気になる作品。

2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ


2004年07月21日(水)  明珠唯在吾方寸(良寛)

■準備中のシナリオの取材のため、余語先生と会食。わたしが親しくおつきあいしている友人の最年長者で、つい先日まで昭和四年生まれと勘違いしていたのだが、一年早い昭和三年生まれとのこと。「慶応幼稚舎に入り直したときに落第しましてね」。小学一年生を二回やっているので同級生より一才年上なのだそう。知り合ったのは四年前だが、いつ会っても年の差を感じるどころか、「負けそう」と思うほどお元気で、食欲も知的好奇心もモリモリ、よくもまあと感心するほど何にでもアンテナを張り、新しいものや面白いものをつかまえては教えてくださる。■今日もA4サイズの手提げから「四次元ポケットか!?」というほど次々と本やチラシが飛び出し、「こういうのご存知ですか?」攻撃に遭う。数多い趣味のひとつとして「篆刻」をたしなまれる先生は、わたしのリクエストに応えて「雅」という手彫りの判子を制作中。当然、篆刻にもアンテナを張っていて、先日、銀座で通りがかった篆刻展が気に入って二度足を運び、作家の垣内光(かきうち・ひかり)さん(篆香会主宰のチャーミングな女性とのこと)ともお話ししてきたそう。作品集を買い求めてきたというので見せてもらうと、一文字一文字が絵画のようで、漢字が象形文字からはじまったことを思い出させてくれる。言葉の持つ意味と広がりを文字の顔つきで表現する技術に驚き、「篆刻って面白い!」と興奮。篆刻の出来栄えもすばらしいけれど、彫られている言葉がまたすばらしく、垣内さんがつけたと思われる訳とあいまって、「見る詩集」のような作品集になっていた。いやはや、まずいものをお見せしましたねえ。私の彫るものは、こんな風にはまいりませんから」と余語先生は苦笑しながら作品集を手提げにしまった。■作品集の中でわたしがいちばん気に入ったページが個展の案内状にもなっていた。「明珠唯在吾方寸」という良寛さん(1758〜1831)の言葉に、「明るく輝く珠は はじめから 私の心の中に あったのだ」と解釈が添えられている。「方寸」とは、調べてみると、一寸四方の空間を指し、転じて「心」を意味するのだそう。わたしが『ブレーン・ストーミング・ティーン』で伝えたいこと、「宝物は私の中にある」と同じだ。明珠唯在吾方寸。余語先生もその一人。

2002年07月21日(日)  関西土産
2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』

会社に転がっていた『VOW王国 ニッポンの誤植』がおかしくておかしくて、最近は息抜きにページを開いてはニヤニヤして同僚から気色悪がられている。『言いまつがい』も面白かったけど、誤植は職業柄身につまされるので、「あらーやっちゃったー!」という同情が加わって、切なくおかしい。ライヴ情報の「1ドリンク付」が「1ドングリ付」になっているのを見ると、なんで見落としちゃったんだろ、でもまさかDRINKが団栗に化けてるとは思わないよなー、と戒めとともに笑ってしまう。「1ドリンク付」には編集部からの「リスの饗宴?」という突込みが入っていたけど、同じくリスネタで選挙投票結果の「XX票」が「XX栗」になっていたのも笑った。写植は似た漢字同士が近くに並んでいるので、間違えやすい。わたしも「野村證券」が「野桃證券」になって世に出るところを、デザイナーが校正で見つけてくれて命拾いしたことがある。広告の世界がデータ入稿時代になり、豪快な写植間違いは減ってしまった。

今読んでいる『メディアの興亡』(杉山隆男著 文春文庫)は、「新聞社から活字が消え、コンピュータで新聞を作るようになるまで」のドキュメンタリー。メールはもちろんFAXもなかった昭和初期に新聞がどうやって作られていたか、その不自由や不便を解消するために新聞社とメーカーがどう動いたか、新聞社内部の諸事情や当時の政財界の裏事情とあわせて活写されていて興味は尽きない。事実は小説より奇なり。

ワープロやパソコンが普及した最近は、誤変換による誤植が多くなった。「森林地帯」と打ったら「新リンチ体」、「あの町この町 あの道この道」と打ったら「あの町子の町 あの道子の道」と変換されて、「やっぱり機械なんだなあ」と思ったりする。『ニッポンの誤植』にも「届ける」が「トド蹴る」、「ここ数年」が「ここ吸うねん」という誤変換が紹介されているが、人間が必死でボケて思いつくような変換候補を真っ先に出してくるのは、機械らしい。誤変換ボケには多少の和ませ効果もあるけれど、勝負をかける場面には持ち込まないよう注意したい。

コンクールに応募する人にアドバイスを求められると、「読んでから出す」ことをすすめている。たまにコンクール応募作品の下読みを頼まれるが、書きっぱなしで出したのが見え見えの作品が目立つ。誤字脱字が多すぎるのだ。「以上なし」、いや異常あるよ。「名詞交換」、名前は確かに名詞だけど。「金魚救い」、漢字にしなきゃいいのに。「コーヒーをすすぐ」、タイプミスなのか間違って覚えているのか。「おむつが自慢」、知的キャラが別人に! 登場人物の名前が途中から変わったり、「俺」が「僕」になったり、というミスも見落としがち。なるべく想像で補って修正しながら読んではみるものの、「理恵」と「真理子」が登場するサスペンスドラマで、真犯人の名前が「理恵子」となっては、フォローしようがない。ミスはブレーキになり、たびたび踏まれると、作品に入り込めない。とても損しているし、もったいないと思う。応募した人に教えたい衝動に駆られるけれど、連絡先は伏せてあるので、もどかしい。これからコンクールに応募する人、ケアレスミスで受賞のチャンスを遠ざけることのないよう、原稿を読み返すことをおすすめします。「声に出して読む」「他の人にも読んでもらう」と、誤字脱字発見率がアップ。わたしもこの日記でちょくちょく間違っているけど、自分で気づいたり、人に教えてもらったりして、ちょこちょこ直している。

昔の日記にほぼ同じことを書いてた。2年経っても、言うことってあんまり変わらないんだなあ。
2002年3月7日 誤植自慢大会

2000年07月18日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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