2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝

FM COCOLOという放送局があるのを知ったとき、なんてかわいい名前だろう!と思った。7年前、大阪に生まれたコミュニティFMだそうで、15か国語の番組があるインターナショナルFMでもある。その日曜日夕方に放送している『港のシネマ館』に出演してきた。パーソナリティーのいとう真弓さんが友人とんちゃんの妹まーちゃんの同級生という縁で、パコ追っかけの旅で帰省がてら作品の宣伝をさせてもらえることになったのだ。

スタジオは、南港のトレードセンター前という駅に直結したワールドトレードセンタービルの中にあるのだが、超方向音痴なので、約束の1時間前に着く余裕を持って向かったら、案の定迷った。駅からビルに着けない!汗だく、喉カラカラで到着した。いとうさんと初対面の挨拶もそこそこに、いきなり生出演。『真弓の部屋』というコーナーらしい。冒頭にパコダテ人の抜き素材をけっこう贅沢に流してくれる。ヘッドフォンから音声だけではじめて味わってみると、鳥の声に気づいたりして面白い。「この作品はどうやって思いついたんですか」「監督との出会いは?」「お父さん役は引越しのサカイの人ですよね」と、いとうさんが投げかけてくれた質問に夢中で答えているうちに、予定の15分を過ぎてしまった。聴いた人が一人でも興味を持ってくれたらいいのだけど。

パコダテ人追っかけにラジオ出演のオマケがつき、同級生との再会や、少し早い父の還暦祝いもでき、有意義な大阪滞在だった。「親孝行 やってもやっても 親くたばらん」と冗談を言いながら息子に肩もみしてもらっている元気なオバチャンを見たりすると、ああ大阪やなあと嬉しくなったし、東京にはないヘンテコな服たちも刺激的だった。時間がなくて、今回唯一の買い物は、450円のトートバッグ。安すぎる。

2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日

■『パコダテ人』大阪公開にかこつけて、ひさしぶりに帰省。新幹線に乗るのも、ひさしぶり。静岡と浜松の間、たんぼの真ん中に恐竜が2頭。「交通安全」の看板と共に立っている。いきなりで、おかしい。2時間ドラマの企画を考えているうちに寝てしまう。■新大阪から御堂筋線で難波へ。強烈なファッションの女の子3人、男の子3人が乗り込んでくる。女の子は白Tシャツのヘソ出し、デニムのミニ、網タイツ、白スニーカー、輪っかピアス、頭にはバンダナをねじり巻き。男の子はアメリカのNFLチームのユニフォームとキャップ、なぜかキャップの中に手ぬぐいみたいなのを挟んでて、アラビアン風。はじめて見るコーディネイトだったのでド肝を抜かれた。■迷い迷って千日前弥生座着。今日のあおいちゃんの服はキナリ(どんな字だっけ)のワンピース。裾に色とりどりのお花が咲いていて、かなりラブリー。「今まで見た中で、いちばん色あるねー」と言ってしまう。座席数が多いので満員とはいかなかったけど、「よう入ってるやん」と三木プロデューサーと読売テレビの新谷さん。■動物園前シネフェスタは満席。椅子を出しても座りきれず、立ち見の人も10名ほど。控え室に『風の絨毯』さくら役の柳生美結ちゃんがお母さん、お姉ちゃんと一緒に遊びにきていた。美結ちゃんはあおいちゃんの大ファンだそうで、舞台挨拶を見る目もキラキラ。次の映画のロケハンで大阪に来ている制作進行のタージンとも再会。1泊2100円のとこに泊まっているそう。■「御堂筋線は、あおいちゃんだらけ!」と聞いて、動物園前の駅へ。ベンチ広告は、緑水一色。アメリカ村に移動して、甲賀流のタコ焼きを食べ、美結ちゃんおすすめの『タコせん』にも初挑戦。アメ村はあいかわらず元気だった。■上映終了ぎりぎりにシネフェスタに戻り、岡山のTOMさん、テフロンさんに再会。友人たちと父親が出てきて、「おもろかったでー」と言ってくれる。御堂筋線終点のなかもず近くにあるCook Pitで終電ぎりぎりまで飲む。小学校の幼なじみ、中学校のクラスメート、高校の体操部仲間とバラバラの時代の友人たちだが、初対面とは思えない盛り上がりとなった。体操部で一緒だった美保が劇場で買ってきたポスターとパンフレットを店に置いてもらった。美保とお店に感謝。

2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月28日(金)  シンデレラが出会った魔女の靴

週末、『パコダテ人』追っかけの旅に出られることになったので、渋谷の大黒屋へ飛んで行き、新幹線のチケットを買う。「金曜日の西武は9時までやってる!」と思い出し、その足でLOFTへ行くと、TODD OLDHAMを発見。ここの服は好きなのに、表参道のビブレにあった大きいお店がなくなって(ビブレもなくなった)、どこで買えるんだろうと思ってたら、こんなとこにあった。黒いパフスリーブのシャツがセールになっていたので買う。裾が長めで、腰の辺りを紐で絞れるのがポイント。

続いて、靴を求めて、西武地下へ。フロア全体が靴売場になっていて、壮観。その中を「わたしに合う一足」を求めて、女性達が彷徨っている。ボヘミアンシンデレラ状態。20分近く歩き回って、かがんだり起き上がったりしていたら、頭がくらくらしてきて、アウシュビッツで見た光景を思い出してしまう。くじらの水槽のような大きなガラスケースに詰められた靴や義足のこと。革の匂いに酔ったのか、熱気にむせたのか。モノがたくさんありすぎて、怖くなったのか。

気を取り直し、「間もなく閉店いたします」のアナウンスにもひるまず、試し履きを繰り返す。ANNA SUIの淡いオレンジの地のバレエシューズに一目惚れ。甲の部分に赤い色鉛筆のタッチで女の子の顔のイラスト。でも、ちょっとキツい。他の靴も、なかなかサイズが合わない。サイズは小さいくせに幅が広い、困った足だ。閉店アナウンスに急かされ、人がどんどんいなくなる。

今日はここまでか、と思ったそのとき、目の前に真っ赤な靴があった。「魔女の靴!」が第一印象。足を滑らせてみると、吸いつくように、ぴったり。歩いてみると、軽い軽い。諦めずに探し回った甲斐があった。シンデレラではなく魔女を待っていた赤い靴、お買い上げ。


2002年06月27日(木)  泉北コミュニティ

■「泉北コミュニティに載った」といえば、わたしの地元、堺市の泉北ニュータウン界隈では、ちょっとしたニュースだった。今でもそうかもしれないが、とにかくパワーのある地域情報紙(無料)で、「うちの学校」やら「近所のおばちゃん」やら「行きつけの店」やら「知り合いの知り合い」やらがポコポコ出てくるので、目が離せないのである。そのコミュニティの6/27号に、東京に居ながら載ってしまった。もともとはわたしから「今度パコダテ人という映画が大阪公開されます。ぜひ取材してください」という売り込みメールを送ったのだが、何の反応もないまま数週間が過ぎた。ところが、高校の同窓会事務局にも売り込みのメールを送ったところ、同窓会のホームページ担当者がコミュニティの編集部の方だということがわかり、記事にできないかプッシュしてくださったらしい。掲載紙が送られてきた。高校を卒業してから泉北を離れているので、街の様子はずいぶん変わっている。ついていける話と入り込めない話。住人もずいぶん入れ代わっているのかもしれない。肝心のパコダテ人の記事の部分は、映画の宣伝というより、わたしの宣伝になってしまっているが、懐かしい人たちの目に触れて、連絡が来たら面白いなと思う。


2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)

チェーンメール大好きなアメリカの母からSnuggleという題のカードが画像で送られてきた。くまのぬいぐるみをだっこ(snuggle)しているニャンコの愛らしい写真とメッセージ。「あなたを気にかけている人からのギュッ!です。お友達に送って、あなたのことを気にかけているよって教えてあげましょう。もちろん、最初にギュッしてくれた人にも」という見出しは、いつも通りチェーンメールだけど、内容がかわいらしいのでご紹介。

snuggleやらhugやら、アメリカ人はギュッ!が好きだ。留学したとき、ほんとに一日中会う人ごとにhugするので、びっくりしたけど、この「ギュッ!」は一瞬で電撃的に"I care for you"を伝えてくれるし、言葉よりもずっと強くて確実なコミュニケーションだと思う。アメリカの母もたくさんhugしてくれたが、大阪の母にもたくさんだっこされた。その体温や鼓動の記憶は、体の一部にちゃんと残っていて、思い返すたび、自信や安らぎをくれる。Snuggleのメッセージに登場する単語たち(安らぎや笑顔や虹や…)は、Snuggleそのものが運んでくれるプレゼントと言えるかも。

「抱きしめる」という言葉が好きで、広告の仕事でも「幸せを抱きしめる香り」とか「奇跡を抱きしめる夜」とかコピーにもやたら使ってしまう。大切なものを、手でギュッとつかまえる、あの気持ちが好きなんだろな。

Snuggle ギュッ

"I wish for you..." 
どうかあなたに
Comfort on difficult days, 
うまく行かない日には慰めを
Smiles when sadness intrudes, 
悲しみに襲われた日には微笑みを
Rainbows to follow the clouds, 
曇り空の後には虹を
Laughter to kiss your lips, 
唇には笑い声の祝福を
Sunsets to warm your heart, 
心をあたためてくれる夕陽を
Gentle hugs when spirits sag, 
気持ちが沈んだときにはやさしい抱擁を
Friendships to brighten your being, 
あなたの存在を輝かせる友情を
Beauty for your eyes to see, 
目に映る美しいものを
Confidence for when you doubt, 
おぼつかなくなったときには自信を
Faith so that you can believe, 
信じられる誠実さを
Courage to know youeself, 
自分自身を知る勇気を
Patience to accept the truth, 
真実を受け入れる忍耐強さを
And love to complete your life. 
そして、人生を生き抜く愛を。

作者不詳 訳:今井雅子

2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月22日(土)  木村崇人「木もれ陽プロジェクト」

知人のキムキムこと木村崇人さんが「木もれ陽プロジェクト」なるものをやっていることは前々から聞いていた。木もれ陽。なんて見た目も響きもきれいな言葉なんだろう。木もれ日じゃなくて、木もれ陽。太陽の「陽」という字に弱い。よくよくこの言葉を観察すると「木もれ陽=木からもれた太陽」となるのだが、それが言い得て妙であることを今日知った。

6/13から30まで青山のスパイラルホールで開催されている「木もれ陽プロジェクト」。今日はそのワークショップが行われるとの案内を受け取り、むずかるダンナを引っ張って参加してきた。「みなさんは木もれ陽をまじまじと見たことがありますか。木もれ陽ってまるいんです。それは、葉っぱの重なりでできたピンホールを通して、太陽が投影されたものだから。つまり、太陽の形をしているんですね」と、手のひらでピンホールを作りながら説明するキムキム。だから、もし太陽が星形だったら、地面には星の形の木もれ陽がたくさんできることになるらしい。なんだ、知らなかったなあと感心していると、ダンナも目を輝かせて「これは使える!」。飲み屋の姉ちゃんでも口説く気だろうか。とにかく、「木もれ陽は宇宙からピンホールカメラを通して届いた光」であるという発見に、ワクワクした。この事実に気づいている人は少なくはないだろうけど、それを「アート」にしてしまったキムキムはすごい。彼は、「地球と遊ぶ」をテーマに活動している芸術家なのだ。木もれ陽を探す。木もれ陽をつかまえる。こんな風に太陽と遊ぶ方法があったとは。帰り道、ダンナはしきりに「良かった、良かった」を繰り返し、上機嫌だった。太陽と遊んで、少し人間がまるくなったのかも。

2000年06月22日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1998年06月22日(月)  カンヌ98 3日目 いざCMの嵐!


2002年06月21日(金)  JUDY AND MARY

■NHK-FMの番組『ミュージックスクエア』で、金曜にやっている「あの頃のチャート教えて」のコーナー(そんな名前じゃなかったと思うけれど)が好きだ。「わたしが高校を卒業した年の3月のチャート」「あの歌手のあの歌が1位になったときのチャート」といったリクエストに応えて、「あの頃はこんな歌が流行ってました」とベスト10をおさらいしてくれる。曲にまつわる懐かしい場面が思い浮かんだり、「あの曲とあの曲は同じ時期だったのかー」と感心したり、束の間のタイムトリップを楽しめる。(それにしても音楽と記憶の結びつきって、すごい!)。今夜のリクエストは「JUDY AND MARYの『そばかす』が流行っていたときのチャート」。『そばかす』は96年2月9日にトップ20入りし、3月1日に6位になっていた。■シナリオを書くときのBGMは、ずっとジュディマリだった。ワープロを打つリズムと合うし、気合いが入るのだ。『パコダテ人』をはじめたくさんの作品がジュディマリを聴いて生まれ、育った。とくにパコへの影響力は多大で、映画化が決まった当初は「みちる姉ちゃんはYUKIで、主題歌はジュディマリ!」を主張し、YUKIちゃんあてに思い入れたっぷりの手紙まで書いた。奇跡は起きなかったし、おかげで今のみちると主題歌に出会えたわけだけど、ジュディマリのパワーは作品に流れているかなと思っている。■先日「YUKIちゃんは、パコダテ人のことを知っているかもしらんで」と、物知りでマメな幼なじみの太郎君からテープが届いた。YUKIちゃんがパーソナリティーをやってる深夜番組の録音テープだった。パコダテ人の東京公開に前後して流れた放送で「宮崎あおい」についてと「ハセガワストアの焼き鳥弁当」について語っていた。どちらもパコのパの字も出してなかったけれど、もしかしたら、と想像するのは楽しい。

1998年06月21日(日)  カンヌ98 2日目 ニース→エズ→カンヌ広告祭エントリー


2002年06月16日(日)  一人暮らしをしていた町・鷺沼

鷺沼のスタジオでTVCF撮影の立ち合い。といってもコピーライターに期待されていることは特になく、「見たかったら見においでよ」という気楽なご身分。自宅から東急田園都市線の鷺沼駅までは、1時間と少し。

上京してから二年前まで、この町で暮らした。三軒茶屋や二子玉川では家賃が高すぎて、手に届く物件を求めて西へ西へと流れてきたら、鷺沼に着いた。高校卒業まで暮らした泉北ニュータウン(大阪・堺市)の『泉ヶ丘』駅に似ていた。それで「この町に住もう!」と決めた。アパートの隣の部屋の住人は、こともあろうか同じ会社の同じ部署の男性だった。その先輩が結婚を機に引っ越し、先輩の幼馴染みが新しい隣人になった。関西出身の楽しい兄ちゃんだったが、数年後、「結婚するんで広い家に引っ越しますわ」と言って、いなくなった。このまま何人見送ることになるのかと危ぶんだら、2人で止まった。8年も住んでいたので、いろんなことがあった。そんなことを思い出しながら、鷺沼駅からスタジオまでの道を歩いた。駅には新しい階段ができ、家の近くの角にあった豆腐料理の専門店は美容院になり、知らない店がぽつぽつとある。たった二年で町の顔はずいぶん変わっていた。

はじめてシナリオコンクールに出した作品『月のなる木』は、「昔住んでいた部屋に合鍵を使って入る」女の話だった。懐かしいアパートの前を通ったとき、たまたま不動産屋に返しそびれた鍵を持っていたとしたら……扉を開けてみたくなる衝動はわかる気がする。あいにく、わたしの手元に鍵はなく、見知らぬ誰かがが暮らす部屋に忍び込めたのは、想像力だけだった。

BANK #7 訳:いまいまさこ

And remember that time waits for no one.
Yesterday is history.
Tomorrow is a mystery.Today is a gift.
That's why it's called the present!!!

覚えておいてほしい
時間は誰も待ってくれないことを
昨日は歴史
明日は神秘
今日は贈りもの
だから「現在」は「プレゼント」という

2000年06月16日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2002年06月15日(土)  『アクアリウムの夜』収録

ラジオドラマ『アクアリウムの夜』収録が無事終わった。熱演に聴き入っていると楽しくて、あっという間に時間が過ぎた。四時間しか寝ていないので途中で眠くなったらどうしようと心配したが、船を漕ぐヒマはなかった。この作品も、たくさんの楽しい出会いを運んでくれた。「書くことはビジネスではなくハピネス」と心から言える今に感謝。こんな気持ちで書き続けられたら、いいな。

BANK #6 訳:いまいまさこ

Treasure every moment that you have!
And treasure it more
because you shared it with someone special,
special enough to spend your time.

あなたの一瞬一瞬を大切にしなさい。
特別な誰か、一緒に過ごすに値する
誰かと分かち合った時間は
とくに大切にしなさい。

2000年06月15日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2002年06月14日(金)  タクシー

■深夜帰宅のタクシーでは寝ない。寝ている間に誘拐されたら困る、というのは見栄で、いい眠りに落ちたところで起こされるのが辛いから。それに、タクシーの運転手ほど面白い人たちはいない。一日中いろんな種類の人間と密室にこもり、「ここだけの話し」がまる聞こえなんて職業は、なかなかない。わたしにとってタクシー帰宅は「動く千一夜物語」。今夜(といっても朝になっていたが)乗ったタクシーでも目をランランとさせておしゃべりしていると、「お客さん、眠くないんですか?」と不思議がられた。わけを説明し、今までに出会った忘れられない運転手さんの話をした。競輪の選手だったが交通事故に遭い、選手生命を断たれたものの「走り続けたい」と運転手になった人。書きかけの小説を話し出したら止まらなくなり、わたしの家の前に着いてからも30分話し続けた人(メーターは上げてくれた)。「あれも僕の設計したビルで…」と説明してくれた元一級建築士……。すると、「僕もです」と運転手さん。聞けば、事情があって、一級建築士をしながら夜だけタクシーを走らせているという。「建築科の同期の中で、僕だけ異色なんです」と言うので、「でも、いろんな人の声を間近で聞ける今の体験って、建物を設計するのに絶対生きてきますよ!」と力説した。建物という器を使うのは、生身の人間なんだから。わたしも、突拍子もない発想や生きた台詞に出会えるのは、会社で働いているおかげと思っている。「確かに時間は制約されるけれど、その分、二つの仕事がいい影響を与え合っているはず!」と盛り上がり、二足の草鞋どうし「お互い頑張りましょう」となった。タクシーを降りるとき、「今あたためている夢があるんです」と運転手さんが教えてくれた。個人タクシーの免許が取れ、自由な時間に走れるようになったら大学院へ行き、「免震・減震・耐震」構造を極め、その道のエキスパートになりたいとのこと。いくつになっても夢があること、目標があること、とくに勉強しようという姿はすばらしい。「名前を聞いてもいいですか」と言ったら、「ここに書いてあります」と助手席の前のプレートを指差された。運転手さんの名前を覚えた。いつか夢がかなったのを知ったら、うれしさを少し分けてもらおうと思う。

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