2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告

■今年も確定申告の季節がやってきた。税務署のポスターで微笑む仲間由紀江さんと目が合うたびに、やらなきゃとドキドキする。確定申告はやっといたほうがいい、とフリーの人たちはみんな言うのだが、シナリオの原稿料をもらい始めた年に川崎の税務署に行ったものの埋める空白の多さに断念したという苦い過去があり、書類と数字が苦手なわたしには無理と半ば諦めていた。それが去年の今頃、『フリーのための青色申告デビューガイド改訂版!! 』(はにわきみこ著)のピンクの表紙が目に飛び込んできて買ったところ、できそうな気がしてきた。軽いタッチの語り口と「面倒くさいよねー、わかんないよねー、でも私はこうやったよ」という「何度もつまずいた先輩」の立ち位置が親しみやすかったのだろう。結局、わたしは申告額がさほど多くないのと、「帳簿つけるのはやっぱり面倒」と思って白色申告にしたのだが、文京区に引っ越してからの3年分を申告し、無事に所得税をいくらか返してもらうことができた。この本には用語説明などでお世話になったが、手元に置いておくと何となく安心で、税務署にも連れて行った。今年も一年ぶりにページを開いて喝を入れてもらおうと思う。

2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2005年02月27日(日)  1975年のアカデミー賞映画『カッコーの巣の上で』

■『カッコーの巣の上で』をビデオで観る。1975年のアカデミー賞5部門(作品賞、監督賞=『アマデウス』のミロス・フォアマン、主演男優賞=ジャック・ニコルソン、主演女優賞=ルイーズ・フレッチャー、脚色賞)に輝いただけあって力強い作品。刑務所の強制労働から逃れるために精神を病んだふりをして精神病院にやってきたランドル役(ジャック・ニコルソン)は、閉じ込められているかに見える患者たちが「すすんで入院し続けている」事実にショックを受ける。抵抗を諦め、意志を封印してしまった患者たちをあおり、次々と騒動を巻き起こす要注意患者となるランドル。管理する側とされる側が「これでいいのだ」と思い込んでいたバランスを崩していく過程には痛快な解放感があり、狂気と正気の境目はどこにあるのか、自由を主張することとわがままはどう違うのか、などと考えさせられる。主人公にとっては皮肉で救いのないラストは意見が分かれそうだが、わたしは絶望の中に人間の底力を見るような希望を感じた。原題は『One Flew Over The Cuckoo's Nest』。Flew overは「上で」よりは「飛び(乗り)越えて」のほうが近いが、Cuckoo's Nestが精神病院を指す隠語だそうで、よくできたタイトル。

2002年02月27日(水)  世の中は狭い。いや、世界が広くなったのだ。


2005年02月26日(土)  ブラジル物産展

《ミチコの招待状より》

【予定ブラジル食材】
ピンガ(酒、ココナッツカクテル)
パウミット(やしの芽のサラダ)
サラミ オリーブ
フェジョアーダ(黒豆料理)
チョコボンボン
パネトーニ ゴイアバーダ
チーズ ドライトマト
ものすごい赤い酢の物

【予定ブラジル物産】
DVD CD ビデオ 映画
写真 雑誌 地図
プロポリス
■わが家で大活躍の炊飯器『ミチコ』をくれた後輩社員のミチコから『ブラジル物産展』のお誘いを受ける。「ときどき、うちでやるんすよ。手ぶらで来て下さいねー」と言われ、何が起こるのかよくわからないままミチコとパートナーの日系ブラジル人へナートの住む一軒家へ。ゲストはわたしと、ミチコと3人でランチに行く仲の同僚G嬢夫妻。ブラジル音楽のDVDを流しながら、次々と繰り出されるブラジル料理を楽しむ。DVDは現地では国民的人気の男性歌手が妻や娘たちとのプライベートを披露しながら合間に家族セッションをするというホームビデオときどきミュージックビデオ風の内容。「働け!」とミュージシャン氏に突っ込みながら見るが、音楽は心地よい。料理のメインは「ブラジルでは一家に一台ある」と言われるプリミティブな圧力鍋で煮込んだフェジョアーダと呼ばれる黒豆料理。大量に作るのが基本なので、「これが食べたくなると、友達呼んで物産展やるんだ」というわけだった。デザートもブラジルづくし。「新品でもなぜか湿気てる」というチョコウェハースはわたし好み。■この年末にブラジルで撮って来た本場のサンバチームの練習風景ビデオも見せてもらう。広い体育館にびっしり集まったメンバーから発散されるエネルギーはただものではなく、派手な衣装をまとっていなくても目が離せない。「ビデオ撮ってる間は、いろんな音が混じりすぎて何も聴こえてなかった」とか。練習場は治安の悪い町の外れにあり、行き帰りはかなりドキドキしたそう。ミチコとヘナートはセミプロのサンバミュージシャンでもある。押入れを開けると、ブラジルの楽器がゴロゴロ。タンバリンを太鼓のように叩くミチコとヘナートのギターに合わせて、一輪挿しを2つつなげたような鐘を鳴らしたり、タンバリンを三又のバチ(プラスティックの棒3本の根元を水道のホースを切ったものでで止めてある)で叩いたり、セッション気分を味わう。

2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問


2005年02月24日(木)  だいたい・キラキラ・インドネシア語

25日で投票が終わるがジオシティーズのホームページ・フェスティバルなるものに参加している。エントリーしたサイト同士が互いを訪問しあって票を入れあうといった性格が強く、とても内輪ノリではあるけれど、普段なかなか出会えない「ねじれの位置」にあるようなジャンルのサイトを知るきっかけになった。検索をかけるにしろ知り合いのサイトからジャンプするにしろ、自分の興味のあるところ(映画とか食べ物とか)をぐるぐるしてしまうのだが、世の中には実にバラエティに富んだサイトがある。

金魚のサイト、粘土のサイト、おのろけサイト……いくつか訪問したなかでいちばん印象に残ったのが、『インドネシア黄金の繭』。「インドネシア、ジャワ島中部の古都、ジョグジャカルタ。歴史ある王宮のカンジェン・ラトゥ王妃は、人々の生活を豊かにするため、あるプロジェクトを始めた。その手には、黄金色に輝く不思議な繭(まゆ)があった…。」という紹介文に惹かれてのぞいたのだが、目先の利益よりも長い目での国民の豊かさを願う王妃の情熱は、「インドネシア版中田金太」のようで感動的。そして「王妃のプロジェクトを広めたい」という熱い思いがページ全体から立ち上ってくるのだが、サイトを運営しているのは、インドネシアにゆかりのある人たちが同国と環境問題を通じて友好を深めることを願って設立した『インドネシア友好会・北九州 (キラキラ会)』というボランティア団体。インドネシア派遣経験のある北九州市の職員が中心となっている会だそうで、なるほど愛着の深さがにじみ出ている。

インドネシアへは卒論の日本語教育の取材と就職してからのバリ旅行で2回訪ねている。一時期インドネシア語を熱心に勉強したことがあり、英語とインドネシア語が交互に出てくるリンガフォンを聴いていたのだが、中途半端に習得したせいで「Saya nama Masako」とうっかり名乗ると翌朝には物売りの子たちが「Masako」の名前の入ったミサンガやら織物やらを持ってきて買い取らされる羽目になったり、「teman(友達)」と言ったがために無理な要求をされたりして困った。

でも、インドネシア語の響きは今でも日本語の次に好きで、「jalan-jalan(散歩)」や「hati-hati(気をつけて)」といった重ね単語が京都弁の「さっぶいさっぶい」「ちっこいちっこい」の形容詞重ねのようで気に入っている。しかも、この重ね言葉、単語一つのときと二つのときの意味のジャンプ具合が面白い。通り(jalan)を重ねて「散歩」になり、心(hati)を重ねて「気をつけて」になる。他にもないかと久しぶりに『現代インドネシア語辞典(KAMUS BARU INDONESIA-JEPANG)』を開いてみたら、赤い下線がいっぱい引いてあった。自分が引いたんだろうけど……重ね言葉にはかろうじて見覚えがある。灰(abu)を重ねると「灰色」、whatにあたるadaを重ねると「何でも」、形(rupa)を重ねると「いろいろ」。ちなみに「キラキラ会」の由来になっているkira-kiraは「およそ・たぶん・推測」と英語のaboutに近いが、kira一つだと「考え・思い」。考えるうちに自信がなくなってしまうのだろうか。

2002年02月24日(日)  PPK


2005年02月23日(水)  飛騨牛パワー合同誕生会

益田祐美子さんとの合同誕生会を開いていただく。事の起こりは2月9日。監修をお願いされている益田さん著の「金太本」(『風の絨毯』にも出た平成の祭屋台に私財を投じた平成の旦那・中田金太さんの生き方本)のとりあえずの原稿が送られてきたのだが、「全然取材が足りない。こんな内容だったら、益田さんじゃなくたって書ける!」と率直な感想とともに「このまま出版するのは危険。締め切りぎりぎりまでもっと突っ込んで取材しないと!」とハッパをかけた。すると、「でも、23日までには原稿を上げたいの。その日は私の誕生日で、メンズクラブで飛騨牛を食べて祝うのよ」とノー天気なことを言っている。「わたしだって今日誕生日なんだけど」と言うと、「わかった!23日は合同誕生会にしよう。だからそれまでに頑張ろうよ」といつもの魔女田節で言いくるめられ、「飛騨牛パワー」を合言葉に金太本の仕上げに総力を挙げることになった。

土壇場で発揮される益田さんの底力はさすがで、2週間足らずの間に金太さんからいい話をどんどん聞きだした。温泉を掘った気になっていたのをさらに掘り進むと、いいお湯を掘り当てたといった感じで、内容は乞うご期待。今朝未明原稿用紙200枚分が何とかまとまり、無事飛騨牛にありつけることになった。

益田さんの言う「メンズクラブ」はホストクラブではなく、内幸町の「シーボニア メンズクラブ(Seabornia Mens Club)」という由緒正しき(since1974)会員制レストラン。奥の個室に通されると、ドキュメンタリー映画『平成職人の挑戦』の乾弘明監督、製作の山下貴裕さん(乾監督の花組と山下さんのスリー・アローズが製作を担当)、はじめてお会いする岐阜県人会理事の宮本悠美子さんと配給のリュックスの小田部優さん、プロデューサーの益田さん……どうやら元々は映画の慰労会だったようだが、映画公開にあわせて出版される金太本も無関係ではないので仲間に入れていただく。

そしてもう一人、「ここをやっています」と挨拶されたダンディーなおじさまは、シーボニアをはじめ数々のレストランを展開している株式会社ピットコーポレーションの田邊勉社長。「9000円のチケットを800枚売ったこともある脅威の人脈の持ち主で、平成職人のチケットをすでに500枚売った」宮本さんとは、「ハンカチがびしょ濡れになるほど泣ける」ソプラノ歌手の下垣真希さんを通じて知り合い、「かつて映画と映画館を作る仕事をしていて、日本中に映画館を40館作った」小田部さんとはセゾングループ時代の仲間なのだそう。「田邊さんは日本の音楽文化を作ってきたんですよ」と言う小田部さんに促されてヤマハでポップコンをやっていた頃の逸話を聞かせてくださるが、よく整理された記憶の引き出しを年代順にひとつずつ開けていくような話はわかりやすく面白く引き込まれる。「話がちゃんと流れている!」と感心していた益田さんは弟子入りすべし。


飛騨会席
先付  汲み上げ湯葉 山葵 割醤油
前菜  姫栄螺大豆 唐墨博多 蟹松風 合鴨ロース煮 山菜胡麻和え
お造り 飛騨産河ふぐの薄造り
炊合せ 大根含め 海老 椎茸 蕎麦の実 菠薐草
強肴  飛騨産牛炭火焙り焼き 飛騨葱 柚子胡椒
食事  飛騨岩魚棒寿司焼き
止椀  吸い物 三つ葉
水菓子 苺(岐阜県産「濃姫」) パパイア メロン

メニューは月替わりで、飛騨高山生まれの益田さんの誕生日に合わせたかのように今月は「飛騨会席」。メインの牛肉をはじめ、飛騨のうまいものがちりばめられている。(写真左から炊合せ 強肴 食事)。期待の飛騨牛は焙ってほどよく脂を落としたジューシーな肉が口に溶けるようで幸せ度高し。メニューはすべて試食して決定するという田邊社長の解説も加わり、なおさら楽しい食事となる。昨夜「私が東京行ってみんなをごちそうする」と言いだした金太さんに「あらためて高山で飛騨牛をごちそうになります」と伝えた益田さんが電話をかけ、携帯を回して一人一言話す。心地よいピアノの生演奏は、西本梨江さん。『戦場のピアニスト』の曲をという山下さんのリクエストを田邊社長直々に伝えていただくと、ショパンのノクターンが流れてきた。楽譜は頭に入っているそう。作曲も手がけられ、国連食糧農業機関(FAO)親善大使として世界食糧デーキャンペーンのコンサートにも出演されたとのこと。

食後のデザートになったところでバースデーケーキが登場。宮本さんが気を利かせてくれたそうだが、チョコレート文字に初対面のわたしの名前も入っていたことに感激。この気配りが魔女田さんもびっくりの人脈につながっているのかも。5月にKKロングセラーズから出される予定の「金太本」のタイトルは『お金も幸せも上手に太らせる金太力』になりそうだが、本の中で金太さんは「出会いは宝、財産」と語っている。益田さんから広がる人脈、珍脈(益田さん命名)のおかげで、今夜もまた幸せ太り。

2002年02月23日(土)  連想ゲーム


2005年02月21日(月)  『逃亡者の掟』(人見安雄)

■会社のデスクを整理していたら、日記を綴った大学ノートが2冊出てきた。1998年99年と2年続けてカンヌ広告祭に参加したのだが、そのときの記録。読み返してみると面白くて懐かしい。記憶から抜け落ちていたエピソードもあり、やはり日記はつけておくものだと思う。気に入ったコピーも書き留めてあるのだが、その中に
YOU can TAKE a BOOK ANYWHERE and VICE-VERSA.
というのがあった。「本はどこにでも連れて行ける。その逆に、どこにでも連れて行ってくれる」。このコピーに出会ったとき、感激して、しばらくその場を動けないほど見入ってしまったことを覚えている。Waterstone book storeという本屋の「本を読もう」キャンペーンのポスターで、キャッチコピーをあしらった装丁の本がキービジュアルになっていた。シリーズ広告で他のコピーもよくできていたけど、これは秀逸。他にもぜひ紹介したいコピーに再会したので、「1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの」というタイトルで1998年7月1日の日記に書いた。
■自分の人生では体験できない世界を本は味わわせてくれるが、昔紀伊国屋でバイトしていた同僚デザイナーのゾエ君が「すごい本があんのよ。国際指名手配された窃盗犯なんだけど、奥さん連れて国外逃亡してさ、愛の逃避行なわけよ。その人元々絵を描くんだけど、ギリシャとかフランスとか行った先々で絵を売って、しまいには大金持ちになっちゃうわけ。あんな人生、なかなかないよ」と紹介してくれた一冊が、『逃亡者の掟―国際指名手配第一号犯の4600日』。著者は逃亡した本人、人見安雄氏。表紙をめくると、いきなりマツケンもびっくりなキラキラ衣装の人見氏が現れ、度肝を抜かれる。ゴージャス人見氏、これからわたしをどこへ連れて行ってくれるのか。

2002年02月21日(木)  映画祭


2005年02月19日(土)  青春京都映画『パッチギ!』

有楽町シネカノンにて、『パッチギ!』をついに観る。井筒和幸監督の『のど自慢』も『ゲロッパ!』も好きだし、月刊シナリオに載ってた脚本にも感動したし、あちこちから「最高!」とすすめられたし、期待は膨らみきっていたけど、それ以上に良かった。

舞台は60年代の京都。哲学の道や鴨川べりを歩いた学生時代を思い出させるロケーションに感激。一緒に見に行ったダンナは、バイト先だった銀閣寺近くの中華料理屋に朝鮮高校の生徒さんがよく食べに来ていたそうで、わたし以上に懐かしがって喜んでいた。とぼけた関西弁の台詞は小気味よく、にやりとさせたりほろりとさせたり。それでいて日本と朝鮮半島の歴史や時代背景も織り込まれ、本当にあの時代の京都を切り取っているようなリアリティがあった。

それにしても登場人物一人ひとりの、なんと魅力的なこと。主演の二人(松山康介役の塩谷瞬さん、リ・キョンジャ役の沢尻エリカさん)もさることながら、チョン・ガンジャ役の真木よう子さんが印象に残った。台詞言うときの間の取り方がすごく良い。関西弁ええ感じやのに、プロフィール見ると千葉県出身。『不良少年の夢』に続いて不良(モトキ・バンホー)役が板についていた波岡一喜さんも気になる役者さん。徳井優さん、木下ほうかさんの「あずさ1号2号コンビ」は今回もおいしい役で出演。

2004年02月19日(木)  ツマガリのアップルパイ
2002年02月19日(火)  償い


2005年02月17日(木)  魔女田さんの新作『平成職人の挑戦』

風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんが「金太さんの祭屋台のドキュメンタリー作ろうと思うのよ。語りは三國(連太郎)さんにお願いしちゃお」と話すのを聞いたのは、いつだったか。「文化庁の助成金に申請したら取れちゃったわ。風じゅうのときもらえなかったけど、こっちでもらえてラッキー」と無邪気に言ってたかと思うと、「あれがね、文部科学省特選になっちゃった」と言ってのけ、あいかわらず魔女ぶりを発揮している。

その作品とは、ドキュメンタリー映画『平成職人の挑戦』。昨年11月の完成披露試写会を逃してしまったのだが、今夜ユニ通信主催の上映にお邪魔させてもらい、観ることができた。「お金と人を集めた益田です」の挨拶に続いて、67分の上映。『風の絨毯』の資料として祭屋台作りの記録ビデオを観たときの衝撃が蘇った。寿司屋のカウンターでも板前さんの動きから目が離せないわたしは、腕に誇りを持って仕事に打ち込む人を見ると惚れ惚れしてしまう。

職人たちが口にする言葉が、とてもいい。生き方を映しているような、脚本家が頭をいくらひねっても書けない、いい台詞を言う。「誰にもわからない道楽を2つ仕掛けておきました」と茶目っけたっぷりに話す鉄金具の職人、新名隆太郎さんは実にいい顔をしていた。工匠の八野明さんの背中を見て「親父がかっこいいと思った」と息子が弟子入りする場面では、涙がじわり。職人たちのこだわりと心意気に、「自分はどれだけ仕事にプライドを持っているだろうか」と問い返してしまう。三國連太郎さんは「役者もまた職人でなくては」とはじめてのナレーションに挑戦したとか。

15年にわたる様式バラバラの映像記録を紡ぎ直した乾弘明監督もまた職人。素材と素材を縫い合わせるように一本の流れに仕立てたナレーション原稿は、監督と長年お仕事されている釜沢安季子さんによるもの。丁寧に言葉を選んだ美しい日本語に感心した。東京では5月6日(金)19時・7日(土)と8日(日)の13時、新宿紀伊国屋ホール(TEL:03-3354-0141)にて上映。劇中に五重塔建立シーンで登場する世田谷の伝乗寺では、5月28日(土)午後、完成した塔を見ながらの上映を予定。

上映後は益田さんと監督への質疑応答タイム。20名を越える参加者の皆さんはほとんどが映画・映像関係者だとかで、かなり専門的な質問や指摘が飛び交うのだが、益田さんの回答はいつもの通り宇宙の彼方へ飛んだり戻ってきたり。「こんな素人全開のプロデューサーが作品を成立させたのか」という驚きが会場を包んだ。「今の、答えになってないよ」と突っ込む監督は、魔女田ペースにも慣れたもので、「名刺渡さないほうがいいですよ。大変なことに巻き込まれますから」と言って笑いを誘っていた。その益田さん、中田金太さんの半生を綴ったノンフィクションを執筆中。『平成職人の挑戦』東京公開にあわせてK.K.ロングセラーズより刊行予定。わたしは監修として参加。鉛筆一本買うために一日中鉄くず拾いをした貧しい少年時代に生きる知恵と力を身につけ、大金持ちとなった今は文化を遺すために数十億の私財を投じる。そんな金太さんの「お金も幸せも上手に太らせる生き方」が詰まった一冊、どうぞお楽しみに。

2004年02月17日(火)  オーマイフィッシュ!


2005年02月16日(水)  不思議なピンクの水、「ナーガ」水。

■『夢追いかけて』に続いて『不良少年の夢』を完成させた花堂純次監督から声をかけていただき、次回作に向けて打ち合わせを重ねている。一昨年の9月にはじめて会って以来、今年1月下旬に再会するまではメールだけのやりとりだったのが、このところは週1ペースで会っている。この人のネットワークは面白くて、『夢追いかけて』を応援する夢追人はもちろん、日本全国にユニークな知り合いがいて、会うたびに「こんな人がいましてね」と面白い話を聞ける。■今夜はプロデューサーたちもまじえた会食の席で「見せたいものがあるんですよ」と取り出したのが、ピンクの水。よく見ると「おーいお茶」のセロファンを脱がせたミニペットボトルに入っているのだが、「ちょっと昔、どん底の科学者に会いましてね。すごい技術を持ちながら無一文になっていたんです。そいつが作ったすごい水です。発光ダイオードなんてもんじゃない。世界観が覆る水です」と真顔で語る監督。「ひょっとして、祈り系ですか?」とプロデューサー氏。「いえいえ、まったく違います。まあ飲んでみてください。明日、体が変わりますから」とすすめられ、紹興酒用の小さなおちょこに一人一杯つぐと、250mlのボトルは空になった。■監督いわく、この水は「オゾンを特殊な工法(特許取得済み)でナノ(10億分の1)メートル単位のバブル(気泡)として海水を含む井戸水に封じ込めたもの」で、「ナノバブル水」とも呼ばれているが、仲間内での呼び名は「ナーガ」水。ナーガは龍の神だそうで、命名者は監督。今年中には「ナーガインターナショナル」という会社もスタートするとのこと。味はほんのり塩味だがまろやか。光に弱く、数分経つとピンク色は茶色く濁ってくる。紫外線に当たると効果がなくなるらしい。元々は産業廃棄物の分解と完全無害化の技術だったが、この水に淡水魚と海水魚、あるいは深海魚さえ同居できることが判明。さらに飲用に応用実験したところ、病気や傷が劇的に回復することが分かった。ノロウイルスも鳥インフルエンザも簡単に撲滅、癌が小さくなったり消えたり……とにわかには信じがたい話が続く。「最新の研究によると、どうやら体の中のスイッチを切り替える力があるようです」と監督。淡水への適応や免疫抵抗など、進化の過程で必要なしとして遺伝子や脳の中に封じ込まれた能力をONにする。つまり、眠っている機能を目覚めさせる水というわけ。これが本当だとしたら、これまでの医学や生物学の常識や理論がことごとくひっくり返ってしまう。■淡水魚と海水魚を同じ水槽に入れる瞬間に立ち会ったことのある監督は、「天動説と地動説が逆転した」ような衝撃を受けたとか。「いったん死んだように見えた魚が勢いよく泳ぎだして、あ、スイッチが入ったってわかるんですよ」。淡水魚と海水魚が同居する水槽を見るだけでも世界観が変わりそう。その水槽、今度の愛知万博(日本国際博覧会)で公開され、日本の誇る最高のナノテクノロジーとして紹介されるという。理解者や支援者に支えられながら不遇の時代を乗り越えてきた研究者(千葉金夫氏)に、ようやく光が射してきたよう。ピンクの水は、長い冬の後に訪れた遅い春の色にも見える。監督が撮りためている彼のドキュメンタリーには壮絶なエピソードもあり、それも研究成果同様ドラマティックだという。夢を追い続けた科学者と、その彼を追い続けた監督。世の中には熱い人たちがいる。

◆イラストレーター・装丁家のなくいさんよりコメント。

 淡水魚と海水魚が…というところで
 クラクラしました。
 すごい。すごい。
 金魚が初めてクマノミを見るかもね!

「金魚が初めてクマノミを見るかもね!」という視点に、わたしもクラクラ。

2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス


2005年02月14日(月)  5年ぶりにケーキを焼く

■今年のバレンタイデーはひさしぶりにケーキを焼こう、と思い立ったのは、先週会社で席が近所のY君とバナナを分け合いながら「昔よくバナナケーキを作ったんだよね」と話したら、「今度持ってきてくださいよ」と言われたから。かつては週末ごとに焼いては月曜日に会社に持って行って配っていた。それしか作れないのだけど、チョコレート味、ラムレーズン味、バナナ丸ごと一本入りなどバリエーションも生まれ、イマイのバナナケーキはなかなか人気があった。シナリオを書くようになって真っ先に削られたのが、ケーキを焼く時間だった。だから少なくとも5年は部屋にあの甘い香りが立ち込めることはなかった。さて、作ると決めたものの、パソコンに向かって締め切り前の原稿を打っていたら日付が変わりバレンタインデー当日になった。レシピは体で覚えていたので存在しないが、今は忘れてしまっているので勘が頼り。粉とバナナと無塩バターと卵と砂糖と牛乳少しを適当な配分で混ぜて焼くと、懐かしい香りがオーブンからこぼれてきた。今日の午前中に健康診断が入っていたため、無謀にも味見はせずに会社で配る。不思議なことに、受け取るときは大喜びされたのに、食べた後の反応が見事にない。夜中に残業中のデザイナーE君から電話があった。「今食べたよ。ありがとう。歯ごたえがあって、固さがええ感じ」。歯ごたえ? 固さ? パウンドケーキなんだけど……。

2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目


2005年02月12日(土)  浸った者勝ち映画『ネバーランド』

■私的ランキングで気になる映画第一位の『きみに読む物語』目当てに日比谷へ。丸の内プラぜールに着くと「立ち見です」と言われ、第三位の『ネバーランド』目指して日比谷映画へ移動。新聞の劇評を読んで直球ファンタジーの予感を抱いていたが、期待通りに見たいものを見られた。現実と空想を行き来する映像、ジョニー・デップ演じる作家ジェームズ・バリと少年たちとの芝居ごっこ。妻のある作家と美しい未亡人のいる少年一家との浮世離れした関係。夢の国ネバーランドへ連れて行く約束。全編がおとぎ話の要素に満ちているが、そんな中に織り込まれている作家の「書く苦悩と孤独」にはリアリティを感じた。「夢の力を信じた作家が、忘れられない出会いを通して名作を書き上げた」ストーリーに素直に共感して、ラストはボロボロ泣いてしまったが、隣で見ていたダンナはすっかりしらけきった顔。なぜ作家は少年一家と仲良くなったのかが理解できないと言う。未亡人への下心だろうと思って見ていたら何も起こらず、まったくついていけなかったとか。「全然わかんないよ、『ネバーエンド』」とタイトルも言い間違えていたが、彼にとっては落ちのない映画だったよう。ファンタジーは浸った者勝ち。

2004年02月12日(木)  本のお値段
2003年02月12日(水)  ミヤケマイ個展 MAI MIYAKE EXHIBITION2003


2005年02月10日(木)  「香盤表」の由来

■映画やCMの撮影現場で使われる「何時に誰の何のシーンを撮るか」の段取り表は、香る盤の表と書いて「香盤表」という。「こうばんひょう」と耳で聞いても、なかなかこの漢字を想像しづらい。入社して間もないわたしは「降板表」と書いて、「そんなものがあったら問題だ」と先輩に突っ込まれた。時は流れ、職場の新卒デザイナーのクラタ君が「『香盤表』って、なんでこう書くですか?」と師匠デザイナーのアサノさんに投げかけた質問が「今井わかる?」と回ってきて、気になりつつも棚上げにしていた由来を調べることに。「香盤 由来」でネット検索をかけると、諸説出てくる。オランダ語で「表」は「koban」といい、それに当て字をはめた説。これだと「なぜこの漢字?」の答えにはなっていないが、もともと日本にはお香の減り具合で時間を計る「香盤」というものがあるという。昔、吉原ではこの香盤で客の「持ち時間」を計ったとかで、それが由来ではないかという説は、「飲み屋で使えそうっすねー」と男性社員たちに好評。さらに検索結果を見てみると、「昔は香る板、つまりヒノキの板に撮影予定を書いたことから、香盤って呼ばれるようになったんですよ」という珍説を唱えたコラムを発見。よくよく読んでみると、「かつて広告会社でコピーライターをしていた筆者の口から出まかせ」となっているが、著者はなんと、わたしの会社で働いていた先輩の柳沢有紀夫さんだった。顔と名前がなんとなくわかる程度で口をきいたことは恐らくなかったけれど、「こんな経緯でコラムを見つけました」とメールを送ると、返事が来た。「今井さんのこと、なんとなく思い出してきました。グリーンのシャツ着て、オレンジのパンツをはくという、『補色なんのその』っていうファッションをしていた女の子ですね」。その記憶はたぶん間違いない。「外資系広告代理店でのコピーライターに見切りをつけ、家族と自分の幸せのためにオーストラリアに移住(本人談)」した柳沢さんは、海外暮らしに関する著書多数。コラム豪州発ブリス便は、スペースアルクのサイトに連載されていて、現在第274話。コピーライター時代より書いてます?

2002年02月10日(日)  ペンネーム


2005年02月08日(火)  映画『不良少年の夢』試写会

■イイノホールにて、『夢追いかけて』の花堂純次監督の新作『不良少年の夢』の完成披露試写。原作は、私立北星余市高校の義家弘介先生のベストセラー『不良少年の夢』。本を読んでいないので比較しようがないが、舞台挨拶に立った義家氏が「自分は普段映画を観ても終わったなという感じなのに、この作品は泣きました」と話すのを聞いて、事実を忠実に描いた作品という印象を受けた。実在する情熱を映像化するには、それに負けない情熱がスタッフにもキャストにも求められたと思うが、登場人物が発する台詞や空気からは湧き上がるような熱いものを感じ取れた。義家氏は「泣きながら原作を書いた」とも語っていたが、劇中の壮絶なエピソードの数々は、無傷の観客にとっても痛く辛く息苦しかった。義家が教師として母校の教壇に立つラストシーン。「夢は逃げない。自分が夢から逃げているだけだ」という言葉が刺さった。そのことに気づかせてくれる先生に出会える生徒は幸せだ。義家を演じる松山ケンイチさんの目が、きれいなのに強くて、傷つきやすいが根性のある主人公の心情をうまく表現していた。FMシアター『昭和八十年のラヂオ少年』で礼子さん役の二木てるみさんも出演。■花堂監督とは一昨年の9月に渋谷公会堂での『夢追いかけて』上映で初めて会い、先月再会したばかりだが、共通の話題が多く、いつも会っているような錯覚を起こしてしまう。『夢追いかけて』つながりで知り合った人にはその傾向があり、1年5か月ぶりに会った河合純一さんと早稲田大学の竹林さん、今日はじめて会った北海道のたあ坊さん、神奈川のレイさんとも自然に話が弾んだ。たあ坊さんとレイさんは『パコダテ人』のファンだそうで、「好きなシーンいっぱい言えますよお」などと言われて感激。そういえば、『パコダテ人』イベントで何度も顔を合わせるうちに知り合いになった男の子たちにも会場で再会。映画に関わっていると、面白いことが次々起こる。

2004年02月08日(日)  FRIDAYの亀ちゃん
2002年02月08日(金)  フライングワイン


2005年02月02日(水)  しましま映画『レーシング・ストライプス』

■情熱があれば運命は変えられるとか、努力は報われるとか、大事なのは外見よりも中身といったことは、これまでにも数々の映画が語っている。でも、それを「競走馬になりたいシマウマ」でやろう、と思いついた人はエライ。『レーシングストライプス(RACING STRIPES)』の主人公は、雨の中、サーカスの移動車から置き去りにされたシマウマの赤ちゃん。農場主に拾われ、ストライプスと名づけられた彼は走ることが何よりも好きで、農場から見える競馬場で走ることを夢見るようになる。でも、しましまは単なる模様じゃなくて、サラブレッドとは血筋が違うってことを知って落ち込んだり、サラブレッド集団から横槍が入ったり。夢をあきらめかけたストライプスを奮い立たせるのが、農場のおちゃめな仲間たち。シマウマである自分を受け入れ、シマウマとしてレースに出ることを決意したストライプスが力強くひた走るレースシーンに涙、涙。「なりたいキミになればいい!」というメッセージが、彼の走りっぷりのようにまっすぐ届いて、自分も好きな道をまっすぐ走っていこうという気持ちになれた。ラッパーのウシアブ兄弟バズ&スカズが黒と白のしましまの上を行き来しながら歌う"EBONY&IVORY"(ポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーの名曲)も最高。"Ebony and Ivory / Live together in perfect harmony / Side by side on my piano keyboard / Oh Lord, why don't we ?" という歌詞から、サラブレッドとシマウマも仲良く……と想像してしまったが、それも計算のうちだとしたら天才。原作・脚本のデビッド・シュミットは75〜82年までプロ野球で活躍した後、キャビネット取り付け業や配送業を経て脚本を書き始めたとのこと。2005.3.12公開。

2003年02月02日(日)  十文字西中学校映画祭
2002年02月02日(土)  歩くとわかること

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