2003年11月30日(日)  小津安二郎生誕百年

「オズ映画」と聞くと1939年のアメリカ映画「The Wizard Of Oz」を想像してしまうほど、小津映画にはなじみがなかった。恥ずかしながら一度も見たことがなかったのだが、見なくてはと思っているうちに小津安二郎生誕100年の今年を迎えた。最近親しくしているご近所仲間の間で「小津を観る会」が企画されたので、渡りに船とばかりに参加表明。言い出し人は映画と鉄道が大好きというT氏。いちおしの「東京物語」とこれまたおすすめの「麦秋」を男女6人で観る。

国立近代美術館フィルムセンターにて、各回1300円。普段は500円で貴重な昔のフィルムを見せてくれる場所なので、企画上映とはいえ通常の2倍以上の鑑賞料金を取ることに不満の声も上がっていると聞くが、半世紀以上前の作品を上映してもらえるのはありがたい。今回はじめてコンビニでチケットを買ったが、コピー機にPコード入力すれば後は画面の指示に従ってスイスイ。存在は知っていたけど、これほど便利なものだったとは。使い方を教えてくれ、Pコードも調べておいてくれたT氏に感謝。時刻表マニアだけあって調べ物を厭わず、細かいとこまで気の回る人である。

「東京物語」は昭和28年、「麦秋」は26年の作品。ニ作品の出演者がかなりかぶっていて、最初は「東京物語で老いた父だった笠智衆が、麦秋では若い息子になっている!」とほんの2年で一世代も飛び越えてしまったことにびっくりしたが、すぐに慣れてしまったのは、役者の力量なのだろう。原節子はどちらの作品でもおいしい役どころで、かわいく、強く、よく食べていた。何ともいえない上目づかいと「〜なんですの」という言葉遣いが気に入った。真似してみたいが、周囲に心配されるだけだろう。

女優さんたちはきれいで品があり、とくに「麦秋」の淡島千景の愛らしさに惚れ惚れした。杉村春子の存在感に目を見張り、昔は嫁に行くことを「片付く」と自然に言っていたことに衝撃を受けた。物語そのものは淡々としすぎているほど事件が起こらないのだが、なぜか最後まで引き付けられる。登場人物たちの心の動きを丹念に追っているからだろうか。昭和二十年代の日本の風景も興味深く、SLが煙を吐いて走り抜ける姿にはT氏ならずとも心が躍った。

近くのナイルレストランでインド料理を食べながら、余韻に浸る。最近は一人で映画を観ることが多いので、他の人がどう観たかを聞けるのは楽しかった。女性たちには「私、年は取らないことにしていますの」という東京物語の紀子(原節子)の台詞が印象に残り、男性たちは両作品のしめくくりに登場した「これでも幸せな方だよ。他の人よりもよっぽとマシだよ」」というしみじみした台詞に共感していた様子。ご近所仲間のみなさんはどんな話題にもついてくる好奇心旺盛なメンバーなので、「小津映画は人物の出入りに日本家屋の特長をうまく生かしているんです」「あのシーンに出ていた建物はお茶の水のニコライ堂だ」「十朱久雄さんは十朱幸代さんのお父さん」などと面白い指摘や話題が尽きなかった。

銀ブラしながらの帰り道、この辺も映画に出ていたなあと思う。昭和二十年代の和光の辺りは時代の最先端だったのだろう。当時すでに「地下鉄」の入口があったことに驚いたが、日本初の地下鉄は昭和2年に浅草〜上野間が開昭和14年には渋谷までの銀座線全線が開通していたらしい。



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2002年11月30日(土)  大阪のおっちゃんはようしゃべる
2001年11月30日(金)  函館映画祭1 キーワード:ふたたび


2003年11月28日(金)  雪菓(ソルガ)

■会社でななめ後ろに座っているコピーライターのオオツカ君は、6年前に宣伝会議賞の授賞式で知り合い、数年前に同じ会社に移ってきた。その彼が韓国通であることをつい最近知った。外資系の広告代理店なので、海外の広告を訳したり、海外向けの広告を開発するにあたり、「イタリア語できる方いませんか」「中国語できる方、この文を訳してください」といった社内メールが飛び交うが、ある日わたしの関わっている得意先の仕事で「韓国のTVCFを訳してください」と呼びかけたら、手を挙げたのがオオツカ君だった。昔、韓国語がからむ仕事を担当したことがあり、独学でハングルを覚えたらしい。「一緒に勉強しようよ」と言ってくれているので、チョナン・カンの本を買って教えてもらおうかなと思っている。■「韓国の人もお茶するの好きなんだよ。紫陽花のお茶とか、面白いお茶もいっぱいあるよ」とオオツカ君。今日は友達が作っているという韓国伝統茶菓子「雪菓」を紹介してくれた。はちみつと麦芽糖と餅米粉を混ぜて煮込んで熟成させた「原糖」にとうもろこし、でんぷん、餅米粉を混ぜ、手で細く延ばして16384本の糸状にしたもので餡(アーモンド、くるみ、黒ごまなど)をくるむ。偶然、去年の年末、銀座の街頭で実演しているのを見かけたのだが、「あの人たちがオオツカ君の友達だったのかあ」。繭のような見た目の不思議な食感で、凍らせて食べてもパリッとしておいしいそう。去年は街頭だったけれど、今はプランタン銀座の地下で実演販売(森美-しんび- 03-5999-8260)している。

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2000年11月28日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2003年11月23日(日)  通帳で伝える愛 『まばたき』『父帰る2003』

昨日と今日で舞台を2本観る。昨日は中野のテレプシコールで劇団フルーチョの『まばたき』。客演しているヤニーズの大蔵省君が招待してくれた。「役者になる」と上京したきり音信不通だった男が亡くなり、唯一の肉親である妹が通夜を執り行う。大蔵省君はその兄妹の幼馴染みという設定。先日のヤニーズ公演での秋田弁台詞が強烈だったので、今回はおとなしい印象を受けたけれど、重要な役どころを演じていた。死んだ兄は妹だけに見える幽霊となって現れるが、妹は心配ばかりかけていた兄を「何を今さら」となじる。だが、兄は帰りたくても帰れなかった、ということが通夜に駆け付けた役者仲間の話でわかる。その証拠に、家族のためにアルバイト代をためた預金通帳が遺されていた、という話だった。


今日オペラシティの近江楽堂で観た『父帰る2003』にも預金通帳が登場。菊池寛の名作を現代版にアレンジしたもので、ひょっこり帰ってきた行方不明の父が、家族のことを片時も忘れなかった証に差し出したのが、通帳だった。刻まれた数字の履歴には生き様や愛情やいろんな思いを込められるのだと発見。NHKのオーディオドラマ関係者の集まりで知り合った脚本家・吉村ゆうさんの脚色・演出がすばらしく、父役の蛍雪次朗さんはじめ役者さんの体当たりの熱演もあいまって、ボロボロ泣けた。最前列で観たのだが、足を伸ばせば舞台に当たる距離で、喧嘩のシーンでは物やら人やら飛んできて、すごい迫力だった。

『父帰る2003』は同じく菊池寛の『温泉郷』との2本立てで、『J.THEATER 』という企画公演のプログラムのひとつ。吉村さんからの案内で公演を知ったのだが、先日ストレイドッグ公演の打ち上げで人柄に惚れた蛍さんの芝居を見られたのは、うれしい巡り合わせ。さらに今夜の打ち上げで、思いがけないオマケ。同席した女優さん、見覚えあるなと思ったら、一年前にSOUPという会社のパーティーで知り合ったきりごぶさただった鈴木薫さんだった。別プログラムの『トイレはこちら』に出演していたそう。舞台の面白さに目覚めた鈴木さんに「役者として一作品一作品をどう生きるかで10年後、20年後に差がつく」と吉村さん。作品の積み重ねが将来への預金になるのは、脚本家も同じ。吉村さんはいい預金をされてきたのでは、と大先輩の最新作を見て思う。

さて、通帳といえば、学生時代の仕送りを思い出す。しっかり者の大阪の母は「振り込み手数料がもったいないやん」と、わたしの口座の通帳を持ち、(わたしにはキャッシュカードだけ持たせた)、「口座入金」することで京都にいる娘に金を送る知恵を働かせた。自動送金にすれば楽だったろうに、毎月きっちり、4年間で約50回、銀行に足を運んだわけだ。当時は当たり前だと思っていたけれど、親でなければできないこと。まだ見ぬその通帳には、母からの月に一度の入金と、娘がちょこちょこ引き出した跡が文通のように残っているのだろう。通帳で母と娘はつながり、会話していたのだった。

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2002年11月23日(土)  MAKOTO〜ゆく年くる年〜


2003年11月21日(金)  押忍!いくつになっても応援団

学生時代、応援団チアリーダー部というところにいた。応援団というのは、ハタから見ると野蛮で荒唐無稽な存在のようで、「何が面白くてやっているの」と4年の間に百回以上は聞かれた。母校のチームを応援するときも気合十分だが、それ以上に気合が入るのが他大学応援団との酒の席。試合では応援する身だが、飲み会では団員自ら選手となって戦う。先輩の注いだ酒を真っ先に飲み干し(頭の上で空のグラスをひっくり返して証明する)た下級生だけが名刺を頂戴できたり、サッポロソフトという酒というよりアルコール原液のようなものを石油ポンプで飲まされたり。そのまわりをビニール袋を張ったポリバケツが取り囲んでいた。わたしは好奇心が勝ってそれなりに修羅場を楽しんでいたけれど、「応援は好きだけど酒は嫌い」と去って行った仲間は数え切れない。

苦労を共にした者同士の結束は強まるようで、卒団してからもつきあいは続き、学校や学年の違いを超えて一緒に飲む。今夜はわたしの大学のひとつ上のリーダー部長だったI先輩が上京していて、のぞみの終電で大阪に帰るというので、東京駅近くに4大学からOBが集まった。8時過ぎに到着すると、全員が大声で一斉にしゃべり、すでにわけがわからない状態。社会人になって十年以上経つというのに、まるで飲み方が変わっていない。皆さん、職場で浮いていないだろうか。心配だ。T大リーダー部だったK先輩は「お前はーきっといいことあるぞぉー」とわたしの頭を木魚のようにたたき続けた。

9時過ぎ、I先輩を見送りに東京駅へ。切符売場で「ニューじゃんやろーぜ!」。負けた人が全員分のジュースを買う「ジューじゃん」の入場券版。N大のI先輩が8人分を買う羽目に。数分後、新幹線ホームは演舞会場となり、冷たい視線をものともせず、マーチやエールが繰り広げられた。酔っ払った応援団員ほど怖いもの知らずはいない。奇妙な光景を写真に撮りながら、中に入ってみない限り理解できない集団だろうなあと思う。熱くて、まっすぐで、情にもろくて、ちょっと不器用で……結局のところ、応援団を離れられない理由は「人」なのだ。明日は、わたしと同期で2年前に急逝したH大のI君の命日。関西にいる応援団関係者が集まって、霊前にお参りすることになっている。東京組からはラベルに寄せ書きをした焼酎をI先輩に託した。新幹線の中で口をつけてなければいいのだけど。

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2002年11月21日(木)  ファミレスの誘惑


2003年11月13日(木)  SKAT.2@Wired Cafe

■渋谷のQフロントビル6階に10月25日にオープンしたWired Cafeは、お茶しながらネットができて、本も読める場所。置いてある本はかなり偏っていて、『ブレーン』『宣伝会議』など広告関係のものがほとんど。宣伝会議社とタイアップしているのだろうか。SKAT.2という冊子を手に取る。SENDEN KAIGI AWARD TEXTを略してSKAT。「第40回宣伝会議賞優秀作品一挙公開」の副題。宣伝会議賞はプロ・アマを問わないコピーライター選手権のようなもので、わたしも何度か応募していた。懐かしい気持ちでページをめくる。この賞は数十社ある協賛企業が課題を出し、それに応募者が挑戦する形になっているのだが、お題発表広告に各社の遊び心が効いている。板チョコが札束(金賞は賞金百万円)に化けていたり、「うちの商品を飲んで考えよう」といったキャッチがあったり。第40回は過去最高の応募数だったそうで、審査員は「最終ノミネートされた全部に賞をあげたいぐらい」だったとか。シナリオ新人コンクールの選評では最近「低調」の嘆きが目立つがコピー界の未来は明るいと見える。■激戦を勝ち抜いた金賞は「お母さん、そのお皿の洗い方はなに?」。課題商品はアルバイト発見マガジンan。「『そのお皿の洗い方は何ですか』だったら受賞しなかった」という審査員コメントに納得。ターゲットの気分がよく出ている。「ごちそうよりごちそうさまを大切にしています」という丸大食品の企業広告も印象に残る。「最終ノミネート」「2次審査通過作」も掲載されていて、読み比べると、賞を取るコツをつかむいい勉強になりそう。■感激したのは、第1回(1962年)からの金銀銅賞が特集されていたこと。第1回の金賞はサントリービールの商品広告で「最初のノドごしをお聞かせください」。第9回(1970年)は「8月37日。」。お題はジャルパックのJOYハワイ。全然古さを感じさせない。第16回(1978年)は「さらば視聴率、こんにちは録画率」。松下ホームビデオの広告。でも現代もまだ視聴率。第16回(1982年)の「愛しあっているのなら、0.03m/m離れなさい」(岡本理研ゴム)、第28回(1990年)の「明日の自分に借りるのだ」(アコムキャッシング)はやっぱり強い。第32回(1994年)の「女子トイレがとっても混雑しているのは落ちやすい口紅にも責任があると思います」(コーセーヴィゼ)にも時代が見える。わたしのお気に入りは第38回(2000年)の「精子だった頃の運をもう一度」(LOTO6)。生まれてきただけで大強運の持ち主。■受賞コピーと並んで、受賞者のコメントを読むのも好きだ。受賞にそれぞれの人が勇気や励ましをもらっていることが伝わってきて、コピー以上に心を動かされることもある。「もう少し頑張りたくなった」「書き続けていいよと言われた気がした」といった言葉に、自分が応募していた頃を思い出す。広告代理店のコピーライターになれたものの、なかなか戦力になれず、もどかしさを感じていた。宣伝会議賞は、全国にいるライバルの胸を借りる年に一度の機会だった。応募したコピーが1次審査2次審査と勝ち進んでいくのを見て、自分の力を確かめていた。入社2年目にリクルート社の「じゅげむ」のラジオCMが審査員特別賞に。授賞式で知り合ったコピーライターたちとは、励ましあう仲間になった。入社5年目に東ハトの「キャラメルコーン」のコピーで協賛企業賞をもらったのを最後に、応募は卒業した。今もコピーを書き続けていられるのは、宣伝会議賞があったからだし、これからもコピーを書く人は、この賞を目指し、卒業していくのだろう。ずっと続いて欲しい。


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2003年11月11日(火)  空耳タイトル

「前田監督の映画、『キンチョー★ROCK』いうんやってね」と大阪の母より電話。「キンチョーやなくてガキンチョやけど」と言うと、「劇場に問い合わせたら、キンチョーて言われたよ」。劇場の言い間違いか母の聞き間違いか、キンチョーとは大阪らしい。前田監督に伝えたら「『ガチンコ★ROCK』と言う人もいる」とのこと。母は以前、『スリーパーズ』を「三人のパーの物語」と勘違いしていた。「ちょうど主人公の男の子が3人おってん」と言うが、「パー」に複数のSがつくかいな。父からは「黒川芽以ちゃんがラジオに出て、『屋根裏の野良猫』の話しとった」と電話があった。『路地裏の優しい猫』なんだけど。そんな両親の血を受け継いだわたしは、ショーンコネリー主演の『ザ・ロック』を伝説のギタリストの話だと決めつけて観に行った。ロック(アルカトラス島の別名)から脱走を図る囚人の話だとわかるのに20分かかった。最近は映画情報にも少し明るくなって間違いも減ったと思っていたら、電車の中吊り広告を見て、重大な思い違いに気づく。「ねえねえ『ファイティング・ニモ』じゃなくて「『ファインディング・ニモ』だったって知ってた?」と同僚たちに言うと、「ファイティングだと思ってた」という答え。「でしょでしょ、ニモの視点から見ると、ファイティングだよね」と同意を求めると、「っていうか、君がファイティング・ニモって連呼してたから」。ちなみにわたしの作品でいちばん間違われ率が高いのは、『パコダテ人』。聞きなれない造語のせいで、『ハコダテの人』と記憶されていることが多い。『箱だけ人』『パタゴニア人』『パンダゴテ人』……こうなると、もう別人。


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2002年11月11日(月)  月刊デ・ビュー


2003年11月09日(日)  小選挙区制いかがなものか

■夜8時から朝3時まで延々と選挙報道を見る。今回は知人が立候補していて、当落が気にかかっていたのだが、結果が出ないうちに、ずるずると見てしまった。最初はダンナの実家で義母と二人で見ていた。「あら人相悪いわね」「やだ、まだいたの、この人」と義母は画面に向かって絶妙な突っ込みを入れる。そこに、ほろ酔いの義父が帰ってきて、「俺は投票用紙に『雅子』って書いたぞぉ」とふざけてのたまう。「それは大いに無効票ですねえ」などと笑いながら、義父の実況解説つきでワイワイと票の行方を見守る。■見ている間にむくむくと膨らんできたのが、小選挙区という制度への疑問。いちばんの人しか選ばれないって、面白くない。候補者も様々だけど、有権者も様々。1選挙区1人というのは、いろんな可能性をバッサリ切り捨てているように見える。メジャーなことは悪くないけど、メジャー=絶対という図式は少数派のチャンスを狭めてしまう。シナリオコンクールも「大賞1点のみ」より「優秀賞」や「特別賞」があるほうが応募意欲が湧くんだけど。自宅に戻り、一人で続きを見ているところに帰ってきたダンナをつかまえ、「小選挙区制いかがなものか」と息巻くと、「今回から始まったわけじゃないんだけど」と勉強不足をあきれられた。10年前から導入されていて、もう3度目の選挙だとか。今回小政党が大敗したのは、選挙制度が変わったからではなく、小選挙区はもちろん比例区でも議席を減らしたのだと。政党そのもののパワーの問題なのか。ただ今回は、マニュフェストというありがたそうだけど借り物に終わった概念が一人歩きし、「自民党と民主党、どっちのマニュフェストを選びますか」と突き付けられた印象があった。それに制度が絡んで「どっちかが勝つ」図式になったのかもしれない。■留学先で選択したアメリカ史の授業では、共和党と民主党が政権交代を繰り返してきた歴史を学んだ。「二大政党制のいいところは、主張の異なる二つの政党がそれぞれの方向に引っ張り合ってバランスが取れること。どちらかの党が行き過ぎたら、もうひとつの党がブレーキとして働くの」とMrs.Lee先生は言った。そのとき、教室から質問の声が飛んだ。「でも二つの政党が同じ方向を向いたら、どこまでも飛んで行ってしまって、誰も止められないんじゃない?」。先生は「いい質問ね」と褒め、「そこに二大政党以外の政党の意味があるの。たとえ少数でも議論のきっかけは起こせるし、議論するのが議会の仕事よ」と答えた。あなたが使う一票の先には、国を動かすストーリーがある。それを想像することも政治に参加すること、と教えてくれた。日本の政治はどこへ行くのか、ちゃんとお勉強して、想像力を働かせて見守らないと。


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2002年11月09日(土)  大阪弁


2003年11月08日(土)  竜二〜お父さんの遺した映画〜

ストレイドッグ第16回公演『竜二〜お父さんの遺した映画〜』を観る。生江有三氏のノンフィクション『竜二 映画に賭けた33歳の生涯』(幻冬舎刊)を原作に森岡利行さんが脚本・演出を手がけている。竜二というのがモデルとなった男性の名前だと勝手に思い込んでいたが、役者であり、『竜二』をはじめ幾つかの映画の脚本を書いた金子正次さんの人生を描いた話だった。自分が映画で主役を張るために脚本を書くようになったが、売り込みをかけてもなかなか色良い返事はもらえない。脚本を買われても、「主役は客が呼べる役者にしたい」と言われたりする。それでも、「自分が主役で無ければ意味がない」とこだわり、病魔に冒された体に鞭打ち、資金難の中で『竜二』を完成させる。だが、『竜二』が公開されて間もなく、彼は33歳で命を閉じる。それが20年前の11月6日だった。昨年の公演の再演である今回の公演は、命日に幕を開けている。■役者、製作者を問わず、映画関係者に金子正次ファンは多いらしい。好きな道を突き進む生き方にかっこよさを感じるのだろう。去年は舞台の初演と同時期に同名の映画が公開された。会場には映画の出演者も何人か見えていた。今日の舞台とあわせて、映画『竜二〜お父さんの遺した映画〜』と『竜二』も見てみたくなった。■いつものように打ち上げに参加させてもらう。竜二の相手役だったシェイプUPガールズの中島史恵さんを紹介される。年下なんだけど、姉御肌のカッコいいお姉さん。「この間お会いしましたよね?」と言うと、首をかしげられる。10ガールズの福地香代さんと勘違いしていた。「すいません、オスカーでガールで髪の長い美人って覚えていたので……」と言い繕っていると、「オバチャン、もうわかったがな」と木下ほうかさんに突っ込まれる。『パコダテ人』を観た森岡さんにわたしを紹介してくれたほうかさんは、映画版『竜二〜』にプロデューサー役で出ている。『料理昇降機』に出演していた古川康大さん、工藤剛さんは、わたしの日記の感想を読んでいて、「あの後、ファンの方がオリジナルの英語脚本を届けてくれました」と報告してくれる。観に来ていた蛍雪次朗さんにあたたかい言葉をかけられ、観劇で涙ぐむ女優さんも。今夜も元気をもらって帰る。

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2003年11月06日(木)  よかったよ、ガキンチョ★ROCK

いつもアホな冗談言い合っているが、作品を見せられると、「この人、すごい人やったんやー」と思い知らされるのが前田哲監督。今日シネフロントで見た新作ガキンチョ★ROCKは膨れた期待を上回る勢いで面白かった。前田作品は毎回とてもチャーミングだけど、今回は監督が普段からおどけて言っている「オッス! メッス! キッス!」に象徴されるように、前田色が濃く出ていて、登場人物たちのダメな部分であり愛せる部分にも前田さんの目線を強く感じた。大阪弁の映画は大好きで、それだけで点数が3割増しになるが、観ている途中はワクワクドキドキして、観終わるとスキッとする、爽やかでハートウォーミングな作品になっていた。

ロックバンドが主人公で全編が音楽に彩られ、ミュージカル仕立てになっているシーンもあるのだが、使われている歌がどれもぴったりしっくり、東京国際映画祭でのリージョナルフィルム上映ということでつけられた英語字幕の歌詞も見事にはまっていた。中島みゆきの『時代』にだけ字幕がなかったのは残念。許諾の関係なんだろうけど、外国人の観客さんも歌詞の意味がわかったら泣けただろうなあと思った。『時代』のシーン、わたしはボロ泣き。

キングコングの西野亮廣さん、梶原雄太さん、ロザンの宇治原史規さん、菅広文さん、彼らの憧れの比呂美ちゃん役の清水ゆみさんも等身大で生き生き、キラキラと演じていて大好感。アイドル歌手になりきったチュートリアル徳井義実さん、警官役の田中要次さん、御曹司役の山中聡さんなど、クセのあるキャラたちからも目が離せない。登場人物の個性が際立って見えるのは、衣装デザインの小川久美子さんの魔法も、もちろん入っている。今回もかわいかったなー、衣装。

上映の後はトーク。監督、キングコング、ロザン、清水ゆみさんの5人に田中さん、山中さんら「キル・ビル出演組」4人が加わり、大盛り上がり。観客はキングコングとロザンのファンの方が多かったようで、リアクションが大きく、気持ちよくそのノリに巻き込まれた。後でわかったことだけど、MCの女の子は、友人ミナのホームパーティーで一度会っていた安田佑子さん。映画大好きな人で、『パコダテ人』も観てくれていた。

出口のところで田中要次さんを見かけて、「パコダテ人の今井です。ジェニファもゲロッパも見ました」と声をかけたけど、きょとんという顔をされていた。たぶん忘れられている。覚えてもらうよう、まだまだ書かないと。なんだか、とても映画を作りたくなった夜だった。

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2003年11月02日(日)  ロンドン映画祭にも風じゅーの風!

■ロンドンに住む留学時代の同期のナオコから「ロンドン映画祭に『風の絨毯』が出品されることがわかったので、見に行ってきました」とメール。2回ある上映のうち1回目はチケットがsold-outで、2回目を観てくれたそう。「日本語がわかる日本人と、イラン語がわかっているイランの人たちと、英語の字幕を読んでいるイギリスの人はみんな笑うタイミングがみんな微妙に違ってた」と興味深いレポート。東京国際映画祭でもそうだったなと思い出す。「あと、映画の後にも面白いことがあって……」というこぼれ話がついていた。会場でロンドン在住の日本人女性に声をかけられてしばらくおしゃべりしていたら、映画の最初の場面で工藤夕貴さんが着ていた洋服をデザインした人だったのだそう。日本に一時帰国していたときにたまたまテレビを見ていたらインタビュー番組に夕貴さんが出演していて、一瞬映った『風の絨毯』の一場面を見て、自分が昔デザインした服だと気づかれたそう。「その後この映画を見たいと思っていたんだけれどもロンドン在住だしあきらめていたら、ある日ふっとこちらの日本人情報誌が目に留まったと言ってました」と、偶然が重なり、無事観ていただけた様子。ナオコとデザイナーさんとはすっかり意気投合し、これからもおつきあいが続きそうとのこと。人と人のつながりから生まれたこの作品が、ロンドンでもあたたかい風を吹かせてくれたことがうれしくて、プロデューサーの益田さんと山下さんにも知らせる。つくづく、映画は人をつなげる天才。■ちなみにロンドン映画祭のサイトの『風の絨毯』紹介は、ネイティブの人から見ても「いい英語」らしい。


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2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会



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