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■ 通夜 そして「長男」ということ
薬局は午前中まで仕事。 私は洗濯物をひたすら洗って干した。 用事が済んでからちょっと仕事を見て メールを送信する。
今日は夕方からだったけれども もうこれだけ時間が近づいているのだから 終わったも同然だと夫を励ます。 人が集まるこういうことは そうめったにないのでかなり緊張している夫だった。
私は、というと勿論気は張っているけれども 昔の仕事で何となく手順はわかっているので 何とかなるさ、という気持ち。 それでも手落ちがないといいけど、と ちょっと不安でもあった。
早めに家を出て斎場に着くと 気の早い実家の家族がもう既に着いていた。 コーヒーを戴いて控え室に案内される。 ここは宿泊も出来るという和室で とてもきれいだった。 和室がニ間あってバス・トイレ付き。 台所もついていた。 床の間はあるしお庭がベランダにあるし とても快適な空間。
隣が式場になっていた。 舅の祭壇が既に飾られてあり、 生花の並び順を打ち合わせる。 なるほど、こんなことまで決めるのか。
その後、お茶を飲んで 久しぶりに家族揃って実家の家族と話をしていると 名古屋のご親戚が到着。 舅は名古屋出身で当時大学生の頃から 地元で大きな会社をいくつも手がけていて 夫が5歳の時に財産を全て置いて上京したという。 舅の母が亡くなり、後妻さんに育てられ 後妻の息子達(=すなわち腹違いの弟達)と 諍いがあったようで 結局彼等に全てを譲ってしまった。 弟さんは舅によく似た面立ちをしていて 息子さんの結婚式に呼ばれて以来お会いしていなかった。 舅があまり付き合いをしていない故、 やはり疎遠になってしまっていたのだ。
お坊さんが見えました、と連絡を受け、 夫とご挨拶に行く。 お車代とお布施を持参して。 お坊さんは姑の葬儀以来、こちらも不義理をして お会いしていなかったけれど 当時はまだお若かったので 心なしか頼りない印象を受けたけれど 今日改めて久しぶりにお会いして 別人のようにごりっぱになっていらっしゃった。 ちょっとびっくり。
葬儀の座る順番で前に3人。 夫と私、それから長男ということだった。 斎場の担当の人に社葬を兼ねているので 次の後継ぎということを 表明しなければならないこともあると言われ これが思いがけないことだったので一同驚く。 長女は私が一番年上なのに、男尊女卑なのね、と ちょっとおかんむり状態。 長男本人は今までお姉ちゃんに頭が上がらなかったのが 思いがけず、自分が最初といわれ、 戸惑っているようだった。 が 真剣な顔には頼もしさが伺えた 笑
こんなわけで お焼香の順も何をするのも 長男が子供で一番最初ということになった。
お世話になっている方々が お忙しい中たくさん参列してくださり、 ただただ感謝。 通夜が終わり、 お坊さんのお部屋に夫とお食事を持っていく間に 親族をお清めの席に移動する前に 代理でご挨拶をしてください、と 長男が係りの人に言われたらしい。
長男はどうしようと考えている間に 結局何も言えずに 移動することになったらしいが 後でこの話を聞き、 これは彼に取っては かなりのプレッシャーでもあり、 貴重な体験になるだろうな、と思った。
久しぶりに名古屋の方々にお酌に回り、 お話をする。 弟さんのお一人は入院中で奥様がいらしていた。 上の弟さんの次男さんは前から知ってはいたけれど すぐそばの池上に住んでいて、 奥様とも色々お話した。 小2の息子さんがいて、地元の小学校だという。 今まで親戚付き合いが皆無に等しかっただけに こういうひと時は懐かしく、楽しかった。 皆さんを送り出し、社員の人達にも感謝しつつ お酌をして回り、一緒にお話をする。 舅が昔は本当に素晴らしいアイデアの持ち主で 話をしているだけで楽しかったということや カレー粉の会社で「トルコカレー」という銘柄を作ったり 木工会社を作ったりという話を聞く。 大学生の頃からかなりの商才を持っていて 家には数える暇なくお札が詰め込まれた壷が いくつもあったという ^^;
そういう親の息子だった夫は プレッシャーもあっただろうし、 晩年何をしても認めてもらえず ガミガミと小言を言われることが多々あって 大変だった。
一日目が何とか終わり、 家に帰ってお風呂に入り早々に休む。 明日も早い。 あと少しで終わりだね、と皆で励ましあって 眠りについた。
2004年05月08日(土)
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