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■ 告別式
7時半に起床、 朝8時半すぎに斎場に着く。 名古屋の方の帰宅時間やご都合も考えて 告別式は開始を10時からにしたのだった。
娘のピアスが朝控え室で見て 片耳に2個、もう一方に1個ついていたのが 気になっていたが 何も言わないうちに自分から取り外したようだった。 (ホッ) 制服のシャツは一番上をいつも外し、 ネクタイもゆるめに結んでいたけれど 今日二日間だけはそれはしないでね、と 昨日の朝にお願いしたのだった。 長男も詰襟の下のシャツのボタンを きちんと留めるように言い聞かせる。 言われたときは、はいはい、と言っていたが やはりこういうきちんとした席ならば 自然と自分から身なりを正しているようだった。 焼香も何度もしているうちに どうやってするのと最初は聞いていたけれど 慣れてきたようだ。
仲人さんの弔辞も素晴らしく、 お経もりっぱなお経で感謝&感激する。 夫のご挨拶も心配していたけれども 思ったよりもきちんと出来ていて 子供達もぐんと父親を見直したことと思う。
出棺の前に故人の棺に数珠を入れ、 花を皆で入れる。 やはり色々なことがあったとしても お別れは悲しい。
息子達は棺を担いで霊柩車に載せ、 私は位牌、娘は遺影を持つ。 今まで事務的に処理しつつあった葬儀が 改めて自分の家族の葬儀なのだな、と 自覚せざるを得ない瞬間だった。 子供達も自分達が出るのいやだなーとか 出ればいいんでしょ、と言っているだけの出来事ではないと 思ったと思う。
お坊さんと夫とハイヤーに乗り、 霊柩車の後を走る。 他の人達はマイクロバスでその後に続く。
お坊さんは姑の葬儀のときも 同じ桐ヶ谷斎場だったですね、と思い出されて話された。 戒名代が高いだのと色々夫と文句を言っていたけれど 要は故人が一番こだわっていた事だったし それが一番喜ぶことだったのだから お金云々は言うべきではなく、 有難いと感謝しなければならないのだな、と 痛感しながら車に乗っていた。
子供達にも自分の故郷や祖先のことなど 話していかなければならないのだから やはりお寺さんとこれで縁を切ろうなどと 思うことはやめて これを機会にまたお寺さんと繋がりを持つのが大切だと 思った。 夫も同じ気持ちだったろうと思う。
斎場は入り口が二つあるところで 最後のお別れをする。 一時間弱、上のお部屋でお話をし、 お茶を飲んで時間を過ごし、 お骨上げをした。 子供達は初めてのことだったので とても印象に残ったことだと思う。 舅はわりと細い人だったけれど 骨はたくさんあったので やはり骨太で健康体だったのね、と話す。
お骨になった舅を夫が抱えて夫と長男とともに ハイヤーに乗り、戻る。 そのまま初七日と四十九日法要を済ませた。 お坊さんのお経はかなり長かった。 子供達にとっては睡魔との戦いでもあったようだが 私達は有難いと感謝していた。 お坊さんはここで名古屋に帰られた。
その後に精進落としの席に移り、 故人と馴染み深い人達とお話をしながらお食事をした。 これも故人が引き合わせたご縁なのだろうな、と しみじみ思う。
夫はこれで自分の血縁の家族を全て亡くしてしまったが これからは私達家族で力を合わせて頑張っていこうと 気持ちを新たにしたと思う。
子供達も難しい時期でもあり、 一緒にいるなんて面倒と思ったりする頃だが こういう事があって やはり自分は家族の一員なんだと 改めて認識したことと思う。
2004年05月09日(日)
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