2009年11月05日(木)  レヴィ=ストロース氏を知っていますか

先日のこと。
「レヴィ=ストロースって読んだ?」とある人に聞かれて、咄嗟に何のことだかわからなかった。わたしの耳には「ベビーストロース」と聞こえ、煮込み料理か肉の部位か、がっつりした食べものを連想したが、読むというからには書名か著者名だろう。

「知らないの? 20世紀を代表する文化人類学車だよ。ついこないだ100歳で亡くなった……」と質問した相手は呆れ、
「その人、日本人?」とわたしが聞いたら、絶望的な目をされた。
だって、紛らしい人いるじゃない。ユースケ・サンタマリアとかリリー・フランキーとかケラリーノ・サンドロヴィチとか。
「あのねえ、レベルが違うよ」
その人は、かつて「ケラリーノ・サンドロヴィチって外人?」と聞いたことを棚に上げて、わたしの無知をなじる。悔しいので、レヴィ=ストロースについて解説してみせてよと言うと、文明社会より劣っているとされていた未開社会にも秩序と構造があるという構造主義を唱えた人だと説明された。
「なんとなく、大学の文化人類学の講義で聞いたことある気がする」と言うと、
「だから、さっきから言ってるでしょ。文化人類学車だってば!」
「その人に影響されて本とか書いてる人、けっこういるんじゃない?」
「そんなの、いくらだっているよ!」
「自分だって、コーヒー豆のキリマンジャロをミケランジェロって言ってたくせに」
「あれは言い間違いだよ!」
そうして、その人は、「知らないなら、知らないと、はっきり負けを認めなさい」とわたしの知ったかぶりを責め始めた。

負けずぎらいで意地っ張りなせいもあるけれど、知らないことを聞いたとき、わたしは少しでも、その知らないものと自分との接点を見つけようとしてしまう。それは、人にはみっともない悪あがきに見える。でも、それは、興味を示していることの表れでもある。その後にはちゃんと知ろうとするし、少しずつながら無知を克服しているのだから、いいじゃないのと反論した。

知ったかぶることもなく、自慢することもないかわりに、聞けば何でも知っているご近所仲間のT氏に、「レヴィ=ストロースって知ってますか」と聞くと、当然のように知っていて、「同じくユダヤ系のリーバイ・ストラウスとスペルが同じで、よく間違われるんですよね」と豆知識を授けてくれた。

調べてみると、ジーンズのほうはLevi Straussで、レヴィ氏はLévi-Strauss。レヴィが名でストロオースが姓だと思ったら、レヴィ=ストロースが姓で、ファーストネームはクロードということがわかった。名乗ったときに「pants or books?」と聞かれたというエピソードが面白い。

そんなことがあったので、今日の読売新聞文化面に掲載された「レヴィ=ストロース氏を悼む」の見出しが目に飛び込んだ。人類学者の中沢新一氏が「彼の精神こそ私の神」と題する追悼文を寄せている。レヴィ=ストロース氏を大鷲にたとえ、「その鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことがなく、現代人が無価値なものと打ち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した」彼の精神に神を見ている。「私が思考しているのではない、私をつうじて、人類の心が本性にしたがって思考しているのだ」と語っていた謙虚さをたたえ、「この謙虚を剣として、現代文明という巨大な風車へ立ち向かっていった、偉大なるドン・キホーテなのであった」と評する。「二十世紀文化をかたちづくる星々の中でも、とりわけまばゆい光を放っていた孤独な魂」という例えも美しい。

格調高く力強く尊敬の念に満ちた追悼文の書き出しに、画家だった父が描いたという「少女の格好をして大きな本を読むふりをしている」幼年期の肖像画の話が出てくる。百歳を超えて長生きしたという父親は、息子にも長生きを願って女の子の格好をした絵を描いたらしい。この絵のエピソードに、とてもあたたかなものを感じた。

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