2009年08月26日(水)  エンドロールまで感服『グラン・トリノ』

「今年のナンバーワンだ」「イーストウッド監督作品でベストだ」などと会う人ごとに絶賛し、「まだ観てないの? 観たほうがいいよ」と強烈におすすめされていた『グラン・トリノ』。映画製作に関わる一人として、これぐらい圧倒的に支持される作品を作ってみたいものだわと羨望を覚えつつ、『築城せよ!』や『スラムドッグ$ミリオネア』や神保町シアターの成瀬巳喜男特集を優先させるうちにロングランのロードショーは終わってしまい、待つことひと月。三軒茶屋シネマで一週間上映される情報を得て、つかまえに行った。

広告会社のひとつ上のアートディレクターで、一週間に20回食事を共にするほど仲良くなったタカマツミキが住んでいたのが三軒茶屋で、沿線の鷺沼に住んでいたわたしは、週に何度か途中下車して、会社帰りにご飯を食べていた。三茶に来ると、20代の頃の自分やミキのことを思い出されて、照れくさいような懐かしさが込み上げる。

ミキと映画を観るのは必ず渋谷で、三茶に二つある映画館で彼女と観た記憶はない。見逃した作品を追いかけて、別の人と何度か観に行ったことはあり、沖縄サミットに情熱を燃やしていた小渕恵三元首相が熱烈に薦めていたという噂を聞きつけて観た『ナビイの恋』を観たのも三茶だったと思う。その三軒茶屋中央劇場の手前にあるビルの二階が、三軒茶屋シネマだった。狭い入口から小さな劇場を想像したら、予想外に大きく、二階席まである。いつもの映画館の感覚で座席に腰を下ろすと、座椅子が跳ね上がった。年季が入ってバネが利かなくなっているらしい。椅子を変えても同じことで、座り心地には贅沢は言えないけれど、これもまた味。川越キネマも長い歴史に幕を下ろす前は、こういうガタガタ椅子だったのだろう。

さて、お待ちかねの本編。同じくイーストウッド監督作品の『チェンジリング』にも言えることだけど、扱われるエピソードが劇的でショッキングである分、演出は抑制がきいていて、観客を目撃者の目にさせるところがある。その結果、すごいことが起こってるぞと見せつけられるよりも、むしろ画面に引き込まれ、息を呑んで見守ることになる。そして、「物語を転がす事件のために事件を起こす」ような無理やこじつけを感じさせず、映画の中で起きている出来事が真実味を帯びてくる。ともすれば嘘っぽくなりそうな題材をそれっぽく描く。その違いは、細やかな心配りの積み重ねだろうか。根性焼きやリンチの生々しさ。パンク娘や新米神父や街のゴロつき、隣家に集うモン族の一人一人に至るまでがまとう、いかにもな雰囲気。そして、もちろん、主演のイーストウッド演じる偏屈者の元軍人のもっともらしさ。キャラクターから傷までが映画の時間を生きている。タイトルにもなっている自慢の名車グラン・トリノもまた、主人公に永年寄り添ってきた確かな存在として息づいている。God is in the details(神は細部に宿る).「作り込む」というのは凝りまくることではなく、細部まで目を配り気を抜かないこと、「作り抜く」ことなのだと作品のあちこちに宿る神たちが語っている。

わかりやすいメッセージを連呼するのではなく、どうする、どうすると観客に投げかけ続ける。答えを提示するのではなく、観客に答えを考えさせ、求めさせる。息抜きの場面に見えた何気ない台詞やエピソードが後で重い意味を持つ伏線になっていたりして、高度だなあ、上質だなあと感心する。憎まれ口をたたきあう悪友の理髪師にヒゲを剃らせる場面で主人公の決意の固さを感じさせるとは。心を開き合った隣人のモン族青年をギャングの従兄たちの攻撃から守るために彼が考え、実行した解決策は悲劇ではあるけれど、考えうる最良の方法だと思わせる説得力があった。

エンドロールのバックは、グラン・トリノが走り抜けた海沿いの道をカメラを据えたまま延々と流し続ける。次々と走り去る車が、さまざまな人生を運んで行く。わたしだったら、ついグラン・トリノを追いかけたくなるところだけれど、それは主題歌に任せたイーストウッド監督。諸行無常を感じさせ、流れる人生について立ち止まって考えさせるような深みのあるタイトルバックに唸った。

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