2009年08月27日(木)  応援団をやっていて良かったこと

今月初めに七大戦の演舞演奏会を観に行って以来、血中応援団濃度が幾分高まっているところに、親交のあった神戸大学応援団の同期より創立50周年記念誌への寄稿依頼があった。熱のほとばしるまま一気に書いた原稿のタイトルは、「脚本家になるには」。わたしが脚本家になれたのも、あり続けられるのも、応援団で身についた気力体力忍耐力交渉力感動力飲み会サバイバル術などの賜物。脚本家を目指す若者には、応援団に入ることをおすすめしたい。そうすれば、衰退しつつある応援団界も活気づくし、根性のある脚本家も育つ……といった内容。

別に応援団でなくてもいいのだけど、無駄だと思えるようなことに没頭したり、限界まで自分を追い詰めて、己の弱さと向き合う経験をした先にしか見えない風景があると思う。どちらかというとしんどいことや不条理なことが多い応援団という特殊な世界に身を置くうちに、「人生は、自分で何とかしていくしかない」という悟りのようなものと、それに必要なたくましさを得たとわたしは思っている。あれだけ辛い思いをしたのだから、その後何があっても耐えられるというのとは違う。苦労や努力を喜びや楽しみに転換して、自分の人生は自分で面白くしてやるという気構えのようなものができた。

応援団の四年間に何の意味があるかなんて、中にいるときにはわからない。社会に出て、壁にごんごんぶつかり、乗り越えるたびに、案外図太い自分の土台があの四年間に作られていたことに少しずつ気づく。会社員のコピーライターを経てフリーの脚本家という自力本願度の高い立場になって、なおさら応援団で授かった基礎体力ならぬ基礎生き抜き力に気づかされる毎日だ。その反動で、「脚本家になるにはどうしたらいいですか。ヒマなときにでも教えてください」「今の会社がつまらないので脚本家にでもなりたいと思いますが、ぶっちゃけ、食べていけますか」なんてメールを送ってくる他力本願な志願者には喝を入れたくなってしまう。デビューできるかどうか、食えるかどうか、自分の才能を宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのも、あなた次第なんですよと。

応援団の経験のもたらすうまみは年を経るごとに熟成され、脚本業だけでなく子育てにも役立つことを日々実感している。思うようにならない育児もまた気力体力忍耐力勝負であり、開き直りや面白がり精神に助けられる。先日は上野動物園で娘のたまを肩車していたおかげで友人のダンナさんに見つけていただいたが、「母親が肩車しているのは珍しいので、つい顔を見た」ところわたしだったのだそう。チアリーダー時代は同じぐらいの体重の部員を担ぎ合っていたので、十数キロの娘を肩に乗せるのは、だっこよりもラクに感じる。

先日、たまが人形を縦に二つ重ねているのを見て、ふと「ショルダースタンドもできるのではないか」と好奇心にかられた。試しに肩の上に立たせてみたら、意外なほどの安定感。しっかりと足をロック(力を入れて固めること)していて、びくともしない。その姿勢でポーズを取らせ、調子に乗って、たまを乗っけたまま360度回ってみた。これは客人が来たときの座興に使えるのではないか、などと考えてしまうのも応援団出身の性かもしれない。宴会芸もまた応援合戦だった。

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