2007年04月01日(日)  歌い奏で踊る最強披露宴

一昨年、会社時代の先輩アートディレクター・Y嬢が開東閣で「踊る披露宴」を行ったとき、出席したコピーライターのK嬢が「結婚披露宴というものは、歌う披露宴、奏でる披露宴、踊る披露宴の順に格が上がる」と教えてくれた。その法則にあてはめると、Y嬢の披露宴は、わたしがかつて出席した最上格の披露宴だったのだが、「歌い、奏で、踊る」を一度にやってのける披露宴が現れた。新婦は会社時代の後輩営業だったユカ。プロを目指してニューヨークでバレエをやっていたという彼女は、個性を競い合うようなユニークな社員ぞろいだった会社の中でも、とくに面白い子だった。披露宴もきっとただごとでないことになるに違いない、という期待に見事に応え、パワフルでハッピーな最強の披露宴をやってくれた。

会場は、ミュージシャンたちが「いつかあのステージで」と憧れる格調高いライブスペース、ブルーノート東京。通常は叶えられないことらしいが、縁あって夢の貸切公演披露宴が実現。入口のボードにはアーティスト名ならぬ新郎新婦の名前が刻まれた。新郎のシンペイさんは沖縄出身。昨夏放送された深夜の連続ドラマ『快感職人』で主役の神宮寺直樹を演じた尚玄とは同じ高校の出身で友人らしい。そんな縁もあって夫妻で『快感職人』を観てくれていた。

開宴から、いきなり踊る。沖縄の結婚式で身内が舞う慣わしという祝いの琉球舞踊を新郎の父が披露。乾杯に続いて食事を楽しんでいると、今度はクラシカルな衣装に身を包んだ神父とおつきの青年が登場し、「ここで人前式を行いたく思います」と宣言。いかにも神父なのに、神前式ではなく人前式? その謎は間もなく解け、「申し遅れましたが、わたくし、新婦の父でございます」で場内は爆笑。神父ならぬ、新婦の父。ローブは東京衣装でレンタルしたとか。「あなたはわたしが手塩にかけ、愛情をかけた娘を幸せにしますか」と新郎に詰め寄る台詞には迫力があり、さらなる笑いと拍手を誘った。「では、指輪と手錠の交換を行います」にも大爆笑。手錠の正体はブレスレット。指輪だと失くしやすいからという理由のよう。

センスのいい招待状のデザインも会場に流れる映像の編集もユカの友人が手がけている。赤がアクセントのドレスは、友人のコムサデモードのデザイナー・池野慎二さんの手によるもの。当日つけていたアクセサリーもすべて手作りしてくれたのだとか。わたしも何かお手伝いできればよかったのだが、抱腹絶倒の神父台本を花嫁に書かれては出る幕がない。

後半はライブタイム。友人たちで結成された生バンドに合わせて新郎新婦が歌い踊り、列席者もステージ前に繰り出して一緒に踊る。はじめて聴いたユカの歌は玄人はだしでびっくり。プロでもめったに立てないブルーノートのステージで、毎日歌っているような余裕と貫禄を見せていた。

ライブを休憩し、ダイナミックに積み上げたドーナツが登場。ケーキカットではなく、口を大きく開けてドーナツを食べさせあうドーナツバイトというのは、いかにもユカらしい。ドーナツは、昨年12月にオープンした新宿サザンテラスの日本上陸店の長い行列が話題になっているKrispy kreme Dougnutのもの。日本初のドーナツタワー(これまたユカの友人の厚意で実現)に、「あれだけ買おうと思ったら、一日並ばないと」と同じテーブルについた広告会社の元同僚たちはどよめく。わたしが知ったのはつい最近だったのだけど、「クリスピークリームドーナツって知ってた?」と聞くと、当然のように「ああ、何度も食ったよ」と言う。「並んだの?」「ロケんとき、ロスで食った」。こういう会話を聞くと、広告業界だなあと思う。

再びライブで盛り上がった後、新郎新婦から両親へのメッセージ。目の前で読み上げると泣いてしまうからか、録画した映像を流した。ユカが幸せをつかむまでに辛い時期を過ごしたことをはじめて知った。うまく口にできないけれど伝えたかったご両親への思いにも胸が熱くなった。あらためて、本当によかったね、と祝福の気持ちがこみあげた。

今日の披露宴はユカとわたしが一緒に仕事した広告会社の懐かしい顔ぶれが大集合していて、同窓会のにぎやかさもあった。再会のチャンスをくれたユカに感謝しながら、「あの頃は楽しかったね」と思い出話に花を咲かせ、「また集まろうよ」と約束しあった。出席した後で新郎新婦のことをもっと好きになれる披露宴は、分けてもらった幸せが余韻みたいに続いて、何よりの引き出物になる。

2004年04月01日(木)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」刊行
2002年04月01日(月)  インド料理屋にパコの風

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