15's eyes
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2003年04月30日(水) 美人な彼女の悩み

世間では黄金週なんで、私も今日は気持ち早く帰宅
Nステには余裕で間に合ったわけで、ごきげん。

だって夜9時以降食べ物を口にしないという習慣が
ほぼやぶられつつある最近だよ?

肌荒れまっしぐらじゃないか。

やだやだ。

たまには美しい肌のための生活を心がけたって、
ばちはあたらないだろう。

今日は、一つ打ち合わせがあったんだけど、
今年から一緒に働いている同期のBさんと一緒。
Bさんはこの春から転勤して一緒に働いているんだけど、
私の大学の頃の友達とたまたま友達だったこともあって、
親近感がわいていた。

それで、今日打ち合わせの後、会議室で
たまたま後かたづけに二人で残ったものだから、
当然のように(?)雑談トーク
一緒に働いて今まで仕事の話しかしてなかったから、
今日の話は新鮮だった。

楽しかった!


それで、Bさんなんだけどさ。
研修も同じだったから幾人かから噂はきいていたものの、
めちゃくちゃキレイな人なんだよね。

あ。
女の子が言うキレイとか、
可愛いっていうのは信用ならないっていう
男の子も多いかもしれないんだけどさ。

私は、キレイな人以外はキレイって言わないから。

はっきり。

男の趣味が悪いと言われたことはあるけれど、
美的感覚が間違っていると言われたことは、
今までないつもり。
とりあえず、今まで男友達に「キレイだ」と言って紹介した
女友達は「あたりだ」と言われ、
あとで「うそつきだ」と言われたことはないよ。
まぁ、キレイでも、好みの問題はあるかもしれないけど。
とにかく10人いたら、きっと8人以上はBさんのことを
キレイだというでしょう。
まちがいない。

それに、
Bさんはスタイルや顔立ちばかりでなくて、
話をしてもとても感じの良い女の子なのだよ。


前置き長くなってしまった。

いや、何がいいたかったって、
そのBさんは、
やっぱり
やっぱり
やっぱり


彼がいないのよー!!!!!


何を公言してるって、
そりゃぁ、世の中の不条理?ですよ。

あんなにキレイなのに、
なぜ出会いがない??

この前、
元彼のもとに旅だっていった元さやに収まったAちゃんといい、
このBさんといい、
なぜになぜに、
キレイな女の子にかぎって、
恋人がいないんだよ!


わかんなーい


ぜんぜんわかんなーい



Bさんはなかなか出会いがないのよ〜
知り合ってもつきあっても仕事が忙しくて
なかなか今まで続かなかったし…
と、とほほな声で言った。


わかる。
わかる。
わかる。


この、仕事、
出会いないよ。


だって、
毎日こどもと親と先輩既婚教員との接点しかないんだもんねー


異業種と知り合うチャンスなんて、
まともに仕事やってたら、
公共の乗り物の中くらいだよ。


休日出勤も以外と多いからさ。
それで時間合わないことも多いし。

恋愛を拾える条件は思い浮かばなくても、
放棄する条件なら今すぐ3つ以上は言えるよ。


はー
こんなにきれいな女の子なのに、
はやく誰かみつけてくれ
と私は切に思ったよ。

私に知り合いが多ければなぁ…

何をいう私も最近は頻繁メールは彼だけだし。
白状すると、彼以外に誘い出せる男はいないのよぅ

既婚者が続々増えて、めっきり清くなってしまった身の回り。

彼の友達もほとんど結婚してるっていうし…


はぁ…

きれいな子ほど、
恋人いないっていうのは
やっぱりなんとなくあたってる??

とBさんと話していて思ってしまった













2003年04月29日(火) 今日の思考回路

せっかくの休みなんだからと紅茶のシフォンを焼いたんだけど、
多めに生地をつくってしまったために、
焼き上がったシフォンはふくれあがり、
さらにあまった生地で
パウンド型一つ分のおまけシフォンも焼けてしまった。


一人で食べ続けてる…



最近のスケジュールのせいか、
ちょっと痩せたらしい私の体はこのシフォンのために
嫌な太り方をするんですかね?



いいんだ。



あー

カレー食べたい。


甘いもの食べ続けてると、
まったく違う味覚の誘惑に誘われる。



さ。
今の心境はこんな感じなんですが。


卵白をぐるぐる泡立てながら頭の思考回路を
かけめぐったネタをひとつ。


いろんな方々のweb日記を読んでいると、
みんな様々なこと考えてて、
いろいろいろいろな経験をしてるんだなぁと
思う。

私はただの日常こんなことをしたスケジュール日記よりは、
時事ネタでも仕事ネタでも恋愛ネタでもなんでもいいから、
自分の心情を吐露してる日記とか、
あるひとつの出来事をそのひとなりに掘り下げてる日記とかが
好きでそういうものをよく読みにいく。

専らロムってるサイトばっかりなんで、
掲示板に書き込むなんてほとんどないんだけど、
ロムるくらいだから、
読み終えたら何かしら、考えるわけ。

ただ、「ふーん」っていう日もあるんだけどさ。
自分の心情と比べて、「同感」だったり、「反感」だったり、
教えてもらったり、思考を広げていったりして楽しんでいる。


そして、朝読んだ日記を漠然と思い出した時が
ちょうど卵白を泡立ててる時で、
卵白を泡立てながら、
もう一つのある感情に気づいた。



人の日記を読みながら、もう一つわき上がる感情が時々ある。



それは、「懐かしむ」というおもい。




ああ、私もこんなことしてたり、
あんなこと考えたりしてたこと、あったなぁ




日記著者と私の過去の出来事がまったく重なるわけではないくせに、
その日記を読んで、自分の過去を思い出したりすることがある。



ふだん過去なんて葬り去ってるんで、
そのときにある一時の過去の私が
よみがえってくるっていう感じ?


そういう感情がわきあがる日記は、
私より年上や年下とか年齢は関係ないみたい。
むしろ経験の有無によるのかなぁ。

けれど確かに自分にもこんなことあったなぁと感じたり、
こんなふうに物事を考えてたなぁとその人の日記から、
無意識に私は過去を振り返る。


それは、もう思い出したくない過去でも。


あー
そういえばそうだったわ。わたし。

きゅうに一人ではずかしくなったりしてて
ばかみたいなんだけど。


ちょっとタイムトリップしたあとに、
やっぱり私は時間の流れを感じる。


そして、今の私を感じる。


なんだかいろいろあったときもあったけれど、
なんとか日々暮らせてるじゃないの。


そして、時間の流れで人ってどんどん変わるんだなって
やっぱり思った。


確かに5年前の私も
3年前の私も、
今の私とは全然違うこと考えていたような気がする。
でも、そのとき、そのときの私がいたから、
今の私がいるんだよね。



つながってるんだなぁ


しみじみ。


そう考えると、
どんな経験でも
必ず人に何かしらの成長を与えたりしているのかもしれないね。




2003年04月25日(金) 肩書き

今日も夜まで仕事だった。

打ち合わせで話題になって印象に残った話なんだけど。

人の個性というものは、
集団の中にいるからこそみつけられるものだと言った人がいた。


なるほど
なるほど


今まであんまりそんなこと考えなかったけれど、
たとえば人間が一人ぼっちでいたとしたら、
その人には極端な話、名前も必要ないのだ。


個性、個性っていうけれど、
集団のなかに埋もれているからこそ、
みつけられるものなんだよね。


なっとく



…で、この話とは直接結びつかない話かもしれないんだけど、
最近、ちょっと
いや、ずっと気になっていたことがあって。


私もそうなんだけど、
誰かに私ではない誰かの話をするときって、
みんなどうやってそのひとのことを言うんだろうね。


○子ちゃんとか、
■くんとか、
名前で話すればたいして気にならないんだけど、
名前をださずに、話をするときってあるでしょう?

たとえば、友達と話をしていて、
その友達が私が話したい人のことを知らないときって、
わざわざ名前を言わないで「同期の人がね」
とか、「先輩がね。」とか。


ま。
それぐらいはよくある話なんだけどね。
「■■に勤めてる友達がね」とか、
「友達の彼で△△に勤めてるひとなんだけど」
「××歳のひとなんだけど」
っていう言葉もよく日常会話に飛び出すじゃない?


私もついつい言ってしまうんだけど。

あれってどうなんだろうね。


私はつい最近、
久しぶりに出かけた仕事つながりのかったるい食事会や
結婚式で、久しぶりに自分の肩書きを他人に話されて、
へー一言でいうと私ってそんなやつなんだな
と思った。

あ。
決して不快になったわけじゃなくて、
しばらくパーソナルな紹介みたいなこと
まともにされたことなかったからさー
なるほどーそうかーと思ったの。


わたしは、
「先生をやってる15さん。」
ということだった。


ま。
あたりだよな。

あと、「◎◎に勤めてる◇歳の▼▼さん」を紹介された。

やっぱり仕事と年齢はどんな人に言っても、
とりあえず確実な情報だからね。

「親切な●さん」って紹介されても、
相手によっては、「えーあのひとは親切じゃないもん」って
思う人もいるからね。


でも、どっちかというとプライベートな紹介の時は、
職業とか年齢とかよりもよりパーソナルな紹介のほうが、
やわらかい感じがするなーと思う。

だって、結局仕事とか年齢とかで紹介されちゃったら、
いつまでたってもたいした知り合いじゃなかったら、
「◎◎に勤めてる人」ってしか呼ばれないでしょう。

私の父なんか、私のお友達たちと晩ご飯まで一緒に食べるほど
仲良しなくせに「□に住んでる人」とか、「●●やってる人」
とかって言うんだよー
情けない…
や。
名誉のために書いておくが、
仕事上は彼は違うみたいなんだけど、
娘としてはやっぱり情けない。
名前くらい覚えてくれよ。


うん、まぁ、
自分の名前の上にくっつけて、
職業とか年齢とかの情報をつけるのって、
決して悪くはないと思うんだけどね。
結局、その人が、
その職業やその年齢の集団に属していると言うことなんだから、
間違ってはいないんだけどさ。

もう少し、プラスαでその人がうれしくなるような
個性を引き出す紹介ができたら素敵だよね。
難しいけどね。


今書いてて思ったんだけど、
素敵な紹介か…
わたしだったらなにかなー


う。

すぐに書けないところがつらい。



2003年04月23日(水) いいわけ

忙しいということを
みせつけたいわけでもなく、
わかってほしいというわけでもない。


自分では今自分が置かれている状況を、
忙しいのだと、ホントに認めたくない。


ただ、
帰ってからご飯をやっとの思いで口に入れ、
お風呂に入っているときに眠りそうになり、
ベッドにいそいそと潜り込み、
それで一日が終了してしまうという日が続くと、
むなしくなってしまう。


彼からの寝てるの?というメールを
朝読んだときには、がっくりくる。


「私は忙しいのかもしれないなー」
と、つい弱気で「忙しい私」を認めて口に出してしまいたくなる。


私は常日頃、自分を甘やかすと、
とことん甘やかして日常生活が自堕落な女になっていくので、
そこで首をふる。




いや。
私はまだなんとかなると。
忙しくなんて大変だなんて
ぜんぜんないわー



日記では吐きまくりだけど、
音として言葉を発するのと
そうではないのでは、感覚として大違いだ。


「忙しいわー」「疲れたー」と自分で声に出すと、
2倍も3倍もぐったりきませんか?


…って思うのは私だけですか?



ま。
そういうわけで、
声に出すとますます
マイナスの気を自分のまわりに漂わせ、
自分がその雰囲気に酔っちゃうので、
「忙しい」「つかれた」「めんどうくさい」
という言葉を表に発さないようにしている。


しかし、言葉には出さなくても、
実際家に帰っても何もせずに眠る
という行動に出てるんですがね…



今日もまた、
お風呂上がりに即座にふとんにもぐりこもうと思ったんですが。
めずらしく
眠る前に何かしようと
このままじゃぁ、
まいにちなんとなく過ぎていってしまうんだわ
と思い、
日記を書いた。


みごと、やりとげたわ。


よろこび。




2003年04月22日(火) 未経験

このやたらと忙しい4月にかぜをひいたみたい…

土曜日の夜ぐらいから、寒気とか、鼻水とか、
風邪の予兆みたいなものが出てきていたんだけど、
今日から本格的になったみたい。


まいった…


今、家庭訪問の真っ最中であることと、
4月の黄金期に学級のルールを仕上げなければいけないので、
ぜったい休めない。


はー
なんとか今夜のうちに復活しなくちゃ。


今日は明日の準備も早々に切り上げて、
帰ってきた。





ところで



もしも自分の人生のすごろくのなかで、
違う道を歩んでいたら…
ということを考えたりしない?



私が今受け持っている子達の保護者には、
私と同じ年ぐらいの保護者もいる。


私がいま、どんなにがんばっても、
私の年齢で、
その年齢の子を実の子として育てることは、
もう、不可能。


もちろん、それぞれの道。
私がその年齢で培ってきた仕事や恋愛やその他の経験は、
その保護者にはきっとないのだ。


これは比べることはできないし、
比べるなんて変な話なんだけど。


でも、ふと考えたりする。
私は、今自分の子を持つなんて、ムリだ。
きっと今の自分の置かれてる状況じゃぁ
子どもいたら困るなーと思う日々だと思う。

けれど、
ただ、単純に、
私と似たような年齢の保護者が、
子育てを経験しているというのを
目の当たりにして、
話を聞いていて、
すごいなぁと思う。



たとえ、それがどんなにいかれた子育てであろうとも



だって、こどもができるってさ。
親だって、こどもだって、お互いを選べないじゃない?
お互いをありのままに受け入れることだよ?
それって人生の中で究極の受け身だよね。

私にはまだ、おなかに10ヶ月も子どもがいたこともないし、
毎日自分がどんなコンディションの中にあろうとも、
子どもと共に過ごすなんていう環境を経験していないんだから。
この、親と子の究極の受け身というかたち
をとりあえずでも乗り越えた人々を単純にすごいなぁと思う。



そう思うとね。
自分がこの年までにやってきたことには、
なんの後悔も持っていないよ。
なんとか生きてこられたから、
総じてこれで良かったのだと思う。

でも、
自分が女として経験していないことを未だにやっていない
っていうのは、ちょっともったいなかったかな?
とも思ったりもする。



いや、真剣に早くに子どもを生んどきゃよかったなんて、
あせったり悩んだりはしていないんだけどね。



若い時期に出産を経験してこそ、
子どもを通して、もっと違う、
新しい自分がいたかもな〜と
ふと、ないものねだりで思っちゃったりするのだ。



私がまいにちいっぱいいっぱいで生きてきたから、
こどもができなかっただけの話なんだけどさ。



人生のすごろくは続く。


結局わたしは
若い時期の出産をすることはできなかったんだけれど、
きっとこのさき、
いくつか年を重ねた頃に、
きっと経験するのだろう。


ま。
できるのは、願望なんだけどさ。


そのときの自分にしかできない経験をしたいなぁと
ふと思った。



2003年04月19日(土) わたしのみちしるべ

うへー
飲み過ぎて気持ち悪い…朝だった。
昨日は同期の友達と飲んだくれて帰ってきた。

いつもよりは飲まなかったんだけど、
二人とも新学期のための連日の残業のため、
酔いがまわりやすかったみたい。

いやー
でも楽しかったのなんのって。
やっぱり持つべきものは友達だ。
同期の友達は特に仕事の話で盛り上がれる。
いたわり合える。
助け合える。

私は恋人とは同業ではないので、
あんまり仕事の話は彼には、言わない。
言っても無駄だとは思わないけれど、
仕事の技術的な話をしても、
やっぱりこちらが期待しているような
応対にはならないからだ。
同業ではないんだから、専門的な答えを求めたって、
そりゃぁムリだもんね。


以前私の仕事の話を少ししたときに、
やはり彼の反応に物足りないなと思うこともあった。
私の求めている答えはそれじゃないなぁと思った。
まぁ、思い通りのことを言ってほしいだなんて
思ってた私がだめなんだけど。


仕事の話は同期や同僚と話した方が、
断然勉強になるし、絶対楽しいし、
グチも理解しあえるというメリットだらけだから、
彼と仕事の話をする必要を感じなくなった。


彼とは仕事というフィールドを超えた、
生き方や、人間の根本みたいな感覚が、
話し合いたいときに話し合えればそれでいいんだと
思うようになった。



ところが。



昨日の夜に彼からのメールを読んで
私は、ちょっと驚いた。
連日残業続きと、保護者からの困った話で
くたくたになっているだろう私を察してか、
彼のメールには、
「いろいろ大変だろうけどがんばれ。年は関係ない。
15はプロなんだし先生なんだから、
相手は無理難題を言ってくるんだよ。」
と、書いてあった。


はー
君は超能力者。



具体的な話はしていなくても、
やっぱり彼は、
ちゃんとみてる。
ちゃんと私を導いてくれている。



彼は、ふらふらしている悩んでいる
私をしっかりと歩かせてくれる、
道しるべなんだわ



ありがとう。
また月曜から元気に学校に行けるわ。


2003年04月17日(木) いまどきのおうちのひと

きょうも仕事のはなし。

もうすぐ保護者会なので、今日は学年の先生とその打ち合わせ。
主任の先生は、
「やっぱり低学年の親だからね。おうちの人も教育していくつもりで、
話していったほうがいいな。」と言った。



あー
ほんとうに言いたいことはやまほどあるんだけどさ。


本当にこちらからしてみれば、
考えられないような苦情をよせたり
対応をとられることが多すぎる…


いや、
世の中的にみれば教師だって世間離れしてるって
言われるんだろうけどさ。


でも、書かせていただこう。
子育てに関しては世間離れしてる人多いと思うよ。


自分が小学生のころを思い出してみてほしいものだよ。
クラスにあばれんぼうがいても、
友達とちょとしたけんかをしても
忘れ物をしても、
先生のおたよりに書き忘れがあっても、
嫌いな給食が出ても、
昔はいちいち親が介入しなくても、
なんとか、なんとかみんな大人になって
生きのびてこられた人が多いじゃないか。


ぜんぶおうちの人がやってあげてたり、解決してたら、
子どもが自分自身で解決したり、乗り越える力がつかないじゃないか。



生死や、登校拒否になるくらいのもめ事であれば別だけれど、
重箱の隅をつつくような苦情には本当に勘弁して欲しい。
子どもの言ったことにいちいちとらわれすぎずに、
もっと大局的なものの見方ができないものなのかな〜
お母さんが自分の子の言ったことを全部真に受けて
不安に思ってたり怒り狂ってたら、
子どもに影響あたえるんだってことに気づかないんだろうか?


きっとそれは私が自分のクラスのおうちの人に
啓蒙していく必要があるんだろうけど。




でもね。
私にはちょっと自信がない。
かなり克服されてきているけれど、
年上が多い保護者の皆様にもの申すのはなかなか勇気がいることだ。
特に子どものことだけじゃなくて親への意見だなんて…
自分はまだ子育てを経験していないしね。


「給料もらってるプロなんだから、言うんだよ。」
といくら先輩から言われたって、
やっぱりちょっとなぁ…
ひるみそうだ。




今までもやってきたし、これからもやるしかないけどさ。




はぁ…
ちょっとストレスたまりちゅう。

時期的に仕方ないんだけど。


すべての保護者の不満は「おうちの人は、自分の子が一番だから仕方がない。」
という結論で浄化させていくしかないんだけど。




公務員は全体の奉仕者だからね。
教師もそうだ。
どんなにありえないズレた苦情の電話にもまずは不行き届きを謝り、
意図や状況をとりあえずなっとくしてもらえるまで
くどくどとくどくどと説明しなきゃいけないとき、
教師ってホントにサービス業だなと、私は思う。


2003年04月16日(水) 成長のスピード

きょうはしごとのはなしなんで、
こどもと仕事に興味ない人はつまんないかも。



春から久しぶりにちびっこの担任をやっている。

ちびっこほど物の分別と、
日常生活の物事ができる子とできない子の差が激しい。
ちびっこほど人間の核がむき出しになっている年齢はない。



だからまいにち手取り足取り一緒にやっているんだけど、
おもしろくてゆかいなことをやらかす分、
楽しくて仕方ないけど、くたくただ。


こどもと親をみてて最近思うけれど、
こどもも親といっしょに成長しているのかなぁと思う。
まぁ、例外ももちろんあるけれど。


子どもの成長にともない、
親がどのくらい自分の子どもを客観しした上で
わが子を認めていくのか。


やっぱり大抵の親は自分の子が一番で、
自分の子が一番可愛い。
それはあたりまえのことだ。


恋人と同じで、
アバタモエクボなのだと思う。

おおかたのそういう見方は、
こどもを冷たく突き放すよりも全然いい。



また、隣の芝は青く見えるときだってある。
自分のかわいい子どもでも
「もっと」かわいい「もっと」りっぱなわが子を夢見る。

友達の恋人が羨ましく思えることだってあるように、
おうちの人は時々、
「○○ちゃんは何でもできてうちの■■はこれができないなぁ」
となげく。


事実、
日本人独特の謙遜する表現のせいなのかなんなのか
わからないけれど、
親と面談していて、「あれができない。これがもうちょっと。」
とまず口走る人が多すぎる。


きっと、
他人の子と自分の子を比べたり、
自分の経験とか、
兄弟との差とか、
教育書とか、
いろいとなものさしではかってそう言っているんだろうな。

この「ものさし」ではかりだすと、
「できない部分」「足りない部分」が明確になってくる。
「できない部分」「たりない部分」がとっても気になってくる。

ものさしではかって、満たしている部分は、
あたりまえだと思うようになってしまうのだ。


私が以前受け持った子の話を時効だからするけれど、
●くんは苦手な食べ物がたくさんあった。
おうちの人はこまっていて、
「あれがたべられない。これがたべられない。」と嘆いていた。
私が、「じゃぁ、もりもりたくさん食べられる好きな物ってなんですか?」
ときくと、
おうちの人は、ぴたりと口を閉ざし、
「うーん なんですかね〜」と言った。

これはホントにささいなことだけど、私は驚いた。
嫌いな食べ物は紙を見なくてもたくさん言えるのに、
わが子のにこにこ笑顔がみられる好きな食べ物が1個も言えないなんて!


おうちの方、
これがふつうなんですか?




だれだって、「できない」よりは「できた」ほうがいい。
それはこどもだって同じだ。
嫌いな食べ物をわざわざふやしてる子なんていないし、
わざと勉強が嫌いになる子なんていない。
心の底からいじめっ子になりたい子もいないし、
好きで忘れ物を毎日するわけじゃない。



だから、お願いだから、
自分の子どもにマイナス評価をたくさんするよりも、
1個でも多くのプラス評価をしてほしい。



恋人のだめなところもよいところも客観視し、
恋人自身をそのまま受け入れていくと、
恋人と長続きするという秘訣のように、
子どもだって同じなんじゃないのかなぁと思う。

おうちの人がその子のありのままを受け入れなかったら、
恋人のように破局を迎えることはなくても、
こどもの心はちょっとずつ破けていく
子どもは小さいながらも破けるのを防ごうとして、
のりでくっつけたみたいに仮面をかぶろうとしたり、
反対に自分を痛めつけてこころをびりびり破いていってしまうのだ。



確かに自分の子は45分間座っていられなかったり、
いつも友達をたたいていたり、
いつもちょっとしたことでしくしく泣いていても
それが、その子。


●歳くらいならこれくらいできる。
○○ちゃんができるからうちの子だってできなきゃいけないって
思ってても、出来ない子だっている。


仕方ないよ。
そんなの。
ひとには成長のスピードがあるんだから。


でも
健康な子なら、
人間らしい最低限の物事は自分でいつか出来るようになる。
学校に行ってれば他人と関わらなきゃいけないことで、
嫌でも成長していかなくちゃいけないものだからさ。
みんな、みんな、波にもまれて、
いずれおとなになるんだ。
だいじょうぶだって。


どうか、自分の子どもの成長のスピードを
わかってあげてほしいな。


もうちょっとで家庭訪問なんだけど、
どうか自分の子自慢をしてほしいな〜
おうちの人がずーっと見てきた、
生まれてたったの何年間で身につけた、
その子のぴかぴかしたよさを教えてほしいな。








2003年04月12日(土) 彼との記憶、記録

週末に従姉妹の結婚式に出席してきた。

式そのものは、会費制のベーシックなものだったけれど、
何がよかったかって、二人の記録を
パワーポイントでプレゼンっぽくまとめた
フォトショーがよかった。

3年ほどつきあって結婚した従姉妹とその彼の、
日常を少し垣間見ることができた。

二人のごはんも、
二人の旅も、
二人の寝顔も、
ありふれた日常なんだけれど、
でも、写真にうつる顔は、
どんな表情も幸せに満ち足りていて、
みていてこっちまで暖かい気持ちになった。


式の帰りに私は、
先日卒業していった子どもからうけとった
卒業式での写真のことを思い出した。

ふだん、カメラを前にして妙にかまえてしまう私が、
その写真にうつった自分を自分で見て、
「ああ、これがわたし、そのもの。」
と思う顔だったのだ。

写真うつり
というけれど、
その写真うつりがよいとかわるいとか、
それはきっと自分が自分に対して持っている
イメージがそのままフィルターを通して映し出された写真が
自分にとって「良い写真」で、
そうではない場合が「悪い写真」なのかな?と思う。


子どもたちに囲まれて笑う私は、私そのものだった。


従姉妹の結婚式でのフォトショーといい、
卒業式での自分の写真といい、
写真に対してわかったことがある。

これは、撮られるプロであるモデルさんなんかには、
通用しない話かもしれないけれど、
少なくとも自分には、その時、その時に、
思っている心が、フィルターを通して、
写真に映し出されているのだと思う。

心からうれしい時には笑顔。
自信がないときには、かまえた顔。
楽しくないのに笑おうとしているときは、ゆがんだ顔。
ムリに笑おうとしているときには、
どうしたって顔が堅いのだ。


私は、恋人と写真をとるのがキライだった。
それは、きっと、自分を相手によく見せたかったからだ。
よく見せたいから、
写真に残す表情は、
笑顔をつくっても、
それは彼に見せるときの自然な顔ではなく写る。

だから、歴代の恋人は写真にうつった私の顔を、
「いつもと違う。」といい、
「写真うつりがわるい。」
と言っていたのだ。

今の彼は、もっと端的な言葉で言った。
「顔、つくんなきゃいいのに。」と。

彼は、初めて写メールを買ったときにわざと、
飲み物を飲んでいた無防備な私の横顔を撮った。

たぶん、カメラを構えたら、
また、私が顔をつくると思ったのだ。


何のために写真をとるのだろう?
プライベートであれば、
それは、記憶を記録するためだ。


その記憶は、生。
リアルな感情を残さなくて、どうする?


いつもきれいな記憶が本当にいいのか?
ちがう。
それはきっとちがう。

どんな記憶を残しておきたいかって、
それは、きっとありのままの記憶なんだ。
私は、それを覚えていたい。


私はもう、写真にうつることが嫌ではなくなった。
むしろ、自分の日常を写真に残しておきたいと思った。
記録に残してこなかった過去を後悔した。


私と彼の出会ってからの日々は、
頭の片隅に引き出しをつくって、
時々引っ張り出して思い出すけれど、
そのときそのときに、
きっと二人ともいろんな顔をしてきたはずなのだ。
それを残しておきたかった。

がっくり。


あーあ。


でも、過去はもう撮れないけれど、未来はある。
私は、彼と自分のいろんな顔を撮っていくつもり。


泣き顔も怒り顔も
笑い顔も喜びの顔も
全部、全部、
それは、きっと宝物の記録になるはず。









2003年04月06日(日) 彼女のお城

昨日から外泊。
一人暮らしの、
友達のおうちに遊びに行ってきた。

私とこの友達の関係はお互いの家に遊びに行ったら、
とりあえず、おもてなしをし合うというような感じ。
私の家に遊びに来たら、ご飯を食べさせ、おつまみを出し、
おふとんもひいてあげましょうという感じ。


今回は反対で、私が彼女の家に遊びに行った。
すると、でてくるわでてくるわ。
おいしいご飯が、
おいしいお酒が、
おいしいつまみが、
おいしいデザートが、
そして、
おいしい朝ご飯が。


「買い物に出るのが面倒で、
家の残りのものでつくってるのよ〜」
と、ちょうど家に遊びに行ったときに、
まだ台所で調理していた彼女はあせっていたが、
とてもあまりものではつくってないだろうという
おいしさのごはんだった。


あー
こういうひとと、結婚したい。



私、女だけど。




彼女は「一人の時は適当に食べてるのよ〜」
と言っていたが、
なんだか家のところどころに、
「きちんと暮らしている」
という影が見えて、
りっぱだなぁと思ってしまった。


きちんと暮らしているっていうのは、
部屋が片づいているとかそういうことだけではない。

玄関に飾られているポストカードや、
瓶詰めにされた手作りジャムや、
ちょっとずつ買って箱詰めにしてるお菓子とか、
そういう部屋のあちこちのものが、
彼女の手を通してその場所にあるんだなぁと思った。

ただの出来合いのものではなく、
ただの飾りではなくて、
彼女が好きなもの。
名前は書いていなくても、全部彼女の影が見られるものだった。


味がある部屋だなぁと思った。
カタログで見る、無味乾燥とした素敵なお部屋よりも、
断然居心地がよかった。

忙しいと家のことって
どうしても手抜きしがちで、
時にはただ眠るためだけの場所になってしまう。

私の友達は、私よりも断然忙しい仕事についてる人なのに、
きちんと暮らしている。
ちょっと見習わなくてはと思った。


「せまいけど、やっぱりここは私のお城なんだなぁと思う。」
と彼女は言っていた。
自分がすきなものをごちゃごちゃと集めた、
彼女のお城。
おじゃましました。


自宅に戻ると、私はすぐに部屋に入った。
私のお城は、通販で届いた健康座布団と、サプリの数々。
雑誌が積み重なっていた。

ちょっとなんとかしなくちゃいけないわ…
がっくり。













2003年04月04日(金) あなたならどちら?

自分が学校の先生になったとしてください。
もしくは、自分のこどものころを思い出して。


わからないんだけど、楽しい授業と、
わかるんだけど、つまらない授業。


どちらがいいんだろう。


もちろん、
わかって楽しい授業がパーフェクト。

でも、どちらかしか選べないとしたら、
学校の先生はどちらをとったらいいんだろう。


私がどちらかしか選べないとしたら、
「あのときわからなかった。」
「でも、なんか楽しかったよな。」
という思いを選んでしまうことは、まちがっているのかな?


「記憶」という観点からみたら、
多くの人は、わからなかったことや、失敗したことを覚えてる。
らくらくすいすいできることなんて、
通り過ぎてしまうから。


楽しかった思いだけで社会は生き延びていけないのは
わかってるんだけど…


自分が先生なら、どうしますか?



2003年04月02日(水) 慌ただしい忙しい悲しい

入学準備とかで、かなりあわただしい毎日。
1年中で学校がいつ一番いそがしいのかというと、
子どもが来てないけど、春休みなんだろうなぁ…と思った。

なんだか毎年毎年同じ仕事してるけど、
いっつもこの時期は仕事が全然終わらないよ。

今日は、彼がめずらしく10日も先の予定を聞いてきた。
私はやっぱり都合が悪くて夜しかだめだったんだけど。

忙しすぎるのはいけない。
やっぱり。


彼とのんびりおひるねしたいなぁ。
しくしく






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