15's eyes
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2003年03月31日(月) 仕事で私が覚えたこと

あー
早くも暦は、年度末だ。
でも、今年の学校は今日から新年度。
今日が月曜日だから。

そういうわけで、今日から子どもはまだまだ春休みだけど、
先生方は、本格的にお仕事だ。

今日は、転勤していった主任が帰りに学校に寄ってくれた。
私に会うためじゃないんだけど、
顔がみられて、うれしかった。

今の時代、
クラスが盛り上がって楽しければそれでいい
なんていう風潮じゃない。
学年の発達段階をみて、
いろんな先生の力を借りて一緒に学年の子どもをみていくという
感じで子ども達を育てているから、
一緒に学年を組む先生との相性っていうのは、
とっても大事だ。

だって、家族並みに、恋人並みに、毎日顔つき合わせて、
となりに座って、仕事するんだよ?
相性悪かったら、毎日拷問のようだよ。

私はそのへんはとても幸せで、
この主任と一緒にお仕事ができてとても良かった。


でもねー
最初はやっぱり呼吸がつかめなくて、
苦労したかも。

私がどこまで仕事引き受けていいのかな?とか、
どこまで主張したらいいのかな?とか。
もっと細かく、いや、もっと大胆に計画を組めばよいのかな?とか、
悩んだ。


けれど、
私が主任から教えられたことと、言われたことは、
最初から最後までただ一つ。
「君の好きなようにやっていーよ。」
それだけだ。

好きなようにっていったい…
指示されたことをやるのが楽だなぁと思っていた私は、
かえって困った。
だって、私まだまだキャリア短いし、
なんて無責任な…とも思った。


あー
けれど。


仕事をするということは、
自分を主張するということなのかもしれない。

言われたことをやるというのは、結局は自分の仕事ではない。
人の仕事の手伝いなのだった。

そう考えてみると、
私の先生生活最初の3年間なんて、
すでに敷かれたレールを走っていたようなものだった。
一番最初に出会った主任の足跡をたどれば良かった。
それで、仕事の基本ノウハウは覚えたものの、
アレンジの効かない人間だった。


それは例えばマニュアルを取り扱うにしても。
マニュアルのこなしかたなんて、自分流でなければ。
私ならどうする?
自分流でなければそんなのロボットでいい。

幸い、オリジナリティが認められる職種
自分ならどうする?
私、何がしたいの?
自分ができる仕事をしていきたいな。


こんなこと
6年目の入りかけで気づくなんて、遅すぎだけどさ。





2003年03月28日(金) ばいばい、またね

いつかの日記に書いた、Aちゃんが彼のもとへ今日旅立っていった。

Aちゃんと私は、5年前に研修で知り合って、
ずっと仕事の悩みも、恋愛の困りごとも話し合ってきた仲だった。
お互いに恋人がいない時には、合コンにあけくれた。
仕事の情報をやりとりし、
おもしろい授業をつくる話や、
困った子どもの話をぐちれる仲だった。

昨日の夜は、引っ越しで家を引き払ったAちゃんが我が家に遊びに来た。
ちょうど兄夫婦や父も家に集まっていて、
Aちゃんを囲んでみんなでいろんな話をした。
5年前からさかのぼる話。
これからの話。
話題なんて尽きなくて、ずっとずっと私たちは話した。

今日、空港まで彼女を送った。
これから彼女としばらく会えなくなるっていうのは
わかってはいるんだけど、
不思議だな…
どうしてか、さびしさはなかったよ。

きっとAちゃんが自分で決めた幸せになる道に進もうとしていて、
Aちゃんがにこにこ笑っていたからだ。
「しばらく休んで、また、15が夏休みになった頃に
パワーアップして遊びにくるからね。」
そう言って彼女は車から降りていった。

帰りに運転をしながらも私は、ぜんぜん悲しくはならなかった。
離れていても友達は友達だもん。
そう思うと全然さびしくならなかったよ。


でもね。


家に着いた頃にAちゃんからのメールが届いて、
私はそれを読んで思わず泣いてしまった。

自分の目の前の視界がどんどんぼやけてきた。
わんわん一人で泣いた。


Aちゃんのメールには、

去るさみしさよりも、
また帰ってこれる場所があるんだっていううれしさ
をすごく感じた。
15,いろいろ楽しすぎた日々をありがとう
って書いてあった。


この5年間、
どんな時もそばにいる友達で、
呼べばいつでも会えて、
励まし合える友達だったAちゃん
私もAちゃんと一緒にいて、楽しすぎた!
楽しすぎたよ。

思い返すと泣けてきた。

Aちゃんは、もういつでも呼び出せない。

けれど。
私、さびしくて泣いたわけじゃないと確認した。
働いてから、
こんなに仲良しになれる友達と出会えるなんて思ってなかったから。

こんなにお互いが楽しすぎると思えるくらいの友達ができたことに
感動して泣いてしまったのだと確認した。


Aちゃんのメールの最後には、
15,末永くよろしくね
と書いてあった。


ホントに。
こちらこそ、よろしくね。


教員生活の5年目が終わった。

Aちゃんは先生をやめて、新しい道に旅立った。
私はこの仕事を続けて、がんばることにした。

別々の道に進むことになったけれど、
私もAちゃんも自分が幸せになるために、
これからも歩いていくんだね。













2003年03月24日(月) 時の流れ

先日、2度目の卒業生を送り出した。
2年間学校の中で共に過ごした彼らは、
2年前よりもぐぐっと成長し、
少し大人っぽい顔をして、卒業していった。

彼らとの思いでは尽きなくて。

この2年間は長かった。
私は正直言って、環境にすぐに慣れるたちではなくて。
去年なんて初めての転勤でひーひー言って
まじに仕事やめようかと思いつめる日もあったくらいだ。

ただなんとかこの2年間をくぐりぬけてこられたのは、
私が新しい環境で出会って生活を共にしてきた子ども達が、
おそろしくかわいかったからだ。
だから、毎日学校に通えた。


おそろしくかわいい

それは「優秀」という言葉には置き換えることはできない。
テストの平均点で言ったら、
最初の卒業生の方がはるかに良かった。

おそろしくかわいい

それは「よい子」という言葉には置き換えることはできない。
やはり子ども
自己顕示欲のあまり他人を傷つけるこどもだって当然いた。

おそろしくかわいい
それは「手がかからない」という言葉には置き換えることはできない。
家庭環境があまりにも複雑で
救急車のように何度夜の家庭訪問に行ったことか。


でも、
それでも、
なぜ、おそろしくあの子達がかわいい?


学校の先生のくせに、
子どもが苦手だった私が
「いつか自分の子どもが生みたいな」と思うようになったくらい、
子どもという存在を受け入れられるまでになったのは、
間違いなく彼らのおかげ。


おそろしくかわいい

きっとそう思うのは
大人をも巻き込むひたむきさ。
大人が忘れがちな物事に対しての素直さ。
そんなものを彼らが持っていたから。


これってね。
子どもならみんな持ってる。
でも、こんなすばらしいものを実際に、
発揮して輝いてる子は少ないよ。

物事に夢中になるこころも、
物事に対して素直にみつめ、受け入れるのも、
みんなみんな、子どもが生まれてから
今までの環境の中で育って表に表われていくものだから。

きっと私が受け持った子達は、
私が受け持つまでに、
学校や、地域や、おうちの人がありのままの彼らを受け入れてきたから、
ぴかぴかパワーを発揮してるんだと思う。

彼らは私にいろいろなことを教えてくれた。
忘れてたものを思い出させてくれた。
先生の仕事の楽しさを教えてくれた。

卒業式の日に、
私は彼らに、「2年間とてもとても楽しかった。ありがとう。」
とお礼を言った。


私は彼らに何ができた?

せめて今までの財産を壊すことなく、
素直な心を育ててきたつもりだけど…



学校なんて
長い長い人生の中で、
きっといつか風化されてゆく記憶。
線でつながっていた記憶が、
長い月日の中で、
点の記憶になる。

「ああ、そういえば、こんなことがあったような…」
「え?そうだっけ?」

長い月日と、
たくさんの経験の中で、
そんな感じに昔のことは薄れていくもの。

あぁ、
そういえば、
担任の先生は…えーと…

そんな記憶でいい。


「あー。だけど、あのときなんだかよくわかんないけど、
学校楽しかった。」


そんな言葉が、
いつかふと、「今」を思い出した時に、
彼らの口からこぼれたら、
もう、十分教師冥利につきちゃうよ。



2003年03月22日(土) プレゼント

1週間ほどあいた日記だった。

いやー人事異動もほぼかたまってきてるので、
今週は月、水、木と宴会…
くたびれた。

昨日はとてもひさしぶりに彼と1泊。
彼は翌日仕事だったので泊まるつもりはなかったのだけど、
二人とも終日やっているイラクのニュースを観すぎているせいで
睡眠不足。
よって、爆睡してしまったので起きたら朝だった。


彼の誕生日のお祝いは結局メガネになった。
フレームはアランミクリのやつを選んだんだけど、
あのブランドって良くも悪くも個性的な感じがして、
間違えるとちょっと格好つけているおやじになりかねない
気がしているんだけど、彼はちがったわー。
かっこよい人になった。
ええ、ええ、目が曇っていますよ。
彼女なんだから仕方ないもん。
まぁ、これからさらに視力さがらないようにして
もらおう。

あ。わたしは、
チョコレートのお返しに、
ピンキーリングをもらった。
コムサのダイヤのつぶつぶがクロス状にならんでいるデザイン。
サイズのおなおしをお願いしてるので、
もうちょっとしたら、届くのだ。
楽しみだなー





2003年03月15日(土) もうすぐ

この2週間は自分の生活の中では激しく激しく忙しかった。
しかーし
そのおかげでこの土日は休めることになった。

わーいわーい

だらりんとくらそう


…と思ってたら。




あ!!!





彼のお誕生日だった。





なのでおいわいしてきます。


2003年03月11日(火) 苦境に立たされた20代後半の女の話

疲労している…
仕事もそうなんだけど、精神的にちょっと最悪だ。

昨日、父がまともな顔をして、
「まだ結婚しないのか。」と言ってきた。
そして、今の父の最大の願いだと言われた。
「今日のお父さんは今まで一番はっきりとおまえに言ったぞ。」
と宣言された。


私が結婚したら、父も死んだ母のことに整理をつけて、
結婚するそうだ。


「おまえは兄のことを心配するよりも自分のことを
心配してさっさと結婚しなさい。」とも言われた。


なんだか、遅くまで仕事してきて、
挙げ句の果てに帰ってきて、これかよと思った。


結婚の話は、仕事場でもいつかいつかと尋ねられ、
仕事では、まともな真摯な意見もできないと疎まれ、
家に帰れば「早く結婚しなさい」と責められ、
これが女のつらい20代後半の始まり??

まさか自分の身に、
しかもあの父親からいわれるなんてー
へなへなと脱力感。


私の今の気持ちとしては、彼への気持ちや、
彼からの気持ちが安定しているし、
親のためではなく、自分のためだと思うようになったので、
あんまり結婚云々とか考えなくなってきてるのが本音。
耳が痛い…
頭が痛い…



あーあー
親だから娘のことを心配するのは当たり前だって言われたって。
私がどんな言葉を返したって、
強がりとか、いいわけだとか、逃げだとかって言われてしまう。


世の中の人が言う「大人」になって、
つきあっている人がいて、
ある程度の期間になると、
「なんで」って言葉が頭にくっついて、
「なんで結婚しないの?」って言われるようになるのはなぜなの?


そりゃぁ、私だって結婚したい。
でも、今じゃない。
それを「どうして今じゃないんだ?」って言われたって、
うまく答えられない。
仕事とか、やりたいこととか言ったって、
「そんなことと一緒にするな。」とか、
「そんなこと考えてたらずっと結婚できない。」とか、
「タイミングを逃すな。」とか言われたって、
今がそのタイミングだと思っていないのに、
どうしてどうして、
結婚しないのがいけなかったり、
親不孝みたいに言われなくちゃならないんだ。


ぜーぜー


まわりの人や、
最近、友達だって、
「どうして?」って聞いてくる。
なんだかいちいちまともに答えるのが面倒になってきた。


親もそうだけど、「どうして?」のまともなアンサーを聞いて「ふーん」
と納得してもらえることなんて最近、ないよ。
必ず「でもね…」って言われる。
それは君たちの価値観でしょう!!
「経験者は語る」かもしれないけどさ。


早く結婚したのが、勝ち組でもないし、負け組でもないのに。
そんなことわかってるのに、
「でもね」なんて言われたら、
まるで私がいけないことしているかのような暗示にかけられるよ。
しょんぼり。



もしかして、この壁を乗り越えることが、
楽しく生きる30女になるための試練なわけ??



私は親のために結婚するなんてさらさら思っていないけれど、
父の親心もわかる。
そして、私が母のおきみやげみたいになっていて、
パラサイトシングルみたいに父のそばにくっついているから、
父の新しい幸せの足かせになってるかもしれないこともわかっている。


やっぱり一人で暮らした方がいいのかなぁ…
と思った。



あー

そんな日に、仕事場では、
私が素敵だなぁと思っていた保護者の方が離婚したという
知らせが入っていた。


複雑だ。



幸せになるための離婚だとしても、
私は子どもの目線からみてしまうと、
とっても複雑な心境。


そんな話聞いたら、やっぱり慎重になってしまうよ。
いちいち自分の人生に納得したいから、
「はいそうですか。」って結婚しようと思えないよ。


父には、きちんと決める時がきたら、
自分できちんと決めるから、
そこまではもう言わないでほしいとお願いした。
家でまで、私のくつろげる場所をとらないでほしいと言った。


私、これでも一生懸命親のことも彼のことも自分のことも考えてるつもり。
でも、人は速くコマを進めろという。
きっと善意で言ってるのだろうけど、
時々言われてつらくなる。



私は父にどうのこうの責められようと、
自分のことは自分で決めるつもりだけど、
自分の意志で進んでいくのって、
本当に時々、大変。
立っているのが、やっとだよ。

とほほ




2003年03月09日(日) LUSH

なんか最近格言とか道徳っぽい文体になっている自分の文章が
嫌なんで、どうでもいい話題を。


ここずっと美容日記には書いていないものの、LUSHにはまってる。
多分、
学生の頃にボディショップにはまったのと同じ感覚だと思うんだけど。
系統似てるよね?


今使ってるモノで、固形メイク落としの「ベイビーフェイス」
シャンプーの「夜明けのダンスシャンプー」
リンスの「花見」

そして今日マッサージバーの「魔女のてほどき」を買った。

LUSHの魅力はなんといっても自然な成分で安心して使えることと、
香りでしょう。
私は夜眠りを誘うような気持ちよくなる香りを探してたので、
まさしくLUSHはその願いにヒットした化粧品。

例えば、リンスの「花見」は本当に花の香りが豊かで、
髪に残ります。
ヘタな整髪料の香りなんて飛んじゃう素敵な香りが長持ちする。
「ベイビーフェイス」は固形のメイク落とし。
なれるまでは違和感あるかもしれないけれど、
おふろに入りながらゆっくり溶かし、顔になじませていけば、
保湿ばっちりでメイクだけするりと落ちてしまう。

私のLUSH購買意欲はますますさかんで、
あとはソープバーと
ネックマッサージ用の化粧品をゲットしようとたくらんでいるところ。
まぁ、今日勝ったマッサージバーといい、
これから買った物はそのうちフォトビューティー日記にも
載せていくことにします。

LUSHは、
メールオーダーやインターネットで通販も可能なところも便利。
近くにショップがある人は、
直接香りをかいで選んでもOK
でも、ショップに行くときはショップの半径数メートルが
異様に香りがまざりあって、きついので、
体調によっては「おえっ」
となってしまうことがある。
彼といくのは避けた方がよいでしょう。
男の人は苦手かもしれない香りが多いかも。

香りは人の趣味によるからね。
ちなみに私は、甘いココナッツの香りがどうもだめ。
昔の彼の車の芳香剤がこの香りで、
車に酔い悲惨な目にあったことがある。

今日はお買い物にいったんだけど、
めずらしくクィーンズコートで水色のジップアップのニットを買った。
あんまり買ったことがない色で、
あんまり買い物しないお店で買ったなー

最近コンサバ熱がますます盛んで。

もっとお買い物を激しくしたいんですが、
仕事が一段落するまでは、我慢我慢。

今日はこれからマッサージバーでマッサージ。
楽しみ楽しみー


2003年03月08日(土) 兄の就職

昨日でほぼ成績処理が終わり、少しほっとした。
年度末なので、来週から別口で忙しくなるかと思うけれど、
今週末はちょっとした息抜きができそう。

…と思った金曜日に、兄が遊びに来て、のんびりできなかった。
疲れた。


兄は今春学校を卒業するものの、
まだ就職が決まっていないからあせっている。

家庭持ってるし、30歳になっちゃったし、
あせるのはわかるんだけど。

あせって
雇用条件とか何も調べずに、
目の前にぶらさがった餌(求人)にすぐに食いついて、
後悔しないの?
とか、
いくつか試験に落ちたみたいだから、
どうして落ちたのか分析して
面接や筆記の対策はしてるの?
とか、
尋ねたら、逆ギレされた。

そりゃぁ、3歳下の妹にそんなこと言われたら、
プライドも傷つくんだろうけど、
童顔な妹が姉に間違われ続けた兄弟だからね…
少年のような兄なのだ。

「おまえなんて、
たいして苦労もせずにストレートで国立に入って、
公務員になったんだから、俺の苦労なんてわからないんだよ。」
と捨てゼリフを吐かれた。

あぁ、表向きはそうだけど。

私は反論しなかった。
今まで何十回も言われ続けたセリフだったから。
私のこと、兄にはそう見えて仕方がないのかもしれない。
私はグチを兄にこぼしたことはなかったから。

大学はともかく、
就職難に院と教採の傾向が違う二つの勉強の大変さとか、
働いて何度も罵倒されてあり得ないことで責められて
自信なくして辞めようなんて思ったことが未だにあることなんて、
そんな苦労自慢なんてするだけ無駄だと思った。

「おまえだって仕事辞めてみろよ。俺の苦労がわかるから。」
と兄は勝ち誇ったように言ったが、
私は呆れた。
私と張り合ってどうするんだよ。
何も得られないじゃない?

やっぱりさぁ、
とりあえず、今のところ表向き順調に言ってる人間は、
落ち込んでる人間に向かって何を励ましても言葉は届かないのかな。
私がさっさと仕事を辞めて、また一から何か出直して、
新しい苦労をしないと何を言っても無駄だし、
まっすぐに受け止めてもらえないのかなと思った。

確かに、所帯持ちで、30歳での就職はたとえ学校出て資格とったって、
難しいかもしれない。
でも、所詮、最初の仕事に就いたのも、
仕事を辞めて学校に入ったのも、
結婚を決めたのも、
兄の意志だ。
誰のせいにもできないと思う。

だったら、
苦労自慢する前にまずは自分でできるかぎりの努力しろよ
それからグチを言えよと思うんだけど。
勉強はもう嫌だとか、
就職のことを考えるのもう嫌だとか、
言ってる場合じゃないだろうと思う。

努力してうまくいかないことばっかりだって、
明けない朝はないじゃない?
家族に甘えるのはわかるけど、
家庭を持った以上、30歳だと自負してる以上、
口だけ男になるなよと言いたかった。


と、
たくさんたくさん「責め」の言葉は思い浮かんだんだけど。



結局、やんわりとベスト尽くすことと、
よく考えたほうがいいよということだけを繰り返し言って、
兄を見送った。



見送った後に画家のゴーギャンの話を思い出した。


画家のゴーギャンは妻子がいて順調に船舶関係の仕事をしていたけれど、
35歳で画家になるためにあっさりと仕事をやめた。
妻は猛反対したそうだけれど、
ゴーギャンは、
「どうしても芸術家になりたいんだ。
そのためにはどんな苦労でも耐えられるし、がんばれる。」
みたいなことを言ってただ一人、
旅を続けながらさっぱり売れない絵を描き続けたという。
けれどゴーギャンは、
それでも絵を描く喜びを噛みしめ、
芸術家である自分が好きだったと思うよ。


兄には、自分がいきいきと生きることができる道を
探し責任を持って歩んでいってほしいなぁと思った。

こんなキツイ妹を持って兄も嫌かもしれないけれど、
いまいちしっかりしない兄、
悩みの種だな。
天国のお母さんが泣いてるよ。


2003年03月01日(土) 仕事の勝ち負け

今週末は研究の打ち上げという名の飲み会だった。
とてもひさしぶりに3時過ぎまで飲み、
今日はぐあいわるい…

午前中から仕事に出かけるはずだったんだけど、
眠ってしまった結局午後出勤で、夕方に仕事を終えた。

肌のためにも
肉体的にも、
精神的にも、もう夜中まで飲むもんじゃないわ。

飲むと相変わらず仕事の話になった。

つまらない…

私はひたすら今日は黙っていようと思って、
ずーっと食べ続け、飲み続け、振られたら相づちを打ち、
ぼーっと聞いていた。


不景気の世の中、
民間から採用試験を受けてこの仕事についた人もいたんだけど、
宴会も深夜になってくると、けっこうシビアな会話になった。


公務員批判というかなんというか。


「民間のほうが、ずっとずっと大変なんだから、
公務員は夜中前に帰れるんだから、
その程度で忙しい忙しいなんていうな」とか、
「ホント先生は常識ない」とか。
そして、極めつけは、
「民間の方が偉いんだ」って言い出した。


この言葉、どっかで聞いたことがある…


そうだ。
サラリーマンをやっていたときの兄の言葉だ。


ここまで言われて、大学出て純粋培養で先生になった人が、
反論しだした。


会話は結論でず、繰り返し繰り返し、繰り返し。


結局、その民間上がりの人は、「自分だって結局は、
公務員になっちゃったんだから、負け組なんだけど」
とか言い出した。


うーん。


そうなのか?


きっと、民間時代に休みもなく、いろいろ上から半端じゃなく言われて、
よっぽど大変だったんだろうね。



たださー
職種って、勝ちとか負けとかあるの?
何と比べて勝ちとか負けなの?
誰と比べて勝ちとか負けなの?

大変なのに頑張ってる人は勝ちなの?

酔いがまわりながら私は黙って聞いていたんだけど、
突然会話を振られて、「はぁ…」と
ろくな受け答えもせずにいると、
「おまえは絶対民間でなんか働けねー」
と言われた。


そうかもしれませんが。



ただ、ひとつそのまえに、
自分が教職公務員というこの仕事を、
とりあえず自分の意志で選んだということだから、
民間で働こうと思わないんですが。


と言ったら、きっと10倍ぐらいで言い返されそうなので、
黙っておいた。


結局は価値観の違いなんだね。


その人はつらい時期を乗り越えて、日々勝負として、
人生を捉えているのかもしれない。


私は違って。
人生に勝ち負けはないと思ってて、
もしも「負け」があるとするなら、
「後悔」といったほうが正しいかもしれない。
けれど、後悔にも必ず学べることはあるから、
最終的には負けなんかじゃなくてプラスに働くって信じてる。
だから、自分がしたいことをするだけかなぁ。

宴会の端の席で、そんなことを考えていたような気がする。

いつの間にか会話は終わろうとしていて、
純粋培養の先生が民間あがりのその人に対して一言。


「男だからさー所詮ムリだけど、おれはおまえとは結婚できないわ」



わたしも。


同感。


仕事や生き方の価値観がここまで違う人とは、結婚できないわ。













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15(ichigo)