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JIROの独断的日記
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2012年05月05日(土) 「連休明け、五月病をどう防ぐ?--専門医に訊く」専門医じゃなくても分かります。

◆記事:連休明け、五月病をどう防ぐ(全部載せても悪いので、冒頭のみ)。

日経に載っていた記事の一部で有名な精神科の先生が答えてるのですけどね。

最初だけ載せます。

新年度がスタートして1カ月あまり。新入生や新社会人、転居や異動などで環境が変わった人の中には、理想と現実の食い違いに直面し、

「こんなはずじゃなかった」「やる気が起きない」と思い悩むケースもある。いわゆる「五月病」だ。

五月病を防ぐにはどうすればいいのか。国立精神・神経医療研究センターの大野裕・認知行動療法センター長に聞いた。

という具合で後は、「十分な睡眠」とか「適度な運動」とか

「気分転換の方法を見つける」とか「相談できる相手を確保する」とか

教科書どおりの答えしかかいてない。これは大野先生が悪いのではなく

だれに訊いても同じようなものでしょう。


◆環境が変わったりストレスが加われば憂鬱になるのが当たり前です。あなたは「悪く」ない。

私が思うに、この手の悩みで一番良くないのは、自分を責めることです。

特に、日本人は自分に厳しすぎ、俗な表現を用いるなら、

「クソ真面目」なのです。

進学する。クラス替えがある。学校を出て社会人になる。社会人が人事異動で

引っ越しを伴う転勤をする。引っ越しがなくても、今まで経験の無い仕事をやらされる。

昇進して責任が重くなる・・・等々、およそ、「それまでと違った環境」に身を置いたら、

落ち着かないのは当たり前です。

慣れるまで不安だったりドキドキしたり、前の環境に戻りたいと思います。

それは人間として自然なことです。


私が半世紀生きてきて、その半分以上は社会人生活になってしまいましたが、

色々な人や、色々なケースを見たり、自分で体験して思うのですが、

一番良くないのは、このような「外因性のストレス」が加わったときに

精神状態が不安定になるのが「自分の『弱さ』だ」と思い込むことです。

自分の性格が弱い、根性がない。大雑把に言って、自分が「悪い」と思うことが

間違ってます。人間です。生きものですから環境が変わったり身の回りで非日常的な

ことが起きたら、精神的に不安定になったり抑うつ的になるのが当然です。

それでこそ、人間です。


◆五月病ではない人だって、同じです。

私は生来怠惰な人間で、これは子供のころから変わっておりません。

小学生の頃から、毎年8月の最終日曜日、夜7時のNHKニュースの原稿は、他に大事件がないかぎり、

夏休み最後の日曜日の今日は・・・・

で始まります。日曜には親父が家にいて夜はNHKの7時のニュースなんです。

毎年、毎年、この言葉が最初に来るのが分かっていても嫌で仕方がありませんでした。

別に学校でいじめられていたわけではありませんが、休みのほうが良いに決まってます。

学校なんて面倒臭い。夏休みが間もなく終わることぐらい分かっているのであって、

それを、いちいち毎年、ご丁寧にNHKのニュースで強調して欲しくない。

ずっとそう思っています。


それで、ここで書くと、そのNHKと同じことになってしまうのですが、

ごく普通にカレンダー通りのゴールデンウイークを過ごしておられる方は、

6日(日)で終わりで、7日の月曜から仕事ですよね?私なんか今から憂鬱ですよ。

憂鬱じゃない方は、無理にゆううつになる必要(?)はありませんが、

憂鬱な方は、そう感じる自分をそのまま認めるのが一番良いと思います。

憂鬱なのに「よーしやるぞ」とか無理に思え、と書いてある「ポジティブ・シンキング」(Positive thinking)

の本などありますが、よくありません。何故か?


◆嫌なものを「嫌でない」というのは自己欺瞞だからです。

私は28年サラリーマンをしてますが、今でも月曜や、連休明け、夏休み明けは会社に行くのが嫌でたまりません。

働くのも嫌いだし、あの話題の乏しいオッサン達の巣窟である「会社」という「場」も嫌いです。

嫌なものは嫌なのです。

嫌なものを嫌でないかのように思い込もうとする。それは自己欺瞞です。「ポジティブ・シンキング」は、

自分を偽るから、苦しくなるのです。何も自分の頭の中のことで外から見えるわけではありません。

私は「自分は、働くことも会社も大嫌いだが、食うために仕方がないから、行くのだ」と思うことにしています。

仕事は大嫌いですが、実際に会社に行けば仕事はきちんとしています。対価に相応しい労働力を会社に提供しているかぎり

頭の中で仕事を「好きだ」と思うのも自由ですし「こんなもの、宝くじがあたったら明日にでも辞めてやる」と思うのも

完全に自由です。たったそれだけのことです「発想の転換」というほど大袈裟なことではありません。

ただ、余りにクソ真面目に考えて、「仕事を嫌いな自分は怠惰なのではないか?」と思って苦しんでいる方が

おられるのではないか、と思って書きました。


日本の会社は「仕事を通して自己実現」するためには「いつまで立っても勉強と努力と向上心」を

忘れてはいけない、等と言って洗脳しようとしますが、それは収益の極大化を目的とする、

資本主義経済における民間会社にとって、個々の労働力の質が上がれば生産性があがるからです。

会社は、従業員1人1人の人生などどうでもいいのです。「自己啓発」とか「自己実現」とか、

大きなお世話です。いちいち真に受けてはいけません。


◆頑張れない人に「頑張れ」というのが禁物なのは、他人も自分も同じです。

東日本大震災の後、ノーテンキに、被災者にむけて「頑張れ」というメッセージを送る人が多く、

また、あれは政府だろうか「頑張ろうニッポン」という言葉があるが、どうかと思いました。

ですから、私は何度かブログでそのことを訴えました。

2011.04.03 NHK「ニュースウオッチ9」で報じていた「災害関連死」。←特に高齢の被災者は「頑張っ」てはいけない。

2011.04.13 被災者に「頑張れ」という残酷さが、まだわかりませんかね。

頑張れる人が頑張るのは、勿論良いのですが、だからと言って全ての人に無理に頑張れといっても、

例えば福島第一原発事故により、ひどく放射能で汚染された地域で農業や畜産業を営んでいた方々は、

頑張れといわれても頑張りようがないのであるから、こういう人に頑張れというのは、

相手をよけいに辛い気持ちにさせる、無神経な行為ではないか、と思います。


これは勿論、福島に限った話ではありません。

家も財産も家族も仕事も一瞬にして全て失ったけれど、それでも頑張っている人もいるからといって、

同じ状況の全ての人が「同じように頑張るべきだ」というのは、乱暴です。

ショッキングな出来事、不幸な出来事、要するに非常に大きなストレスに対する感受性は、

一人一人異なると思います。


ちょっと話が飛躍的かもしれませんが、震災とは関係なく、

これは私たちが「自分」に対しても、同じ事が言える、と思います。

「頑張れない」「頑張りたくない」自分の気持ちは、自分が一番分かっているのですから、

その自分に向かって無理に「頑張れ」という必要はないと思います。

それが「自然な」考え方だと思います。それを無理に奮起しよう、などとするのは

「不自然な」行為です。ですから苦しくなるのだと思います。

休み明けは、憂鬱で鬱陶しい。もっと休んでいたい。

そう思うことに、なんらかの「罪悪感」を抱く必要は、まったくありません。

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