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JIROの独断的日記
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2008年09月28日(日) 何かについて「論ずる」ことに関する一考察。

◆私が日記・ブログを書くに際して心がけていること。

普段から、拙文にお付き合い下さっている方が大勢いらっしゃって誠に有難い。

ただ、私の日記・ブログを御愛読下さる方でも意外にお気づきではないかも知れないことがある。


それは、私は、原則的に、最初に論ずるべき対象となる事実を報じたマスコミの記事を転載し、

それについて、自分の考え「だけ」を書くように心がけている、ということである。


どういうことか、というと、ブログが流行りだした頃、ブログの特徴として「リンク」がある、という説明が多かった。

つまり、ある事象(問題・事件・事故など)に関して、他人が書いたブログを見つけ、その他人の意見に関して、

自分の意見を述べるのがブログだ、というのである。


私の過去の記事、約2100本を読んで頂くと分かるが、私は他人のブログにリンクを貼り、それの「揚げ足取り」をしたことがない。

厳密に言うと、3回だけある。

但しそれは、私の側から、「揚げ足取り」を目論んだのではない。

相手のブログから私のブログに対してリンクが貼られており、

リンク先を読んだら、頓珍漢な反論が書いてあり、私のことをバカだのキチガイだの罵倒していてそれに反論するため、

攻撃相手に対して「リンク返し」をしたのである。

それは、どの記事かここには掲げないが、インフルエンザ治療薬、タミフルの副作用に関することで、

私が「どの薬にも副作用はある」と書いたら、「分かったようなことを書いているバカがいる」と罵倒されたとき。

また、裁判所の違憲判決に関わる、付随的違憲審査制に絡み、裁判官が「傍論」を書くのを禁ずるべきだ、という頓珍漢な意見の主が、

自分のブログから、弊ブログにリンクを貼っていたときである。もう一件はちょっと思い出せない。


◆あることを論ずる際には、基本的には、ゼロから自分で論理を構築するべきである。

理屈っぽい表現になってきたので、ぶっちゃけた言葉で書く。

ある事象に関して論ずるのは、自分が直接その問題に関して考えたことを書くべきである。

他人が、同じテーマに関して書いた文章を見つけてきて、それの揚げ足取りをするべきではない。

極端な暴論を批判することは、あるかもしれないが、それでもまず、そのテーマに関して、

自分がゼロから論理を積み上げて文章を書くのが本道である。


要するに、世の中には、(このように書くと偉そうだが)私のように天下国家を論ずる文章を自らの言葉で書かず、

ネット中を探し回って、他人のブログ・日記上の論理の破綻・文脈上の不整合を批判、罵倒、攻撃して、

自説を展開したつもりになっている人が大勢いる。

私はそれは、狡い、はっきり言って卑怯だと思っている。

最近、私が運悪く、そういう卑怯な手合いにより、非常に嫌な思いをしたので、

私が信じる、「物事を論ずるときのあるべき姿」について、一般論を書いた。

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