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JIROの独断的日記
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2006年04月19日(水) 1961年4月19日、エドウィン・O・ライシャワーハーバード大学教授、駐日大使として着任。

◆ライシャワー博士のような、本当に日本(人)を知る人がアメリカにいないのが悲劇なのだ。

故・エドウィン・O・ライシャワー、ハーバード大学教授は、専攻は日本史です。アメリカ有数の、というよりも、「世界的日本史学者」でした。

私はこの日記で過去数回、ライシャワー先生のことを書いています。

最初は教育に関しての稿でした。

ライシャワー先生は、晩年の名著、且つライフワークと言っても良いかと思いますが、ザ・ジャパニーズ―日本人という本の中で

「例えば「生」という字の発音は12種類あるが、そのいずれにするかを決定するのは、主として、文脈、前後関係から判断するしかない。このような、恐るべき表記法を持つ言語にもかかわらず、高い識字率(低い文盲率)を実現しているのは、日本人の教育に掛ける情熱の証しとして、賞賛されて良い」


と、書いてくださっています。

この、ザ・ジャパニーズ―日本人は日本古代史から現代史まで概説した上で、

アメリカの学者ではない一般人でもある程度教養がある人なら、「日本人とは何か?」を理解できるように書かれています。

「言語」という章があり、そこでは、上でごく一部を引用しましたが、その他に、日本語が世界の言語の中でもかなり孤立した位置にあり、日本人にとって英語を習得するのがどれほど大変なことか、

丁寧に説明してくださっています。

日本語訳を担当したのは「同時通訳の神様」と呼ばれ、ライシャワー駐日大使の通訳も務めた、「只管朗読」で有名な國弘正雄氏です。

ライシャワー博士が翻訳者として指名したそうです。

英語を勉強したい特に学生諸君には、是非原著、Japaneseを読んで頂きたい。

世界有数の教養人が書いた日本人論ですが、これほど読みやすい英語があるだろうか、と驚きます。



昔、ラジオの文化放送は夜、「百万人の英語」という英語講座を毎日放送していたのですが、水曜日は謂わば「原書講読」の日でした。

その講師が國弘先生で、教材がこの“The Japanese”、という時期がありました。

そして、何と毎回この「言語」の章から1パラグラフですが、ライシャワー教授(その頃はとっくに米国に帰り、ハーバードで教えておられました)が自著を朗読した録音が聴けたのです。

AMラジオだから音質は近年のデジタル音源とは比較にならないけれども、今から思うとなんとも贅沢な番組でした。


◆専門はものすごく難しいのです。

ライシャワー教授の父君は宣教師で、ライシャワー教授は日本生まれなのです。ごく幼い時期を日本で過ごしたことが、日本への親近感と日本史への興味につながったわけです。

ザ・ジャパニーズ―日本人は一般向けの本ですが、本来、ライシャワー教授は日本史の専門家です。

円仁(794-864)という平安時代の僧侶が、「最後の遣唐使」として838年から847年まで唐に滞在しました。

円仁はその間、中国のいろいろな場所を見て歩きました。その記録が、「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんらいぎょうき)」という、私など何度聞いたりみたりしてもタイトルさえ覚えられない史料です。

これをライシャワー教授はなんと英訳しています。日本人が読んでもさっぱり何が書いてあるか分からない資料を読んでいるのです。

日本史の専門家だから当たり前とはいえ、アメリカ人でこれほど日本に通暁した人は珍しい。

そういう方が駐日大使を務めて両国民の相互理解に貢献した功績は大変なものです。

本当は政治などに関わらず、ずっと研究を続けたかったでしょうに。


◆ところが、暴漢に刺された・・・。

駐日大使時代、1964年、ライシャワー大使が日本の精神障害の少年に太腿を刺される、という大事件が起きました。

ライシャワー博士は日本語ペラペラで、笑顔を絶やさない、紳士でした。それまでそんなアメリカ人、ましてや大使はいなかったので、ライシャワー博士は日本人からも慕われていました。

歴代、最も日本人に尊敬された駐日米国大使だと思います。

ですから、この事件のすぐ後から、大使が入院している病院やアメリカ大使館には、日本中から見舞いの手紙が殺到しました。

「どうか、このことで、日本人を誤解しないでください」という手紙が多かったそうです。

そのようなことを言われなくても、ライシャワー博士の日本への思いは変ることはなかったのですが、博士は「大変感激し」た、と、ずっと後ですが、NHKの特番で話していました。



ただ(これは司馬遼太郎氏がエッセイ集「風塵抄」で書いていますが)、ライシャワー大使はまもなくハワイのアメリカの病院に転院したのです。

それは日本人医師が嫌だったのではなく、ひとつには、輸血により、肝炎に感染してしまったこと。

もう一つは、当時の日本の病院があまりにも汚かったので、見舞いにくる米国側の要人たちが、「日本はアメリカ大使をこんな汚い病院に入院させたのか」と誤解するといけない

(するに決まっている)という配慮だったそうです。非常に細やかな配慮をなさるお人柄だったのです。


◆「ライシャワー博士の最終講義」

博士は1980年、ハーバード大学を退官するに当たって、特別最終講義を行いました。その様子はNHKが録画して日本でも放映されました。

講義には日本史専攻だけではなく、学内から学生、院生が殺到し、立錐の余地もないほどでした。

ライシャワー博士の講義は、日本人の特質を細かく説明し、日本人を理解するために必要な知識を学生に与えて下さいました。

今、ライシャワー博士のような碩学がアメリカにいないのが、米国政府の日本への無茶な要求の背景にあると思います。残念です。

博士は、1990年9月1日に他界されました。偉大な生涯でした。


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