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JIROの独断的日記
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2005年04月19日(火) 「芸術は憎悪を超える」岩城宏之さん(指揮者)のエピソード

◆指揮者の岩城宏之さんの本は、音楽に関係のない話が多いが、非常に面白い。

 

 日本のプロの音楽家(クラシックに限定させていただく)で、指揮者の岩城宏之さんほど著作の多い人も珍しいのではないかと思う。

 世の人々はクラシックの音楽家の文章なんてどうせ堅苦しいんだろ?と思うでしょう。

 ところが、岩城さんの文章は、音楽よりも、日常に関するエッセイが多い。サービス精神が旺盛な人で、ゲラゲラ笑える本が多い(勿論真面目な本もあります)。


◆「棒ふり旅がらす」

 

 1980年代、一番脂がのっていた頃、文字通り世界を股にかけて飛び回りながら、週刊朝日に「棒ふり(指揮者のことをクラシックの音楽家はこう呼ぶ)旅がらす」というエッセイを、1982年1月から83年6月まで約1年半、毎週殆ど休載することなく書き続けていたのだからすごい。何せ、本当に忙しいのだ。

 昨日までヨーロッパで指揮をして、翌日の午前中にはアメリカのアトランタ交響楽団と練習をして、3日間の本番を終えたら、その日のうちに日本に向かう飛行機に乗る、という生活で、一カ所に定住するということが何十年も無かった人なのである。

 しかもですよ。いまなら、原稿を電子メールで編集部に送ることが出来るが、この当時は、勿論そんなネットワークは存在せず、何と、毎回、世界各地から紙の原稿をエアメールで東京に送っていたのである。

 さぞかし大変だっただろうと思う。この本は 今でも、入手可能だ


◆日本人を心底憎んでいたオーストラリアの音楽家の心を開かせたのは岩城さんとの演奏だった

 

この本の中に、恐ろしいが、感動的なエピソードが載っている。

 岩城宏之さんは、オーストラリアのメルボルン交響楽団の指揮者でもある。

 一度、岩城さんの演奏会を聞いたメルボルン交響楽団のマネージャー(経営者)が、すっかり惚れ込み、是非、うちのオーケストラの指揮者になってくださいと拝み倒したのだ。

 ところが、オーストラリア人の中には、戦争中に日本軍に身内を殺された人が大勢いる。

メルボルン交響楽団の団員にもそういう人がいた。

本人だけではなく奥さんも身内の何人かを日本軍に殺されていて、日本人をひどく憎んでいたので、岩城さんが指揮者になると決まったときは、最初、夫はオーケストラを辞めるとまで言い出した。

 「ジャップの指揮者の下で働けるか!」という気持ちだった。しかし、オーストラリアにはそれほど多くのオーケストラがあるわけではないし、音楽家はつぶしのきかない職業であるから、辞めたら生活に窮することは目に見えていた。

 やむを得ず、夫は何とか我慢して、最初の岩城さんとのリハーサルに出かけた。

 すると、帰宅したとき、夫の様子がおかしいことに妻は気がついた。機嫌がいいのだ。

 何回かリハーサルをするうちに、ついに旦那さんは「あの日本人の指揮者はなかなか、いい。」などと言い始めた。



 妻は、夫の変節を軽蔑した。しかし、夫はますます岩城さんが好きになっていく。

 やがて、「もうすぐヒロ(岩城宏之さんの外国での愛称)との音楽会だ」と、岩城さんと音楽をすることを楽しみにするように変わった。

 夫は「日本軍は憎いが、ヒロと音楽をしているときの楽しさが、自分を、『あの戦争のことを忘れよう』と思わせるように変えたのだ」という。

 妻は怒って、夫と口をきかなかった。そして、夫の変わりに、岩城という日本人指揮者を呪い殺してやろうと思い、コンサートに出かけた。

 ところが、一回目。何故か、岩城さんを憎めなかった。そして何故か、もう一度、音楽を聴きたくなった。

 今度こそ、呪い殺してやると思いながら、またコンサートに出向いた。しかし、奥さんは、憎むどころか、段々と岩城さんのファンになっている自分に気がついた。

 妻はようやく夫の言葉の意味を理解した。そして、日本人を憎いと思う気持ちを忘れようと決心した。

 あるパーティで、この団員と奥さんはことの一部始終を岩城さんに打ち明けた。奥さんは岩城さんにキスをしてくれた。夫はニコニコして、妻が事情を打ち明けているのを聞いていた。

 岩城さんは、嬉しくて、涙が出たという。



 このような話は、他にもある。

 韓国人指揮者のチョン・ミョン・フンはパリ・オペラ座の指揮者となるぐらいの一流指揮者だが、祖父は長年、熱心な抗日運動家で、自分もずっと日本人が嫌いで日本には来なかった。

 あるときどうしてもやむを得ず、日本で指揮をせざるを得ないことになって、来日した。

 コンサートでは、オーケストラも協力的だったし、演奏終了後、日本人の聴衆が万雷の拍手を与えてくれた。

 それを、見て、聴いて、チョン・ミョン・フンは「芸術を愛する心に民族や国籍は関係がない」と深く感動したという。

 それ以来、彼はたびたび来日するようになった。


◆いますぐにとはいかないだろうが・・・

 

中国人は今は気が立っているから、すぐに音楽を聴かせてどうなるものでもあるまい。

 しかし、上で紹介した2つの例は、戦争の悲劇がもたらした、日本人への憎悪、それも並大抵ではない憎悪すら、音楽がもたらす感動は、溶かしてしまうことを端的に表している。

 謝罪だ、賠償だと言っているばかりでは前進が無く、芸術的感動をともにする機会があれば、と思う。


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