長渕剛 桜島ライブに行こう!



青春を卒業しましたか? (桜島ライブ62)

2004年11月14日(日)

『青春を卒業しましたか?』−桜島ライブ(62)

                 text  桜島”オール”内藤





終演後のA−4ブロックあたり。
みんな、何を思い、何を持ち返ったのだろう。


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M-43 ふるさと (Instrumental)
 −アルバム『SAMURAI』(1993)−



ステージ脇の巨大なスピーカの音が止み、
僕らの歓声だけがステージに向ってそそがれていました。

そうです。
とうとう、終わってしまいました。
桜島ライブが終わってしまったのです。
BGMのインストルメンタルが流れる中、
ステージ前方で、
バンドメンバーと一列に並び、
つないだ両手を高だかと差し上げる剛。


「気をつけて帰れよ!
 また会おう!」



おざなりな拍手じゃなく、
心から、心から、心の心底から、
ありがとう。
お疲れさま。
また、必ず、会いましょう。
その日まで、どうか元気でと、
願いを込めて拍手を送りました。

ステージから去っていく剛。
ステージ脇で、いつものように、
剛の肩にバスタオルがかけられました。
真っ赤な、桜島ライブのバスタオルが・・・。

「ツヨシーーーーっ!
 ありがとうーーーーっ!」


僕は、最後の一声を、叫びました。
剛の姿は、消え、桜島ライブは消滅しました。

うたかたの夢のよう。
魔法の宴のよう。

僕は呆然と、主のいなくなった、
ステージを呆然と見つめていました。
朝日がこうこうと僕らを照らしていました。
暖かな、というよりは、容赦なく熱い、日差しでした。

僕は土を払い、靴を履き、
ビニールシートを持ち上げ、土とほこりを落としました。
そして、それをもう一度広げ、
僕たちは腰を降ろしました。

BGMの音色が優しくほほをなでていました。
歌のない、インストルメンタルの音色。
その曲は、『ふるさと』でした。
僕は静かに、『ふるさと』の歌詞をつぶやいていました。


いつの日からだろう 心を語るのに
こんなに気をつけなきゃ ならなくなった
悲しみが どんな生き物よりわかるから
一心不乱に 勇気と希望を 探し当てるんだろう



僕のつぶやく『ふるさと』が聞こえているのか、いないのか、
友人はただ黙って後ろを向いて、
会場を去っていく、
遥か彼方の後方ブロックの観衆を眺めていました。





規制退場を待ち切れず、Aブロック、Bブロックの観客が、
動かない列に並んでいました。


しあわせが河の流れなら 
なぜ知らない人たちが せきとめるのか
壊れてゆこうとも 生きてゆきたいのさ
踏みにじられたら 腹から怒ればいいんだ



僕は、ブロック内の観客たちを眺めていました。
彼ら、彼女らは、今、どんな気持ちなんだろう。
誰もが、剛に関係のあるTシャツを着ていました。
桜島ライブのTシャツ、
ZEPP前夜祭のTシャツ、
詩画展のTシャツ、
昔のツアーのTシャツ・・・

僕は自分のTシャツに目をやりました。
前日買ったばかりの、友人とお揃いの白地のTシャツ。
桜島Tシャツの中で一番地味なTシャツでした。
まだ、汗で胸のあたりが湿っていました。
ところどころ、土で黒くなり、
まくり上げたりしていた袖はよれよれでした。

かわいそう・・・
たった一日で、新品のシャツが、こんなに汚れて。


アジアの中の 日本という小さな島国は
私の少年より もっと貧しくなったみたいだ
そして強いられるものは とてつもない窮屈さと
当たりさわりなき 意味のない自由というもの



別れを惜しみ、抱き合っている人たちがいました。
桜島で出会い、特別な夜を共に過ごし、
思い出を共有した人たちなのでしょう。

子供を抱きかかえ、ステージをバックに写真を撮る家族。
友人一同で、集団写真の一団。
桜島を何度もカメラに収める人たち。
中には、桜島の土を袋に入れている人もいました。

僕は立ちあがり、背伸びをしました。
すっかり空いたスペースで、
頭から、残ったペットボトルの水を注ぎました。
マフラータオルで頭からしたたる水を拭いました。
しずくに混じった汗が目にしみました。

カメラを取り出し、ステージを、桜島を、
去って行く観客席を写真に収めました。
ほんの10分前まで、キャプテンで揺れ動いていたステージが、
まるで廃墟の巨大な鉄骨のように感じられました。

まるで卒業式のあとの校舎のように思えました。
去り難い気持ちが沸き起こっていました。
規制退場、我が意を得たり。

やがて、BGMの音も消え、
僕らも荷物をまとめました。

それから、ずいぶん長いあいだ、
退場の順番がAブロックに回ってくるまでのあいだ、
僕らは雑談をしましたが、
ライブについてのことはほとんど話しませんでした。
僕らは、まだ、ライブの話ができるほど、
あの巨大な記憶の整理がついていませんでした。
とりあえず僕は、
メモにいろんなことを書き足していました。
思いつくままに・・・
覚えていることが、消えないうちに・・・

そして、Aブロックの退場をアナウンスが告げました。
僕らは、ただただ、無言でゴミをまとめ、
それぞれに、ちょっと軽くなった荷物をかつぎました。

残していいのは足跡だけ。
取っていいのは写真だけ。

昔、読んだ、グランドキャニオンのガイドブックに、
そんなことが書いてあったのを思い出しました。
せめて僕らのいた辺りだけでもと、
僕らは小さなゴミまで拾って袋に入れました。

僕は、もう一度、ステージを左から右まで、
焼き付けるように、視線でなぞりました。

さようなら、ステージセット。
さようなら、一晩を過ごした、僕らの居場所。
さようなら、名も知らぬA−5ブロックの観客たち。

「さあ、行くか」

「ああ、行こう」

終わったんだ。
今もまだ、整理のつかない記憶と思いを残して、
僕らの桜島ライブは、青い空に吸い込まれて行きました。

青春の卒業式。
不意にそんな言葉が、頭をよぎりました。


私の中に今 沸きあがってきた感情
そうだ これがまさしく 
私のふるさとなんだな

誰よりも強かった父よ 
言葉を忘れ歩けなくなった母よ
はらはらと はらはらと
最期のさくらが・・・

散っています





続く



<次回予告>
桜島ライブは、帰宅するまでが、ライブなのか。
最後の最後まで、あまりにも過酷。
炎天下、救急車、道端に寝転ぶ人たち・・・。
笑顔なき、75000人の帰り道。

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