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みんみん



 映画

街中に(かろうじて残ったような)古い映画館があるのですが、最近いろいろと面白い作品を上映していて、うれしい限りです。
先日からはフェリーニ特集が始まりました。第一弾の映画が今日で最終日だったので観に行ってきました。本当のこというとちょっと頭の中が落ち着かないのでどうしようかなと思っていたんですが(観ているうちに息苦しくなったりもして)、こういう機会もなかなかなかろうと思い、出かけました。作品は「カビリアの夜」です。

私は映画をあまり観ている方ではありませんが、印象に残る1本といったら、フェリーニの「81/2(はっかにぶんのいち)」を挙げると思います。
そういえば今は、はっ「か」にぶんのいち、とは言いません。それは古い言い方ということになっているようです。帯分数は、はち「と」にぶんのいち、と教わります。
「か」って何だ?
いま手元の辞書(『日本国語大辞典』第2版)で調べましたら、箇とかヶとかいうあれのようです。
何にせよ、フェリーニの映画は「はっ*か*にぶんのいち」でしょう。

「カビリアの夜」に戻って。
主人公である売春婦・カビリアは確かにちょっとおばかです(彼女がおばかなのか、彼女をだます男たちがおばかなのか)。フランス映画だったらあんな終わり方はしないでしょう。そもそもあんな単純なストーリー運びもしないかな。


同じく本日までの上映だった「デブラ・ウィンガーを探して」は観に行かれず。

ラスト・サムライ、はやっているようですね。私の両親ですら(笑)元旦に観に行ったようです。私はあまり(と、控えめに)観たいとは思わず。これからシネコンで観るなら「ゼブラーマン」かなー(と、脳天気に)。


本はあっちこっち飛びながら読むことができるけど、映画は感覚全体で巻き込まれることを必要とされます。強要といってもいいかも知れない。
五だー留なんかだとはそのへんの集中力が持続できなくて。あ、でも五だー留の映画(のシーン)自体は飛び飛び飛びまくっているな。とか書いていたら観たくなってきてしまいました(でも今はやめておきます)。


今、隣りの部屋から崩落の音が聞こえました。崩れたのは新聞。

2004年01月30日(金)



 本屋

木曜日より、仕事と遊びで上京。
りー氏は金曜日からの上京。行きの飛行機が欠航になってしまったのでどうなることやらと思ったが(青い東京の空の下から失礼)、昼過ぎになって秋葉原でとんかつ中である旨のメールが来た。
金・土の日中、秋葉原・神保町あるいは渋谷を徘徊したらしい。渋谷ではレンタサイクルを借りてかなり楽しかったとのこと。

日曜日は飛行機が飛ぶかどうかがとにかく心配で(昨年末の例もあるし)、もし飛ばないようだったら早めに手を打とう(JRに切り替えよう)と思っていた。。
関係者からの情報により、たぶん飛行機は飛ぶであろうという結論に達し、のんびりしていたのだけれど、さすがに昼頃、さてどうするよという話になる。りー氏がジャン・ヌーベル展(ケンチクですな)@初台を観たいというので、友人に車を出してもらい、いろいろ廻ることに。

目黒川沿いのCOW BOOKS、恵比寿に廻ってUTRECHT(ユトレヒト)・HACKNETに行く。いずれも最近名前を見かける本屋さんだけど、タイプはそれぞれだ。
COW〜は古本屋。
UTRECHTは新本がほとんどだけど古本もあり、雑貨屋的かわいさもある。古い『暮しの手帖』の表紙がポストカードになっていたので3枚買った。1枚は夜会った友達にあげた。とても喜ばれた。
HACKNETはアート系を中心とした洋書(新本)。こちらはもともと大阪の南船場にお店がある。大阪のお店には行ったことがあって、小さなスペースにこちゃこちゃいろいろ詰まっているが、恵比寿のお店は高い天井にスペースがゆったり取ってあり、もっと洗練されている感じ。
3店廻ったところで、どれが好きだった?という話をする。りー氏の答えは聞かなかったけど、HACKNETかなあ(他の2店は私が行きたいと言ったのだし)。個人的には南船場のお店の方が好きだと思ったが、りー氏の意見はさていかに。
私はCOW BOOKSがいいと思った(友人も同意見)。ぴったりぴったりどんぴしゃりというのとも違って(ぴったり、というのはある種くさみを伴っているような気もする)、あ、そうだ、そんなのもあったね、思い出させてくれてありがとう、というような楽しさがあった。
私はもっぱら日本の作家のものばかり見ていて、外国ものは見ていないのだけれど、それにしても本棚を見ていたら、おっ、おっ、そう来ますか、来ましたか!とニヤニヤ気分が高揚して、外は晴れていいお天気だし、すっかり機嫌がよくなってしまった。

自分の勉強のために古本屋に行くことはある。その時の私は、楽しむというよりはまだまだ緊張感の中にいる。楽しくないわけではないけれど、見逃すまいという気持が先に立って、あるいは自分を試されている気がして、とにかく弛緩してはいない。もっと修業を積んだら、お金を落としたら(これは大きいだろうな)、ヨユー、という感じになるのか?

ただ、少しお高い気がしたので本は買わなかった。
といいつつ長谷川集平のとある本が安かった。買っておけばよかった。植草甚一が、古本屋めぐりをする時には最初に入ったお店で1冊買う、というようなことを書いていた気がする(違うかも知れない)。その後のお店でいい具合に巡り会うためのまじないみたいなものらしい。これはなんだかわかる気がして、だから私も古本屋に入ったら必ず何か買うようにしているのだけれど、今回は失礼、ということで。
また行こう。で今度こそ何か買おう。そしてコーヒー飲んで手紙を書くのだ(小さなカフェスペースつき)。
ちなみにCOW BOOKS、ものすごーくお金がかかった作りらしい。


たまに鉛筆でメモを取ることがある。シャープペンシルでないのは、なつかしの共通一次(ちなみに私は最後の世代)、あるいはセンター入試のごとく、それが許可されていない環境だからなのだけど、細い鉛筆の軸をずっと、半日とか1日とか握っていると(しかも塗りつぶすのではなくて文字を書き続けていると)、ペンだこ方面が痛くなってくる。子供の時(から)ペンだこは固くしっかりしていた方だと思うが、昨今はあまりその存在を感ずることもなかった。シャープペンシルはずいぶんいいのがあって、ずっと持っていても疲れを感じないものもある。
それの鉛筆版、握り心地のいい鉛筆があったら絶対買う。ってマーケット狭そう…

2004年01月25日(日)



 ぱらぱらもの2点

▼『AERA』1/19号
小倉千加子と酒井順子の対談目当てに購入。とこれはしーちゃん情報による。
遅ればせながら、小倉『結婚の条件』・酒井『負け犬の遠吠え』を借りようと思い(繰り返して読まないタイプの本は本当に買わなくなった。雑誌をのぞいて)、市立図書館(この手の本−−特に酒井さんのほう−−は県立より市立の方が得意)のサイトで蔵書検索したら、あらら、見事に予約がいっぱいついていた。『負け犬の遠吠え』に至っては、複本で3冊あるにも関わらず予約数11とあった。一応予約を入れておいたけど、いったいいつ廻ってくるやら。
県立図書館に行って技(というほどのことでも)を使うか。

▼『通販生活』2004年春号
『通販生活』は高校生の時に購読していた。商品は買わなかったけど。
面白いものがいろいろあることは確か。でも高いことも確か。ちょっと団塊の世代(から、少し下の年代)っぽいなとも思っていた。
それはともかく、裏表紙に坂本龍一が出ていて、「非戦Tシャツ」を着ていた。最近の坂本龍一の動向ともともとの志向からすれば、「憲法九条を守っていきたいシリーズ」(『通販生活』)登場は納得がいくのだけど、この非戦Tシャツ、クラブキングが出している。桑原茂一企画(大笑いしそうになったが笑ってはいけない)・立花ハジメデザイン。
もちろんりー氏に報告した。
曰く、「ネタ?」

2004年01月16日(金)



 たった/もう

夕方、駅前までバスに乗る。
ちょうど小中学生の帰宅時刻に重なったので、バスは満員だった。田舎の満員電車(バス)で困るのは、既に乗ることのできた乗客が(乗ろうとしている乗客の便宜を考えて)真剣に詰めてくれないことだ。いや、詰めてくれているつもりなんだろうけれども。
中学生はさすがに分別があるけれど、小学生ははしゃいでいるしランドセルはあるしで大変だ。詰メロ、と言いそうになった。

バスを待ちながら少年少女たちを眺めていたら、中にひとり目をひく女の子がいた。黒いコートの裾から制服のスカートが少しのぞいている。背が高くて、ショートカットで、黒いタイツがとても似合っている。中3なのだろうか、他の子たちとははっきり違う存在感があった。私はかわいい女の子が好きだからジロジロと見てしまいそうになる。
自分のうつくしさを自覚しているのもある種不幸だが、無頓着であるのももったいない。このまま、いい感じで成長してくれますように。なんて、大きなお世話もいいところ。
彼女の、ちらりと見えた定期券には城端線の駅の名があった。富山では立派な遠距離通学だ。


年上の女性に手紙を書く。
用事あってのことだが(用事がなくても手紙は書くけど)、書いていて楽しかった。


久しぶりの友人とざんぐりで飲み・食う。
楽しいこともつらいこともいいことも嫌なことも、ほんとうにいろいろなことがあるのだ、ということを話す。どういう状況であれ、元気で楽しければ(byりー母)いいのだが、それがかなわないこともある。楽しくなるためにあえて、いま、身を切るということもあるだろう。しかし健康ばかりは。
受け止める側に何ができるか/できないか。

ふだん、年上の人と関わる機会が多いからか、30年余りも生きてきた、というよりも、たった30余年しか生きていないのだ、という思いの方がまさってしまう(そう思っていなくてはいけないと強迫観念のように思わされてきたのだが)。しかし「たった」と思えることは楽でもある。これからがあると思えるから。場合によっては「これから」は思いこみなのかも知れないけれど、思いこみもまあよい。そしてたぶんいつの間にか「馬齢を重ね」という状態になるのだろう。今だってそうなのかも知れないが。それでいて一方では「年の功より亀の甲」とうそぶいているのだからたちが悪い。
君はまだ若いから、ということだけは言うまい。


帰宅したら玄関に巨大なアロエの鉢があった。
「ちょっと事情があって」りー氏が預かっているらしい。どういう事情よ。

2004年01月14日(水)



 やりー

大牧温泉ペア宿泊券当たり。

駅の旅行代理店にチケットを買いに行きました。東京行きですが、今回は私ひとりではなく、久しぶりにりー氏と一緒に出かけます。
新春企画で、3万円以上購入した人はくじ引きができることになっていました。イレギュラーなオーダーをお願いしたためにちょっと待たされたのですが、お店の人の感じがよかったので、気持よく支払いを済ませました。
さてひとつ引いてみると、「大牧」という手書きの文字が見えたような気が。思わず「(ひー)」と声にならないうわずった声を上げてしまいました。はたして大牧温泉ご招待です。やった。
こんなことで運を使って……ととっさに言いかけてはっとしました。そりゃそうです。失礼な。何をいったい求めることができましょうよ。強欲な。はずかしいですね。

まあそんなわけで当たりました。とってもうれしい。
ちなみにほかの景品は、ANAおよびJALの東京往復航空券、東京・大阪・京都・神戸のシティホテル宿泊券、県内に移って立山国際ホテルその他宿泊券、あるいは1日利用券などでした。いずれもペアチケットです。もらったからというわけでまったく調子がよいのですが、実のところ私にとり、景品ラインナップの中ではもっとも福引きらしくうれしいチケットだったかもしれません。比較的上京の機会のある身とすれば、実用的という観点からいって往復航空券に及ぶものはないとも言えますが、実際的ゆえにちょっと夢はないとも言えるので。
それに、大牧温泉には一度行ってみたいと思っていました。県西部の山あい、しかも庄川という川に沿ってある温泉です。富山は水力発電が盛んなところですが、庄川にも多くのダムがあります。大牧温泉にも関西電力が運航する船(1日数往復)に乗って行きます(ので、りー氏には、T-maniaっぽい景品当ててきたやろ、と恩着せがましく言ってみましたが、「すごいぜー」も何の言葉もありません)。いわゆる秘湯として知られていて、なおかつ、旅館では温泉に入るか釣りをするくらいしかやることがないためか、諸事情でお忍びの皆さんがいらっしゃる宿という話も聞いています(今はどうか知りませんが)。
GW過ぎ、少し人のひけた頃にでも行きたいなと思っています。


ニフティからメールが送られてきました。

アット・ニフティを7年間ご利用いただきまして
誠にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


だそうです。そうですか!
7年前ですからニフティサーブの時代です。当時はニフティマネージャー経由、すなわちパソコン通信でした。たまによけいなゴミ(文字化け)のいっぱいついたメールが来て、何なんだろうと思っていたら、それはHTMLメールというのだと知りました。
7年前というと1997年。ほうほう。1996年の夏にノートPCを買い、半年ほどしてつないだということになります。懐かしい。
でもなんか昔の人みたいです。ってことは、これから7年たっても、今の自分のことをまた昔の人みたいに思うんだろうな。いや、直近7年のあいだよりはなんだか想像がつきそうだけど。
でも想像がつかないこともあるんでしょう。そう思っただけでわくわくします。楽しそうです。

2004年01月12日(月)



 初子の日

気のおけない研究会、と新年会。金沢にて。
りー氏に「かつどん食べにいってみるとか」などとけしかけ(金沢にりー氏の好きなかつどん屋があるのです)、金沢まで車で送ってもらいました。
日付が変わる頃、最終の特急にて帰宅。お迎えご苦労ッ!>りー氏



高島暦を買いました。
子供の頃は、暮れの集金の折に新聞屋さんがくれました。今は別のものをくれるのでしょうか。拙宅は銀行の自動振替にしていますが、時々、新聞と一緒に地域指定のゴミ袋が挟まれてあります。これが記念品というか景品というか粗品というかなのでしょう。風情はないけれど、超実用的ではあります。

さてその高島暦を買って、今年の運勢を知ろうというわけではありません。いや、その種のことに興味がないわけではないので、一応そのページも見はするけれど、第一目的は、日々の暦(干支)を知ることです。
ふと、日々、十干十二支の巡りを意識してみようかと思ったのでした。ためしに。

今日は小松引く初子(はつね)の日。
かつて、新年最初の子の日に野へ出て小松を引く、という正月の行事がありました。子、すなわちねずみは、繁殖力が旺盛な動物です。また、常緑樹の松は、柏などと並んで子孫繁栄をことほぐ植物だとされていました。「子」の日に「松」をひいてあやかりましょう、という、縁起担ぎ行事のひとつです。

初春の初子の今日の玉箒手に執るからにゆらく玉の緒(『万葉集』巻二十、大伴家持)

小松を引くようになるのは、家持さんの時代よりもっと後のようですが、これはこれできらきらときれいな歌。
ねずみさんの繁栄力にあやかってもりもりいきたいもの。少しのいやなことはうつくしい箒で掃いてもらいましょう。サッサッ。

2004年01月10日(土)



 王女さま/ほねほね

プラリーヌにガレット・デ・ロワを買いに行く。暮れに見かけて、「シェルブールの雨傘」に出てきたあれだ、と思って、食べてみたくなったのだった。クリスチャンじゃない……どころではなく、さらにカトリック限定だけど、(既に書いたように)お正月気分の延長ということでまぜてもらおうというわけだ。
しかし今年ほど「去年今年」ってあっという間に過ぎ去るのね、と思ったこともない。何かをしてもしなくても時間は経つ。

お菓子は、アーモンドクリームの入ったパイである。カラフルなデコレーションがあるわけでなく、凝るとすればパイ上面の切り込み方(空気穴としての)になると思われるが、位置づけとしてはまさにまんじゅうや生菓子(大福)、どらやきの類に同じなのだろう。シンプルではあるが、
案外(といってはプラリーヌさんに失礼だが)おいしいね。
「うん(モグモグ)」
と言い合ったことだ。

丸いパイを4等分して、1切れずつ選んでいった。本式では、テーブルの下に子供が入り、テーブルの上で切り分けたパイをそれぞれ誰に与えるか、下から指示する、という趣向を取るらしい(どこかで読んだうろ覚え)。2人暮らしの拙宅では、後ろ向きになって適宜1切れずつ(後ろ向きのまま)指さして選ぶという方式にした。1回目ではどちらもフェーヴに出会えなかったが、2回目で私の方に入っていた。正確に言うと、2切れ目の方は明日食べることにしたので、どんなフェーヴなのかはまだ知らない。
フェーヴが当たった私はいちにち王女様になれるというので、金色の(紙で出来た)王冠をにわかに被ってみた。しかしいかんせん、食べ終わった時点で21時半くらいだったので、非常に在位期間は短いのだった。それに(唯一の)臣民は王女様に対し不敬な言動をはたらくしで、強大な権力の行使もかなわず。「食器を洗え!」とか言ったら言ったなのに、王冠被って舞い上がっているようではまだまだだ。
フェーヴどんなかな。楽しみだな。


それから今日は矯正なるものに行ってみた。あれは整体になるのだろうか、身体(骨)の歪みを矯正するという治療である。
いま、全く動けないとかそういうことではないけれど、面倒くさい細かい症状はいろいろいっぱい持っている。症状だけでなく、まっすぐ仰向けでじっとして寝ることができないとか(横向きになってえびのように丸くなって眠る)、首だけかくっと曲げて寝ころぶと楽だとか、どう考えてもおかしいと自他共に認めていた。それで、最近、人づてにいいらしいと聞いたところに行ってみたのだった。かなりはやっているようだった。
まあ歪んでいること間違いなしと思っていたが、やっぱり歪んでいた。骨盤はもちろん(!)ずれている。肋骨の高さも違った。まあ、完全にまっすぐな人なんているんだろうかとも思うが。私の場合は最近の話ではなく、もうずっと前かららしい。そりゃそうだろう、肩こりだけ取っても15年以上のキャリアだ(自慢にはならない)。1回行ったからといって完治するわけではないのだが、面白いので何回か行ってみようと思う。

肝腎の効果だが、確かに、肩が「軽い」じゃなくて「ない」んじゃないかという感覚を味わうことができた。それに、まっすぐ仰向けで寝ても違和感が少なかった(心がけたせいもあるけど)。
ちなみに、ボキッ!ゴキッ!痛ッ!とかいうのでは全くない。

難点は、家から遠いことと保険がきかないこと(これはまあこの種の療法の常ですが)。それから、はやっているのはいいんだけれど、本当に順番通りに施術されるだけという感じで、個人的なやりとりは求めるべくもないだろうなあというところ。患者の周辺から情報を集めていくのではなく、触って一発、というところが腕を知らしめる証拠でもあるだろうけれど。難しいものだ。
近くにもっと気軽に行かれてよさそうなところがあればそっちがいいなとも思う。というわけで継続して情報は収集中。

2004年01月06日(火)



 申年の贈り物

申年に年少の女性から「申」と書かれた下履き(と書こう)をもらうとシモの病をしない、という言い伝えがある。

私にとって申年はこれで3度目だ。

最初の申年は小学生。
正月明けのある日、母に連れられて衣料品売場に行った。母は、自分の下着(パンツですな)を選んでくれと言った。お、お母さん、私の趣味を頼りにしているか? と、娘は思ったが、そうではなく、申年だからなのだと知った。
母自身はは祖母のために下着を買った。小学生は母の下着を選ぶだけで、買ってあげるだけの甲斐性はなかった。そのかわり、後で、選んであげた下着の内側に小さく「申」と書いた気がする。

2度目の申年は大学生。
この時は私にも申年の自覚があった。正月の帰省中、確か母と2人で母の実家に行く途中、衣料品売場で自分から言い出して買い求めた。一緒に選んで私が買ってあげたように思う。そして母は私の下着を買ってくれたような気がする。どんなものであったかは覚えていない。

そして今年。
母は1人増えていた。未年の暮れに、りー母に贈るための品物をデパートの下着売場で買い求めておいた。身につける物、特に下着を贈るというのは、慣れていない人にとってはギョッとするものかも知れない。りー母とは同居していないし、いったいどんな下着をつけているのか(と書くと変な人みたいだけど)私にはわからない。年齢相応、と言っても、それこそ人それぞれの趣味というものがある。まさか、ヒョウ柄のパンツを履いたりするタイプではないだろうというのはわかるが、でも楽しくないのはちょっと。それに微妙な形の違いというものもあるし、色だって……と考えたりしながら選んでみた。一緒に買いに行く、という選択肢もあるかも知れないが、却って恐縮されそうな気がしたので自分で選んでいくことにした(そして元旦に渡してきた)。

私の母については、一緒に行って選んだ方が話がはやい。それで仕事始め直前の今日、お湯にでも行こうよ、ついでにパンツ買ってあげる、と電話した。買って*あげる*なんていう言い方をしているが、母の方がはるかに稼いでいる。
まず温泉に入ってすっきりし、それから街中に出て、デパートでパンツを買い与え合い、チェリオでお茶をして帰宅した。
私の自宅でいったん母のために買ったパンツを取り出し、内側に小さーく「申」と書いてあげた。りー母にあげたものには書いていない。今度書きにいかなくては。

この申年は肌着メーカーの宣伝が盛んらしく、紳士・婦人下着売場で「申年に下着を贈ると健康で過ごせると言われています」という案内を見かけた。

昔、パンツじゃなくてお腰(腰巻)を身につけていた女性もまだまだあった頃、当時子供の母が自分の母(つまり私には祖母)のためにお腰を縫ったそうだ。伯母が買ってきたネルの布を母が縫ったらしい。
「(縫う係だったのは)要はお金がなかったからなんだろうけど、それにしてもお母さん偉かったわー、家のこと何でもしとったもん」と母。

なんで申年に下履きなのか、といえば、それはよくわからない。でも、根拠のわからない言い伝えであっても、それにまつわる作業をしてゆくことで相手についてより特別に思えるのはいい。
伝統的なことを重んずる自分と、革新的な(ってもっと言いようはないものか)自分と、両方がある。人を縛り付けがんじがらめにしてしまうようなのは嫌だけど、楽しくあたたかい気持になれる物事なら、慣習という大義名分に乗っかっていくのも悪くないかなと思っている。

次の申年にも、また楽しく悩みながら母たちのために買い求めることが出来るといいと思う。ついでに年下の誰かが私のために選んだり買ったりしてくれたらそれに越したことはないが、こればっかりは。

2004年01月04日(日)



 あけました

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


昨年同様、私の実家にて年を越しました。下の弟(H)が、これまた昨年同様、31日・1日という慌ただしい日程で帰省したのに合せてです。
大晦日、りー氏とチェリオに行こうとしているところにHから電話がかかってきたので、駅でピックアップして3人で行きました。りー氏はプリン、Hはバナナパフェ、私はトースト&コーヒーを注文。その後別行動でちょっと買い物をして、プラリーヌでケーキをホールで2台(ベリー系のムースケーキと洋なしのタルト)まとめて買い、ちょっとほこらしげな気分で実家に向かいました。
祖母は叔母の家で年越しです。そんなわけで、父・母・Hと私ども、それにのい、の5人と1ぴきで大晦日の食卓を囲みました。あ、のいは囲んでいません。足元です。のい〜

オール電化の実家では暖房器具もエアコンのみで、乾燥肌の私は頬のあたりでぴきぴきと音がしているようでした。こんな具合では鼻とノドもやられそうです(実際ちょっとあやしかった)。
のいは未明に中くらいの運動会をしていました。


元旦、いったん帰宅して年賀状をチェックの後、雄山神社に初詣に行きました。
おみくじをひいたら末吉でした。昨年は小吉で泣きそうになっていたのですが、さらに厳しい結果と言えます(cf.小吉→吉→末吉)。かつて、引けば大吉、くらいの勢いだったことを思うとあれですが、しかし思うところあるからこそ厳しいのであろうと解釈することにしました。末吉でも一向平気、とまではいかないにしても、気をひきしめて1年つとめましょう。
そんなわけで「健康」とか「学問」とか「恋愛」とかの、どの項目も概してごつごつしたお告げばかりでしたが、なぜか「出産」だけは、さわりなしだか安産だか、とにかく安心してよさそうなことが書いてありました。よし、それが書いてあればいいです(比喩です)。
それにりー氏は大吉だったので、こちらでもよしとします。

その後、それぞれの母方の祖母に会いに出かけました。入院中のりー祖母と、ホームに入所中の私の祖母に。
そしてりー実家にお年始のあいさつに行きました。りー父母と4人でお正月の食卓を囲み、1泊しました。


例年だと、三が日のうちのいずれかの日に、私の実家に叔父叔母いとこが集まる「口祝い」があります。しかし昨年は叔父の家で不幸があったので、結局叔母一家を呼んで夕食を、という感じになったようです(まあ、その他すれ違いがあったりとかいろいろだったのですが)。実家で年越しをしたので、りー氏と私には自分たちの予定で過ごしていいよ、と言われていました。でも叔母一家に改めて年始のあいさつもしたいというわけで、酒と菓子など持って私のみ出直しました。それが3日のこと。


お正月のいろいろで、私がとりわけ楽しみなものといえば年賀状です。いい年をして、と笑われるかもしれないけれど、でも本当に楽しみなのです。いつもうれしいけれど、今年は特に拝見していてとても楽しかった。それぞれ趣向があるなあと思わされました。また、宛名の筆跡を見て、これはどなたからだろう、と当ててみるのも(悪趣味ですが)面白いです。そして、ゆったりとした文字を書くことが出来る、私の手に合った万年筆が欲しいな、と改めて思うのです。太字の万年筆に憧れるけれど、スペースいっぱい書きたい私には細い方が実用的だなぁ、とも。

今やお年玉をもらうこともなく、初売りに心ときめかせるわけでもなく、ただ揃って過ごせることが楽しい。といって揃って行動しているかというとそうでもないのですが。
家の中が楽しいから外に出て楽しいし、外にいて楽しいから家の中もまた楽しい。今年もそんな1年でありますよう。

2004年01月03日(土)
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