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みんみん



 バンドネオン

舞台版「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」、日本版が上演されるらしいが、ヘドウィグ役は三上博史らしい。いかにも三上博史が好きそうな役で、言われてみれば他にはちょっと考えられないんじゃないかというくらいはまりすぎ。ちょっと恐いほど。


よく行くカフェでバンドネオンのライブを観た。10種類のカジュアルなフランスワインと共に。
バンドネオンという楽器を実際に見たのは初めてで、こぢんまりとしたライブだったこともあり、奏者の方にちょっと触らせてもらった。
蛇腹を開いたり閉じたりして音を出すという原理はアコーディオンと同じである。日本でよく見かけるアコーディオンは、右が鍵盤、左が伴奏を奏でるボタンから成っている。対するバンドネオンは、左右ともに音階を奏でるボタン(これがいわば鍵盤に相当)である。バンドネオンのボタンはいずれも単音なので、複数の指で押しさえすればアコーディオンよりもっと繊細にポリフォニックな表現をすることが可能、ということであるらしい。ちなみに鍵盤だけのボタンなしアコーディオンというのは学校での音楽教育用に生み出されたもので、日本独自とか。
しかし、ボタンの配列はほとんどバラバラに見え(本来規則性があったのかも知れないが、今やその根拠はわからないらしい)、まずは音階を覚えるのが大変そうだ。しかも蛇腹を開くときと閉じる時では音階が違う(同じ場合もあるがむしろ例外的)。
そんな大変なことだったとは。

なんだか久しぶりに人の中にいたような。
人とお酒で高揚していた気がする。

2004年02月28日(土)



 5つ違い

nuit cafeで高校の後輩に会う。
教育実習に行って知り合った人である。彼女のいたクラスは担当していないので教え子ではないが、知り合った時のお互いの立場上、私は何となく先生と呼ばれ、学年で5つしか(も、か?)違わないのにいまだに敬語を遣われているのがこそばゆい。
夕食を共にしながら、私がそういうことを言うか、へそで茶が沸く、というようなことを少し言ってみたりする。

帰り際、彼女がたまにアルバイトしている喫茶店自家製のパンをもらった。
見た目も仕上がりもちょっと素人っぽいパンなんだけれど、なんだか妙な引きがある。来週はお店に入っているというから行ってみようか。

2004年02月26日(木)



 ゼブラーマン

レディースデーだったのでひとりで観に行った。

哀川翔のファンでもなく、宮藤官九郎のドラマが好きなわけでもないが、なぜかこの映画だけはちょっと興味を持った。
哀川翔のVシネマを観てしびれる人は、これって違う、と思うのかも知れない。また宮藤さんのテレビドラマは好き嫌いがはっきり分かれるようだ。私はダメな方なのだけれど(りー氏も同様)、映画「ゼブラーマン」はバカバカしくて楽しめた。

同じ脚本家でありながら、テレビはダメで映画ならいいというのは私の好みにすぎない。たまたま先日は、岩井俊二の映画をテレビで見て、これは映画じゃなくて夜中のテレビドラマかビデオ作品だったりする方が受け入れられるなあ、と思っていた。去年の春、UAと浅野忠信が出ている映画「水の女」を観に行った時、りー氏が「なんかNHKとかでやってる実験的なドラマみたい」と言っていたのも同じような発想かも知れない。なんでなんだろうなあ。あまり真剣に考えようともしていないが、そう思った。受容される場やツールに興味があるのかも知れない。
拙宅のテレビがもっと立派で画面も大きかったらまた違う印象を持つのかな。たぶんそうだろう。
今週もビデオを見終わらずに返却してしまった。映画は映画館で観たい。

さて今回は、ヒーロー物という世界で哀川翔を見せ物的に楽しみたいという思惑があった(というほどのことでもないが)。
クドカンさんのファンにとってはもっと突き抜けてバカバカしい方が良かったのかもしれないけれど、初心者としては穏当に楽しんだ。例えばテーマなんてものがうるさくこれ見よがしでなかったりするところにも目が行った。でも比較的さりげなく父と息子の話になってもいたりもして。
真っ当な、しかし新しくひねったヒーロー物を作ろうという気持が感じられた。一方で深読みながら、映画(しかも東映)の大仰さを映画の中で逆手に取っている−−しかも哀川翔という微妙な線の俳優(お好きな方すみません)を使うことで−−ように見えたところも面白かった。

哀川翔ファンには賛否両論だろうけれども、ファンではない者から観ると良さが引き出された作品になっていると思う。そういった意味でよい百本目の記念になっているのではないか。
私が特にいいなと思ったのは、哀川扮する主人公(さえない小学校教諭)が「浅野さんと呼んでいいですか」と言うシーン。

その他再発見した俳優さんたちとしては、、
▼鈴木京香
スタイルがいい。胸元がきれいだった。そんなこと今更なことなのだろうなあ。画面では大柄なイメージで映りがちで、それは他の皆さんがあまり大柄でないからなんですね。非常に残念。それにしてもはっとさせられました。>ゼブラーナース
▼渡部篤郎
かっこよく映っていた。態度のヘラヘラ加減とシャープなスタイル(矛盾したこと書いてるな)が役柄に合っていたように思う。
など。
たぶん他にも細かくマニアックなキャスティングなんだろうと思う。


というようなことを書いていたら、ちらりと見たらしいりー氏に「イヤ汁がそこかしこにしみ出している」と言われた。
「本当は哀川翔なんて観ない私だけどー、とか言いたげ」
そんなことはないよー(確かに観ないけれども)。
「本当は満を持して観に行ったくせに」
……その通り。

2004年02月25日(水)



 春の手紙

昨年の暮れ、りー氏が玄関先にチューリップの球根を植えた。
それが今芽を出してきている。りー氏が気づいた。
私はそういうところが(も)がさつである。

誕生日にぴょんちゃんからもらったアレンジメント(オルテンシア・アズール製)のお花は、週末、すっかり満開になった。
届いた時は、グリーンの中に小さいつぼみが埋もれてちょこっとだけ顔を出していたのだけれど、今はチューリップその1!その2!その3!バラ!といった具合に、ここにいますおりますと言わんばかりににぎやかだ。


Kさん夫妻よりお便り。小躍りしてりー氏の帰りを待つ。
ミャウリンガルその他のお礼を送ったらすてきなお手紙を頂戴したという次第。Yさん(奥様)が丁寧に書かれたであろう文字を見て、自分の、ゆるい手で書きなぐったような手紙を恥じる。

メールという手段がなかった頃、人との関わりにおいて、個人的な手紙をやりとりできるようになると、おし! と思っていた。誰にでも手紙を書いていいというものではないような気もして、ためらわれた。それほど、手紙は好きで、大事だ(った)。
今はさすがに、書いていて楽しいというよりはハラハラドキドキ心臓が飛び出しそうな手紙を書くこともある。それでも、少女パレアナのように(笑)、どんな手紙も楽しく書きたいと思っている。いや心がけたい。
ゆったりと手紙を書く頻度も減ってしまった。でも今も心は常に文通希望だ。

そしてNさん、お手紙と贈り物をありがとう。



市立図書館に行った。初めて翁久允(おきな・きゅういん)文庫を利用した。
翁は富山県立山町の出身で、アメリカに移民の後、週刊朝日の編集長などをつとめ、国境を超えた活躍−−という言い方もあれだな−−の後、再び富山に帰ってからは俄然郷土研究に目覚め、雑誌『高志人』を創刊したという人。
なんてことも、実は昨日まで知らなかった。小説を書いていたことがあるらしいというのと、護国神社裏手にある瀟洒な邸宅が翁邸だということを知っていた程度だ。
閲覧したい資料が見つからず、棚に並んだ背表紙を逐一確認しているうちに、面白い資料をいろいろ見つけた。私よりりー氏の方が面白がるんじゃないかという資料を。たとえば戦後、富山で開催された大博覧会のガリ版刷一次資料とか。市史などは当然こういったものを参照して(あるいは孫引きで)書かれたに違いない。
一緒に棚を探しながら、面白そうな資料がいろいろありますね、特に富山の近代史に興味がある人には、と司書の方に話しかけると、そうなんですよ、と言って翁の履歴について触れてくださった。
目的の資料が見つかったので、全冊(といっても30ページ程度)コピー。別に郷土の研究をしようというわけではないが(興味がないわけでもないが、やるとしてもいわゆる郷土史研究的な視点にはなれないような気がする)、外に出て帰ってきたらドメスティックになったというのはとてもよくわかる。外からの視点(第一にいやらしくなく、できれば地に足がついているもの)は必要だとも思う。


代表的な辞書の各項目は、歴史的に古い用法から順に並べられるという傾向にある。O(xford)E(nglish)D(ictionary)しかり、日(本)国(語大辞典)しかり、広辞苑しかり。
しかし今日K氏(前出Kさんとは別人。外国語の、語史じゃなくて現代語が専門だと思う)と話をしていて、むしろ日常的には広辞苑などの辞書のそういった(今使われてもいない用法をすっとばしていかなくてはならんという)側面が面倒、と言われ、目からウロコが落ちる。自分が現代の人でないことを(改めて)知らされたようだった。
他にも、作例ではだめで、出典を明示した用例が併記されていないと落ち着かない、という感覚があるのだけれど、それは私が外国ではなく日本寄りだからか。

2004年02月24日(火)



 とまどい

よいお天気なのだけれど空がどこかくすんでいた。
黄砂のせいだろう。車のフロントガラスが汚れていた。
もうすぐ春が来る。
それにしても、こんな時期にうららかだとどうしたんだろうと思ってしまう。暖かすぎるから。


私が行ってもなかなか言うことを聞かないのに、りー氏が行くとさっと飛び退く剛田(茶トラ)。
さびこは来なくなってしまった。

2004年02月20日(金)



 ネコバナ

先日、ざんぐり(飲み屋)に行ったら、オーナーに、
「あの、いただいた年賀状に写っていた…」と言われる。

注・猫(のい)です。


昨日、縁側に茶トラとさびこがいた。
2匹はきょうだいであろう。身体の大きさがあまりに違うが、顔が似ているし、なんとなくそう思っている。このへんの茶トラが混じった猫についてみんなそんなことを言っているような気もする。
茶トラはまた(黒白に引き続き)小さい猫を追い出しにかかっているっぽい。ジャイアンだあれは。まったく。
自然ってそういうことなのか? といって猫が野生動物かというとそれは違うだろう。

茶トラのニックネームは「剛田」に決定。
ま、本家よりは腰がひけてます。

2004年02月18日(水)



 ロウ・パワー

実家の祖母を病院に連れて行った。
10日ほど前、何かの拍子で身体をひねったとかで、杖なしでは歩けなくなった。家の中でも杖をついて移動している。それでにわかに介護保険云々という話が持ち上がり、まずは総合病院の相談窓口に行ってみようということになったのだ。
最初は父が同行して相談に乗ってもらう予定だったが、たまたま私が話の場にいたので行くことを申し出た。今は同居しているわけでもない私が行くのは差し出がましいが(人が多ければいいというものではなく、場合によっては多いほど話はややこしくなるというもの)、父が行くといきなり極端な物言いをしそうでちょっと不安に感じたのだった。これは父の性格で、こういう性格を私は嫌いでないし慣れてもいるが、万人向けであるとは言いがたい。ましてや先方とは初対面である。それでワンクッションおいて孫が同伴しようというわけ。
相談の結果、整形外科で見てもらった方がよさそうだということになった。
これが先週の話。

今日、整形外科で見てもらった。母も仕事を抜けて出てきた。
祖母の腰部レントゲン写真を見て、骨ってずいぶんぼんやりしているんだなあ、と思った。骨がぼんやりしているのではなくて、祖母の骨がかなりスカスカになっているので白くくっきり見えないだけだ。お医者さん曰く、「いつつぶれてもおかしくはない」ということ。
祖母の腰痛は骨ではなく筋肉から来ているらしい。骨では支えきれない負担が筋肉の方に回ったということのようだ。

その他いろいろあるんだけど省略。

人が年を取るということを学んでいる。
一方で忘れてはならないのは、祖母が、自身にとっては現在進行形の、進んだことのない道を進んでいる(いくらかつて私の曾祖父を看取ったとはいえ)という認識だ。当事者でない者が簡単に俯瞰してはいけない(もちろん客体化も大事だけど)。
いつか私の、りー氏の両親も年を取る。その頃の世の中で「年を取る」ということがどんな状態を意味するのか、想像できない。楽観的でない意味で、今とは違うだろうということを思うだけだ。
そして私たちも年をとる。ここはまだリアリティがない。更に想像できない。

孫に出来ること、一緒に暮らしていない者が出来ることがあるのではないかと思う。時によっては、父や母と同じ視線に立つ必要はないだろうとも思う。
私はよく、お金か時間を割いてくれる人の言うことしか聞かなーい、とうそぶくのだけど(本当に聞いているのか?)−−当事者でもないのに勝手にあれこれ口だけ出すなということなんだけど−−私が提供できるのは時間かなと思う。
これって子が育つ時と同じなのかも。上の数行の「孫」を「祖父母」に変えてみることができるかもしれない。「親」は、猫の親しかやったことがない(しかもわずか1ヶ月。人間に換算すると保育園児から小学生まで)のでわからないけれど、でも子なら32年間やっている。

いつか親になる日が来たとして、祖父母(とは私たちの両親だが)が甘々なことにムッときたりするんだろうなあ。子の側からするとありがたかったんだけど。
ものは言いようものは言いよう(呪文)。

それでもし私が祖母に何か出来るとして、それはかつて祖母が私(たち)にしてくれたこと(と似たようなこと)を、今してあげているだけなんだろうと思う。

ちなみに外科的な部分は弱ってきているが、幸い頭と内臓は元気な祖母@のいのともだち83歳。



ヘナで染めているという母の髪の色、明るすぎるよ、と言ったら、「みんみんの髪の色、黒すぎるぅ〜」と言われた。……今はまた黒髪なんだってば、と応酬する私も大人げない。
保育士はミーハー(でないとやっていけない)、というのが私の持論。

それはともかく、親の心子知らず、かも、と思った今日。
自己反省の意で。



病院で母の知り合いのおじ(い)さんに会った。
趣味でうさぎを育てていて(現在ご自宅には40匹)、学校や保育園幼稚園などに寄付していらっしゃるそうだ。母の勤務先にも数匹いるらしい。
昔は料理人だったという、ちょっとくろうとさんっぽい感じの洒落た雰囲気の方で、なんだか知らないがえらく器用な人のようだだった。ひよこの雌雄は見分けるのが難しいというが、この方はお手の物らしく、それどころか卵で見分けることが出来るとか(本当か?)。その他、経験に基づく豆知識みたいなのがいろいろ口をついて出て、5分10分ほどのあいだに、

半分食べ残したりんごの切り口を赤くしない方法。断面にティッシュペーパーを2枚ほど貼り付け、そのままぴったり面を皿に伏せるなどして密着させておく。
水溶き片栗粉を固まらせない方法。水と片栗粉に砂糖を少し加える。使うときに固まらない。
卵を立てる方法。アジシオをひとつまみ、台の代わりにすると立つ。茹で卵でも生卵でも。
あと2つあったんだけど失念。

の伝授を受けた。
母曰く、子供を授かる方法ってのもあるとか。

2004年02月16日(月)



 ぱたぱた

平日みたいに道が混んでいた。今日は何の日だっけ?
バレンタインデーだからって夕方道が混むなんてことはなかろうに。謎だ。
今年は自分で作らず、好きなお店でチョコレートを買って渡しました。

玄関のドアを開けたらさびこ(仮。サビ柄の小さい猫)がそこにいて、私の姿を認めるやいなや、素早く逃げていった。
時々見かけるのだ。普段大きな猫ばかり見ているからとてもかわいらしく思えてならない。
かわいくないとりー氏は言うけれど。

青バラに書いた岩井俊二の感想補足。
たぶんあの繊細に見えるものが人を引きつけ、人を引かせるのだろうと思う。
私の好きなものと隣り合い、ひょっとしたら重なってもいると思うけれど、どこか俯瞰して見ている。
もう少し饒舌でない方が好きなのかも知れない。

2004年02月14日(土)



 数える

紙の枚数を数えながら、なんだか指先の具合が悪いなあと思った。もしかして、と思い、手元にあったお手ふきで指をしめらせてめくってみると、案の定、たいへん数えやすかった。面白いくらいに。
かつて、中学や高校のとき、担任の先生が定期試験の答案を配るのに指先をぺろっとなめたりするので、いやだー、とブーイングをあげていたものだが、うむー、とうとう私もそういう年になってしまったのかと思う。もともと乾燥肌ではあるにせよ。
しかしさすがに指をなめる気にはならない(切手の裏をなめるのもいやなのだ)。

他にもいろいろ数える1日だった。


先日、山の方におつかいに行ったら、「おてま(手間賃あるいは駄賃)」にそばポン菓子と干し大根をもらった。切り干し大根のような千切りではなく、スライサーで薄くしたような、ほどよい大きさのものだ。
そばポン菓子はそのままパクパクおやつになった。

ある日。
干し大根は煮物にしようと思い、ぬるま湯につけて出かけた。

帰ってきたら干し大根はちゃんと戻っていた。
試しに1枚食べてみたら、これが独特の歯ごたえがあっておいしい。塩辛くないたくあん漬けといおうか。煮る前にポリポリ、ポリポリやっていた。どうかするとこのままうっかりポリポリ行きそうないきおいだったので、これはいかんと思い、水を換えて火にかけ、適宜茹でた。好みだけれど、いったん茹でておくとひなびた感じが薄らぐし、味もしみやすいような気がする。
しかしその時は時間がなかったのでゆったり茹でるということはしないで、さっさと切り上げた。
あとはまあ普通に切り干し大根の煮物を作るような感じでいいのだけれど、今日は豚挽肉が少しあったので(昨日の麻婆茄子の残り)使った。鍋に油をひき、刻んだりおろしたりした生姜と共にしばらく熱する。そこに豚挽肉を入れ、火が通ったらお酒と醤油を投入する。次に戻した干し大根(やら人参やらお好みで)を入れて水をひたひたに入れて落としぶたをして煮る。お好みでお酒多めでも。だしは挽肉から出る。
これも目先が変わっていいもの。

2004年02月11日(水)



 冬の車 春のライブ

車。
母のお下がりに乗っている。1994年度製カローラ2(ローマ数字。機種依存文字のため)。私が乗りはじめたのは2000年の夏だ。
10年で走行距離は10万kmとちょっと。トータルで見れば平均的な乗り方なのかも知れない。しかし、6年半の間に母(や父)が走った距離と、3年半の間に私(や、りー氏)が走った距離はほぼ等しい。
車は壊れないものだとなぜか思ってしまうけれどそんなことはない。ましてや10年ともなれば。時々修理に出したりすることもある。
雪は車を傷める、とこのごろ実感する。


来月末、スキヤキ町で大貫妙子のライブがあると聞き、Mさんにチケットを取ってもらった。
チケットと共に受け取ったフライヤーによるとサポートメンバーは、

フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)
吉野弘志(コントラバス)
林立夫(ドラム)

メンバーすごいー、ツアーじゃなくてホールの企画で来るなんてちょっと信じられないー、ああせっかくだからいっぱい人が入るといいんだけどー、などと言い合う。
席は、中央から少しそれるけど1列目(田舎よありがとう)。花束を渡せるよ、と言われて、うひゃーどうするよ、と思う。まあご本人がお持ちになるとは思わないが、花は必要だ。
しかしライブは水曜日=アズールさんとこは定休日翌日(いつも宅急便で翌日受け取りだからだめなのだ)。ガーン。
どこでお願いしよう? 花のセレクトが好きでも、ブーケやアレンジメントにした時に好きな雰囲気になるかというとまた別だ。

大貫さんは中学生の時から好きだ。このごろ、誰々の新譜が出るたびに聴く、というようなつきあい方をしていないのだけれど(音楽一般について)、長く好きでいる人のひとり。

2004年02月10日(火)



 無題/出産祝い

weblog風に。

首都大学東京

新聞に出ていた2次の出願状況を見ていましたら、倍率そのものはあんまり変わっていないような印象だったのですが。まあ、名前が変わっても、大学は中身ですから、憂慮は不要ってことでしょうか。でも名は体をあらわすとも言いますわね。あ、すばらしい名前だから憂慮なんてそんなことあるわけもないわけだ。
決定は知事ですね、確か。

しょうがないので昨日はりー氏に向かって怒り狂っていたんですが(あ、りー氏が悪いわけじゃないですね。とばっちり)、曰く、
「まあ、移転するかも知れないし、『首都』ってわざわざ付けておかないといけないと不安ってことか」
なるほどなあ。

一瞬、これだったら大江戸大学の方がましだったかも、とか思ってしまったんですが、まあそれはあり得なかったでしょうね。新大学の学科構成からして。



『BRUTUS』の最新号は会社見学・日本編(先号は海外編)。
私もりー氏も買ってきてしまった。1家に2冊。ご希望の方さしあげます(笑)。
中に採用試験を紹介するコーナーがある。これがりー氏の得意そうな問題ばっかり。「設計図どおり、グライダーを組み立ててください」@三鷹光器、「レゴブロックで球体を作ってください」@レゴジャパンとか。
「その根拠は?」と本人は謙虚にも申します。
えー、絶対大丈夫だと思うなー、あんたなら。
「そういう無根拠な思いこみが人生の選択を誤らせているような」
買い被った方にも責任はある。だまされたもん負け。

ついでに雑誌もう1点。
『東京人』2004年3月号 200号記念保存版「東京からなくなったもの」
いろんな人がいろんな「なくなったもの」をひとつずつ挙げている。「これは保存だな」とりー氏。
都築響一氏が六本木WAVEを挙げていた。コメントで述べているようなことを、私はリアルタイムで全て体験していたわけではないけれど、でもその片鱗なら知っている。英語の授業が休講になった午後にCDを買いに行って、探していたヤナーチェクの曲をずばり教えてもらったりした。どのフロアも楽しかった。もちろん青山ブックセンターにも行った。
まさに都築氏のいう、「あの六本木ヒルズが丸ごと奪ってしまった」という感覚。



出産した友人のところに、別の友人とともにお祝いを持って行く。
品物は先日上京した折に友人のところ@国立で相談しながら求めたもの。これがあれだ、自分で言うなよって感じだが、どうするよという程にすごくかわいいのだった(あほ)。6ヶ月くらいでぴったりのものと、1歳過ぎくらいでぴったりのものと、2組買った。6ヶ月の方は白いロンパースにすこーし黄みがかったようななんともいえない水色のカシュクールを組み合わせ、1歳過ぎの方は白地にやさしいワンポイントイラストの入った長袖Tシャツと、ワッフル生地のスパッツみたいなパンツを合わせてみた。んもー誰か私にくれ、という感じである。
子供服が好きなこともあって、出産祝いには洋服を贈ることが多い。お店にはすみれ色のカーディガンなんかもあったりして、これは女の子向け風に見えたが、その雰囲気ののシックなことといったら。

2004年02月07日(土)



 『クウネル』と『暮しの手帖』

るる再びです。

あるいはどなたか既にどこかでされていそうなお話なのですが。
『クウネル』(マガジンハウス、月刊)を『暮しの手帖』(暮しの手帖社、隔月刊)リスペクト(と、あえてこんな言葉を使ってみる)として位置づけてみる。

『暮しの手帖』の装幀がリニューアルしてそんなことを思った。ぴょんちゃんによれば、手がけているデザイナーさんが同じなんだそうだ。おおそうか、そういう見方をしたことはなかったぞ(本の装幀は見るけど)。私が言うのは内容から受ける印象についてだが、見た目も重要だ。
そうなんだー、と、本屋で改めて今出ている『暮しの手帖』を見たら、さらにまたなんというか一段と雑貨屋みたいな装幀になっていて、ちょっとレトロでおしゃれ?(語尾上げ)と言われているようで、しかしそれが却ってあれで、これはどうしたんだ、ペラペラだぞ、と思ったのだった。そしたらまたもやぴょんちゃん情報で、今号からまたデザイナーさんが変わったらしい。今度は『ミセス』や『翼の王国』(ANA機内誌)を担当されている方なのだとか。『ミセス』『翼の手帖』どちらもいい雑誌だとは思うけれど……
号を重ねるにつれてだんだんマガジンハウスの雑誌*らしく*なってきていている『クウネル』につられているわけではなかろうに、「本家」まで苦闘しているようだ。

だがしかし、『暮しの手帖』と『クウネル』の間には決定的な違いがある。

例えば宮脇愛子を取り上げるというような。
例えばそんな視点に向かうこと。
(余談だけど「宮脇愛子」と見たとき、ビテチョウ(注・『美術手帖』)かよ!と思ったけどそっちの−−イソザキさんの−−愛子さんじゃなくて、故・宮脇檀氏のお母様−−この方も故人−−だった。そりゃそうだ。)
堀井和子さんの○○、とか、伊藤まさこさんの○○、とか言うのではなくて。堀井さんや伊藤さんがどうこういうのではなくて、比喩だ。
『暮しの手帖』の人選だってすごいラインナップだ(った)けど、どうだ取り上げたぞーというところで終ってはいないと思う。

広告載せるな・スカート穿け・雑誌と共に人生を生きろ、とは言わないから、人の名前に頼らないでちゃんと見つけて、と、思う。
『クウネル』には花森安治がいないのだから(それは幸いでもある)、マガジンハウスなのだから、メジャーを活かして楽しくやってほしい(『LEE』みたいにならずに、と一言加えつつ。まあこれは大丈夫だろう)。

『暮しの手帖』も転換しようとしているのだろう。雑貨屋チックな表紙で『クウネル』を手に取るような男の子女の子たちも取り込んでゆけるかも知れない。いいじゃないか。
性差も年齢も(人種も)問わずに読める雑誌なんてそうそうない。ターゲットは呼吸をして*暮し*ている人だ。

なんて好きなことを書いたのはやはり、どこよりも新しくてずっと変わらない何かを期待しているからだろう。


付け加えると磯崎新夫人の方も好きだ。昔、原美術館で作品を観て衝撃を受けた。わりとミニマル好きだったりもするからだけど、これは私か、と思って(不遜な)。
今はもっとさらりと観られると思います。

2004年02月06日(金)



 長々縷々(主に負け犬)

だらだらと、というのが正しい。


日中、用事のついでに温泉に入ってきた。一昨日といい、いつも温泉入ってるみたいですな。
またとりわけおばちゃん度が高い。しかも常連さんが多いらしく、カランを使おうとしたらほとんどが「予約済み」だったりした。
乾燥肌に高温のサウナはよくないと聞いてから控えるようにしているのだけれど、あまりに寒かったので入ってみた。今日も雪が降っている。
とあるおばちゃん曰く、昨日テレビ見とったら、「道路に雪撒くな」言うとって、私のこと見とった(=見ていた)んかと思ってしもたわ。
おばちゃんのことを見とったわけじゃないと思うけど(笑)、でも多いのだ本当に。自宅前に積もった雪を道路に向かって放り投げる人が。
なぜそんなことをするかというと、雪を投げ入れる排水溝がなかったりする場合に、走る車で雪をつぶそうと、融雪装置でとかそうということのようだ。
でもほんと恐いのでやめてねー、なんてここで言っても絶対効果ナシ(笑)。

それにしても雪のない風景が恋しい。雪の日に生まれたから雪にも寛大な方だと思っていたが、だんだんと変化もするようだ。



先日の日記に書いたように、酒井順子『負け犬の遠吠え』ってばーりばり誤読されるんだろうなーと思っていのだけど、やっぱりそうらしい。ちゃんと読もう(笑)。
またわざわざマスコミで誤読させた(した)ままタームだけ借りちゃって特集を組んだりするんだろうなあ。この件については確認していないけれど、「老人力」の時はそんなこともあったと思う。
# A瀬川さんちにはセコムがついている。
  お金持ちになったんだなあと思った。
  セコムのついてる(元)アヴァンギャルド・アーティストの
  家って……
  なんていうのは大きなお世話と言う。たぶん。

しかし誤読というのは心しなくてはならないところで、こんなだといいなー、と思って読んでいるとそういう風に旋回していったりするからこわい。日本語だからわかると思ったら大間違いな話だということだろう(ネットで起きる諸問題もそこに起因するのかも知れない)。
誤読もまた作品受容の一面だと思う(これは本当にそう思う)。けれど、「何か」言おうとするならもうちょっと冷静になる必要がある。

ちょっと話がずれます。
いい作品というのは2つあると思う。
ひとつは客観的に見てよく出来ているもの。小説だったら面白い(この定義が難しいんだけど)とかそういうもの。巷間一般に名作と言われているものはここに入ると思う。
もうひとつは、作品の出来不出来とは別に、さまざまな解釈をはらみ/が可能な性格を持つもの。さまざまな文脈による誤読も含め、賛否両論をも含めた受容がある作品。
いま、後者はともかく前者についてはかなり大雑把な言い方になってしまっている。もちろんこれは後者について言うために対照的にマクラをふる必要があるからなんだけれども。
前者であり後者でもあるケースが、作品の懐としてはもっとも大きいということになるだろうけれど、時に、前者でなくても後者ではある、そんな作品(現象)だってある。

まあだけど負け犬勝ち犬についてに何か言おうとするなら、一応相手(筆者)の土俵に上りましょう、ということにはなるだろうな。勝ち犬・負け犬*論争について*語るならいいんだけど。
と書きながらすっかり論争(の誤読)そのものの方が面白くなっていたりもして、我ながらやなかんじだ。
酒井さんの本は面白く読んだ。あちゃー私もフグだわー、向田邦子より長谷川町子がかっこいいよなー、ってことは私は社民党なのね、なるほどー、とか。客観的数値が示されているわけではないけれど、鋭いツッコミ(しかもみんな少しは色気があったりするからなかなか言えないというか、ミもフタもないかも知れないというのでためらっているようなこと)に満ち満ちているので面白い。ていうかこんなの客観的数値で示されたところでよほど上手にやってくれないと興ざめかも。そんなの当たり前じゃん(ってこともないんだけど。本当は)、面白いことを面白くなくしないでね、と思ってしまったりして。

で、私は負け犬(未婚子無し・仕事持ちそれなり矜持あり)なのか勝ち犬(既婚子持ち・専業主婦)なのか?(笑)

ありうべき反応としては、あははー、わかるぅ〜、あるいは、へぇ〜そうなんだー、といったところか。AERAの小倉千加子氏との対談でだったか、その後酒井さんのところには「勝ち犬らしい私だって本当は」という身近な人たちからの反応があったらしいというけれど、それは著者が想像した展開ではなかったのではないか。
やはり落としどころとしては、マルコさんも(同じ酒井さんの『少子』を評して)おっしゃっていたパラダイムシフトということになるかと思う。まあそれだけやっぱりみんな狭いところを見て暮らしがちだとも言えよう。
後付けはともかく、著者が自分をネタにしているからこそ芸(研究にあらず)になり得ているのだとも思う。



中古CDなど届く。
とある曲を聴いていたらなんだか気持がうつったみたいになってこまった。そして久しく会っていない友達のことを思い出した。ひととおり聴いたけどうつりすぎていま再び家で聴く気持にはなれないなあと思った。気が向いたらカーステに入れよう、とか、そんな。

2004年02月05日(木)



 1日複数回更新

試しにやってみました。

昨夜。
人間大学
「ユビキタス」社会がやってきた〜人とコンピュータの未来
を観ながら、
「ISBNコードのデータベースを蔵書整理に使えないもんかなー」
と言うりー氏。「ありそうだけどな」
ごにょごにょ、何かグーグルさんに尋ねていたかと思うと、そのうち便利なツールを見つけ出したようだ。
「これで本の整理ができる」
次回引っ越す時にでもね。自分で言いつつ、いつだよ!とつっこみを入れたくなる。ていうか考えたくない。
ま、りー氏の場合は「本を処分する」ということからはじめなくてはいかん(以下略)。

本が整理されるとありがたいが、「何があるか」よりも「どこにあるか」の方が問題だ。ってそれはこちらの習慣の問題か……



国会中継をつけていたられいの学歴詐称問題関連で質問している人がいた。
質問をしたのが誰か、答えたのが誰かは確かめていない。

あの法案はいつ通るんでしょうか。


ある日の会話(回想)。

父親って、どんな彼を紹介しても反対するものなのかなあ、と久しぶりに会った友達は言った。
これはまたステレオタイプな。うちは「りーさん気が変わらないうちにどうぞどうぞ熨斗もつけましょう!」って感じだったからなー。私たちの姿が見えなくなったら実家のドアは閉めて鍵かけろ!くらいの感じで(どんなだ)。

友達のお父さんは、友達の彼が6歳年下だと聞いて結婚を反対しているらしい。
反対の理由は「いつかきっと捨てられるから」。

面白い! 面白いよ!

友達には悪いけど、大笑いしてしまった(友達も笑ってたけど)。
お父さんは幸せな人だ。

ま、でもやっぱりそういうコトバみたいなのは大事かもね。
私たちの場合は、結婚したいのです云々という言葉はぜんぜんなくて、いきなり式と披露宴がわりのお食事会計画のプレゼンから入ってしまったからさー(笑)。


マイノリティであることがご立派だとは思わない(さすがに)。
でも、マジョリティであることに疑いなく乗っかってしまうよりはいいんじゃない? 自分の中で問いと答えを経て(あるいは、今もその中に)いるんだろうから。



れいこなさん情報で、今日のgoogleトップページがジュリア集合であると知った(22時現在では既に通常モードの模様)。
折しも『構造と力』が(今更)気になっていたところ。音楽についてはどっぷり80年代の洗礼を受けているのだけれど、本まではちょっと手が届かなかったのだ(当時中学生には)。図書館で借りようかのー、と思っていたところに、昨日何気なく本棚をのぞいたらあった。便利な家だと思った。

私の本をりー氏が手に取ることはほぼないが(除く「猫の手帖」)、りー氏の読書傾向は私が図書館で借りて読んでいたタイプのものだから、私が圧倒的に得をしている。

2004年02月04日(水)



 節分

年男と後厄女で豆を撒きました。


ヤプースがまたもやこけております。

今日は日中から近場の保養施設に行って温泉に入っていたのですが(ヨユーだなぁ)、脱衣所で知り合いの添乗員さん(一昨年の暮れ、石垣島に行った時にお世話になった方)にばったり遭遇しました。ほぼ(完全に、ではない)着替えていた私が、鏡越しに彼女の後ろ姿を見たといえば見たわけです。場所が場所だけになかなか照れますね。

お湯に入っていたら有線か何かで童謡がかかっているのが聞こえました。湯には静かにつかりたいぞ、と思いながら、印象に残ったのは「ひなまつり」の歌詞。

すこししろざけめされたか あかいおかおのうだいじん
 (少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣)

歌って古語に親しみましょう、という手があるかも。>召す
「夏は来(き)ぬ」とか。
しかしそれ以前に歌を知らなかったりして。


あっちがこけているのでこっちで猫2題。

その1。
実家に行く用事があったので、ようやくミャルリンガルを持って行く。
のいはわりとよく鳴く猫だと思うけれど、鳴いている時にうまいことミャウリンガルが待機状態になっているかというとそうとも限らない。外を向いてみゃおうーんと鳴いていたりするのだ。
最初は祖母の部屋で試してみようと思ったのだが、祖母がしゃべりっぱなしだったので断念(ばあちゃんひとりでしゃべっとるんよ、と母がときどき言うのはこういうことかと思う。これだけ見ると母が悪者ですが)。

さてダイニングで具合よく鳴き声をキャッチ。その直後にごーりごーりごーりと私の足に爪とぎをしはじめた。
鳴き声ほんやくちゅう。ほんやくかんりょう。

すりすりさせて〜

おお確かに!本当にすりすりしているよ!
なんとわかりやすい猫だ。
あらためましてありがとうございます。>Kさんご夫妻

その2。
えさを食べに来ている茶トラ猫が、口からよだれを流していた。
大丈夫かいな。

2004年02月03日(火)



 土・日

土曜日。
久しぶりに揃って犬カフェに行くぞ、と言っていたのだけれど、りー氏の方がちょっと無理っぽかったので中止。
結局、遅くまでやっている(初めての)お店に入り、私だけお酒を飲んで(鬼)、ごはんを食べました。飲み会グループが後ろでものすごおおくうるさかったです。

それで、雑に注がれた、2杯目の、ジュースみたいに甘いワインを私だけ飲みながら、どういう文脈からだったのかはすっかり忘れてしまったけれど、負け犬と勝ち犬の話をしました。よそ様で話題になった酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003)のことです。負け犬だの勝ち犬だの、赤瀬川原平の「老人力」同様に誤った了解のされ方(例えば、老人力で今日もハッスル、とかいうのは間違った使い方ですな)をしそうなタームだろうなあ、と思ってしまいます。
りー氏が興味を示したので、今家にあるよ(借りてきてある)と伝えました。こないだの裏技のおかげでもう手元にあるのです。

裏技なんてものではない、単に図書館のサービスを有効利用しているだけです。
某日、この本が読みたいと思って所在確認をしたところ、市立図書館では予約待ち11とありました。こんな状態ではいつになるんだかわかったもんじゃない、というわけで、県立図書館に取り寄せリクエストをかけました。
もし県立図書館で所蔵していたらこちらでも(たぶん)延々待ち続けるしかなかったのだろうけれど、幸か不幸か県立では所蔵していませんでした。それで県内公立図書館に横断蔵書検索をかけて、ふむふむ、干し柿町(仮)立図書館所蔵本は誰も借りていないな、ということは比較的すぐ手に入るだろう、と当たりをつけ、何も知らない顔をして県立図書館のカウンターにお願いしに行ったというわけなのでした。

そして帰宅後、早速りー氏は読書。
酒井さんの著作は初めてのようです。どうよ? とたずねたら、
「なんかナベゾ(渡辺和博)みたい」とまずは一言。
ああ、そうかも。泉麻人がやった女子大生分析を見て、これなら私も出来る、って女子高生版のを書いて送ったのがデビューのきっかけだから。
「なるほどねー。マル金とかマルビとかそういう流れなんだな」(懐かしいー)
デビューは「オリーブ」誌上、アボワール徳川先生(=泉麻人)の愛弟子・マーガレット酒井先生、というふれこみだったような(懐かしいー)。もっとも、デビューこそオリーブでしたが、デビュー前のご本人はむしろmcシスター派だった、とどこかで告白されていたように思います。そう言われれば確かにビミョーにオリーブっぽくない。いや、オリーブ少女(笑)に毒がない、というわけではなくて。


日曜日。
車を運転するのはうまくないけど好きだったりします(一番タチが悪い)。とはいえ、目新しくなく、しかもそこそこ長めの距離を走っていたりするとちょっとうんざりすることもあります。
最近また音楽を聴くのが楽しくなっていて、さっきカーステのCDチェンジャーに新しいのを数枚、セットしました。夜、R359とか北陸道の小杉〜富山間を走っていると、一瞬、富山市街がキラキラ光って見えるカーブがあります。そんな場所をひとりで走りながらある種の好きな音がきこえてくると、なんだかタイムワープしたような、ものすごく幸せな気持になります。
そう思ったら明日も恐くないぞ。

2004年02月01日(日)
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