days;flower-bird-wind-moon
みんみん



 about

おはよう。こんにちは。こんばんは。
このごろ見たこととかあったこととか、てがみを書くみたいに。

---よく日記に登場する人や動物についての説明
りー氏:配偶者。ほぼ毎日(毎回)登場。
    ふとんとにんにくとぬか漬けを愛する。脂性。
    もしも宇宙の中で2つ、星がもらえるとしたら、
    ひとつはぎょうざの星、
    もうひとつはぬか漬けの星がいいなと思っている。
    ねるときはふかふかのぬかの中。
    最近ちょっとお忙し&お疲れモード。 

のい:猫。オス、茶トラ、2002年春生まれ。
   ある日、うちにやって来た。
   1ヶ月ほど一緒に暮らし、今は私の実家の一員となって
   いる(拙宅は賃貸のため)。しばしば登場。
   今はいつも一緒にいるわけではないけれど、心の家族。
   顔は小さい。腰はどっしり。かわいい。
   お母さん(私の母)のことが大好き。
   父と祖母のことは友達だと思っている。
   りー氏とは永遠のライバル。

私:だらだら大得意。

【この日記のなりたちについて】
▼りー氏、前サイトを立ち上げる。第2bbsとして「裏うたかたの日々(通称・アオバラ)」を設置する。なお、「裏」があるからには表もあるわけで、かつては「うたかたの日々」という深紅のバラの壁紙の掲示板もあった。《掲示板の時代;第1期》
▼アオバラが閑古鳥状態となる。
▼みんみん、りー氏と結婚する。その生態があまりにおもしろいので、アオバラを乗っ取り、観察日記化をはかる。《かんさつにっきの時代;第2期》
▼りー氏、備忘録がわりの日記を設置する。それによりりー日記を標榜したアオバラは実質上みんみん日記となる。しかしりー氏のすてきな生態については継続してフォローし続ける。《みんみん日記の時代;第3期》
▼みんみん、流れゆく掲示板にせっせと長文日記を書き続けるのもどうか、とふと思い、更新が簡単なenpituで日記をつけはじめる。しかし相変わらずアオバラへの書きこみはたぶん長い。《fbwmの時代;第4期》

aboutはときどき不定期に更新されます。
# しかしここに気づいている人は自分以外にいるのか?
  気づいた方はメールをください(笑)。

bbsはこちら

どうぞよしなに。

2000年11月12日(日)



 チューリップ

妻有(つまり)に行った。
たくさんのチューリップの花びらが空から降ってきた。信濃川河川敷上空、ヘリコプターから、たぶん15分くらいは落下し続けたと思う。滞空しつつ狭いサークルの中に命中させるのは、すごい技術なんじゃないかという気がする(よくわからないけど)。たくさんの花びらがむしり取られたということでもある。
本当にたくさん降ってきたのだ。へらのような形をした花弁が、1枚1枚、くるくると回りながら落ちる。中川幸夫(チューリップを降らせた人)がすぐ隣りの方にいたのでそちらを見ると、雨天に手をかざしながら、とっても嬉しそうな表情で空を見上げていた。ヘリコプターが遠ざかっていき、地面の上はにわか花畑になった。
残りの茎と葉のついた球根は皆に配られた。チューリップの球根もらい放題。
準備された球根付きのチューリップは膨大な量だったようだ。花びらを取った残り部分は段ボール箱何箱にもなっていた。何箱くらいあるのだろう。大きなトラックの中から次から次へと箱が出てくる様子を見た。大きなゴミ袋にたくさん入れて持って帰る人もいた。さらに残った球根は、ボランティアによって畑に植えられるらしい。
少し心動かされたが、やっぱり、最初に手渡された1つ×2だけにした。少ないぶん、よく見ることができるだろう。

ファンがたくさん来ていた。たぶん東京など中心に、それぞれに遠くから。
私たちもその中に入るのだけれど、なぜだかはらはらしながらいろいろなファンの人たちを眺めていた。りー氏もそうだったようだが。

もらってきたチューリップの球根(茎ならびに葉っぱ付き・花なし)はアサガオの隣りに植えた。植えたのは私ではなくりー氏。
来年の春にはいったい何色の花が咲くのか。

2002年05月18日(土)



 しいたけと

確か昨年、ホームセンターでりー氏が買ってきたしいたけの原木3本。この春になって連続的に生えてきた。
家の裏の方に置いてあったので、知らないうちに大きくなりすぎていた。たぶんそのままでは大味なのを、チンジャオロースーに入れてごまかしてみたのだった。
その後のしいたけ話。
1つ、小さいのが生えてきていたが、大きくなることなく、むしろどんどん小さくなってきていた。とほぼ同時になめくじシーズンの到来。そうだこの家は、なめくじの出る家なのだ。去年もそうだった。いったいどこから入ってくるのだろう彼らは。とても不思議な場所にいたりする。既に屋内で4匹、玄関先で1匹見かけた。子供ではないので、もう塩はかけない。
そのように冷静に書いてはいるが、なめくじは好きではない。たぶん今まで生きてきた中でいちばんなめくじと接する(接したくはないが)機会が多いこの頃。かなり嫌だ。嫌なんだけど、定点観測的には見事に小さくなっていくしいたけの、そのかじった痕を見ると、ちゃんと食べて、生きているんだなと思いもするのだった。かじった、って歯はあるのかなとか。これだけ書いてもでも嫌だけど。なめくじ。

久しぶりに憂鬱な日曜の夜。
りー氏を相手に自分の問題をいろいろとぶつける。りー氏は決して耳に心地よいフォローはせず、消耗気味だったとしても基本的に容赦はない。本当のことしか言わない。言い訳はあくまでも言い訳にしか聞こえず、私にとっては耳が痛い。
グチをこぼすのは楽、悪口を言うのも楽、だけどやっぱりあんまり言ってて楽しいものでもないねえ。聞くのもね。会話がそこから先に続かないことがあるから。
どうせ言うなら建設的なワルクチ(そんなものがあるのか)だな。でどうにかするのは自分。


2002年05月19日(日)



 修学旅行

家庭教師先の子供が修学旅行から帰ってきた。
行先は北海道。メインは牧場での体験学習とのことだったので、「牛さわったりした?」と聞いたら、「飼いたくなった」と言う。あまりに牛がかわいくて、飼いたくなったのだと言う。へええ。身近で飼うには突拍子もない動物だけど、ちょっとその子がかわいらしく思えた。
でもやっぱりペットというよりは家畜だな。大きすぎる。
実はその子のお母さんもかつて同じようなことを思ったらしい。高校時代の体験学習で牛に触れる機会があり、やはりあまりのかわいさに牛が飼いたくなり、「北海道の人と結婚したい!(北海道イコール牧場なのだろう)と思ったけど、母に反対されてやめたんですよー」ということだった。そして結局近場の人と結婚しているわけだ。
牛は無理かもしれないけど、ヤギを飼っていた友達ならいる。しかも2人。今度会ったら、ヤギなら飼おうと思ったら飼えるかもよ、という話をしようか。


2002年05月20日(月)



 オチのない

その時々に、ふと思いついたことを、突然、りー氏に話してみる。
こんなことがあって。
「で、オチは?」
描写だよ描写! と私は言う。見たもの・聞いたもののそのまま。
物事に全てオチがあると思ったら大まちがいだ! とも言う。

それはともかくとして、意味づけ・位置づけることは、現実生活のうえでしばしば要求されるし、また大事なことでもあるが、本当はあまり健康的でない作業のような気もする。
自然に位置づけられたというのなら別だけど。

これといった用件のない手紙、
これといった用件のないメール、
これといった用件のない電話、
これといった用件のないふらふら歩き、
これといった用件のないだらだら、
これといった用件のない・・・
好きなものごとばかりだ。以前に比べて、費やせる時間はかなり減ったけれど。

十日町(妻有)で買ってきた蕎麦のポン菓子、袋を開けると蕎麦茶の香りがして(そりゃそうだ)、食べると頼りない麦のポン菓子みたいでありながら蕎麦粥に通じる独特のねっとりさ加減があって、面白い。

ところでこの「エンピツ」という日記システム、編集がとても容易だ。
ゆえに、過去分までどんどんいじりたくなるのが、いいんだかわるいんだか。たぶん公開したらあきらめもつくのだろう。

2002年05月21日(火)



 ガイドブック

知らない土地へ行くときには、たいていガイドブックを買います。
たいていは、昭文社の「まっぷる情報版」シリーズを買っています。大判のガイドブックとして他にまず思い浮かぶのは「る○ぶ」ですが、私はまっぷるの方が好きです。理由として考えられるのは、

▼地図が正確
昭文社は地図類を多く出版している会社なので、都道府県地図などでなじみのある図(見慣れた表現のしかたとでもいいましょうか)が巻末あるいは所々に挿入されている。
▼全都道府県をまんべんなくフォローしている
しかも区各市町村をフォローしているような気がする。旅先が観光地であるとは必ずしも限らないので。どんな目的もある程度フォローできるというだけでなく、どんな小さなまちでも興味深いところがあるんだなー、と見ているだけでたのしい。
▼微妙に渋い
最近は今風な記事も多いようですが。史跡類などもカバーしていたりする。掲載してあるお店も、わりと好きな感じのところが多い、かも。
▼広告が少ない
る○ぶが多すぎるともいう。

といったところでしょうか。
もちろん、る○ぶでも扱われているような場所であれば両者を比較検討するのですが、やっぱり何といっても地図が正確だというのは大きな魅力です。だいたいのまちのつくりさえわかれば、あとは自分で移動しながら発見することも出来ますからね。
先日妻有へ行った時にも、新潟版まっぷるを買いました。毎年必ずといっていいほど、それまでに行ったことのない土地へ行くので(でも海外旅行はしたことないよ)、その都度1冊ずつまっぷるが増えていきます。

ガイドブック頼りに歩くのはかっこ悪いのかも知れません。そして実際の役にどれだけ立っているのか、私の旅が観光名所をどのくらいフォロー出来ているのか(そもそも純粋な観光旅行の機会はあまりなく、何か用事があると、ついでに観光モードにしてしまうパターンが多い)それはかなりあやしい。それでもガイドブックを買うのは、地図を見てこれから行く土地のイメージをふくらませ、記事を読んでにわか土地の人となるためなのかも。やーねー(笑)。

ちなみに私は地図を見るのも好きですが、時刻表を見るのも好きです。そしてたぶん旅でいちばん好きなのは、よく知らない場所でふつーにお茶を飲んだり、ふつーに手紙を書いてそのまちのポストから投函したり、本屋さんに行って雑誌や本を買ったりすることです。それって・・・とりー氏には言われます。

2002年05月22日(水)



 いまさらながら

インターネットバンキングのほんのさわりを体験。
先日開いた東京三○銀行の「スーパー普通預金」口座の手続きが済み、カード類もろもろが届いたので、実際にログインしてみる。
まだお金を動かしてはいないが、かなりいろいろなことが無料で出来るとわかる。いや便利だわ。地元に支店が無くても(笑)十分に使える。
インターネットバンキングは、普段使っている北○銀行でも行っているけれど、こちらは取引残高に関係なく毎月一定の手数料がかかるらしい(りー氏談)。時間外出金や振込の機会が多いとか、数百円のお金を払うメリットはある、というほどには利用していないから、こっちの方ははまあいいかな、と思う。
でもひと月に2回は時間外に出金すればペイできるのか。いやに細かい話だ(笑)。

たとえば、外でお茶を飲みながら誰かについての話をしていたとして、そばにその人の知り合い(の知り合い)がいたりなんかしてその人に間接的に伝わるなんてこともあるのかしら。ここ(=富山)ならありうるな。
と言うとりー氏に「聞かれたらまずいというようなことを言わなければいいのだ」と言われる。そのとーり。
そしてここにいると、間接的にいろいろな情報がぽつりぽつりと入ってくることがある。便利だといえなくもないが、当事者でもないのにそんなの、と思う。少しヘキエキ気味なのだ。
直接伝え聞いた言葉でないと自分のところに届いた気がしない。
まわりくどいことをとても厭っていた友人がいた。その言葉の意味も今はわかる気がする。

最近手紙を書いていない(でも手紙もまわりくどいものなのだけれど)。

親きょうだいにもらったものをどうしても捨てることができない。もうたぶん一緒に住むこともないからか。宛名を書いた紙の切れ端も、携帯の留守電に吹き込まれたメッセージさえも消すことが出来ない(でも消去せずにいたところで、どうやって聞くのだろう?)。文字や声はちょっとつらい。いつかもう聞けなくても聞けない、見たくても見られないんじゃないかと思ってしまう。いい年をしてあほかと思う。でもいい年だからのような気もする。

2002年05月23日(木)
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