days;flower-bird-wind-moon
みんみん



 復活

朝、むりやり起きる。
まるで風邪をひきかけた時のように力が出ないが、金沢へ。
(途中、コンビニでチョコラBBドリンクなんか買って飲んでみたり。)

少し体力が落ちている時の方が、落ち着いて人と話すことができるのかも知れない。
ということは、普段は勢いで走っている(話している)ということか。あるいは、言葉の数が間引きされ、スピードが落ちてちょうどよくなるとか。

会が終わり、昼食を取りつつ雑談。
夏の間の、あるいは週末の見聞などを話す。けっこう楽しかった。
昔は仕事関係のの雑談をするのが苦痛だった。今はちょっと楽しくなってきている気がする。相手によっては今もしんどい時があるけれど、それは相手のせいではなく、多くは自分のせいだ。
もちろん、仕事でない話もする。それも楽しい。

実家へ東京みやげを持っていく(花園饅頭の栗きんつば)。
家庭教師に行くまでの間、少しだけうたた寝した。

ビタミンCのタブレットを買って帰る。
Aちゃんの誕生日だ。おめでとう(見てないけど)。

2002年09月30日(月)



 4日目:最終日

副題:たのしいひととき(たくさん)

お店に出勤するIさんNさんと一緒に出る。
アグレアブル*ミュゼ@国立でお買い物とお茶。
アグレアブルでの主たるお買い物。
1.テント用の生地で出来た、丈夫な大きめのバッグ。ちょっとした旅行にもつかえそう。
2.ランドセル用の皮で出来た、モスグリーンのバッグ。お財布と手帳と携帯電話と小物と文庫本と、くらいは入る。
というわけで、バッグ大名に。

名残を惜しんで西荻窪へ。
オルテンシアアズールに行ってみる。残念ながら開店準備中でお買い物は出来なかったけれど、昨日、届けていただいたお花のお支払いをする。
# 紫が好きだった人のために、とリクエストして、小さなアレンジメントをつくってもらいました。
ノロ氏@黒猫は重役出勤とのことでお留守。

オルテンシアアズールへの道すがら、古本屋さんがあったのでのぞいてみたら、店先のワゴンに和本が。ごそごそして、2点3冊を購入。
決して本に走るほうではないけれど、あまりに安かったし、勉強にもなるかと。しめて1,300円。とっても得した気分(相場はわからないけれど)。

それから神楽坂へ。
神楽坂の駅前でIさんを待っていたら、粋なかんじで着物(羽織つき)をきた男性が通り過ぎた。このへんは芸事のお師匠さんも多いし、落語家さんも住んでいたりするとか。これから向かうIさんちの大家さんも有名な落語家さんらしい。
Pさん(今日は残念ながら欠席)曰く“cozy”なお宅にてお友達4人とおしゃべり。
お昼、皆さんはクレープリーにて、ガレットやらクレープやらシードルやらを召し上がったもよう。私も今回は失礼してしまったけれど、いつか行ってみたいぞう。

猫バカなので、持参のPCその他でのいの写真を披露していたのだが、途中、Hから携帯メールが入った。

「きょうはのいとくりひろいをしました。」

続いて写真。



ねむいにゃ・・・。

(写真、コメントともH)

Sちゃんと2人、飯田橋からJRに乗る。
いい具合に時間があったので、有楽町に出て買い物。

新幹線に乗る前に構内の本屋さんに入ったらりー氏がいた。
いやだわ。

というわけで最終の新幹線に乗って、乗り継いで、帰る。

期待していたとおり/思いがけなく、人にたくさん会えてうれしかった4日間。


2002年09月29日(日)



 3日め:酣

*酣=たけなわ

10時前、西立川の友人宅より、揃って国立のお店(友人が経営する)に到着。
壁に掛かっていた写真(昨日まで行われていた展示)をはずし、りー氏は絵の梱包を解く。私は床に掃除機をかける(掃除しながらも細かいチェックをして、買い物リストの補強は怠らない)。
始発の新幹線でKさんが到着。高寺めぐみ絵画展の準備が具体的に始まっていく。

位置決めをするために仮に掛けた絵が、最終的にはあるべきように配置される。適宜、商品を移動したり、位置替えしたりしながら。
とてもいい雰囲気で収まっていると思った。これはお店のスタッフも同じ気持である。

11時開店。コーヒーで一服しながら、実務的な話が行われていく。私もなんとなくそこに座る。
そういえば、作業をはばかってきちんと絵を見てもいなかったので、きちんと観に行く。芳名帳に名前を書く。
オルテンシアアズールからアレンジメントが届く。昨日ホームページから注文しておいたのだ。急な注文だったけれど、お願いしてよかった。
距離的には遠いけれど*近い*花屋さんになりつつある。「開いててよかった」的な。

Kさんに、そもそも、このお店とはどういうつながりなのですか、働いていたことがあるんですか、と聞かれる(当たり前のように開店準備手伝いをしていたからだろう)。
もともとは、Nさんがお店を始めた頃からの客なんですが、と、とりあえずは答える。
うまがあったから、お友達になり、そのうち、家族みたいになってしまった、というべきか。
お店のことは、何といっても経営したり働いているわけではないから、偉そうにあれこれいうべきでもない。でも、例えば「好きなお店」と言うことすら不自然なくらいに身近な場所になっていることはたしかだ。

経営戦略とかマーケティングとか、それも無意味ではないけれど、そんなのどうでもいいじゃないか、と思ってしまうのは、いやらしく小手先なことをしゃらくさいと思う気持もあるけれど、個人的な実感に根拠があったりもする。
どんなにソフトに見えても、好きなものは好き、そうでないものはそうでない、とはっきり判断できるかどうか。判断には責任も発生するけれど、それを人のせいにしては、どうにもならない。もちろん、見ているのとやるのとでは全然違う。かといって経験だけを振りかざすのもどうか。
もちろん、これは商売に限った話ではないだろう。

このお店はしょっちゅう模様替えをしているので、というか、マイナーチェンジなら毎日必ずあるので、絵の掛け場所・置き場所こそ変わらずとも、見え方は微妙に変化していく可能性がある。それはいわゆるギャラリーにはありえないことかもしれないけれど、きっと(絶対、と言いたいところだけど言うのはよそう)高寺さんの作品にとっても面白いほうに作用するのではないかと思う。

私は午後から予定があるので、ひとまず失礼して、早稲田に向かう。
いろんな意味で面白い話を聴く。

終了後、Tさんと青山一丁目のルコントでお茶。お店に入るやいなや、手みやげ用の焼き菓子類に目を奪われる。
Tさんはモンブランとミルクティー、私はいちじくのシロップ煮とジュレ(仮)にエスプレッソ(この場合本当は紅茶が合っている気がするのだが)。しっかり甘いのだが、果物やら固め柔らかめのゼリーやら、口当たりがいろいろで非常に楽しい。しかもいちじくの中からクリームが出てきて、意表を突かれる。

基本的に誠実で真面目だけど、どこかピリッとイジワルな人、が私はすきだ(あるいは、ピリッとイジワルだけど、誠実さはきちんとある人、が好きだ)。イジワル、と言っても、はっきりさらっと言ってのける感覚であって、いじめとかいやみではない。中学生女子的いやみは大っきらいだ(自分だけしらんぷりして良い子であればいいという感覚につながっている気がする。なんとなく)。
イジワル言うにもTPOはありそうだけれど。

おみやげに、小さな焼き菓子セット(レモンマドレーヌと塩味のサブレ)を買う。

地下鉄の駅でお別れして、三軒茶屋のFJ邸へ。
りー氏の他にいろいろなお友達が既に宴たけなわとなっていた。すばらしい料理と酒と食器その他を味わう。話のテンポが速い(それが心地いい)。
りー氏は今晩ここに泊まることにして、私は再び西立川へ戻る。こういう別行動って、と思いつつ(もっとも、私の方が当初の予定通りなのであるが、りー氏の気持はわからなくはない。私だってFJ邸から飲んで*帰る*なんて変な気がするから)、でも、私はお店でゆっくりし足りてないし、買い物もしたいし、と戻る。
乗り継ぎの電車にも乗れたから、これで寝過ごさない限り、立川にたどり着くことはできそうです、とりー氏に携帯メールを打つ。りー氏からレスポンスはなし。

# La hortensia azul(オルテンシア アズール) 東京都杉並区松庵3-31-16-#105 tel:03-5336-8372

# 高寺めぐみ絵画展 2002年9月28日(土)〜10月22日(火) 於:アグレアブル・ミュゼ
# agreable*musee(アグレアブル・ミュゼ) 東京都国立市中2-19-93 61ビル1F tel:042-577-7353


2002年09月28日(土)



 2日め:おなかいっぱい

再び朝から別行動。
朝イチで昨日と同じ場所に出かけようと思ったのだけれど、昨日のお酒が少し残っていてゆっくりしたく、朝ニくらいな感じで出かける。もっとも、目が覚めたのは早かったのだ。

途中、お米屋さんの店先で、1日1猫を早くも達成。
1日1猫は、東京だとさほど難しくないと思われるが、富山だと案外難しい。のいに毎日会いに行く、というのは、ちょっとヤラセのような気がするし。

黙々と作業。
「調べているときがいちばん楽しい」と、昔、聞いた時には、うへー、調べるのはつらいよー、と思っていたけれど、今はわかる気がする。その時にセットで聞いた「書くのはつらい」という言葉と一緒に。少しは進歩したのだろうか。
しかし、調べていると本当にきりがない。

複写受付の時間を過ぎたところで作業を一段落させて、某美術館へ鈴木春信展ならびに常設展を観に行く。
ざらざらっと観た後、Sちゃんと合流。図録その他を買う。まるで本のような図録だ。
スターバックスでグレープフルーツジュースをご馳走になる(コーヒー類ではなくよりによって。でも生だし)。

総武線・中央線と、東京を横断する形で西荻窪へ。友人の弟がやっているお店にてりー氏と待ち合わせ。
魚やら野菜やらいろいろの素材をいかしたお料理と、面白いお酒をいろいろいただく。オープンしてわりとすぐの、何ヶ月か前に一度訪ねたことがあって、その時も応援したい気持でいたが、今回さらに一層がんばっていると感じ、また実際よくやっているとも思った。生意気な言い方になってしまうけれど、本当にいいと思った。
特にりー氏が気に入ったようで、料理もお酒も喜んでいたようだ。それもまたうれしかったりする。
小さいけれど、いいお店です。
# NORABO(のらぼう) 東京都杉並区西荻北4-3-5 tel:03-3395-7251

父の誕生日なので、一応家に電話したら、具合よく父が出たので、「あ私だけど、おめでとー」と言って切る。

国立で友人と合流して、彼らの自宅へ。
今日もおなかいっぱいな1日。

2002年09月27日(金)



 1日め:ノミトモダチ

お昼、東京着。
りー氏はいったんホテルへ荷物を預けに行き、私はそのまま戸越公園へ。
今回の上京は3泊4日の予定。
友人宅で1泊か2泊し、1泊はホテルで、というのが、最近、2人で出かける時のパターンである。私はひとりでもときどき出かけることがあるが、ホテルというのは1人で泊まるよりも2人で泊まった方がreasonableかつcomfortableに設定されている気がする(いや、狭いシングルルームもそれはそれで悪くはないのだが)。それに1人で出かける時は、夜中に帰り、朝早々に出ていく、という場合が少なくない。だからこそ2人で出かける時には、少しはホテルを楽しむという気持になりたいのだ。

調べ物をしていたらIさんにバッタリ。今日はアルバイトで来ているらしい。
その場所で知り合いに会うことは珍しくなく、というか、行けばむしろ会わない方が珍しい。しかし、思わず顔がほころんでしまうような友人知人ばかりではなく、むずむずするような中途半端な知り合い((C)Sちゃん)だったりすることも少なくない。それはなんとも微妙なものだ。
彼女はそうではない。本当に久しぶりだったので、すぐに、夕方、お茶を飲む約束をする。
近況など話しながら(こういうのは、かつて同じ場所にいて親しくしていた人が相手だと、すごくもどかしいというか妙な気分になる)2人で水道橋まで出て、チェックインにつきあってもらい、室内でりー氏を待つ。
Iさんは東京時代の友人だが、いちど富山に来てくれたこともある。りー氏とは結婚前に一緒に会っている。その時のりー氏は、まだ私の知り合いに会うことに慣れていなくて、気持はあるのだけれどなかなか言動が追いつかなくて、しばしば固まっていたのだった(その後学習して今日に至る)。
しばししてりー氏到着。
3人でしばらくお茶をしていて、どうせなら一緒に飲むか、という話になり、夫@Iさんの仕事が終わるのを待って合流する。
日本酒で一献。

Iさんも最近猫に開眼したようで、「1日1猫」を提唱しているという。1日に1匹は猫を見る、というモットー。これはとってもよくわかるぞ。
もちろん、「心がける」といったところで、一緒に暮らしているのでもない限り、努力してどうなるよというものでもなく、あちらの方がにゃおうんと出てきてくれないことにはどうしようもない。しかし、1猫見たらうれしいな、という感覚はわかる。
話を聞けば、彼女の住むマンションは動物を飼ってもよいらしいのだが、だんなさんが飼うことに難色を示しているらしい(動物嫌いというのでもないようだが)。まずはのい写真などを披露する。

ホテルに戻る途中、コンビニに寄って帰る。
駅前にあるミスドを見て「買わんでいいが(=買わなくていいの)?」とりー氏が聞いた。私は外で飲んだり食べたりしても、帰宅後必ずひとくち必ず入れる習慣がある(身体にはよくない)。めずらしく少しやさしいぞ、と思った。
# でも翌日には言ったことを忘れていた(やっぱり脳みそが小さい)。>りー氏。

2002年09月26日(木)



 もたもた

郵便局に行って展覧会を観て銀行に行ってお昼を食べて図書館その1に行って図書館その2に行ってどうも集中力がなくなってコンビニに寄って帰宅。
それから、友人宛てに新米を送ろうと思って、実家に取りに行く。
1人でさっさと取りに行ってもよかったのだが、先日りー氏はのいと遊びそびれてちょっとかわいそうだったので、夕方一緒に実家へ行く。

どうももたもたしている。

近くの丘陵(呉羽山:くれはやま)を越えるとき、木陰から海が見える。
海が見えるとどうしてわくわくするのだろう。同じ風景を見ても、とても得をしたような気がする(損得ではないのだが)。
山の中の小川にもはっとさせられる。ということは、水がポイントか?

木の葉の色が変わりはじめている。
銀杏の実が落ちていた。
銀杏の実は、特に好きなわけではないけれど、なぜか拾わなくてはいけない気がしてしまう。子供の頃、父に連れられてよく拾いに行ったからだろう。食べ物が落ちている! と思ってしまうのだ。
東京では、銀杏の葉が黄色くなるのは、もっともっと後のことだったな。

りー氏がのい写真大全を作ってくれたので、さっきからそればっかり見ている。

# 明日より出かけますが、メールチェックは出来ます。

2002年09月25日(水)



 メモ/ご案内

午後、再び七尾行き。
目的はお墓参り。その他雑談多々(ありがたいことです)。

本日の猫@七尾。
にゃおおおおおん、と悩ましげに鳴く黒(1)。
花屋の猫。キジトラ(1)(、サビ(1))、茶トラ(のいと一緒だよ!)(1)、黒(1)。
以上、おそらくは家猫。

というか、住んでいる家のちかくでは、猫を殆ど見かけないのだ。悲しいことに。
今までやってきた猫の模様ははっきり思い出すことが出来る。
だからこそのいがひょっこりやってきたのはまったくすごいことだった。

明後日(26日)から日曜日(29日)まで上京。しておかなければならないことはいろいろあるような気がするが、とりあえず、29日に終了する展覧会は明日中に観に行かなくてはならない。

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今回の上京目的はいろいろあるのですが、そのうちの1つは、高寺めぐみ絵画展のお手伝いです。お手伝いといっても、私がぼさっと、あるいはおろおろしていているうちにきっと搬入は終了していると思われます(りー氏に気の利かない奴だと思われながら)。
なお、会場は私の友人のお店(雑貨屋さん+カフェ+ギャラリー)です。28日・29日のお昼には私もお店にいると思います。
高寺さんの絵を実際に拝見するのは私も初めてで、オーナー同様、楽しみにしています。お店もなかなかにいい雰囲気なので(身内を褒めるのはなんともなんともですが)、よろしければお運びください。

2002年09月24日(火)



 色々

のいの座り方。

〈その1。しっぽはまっすぐに。〉



つー。一文字。

〈その2。みえません。〉



どこにきえたかな?



ここでした。
りー氏は出し入れしているのだと言うけれど(掃除機の電源コードのように)、そんなわけはない。>しっぽ
後ろから見ると腰のあたりがずいぶんどっしりと、まるくなりました。

〈その3。たまにはねこらしく。〉



通称・箱座り(わざと小山みたいに写してみる)。

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午前、葬儀。叔母(父の上の妹)の姑が亡くなり、りー氏と出かける。
春までは元気にしていたのが、病気がわかった時には既に手遅れだった。お盆に、母と一緒にお見舞いに行った。せめて何かきれいなものを見せてあげたくて、やさしい色の花を持っていった。
その時にかけてもらった言葉を思い出したら、涙が出た。きっと辛かっただろうから、今は楽になったのかな、と思った。

それから叔母にお疲れさまと伝えたかったのだ。

両親は出棺後も残ったが、祖母を頼むと言われていたので、りー氏の運転で実家経由で帰った。
「こういう時(=葬儀の時)は寄らんもんだから、昔からどこかへ寄ったりせんもんだと決まっとるもんだから、本当は一休みして行ってほしいけど、(実家に)寄らんとすぐに行かれ(=行きなさい)」
車に乗るなり祖母は言った。そして白い封筒に入ったお金を、自分の気持だと言って私に渡した。これも、とても使えないお金。

祖母を下ろしてからりー氏に言った。
「のいと遊びたかったんやろ」
# 本当は私も遊びたかったのだ。
「そんな気はしたんよね」
うん。

「ばあちゃんH君のこと『お兄ちゃん』って言っとったね」
そりゃーのいの兄ちゃんさ。

今日はまるで兄のような貫禄を持つT(上の弟)の誕生日。オメデトウ(見てないけど)。

2002年09月23日(月)



 新しく

お昼、Mさんの結婚式。
人前式ということで、りー氏とともにギャラリーとして参加する。人前結婚式に参列するのは初めてだ(というか、そもそも結婚式への出席経験は、たぶん同年齢の人たちに比べてとっても少ない方だと思う)。
晴れていたら環水公園に面した外の広場で行われるはずだったのだが、ちょっと風が強くて、館内での式になった。雰囲気としてはキリスト教式に似ている(バージンロード風のものがあって、途中まではお父さんにエスコートされ、といったところなど)が、2人の誓いがあり、指輪を交換し、皆に披露し、結婚証明書にサインをし、披露する、という部分がメインのようだ。
私は花嫁さんを見ると感無量になって思わず目頭が熱くなってしまうのだけれど、Mさんも本当にすてきでした。2人がにこにこしている、嬉しいことが伝わる、いいお式でした。
末永く、元気で、楽しく、明るい毎日でありますように。

夜、新米を炊く。
りー氏の理想の献立は、焼魚(とくに干物がすき)、つけもの、おつゆ、ごはん、といったようなところだが、今日もそんな感じだった。
りー氏は毎晩ほぼ食事の前に、チャンジャ(鱈の内臓のキムチみたいなもの)と共にビールを1本飲むので、本当に食事が出来ればいいという感じなのかもしれないけれど、私は献立としてはこれではさみしいと思うので(というか野菜が欲しい)、たいてい何かをつける。今日はししとうがたくさんたくさんあったので、網焼きではないが網焼き風に焼いて、つゆにつけて。

2002年09月22日(日)



 つきよのばんに

午後、いそいそと金沢に行ったものの、本来の目的は果たせず。まあ時間の無駄とまでは言わないが、富山ならまだしも、もう少し距離のあるところなので、ちょっと。
帰りは高速道路を使わず、久しぶりに下道で行くことにした。R359を走るついでに実家に行ってのいと遊ぼう。何でも都合のいい方向で考える。

少しのついでを見てのいに会いに行くのは、まるで夫の目を盗んで愛人に会いに行くような気分だ。
愛人(愛猫、というととたんに平和な感じだな)と会うやいなや鼻をくっつけ合う。そして私はつめを切ってやる。

新米とぶどうをもらって帰る。

夜、りー氏とOさんと吉増剛造のポエトリー・リーディングへ。中高年の方を中心に、たいへんたくさんの人が見えていた。意外なことに、と言うべきだろう、やはり(主催者側の知人もそう言っていたし)。

3人で食事をする。
Oさんとは本当に久しぶりなのだった。近況、長い旅の話など。
肝腎のことを聞きそびれた気がして、そしてそれはあえて聞かないでいることでもあって、まあそれはどうでもいい気がした(いや、どうでもよくはないのだけれども)。
これは昨日Rさんとも話したことだ。大事な人をなくして、これからどうするかなんて、そんなことは他人がすべき本質的問いではないのだろう。どうだったかと聞くことがねぎらいになるだろうか(yseでもnoでもありうる)。その言葉の中にどんな建設的な何かがあるだろう。心配、って何だ。
自分を納得し安心させるための「心配」なら、当事者にとっては必ずしも必要ではない。本当はどうしたらいいのかわからないのだ。ただ、吉増という人を気にしていた彼女に、今日のイベントを喜んでもらえてよかった。
ロンドンみやげのうさぎをもらう。リバティプリントのうさぎ。大事にしよう。
ぼんやり雲を被った月が見えた。

2002年09月21日(土)



 tracks

七尾(石川県七尾市)と辰口(石川県能美郡辰口町)と金沢に行きました。

富山から七尾へは、R8を高岡方面に走り、途中で分かれて二上山、それから氷見を通り、海岸線に沿うようにして行きます。
右手に富山湾が見えます。潮の匂いをかぐために、窓を全開にして走っていきました。晴れた空をトンビがひゅーいと飛んで行くので、「とんび」の歌をうたいながら運転します。今日は「うるさい」という人もいませんよ。
あ、うたう時は窓は閉めて。

七尾はもうずうっと前から行かなくてはと思っていて、思い続けて、昨日ようやく果たしました。今まで行っていなかったのは、行くための準備がまだ出来ていなかったからです。
たまたま今日はお天気もよく(少し暑いくらい)、時間内に懸案事項もいくつか解決し、やはり、離れているところで想像したり考えたりしているよりも、実際に足を運んでみないとわからないことというのはあると再確認したしだいです。
七尾までの道すがら、石動山(いするぎやま)への入口も発見しました。ここもぜひ行ってみなくては。昔の人のように。

続いて、能登有料道路に出て内灘へ。この道中も海が本当にきれい。海面が光るようです。七尾も能登、しかし能登の海と言っても、内浦(東の富山湾側−−七尾はこちら側)と外浦(西側)とでは雰囲気が違います。内灘から松任へ出て、更に白山の麓を目指すように走ります。

予定より遅れて辰口着。
Rさん(ある種の里帰り中?)にお会いし、やや観光客モードで金沢市内を巡ります。ひがし茶屋街(加賀棒茶の「一笑」でお茶)と浅野川を巡り、香林坊(金沢の繁華街)に出て、長町武家屋敷や鞍月用水沿いを散策し、おにぎりカフェ(通称)で少し早めの食事をご一緒しました。
こういう機会でもないと、なかなか改まって観光したりはしないものです。

再び辰口に戻り、Yさん宅を訪問。にぎやかにぎやか。プラレールとレゴって、時代を超えて男の子おもちゃの定番アイテムなんですかねやっぱり(もちろん実家にもありましたとも。弟たちのが)。
そして、RさんをT邸まで送り届け、ご挨拶だけして名残惜しく失礼しました。

いろいろなお話が伺え、また話しもし、じつーに充実した終日でした。まんぞくまんぞく。
ちなみに本日の走行距離は294km。というわけで今日の「がんばったで賞」はかろ2君だな。ごくろうであった。

2002年09月20日(金)



 ハラハラ

夕方、所用で実家へ。
裏から入ると(玄関はのいが飛び出さないようにカギがかけてある)、のいがお出迎え。もう私にはゴロゴロ言ってくれないかと思っていたけれど、ちゃんとゴロゴロゴロゴロ言っていて、進んで鼻もくっつけてきてくれる。しばらくダイニングの床に座り、のいが飽きるまで撫でたり話したりする。

父が帰ってくる。
「にゃーーん! のーい!」

夜。りー氏が実家からもらってきたえぼ鯛の干物を焼く。私はどちらかというと青い背の魚より白身の魚の方が生臭いと思ってしまうので、焼く前は「うーん」と思っていたのだが、焼いたら全く臭みがなくて(ふぐの干物みたいな味になるのかと思っていた)、とても美味しかった。
おつゆの具はヤマブシタケ。初めて聞く(食べる)名前のきのこだが、生協の共同購入で見て注文した(きのこは何でも大好きだから)。
ネットで検索してみると、どうも健康にいいというので最近人気らしい(おもい○きりテレビで取り上げたらしい)。
生のヤマブシタケ自体は、しいたけの裏側みたいな感触と味で(でもしいたけのような甘みはない)、特に個性のある味ではないが、普通のきのことしてよりも、健康食品としての取り上げられ方の方がすごくて、ネットで見ているとなんだかインチキくさい食べ物のような気もしてくる。おかしい。
形がまたインチキくさい。味は淡白でおいしいけど。

ロングブーツについて。
今まであまり興味はなかったのが、夜、にわかに欲しくなる。細すぎず太すぎずふつーの黒い皮のを。
あれこれ見たり考えたりしているうちに靴そのものが欲しくなってくる。

友人に電話して、来週末の東京行きの調整をする。日程は木曜日から土曜日で。
今回の目的はいまのところ6つくらいあるのだけれど、中でも手間のかかる大事な1つ(あ、大事のはどれも大事・・)がまだ返事待ちで、実はちょっとはらはら気味。
いつもは実質的に自分で段取りするのを、今回思い立って人任せ(公的機関任せ)にしたのがよくなかったか。いやまさか何も動いてないということはなかろうし、向こうにも事情があるのか、私がせっかちすぎるのか。
頼む!頼むぞ!!

2002年09月19日(木)



 あにおとうと

夜。
H(下の弟)と飲むために、りー氏と私はバスに乗って街なかに出る。
本屋さんに行きたかったので、中心商店街を歩く。本屋さんは2軒ある。何も言わずとも両方の店に入る。

1軒目。何も買わず。

2軒目。
初めて猫雑誌を買う。『猫の手帖』。
猫本は、ここでもたびたび記したように、すでに何冊か購入したことはあったけれど、猫の専門誌を買うのは初めてだ。
猫の専門誌は、思っいたよりも少ない気がする。きれいなグラビア写真集的なものも何種類かあるようだが(あまり気をつけてみていない)、雑多でプラクティカルな情報を、となると、『猫の手帖』しか見あたらない。少なくとも地方では。
猫の総合誌。

さらに、昨日よりうどんづいている頭で『dancyu』の讃岐うどん特集を発見する。
ぱらぱらぱら、しかし買わず。
かわりに(何のかわりにだか)新書を3冊、仕事にひっかけて買う。

デパートの前でHと落ち合い、ざんぐりで、仮免試験に合格したことを祝う。弟は運転免許取得のために帰省中。このメンバーで飲むのは初めてだ。
りー氏とHと飲みながら、買ってきた『猫の手帖』を見せる。
いやーなんかエロ本買う男の人の気持がわかった気がしたねー。
「それは違うやろ〜」(義兄弟、口を揃えて)
そうかなー?そうなん?
まあこれは見られてもまずくはないけどね・・・ホントに?

『猫の手帖』のページをひとまずめくり終えた感想(熟読はまだまだこれから)。
いやーあれも猫これも猫なんだなー。私はまだまだ猫世界を知らない、ということはよくわかった。
私はいつでも私の前にいる猫(たち)を見るだけだ。

のいにはHのことを「のいの兄ちゃんだよ」と言っている。
Hが来ると祖母は、のいに「兄ちゃん来たよー」と言うらしいのだが、末っ子で誰からも兄ちゃんと言われたことのないHは、「兄ちゃん」と言われると変な気がすると言っていた。
前にも書いた気がするが、兄ちゃんは猫好きだが猫アレルギーである。昨夜ペロッと舐められたまぶたをそのままにしていたらぼんぼんに腫れてしまったし、どうも風邪気味でもあるらしいから、しばらく猫断ちをするかもと言っていた。出来るんかい。

兄ちゃんといえば、ひとりっ子のりー氏もまた、兄ちゃんと言われたことのない人である。
りー氏の姓はイノウエというのだが、これは義妹(上の弟=Tの奥さん)の旧姓と同じである。つまり私の実家には、同姓の親戚が2軒ある。それで時々ややこしい。
りー氏より貫禄のあるTが「イノウエの兄さんが」と言ったとき、一瞬誰のことだかわからなかった。母などは(イノウエの兄さん、あれ、Cちゃん(義妹)にお兄ちゃんいたっけ?)と思う始末。
でもたぶん、りー氏もよくわかっていなかったかも(失礼な)。>イノウエの兄さん

2002年09月18日(水)



 新メニュー

朝刊に家庭教師先の生徒が載っていた。県商工会議所主催の珠算大会で優勝したのだ。そういえば昨日は大会だと言っていた。田舎では、それも地域面のけっこうな記事になる。けっこうフォントは大きい。
たまたま今日が行く日だったので(例外的に)、お祝いに小さな焼き菓子を買う。

夜。私にしては遅く帰ってきたので、晩ご飯は簡単にしたくて、昨日Pちゃんにもらった稲庭うどん。鶏なんばん風あつあつのつけ汁を作り、麺を茹でる。と同時にチャンジャでビールを始めるりー氏。
出来上がって、りー氏はつけ汁で、私は冷たいつゆで。
鶏もも肉の脂に負けないように、味は少し甘めにした方がいい気がして、みりんとしょうゆをしっかり入れた。鶏と長ねぎを入れて少しぐつぐつ煮たら、いい具合に仕上がったらしく、りー氏がひどくよろこんでいた。めったに褒めないからこれは珍しいのだ。ツルツル食べているうちに足りなくなって、更に氷見うどん(細めん)を1人前茹でる。
こういうのってたぶん普通の家では休日のお昼ご飯メニューなのかも知れないが、うちではなんだか晩ご飯にもなってしまう。好評だったので今後もメニューとなる予定(つけ汁の味が問題。適当に入れて適当に作っているから)。
りー氏にとっての稲庭うどんのイメージは、この、鶏なんばん風熱いつけ汁と一緒に、というものらしい。私は、なめこの冷たいつけ汁か、さもなくば普通の冷たいつゆか。稲庭うどんと氷見うどんと連続して食べると、微妙に違いがあるようで、面白い。
それにしても稲庭うどんはたった2〜3分で茹だるのだ。普通乾麺のうどんはこうはいかない。スバラシイ。

日曜日、二日酔いの翌朝、シコシコしたうどんがとっても食べたくなった。口の中のイメージまではっきり出来た。うーん食べたい食べたい食べたいぞ、それにしても口当たりまではっきり認識できるうどんって、どこかで食べたんだな、どこだっけ、と考えて、そうだ、夏に友人が打ってくれたんだ、と思い出した。
四国在住の、と言っても讃岐の国ではなく、伊予松山在住の友人が打ってくれたうどん。夏、彼の実家(富山)に行ったとき、茹でてもらって食べたのだが、ちょっと固めになっちゃったかも、といいつつ、なぜかやみつきで、とてもおいしかった。
自分でも打てばいいのか。讃岐の国出身の友人に打ち方のコツを尋ねてみよう。

珍しい人と今までにない話。
その時はふんふんなるほど面白い悪くないではないか、と思っていたが、後で、ちょっと待てよそりゃ調子よくないか?という気もしてきた。すぐに判断できることもあるけれど、後でじわーっといろいろわかってくることも私にはよくあるのだ(で遅れて憤怒したりとか)。
まあしかし事実はひとつだ。白か黒かではなく、その時々で必ず何れかの階層にある色調である、という点において。グラデーションの中のどこか一点。
そんなこともありまさぁね(江戸っ子風に)。とりあえず、今度話す機会があれば、後で思ったことも言おう(たとえ後になっても、なるべく、思ったことは直接言いたい)。

コンビニに売っているハーゲンダッツのアイスクリーム、今季より「メイプルウォールナッツ」が仲間入りらしい。
ショップでは売っているが、コンビニにはなかった。りー氏はこれが大好きで、秋冬(しか売ってないのだ)になると、いちばん近いハーゲンダッツのショップ(金沢は有松にある)でパイント買いをして、大事に大事に食べていた。でも大事にしすぎていつの間にかさっさと食べられていたりもする。凍っているとは言え、アイスも生モノだよ。
コンビニに行くついでに、
「ハーゲンダッツのアイスクリーム買ってきて、紅茶か抹茶」
と言われて、紅茶はなかったが抹茶はあって、そのかわりにメイプルウォールナッツがあった、と2種類買ってきた時のりー氏のあのうれしそうな顔と、声。

2002年09月17日(火)



 ぶらぶら

友人とリフレクソロジーに行く。ともに2回目。
先回はへろへろだったが、今回は心地よく疲れ、リラックスできた感じ。そりゃそうだ、こないだは言わば吸い取られた後(あるいは渦中)だった。
今回は友の方がよりたまっていたに違いない(競い合いではないが)。と言いつつ私も、一昨日のお酒、昨日のご馳走が「(消化しきれずに)たまってますねー」と指摘される。その通り。

それから犬カフェに行って(りー氏も一足先に来ていた)、街なかをぶらぶらして(主に秋物の洋服を見たりして)、駅まで。
おなかを休ませた方がいいのかも知れないが、夜、いっぱい食べちゃったよー。>おやつ

日枝神社の近くで茶色の猫に会った。

朝、改めて、オルテンシアアズールのページを開いて、白い子猫を見ていた。
りー氏は縁側で新聞を広げている(じいさんチック)。
いつかぜったい小さい時から猫飼おうね。
「うん」

2002年09月16日(月)



 「休日」

朝、えらい早くに目が覚めてしまった。お酒が残っているせいかもしれない。ひどいというほどではないが二日酔いである。
うぐー、と思いながらメールを書く。

今日すべきことは、

・りー祖母(りー母の母)と私の祖母に会いに行く。
(その前にりー祖母に何かお菓子を買うこと。)
・のいに首輪をつける。
・名鉄寄席を聴きに行く。
・福寿林で中華料理をたべる。

以上である。が、とにかく気持悪いので、活動する気になるまでだらだらしている。こういう時こそ何かを食べてみたりあえて動いてみたりするといいのだろうが、出かけなくてはならない日でもないので、流される。

ようやく、お昼ごはんを食べに出る。「犬カフェに行きたい」とりー氏が言うので行ってみたけれど満席だった。それでチェリオに行く。ついでに街なかで買い物をすればいい。
チェリオでお昼を食べて、西武で小さい買い物をして、大和(注・地元のデパート。福岡の岩田屋、熊本の鶴屋などのような位置とでもいうべきか。お使いものは大和で、といったふうに、品揃えとはまた違った価値判断がある。もっとも岩田屋や鶴屋は品揃えもそこそこ良いが)でちょうど開催中の、大江戸物産展みたいなのに行く。
8階催事場。りー氏は先日行ってみたようだけれど私は初めてだった。この手のイベントは嫌いではないが、案外さほどでもないということも少なくないので、特に期待もせず行ってみたのだが、思ったよりも面白かった。
りー氏は舟和の芋ようかんの列に並ぶ。これをりーばあちゃんのお土産にしようという考えだ。私は全体をぐるり一周。神茂が出店していたので、チェックを入れつつ、いせ辰で品定め。
根津のいせ辰には行ったことがあるけれど、それもずいぶん前の話で、今こうして改めていろいろな品を見ていると、またちゃんとあの辺を歩いてみたいと思う。すこしはものも見えるだろうか。
いろいろ悩んで、猫おどりの手拭いと、絵はがきを2枚買う。猫の寺子屋を描いた版画もがあった。「猫に鰹節」なんていう手習いをしていたり、いたずらもので、とってもおかしい。でも商品の中ではちょっと値の張るものだったので、今回はみるだけ、みるだけ・・・
りー氏が芋ようかんの行列から生還したので、神茂ではんぺんを試食し、3枚お使い物用に買う。福引きを1回だけして、飴(はずれ。でも老舗製。当たりは江戸の逸品いろいろ)をもらう。

りーばあちゃんは、長らく娘(りー母)のいるりー実家に一緒に住んでいたのだけれど、先だってりー伯父さん一家と暮らすことになり、引っ越したのだった。移ってからは初めてお目にかかる。ことし84歳。耳が少し遠いけれど、いつもきちんとした人だ。
「自信がなくて」と、頻りにそう言っていた。若い頃には当たり前にできたことが、自分の意志とはうらはらに、だんだん思い通りにいかなくなるのだろう(小さいレベルのことなら、私にだって心あたりがないわけではない)。年を取ると強情になるばかりではなく、弱くなる人もあるのだ。強情さも、弱さの裏返しなのだけれども。そして弱さを認めることも、なかなか出来ないことであるのだろうし。

辞去して、私の実家へ。
ちょうどお茶タイムだったので、カステラをお相伴にあずかる。

のいに早速首輪をつけようとするも、失敗。いちばん小さな穴でもまだ大きくて、くるくる廻ってしまう。のいはなんとか頭から抜けようともがく。あああああ。
というわけで、結局はずしてしまい、もう少し、固定できるくらいになったら、ということにする。もっと小さい頃からつけていないと難儀なのか。

それにしてもくやしいのは、母にすっかり甘えていることだ。姿を認めるなりのどをゴロゴロ鳴らしやがる。かつての母のことは、忘れてはいないようだがずいぶんあっさりした対応だ。とてもくやしい。

実家から名鉄トヤマホテルへ。桂米朝を聴きに行く。小米朝や南光もいっしょだ。
早い時期にチケットを買ったせいか、なんと最前列だった。購入順で席が決まるらしい。舞台を正面にして、中央から左にずれた席。こんなに前でものを観たのは初めてだ。
客層はやはりというかなんというか、圧倒的に年輩の方が多い(チケットが高めのせいもあるだろうか)。

ああおもしろかった、と言い言いして、同じホテル内の中華料理店・福寿林へ。
ここは私のなつかしいお店なのだ。正確には、ホテルが新しくなる前の話である。子供のとき、家族で外食というと、福寿林に連れていってもらっていたという印象があって(それ以外にも行っていたのだろうけれど)、なつかしくたのしい思い出として残っている。今回の寄席は、お食事つきの券と寄席のみの券とがあった。せっかくだからお食事をしてもいいのだが、18時の開演前に食べてしまうのは、私たちには少し早いし、それに、決められた時間の中で食べるよりも、終わってからああだこうだと話しながらゆっくり食べたいと思ったのだ。いずれそれなりのお値段もするし、それならばずっと気になっていながら行っていなかった福寿林に、りー氏と一緒に行ってみたかった。
子供の頃に行ったのがなぜ福寿林だったのか想像すれば、父の勤務する会社の近くにあったからとか、昔、富山には中華料理店があまりなくて、中でもおいしいとされていたのが福寿林だったらしいとか(これは人に聞いた)、いろいろあるのだろう。とにかく今日は20年以上ぶりなのだ。大好きだったたまごの春巻はあるかな、味は変わっていないかしら(というほどまともに覚えているとも思えないのに)と思いつつ、わくわくしながら入る。
たまごの春巻(と、勝手に呼んでいた)は、父がおみやげに買ってきてくれたりもしていて、最初の中華料理体験といってもいいかもしれない。これを確認したいとずっと思っていたので、まずメニューで確認する。
一般的に春巻というと、一本まるごとか、1/2に切って供されることが多いように思うが、ここのは三等分する。筒状になって断面から中身が見えているところが私にはなつかしい。皮はたまご焼きで出来ていると思っていたけれど、どうなのだろう、少したまごが入っているから風味が残るということなのかも知れない。普通の春巻の皮とは違う気がするのだけれど、りー氏はどう感じたか。中の具は、子供の時には青菜が入っていなかったように思うが、今日は入っていた。
他に頼んだ品々からすればちょっと地味な雰囲気の皿だったが、ずっと前から気になっていたことを解決できたような気分で、うれしい。とにかくそんな春巻を他で食べたことがなかったのだ。大人になってから頼んだ品々−−ピータンとか豚肉と中国漬け物の炒め物とか海鮮おこげとかあわびとなまこ(とあと何か1品)の入ったスープとか五目そばとか−−もおいしかったので、満足した。
紹興酒とともにもりもり食べるりー氏。とくにおこげ料理が気に入った様子。お会計はちょっといいお値段だったんですけどね。まあいいや、なつかしかったし、おいしかったから。

帰宅。
ネットをしていたりー氏が、突然、「ううううううう、里親募集かわいすぎるーーーーー」と言い出す。
なになに、と見れば、オルテンシアアズールで生後1ヶ月の子猫の里親を募集しているのだ。確かに非常にかわいい。
ここのお店で飼っているノロ君は真っ黒な猫だが、子猫たちはみな白猫さんのようだ。
白猫もかわいいねえ。私、身体のどこかに白が入っている猫って、なんか清楚な感じがしていいなと思うわ。
「白い猫も黒い猫も茶色い猫もみんなかわいい」
そうだね。みんなかわいいね。

りーさんって、のいのことすっごく好きだよね、とHは言っていた。

2002年09月15日(日)



 位置

朝、祖母から電話。
敬老の日より早めに、贈り物(カステラ)が届いたとのこと。
祖母から電話をもらったのは初めてだ。住所録を見てわざわざかけてくれたらしい。

いつのまにかたまっている家事にイライラする。
りー氏と私とでは、家事に対するスタンスや距離感みたいなものがどうしても違う。生活歴の問題なのか、性格の問題なのか、あるいは両方の問題なのか、イライラするとなおさらにいろんなことが気になる。
りー氏が平然としている部分と、私が平然としている部分とは異なる。
家事に限ったことではない。みんな、どうしているのだろうか。私はとにかく、言って、言って、言いまくる。違和感を表明するだけでも違うのだ。

昼、金沢行き。半年に一度の研究会。。
いつも発表よりも質疑応答の方が盛んだ。しかも発言のテンポが早い。発言者の意図から思いがけなく派生していくこともある。これと思ったことは忌憚無く言えるのは、小さな集まりの、よい部分だ。
ミクロな部分を大事にしないマクロな視点はただの思いつきでしかないし、マクロな視野を持たないミクロな視点には志がない。たぶんこの場がなければ、今の場所で私はもっと不安だっただろう。最終的に自分を助けるのは自分しかないのだとしても。

飲み屋の窓から涼しい夜風が入ってきた。
猫が外を堂々と歩いていった。

かなりお酒を飲んだ。楽しくて、すいすい入っていった。
話しながら、ようやく、「後輩」の位置にまではたどり着いただろうか、と思う。

2002年09月14日(土)



 偵察

掲示板でも書いたが、新しくオープンしたショッピングセンターに行った。
りー氏の感想は「ふつー」。まあそんなところだ。
とにかく大きいことはたしか。売り場面積は大きいけれど、店内は廻りやすいかも知れない。大きいなと思った目も、最後には慣れていた。

本日のお買い物。
りー氏:本1冊(喜久屋書店にて)
    CD?枚(タワーレコードにて)
    CD−30枚(ジャスコにて)
私:本2冊(喜久屋書店にて)
  カード1枚(TGMにて)←雑貨屋

シネコンも入っているのだが、映画館の入口脇に本屋さん(喜久屋書店)とCD屋さん(タワーレコード)があった。この配置は妙に説得力あり。

お隣りに出来たホームセンタータテヤマにも行く。他の店舗とは違って東急ハンズみたいな感じらしい、とりー氏が伝え聞いたのだ。
「ペット」という文字が見えたので、一目散に進んでいく。ペット用品だけでなく、実際に子犬や子猫を売っていた。
確かに私も子犬や子猫を見たいと思っているのだけれど、やっぱりかわいそうだよなと思う。四角い水槽のような狭いガラスケースの中で、眠るかぐるぐる動きまわっているかのどちらかだ。昨日は特に「つかれているのでやすませてね」というようなコメントも貼ってあったのに、ドンドンとガラスを叩く子供がいて、興奮した子犬がキャンキャンと吠えながら飛び上がっていたりして、いやーな気持になった。
子供はたぶん好きな方だと思う。子供がいやなんじゃなくて、付随する大人がいやなのかも。

タテヤマのペット用品売場は充実しているのだろうが、犬と猫とを比べた場合、やはり犬用品の充実度の方が高い。犬の手作りおやつまで売っている。
あと一歩なんだよなー。>猫用品
りー氏はのいのために首輪を選び、買う。
目立たないベージュ色の皮の首輪。これに先日作ったプラスチック製迷子札をつける。

そうそうタテヤマですが、りー氏曰く、
「どこが『東急ハンズみたい』よ! これならムサシの方がいいわい。ぷんすかぷん」
だそうです。

やっぱりスターバックスはウリのひとつか、と思いつつ(行列ですわ)入らなかった私たちは、喜久屋書店のカフェがいいかんじかも、という話を、帰り道の車中でする。

帰宅後、雨の中、少しだけ出かける。ひとりで。

2002年09月13日(金)



 murmur

洋服屋さんから秋冬もの入荷のお知らせが届く。
気になるなーでも見たら欲しくなるんだろうなー。
好きな色や形はだいたい決まっているので、手持ちのものもどうしても似たような色と形ばかりになってしまう。もし「これ!」と思うような洋服が3着くらいあれば、着替え用に何枚かそろえて、ずっとローテーションで着続けていたい。極論すると。
着ていて疲れる衣服はいやだ。
でも、着ていて緊張する衣服(和装ふくむ)はきらいじゃない。

(りー氏は)犬と猫と、どっちが好きですか。
「くま」
しかし実は猫と犬とくまは同じネコ目(食肉類)の動物らしい(他にどういった動物が属するかは知らない)。犬派だ猫派だくま派だなんて問題にするのは、実は度量の狭い話なのかも知れない(ちょっと違う)。
いつか茶色い雑種の犬が飼いたく、今でも時々のいを思い出しては涙する、くま(飼えんな)好きのりー氏。

何かお買い物がしたい。
「顔ぶつぶつじゃない?」
うー! 化粧品考えた方がいいのかなー。
# 夕食後のおかしはやめられんぞ・・・

余裕がないような気持。

2002年09月12日(木)



 変化

20歳の女の子(面識はないが、知り合いの知り合いではあるようだ)が書いた文章を読む。
ある時、初めて会った30歳の男性の持つ雰囲気にくらくらしそうになり、いかんいかんと自分をおさえた、とあった。30年間生きてきたいろいろの中で、変えようとしてももう変えることのできない何かがあるだろうから、と。
ニヤリ。

もっともらしいことを言うのはだんだんうまくなるのかも知れない。言うか言わないかは別として、言おうと思ったら言えるかも、くらにいはなるのかも知れない。と同時に、「もっともらしいことを言う」ことの欺瞞が実感されてもくる。いやな感じで。
年上の人はいつまで経っても年上のままだ。年齢の差は縮まらない。
関係性は、全く変わらないというわけでもないのだろうけれども(変えようとしない人はいるかも)。

30年は大した年月だが、50年、100年には及ぶべくもない。
10年の差は大きいけれど、例えば自分が持っているとしたら、その差を自己肯定のみに用いたくはない。年若くてもものを知る人はいる。
一個人の生活史においては、年を重ねれば重ねるほど知恵がつく、というのは一般的に言える気がする。しかし個々人のポテンシャルはまた別の話だろう。

昔、子供だった頃、「年の功よりカメの甲」とうそぶいていた。
大人にはやりにくかっただっただろうと思う(それあんまり人に言わない方がいいね、と笑いながら言われたこともある)。最近は、「亀の甲より年の功」と思うようにもなった。それは自分が年を重ねてきたからというよりも(いやそれも皆無ではないのかもしれないけど・・・いやーねー)、年寄りや年長者はいつまでもそばにいてくれるわけではない、という実感からだ。

「30年間生きてきたいろいろの中で、変えようとしてももう変えることのできない何か」
今や人となりの基本ラインは変わらないのだろうと思いつつも、事実の前に変更せざるをえないこともあるのかもー、と(すでに/たかだか/それでも)31歳の一個人は思う。

変わることが怖いのではなくて、いったいどんな要因がきっかけになりうるのか、私はそこに興味がある。

2002年09月11日(水)



 秋の夜

またちょっと暑い日中。
でも日の傾くのは早くなった。

夜、オーバードホールへ、桐朋学園オーケストラ&桐朋アカデミー・オーケストラ合同特別演奏会を聴きに行く。
指揮は秋山和慶、ピアノは野島稔。プログラムはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と、同じくチャイコフスキーの交響曲第4番。
先年、桐朋学園の大学院とオーケストラ・アカデミーが出来た縁で(これに関して地元ではいろいろあったんですけれども、いろいろなタイプの演奏が楽しめるのはいいよなあと呑気に思ったりもして)、富山市では年に数回定期的な演奏会が開かれている。学生の勉強の成果を披露する場でもあるだろう。市民プラザでやった室内楽の回(ピアニストの藤井一興が目当て)を聴きに行って以来。
それより前にも、学内で催された無料のコンサートに行ったことがある。打楽器のコンサートで、非常に面白かった。マリンバ以外のパーカッションのコンサートを聴く機会なんて、そうはない。

チケットは全席自由で、開演前に当日券売場で1枚買って入った。まあまあ人は入っていた(満席ではない)。
今回の目当ては野島稔。初めて生演奏を聴く。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、多分誰でも聴いたことはあるだろうというくらいに有名な曲だが、ピアノは、むやみにわんわんいってなくて、どちらかというと抑え気味な感じの演奏だった。特に出だしの和音のところなど、ちっとも仰々しくなくて、むしろちょっと硬い気すらする。でも味気ないというのではなくて、ほんっとにきれいな音だった(指がよく動くとかそういうのはいまさら言うまい)。さらっと弾いているのにハネとトメ(は、わかるとしても)とハライがちゃんと出来ているような(「永」の字ですな)演奏。
# まるで本当に筆(=指)を止めているように見えた時があった。>タッチ
きれいな音でした。
いつかどこかでぜひ単独演奏を聴いてみたい。

コンサート、*一応*りー氏にも誘ってみた。
いや「野島稔が富山に来るの? げっ!」っていうような人でさー。
「『げっ』って何? やなわけ? どういう意味よ」
やなんじゃなくて、「野島稔が来るってまじかよー!うえー!」っていうようなかんじ。
「じゃ『げっ』じゃなくて『うっへー!』だな」
あ、そうそうそれだ。うっへー!
# でも基本的にりー氏はこの手のものはあんまり興味がないので、結局1人で行く。

ばたばたと出てきたので知り合いには会わなかったけれど、オーケストラのメンバーとして、知り合いの妹さんと思しき方が出演されていたようだ。たぶんそうだろう。

終演後、しばらくあって、りー氏に迎えに来てもらう。みずはた(酒店)さんで少し買い物をして、帰宅する。
メールの返事が届く。メーリングリストで吉増剛造ポエトリーリーディングの案内が廻ってきたので、チケットを頼んでいた、その返事である。実は今日チラシをもらってきてもみたのだが、どうも自主企画らしい。奇特なことだ。
チケットを3枚お願いします、といったら、何だかすごく感謝されたようだ。んー、売れてないのか?(さもありなんだけど・・・)

2002年09月10日(火)



 わりと行動的な1日

午前、いらない書類を処分したりしてのらりくらりと過ごしていたのが、急遽思うところあって金沢へ。石川県立図書館。
図書館に駐車場はあるが、公道に出る時にやや不便なので、行くときはたいてい、裏にあるN美術館の駐車場(地元の友人から教わったひみつの駐車場でもある)を使っている。
今回はたまたま手前側、兼六園側の駐車スペースがいっぱいだったので、向こう側に止めた。向こう・手前、といっても位置的に隔たっているほどではなく、駐車すると車止めで背中合わせになるかっこうである。

さて、2時間ほど図書館にいる間に、向こう側へ行く通路にあたるスペース(車1台分の幅)に車が止められていた。その車が止まっている限り出られない。
むーん。どーしてこういうところに止めるかなー。それ以外にも駐車スペースはあるのにー。

仕方がないので竪町までお茶を飲みに出かける。

竪町まで鞍月用水をたどって出る。
一本裏を歩いていてふと脇道を見たら、黒い子猫が座っていた。
お。
たまたまカメラを持っていたので、撮ってみたい気持になり、そうっと近寄ろうとするも、ある距離まで行ってぴゃーっと逃げられる。
逃げた方(家の物陰)に近づいてみると、今度は向かいの家の脇に入り込んでいった。
と同時に別の黒いしっぽが見えた。
黒い子猫は2匹いるらしい。テレポーテーションを見た気分。

何しろどちらも黒いから、最初に見た猫かそうでない方の猫かわからないけれど、しっぽだけ見えた猫は、また別の家々の隙間に入っていって、しばらくこちらを見ていた。黒い身体に金色の目だけがあった。鼻も(ということは肉球も)黒いのだ。時々耳を少し動かすくらいで、殆ど動かないでずっとこちらを見ていた。どこからか三味線の音が聞こえていた。
結局私の方がばいばいと言ってその場を立ち去った。

お茶を飲んでハガキ1枚書いてそろそろ帰宅のタイムリミットになったので、賭みたいな気持で再び駐車場に向かう。
車はなかった。

夜、Fさんにお声をかけていただき、小さな歓迎会に出席。総勢4名。
緊張する。
最初に犬の話。動物話というのはクッションのようなもので、いいかも知れない。マクラとしても。
猫がかわいくてもう〜、というような話は控えた。
しかし実のところ話せば話すほど緊張は増したのだった。だからなるべく話さないようにしたが、それでも緊張する。

重陽の節句。
自転車で夜の川を渡って帰る。

帰宅したら何かひとくち口にしないと落ち着かない私は、途中、コンビニで買い物が出来なかったことをやや悔やんだ。しかし帰宅して「もしや」と思い冷凍庫を開けてみると、ここのところ毎日毎日食べ続けているアイスクリーム(爽@ロッテ)が1つ入っていて、自分をほめてやりたい気持になった。
父も爽が好きで、実家の冷凍庫には常に5個くらいは入っている(ヨーグルトと合わせて食べたりもするらしい。でもフタをのいになめさせるのはやめてほしい)。
また買ってきておこう。

2002年09月09日(月)



 眠り

夢をみた。
このごろ夢をよくみる。毎日みる。
だいたい何かを気にしながら眠ると夢をよく見るのだ。

楳図かずおの「ようこそ先輩」@NHKを観る(冒頭を観損ねてしまったけれど)。
学校で肝だめし。テーマは、人はなぜ怖いと思うのか、恐怖ってなに? というようなもの。
妙に雰囲気のある女の子(6年生)がいて、気になる。
来週は作庭家の人が先生。枯山水の庭をみんなで作るらしい。

夜、うたた寝をしていないふりをしながらなんとかうたた寝してやろうとたくらみつつうとうとしていたら、りー氏が「できた」と小さなコイン状のものを持ってやってきた。
きっとのいの迷子札だな、と思い、見せて見せて、と言うと、
「布団敷いたら見せてあげる」
交換条件。
いや、労働を私に課そうとするのではなくて、寝るなら布団で寝ろ、というのがりー氏の言い分で。

2002年09月08日(日)



 秋の朝の花火

上がる。
運動会らしい。絶好の運動会日和、であるとはとても言えない。まあ出来なくはないという空。秋雨ではなく台風の影響で降ったり止んだり。
りー氏は自転車で出かける。行き帰りがたまたま晴れ間をぬった形になったのは非常にラッキーなことだった。

某日(今日ではない)。
りー氏と出かけて帰ってきたら、大家さんちの玄関に立派なかもうり(冬瓜。富山のばあちゃん風発音だと「かもり」)がごろごろ並んでいた。
どこかに送るのか。2つずつ段ボールの箱に詰められている。

〈かも瓜を二つ欲しがる人もなし(倚彦)〉っていう古い俳句があってさー。かもうり好きなんにー(形も味も)って思ったからよく覚えとるんだけど。
「でも2つ入っとったぜ」
そうだよねえ。
場所塞ぎであることはたしか。

今日。
出かけて帰ってきたら、玄関の新聞受け兼ポストにあやしい袋が入っていた。
なんのことはない、友人が刺し子のコースターを作って届けてくれたのだった。ありがとう。

夕方、りー氏と実家へ。福岡(筑紫野市)在住の叔母(父の下の妹)が来たので会いに行く。りー氏はこの叔母と初めて会う。
Hもいるのでにぎにぎしい夕食。懐かしい話いろいろ。悲しい話とか怖い話とかおかしい話とか申し訳ない話とか。
小さい頃のことを案外によく覚えている。人生最初の記憶がいつかはわからないけれど、保育園の頃なんてヨユーで覚えている。もちろん生活の全てであるわけはなく、自分にとっては特に印象的であると思われる事件だということなのだろう。そのへんの「切り取り方」には興味がある。どんな風に世の中(「世界」というとかっこつけすぎ)を見ていたのかが顧みられるようで。

秋に長崎に行く予定があるから、叔母ちゃんとこにも寄らせてね、と約束する。

のいは写真撮影を強要され、終了するたびにいつもにも増してすごい勢いで家中を走り回る。フローリングや廊下の板張りは滑るから、かなりまぬけな感じがする。
そういえば今朝、
「今日は何の日だと」
と訊いてきたりー氏。9月7日だから、んー、んー、んー、クナの日(答えになっていない)。
「のいの日」
のいに会えるから?
「うん」

2002年09月07日(土)



 1回休み

どこにいるでしょう。



黒いビー玉ふたつ、じゃないよ。

(撮影:H@写メール)

2002年09月06日(金)



 

昔読んでいた「オリーブ」で、大西厚樹さん(デザイナー。金子國義描くアリスの絵が印象的だった“ATSUKI ONISHI”、って今はないですねたぶん)が、顔の周りに白い色があるとかわいく(顔がきれいに)見える、というようなことを言っていた。
デートについての特集号で、読者モデルの栗尾美恵子さん(当時)が、実際にアドバイスを受けてコーディネイトされていたのだった。

体のどこかに白が入っている猫は、どこか品のよい、清楚な感じがする。
茶トラの猫ともっぱら接していると、それ以外の色の猫を見ると新鮮に思える。
真っ黒な猫もすてきだな、と思ったり。

のいの茶色は明るく、また純粋なトラ模様というよりも、しま模様とひょう柄(あるいは鹿の子模様)が混ざっている。目の色はヘーゼル。
ちょっと日本の猫みたくないねえ、と今まで何度か言われたことがある。しっぽがまっすぐで長いし。
いや日本の雑種猫だけれども。mixばんざい。

のいのための迷子札を作りたいと言っていたりー氏。外に出さないと決めているのに首に巻き付けるのもかわいそうだが、万が一外に出ていってしまったら、と考えてのことだ。
昨日たまたま車でネームプレート屋さんの前を通りがかり、ここで頼んでみるか? などと話していた。そして今日さっそくphotoshopであれこれ原版らしきものを作ってみた(りー氏が)。
円形の真ん中に、

ノイ

それより小さな文字で、

●●●エキマエ ○○○ 076-46X-XXXX

と半円状にぐるりと取り囲んでいる。●●●は駅名、○○○は実家の姓(実家は本当に「駅前」以外のなにものでもないので)。
赤やオレンジや緑の単色に白抜き文字が入った、とてもシンプルなデザインなのだけれど、素っ気なさが却って気に入り、シールやステッカーを作ってもらおうと考える。そしてのいの持ち物に貼っておくのだ。キャリーくらいしか貼るものはないけれど。
ついでにプラ板シートを買ってきて、印刷して、オーブントースターで焼いて、手作りの札にしてしまおうか、とも。

「本のメルマガ」で今年が北園克衛の生誕百年であると知る。北園克衛生誕100周年記念・関連イベントのお知らせ
伊勢市立病院に、私の好きな「BLUE」(抄)を刻んだ詩碑があるらしい。次回伊勢方面に行く時には足をのばしてみよう。

2002年09月05日(木)



 カルデラを見る/に行く

朝、りー氏と立山カルデラ砂防博物館へ。
博物館主催の野外体験学習会に参加するためです。

立山黒部アルペンルートのすぐとなりに、立山火山の活動とその後の浸食によってつくられた立山カルデラがあります。
 カルデラとは、火山にできた大きな凹地のことです。ポルトガル語のカルディーラ(グツグツ煮るのに使う鉄製の深い大なべ)からきています。

−−「はじめに」(『立山カルデラガイドブック』(財)立山カルデラ砂防博物館発行)−−

美しい自然を誇る立山は富山の貴重な観光資源ですが、同時に壮年期の活火山でもあります。
カルデラ内には、噴火や天災により崩落した箇所が多々あり、大雨が降ると崩れ落ちた岩盤は下流に運ばれます。もし自然のままにしておけば、それらの岩石が富山平野を埋め尽くしてしまうと言われています。それを防ぐために砂防ダムが作られ、国の大きな事業として行われているというわけです。

行われている工事は、何かを作るためのものではなく、何とか現状を維持していこうとする種のものです。相手は生きて活動している自然ですから、工事したけれどもまた破壊、というようなことも決して少なくないでしょう。
「工事をする」というと、「自然破壊」とか、なんとなーくネガティブな印象があって、しなくても済むならしない方がいいのに、などと思うわけですが(「手術する」「投薬する」に対するイメージとちょっと似ています)、砂防工事は、自然と共存して人間が生きていくために行われているというのです(それを知るための見学会ですね)。
非常にシビアな仕事だと思います。「私」とは対極にある何かを見たようです。
工学部に進学しようとする/在学中の学生は、仕事をする前に見ておくといいのではないかと感じました。まさにcivil engineeringの本質ではないかと。
# もっとも高校生の時に見学したにも関わらず、すっかり忘れている人もいますが(笑)。

カルデラまでの行きはバス、帰りはトロッコ電車で帰ってきました。カルデラ内はみんな黄色いヘルメットの着用が義務です。りー氏のヘルメット姿がおかしくておかしくて笑いがとまりませんでした(と言いつつ私も自分で見ていやになったけど)。
作業用トロッコ電車(かわいい)はまるで箱のようで、乗り心地はあんまりいいものではないのです。リクライニングであるわけがない。
しかしレア感は満点です。

あ、りー日記みたいなことを書いてしまいました。そのうち写真込みであちらにアップされるでしょう・・・と思っていたら写真だけじゃんよ!(怠けとる!)
# りー日記の写真は上から、幻の立山温泉跡、かわいいトロッコ電車、生々しい最新崩落現場(トロッコ車中より)。
ちなみに今回は、カモシカさんやクマさん、サルさんなどとの遭遇はありませんでした。やや寂しいですね(クマはまずいやろ)。
いちばんの心残りは、ツアーの案内をして下さったガイドの方(たぶんナチュラリスト)にお礼を言いそびれてしまったこと。本職は別にあって、ボランティアらしい。
何でも人に教えてもらってやってもらって当たり前だと思ってはいけません。
そして幸田文の『崩れ』を、もう一度読み直してみようと思います。きっとリアリティがあるはずです(幸田文が題材に選んだのも納得)。

立山町方面に行ったついでに、すごく遅いお墓参りに行きました。
私の母方の祖父のところへ。
なかなか点かない火に悪戦苦闘しているあいだに(墓地は田んぼの真ん中、風が強い場所にあるのです)、りー氏の好きな地鉄電車が2回通り過ぎて行きました。
私が子供の頃に亡くなった祖父は、地鉄の駅舎を設計していました。

2002年09月04日(水)



 ふつー

りー氏の口癖。
私たちが共通して持つ「普通ってなに?」という問いが内包されている・・・なんてそんな大げさなものでもないけれど、ふつーって、と思っていることは事実。

図書館行って実家行って買物して帰る。このところの普通の1日。
県立図書館は明日からしばらく休館(蔵書点検のため)。

実家に行ったら祖母が「Hちゃん今日帰ってくるよ」と言う。
先日の雑談で、せっかくまとまった時間が取れそうなのなら、運転免許取りに帰ってくれば? と話していたのだが、2日後(=今日)本当に帰ってくることにしたらしい。
# 明日10時に入校式だと母が言っていた。早っ。
「のいの兄ちゃん帰ってくるよ」と猫に言う。
のいの兄ちゃんは猫ちゃんアレルギーだったので、最初は涙目になりながら接していたのだが、先日の帰省時に克服したらしい。

おわらの時って、雨が降っているかものすごく暑いか、どちらかしかない気がする、と、八尾に嫁いできた知りあいが話していた。
母の持っている着物のなかに、母方の祖母いわく「これはおわらの時分に着るとちょうどいい」ものがある。水色の地に、刷毛で描いたような涼やかな線が入った着物。着ると案外に涼しいのだろうか。
時期を限る絵柄や素材は、オールマイティであるとは言えないが、それだけゆかしく思われ、印象的である。

早起きしなくてはならない日の前夜に限ってなぜかずっと起きていたくなる。

2002年09月03日(火)



 domestic

cafeglobe「こぐれひでこのごはん日記」。こぐれさん、魚津@富山県に取材に来ていたらしい。
こぐれひでこって知ってる?
「うん。♪ふにゃらほげ〜(歌い出す)」
・・・それってひょっとしてさねよしいさ子の真似か?
勘違いしていたりー氏。せっかく歌ったのにねー。
「やっとること似とらん?」
似てない。全然違う。
# こぐれひでこ:イラストレーター(昔はデザイナーでもあった)
# さねよしいさ子:ミュージシャン

魚津は蜃気楼の見える街である。
蜃気楼が出ると街にサイレンが鳴るらしい。春から夏にかけて週1度通ったことがあったけれど、残念ながらその時には1度も鳴らなかった。

昼過ぎまで少しお手伝い。

こちらからお送りしたものの到着のお知らせがいろいろ届く。

トムのおもちゃ@金曜日の日記
猫(Qちゃん)と暮らすPさんによれば、トムには雄猫の意味もあるのだとか。
のいはあんまり物怖じしない猫なのかもしれない。ただし子供に対してはちょっと様子が違う。腰が引けると同時にライバル心むき出しになる。怖い物知らずの甥っ子に対してのみか?
犬のオモチャにも最初は警戒していたようだけれど、何といってもあちらは動きが単純なので(うちにある黄色いブタのオモチャ−−私からりー氏へのクリスマスプレゼント。名前はぶーこさん−−も同じ動きをする)、集中して遊ぶまでには至らないもよう。
母が台所仕事をしているそばで、猫じゃらし相手に1時間半も遊んでいたことがあるらしい。祖母お手製の猫じゃらしも持っています。
そうそう、こっちの猫じゃらし(エノコログサ)も好きです。



H(次男)とのい(三男)。Rちゃん撮影(写メール)。
以上、私信にかえて。

街なかに出たついでに、またもや猫のいる路地に行ってみる(今回も車で)。
黒い子猫を発見。電柱の脇に白黒の、これまた子猫。ちょっと離れたお店の入口に、黒猫とぶち猫。子猫の親か。
猫スポットであることを確信。

拙宅ではLANを組んでいるのですが、数台稼働しているPC(全部で何台あるのか私は把握していない)のうち、ふだん私が触っているマシンは2台。私用のデスクトップ型(ホスト名:asagiri)と、居間に置いてあるVAIOノート(同:mikage)。

・画像の手直しはmikageでしかできない(ビューア並びに大きさ等を変えるツールがmikageにしか入っていない)。
・アップロードする手続きはasagiriでしかできない。
# ちなみにりー氏のメインマシン:shioyaでは両方とも可能。

というわけで、うっかりりー氏名義でmikageにログインしたまま手直しの作業をして、自分名義でログイン済みのasagiriでちょこちょこやろうとするとこれが出来ない。
〈mikageに*自分名義で*ログイン→手直し→asagiriでチェックの後アップロード〉
ここまでの流れを把握するのでいっぱいいっぱいでした。>昨日の息切れの理由

おわら風の盆。
おわらを謡い奏でるのは男性達。9月最初の3日間、旧町の女性はおわらに夫の心を奪われて、〈おわら未亡人〉になる、と言われているます。
夜中、りー氏は誘われておわらに出かけて行きました。
これもまたおわら未亡人?(嘘)
# 私は失礼しました。

2002年09月02日(月)



 9月の朝



のいは窓際から外を見るのが好きだ。私はその後ろ姿や横顔が好きだから、こっそり撮ってみる。

小さなヤモリを発見して、朝から障子をべろりと破いてしまう。あああ。

桃をひとつ食べてりー氏は、護国神社ののみの市(毎月第1日曜日開催)に出かけていった。

昼過ぎに私も自宅へ帰ることにする。
帰るね、と言ったら、祖母がおこづかいをくれた。
ばあちゃんのおこづかいが減るのに。でも、楽しかったんよ、ごはんおいしかった、と、大したものも作っていないのにとても喜んでくれる。
祖母のうれしい気持が形になっているのなら、受け取らないわけにはいかないだろう。そしてそのお金は、使うことなど出来ないのだ。
他にもある。いつまでも手をつけられずにポチ袋の中に入ったままのお金、図書券。

のいが実家に行っていちばん喜んでいるのは、やっぱり、祖母なのかも知れない(これは後で下の弟とも話したことだ)。

いったん帰宅し、nuit cafeとチェリオをはしご。
瀬川書店で「すまいの手帖 台所」(別冊暮しの手帖、暮しの手帖社)を購入。
いま、毎号必ず買っている一般雑誌はないけれど、もし定期購読するとしたら、「暮しの手帖」「きょうの料理」がいいな。

かき氷にはぴったりな日和だから、りー氏を誘って出かけようと2回電話するも、公衆圏外でつながらない。
バイクがなかった。たぶんまた山の方に行っているのだ。

さっきのいといたばかりなのにまた猫に会いたくなって、この間りー氏と歩いていて猫と遭遇した雑居ビルの前を、今度は車で通り過ぎてみる。
黒い猫がいた。
車を止める場所がない。ゆっくりと通り過ぎる。

日暮れ時になってもりー氏は帰ってこない。
さて、と思った頃にドドドドドとバイクの戻る音がした。
このところ、出かける時にりー氏は、いちいち行き先を告げないで出かけるのだが(ということに既に耐えられない人もあるかも知れないが、黙って出かけていくというわけではないからいいかと思っている)、しかし今日はちょっと気になった。ひとりで出かけたとしても遅くなることはないから、心配しないでいるのだ。でも今日は電話が通じない(しかも2回かけた)。
こんな場合、どうせりー氏のことだから人気のないところを探検しているに違いない。もしかしたらくまにやられているかもしれない(屈強さを誇るタイプではない>りー氏)。崖に足を滑らせているかもしれない(私の方が田舎の子だ)。

携帯が通じないようなところへ行く時は、どこへ行くかくらい言ってよー、万が一ということはないとは限らないんだから。
「・・・その通り」
子供の時に言われんかった? 出かける時は「誰それのところへ行ってきます」って言って行きなさいって。
「言われたような気もする」

H(下の弟)と電話。近況と今後のことなど。

(きょうだいの)下の人(=弟あるいは妹)は、上の人(=兄あるいは姉)が自分で想像するよりもずっと、上の人の言葉を気にしているものなんだよ、とかつて母(4人きょうだいの3番目、きょうだい構成は兄・姉・本人・弟)は言った。

2002年09月01日(日)
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