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みんみん



 福岡行き

午前中、のいを獣医さんに連れていく。
その顛末はりー氏の日記をご参照ください。

よく晴れた空。お昼すぎの飛行機で福岡へ。
空港で叔母宅へのおみやげを買う。ますのすし、ぶりのすし、音川の千枚漬としば漬けふうのもの、ほたるいかの薫製、フェルヴェールのショートブレッド。

どこかへ行くのは楽しいはずなのに、晴れた富山の空を旋回しているとき、なぜだか憂鬱な気持におそわれる。
上空から家をさがす。いま、家にあるはずのジムニーが見えた、ような、気がした。

まもなく左手に鳥取砂丘がご覧になれます、とアナウンスで言われるも、私は日本海側・右手の座席なので、ひたすら海と雲ばかりを見ている。うとうとする。
しばらくして雲の中に入ってしまった。出るやいなや、雨が降る灰色の空があった。
福岡は雨だった。どういうわけか、ほっとする。富山とおなじ日本海側のまちなんだなと再認識する。見知っている場所のような気がした。
埋め立てた海が見える。「福岡」の(博多ではなく)まちなかで育ったIさんは、海といえば埋め立てられたコンクリートの向こうに見えるそれを思い出すと言っていた。上空からこんな感じなんだろうかと見る。

地下鉄で天神まで。
丸善に入る。1Fの文具店でポストカードを何枚か買う。ここは何年か前の夏に初めて入って、とても気に入ったお店だ。それから階上の丸善へ。
とにかく、猫切れしている感じがあって、動物に関する本のコーナーへ足が向かってしまう。かなりあほである。
猫切れ、といったって、さっきまでのいと一緒にいたわけだが、昨日からの一件でひたすら心配でならなかったので(そのくせ一緒に居続けることもできないことがさみしくかなしくて)、猫に対するボルテージがめちゃくちゃ上がっているのだ。いいんだ、私は猫が好きなんだ。
と開き直って、今度は、文庫本コーナーへと移る。旅のあいだの友になってくれる猫本をさがす。なにも、旅に来てまで本を買わなくても、と思うのだけれど。

西鉄で筑紫駅まで。叔母が迎えに来てくれる。
叔母は先だって久々に帰省していたので会っていたが、CちゃんとY君(いとこ)は久しぶりである。ジュリ(犬・メス・10歳)にもごあいさつ。
さむいのでジュリも部屋の中に入ったりしている。声を掛けながら撫でる。動物が家の中にいる気配というのは、いいものだ。ジュリはとってもおとなしい。のいとは大違いである。
性差(ジェンダーではもちろんないですな。生物学的な)というのは動物の性格に関係するのだろうか。
10時過ぎ、叔父が帰宅。

2002年10月31日(木)



 のい、ゴムをのむ。りー氏他奮闘す。

母から電話。
年末の連休+1日をつかって、石垣島に行かないかという誘い。
私の仕事は入っていません。
(この話つづく)

---

のいがばあちゃんのパンツのゴムを食べました。
ゆるくなったパンツのゴムを、祖母が入れ替えている横で、のいが遊んでいて、つるつると飲み込んでしまったのでしょう。

もう、本当にびっくりしたんだってば!>のい(見てない)
# 以下、時制が混在、かつ、なまけてますが、翌日31日付で裏うたかたの日々に私が書き込んだ文を引用(読まれた方はとばしてください)。

猫バカと言われても 投稿者:みんみん  投稿日:10月31日(木)11時58分48秒

昨日から今朝にかけて、あーもー心配したんだからねー! なことがありました。のいに関して。

のいが異物を飲み込みました。
猫が異物を飲み込むとどうなるかというと、まず何度も吐きます。水さえも戻します。そして、元気がなくなります。おなかを触られるのをいやがります(痛いから)。
うまく排出されればいいのですが、悪い場合には腸閉塞を起こすこともあり、そうなると生命にも危険があります。
いつもかかっている獣医さんは、診察時間も長く、非常にありがたいのですが、運悪く昨日は週に1度の休診日でした。

さてのいがいったい何を飲み込んでいたのかといえば。
それは祖母のパンツのゴム・・・(のびたのを入れ替えしていたんですな)
というとほとんどネタかと思われそうなものがありますが、いやしかし、今朝いちばんに獣医さんに見せるまでは心配でなりませんでした。
昨日、4人がかりでおしりから3cmくらい顔をのぞかせていたひもを引っぱり出しました。りー氏がとりわけ奮闘しました。全長約20cmくらい。しかも、大きな結び目がいくつもありました。
取り出してからはおしりが痛いながらもおちついたようでした。

もーすこしくらいまあるくても、お父さんのおやつをもらっていてもいいから、もりもり食べられるくらいに元気でさえいてくれれば、と言い合いました。

でも今日獣医さんで体重をはかったら3.6kg(!)。平均的だけれどちょっとおなかのあたりが・・・と言われて、食べ過ぎ注意だな、と言い合ったのは、なんてぜいたくな思いでしょうか。


昼、ちょうど実家にいたHから、のいがまた吐いていて、しかもちょっと様子がおかしい、という電話がありました。実家に行く用事があったので、夕方寄ってみると、たしかにいつもなら暴れん坊タイムにも関わらず、じっとHのおなかの上に載ったままです。





---母曰く「今日はなんか老けた顔をしている」のい。

そんな体調ながらも、私が部屋の中に入っていくと、にゃー(ごろごろ)、と言いながら近づいてきたり、帰り際「じゃあのいまたね」と言うと、Hのおなかの上でじっとしたまま、また、にゃー、と鳴いたりするところなど、まったく泣かせます。



---ニャア・・・

今晩はHとりー氏と3人で犬カフェでごはんを食べる予定だったので、いったん外に出ましたが、Hは家を出るのがほんとうにつらかったそうです。

ちょうどHが家を出た後くらいに実家に電話してみました。
すると父が出てこう言いました。
「のいのお尻からひもとかバンドみたいなもんが出とる」
# バンド=ゴム
それって虫とかじゃなくて?
「いや、違う。ひもとかバンドだ」
???
なにしろ未経験のことなので、想像もつきません。とりあえず後でもういちど実家に行くことにして、ネットで調べてみます。するとなるほど、異物を飲み込んだ猫は吐いてぐったりするとありました。

その後犬カフェで3人、大盛りオムライスやらチャーハンやらいろいろ注文したのですが、母と電話していよいよ私たちは落ち着きません。食べるものを食べて早々にお店を出ました。
そして、理氏奮闘引張之一件に至ったというしだい。

とにかく獣医さんに見せるまでは落ち着かないのです。
夜中に電話すると、ごはんを食べたりごろごろいったりしているとのことなので、一安心してもいいのかも知れません。


2002年10月30日(水)



 定期購読/追加

Rさんが、「江戸動物図鑑−−出会う・暮らす・愛でる−−」展(港区立港郷土博物館にて11月17日まで開催中)の図録・ポスター・チラシ・リーフレットなどを送って下さる。ひゃっほう。
早速図録を拝見。これがなんというかすごく不思議。自然史と美術史と歴史がミックス。ある意味博物館のルーツみたいな姿とも言えるか(今はたいてい細分化専門化されているからね)。もりだくさん。こういう取り上げ方は郷土博物館ならではかも。たのしー。
最近まちあるきしていないよ、と思った。昔はたまにそういう機会があった。自分ひとりで歩くのもわるくないけど、ある興味関心をひとしくする人たちと、ああだこうだいいながら歩くのはいいよ。いろいろ教えてもらえるし。
そんなことを思いました。どうもありがとうございます。>Rさん

仕事に行ったついでに、家から2番目に近い本屋さんに、定期購読雑誌を取りに行く。
# さすがに山本夏彦の連載はお休みだった模様。>『室内』@定期購読
ここでは何種類か雑誌の定期購読を頼んでいるのだけれど、それはみんなりー氏の購入分だった。
今日、私も定期購読のお願いをしてきた。初めての、本屋さんで頼む定期購読。たぶん。
雑誌は、『猫の手帖』と、仕事関係の隔月誌。
「それってエロビデオと一緒にゴダール借りるみたいなもん?」
失敬な、と思いつつ、そういえば初めて「猫の手帖」を買ったときの気持を、エロ本を買う男子のそれになぞらえていた自分。組み合わせの妙といってほしい(本当か?)。
雑誌が来るのは次号から。たのしみたのしみ。でも、そこの本屋で『猫の手帖』を定期購読している人はいないと思う。たぶん。

家から1番近い本屋さん(BックスNかだ−−今ある富山の本屋さんとしては最も歴史が古く、大きい−−の支店)は、こんどリニューアルする。今までは、1階が本屋さんで、2階にはTSUTAYAが入っていた(さらに、道路をはさんで文具部門が別にあった)。
TSUTAYAなくなるって。
「え。・・・で、跡はどうなるの?」
2階もNかだになるらしい。
「むふー!」
大いに期待のりー氏。

そんなTSUTAYAではレンタル用だったCDを安く売っていたらしく、りー氏は(同じく閉店のgrooveに引き続き)何枚か購入してきていた。そしたら中には既に私が持っているものもあったりして。

---

書き忘れ。

土曜日の話。
「のいに会ってきたからのいの絵を描こうっと」
と、みずからペンをとり絵を描くりー氏。
しかし、成長のぐあいは絵に反映されていない(絵としては前に描いたのといっしょ)。

月曜日の話。
実家に行ったら父が早く帰ってきていた。
のいは、俯いて作業をする父の背中に乗っていた。
のいを抱いてダイニングへ。やや身を延ばし気味にしながら顔をなめるやらごろごろいうやら。
おとなしく座るのを撫でていると、居間のほうからカンカンカンカンとすごい音がしはじめた。のいとしてはぜひとも確認しなくてはならない事柄なので、いちもくさんに走って向かう。
カンカンは、父がトンカチを手に工作を始めた音だった。小さな椅子を作っている(今日仕事でハウスメーカーの見学に行って、キットをお土産にもらったらしい)。
ものすごい音も動作もいちいち気になる作業。というわけで、しっぽを前足に巻き付けて、じっと父の手元に集中するのい。カンカンカンカンの時、微妙ーに頭が上下する。ごくごく微妙に。
そこへ私が急に立ち上がったりすると不意にぎょっとしていたりなんかして、おかしい。

2002年10月29日(火)



 むむーん

むつかしー。
私に問題はあるんだけれど(これも間違いない)、どうすればいいのか、わからん、わからん、わからんぞー。

・・・でも向こうはもっとわからんのだろうなあ。

MさんやSさんと朝の数分のあいだに少し話したこと。
それでどうにかなるということでもないのだけれど、感謝している(これを読まれることはないけれど)。誠実に応対して下さったことに。

以下私信。
Pちゃんからお便り。ありがとー。
Rさんからメール。楽しみにしてますー。

---

ひげのあたりなど、少しおとなっぽくなったのいさんです。
胸元に光る(キラーン)はりー氏特製プラ板名札。



写真はH@写メール(「かわいすぎーっ」のコメントつき)。


2002年10月28日(月)



 冬空と眠り

朝起きて、冬だ、と思った。
北陸にはそういう空の色があるのです。

朝の空気が好きなので、ここのところ、また、ずっと早起きをしていたのだけれど、今日はタイマーをかけずに眠ってみた(昨夜は遅くまで外でおしゃべりをして帰ってきたから)。ぐっすり眠れて、とても気持ちよかった。
それだけじゃなくて今日は、お昼をたくさん食べて猫の雑誌をめくりながらあたたかい部屋でごろんとしていたら眠くなってしまって(私のお昼ごはんはいつも軽い)、いちど目をさましてまた、ぐー、と眠って、夕方になった。
まあ、1日の過ごし方としては、すごーく無駄だと言えよう。

でも、眠ることができるっていうのは、とっても幸せなことだ。
苦しい夢を見ないことも。
目覚めた時に不安な気持でないことも。

眠っているあいだにりー氏が灯油を買ってきました。
ブルーフレームを点しました。冬の匂いひとつ。

2002年10月27日(日)



 服膺

心にとめおくべきことは。

---

りー氏が「のい切れ」しているようだったので、久しぶりに一緒に実家に行く。母は留守で、父と祖母がいた。
のいを抱いて撫でる父を見るととても、とっても不思議である。スキンシップという形で「子」に愛情を示す人ではなかったから(親としての愛情に欠けているわけでは決してない)。動物とか植物といったものは、もともと好きな人だったのかも知れない。
のいにとっては「何かうまそうなものをくれる人」として認識されているらしく(アイスクリームをやっていた実績が大きいと思われる)、今日もお茶請けの塩せんべいを狙ってやってきた。ポロシャツについたかけらをすかさずゲット。
うまかったやろ。

帰宅後。
「(しくしく)」
どうしたん?
「のい、おれのこと忘れとる」
そうかね?
「俺のところに来んと(=来ないで)お父さんのところにばっかり行っとった」
機嫌っていうのもあるんじゃない? 私のところにもあんまり来てなかったやろ。いつも行ったらごろごろ言うのに。
っていうかあんたへんなちょっかいばっかりかけるからだわ。
「もうおれのことなんか忘れとるがだわ(=忘れているんだわ)(しくしく)」
一緒に暮らせんって言ったんはあんたやろ。
「(しくしく)」
お父さんとかばあちゃんとかに慣れとる方が、のいにとっては幸せやろ?
「うん(でもしくしく)」

わかっているのだけれどもね。

---

夜、人と会って話して思ったこと。
知り合ってあまり日は経っていないのだが(ちゃんとしゃべったことも数回しかないのだが)、そしてその人の個人的なことがらもそうは知らないのだが、ちょっと気になるというか(食べ物の好みもどうも非常に似ているようだ)、好きな人と。

「損得勘定」とか「利害関係」というコトバの意味がなんとなくわかってきた気がする。
「妥協」というコトバは今でもあまり好きではないが、「折り合い」というコトバはわかる。口にすることもないではない。
利害関係がないつきあいなんてない、と言うと、すごい計算高いようだけれど、計算は意識してやった時点で終わりのような気もするし。

先入観を持たない(目で見えるものごとを自分の目で確かめる)。
関係を間違えない(わきまえる)。
物事を複雑にしない(それでなくても複雑になっていきがち)。
されたくないことをしない(倫理ないし人品の問題)。

2002年10月26日(土)



 まどべで

朝、わたし用のパソコンに向かっていたら、目のはしでなにかが横切っていったんです。
これはきっと。
めだまをぐるりと左側に動かし、動く物体にフォーカス。

ネコ!

と、いうようなことが、しかも、1日に2回もありました。
1日2猫。その内にのいを含まず、しかもこちらから観に行ったわけでもない。
その1は、黒と茶の面積が大きい三毛猫。その2は、例の近所の白×茶トラな大人猫(りー氏いわく)。
1匹めがやってきたと聞いて、さっそく縁側のはじっこににぼしを置いていたらしいりー氏。「食べられた」と言っている。

どんどん、散歩してくれたまえ。おやつなら心配ご無用。

猫の絵をいたずら描きする。
りー氏はいつも、まず鼻と口を描いて目を描いて、それから輪郭を描く。
私は、耳を描いて輪郭を描いて目を描いて鼻と口を描く。
猫だけじゃなくて鳥なんかを描くときも、りー氏は中心部から描いていく。

出来れば、理想的には、朝は5時に起きたいのだけれど、なかなか。
(だんだん早寝になっていくだけで。)

2002年10月25日(金)



 dialogue

時系列がバラバラな日記です。
思い出すままに。

夕食は、今季初のお鍋。
鍋物というと普通はどういった趣向のものがポピュラーなのでしょうか。
りー氏の好みは、豚バラ肉、白菜、えのきだけを必ず入れ(あとの材料はどうでもいいらしい)、水炊き(昆布も何も敷かないで本当にお湯だけ)にして、甘くなくて酸味の強いポン酢で食べる、というもの。
私の実家では、動物性たんぱく質としては鱈や鮟鱇などの魚介類を用い、それから野菜やらきのこやら糸こんにゃくやらお豆腐やらを入れ、味噌かお醤油で味付けする、といったやり方がスタンダードでした。ちなみに湯豆腐の時はお豆腐だけでいろいろ入れませんでした。
鍋物は、食べている作業そのものに熱中してしまうし、食べる以外にもやるべきことはいろいろあるので(具を入れるとか様子を見るとか)、精神的にお腹がいっぱいになりがちなんだけれども、実際食べているものといえば、野菜が主だったりするので、後でお腹が空きがちです。でまたつまんだりして。お行儀が悪いですね。
今日は一緒にうどんを入れてうどんすき風にしてみました。
食べていると手のひらがぽかぽかしてきます。

尼崎から義妹と甥が帰省していて、夕方、向こうに帰る、と聞いたので、せっかくだから、車好きな甥っ子のために買ってあった地鉄バスチョロQを直接渡すことにしました(現物についてはりー氏の日記をご参照下さい。ちなみに日記中の記述「いとこ」ではなく「甥」です)。
甥はみんなにチュウをしてくれました(させたという方が正しいか)。

昨日から、のいが食べたものを吐いている、とHが言いました。
今までいちども吐いたことはなかったので、猫はわりによく吐く(「戻す」というのがより適切か)というけれど、と不安になることもなくいました。元気に動いているならさほど心配することはないのでは、と話していたのだけれど、とーーーっても心配そうなりー氏。病院に連れていかんにゃならんかのう、と。菜っぱを食べた(のを祖母が見ていた)のをそのまま戻したりとか。
その後Hから電話があり、普通にえさを食べているとのことだったので、とりあえず一段落。ちなみにこの件に関してとりわけ心配したのは、りー氏(のいの元・父)、H(のいの兄ちゃん)、父(のいの現・父。というか友達だと思われている。この人は猫が甘えるためにゴロンと倒れたのを見て「疲れているのか」と言うような人なので心配するのもさもありなんと言える)、と皆なぜか男性。

夜、メールの返事を書くのではなく、電話をする。
ネットではダメだ、メールではダメだ、声を聞かなくては、会って話さなくては、と、思う。メールで思い切って伝えられることもあるような気はするけれども。それはむしろきっかけであるより、深まりであってほしい。
以下私信風に。
かつて、手紙じゃだめだ、実際に会って話さないと、最低でも電話でなければ、と私たちの知るその人は言っていた。書き言葉に人はあらわれるような気がするなあ、と言ったら、そんなこと関係ないよとも言っていた。
少し意外なんだけれど、でもなるほどとも思えます。書いてごまかすな、ということだとすれば納得できる気がする。その人のいないところでこんな風に話をしているのだけれど、それもお見通しなのかな。今なら少しは堂々としていられる気がするのだけれど、どうだか。
残る言葉は残る。

---

夕方の仏間。
(ボケてるわ真っ暗だわ、ダメダメ写真なのですが。)



潜んでおります(この次の行動→飛びかかる)。

2002年10月24日(木)



 コワクサイ

おおわらいしたことがあったんだけれど(しかもいくつか)、忘れてしまいました。
いずれも、あまりにばかばかしすぎるりー氏の行動について、ですが。

のいは最近とても大きくなったのだが、しかし最近私の実家に行っていないりー氏にはそれを知るべくもありません。
というわけで、今日、実家に行ったら、のいの写真を撮ってきてあげよう、ということに相成りました。

「のいの写真いっぱい撮ってきてね」

はいわかりましたよ(ククク)。
# 「いっぱい」の部分にこめられているなにか。

しかし私の技術がいまひとつで、写真はどれもブレてばかり。
むーん。
「だんだんこわくさい顔になってきとる」
(だんだんなまいきな顔になってきている)
写真ののいを見てりー氏はそう言いました。

「こわくさい」というのはもちろん方言ですが、なんとも含意があるというか、複合的なニュアンスを持った言葉です(いかにも方言ならではと言えます)。
「ませた」とか「もっともらしい」「大人ぶった」とかそんな雰囲気もありそうです。小さい者ががんばって大人らしく振る舞っているというニュアンスもあります。そのアンバランスさ。
ネガティブに使えば、例えば中学の上級生が言いそうな、
「あいつ1年のくせにこわくさいじゃ」
という言い方になるでしょうし(これは生意気でむかつくというような意味の「こわくさい」)、小さい子がだんだん成長してきたなー、なんていう時にも使うことがあります。
例えば私の両親が、日々成長する孫(ひろ)のことを
「ひろもこわくさくなってきたよ」
と言う。もう赤ちゃんじゃなくなってだんだん成長してきて、小さい身体なりにいっぱしの大人ぶった言動じゃないか、という気持。

りー氏ののいに対する「こわくさい」も、両親のひろに対する「こわくさい」も、「大きい者」が「小さい者」をまもる(目で/見守る)視線なのだと思われます。

そうそう、生協で注文したイワシの開きやら、母の福井みやげのサバのへしこ(ぬか漬け)やらを袋に入れて持っていたら、のいが嗅ぎつけてきました(魚はもちろん密封してあります)。そのにおいを嗅ぐ様子ときたら、ンフンフンフンフッって、文字に書いて表せそうなくらいの(犬並みに)大きな鼻息でした。

---

業務連絡。
日記、9月29日(日)ならびに10月20日(日)を書きました。
抜けたら抜けたままでもいいかな、と思わなくもなかったけれど、なんだか書いてしまって。

2002年10月23日(水)



 うんしょ

と思いながら今日一日をのりきる。
生協の配達日なので、夜、実家に寄って品物を受け取ってから帰宅しようと思ったのだけれど、エネルギー切れ。まともな時間に夕ご飯を食べたい。
ありものでふつーの食事をする。

それでも月曜日よりはずいぶんよくて、月曜日が終わるとふっと楽になる(なった>昨日)。月曜日は非常に緊張度が高い。そして日曜の夜はとってもブルー。
おかしいねえ。

こないだ買ってきたルヴァン木のひげのパンを食べる。一緒に食べると違いがわかる。どちらもぶどうパンだが、ルヴァンのはブール型で、木のひげのは食パン型で、全粒粉が入っている。
ルヴァンのパンは実はくせがあると思う。それにしっかり焼いてある。木のひげのパンはやさしい味がする。
りー氏はルヴァンの濃い味が好きだと言った。くせがある、という意見にも同意していた。食べた次の日は尿の匂いが違うという(アスパラガスを食べた翌日の尿と同じ匂いらしい。わかる人にはわかるがわからない人にはわからない説明だろう)。

手が冷たくなる季節。
私は冷え性なのだけれど、あまりもこもこ重ね着するのが好きではない。夏も冬も、着ている枚数だけ考えれば、季節を通してあまり変わらないのではないかと思う。コットンがウールになったり、上着の下が半袖から長袖になったり、あるいはコートを着たりタイツをはいたりするようになるだけで。
タイツも買いに行かなくては。タイツタイツ。

夜、車を運転していると、グランド脇の植え込みの中にしっぽのある動物が走りこんでいった。そのグランドは人家からちょっとだけ離れた場所にある。
夜のお散歩。これはにゃーさん遠くまでお出ましで。

2002年10月22日(火)



 月曜日

仕事1→いったん帰宅→仕事2→実家へ(のいの顔を見に)→家庭教師→帰宅。

こちらが何度教えても覚えられない、というのはちょっとつらい。教える方も教えられる方も。教えられる方はどうなんだろう。つらいというかイヤなんだろうな。
英語を教えながら(数日後は中間試験だというのに全く不安な状態)、この教科書はとても面白いし、よく出来ているだろうけど、中学生にはやっぱりちょっと難しいのではないだろうか、と思う。
家庭教師としては反則なんだけど今日は少し先生への意見めいたことを言ってしまう。「すごく熱心な先生だと思うけど」との但し書きつきで。そりゃ日常的に接するのは大変ですよ。

旅の直後にまる1日働いたり移動したりしてちょっと疲れたというか、風邪気味というか、そんなわけでやや暴力的に帰ったところ、りー氏が怯える。
ばあちゃんに干し柿もらった。
「・・・おれそういうの苦手」
私だってそんなに得意じゃないよ。でもせっかくくれたんだよ?
「・・・どうせのいと会ってきたくせに」

所用のため再び富山に長期帰省中のHから電話。
たった1週間くらい会っていないだけでむっくりと大きくなったのいにびっくりしていた。いったい何を食べているのだろうか、と言う。
顔だけ小さいからなおさら大きい感じがする。

「わかった」と簡単に言ってはいけないし、「わからない」と簡単に言ってもいけないだろう。
「わかった」というより「わからない」という方が勇気が要ったりする場合はある。
「わからない」という言葉は、謙虚さから発している場合と、何かを放棄している場合と、その両方があると思う。

りー氏は私との会話の中でしばしば「わからん(=わからない)」とよく言う。
りー氏の性格からいって、あいまいなことをいい加減に答えたくはない、というところから発生している言葉だろうと考えられる。
だけどそれも程度問題。ともに生活する者としては、あまりに頻度の高い「わからん」には、非常に孤独を感じてしまう。だから私はこないだ「『わからん』禁止!!」と叫んだのであった。

誠実さをどう表現するか。

わからない、と言ってもいい。
だけど、なぜわからないのだろうか、という思いを伴わない「わからない」は、単なる思考放棄とおんなじだと思う。
興味がない、と言ってすべてを済ませられるか? 済ませられるかもしれない。でも済ませたくはない。
そして考えることがすべての免罪符でもない。

2002年10月21日(月)



 帰途

雨ふり。

午前の休憩時間、お手洗いにいたら、Tさんから「お昼に出口のところで」との旨、携帯メールが入る。やったやった。
終わるとすぐに人の動きを避けて早々に出る。

構内を白黒の猫が横切った。
(猫缶を与えている人があるとのこと。)

渋谷に出て昼食。いろいろおしゃべりする。

飛行機の時間もあるので、途中退出。
途中、ナチュラルハウスに寄って、ルヴァン木のひげのパンを買う。
自分用には、ヴェレダのハーブ入りジェルはみがき(トライアルサイズ)とラベンダーウォーター、ピカソルの焼き菓子など。ラベンダーウォーターは、一応オーデコロンなのだが、リフレッシュメントのつもりで買う。何にしても、パン2個とは大きな違い。
でも正直なところ、なにか物を買って帰っても、りー氏自身がピンとくるものでないとその後ほったらかしだったりするのだ。これは今までの経験に基づく。買って帰る側としては一応よかれと思ってしているだから(ま、押しつけと言われればそれまでだが)、無駄に悲しい気持にはなりたくないので、食べ物がいちばん無難というところに至ったというしだい。そして実はそのパンさえも結局のところは殆ど私が食べることになる。
そもそもりー氏に、旅行先でおみやげを買うという感覚が希薄だったということも一因か。

品川まで出て京急で羽田へ。
以前JRから京急への乗り換え口ではsuicaが使えなかった。しかし今回は精算窓口が出来ていて、使えるようになっていた。それにしても便利。>suica
スイカ、は「ス」にアクセントが来るのだろうけれど、語感もいい。スイッな感じをよく表していると思おう。ついでにいうとマスコットキャラクターのペンギンもかわいい。
ペンギンと言えば、昔、サントリーのCMに出ていたペンギン(松田聖子の「sweet memories」の曲とともに)が、今、北陸電力の電気温水器のCMに出ている。改めて見るとなんかあったかくていいな。
・・・要はペンギン好きなだけか。

羽田へは、早くもなくギリギリでもないちょうどいい時間に到着。
Yahoo!Cafeに初めて入ってみる。利用するためにまずカードのようなものを作る。身分証明書が必要。
日曜日の日中なのに、席はあった。カフェの場所がよくないのかも知れない。JALカウンターの目の前なので、JAL便を利用する時には都合がいい。

れいの富山出身ノーベル化学賞・田中耕一さんも、夜の東京便に搭乗されると聞いていたので、ひょっとして富山空港ですれ違うかもー、とひそかに思っていたのだが、それはなかった。
さすがに同級生だったという人は知り合いにはいないけれど、田中さんの通った中学の後輩だとか、高校の先輩とかいう人は身近にもいる。このへん、田舎(といってもエリアは富山市とその近郊に限られるが)ならでは。

というわけで無事帰宅。

2002年10月20日(日)



 小さい買い物

まえがき(10月22日記す)
りー氏に「日記さぼっとるな(さぼっているな)」と言われたが、君に言われたくはないぞうさん。

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早稲田からバスに乗って神宮前に出る。電車じゃなくて車に乗るとその街のつくりがよくわかる。
お店の前でたくさんの人が順番待ちをしていた。

ラフォーレの中のF.O.B.CO-OPが好きで、原宿近辺で時間調整をする時など、たいてい入る。少しのどがかわいたのでペリエを頼む。
雑貨部門じたいは売場のスペースが小さくなっていたようだ。しかし広尾のお店だって決して広いとは言えない。それはそれで落ち着いていたりして。

紀ノ国屋にちらっと寄る。
品物を包んでもらっているあいだに、カード類を物色。猫が描いてあるハロウィンカードを2枚買う。

所用の前に、知り合いが青山の文房具屋さんで働いているので、たずねてみる。手みやげにはさっき買ったジャーマンアップルパイ(瑞穂@隠田商店街の豆大福とどっちにしようか迷った)。
彼女はもともと友人のお嬢さんで、高校生の頃から知っている(私も大学生だった)。わりと最近になって、ひょんなことから個人的にメールをやりとりするようになった。
こちらの都合でゆっくり話す時間もなかったが、せっかくなのでお買い物をする。ガチャック(小さいの)と、「速達」のシャチハタスタンプ(本当はあんまり速達印を押さないようにしたいけどね・・)
2割引にしてもらった。わあい。
文房具屋さんの場所は青山学院の真正面、デザイン系事務所がおおい場所柄か、実にマニアックな文具がいろいろ置いてある。文具・ガジェット好きとしては、店内をいろいろ見るだけで楽しい。見る、というより、見つけるの感がつよい。これはいったいなんなんだ?と、くまなく。

2002年10月19日(土)



 natsukasi

富山は晴れていたのに、東京は曇天だった。小雨はやんでいた。
お昼前に着いたのだけれど曇り空のせいで夕方のように見えた。雲が切れて湾岸が見えて羽田にランディングした瞬間、ただいま、という気持になってしまった。
富山は私の生まれ育った場所だけれど、本当のことをいうと時々疲れる。
生活している証拠でもあるのだが。

まあそれはさておき。

本郷に行って所用。思ったより早く終了。
このへんも久しぶりに行ったら、いろいろ変わっていた。地下鉄の改札がきれいになっていたし(いつぶりなんだ)。
額縁屋さんがあって、行くといつも素通りは出来ないお店なのだが(なぜならカードをいろいろ売っているから)、このお店も立派なビルに建て変わっていた。今回もやっぱり素通り出来ずに数枚買う。
それからおみやげ用に甘食やパンなどを買う。

今回はホテル泊なのでチェックイン。
そのまま国立へ。

高寺さんの展覧会をふたたび見る。
芳名帳には知った名前もいろいろ。(Nさん書いて欲しかったよー!>私信)
お祝いなどいろいろ選ぶ。
こういう時間はすぐに過ぎる。

2002年10月18日(金)



 こころもち

味の素からアジアめんシリーズというのが出たというので、そのうちの一品、トムヤム麺を食べてみました。具はやはりエビがベストなのですが、今日はエビ苦手の私を立ててもらって、にらたま風で(実はにらたまも別に作ったんですが。りー氏が)。
肝腎のお味はといえば、あの辛くて酸っぱい本格的トムヤムクンを想像しているとちょっと違うかも知れません。いや、確かにトムヤムクン風味なんですが、もっとうまみのほうがまさっているというか、かどがなく、マイルドです。もし刺激的な味がよければ、向こうのインスタント麺を買うのがいちばんでしょう。いつだったか日清カップヌードルのタイバージョンを食べたことがありますが、あれは本当に辛かったし・・・まあ万人受けするとはそういうことでしょう。
お米でできた平たい麺がなかなかおいしかったです。インスタント麺はたいがい油で揚げてありますが、これは乾燥させてあるようで、しかも小麦粉の麺とは違った軽さがあって(ひょっとすると軽すぎるのかも知れないけど)いい感じです。
同じシリーズで他にも2種類あるので、いずれそれらも試してみたいと思っています。

浅野ゆう子の「セクシー・バスストップ」と、松本伊代の「チャイニーズ・キッス」は、出だしがそっくりではないか。
単に、両方とも、最初の3小節くらい(だけ)がいわゆるヨナ抜き音階で、オリエンタルな感じに聞こえるというだけですが(その後の展開によってちゃんと違う曲になっていく)。惜しむらくは今やどちらもそうは聴く機会のないだろう曲であること。誰に言えば納得してくれるだろうか(あるいは「えー」と一蹴されるだろうか)。手軽に比べようもありません。

今日はHの誕生日。
午年の年男の24歳。おめでとう(見てないけど)。
この、下の弟とは7歳違い(学年でいうと8つ)なので、生まれた時とか子供の頃のことなんかも、よく覚えています。

明日は就航後初めてJAL富山便に搭乗の予定。

2002年10月17日(木)



 du jour

−−本日の

その1。買い物。
九州行きのチケット。
行きは飛行機。帰りはいい具合にチケットが取れなかったので、のぞみ+サンダーバードで。
叔母の家から長崎へ2往復する予定なので(そのうち1日は泊まり。なぜ連泊しないかというと、叔母のつくる料理を食べたいから。味や材料の取り合わせや量のバランスがすごーく好み)、長崎・佐賀周遊券もセットで買う。区間内は特急の自由席が乗り放題。その都度切符を買う手間も省けるし、たいへん好都合。
チケット関連はすべてクリア。

その2。アリガトウ。
プラスチックのメガネフレームの、ちょうつがいの部分が曲がってしまった(お行儀がわるかったので)。
とりあえず作ったお店に電話して聞いてみたが、修理に出す場合、2週間はかかると言われて(そりゃそうだろうな、作った時も即日渡しじゃなかったもの。お安いだけある)、気の長い話だと思い、K羽のHシヅメ眼鏡院に電話してみる。するととりあえず持ってきてみてくださいと言われる。あそこならちゃんと技術を持った人がいるだろうから、いくらなんでも2週間っていうことはあるまい。早速行ってみる。
先ほどお電話でお尋ねした者ですが、と言って、差し出すと、すぐに修理してくれた。こぶ茶も出てきた。時計や貴金属も扱っているお店なので、そういえば腕時計のベルトがはずれたままだな、と思いだし、替えのベルトなどチェックする。
修理完了。サービスとのことで、お代はなし。
近日中に、ベルト交換に来ます。

その3。ほええ。
なるにはBOOKS」って、ぺりかん社の本だったんだあ。
小学生中学生くらいの時に借りたなー図書館で。
意外、というか、びっくり。

2002年10月16日(水)



 ごちん

Pさんによれば、猫がおでこをごちんとぶつけてくるのは愛情表現らしい。
今日、実家に行った時に、改めてのいの行動を観察してみると、おお、ごちんごちんしてくるぞ! ごちんごちんごちん。

と、りー氏に報告すると、
「うそだね。敵がきたからやっつけろ、と思っとるんやろ」
妬いとるな。
仮にそうだとしても。ごちんでやっつけられる敵って。

Hより、無事運転免許試験にパスとのメール(大阪にて)。
市内電車が走る富山(富山市・高岡市など)では、筆記試験に必ずといっていいほど安全地帯(路上のシマシマ)関連の問題が出るらしい。少なくとも自動車学校の模擬試験問題には頻出したと思う。
私は東京都で受験したのでそんな問題は出なかったけれど、ひょっとすると問題にも地方色があったりするのかも知れない(原則的にはあってはならないのだろうけれども)。

『寺田寅彦随筆集』第1巻(岩波文庫)。
今日はわりと本を買ったのだけれど、その中の1冊。家から2番目に近い本屋さんにはこの巻のみあったので1冊だけ買う。まだ少ししか読んでいない。
寺田寅彦の文章は高校の現代国語の教科書に載っていた。科学者はあんまり利口すぎない方がいいというような話。疑問を持つからこそ発見ができる、というようなことが書いてあった。文庫の全5巻に全ての文章が入っているわけではないが、有名なものであれば読んでいるうちに出どころがわかるだろう。

昼はフェーン現象で27℃。
夕方は雨と雷。いなびかりが走っていた。

2002年10月15日(火)



 振替休日/業務連絡

お休み。早起きしていろいろ。
毎日がこんな感じだったらいいな。静かで、落ち着いて。
だけど図書館がお休みなのは困るな。

そういえばこないだ、久しぶりに県立図書館に行ったら、夏から初秋にかけてあったまに来るくらい混んでいた閲覧室が、おかしいくらいにがらがらだった。
平日だったし(日曜日に行ったら普通に人がいたから)。

ふと、ほとんど利用したことのない(でもブックマークはしてある)青空文庫に行って、寺田寅彦が猫について書いた文章をいくつか見てみた。
見るだけでなく読んでもよかったのだが、これは本のページをめくって読みたい文章だなと思ってやめた。明日、本屋さんでさがしてみよう。

本というかたちが好きだということもあるが、この種の文章を横書きで読むことへの抵抗感もあったともいえる。もっとも、こんなのはタチの悪い難癖で、縦書きでプリントアウトすればいいだけの話だ。電子テキストこそが役に立つということはあるものだ(調べ物などをするのに)。要はその使い分け。
使い分けができるならこんなにいいことはない。

横書きは日本語の速読にも向いていないのではないか。いや、これは気のせいかもしれない。しかし、少なくとも日本語を書くことに関しては、たぶん縦書きの方が速くたくさんの文字を書くことが出来るだろう。それから上手に書くことも。なんといってもひらがなの形は縦のつながりにうまく対応している。よく出来ている。横書きだとそのつながりが、一文字一文字、ぶつりぶつりと切れるわけだ。
と言いつつ、私もかなり横書き度が高くなってしまっているのだけれども。

りー氏と一緒に近所の猫を見に行く。
茶トラ1が塀の上で箱座り、茶トラ2・白黒・サビが納屋の中に。
途中、そのお家のおばあちゃんとおぼしき人が、もんぺ姿で登場。ちらりとこちらを見るので、猫ちゃん見せてもらってます、と言う。
続けてりー氏が「ここのうちで飼っておられるのですか」と聞くも、聞こえなかったらしく、無視される。私の言葉も聞こえていたかどうか、あやしい。
私はおとなしくにこにこ見ているが、りー氏の出で立ちは見るからにあやしいし、その富山弁もあやしいし。まるで〈李下に冠を正し、瓜田に履を納る〉といった感あり(ひどい言いよう)。

はがきを書いたのに投函していない。

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高寺めぐみ絵画展の会期が延長になりました。
↑リンク先で展示の様子を見ることができます。
週末は東京出張なので、金曜日の夕方か夜にでも会場にふたたび行ければと思っています。

2002年10月14日(月)



 連休

GetWellSoonの吉田さんが出ているとのことで、クウネルを買う。
今出ているのが2号。1号のほうも見ていたが、その時は、言いたいことはわかるけれどすごくしっくりぴったりというわけでもなくて、買うまでには至らなかった。
とりあえず本屋さんに行って、ぱらぱらと立ち読みをしてみたら、あら、という記事が他にもあったりもして、買うことにした。

帰宅してからちゃんとページをめくってみると、あら、だけじゃなくて、あらあらあら・・・だった。
具体的には、
・星ヶ丘の洋裁学校のなかのカフェ(ずっと気になっていた)
・庄野潤三インタビュー
・盛岡への旅
などの記事に、とりわけ心ひかれた。
庄野潤三インタビューは、文芸誌ではまず考えられない雰囲気のもので、庄野さんの小説の持つ風合いとも共通していると思う。
# なので、お好きな人は(といっても、2人くらいしか思いつかない)、ぜひ、チェックしてみてください。
星ヶ丘の洋裁学校カフェについては、写真を見てりー氏も、「なんだこれは」と気になる様子だった(めずらしく意見が一致)。
盛岡はたぶん田舎なんだろう(知人@盛岡在住が言っているくらいだからそうなんだろう)。でもパン屋さんの店先の写真などを見たら行きたくなったのだ。何の先入観もなしに。

ちょっと気になる記事や写真もあったけれど(慣習の違いといってしまえばそれまで)。
anan別冊、とあるけれど、ananよりも、むしろ、かつてoliveを読んでいた人たちに向けられているような気がする。そして今のoliveよりもっとおっとり(のんきということでもないのだが)しているような。spoonよりもっと大人っぽいのかな。

長崎行きのガイドブックもぱらぱら。
知らない街に行くときは、まず地図を見て、全体の様子をつかむ。
孔子廟、博物館関係、出島・・・海外交渉史にテーマをしぼるか(と言いつつ勉強不足)。
天主堂も見てみたい。
猫にだって会いたい。

祖母の誕生日だったので実家に電話をかけると、祖母は昨日から叔母の家に行っているとのことだった。じゃあまたばあちゃんには今度改めて、ということで、しばらく母と話す。甥っ子とのいのこと。

うれしいニュースは、甥っ子がしゃべるようになったこと。
なかなか言葉が出なくて、ちょっと心配だったのだ。でも、大人の言っていることはわかっているようだし、何かきっかけがつかめないでいるのかもね、と、ずっと見守っていたところだった。

のいには、今日、おもちゃを買いに行ったらしい。
日中はもっぱら祖母と過ごしているが、連休は両親が家にいる。するとやんちゃはおさまって、とってもいい子にしているとのこと。甘えられる誰か(特に母)と一緒にいると、心が落ち着く、ということか。
「のいの兄ちゃん」Hは、このあいだ大阪に帰ったが、帰る前の日には何かを察したのか、ずっとHにくっついて離れなかったという。

さっそく甥っ子のところに電話をかける。
私の発する単語を一所懸命大きな声で繰り返す。マ(ン)マ。ニャーニャ。ワンワン。パ(ッ)パ。

Cちゃん(義妹)といろいろ話す。
考えてみると私は小姑なのだが、そして私の両親は彼女にとって舅であり姑であるのだが、*そういった問題*も含めて、いろいろと話す。
とくに今日は、より近しい気持で話が出来たかも。

2002年10月13日(日)



 折衝

どんな日だったかといえば、つまりはそんな日。

夕方、30分くらいのあいだに、とっても消耗した。
憮然あるいは唖然とするような、憤りたくなるような、悲しくなるような、むなしくなるような、そんなやりとりをした。
客観的判断を求めたいとき私は、その都度りー氏に顛末を話して、コメントを求める。この人は基本的にフェアで、しかもほんっとに容赦がないから(四角四面というわけではない)、傷はなめてくれないが、自分を省みるにはいい。
私は悪いか?
「全く悪くない、とは言えない。向こうの言い分もわかるところはある。でも(別のことに関しては)確かに向こうの対応はどうかと思う部分もある」
何でもそういうものだろう。どちらかだけが悪いということはない。

今日、私は、自分の気持をまげなかった。それは、絶対、まげたくない理由があったからだ。
だけど連休が明けて再びその場に行ったら、今度は少しあやまりたいと思う。そして、感謝したいと思う。
私はいさかいが本当に嫌いだ。ほとんど怖いといってもよい。と言いつつ交渉事は下手ではないたちなのかも知れないが。
なんだか、へろへろで、わらってしまう。

消耗感のわりに思いのほか高くついた飲み会とか(!)、小銭入れ(あまり入っていない)をお店に忘れたとか(明日で取りに行かなくては)、少し言葉を選ばなくてはいけないメールの返事とか。くたり。
けど、それはそれ。あまり考えないようにしよう。
いちいちすべての場面でたたかわなくてもいいだろう。無理をする必要もないだろうし。

それにしても、酔っぱらってタクシーに乗ったらどうして運転手さんに話しかけたくなるのか。

気を取り直して。こんな時は猫。

昨日の日記をアップするなり、近所の猫について、りー氏より指摘ならびに推察あり。
・お母さんは「お父さん」ではないか(少なくともメスではない)。
・一昨日奥の方で顔だけ覗かせていて昨日は姿を見せていない三毛猫、がお母さんではないか。
# ということは、なにかい、彼らはファミリーで生活しているのか? すてきだ!
 (どうも外に出ている猫というと、母猫+子猫という組み合わせで考えてしまう)。
・お父さん(であると仮定して)のしっぽは短いが、子猫たち(のいより1〜2ヶ月若いか)のしっぽは見事に長い。さすがに、のいのきょうだい、とまではいわないが、近い関係にあるのはないか。
# 司馬○太郎ばりの大胆な推理(すみません>好きな方)。

ちなみにお地蔵さんの隣りの家と、その向かいにあたるお地蔵さんの角の家、両方に猫がいる。角の家の猫は、しっぽの長い、白ベース、しっぽ他がちょっと茶トラ。

さらに、夜中、なんだかぐったり疲れて、りー氏の運転で帰る車中。
今日は猫、見られんかった(=見ることができなかった)。
「おれ見たもんね。写真も撮ったもんね」
えーいいなー。
「しかも小学生と話して新情報を仕入れた」
なになに?
「猫は全部で8匹おるらしい」
どうも茶トラが2匹いるらしい。

明日は猫に会いに行こう。

2002年10月11日(金)



 ひきつづき

久しぶりの晴れ。
なんとなく雲もくもく気味。夏でもないのに。
やや汗ばむくらい。なんだか久しぶりな気がする。

来週末の東京行きのエアチケット+ホテル2泊プランを予約する。このところいつも行っている駅の旅行代理店にて。予約期限ギリギリの申し込み。
最初おねがいしたおじさん(というと失礼ですが)が、なかなか要領を得なくて(10月1日から予約システムが変わったとかで)、私がやる!パスワード教えて!と言いかねないくらい、ちょっとイライラしてしまった。いかんいかん。
結局、全日空のツアーは帰りのチケットが取れなかった。日曜の東京→富山便だから、十分あり得る話だ。さてどうする、と思い、いったん帰宅して、もろもろ確認してみる。その結果、代替案として出されたJALのツアーでもまあよいだろうと判断して(JALは1日2往復しかない)、改めて電話してそちらでお願いする。
ラッキーなことに今度は予約が取れた。
たぶん来月初めの九州行きもこの代理店でお願いするだろう。

夕方、Hとお茶@犬カフェ。途中でりー氏合流。
その後Hを実家に送り、帰宅。
夜、Oさんとお茶。ドイツから届いたというハーブティー(Oさん曰く「小袋に分けていたら『魔女みたーい』と思った」、Oさんちの地元・紅屋のドーナツ(生地が甘くなくて密度も高い)をたくさん、それからお手紙などをいただく。

そこにいなくてもりー氏の話は出る。

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猫に関する印象批評的一考察。
昨日の親子(と思しき)猫。思いっきり期待しながら例の場所を通る。
おお! みんなひなたぼっこしている!
今度も車だったので、いったん帰宅して、カメラを持ってまたいそいそと戻る。

みんな、と言っても、正しくは5匹で、昨日もいちばん引っ込み思案ふうだった猫は、どこかにいってしまったのか、姿が見えない。しかし、それ以外の5匹は、ガレージ近辺にごろん。子猫4匹が点在していて、(たぶん)母猫が一歩奥のほうから見守るような位置にいる。

子猫の毛色は、茶トラ・白×茶トラ・黒茶サビ(=まだら模様)・白×黒の4種類。お母さんは白×茶トラ。
茶トラ・白×茶トラ・黒茶サビ・白黒の順で人見知り度が増していくといった感じ。道ばたにいる私からの距離も離れている。お母さんは、へつらうことなく堂々としつつ、こちらにも目配りをしているという感じ。
私が行くと、だいたい、茶トラが最初に動き出して、次にお母さんが動く。やや前後して白×茶トラが動いて、この3匹はかたまりのようになって座ったりもする。3匹が動き出すと、黒茶サビもようよう、そろ、そろ、と、少し動いてみたりする(先発隊の3匹に支えられ、自分も勇気を出してがんばっている、というように見える)。その間、白黒はほとんどじっと箱座りをしている。
毛色によって猫の性格は違うという人もあるようだ。トラ猫のように保護色になる毛色の猫は比較的人なつっこいが、白や黒といった保護色にならない毛色の猫は、慣れるまでに時間がかかる、とか。さてどうなんだろう。

いま具体的に思い当たるその他の猫たち。
●白×黒
・Qちゃん@Pさんち:ネットでお見かけする限りとっても人見知りさんなもよう。
●白×キジトラ
・海さん@Kさんち:とても人懐こいらしい。りー氏は実際に遊んだことがあるし、私も電話越しに「にゃおうん」という鳴き声を聞いた。
●白
・月さん@同上Kさんち:
りー氏が2泊させて頂いた間、結局いちども姿を見せることはなかった(くらいに人見知り)らしい。
●サバトラ
・J@FJ夫妻:人懐こい。人を見分けているようだ。
・ルーク@犬カフェ:お客さんの膝にも堂々とどっかり。人懐こい、が、マイペースでもある。
●茶トラ
・のい:やんちゃ。人と一緒にいるのが好き(遊ぶにせよ寝るにせよ)。

今日はその茶トラにも会った。
さいきん、縦方向に伸びる動きが多い。まるで2本足で立つかのように。足腰が強くなってきているのか。
つめを切ってやる。

2002年10月10日(木)



 いろいろ/近所の猫

やっと重い腰を上げて、机の上と、棚の中を整理する。たくさんの書類を処分した。
それにしても、まあどうしてこう書類というのは溜まるのだろう。
# すぐに整理しておかないから。
窓際の使い方を工夫して整理すると、もっと使いよくなるはず。

自動車学校の卒業検定に合格したよ、とTからメール。
お祝いに茶でも飲もう。

久しぶりに読むための本を借りる。
最近、書物を、linearではなくfragmentaryな捉え方で見るようになった気がしてならない。よくない。必要だから見る、のではなく、読みたくて読む、でありたいのに。
長編小説をしばらく読んでいないということかも知れない。読みはじめてしまうと没頭してしまうから。

夜、りー氏がいなかったので、というわけではないが、久しぶりに長電話をした。

ノーベル化学賞受賞者は地元出身者、というので、新聞の号外が出るなどして、たぶんちょっと盛り上がっている富山(市近辺)。知り合いだ、という人には会っていないけれど、同窓だという人なら容易にみつけることができる。確かに誇らしいだろう。
それにしても(化学のことはわからないけれど)これはいい受賞だ。こういう受賞者が地元から出るのは、渋くていいねと、話す。

明日発売(1日早く店に並んでいた)の地元雑誌を見たら、温泉特集をやっていた。
黒部峡谷沿いの秘湯ルポというのもあった。ははあ、これが、Kさん(美人)が突然間接的に(編集者の知り合いから)モデルを頼まれたけど断ったという企画だな、と眺める。
さらに進むと、「街でみかけたおしゃれさん」的なページに、知り合いの名前があった。あら、と思いつつ肝腎の写真を見ると、いつもの雰囲気と全然違っていて(メイクをばっちりしていたので)、ちょっとわからなかった(これは共通の知り合いであるりー氏も同意見)。名前があったからわかったようなものだ。たぶん、これも、街でたまたま遭遇したというより、来てもらったというところなのだろう。
狭いのだ。

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猫の親子(たぶん)に会った。
車で家に帰る途中、お地蔵さんの隣りの家の前に、中学生の女の子たちがたむろしていた。なんだろう、と見ると、大小の猫が何匹もいた。

車を止めるのは迷惑だから、いったん家に帰って、家にいたりー氏に声をかけて、歩いて行った。デジカメをズボンのポケットに入れ、ちりめんじゃこを持って出るりー氏。
−−ちりめんじゃこじゃなくて猫用にぼし(塩分控えめ)があるから。
# 猫は塩分を控えた方がいいとされている。
  少量で濃い尿をする猫は、腎臓結石を起こしやすい。

さっきの場所に行くと、女の子たちが給食の残りの食パンをやっていた。私たちもしゃがんだりして猫に近づく。
りー氏はデジカメにカードを入れていなかったことに気づき、いったん家にもどる(取って来れば、と私が言った)。

一番人慣れしている大人の猫は、たぶん母猫だろう。このへんでたまに見かけたことのある白と茶トラのぶち猫だと思われる。他に、茶トラの子猫が積極的だ。白と茶トラの子猫も、様子を窺いつつ、ソロソロという感じ。その奥に、黒と茶のまだらな子猫、白黒猫、いちばん奥には、子猫たちよりはちょっと大きい感じに見えるぶち猫(三毛か?)。これは、ガレージからちょっと顔を出しているだけなので、全体がわからない。
最初わたしは、なんとなくこの母猫がのいのおかあさんではないかと想像していたのだが(家も近いし、茶が入っているし)、子供たちも揃ったところでよくよく見てみると、のいとは全然似ているように見えない。ここにいる大小の猫たちは、たぶん親子だろうから、確かに似ているようだけれども。

私の持っているにぼしの袋のにおいを嗅いで、母猫と茶トラ子猫が近づいてきた。とりあえず右手の人差し指を差し出して、あいさつする(いわゆる鼻ツン:鼻と鼻とくっつけるかわりに、猫が私の指に鼻をくっつけてくる。ちなみに、のいにはいつも直接鼻ツンをしている)。子猫は私の指を甘噛みさえする。そのうち、とうとうにおいにがまんできなくなったのか、にゃあ! と子猫が鳴いた。つづいて、母猫も少し強めの声で鳴いた。
えさで猫に近づくのは本質的には反則なのかも、と思いつつ、鳴かれると弱い。

私はしゃがんで猫と遊んでいた。

そのうち、小学生の女の子たちがやってきて、わーかわいい!きゃー! という感じで、容赦なくスピーディな動きで猫に近づいてきたので、猫たちはびっくりしてガレージの中に入っていってしまった。
それで私たちも家に帰った。

のいは来月になったら手術をする予定だ。
オス猫だから子猫を生むわけではないけれど、のいの子供だったら、きっと、とってもかわいいだろうなあ、と猫バカな元・母さんは思う。いつか猫を飼うことが出来るようになったら、子猫の時から一緒に過ごしたいけれど、しかものいの子供たちだったら言うことなしだよなあ、と、あれこれ想像だけはしてみる。
今日の子猫たちは、家に来た時ののいよりも大きかった。あんな風に、おかあさんやきょうだいといっしょにいたこともあったのだろう。でもそんな時分ののいを私たちは知らない。
のいは覚えているのか? 忘れちゃったのか? 
考えるといつも、とても不思議な気持になるのだ。

2002年10月09日(水)



 見解の相違

文具店(BックスNかだ文具部門)でコピー取りをして、久しぶりに近所のカフェで一服した。
ポストカードを数通書く。
ハガキはいつも書ける部分にいっぱいいっぱい書いてしまう。老眼が入ってきた友人宛てにはちょっとだけ大きめの字で書く(でもすぐにまた小さくなってしまう)。
しかし結局今日は投函しなかった。

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実家に行く。
日が落ちると猫は戦闘態勢に入っていた。
あんまり甘えてくれなかった。
∩←こんな形になって飛び跳ねる。∩ ∩ ∩ ∩
そんなに警戒するなよ〜

夜、ししゃもを焼く。
ししゃもって、なんか朝ご飯みたいで(といいつつ、私は朝ご飯を食べなくなって久しいけれど)、とりー氏に言うと、「そうか? おれは居酒屋って感じがする」と言われた。どうなんだ?
まあ別にいい。朝ご飯は食べないくせに、朝ご飯的なメニューは大好きだから(トーストとかだし巻き卵とか)。

おつゆの具はじゅんさいにしてみたのだが、これが、だしを濃くとらなかったのと、水気をしっかりきらなかったために、いつもの調子で味噌を入れてもえらく水っぽいままで、仕方がないからまずは味噌の量を増やしてみたのだけどやっぱり決まらなくて、ほ○だし(頂き物)をちょっと入れてみて、まあ、いいか、くらいなところに落ち着けた(むりやり)。
いつもよりたくさん味噌が入っているから、おつゆの見た目も明らかに茶色っぽい。まあ、温かいうちに飲めば、かろうじて気にならないかも知れないが、それにしてもがっくり。基本的なもの(ごはん−−は失敗したことはないけれど−−味噌汁のたぐい)を失敗すると、がっくり度は非常に高い。ダメダメ感いっぱいである。
りー氏はいわゆる「三角食べ」をしない人なので(おかずはおかず、ごはんはごはん、おつゆはおつゆ、といった具合)、冷めたおつゆを飲んでいた。
冷めたらしょっぱいと思うよ。やめなさい。残しなさい。
「しょっぱー」
と言いつつ飲み干すりー氏。
「あーすっきりした! こうでないと!」
今日ほどに塩辛い方がいいらしい。
はてさてなんぎやのうー(お互いに)。

2002年10月08日(火)



 始動

傘を置き忘れたら困るな、と思って、手のひらに「かさ」と書いておいたが、やっぱり忘れてわざわざ取りに戻った。
ネガティブなことをふと思ったら、はたしてその通りになってしま5ったということは何度かある。服にコーヒーをこぼすとか(2回)、溝に鍵を落としそうになるとか(これはすんでの所でセーフだった)。

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話をわかりやすくするために、もののたとえを使うことがある。
しかし、たとえた話が相手にわかるものでなければ、あまり効果はない。
「岡崎京子のマンガが引用にみちみちているように」というたとえは、5年10年前ならいざ知らず、今はどうなんだろうか。

「模倣」の基本には尊敬(オマージュ、あるいはリスペクト)の気持があるのだ、ということ。
オリジナルであることが大前提とされるのは、近代的発想であること。
(過去に行われた引用や模倣のいろいろを、現在ともすれば「模倣=悪」と裁断してしまいがちなのは、過去と現在では「模倣」の〈位置付け〉が異なる点に原因がある)
ある作品(たとえば古典と呼ばれるようなもの)からの引用であり(尊敬の念からの)模倣であると認識するためには、作品の受け手にも一定の情報や知識が必要とされる。しかし残念ながら現在では、必ずしも「作り手の知識=受け手の知識」ではない(逆に、かつては両者の知識や情報がきわめてイコールに近い時代があったとも言える)。
ということで、現代では、「模倣」ではなく「パクリ」としかいいようのない作品が乱造される(卑近な例では、フラ○フラ○の家具とか、もろもろの楽曲とか)。
# もっとも、「パクリ」も「元ネタ」のブランド性に貢献しているとはいえる。
## 著作権の保護というのも、「性善説」的尊敬の念が(受け手の怠惰により、あるいは、抗うことの出来ない情報過多により)失われた結果なのか。

などと、車中にてりー氏といろいろ話す。

politenessは、なんにせよ、大事だ。

哲学は諸学の礎だ、と、今更気づいたりして。
(人にただ言われてもだめで、自分で経験しないと納得できないから、要領はわるい。でも最近は人の話も聞くことができるようになった。そうか、単純にありがたみが理解できなかったのか。嫌だわー)

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地球!ふしぎ大自然で、ウォンバットの特集をやっていた。
T(上の弟)からオーストラリアみやげにウォンバットのぬいぐるみをもらったことがある。映像で観るのは初めてだ。小さいクマのようにずんぐりとしている。かなりいいぞ(何がどういいのだ)。

番組を観ると、彼らの行動は「一所懸命せっせと穴を掘る」と「草を食べる」の2つに集約されているように思われる。
りー氏を呼ぶ。
「だらっぽい〜」

のいと出会ってはじめて、動物(人間以外の)に目が行くようになった気がする。苦手ではないけれど(親愛の情もそれなりあるけれど)、今から思えば、リアリティはなかったのかも知れない。
実家でセキセイインコやハムスターを飼ったことはあったけれど、それは「家」で飼っていたというべきで、私が責任を負うていたかというと、自覚に乏しい。

大家さんからさといもをもらった。

2002年10月07日(月)



 秋の空

晴れたり雨が降ったり風がふいたり。

ノートPCの方のメールソフトを、デスクトップPCで使っているのと同じBecky!に変えた。
それまで、outl○ok(仮名になっていない)を使っていたのだが、何度かメールが文字化けしていると言われたことがあったのだ(textで打っているにも関わらず)。
すっきり。
ただし、ノートPCに入っているBecky!は、デスクトップPCの中のBecky!よりも、新しいバージョンのものなので、アイコンなど、ちょっとだけ違う。だからまだ慣れてはいない。

再来週末の東京行きに備え、旅行代理店でツアーパンフレット(ビジネス用)をもらってくる。その2週間先の九州行きのためのパンフレット(これもビジネスプラン)も。
出かけるのは楽しいが、せっかく出来た流れを絶たれるようなところもある(それは私の意思薄弱によるところ大なのだけど)。

さて明日からまた早起き。





2002年10月06日(日)



 秋三題

朝、晴れた空。
出がけに、「シーツとか洗濯しておいてくれてもいいよー」と大声でひとりごちつつ行って、帰ってきたら、掛け布団カバーとシーツと枕カバーが干してあった。
ややシワシワ気味なのには目をつむろう、このさい。

昼、のい。
やっぱり母にいちばん甘えているのいは、出かけるしたくをする「おかあさん」の足元で、おなかをみせてごろんと横たわる。これはたぶん「遊ンデー」のしるし。
横たわったのいを見て父は「疲れとるんじゃないのか」と言った。心配性も極端までいくと笑えるが、しかし、父らしい。
母が準備を終えるまで寝室のドアの前で座って待っている。
階段を下りようとする行く手をはばむ。これは「遊ンデー」と「行ッタラ嫌ー」のミックスと解すべきだろう。
父も母も祖母もHもみんないるので、のいはおしゃべりだ。大きくなったねえ、と体重計に乗せると重さ3圈人間の赤ちゃんほどの重さ。
母は「こないだ、かぶ(蕪)を持ったとき」と、のいと蕪の重さ大きさとを比較していた。

Nさんは、のいの写真を見て、「秋色」だと言ってくれた。

実家でいちじくと梨をもらう。

夜、栗ごはん。
皮をむいた栗と米の割合を1対1にして炊く。確か去年も割合は同じだったと思うのだけれど、りー氏はもっと栗がたくさん入っている方がいいとのこと。
以前読んだ本に「栗ごはんは、食べているときにちょっと栗に当たるくらいの感じがちょうどいい」とあった。ゴロンゴロンなのがいい私は、ふうん、まあ、そっちの方が品はいいのかも、と思った。私ははっきりごろごろ入ってる方がいいな、とも。
家で作るのだし、食べたいように作ろう。だから敢えて2つ割にもしないで炊く。炊きあがったらいやでも実は崩れる。ごはんの中に栗が埋もれているのではなくて、栗にたくさんのごはん粒がくっついているくらいの感じがいいな。って、それじゃ「いい蒸し」だ。
栗そのものの味と食感を楽しみたいので、酒も入れず、出汁も取らず、ただ、塩だけ入れて炊く。
まめごはんは好きじゃないりー氏も、栗ごはんはおかわりして食べた(おかずが少なかったという説もあり)。

2002年10月05日(土)



 気分を変えて

髪を切りに行った。
少し軽くする程度のマイナーチェンジ。

久しぶりに雑誌のいろいろを購入。

▼小川後楽「NHK人間講座 茶の文化史〜喫茶のはじまりから煎茶へ」(日本放送出版協会)
昔、京都の古美術店で、平たい桃のかたちをした金属製の煎茶器を見かけたことがある。桃の中にお茶の葉っぱとお湯が入るつくり(いったいどんな風に入るのか謎)。大きさはちょうど手のひらくらいで、少し赤っぽいような薄い金属でつくられた、とても瀟洒なもだった。

▼ユリイカ10月特別増刊号「総特集 矢川澄子・不滅の少女」(青土社)
うーん、なんというか、一種独特の仕上がり。「噂の真相」的な読み方をしてはいけません。
いま、矢川澄子が好きかといえばどうだろうかという気もするけれど、でも、買わずにはいられなかった。それは確か。

▼「BRUTUS」2002/10/15号(東京ホテル戦争!)
表紙はしりあがり寿。

▼「ELLE a table」2002/11号
そのまま実用に供すというよりも、食材の組み合わせのヒントを得ることが多い雑誌。

田中康夫の旧作(小説・エッセイ)を読み直したくなる。しかし手元には殆どない(図書館で借りて呼んでいたので)。
田中康夫(の小説)は嫌いじゃない、というかむしろ好き、というとほぼ引かれるのですが(読んでから引いて)。

つまり、ちょっと逃避モード。

Nさんからメール。

髪を切りにいったついでに、街なかの猫スポットをチェックしに行ったが、*誰も*いなかった。
そのかわり、近所のお地蔵さんの角の家で、白と茶の猫(ひそかにのいの母さんだと睨んでいるが、どうか)が寝そべっていた。ほっ。

りー氏は風邪気味(うつるまいぞ)。

2002年10月04日(金)



 だらりだらり

コーンポタージュ(昨日ののこり)と長ねぎと卵のチャーハンとキュウリとくらげの中華風あえもの(以上ありもので)、というわけのわからない夕食。

テレビで、たまたま「世にも奇妙な物語」を観るともなく観る。
終わりの3話くらいを観ていて(全部で何話やっていたのか知らない)、そのうちの2話が、なんというか(主人公にとって)えげつなく救いのない話で、観ていていやな気持になった。
ハッピーエンドである必要もないと思う。フランス映画なんて救いようがないのばっかりだし。だけど、もう少し余韻があるというか、観る側にあれこれと想像させる部分がある気がする。今日の2話は、あまりにもあからさますぎるように思えた。だから嫌だったのかも知れない。
これが映像でなく活字(小説)であれば、もう少し隠微な表現として含みを持たせるかたちで伝わったのだろうか。映像であっても、映画よりテレビの方が直裁な気がする。もちろん、それは長所でもあるだろう。スピード感みたいなものも含めて。
後味が悪い、と言ったら、「じゃあ観なければいい」とりー氏は言った。そりゃそうだ。最後の藤原紀香主演のドラマが(ややお定まりな)ハッピーエンドだったのは、番組としての後味を考えてのことか。
テレビドラマをよく観もせず知りもしないで勝手なことを言っていますが。

今日は家から一歩も出なかった。
ということは・・・はっ!1日1猫達成ならず・・・がーん。
せめてもの慰めにのい大全(仮。のい写真ばっかり集めた、うす茶色なデジタル・フォト・アルバム)をながめる。りー氏のように

2002年10月03日(木)



 小パーティー/ゆくえ

夕方、近所のスーパーへ。
買い物(アルミホイル、巨峰、チーズ2種など)をして外に出ると、「ニャーーオ」という声がした。いやな予感。
後ろを振り返ると、のいよりすこーし小さいくらいの猫が1匹。茶トラ×白。
なんかのいのきょうだいみたい。
捨てられとる、という買い物客の声。首輪はしてなくて、白い歯を見せながら鳴いている。そんな鳴き方するなよ。
どこかのうちの猫であることを願う。
のいのきょうだいみたいだった(見たことはないが)。
「その猫、目つき悪かった?」
うん、悪かった。
「じゃあ、のいのきょうだいだな」
そんなに単純なもんじゃないだろうけれども。

夜。
Oさん、H(下の弟)、Fさん(遅れて登場)と、拙宅にてパンを食べる会。

Oさん持参のすてきなジャム3種はパンにつけて、
T持参の栗(今日、ばあちゃんと一緒に拾った@実家の裏)は茹でて食べ、
Fさん差し入れのハーゲンダッツ・アイスクリームはデザートに、
いろいろ語りあい、たのしいひとときでありました。

「きょうは、のいとくりひろいをしました」(ある日、Hから来た携帯メール)

のいには拾えませんが。

実家の栗の木は、それはそれはまるまると太った実をつけるのですが、先年、車庫建設計画により伐採の危機を迎えました。
その伐採計画はいつしか棚上げとなっているようです。なぜなのかよくわからないが、反対派(りー氏を筆頭にSちゃん&Mちゃん姉妹を後援者としてたのむ)としてはこのまま立ち消えとなって欲しいと祈るところです。しかし、そのうち、いつかはわからないがT(上の弟)一家が富山に帰ってきたら、裏に家を建てて住むとかそういうことになりそうで、となると車庫どころではなく確実にバッサリ、か。

2002年10月02日(水)



 こんなときは

衣替え。それから都民の日。公立学校はお休み。
都民の日だけじゃなくて、埼玉県民の日、千葉県民の日などというのもあって、やはり学校がお休みだったという。上京して知った時にはびっくりした。
富山にはそんなすばらしいお休みはなかったよ。

まぼろしの仕事初日。
本当は今日ひとつ予定があったのが手違いがあって、というのは、掲示板に書いた通り。
少し肩すかし。
実家に寄ってみる。

ガラス窓越しにのいと目があった。いつものようにそろそろと勝手口に近づく。
お迎えはおりますかな。−−いない。
と、扉を開けると、しばらく間をおいて、とととととと、とやってきた。
ちょっとあんた、今日は遅くないか?
「ゴロゴロゴロゴロ」
はっ、と思い出したかのように鳴らすな。

立ったまま生協の注文票をチェックしていると、両足の間をぐるりと8の字を描くかのごとくまとわりついてきた。

正座をして注文票を眺めていると、おもむろに私の膝の上によいしょと乗り、そのまま茶色い小山となった。小山はそのうち小さいいびきらしきものをかきはじめた。

祖母と猫話。
よく聞いていると、時々祖母は、「のいチ」と呼びかけているようだ。
祖母の友人(親戚筋にもあたるのか?)のFさんは、「のんちゃん」と呼ぶらしい。
一応、自分が「のい」であることは認識されているもよう。

猫も嫉妬するらしい。
FJ邸のJ(仮)がそうだった。ちょっと大きいんじゃない?(大きすぎる、のニュアンス)というとすごく嫌なようだったし、みんなにのいの写真を見せていると、すねてあっちにいってしまった(ので、ベッドの下に入っていってしまったJに「JはJでかわいいんだからね、だいじょーぶだよ」と言いにいった)。
のいの前で他の猫の話をすることはあまりない。
みんなにかわいいかわいいと言われることはいいことだが、それを鼻にかけてもらっても困るので、この際、「自分だけかわいいのーというようなヤな猫にはならないように」と、なんだかこの頃ふさふさしてきた感のある毛(冬じたくか?)を撫でながら訓辞をたれてみた(猫に)。
愛された天真爛漫さはそのままに、思いやりのあるやさしい猫さんになってくださいよ。
・・・思いやりって。

続いて、りー実家へ。東京みやげ(栗渋皮煮の乗ったカップケーキ@アンジェリーナ)を持って。りー母は栗が好きである。
りー実家はすごーく久しぶりだ。ひょっとすると1ヶ月ぶりくらいかも知れない。以前は自分の実家よりりー実家の方に行く頻度の方が高かったのだが、このところは逆転していた。実家へは好きなときに猫を見にいっているせいもあるが、りー実家は両親ともリタイヤしてほぼいつも在宅なので、「ちょっとだけ寄る」ということがしにくい。というかわるい気がしてしまう。上がって話して帰ると喜ばれると思うと。だから余裕がないと行かれない。そういうものでもないのだろうけれども。
りー父さんに本を返すのをまた忘れた。


2002年10月01日(火)
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