風紋

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2004年10月30日(土) 書いてみようと思った / 慌てていると足元のことを忘れるかもしれない

前回、10月24日の日記を書いて以来(上の表示の「この前」、あるいはこの場所)、なかなか日記が書けない状況が続いていた。

日記が書けないというよりも、何も言葉が出ない。言葉にしようとすると、かえって言葉にならなくなる。

ただ、今日、ふと「とりあえず何か形にして残しておこうかな。その方がいいのかもしれない」と思った。それは、昼間に大切な人々とお会いしてお話をする中で、自然とそうしようと思ったということが大きい。それに、渡瀬変様の日記(こちら)を読ませていただいてということもある(詳細は「風向計」(この場所)に記述)。

「とりあえず何か形にして残しておこうかな」の中で、この場所に書くことがあるかもしれないし、この場所でないところに書くことがあるかもしれない。書かずにずっと心の中にしまっておくままのこともあるかもしれない。

ただ、今の私は、私が未来のいつかもどこかで何かを書いているだろうということを思う。その時に、この場所に私自身が書いたことの何かが、何らかのかたちで「未来のいつか」に届くかもしれないということを思う(届かないかもしれない)。もちろん、別の場所に書いたことの何かもそうなるかもしれない。

そう考えると、そんなに肩肘張らずに、ふらっと気ままに書いてもよいという気がした(トップページに「あまり肩肘張らずに書いています」と書いたのは私自身だけれど)。

今は、私の知らないところでも、いろいろな人がいろいろな思いを抱きながら生きているということを私なりの方法で大切にしたいと思う。その「私なりの方法」を考えて、実行していきたいと思う。

私は「誰かのように」はなれないけれど、私にはなれる。


最近は、よく笑い、よく泣き、よく後悔し、よく焦り、よくはしゃぎ、よく食べ、よく悩み、よく苦しみ、よく楽しみ、という日々です。

どういう順序で書こうか迷ったのですが、こう書いてみました。


慌てていると、ものすごく基本的なことを忘れたりするよね…とは、今日していた話。

例えば「テレビがつかない!」と焦ると、実はプラグがコンセントに差し込まれていなかったとか、「パソコンの調子がおかしい!」と焦ると、やっぱりプラグがコンセントから抜けかかっていたとか、「文書をプリントアウトできない!」と焦ると、プリンターのケーブルとパソコンをつなぐのを忘れていたとか。

慌てていると、案外基本的なことを忘れたり、一時的に見えなくなったりする。

とりあえず、引けば開くドアを一生懸命押して押して「開かない!」と焦り、「この部屋閉まってるんですけど!」と係の人に知らせてしまったことがある私は、「押してもだめなら引く、引いてもだめなら押す、押しても引いてもだめなら待ってみる」くらいの余裕があればいいなと思う。

ついでに、以前、演奏会の開演直前に「楽器が鳴らない!壊れた!」と大騒ぎしたこともある。こちらは、ベルに高さ調節用の枕(?)を突っ込んでいただけだった。


2004年10月24日(日) 毎日を積み重ねる / いろいろな場面 / 一歩進む機会を得る

2004年10月24日(日)付けの朝日新聞(朝刊)に、「中高生のためのブックサーフィン どくしょ応援団」という面がある(朝日新聞には毎週日曜に読書についての記事が掲載されるが、この面は毎週かどうかちょっと不明)。その中に、三浦しをんさんが執筆されている「読書日記 三四郎はそれから門を出た」というコーナーがある。その文面の最後の文章が印象に残っているので、書きとめておく(朝日新聞のWebサイトに載っていないかと探してみたが見つからなかった)。

 日記や自伝を読むとわかる。毎日が波瀾万丈なのではない。なんでもない毎日を送っていたはずなのに、積み重なるといつのまにか、波瀾万丈な一生になっているものなのだ。

あぁ、そうだなぁ、そうとも言えるなぁと、素直に腑に落ちた言葉だった。ちなみに記事の見出しは「波瀾万丈のもとは積み重ね」とあった。

この場所に私が日記を書き、公開するにあたって、基本的に私がとっている姿勢は次に述べる通りだ。私自身の毎日が具体的にどのようであるか、今までの人生がどのようであったか、公開の場であるここには具体的には書かない。そして、いつか誰かにこの文章がWebという媒体を通じて目にとまる、読まれるということを意識している。そのうえで、この場に書けることを書きたい時(あるいは書ける時)に書くという姿勢で、今までこの場所に「日記」を書きとめている。

だから、この場所に書いていないところでも日記を私的に綴っていたり、あるいは「日記」というかたちでなくても、例えばメールの送信記録や、買い物のレシートなどを記録して保存することによって、日々を記録している。

そのうえで、であるが、私の人生が波瀾万丈なのかどうなのかということは私にはわからない。しかし、「なんでもない毎日」を送っている。起きて、時々は朝寝坊して(…)、ごはんを食べて、たまには一食抜いてしまったりもして(…)、寝て、時々は夜更かしして、と。たまには「なんでもないことのない毎日」になることもある。「どうしてこんなに次から次へといろいろなことが起こるの〜!?」と思う日もある。

そんな毎日を1日1日大切にしていきたいと私は思う。それが積み重なった様子を、私自身が時々は振り返ってみようと思う。

そして他の人のそんな毎日も、そんな毎日の積み重ねも、大切にしたいと思う。大切に思っている。


テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにいろいろな場面がうつしだされている。

次々といろいろなことが起こっている。例えば台風。ここ数日であれば先日の台風。例えば地震。ここ数日であれば昨日の地震。

見ていると、言葉を失う。「心が痛んだり、どうすればよいのだろうと思ったり、不安になったり、何かできることはないかと模索したり、気遣ったり」という状態に私はなっているということは事実だけれど、言葉にする前に、言葉にするのを押しとどめるものがあるように思う(だから「 」付きでしか書けなかった)。言葉にしていいのかという思いがあり、言葉を失う。一方で、ここで言葉を失ってはならないという気持ちも起こる。

テレビ、新聞、インターネットなどのメディアに直接うつしだされた人々のことを思う。うつしだされないところにも人々がいることを思う(その方々は“被災された方々”と呼ばれることもあるかと思う)。そして、いろいろな人がいろいろな人生を背負って、テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにうつしだされた場面をどのような状況で、どのような気持ちで見ているのかということを思う。

言葉にならないと思う。一方で、ここで言葉を失ってはならないとも思う。

そんな思いを繰り返していると、「そんなお前は何者か」とどこかの誰かから問われているように思う。常に問われているように思う。答えられない。しかし、この問いから逃げるまい。

今は「心配しています。心よりお見舞い申し上げます。無事を祈ります」という言葉をこの場所に書く。心からの思いを込めて。

相変わらず私自身は「今でなければならない」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしている。しかし、私がこのようにこの場所にあらわしたいということを、いま、この場所に書いておきたいと思ったから、書いた。

私が「そんなお前は何者か」という問いにどう答えていくのかは、少しずつ。


“一歩進む機会”を得た。素直に嬉しい。心を込めて、できるだけのことをしたいと思う。そのためにはどんな努力も惜しまない所存だ。少しずつ、いこう。


日記の「もくじ」ページを少しいろいろと工夫してみました。どうかなぁ。


2004年10月16日(土) 音楽を聴く

いろいろな音楽を聴いている。と言っても、どういう状況で、どんな音楽を、どのくらい聴いているのかと問われると返答に困るのだけれど。ひとつ言えるとすれば、最近の私は「初めて聴く曲」よりも「聴いたことがある曲」を中心に聴いている。

音楽は、演奏する人と、それを聴く人がいる。私は演奏するという立場にも立ったことがあり、現在も演奏するという立場に立ち続けている。そのような立場で、聴いている。時には私自身が実際に演奏したことのある曲も聴く。

よく考えると、学校で音楽の授業を受けたりカラオケに行ったりということを通じて、大抵の人は「演奏する立場」に立ったことがあると思われる。ただ、私の場合は、5歳からピアノをはじめたり、吹奏楽を続けたり、合唱をしたりということで、音楽との関わりが深く、「演奏する立場」「聴く立場」ということについても考える機会が多くあるということなのだろうと思う。

聴いていると、いろいろなことを感じる。時には、その曲と出逢ったときの私自身や周りの状況に思いを馳せることもある。それは私が実際に演奏に携わった曲であれば特に感慨深く思いを馳せる。あの頃の私はこんなふうであった、このようなことを感じこのようなことに悩んでいた、周りにはこんな人々がいた…など。

時には思わず身体が動くこともある。ここでは深くブレスを取る。ここは少し姿勢を立て直す必要がある。ここは歌い上げる。ここはピアニッシモだけれど思いを込めて。など。曲に合わせてブレスを取ったり、前のめりの姿勢になったりということもある。

そのようなことをしていると、過去の私と出逢えるような気がして楽しい。楽しいという言葉のニュアンスとは少しずれるかもしれない。思わず笑みがこぼれる。懐かしくてほろりと涙することもある。そんな“過去”が複数あらわれることもある。

あの頃から私は少しでも成長したのかな、私はあの時に持っていて今は持っていないものはあるのかな、あの時に持っていて今は持っているものはあるのかな、と少し思う。答えを出したくなりながらも、“ま、いっか”と思って音楽自体を楽しむことに戻る。

芸術の秋。そして私は今も時折、よいしょと楽器をかついで、いそいそと楽器を吹きに出かける。あるいは、ふとした作業の合間に歌ったりハミングしたり。


2004年10月01日(金) 落ち着こうとしておっちょこちょい / 出先で / 前の家の跡地が池 / メモ / 実は一時的にミスした更新(10月1日分のみ)

最近、私は、私自身のことばかり考えて、あまり外に目が向いていないなぁと思った。あまり周りのものをよく見ていないなぁ、と。大好きなはずの空や雲や風や花をじっくり味わっていないなぁ、と(そういえば金木犀の季節だ)。

だから今日は周りの自然、目に入るもの、耳に入るもの、肌にふれたものを大切に味わってみよう。

…という心意気で出かけた朝のこと。電車の改札の前まで行くと鞄の中に定期券入れがない。どこにもない。あるべき場所にもありそうでない場所にもない。でも自転車置き場の入り口ではあることを確認した。あの時、確か定期券入れを鞄から出し入れした。あの時、自転車の前かごに適当に仮に置いて、その後は…? ということは…?? …自転車置き場までやっとこさっとこと引き返すと、自転車の前かごに定期券入れだけがぽつんと入っていた(危なかった)。

…決意はかたかったものの、気合いばかりが空回りしていて、私自身の行動さえよく見えていないんだなぁと、そんな私自身を笑い飛ばしたいような気持ちだった。

その時点で、とりあえず今日は気持ちを落ち着かせるように、私自身が楽に過ごせるように、ということに目標変更しよう、と決意。

焦らなくても、そのうち秋の空、秋の風が私の心を自然に惹きつけてくれる時がくるかもしれない。

とは言え、秋の空の美しさ、秋の空気を存分に感じる日ではあった。少しまだ暑さは残るけれど、これは秋の感じの予感。気温は春と変わらないかもしれないし、春と同じ場所を同じように歩いているけれど、これは秋の感じだということを感じた。


出先では再会、新たな出会いなど。元気だった?…うん。元気ですか?…まずまずです。どうですか?…実はあまり大丈夫ではないんですよ、うわぁパーマあてたんだねぇ…えへへ、などなどの会話があちこち。

私は「泣いたり悩んだり苦しい時もありますけれど、とりあえず今はこんな感じです」という感じでそこにいた。

「今日精一杯生きて、明日もう少しだけ生きてみよう」という感じで1日1日を生きている私に、突然長期的な見通しが必要な話が舞い込んで戸惑ったりもする。


帰りに、2年前まで私の家があり、現在は空き地になっている場所が、前日の雨ですっかり水がたまって、池のようになっているのを見た。見事に水がたまっていて、まるで池のようだった。2年前までここに私の家があったのだということは、あまり深く考えないようにしてあまり思い出さないようにして、その場を去った。

そのくらいの気分ではその場所を通過できるようになったとも言える。しかし未だに、眠っている間に夢で前の家の情景がごく当たり前のように登場したり、起きた直後のぼーっとした瞬間に前の家にいるつもりで周りを見回していることがある。

ずっと変わらないものはないのかもしれない。言い換えると、ものは時間が経つと何かが変わる。そうしたら、変わらず残るものは何だろうかと考えてみる。何か、大切なものが、ぴーっと一貫してあるような気もするのだけれど、それが何かは、よくわからない。

空には見事なお月様。


ここ数日、音楽を聴いていて、ふと笑顔になって、明るい気持ちになることがある。「私は今はこのように笑っているよ」ということを誰かに伝えたい気持ち。時には泣くこともあるのは本当だけれど、今はこのように居るよ…と。


今日はいつもとは違う気分でこの場所への日記を書いたように思う。久しぶりに何だか軽やかな気分で書いた。秋の空気が軽やかに書くのを助けてくれたのだと思う。

「風向計」の記述と同じになるけれど、パワフルな夏が過ぎるのが惜しくて少し寂しく心細いのを、秋がやさしく受け止めてくれますように。

もうすっかり気分としては10月でいて、まだぎりぎり9月で安心したものの、明日から10月だと考えるとそれなりにあせるけれど、秋の空気にまかせてでいいかなと思った今日でした。

まとまらないままおしまい。

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ミスを起こしてしまって,9月30日にこの内容を記述するつもりが,いったんこの日付でも登録してしまったので,現在,9月30日の部分にも10月1日の部分にも全く同じ内容の記述が更新されてしまっているようです。

2004年10月1日という日は基本的に今からそろそろと動き始める日である=この内容は本当は9月30日に書き込みたかった,のですが,修正の仕方がわからないので,2004年10月1日の内容が確定するまで,9月30日と10月1日の両方にこの内容をアップしておきます。

うわー,何だかややこしいことをしてしまったな。

(2004年10月1日,AM6:55)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)