風紋

もくじ / この前 / この後


2004年09月30日(木) 落ち着こうとしておっちょこちょい / 出先で / 前の家の跡地が池 / メモ

最近、私は、私自身のことばかり考えて、あまり外に目が向いていないなぁと思った。あまり周りのものをよく見ていないなぁ、と。大好きなはずの空や雲や風や花をじっくり味わっていないなぁ、と(そういえば金木犀の季節だ)。

だから今日は周りの自然、目に入るもの、耳に入るもの、肌にふれたものを大切に味わってみよう。

…という心意気で出かけた朝のこと。電車の改札の前まで行くと鞄の中に定期券入れがない。どこにもない。あるべき場所にもありそうでない場所にもない。でも自転車置き場の入り口ではあることを確認した。あの時、確か定期券入れを鞄から出し入れした。あの時、自転車の前かごに適当に仮に置いて、その後は…? ということは…?? …自転車置き場までやっとこさっとこと引き返すと、自転車の前かごに定期券入れだけがぽつんと入っていた(危なかった)。

…決意はかたかったものの、気合いばかりが空回りしていて、私自身の行動さえよく見えていないんだなぁと、そんな私自身を笑い飛ばしたいような気持ちだった。

その時点で、とりあえず今日は気持ちを落ち着かせるように、私自身が楽に過ごせるように、ということに目標変更しよう、と決意。

焦らなくても、そのうち秋の空、秋の風が私の心を自然に惹きつけてくれる時がくるかもしれない。

とは言え、秋の空の美しさ、秋の空気を存分に感じる日ではあった。少しまだ暑さは残るけれど、これは秋の感じの予感。気温は春と変わらないかもしれないし、春と同じ場所を同じように歩いているけれど、これは秋の感じだということを感じた。


出先では再会、新たな出会いなど。元気だった?…うん。元気ですか?…まずまずです。どうですか?…実はあまり大丈夫ではないんですよ、うわぁパーマあてたんだねぇ…えへへ、などなどの会話があちこち。

私は「泣いたり悩んだり苦しい時もありますけれど、とりあえず今はこんな感じです」という感じでそこにいた。

「今日精一杯生きて、明日もう少しだけ生きてみよう」という感じで1日1日を生きている私に、突然長期的な見通しが必要な話が舞い込んで戸惑ったりもする。


帰りに、2年前まで私の家があり、現在は空き地になっている場所が、前日の雨ですっかり水がたまって、池のようになっているのを見た。見事に水がたまっていて、まるで池のようだった。2年前までここに私の家があったのだということは、あまり深く考えないようにしてあまり思い出さないようにして、その場を去った。

そのくらいの気分ではその場所を通過できるようになったとも言える。しかし未だに、眠っている間に夢で前の家の情景がごく当たり前のように登場したり、起きた直後のぼーっとした瞬間に前の家にいるつもりで周りを見回していることがある。

ずっと変わらないものはないのかもしれない。言い換えると、ものは時間が経つと何かが変わる。そうしたら、変わらず残るものは何だろうかと考えてみる。何か、大切なものが、ぴーっと一貫してあるような気もするのだけれど、それが何かは、よくわからない。

空には見事なお月様。


ここ数日、音楽を聴いていて、ふと笑顔になって、明るい気持ちになることがある。「私は今はこのように笑っているよ」ということを誰かに伝えたい気持ち。時には泣くこともあるのは本当だけれど、今はこのように居るよ…と。


今日はいつもとは違う気分でこの場所への日記を書いたように思う。久しぶりに何だか軽やかな気分で書いた。秋の空気が軽やかに書くのを助けてくれたのだと思う。

「風向計」の記述と同じになるけれど、パワフルな夏が過ぎるのが惜しくて少し寂しく心細いのを、秋がやさしく受け止めてくれますように。

もうすっかり気分としては10月でいて、まだぎりぎり9月で安心したものの、明日から10月だと考えるとそれなりにあせるけれど、秋の空気にまかせてでいいかなと思った今日でした。

まとまらないままおしまい。


2004年09月28日(火) 物語のように日記 / 「今でなければならない」でなくてもよい / 服と色とピンク色の話 / お礼

最近、ここに書く日記は、最新に更新した日だけを読んでいただいてもそれなりに読んでいただけるものにしようと心がけてはいるものの、私の気持ちとしては、できれば「前回からの続き」という感じで読んでいただきたいような気持ちになっているようだ。あくまとして書き手としての私がそう思う、というだけのことなのだけれど。それはまるで物語か何かのように。

というわけで、はじめて「最新の日記」に飛んでこられた方には少し申し訳ないし、悔しいな、と思う今日この頃(1日分を1ページの表示にしているので)。

関係ないのだけれど、「申し訳ないし悔しい」という気持ちになることが最近多い。


さて、というわけで、前回の日記9月25日の続きのような記述。

その後、数日が経った。その間、なんとなく落ち着かない感じでいたように思う。9月25日に少し気分が高揚していたこと、その後に重要な用事を控えていたということも理由のひとつのような気はするけれど、それだけでもないように思っていた。

何かを考えたり行動したりあるいは記録したりする時に、「今でなければならない」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしている状態が、ここ数日は若干「今でなければならない」という気持ちに重みがかかっているようだ。「今でなくてどうするの! 今でなくていつするの!」と絶えず私が私自身に言い聞かせているような感じである。

しかし、気力と体力には限りがあり、気持ちがいくら先走っても、身体というものは無理をしてしまうと疲れて休養を必要とするものであるようだ。

今日は、よい意味で「今でなければならない」の気持ちをうまくおさめて休めることができたような気がする。気分的にかなり楽になった。と同時に、「今でなくても、“今、これをこうしない”という道を選んでも、やがていつかいい方向に進んでいくのかもしれない」という気持ちにもなった。かなり漠然とした書き方になってしまうのだけれど…。未来のことはわからないながらも、今を大切にしていけば、明日は来るということを信じられるようになった?(言い方が多少センチメンタルで恥ずかしい)

…要は、「休みたい時は素直に休んでもよい」ということがわかっただけかもしれない。けれど、それだけでもかなり進歩かな。

傍から見ると、まったく進歩がないように見えるのかもしれないけれど、今日は今日で、明日は明日で、それぞれの日はそれぞれの日で何かいいことに出逢えるかもしれない。眼はいつもしっかりと見開いていたい…、というと比喩的な表現になってしまうけれど、「一番大切なところは忘れないし手離さない!」という気持ちだけは持ち続けたいと思う。


昨日は、ふらふらと買い物をした。足りない文具や雑貨をぱたぱたと。あと、服を。ピンク色のブラウスと、赤ワイン色(ボールド)のニット。あと、少し可愛くて上品なネックレス。

この「ピンク色のブラウス」、私にとって、身につける色として選ぶにはかなり冒険的な色?である。けれども試着した時に、腕を通した瞬間「あ、これ、好き!」と思ってしまった。どんなピンク色か少し表現しづらいけれど、この日記の背景色のピンク色よりはもっと「ピンク色」ということを主張している感じの色。

お店の人ともいろいろ話したのだけれど(ちょっとそれは喋りすぎかなという感じの勢いで喋って、ほとんどかけあい漫才のようになっていた)、「似合うかどうかはおいておいて、好きな色はどれですか?」とお店の人に聞かれて、一瞬「私などが好きな色を答えていいのだろうか」という気持ちと「どの色も好きなように思って決められない」という気持ちがよぎった。イメージに合うかどうか、そう主張してもよいのかどうかは別にして、好きな色はと聞かれると、ピンク色と青色。「ピンク色」あるいは「青色」と呼べる色ならだいたい好きである。そして、ピンク色を好きだと思う気持ちと青色を好きだと思う気持ちは少し違うような気がする。

お店の人には「ふと笑った時に、ピンク色とか赤系統の色が似合うような気がしますね」と言われた。…そんな感じらしいです、私。

ちなみにネックレスについているのは、パープルの丸いきらきらしたの(「紫色」でもいいのだと思うけれど、お店の方がパープルと呼んでいたので、なんとなく)。

昨日は帰りに美しいお月様を見た。「お月様にはうさぎさんがいます」というのを思い出したほど、心うたれた。


と、今日はこのあたりにて。

メモ程度にいつか書きたいこと:悲しいとか苦しいとかいう気持ちのあらわしかた。私も、いつもいつも笑っているわけではなく、落ち込んでどうしようもなくなったり、べそべそと泣いている時もある(先日の泣き方はかなり派手だったけれど)。それでも、こうやって日記を書いているし、笑っている時もあるし、という話。…それは、いずれ、また。


でも追記。お礼。

いま、更新した時にカウンタを見たら、10000を超えていました。ひとつの区切りだと思うと同時に、ありがたい気持ちでいっぱいです。

私自身が閲覧した回数も含みますが、このページが10000回誰かの眼に留まったのだと思うと、そのきっかけは何であっても、誰であっても、嬉しいなと思います。

そして気がつくと、この場所で日記を書き始めてから2年が経ち、3年目に突入していました。

いつやめることになってもよいという覚悟を持ちながら、できるだけ続けていきたいと思って書き続けてきました。これからもどこかで何か書いていると思います。できれば、この場所を残して。あるいは、他の場所でも。

ありがとう。


2004年09月25日(土) こういう1日だった / さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに、

今日は、今日のことを書き残しておきたい気持ちなので、日記を書く。

と同時に、最近、ここは「日記」でもあるのに、あまり日記のような内容がないのに気がついて、気になった。だから、今日がどのような日であったかを、まず大ざっぱに書いてみることにする。

朝6時過ぎに起きた。お腹が減ったので、軽く朝食をとった(最近、朝食が「軽め」になっているのが少し気にかかっている)。その後、どうしても頭痛がしてだるかったので、メールのチェックを少しだけした後、再びうとうととしていた。ようやく起き上がることができたのが10時半少し過ぎ。この時点で、今日の用事に遅刻することが確定してしまったので、電話で「遅刻をする」という連絡を入れた後、急いで準備をして、外出する。電車の中で「あ、やはり頭痛がおさまっていないかもしれない」ということに気がついたが、引き返せないし、何よりも私自身が今日は引き返したくなかったので、そのまま進む。お昼過ぎに、約2時間も遅刻して、今日の目的地に到着。大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした。昼食は話し合い中に済ませた。メロンパンとおにぎり(栄養のバランスが…?)。おやつに羊羹とアイスコーヒーとするめ。夕方に解散。慣れない乗り換えの駅で、少しだけ寄り道をしたつもりが、振り返ってみるとすっかり方向感覚を失っていた。失ったついでの勢いで、買い物をすることにする。秋に向けて少し服を見たかったので、見てみた。店員さんとすっかり打ち解けて話をして、いろいろ試着してみて楽しむ。ある程度使える上着とブラウスがあってもいいと思ったが、後日改めてまた見に来てみることにする。帰宅する予定だった時間よりもやや遅い時間に帰宅した。今日があまりにも素敵で幸せな日だったので、日記を書こうと思いながら、少しテンションがあがっていたので、いろいろな用事を済ませた。そして、今、日記を書いている。そう言えば午前中頭痛だったのをすっかり忘れていて、今頃になって頭痛かな?ということを思い出したので、明日にあまり疲労を持ち越さないようにしないと、明後日に大事な予定を控えているし、明日はその準備もあるのだった、と思い直しているところ。そして、ふっと立った時に一瞬ふらついて、“あ、やっぱり無理はいけない”と実感している。

…ざっと差し支えのない範囲で記述すると、こういう1日だった(長いなぁ)。


そして、「今日の本来の目的地で、大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした」という話。私自身が、今日、とても行きたくて、そして行かなければならないと思って行った。

とても大切な話し合いなのに、約2時間遅刻するとは情けないと私自身でも思うのだけれど、半分は、ここ数日の私自身の状況を考えて、遅刻しても仕方がないかもしれないと私自身が思っていた。最悪の場合、出席できないかもしれないとも思っていた。それだけに、後半だけでも話し合いに参加できたのは本当に良かった。

少し緊張する話し合いだったので、目的地に着く少し前から、私は他の誰でもない私としてしっかりとしていようと、改めて眼をきっと見開いた。五感を研ぎ澄ませるようにした。

深呼吸してからドアを開けると、想像したよりも多くの人がいて、余計に緊張するやら嬉しいやら、であった。

話し合いの中で、私が、今の私なりに、疑問に思うことや思うところを発言し、それぞれの人々からお話をいただいた。その中で、私が納得できる点、納得できない点、今は納得できなくてもいつか納得できるかもしれない点を、ひとつひとつ確認していった。全体として進む方向を見据えながら、私は他の誰でもない私として、何をすればいいのだろう、何を考え続けるのだろうという点も、少し明確になったように思う。それは、話し合いに参加したメンバーひとりひとりがそのようであったと思う(と、そのうちのお一人と帰りに一緒になったので話していた)。

今まで、私は「私には何もできない」という思いが強かった。今もその思いは強くある。しかし一方で「私は何かできるかもしれない」「何かしたい」という思いも加わってきたように思う。

この場所で、日々思うことを綴ることによっても、もしかしたら「何某かをしている」「何某かができている」のかもしれない。

それが何なのか、どこへ向かうのか、ここでは書けないこともあるし、私自身明らかになっていない面もある。

「私には何もできない」から「何かできるかもしれない」に移っては来た。それがなぜなのか、私は私でもわからない。

その間、いろいろな人にいろいろな形で出会った。人見知りの強い私だけれど、最初はおずおずと、そして少しずつ。時にはひどく傷ついてしまったりということもあったけれど(今もある…)。そして、さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きているということを知った。

それが、私にとって、大きな力になっているのかもしれないと振り返る。

私は良い人ではないので、綺麗事や理想だけでは生きられず、どうしても苦手な人や近づけない人や怖い人や嫌いな人もいる。また、人に近づきたくないと思ってしまう時もある。それでも、出逢えて良かったと思う…「思いたい」も少し入っているかもしれないな…。

今は「さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きている」ということを大切にしたい。悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも、誰でもが抱えているかもしれないということを。そして、私自身も抱えているということ。

私自身、「悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも」抱えているけれど、今は幸せだ。今日は幸せだった。楽しかった。だからこうして日記を書いている。

「これまで」を振り返り、「これから」に思いを馳せながら、今を生きたいと思う。


そう思う一方で、今、私が進もうとしている方向は果たしてどのような方向に行くのだろうという不安もある。不安というより怖さ。ふと足元がぐらっとくるような、意味もなく寒くなるような怖さ。今日のやり取りの中でも、ふと、言ってはならないことを言ったのかもしれないと悔やむ(誰に、何に対して「言ってはならない」のか、私自身がよくわからない)。私は、現在見落としてはならないことをごそっと見落としているのかもしれないとも思う。「忘れたということを忘れているかもしれない」「気づいていないということに気づいていない」という感じ。それは時々ふっと訪れて、ふっと寒くなる。

それでも、帰りに、駅の看板を見上げ、あの場所でも精一杯「自分」を生きている人がいることを思い出し、勇気付けられる。

帰り道、夜空には、雲に見え隠れしながらお月さまが輝く。

今、「風紋」(保科洋作曲)を久しぶりに聴いて、静かに涙がこぼれる。21日の涙とは違うのはわかるけれど、これはどんな涙だろう。悲しくはない。むしろ嬉しい。嬉しい時にも泣ける…らしい。


2004年09月24日(金) 泣いた後は疲れていた / 美容院に行った / 近況

前回、9月21日の日記で「泣いてしまった」と書いた。事実、その日は日記に書いたように、ものすごい勢いで泣き、少し落ち着いたと思われる頃に眠りに入ったのだけれど、どうやら、泣くということは、時と場合によってはものすごく体力を消耗することにもなる…ということをここ数日で実感した。

泣いた翌日、翌々日とどうも体調が思わしくなく、頭痛、耳鳴り、仕事も思うようにはかどらず、仕事が思うようにはかどらない私自身をもどかしく思う、という時間を過ごしていた。

なぜ泣くのかということに未だに答えはないけれども、どうやら、9月21日に私が泣いたことについては、それまで整理がつかずに抑え込んで悩んでいた想いを、泣くことで一気に爆発させたという側面もあるように思う(あくまで自己判断なのだけれど)。その想いをまた整理するので、疲れたのかなとも思ったりする。

「泣くのがいやなら さあ歩け」とは水戸黄門のテーマソングの歌詞だけれど、私は本当のところは泣くのがそれほど嫌ではないので、泣きながら歩きたい。泣いても闘うし、泣いても逃げないし、泣いても目の前のものと正面から向き合いたい。もちろん、現実に生きていれば、泣くのが不適切な場面もあるのだけれど、「泣きたい気持ちを私は持っているのだ」ということをせめて私が私には認めながら、一歩一歩歩いていきたいと思うのだ。素直な気持ちを素直なまま大切に持って、そしてできれば、適当なところで解放し、他の人の生き方にも触れて、再び私自身の気持ちに戻りたい。

なぜ泣くのか、なぜ泣きたくなるのか、なぜ泣いてはいけないという気持ちもあるのか、考え続けていきたいと思う。

ちなみに、文章を書きながら「泣くのがいやなら さあ歩け」というフレーズだけが浮かんだのだけれど、水戸黄門のテーマソング(「ああ人生に涙あり」)では、その前に「人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く あとから来たのに追い越され」という前置きがあったうえで「泣くのがいやなら さあ歩け」に続いているので、21日に私が泣いた状況とは少し違う。けれども、この曲はこの曲でいい曲だと思う(1番から3番通じて)。好きな曲である。

もうひとつおまけに書いておくと、なぜこれだけ水戸黄門のテーマソングの歌詞を憶えているかというと、中学1年の時に、吹奏楽部で“水戸黄門のテーマソングから大岡越前のテーマ曲に移るという曲”(曲名は確か「時代劇メドレー」だったような気がする。ミュージックエイト社の譜面だったか)を演奏したので、必死になって水戸黄門の曲を聴きこんだからである。当時はTubaを吹いていました。

話が飛んでしまった。…泣いたり泣かなかったりしながら素直に生きていきたい、と思う。


今日は美容院に行ってきた。ほとんどとれていたウェーブパーマをあてなおして、少し短めに切ってもらった。少し美容師さんと話すことにも慣れてきて、よい感じで仕上がった…と思う。

なぜ今日行ったかというと、都合がついたというのもあるけれど、来週から新しい人々に出会うことになるからだ(ぎりぎりまで行かなかったのか…??)。同時に、今まで出逢った人にももう1度改めて出逢い直すという気持ちも込めて。

少し、しゃきっと気合いが入ったような気がする。よし、進むぞ、と。


ここ数日は、しなければならないことがありながらも、目の前に大きな宿題があるような気がして、その宿題と同時並行で進めないと、しなければならないことにも取り組めないような気がする…という、何だか不思議な状況に陥っている。

周りの大切な人からたくさん支えてもらっているということを実感する。ありがとうございます、と思う。私が私を精一杯生きることが周りの大切な人へのお礼だと思い、生きる。

BGMは先日に引き続き「テレプシコーレ」(Terpsichore)(Praetorius/Margolis)よりIV(Gaillarde - Reprinses - Gaillarde - Volte)。


2004年09月21日(火) 泣いてしまった。そして、

泣いてしまった。

泣きながら、なぜ泣いているのかということや、なぜ泣くのをためらうのかとか、なぜ1度涙が出てしまうと一気にぼろぼろっと涙が止まらなくなってしまうのかなどと考えてしまった。泣き終わった今も考えている。

今日は、………(しばらくの躊躇い、ゆえに少し「…」をはさむ)………、泣きたい気持ちになってその気持ちを抑え切れずに泣いたわけなのだけれど、「この場面で泣いてはいけない」「ここで泣くべきではない」「普通はこんなことでは泣かないだろうから泣いては駄目」とは思っていた。だがよく考えると「この場面で泣いてはいけない」などということは恐らくないはずで、となると「抑える」必要もないはずである。

しかし、現に私は泣いてしまったわけで、1度涙が出てしまうと、“あぁ、もう、緊張の糸が切れたからいいや…”という諦めにも似た気持ちになって、思いっきり泣いて、という一方で“早く泣き止まないといけない”とも思っていて。

最初は人前で泣き、耐え切れなくなってひとりになって、落ち着くまでティッシュで涙を拭きながら、感情の渦に翻弄されていた。

で、「なぜ泣いてはいけないと思ったのだろう」ということが気になった。現にこうやって「泣いた」ということを日記に書いているけれど、そのことにもかなりの躊躇いがあり、「あっ、泣いたって書いているけれど、大丈夫ですから。どうぞお気遣いなくご心配なさらず。はい」とフォローを入れたい気持ちがある。しかし本当に心配されたくないのかというと、どうも心配してほしいような気もするし、少しは気にして欲しいからこうやって書いているということもある。

泣いている人を見ると、「この人はどうしたのだろう。どうしようどうしよう」と思ってしまう気持ちが私にはある。そして周りの人を見ると、そのような気持ちを持っている人が多いようだ(程度の差はあるものの)。

「私はそう思われたくないし、そう思われてはいけない」という気持ちを持つことが、私には時々ある。つまり「放っておいてほしい。ひとりにしておいてほしい」という気持ち。しかし、泣いてしまうと「この人はどうしたのだろう。どうしよう」と、その場に居る人を戸惑わせてしまうことになる。だから、泣きたくないし、泣いてはいけない。

でも一方で、思いっきり泣きたい気持ちもある。1度涙がこぼれてしまうと、緊張の糸が切れた感じがして、「どうせだから、もう全部解放してやろう」とも思う。

もちろん、いろいろな場面で泣くことはあるだろうし、泣く原因もさまざまであろう。人前で泣くか、一人で泣くかということの違いもあるだろう。

最近の私は「人前で泣くのは嫌だ。ひとりにしておいてほしいから。でも一人で泣くのも嫌だ。寂しいから。そして私は泣いてはいけないと思っているのに、どうも泣くことが多い」という状態だ。…かなり矛盾している。ひとりにしておいて欲しいのに、ひとりで泣くのは寂しいから嫌だなんて。人前で泣いてしまった記憶の方が強く残るのでその方をよく憶えているのだけれど、よく考えてみると一人で泣いていることも割と多い。

…まとまりがつかなくなってきたけれど、せめて泣きたい時くらい素直に泣こうと思う。そして、「その場にふさわしくないだろう考えや気持ち」(例えば、泣いてはいけないだろう場面で泣きたい気持ち)を持ってしまったとしても、そう思う私自身を責めずに、私はそのように思っているんだということを、せめて大切にしようと思う(それを他者に向けて表明するかどうかは別の問題かもしれない)。

…ひとまず、泣きすぎて頭が痛くなってきて、おまけに耳鳴りまでしてきたので(なんということ)、続きは少しずつ書いたり書かなかったりします。

…泣いたり、笑ったりしながら、おおむね、元気に過ごしてはいます(近況報告)。



BGM:「テレプシコーレ」(Terpsichore)(Praetorius/Margolis)よりIV(Gaillarde - Reprinses - Gaillarde - Volte)

ドイツ初期バロック時代に活躍した音楽家、プレトリウス(Praetorius)によって編纂された同名の舞曲集を、現代の吹奏楽によって最大限に生かすようにオーケストレーションされたもの。…の、4楽章。


2004年09月17日(金) いましばらくお待ちくださいませ、でも必ず。

前々回(9月7日)、前回(9月11日)の日記を受けて、その続き。

「ご無沙汰して失礼をしておりますのは十分に承知のうえですがいましばらくお待ちくださいませ」という感じである。

と言っても、毎日アクセスしてくださっている方にそう思う気持ちがあるのはもちろんのこと、私自身に対してもそう思う気持ちがある。「いましばらくお待ちくださいませ」というのは、私が私自身に対しても言っていることだ。

…うまく表現できないけれど、私が私自身に対して「今は不可能だけれど、近いうちに必ず必ず書くから、書けるまで待とう」という感じでいる。逆に、いつになっても必ず書かなければならないとも思っている…そのように硬く考えるとかえってのびやかに書けなくなるかもしれないので、あくまでのびやかにと考えているけれど。

前回9月11日にこの場所を更新してから約1週間が経つけれど、とりあえず、元気にしてはいる…ちょっと待て、本当に元気だったのか? 体調を崩して帰るなりばたりと寝たこともあったような気がする…あった…。

そして、なんだか忙しい日々だった…ちょっと待てほんとに忙しかったのか? Webを読みふけっていたり、「トリビアの泉」を見て笑い転げたり(「『幸せ』を早く言うと『いらっしゃいませ』になる」というのは、何だか希望が持てるトリビアであった)、海を見に行ったりもしていた。そう、以前に書いた「今夏は海を見に行く」という夢、少し遅くなって「秋」になったけれど、昨日実現してきたのだ。あくまで海を「見る」ことが目的だったので…。やっと海を見に行けた。波打ち際を鳩が歩いていた。また行くぞ。

…で、何の話だったっけ。…という感じの1週間であった、とも言える?

今日になって、やっと、休養するための休養期間が終わったというか、充電するための充電期間が終わったというか、そんな気がする。2段階に分けないと休養も充電もできないのか?という感じではあるけれど、実感としてそんな感じがする。ようやっと安心してぶっ倒れることができる環境になったというか…。

さっき、机の上をばたばたと片付けて、ということは仕事も頭の中も整理して、ようやくこれからすべきことが少し見えてきた気がする。少しずつ、時には思い切って大胆に、時には繊細に落ち着いて進んでいくこと(あるいは、止まること)、と、私自身に言い聞かせる。


暑い暑いと思っていたけれど、ふと風に秋の気配を感じる。秋の気配というか秋の匂いというか、確実に8月とは違う空気を感じる。これがあともう1ヶ月経てばこんな感じになって、2ヶ月経てばこんな感じになって…ということに思いを馳せる。

1ヶ月先、2ヶ月先…私は私が思った通りに生きているかどうかわからないけれど、一瞬一瞬を大切に、私なりに生きようと思う。「明日ももう少し生きよう」その繰り返しでもいい。

今はいろいろな意味で転換点にあるようなので、そのことも意識しながら、なおさら一瞬一瞬を大切に。


いろいろ考えねばならない問題、しなければならないことはありますが、今日は、ひゅっと書いてみました。というか、「風向計」(この場所)に書くつもりだったのがいつの間にかこちらに書こうという姿勢になっていた感じ。

日常の細々したことは「風向計」の方に書いていることも多いです。一言気がついたことなどは「そよ風」に。


メモ:月末までに美容院に行くこと。


2004年09月11日(土) 転換点

今日の日記は、9月7日の日記の続きである。上の表示の「この前」のリンクをクリックして、あるいはこの場所をクリックして、2004年9月7日の日記をご一読いただいてから、今日の日記を読んでいただければ幸いに思う。

9月7日の日記には「棒が降ってきているけれど、これは私自身にとってひとつのチャンスかもしれない」と書いた(これだけだと内容をまとめすぎなので、9月7日の日記を読んでいただいた方が幸いである)。今日は、チャンスをつくる=私が新たな棒に出会い、一方で私の棒を他の人とふれあわせてみる(←比喩的な表現です)機会のひとつであった。

出かける前に、私なりの気合いを入れようと、珍しくSOMETIMES in the morning(この場所などに掲載?)で、薄く香りをつけた…が、勢いあまって瓶を落としているあたり、ちょっと危ない。

チャンスを生かすか、どのようにつなげていくか、今も試行錯誤しながらなのであるが、私自身の望む方向に大きく進む一歩につながる出逢いを、今日、さまざまな形でさまざまな人やものと実現した。

いろいろな人に会った。いろいろな人と話をした。いろいろな人の話を聞いた。その中で、改めて私自身を振り返った。私は何? 今までどう生きてきた? これからどうすればいい? これからどう生きればいい?

…答えなどないのかもしれない。むしろ答えを探そうとする過程にこそ意味があるのかもしれない(探すのに疲れて、落ち込んでも、苦しんでも、ぼけーっとしても、それはそれでひとつのあり方)。

だったら、今の私にできる範囲で、答えを探そうとし続けよう。あきらめないでおこう。そして、“途中経過である”ということを恐れずに、どんどんと外に開いていこう。私が話をしたいことを話していこう。そして、五官・五感をフル活用して、周りからいろいろなものを得よう。

…と思いながらいたら、一気にいろいろなものと出逢ったせいか、やや疲れた。気を抜いてもよくなった時に、一気に疲れがどっと来て、一瞬がくっと疲労して、結局、ぼーっとして周りがよく見えない状態のまま帰宅した(←危ない)。

明日はまた新たな出逢いのきっかけがある。得たものを今は断片の形ででも残しつつ、振り返り、考え続けていきたい。…というわけで、休みます。

またゆっくりと考えて、そして、書きます。


「今日であれから〜年経った」と振り返る(あるいは振り返りたい・振り返らざるを得ない)日があるとしたら、それは何かの意味で大切な日なのだろう。


2004年09月07日(火) 棒に当たっているけれど、チャンスにつながるかもしれない

書きたいことを最後まで書くだけの気力と体力があるかどうかわからないが、今日は絶対にここに何かを書いておかなければならないという切実な思いがあるので。

「犬も歩けば棒に当たる」というのは、「物事をしようとしている者は思いがけない災難にあうものだというたとえ。また、思いがけない幸運にあうことのたとえにもいう」らしい。

先週末くらいから、どうも、歩いているつもりはないのに、次々といろいろな棒に当たっているような気がする。当たっているというよりも、降ってくるという方が実感に合う感じがする。それも、ただ複数の棒に当たるのみならず、それぞれの棒が微妙にシンクロして絶妙のタイミングで訪れる。「なぜ、他でもない今に、このこと(あるいはこのもの)に遭遇するんだろう??」というタイミングで、棒が次から次から降ってくる。

歩いているつもりは本当にないのだ。敢えて言うなら、私自身が気づかないうちに今も歩いているのか、過去に歩いてきたものの積み重ねか…。ただ、歩ける時は一歩一歩を着実に大切に歩もうと心がけている。その結果として、今、いろいろなものやことや人と出逢っている…のかもしれない。

「犬も歩けば棒に当たる」の「棒」は災難を指すこともあれば幸運をさすこともあるらしいけれど、私にとって、いま降ってきている「棒」のひとつひとつどれについても、災難なのか幸運なのか、今は判断がつかない。ただ、すごく大切な事柄をすごく絶妙のタイミングで受け取っているのだということは、渦中にあっても私自身ぼんやりとではあるが感じている。私にとってひとつのチャンスだと思う。これを、このタイミングで…と思うと、それぞれの棒=一つ一つの事柄、もの、人、に出逢えたこと、知ることができたこと…にとても感謝している。ありがたいと思う。この先、一時的には「災難」と呼ばれるような状況に陥ろうと、最終的には私にとって、そして周りの人々にとって幸運でプラスの方向にいくようにすすめたい。絶対にそうしてみせる。

それを本当に実現するためには、今は、…落ち着くこと、かな。

今でないと出逢えないことやものや人がある。今、触れておかないといけないことやものや人がある。今、連絡をとらねばならないことやものや人がいる。そう思うと、「今、私はどうすればよいのだろう?」と茫然とする。茫然とした中でもアンテナをぴんと張っておきたいと思うけれど。

反面、後から出逢うことやものや人がある。後から触れることができることやものや人がある。後から、連絡をとれることやものや人がいる。「明日出来ることは明日に回せ」とも言う。「果報は寝て待て」とも言う。

「今でなければならない!」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしているのが今の状態である。揺れていていいのだと私自身に言い聞かせる。揺れながらもアンテナをぴんと張り、落ち着いてひとつひとつの出逢いを大切にしなければならないと私自身に言い聞かせる。そうしないと、恐らく良い方向には進まない。

「チャンスの前髪を意地でもつかむ」気持ちを持ちながらも、反面、落ち着け落ち着け私…とも言い聞かせる。

ちなみに、今日の日記は「今でなければならない! 今日は書いておかなければならない!」という気持ちで書いた。…私は、書くことでも少しずつでも歩んでいるのかもしれない。それをなぜこの場所に書くかというと、やはり読んで欲しいからだ。ここは私が一番伝えたいことを伝えるための場所で、その意味では自ら棒に当たりにいっているというところもあるし、何らかの出逢いを求めているということでもあるかもしれない。

しかし、多少疲れてきたのも事実である。身体と心に十分な休養を取ってゆとりのある状態にしておかないと、何もできなくなってしまう。何もできなくなるのは本意ではない。落ち着くことにする。

時々は、深呼吸。

「今でなければならない!」「後からでもいい」の間で揺れながら、随時ぴょこぴょこと動いて、この場所や「風向計」「そよ風」に、言葉を綴っていこうと思う。


2004年09月06日(月) 小旅行へ行ってきた / メモ(「悲劇の主人公」でないけれど、悲しいのも本当)

この土曜日と日曜日を使って、1泊2日の「小旅行」に出かけてきた。

1人で行ったのではない。複数人で行った。さらに具体的に書くと、人数は一番多かった時で14名(途中で帰られたり途中から参加した人もいる)、参加者は下は小学生から上は50歳代の方まで、職業も属性も多種多様、「小旅行」に参加した理由も恐らく十人十色ならぬ14人14色、何を得ようとして何を求めて「小旅行」に参加しようとしたのかも恐らく十人十色ならぬ14人14色、「小旅行」から何を得て何を感じて戻ったかも恐らく十人十色ならぬ14人14色であった。そして、私と他の13名との関係も、13人13色という感じで、「気心知れた」という感じで接することのできる人もいれば、まだ話をするのにも緊張してしまう人もいて、緊張しすぎてしどろもどろになってしまった人もいた。13名とも私にとってとても大切で大好きな人で、しかし「大切」「大好き」の意味するところは13名それぞれで違うのだった。私にとっては、総じて「まずまず気心の知れた大好きな人々との小旅行」だったと言える。参加者のひとりが言った「このグループは今日出来て明日解散するグループなのです」というのが一番正しいと思う。

「山奥」と呼ばれても不思議ではないところにある、とある町と村に行ってきた。

主に五感・五官を中心に私の身体の全部をありったけ使って、いろいろなものに触れた。見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる。時々、参加者の方々ともお話をしながら。時々、メンバー全員で、あるいは一部のメンバーで寄り道をしながら。車と、歩くのと、両方を使って。

それは、場合によっては「あぁ、綺麗だったなぁ」「あぁ、よい場所だったなぁ」という感想を述べるにとどまる小旅行であったかもしれない。ただ、私は私なりに、小旅行に参加した理由、つまり何を得ようとして何を求めて小旅行に参加したのかという想い、を持っていた。私のそれは「理由はわからない。何を得ようとして何を求めて小旅行に参加しようとしているのかよくわからない。ただ、今回は何が何でも参加したい。参加せねばいけないような気さえする。とにかく参加する。だから行く」というものであったのだけれど…。

小旅行を終えた今の私は、「あまりにも多くのものに触れたような気がする…」という言葉しか出ない。触れたもの、訪れた場所の中には、一見何ということもない、特筆することもないものも含まれているのだろうとは思う。しかし、ひとつひとつのものに接する中で、「なぜこれ(この場所)はここにあるのか」「なぜ私は今これ(この場所)と対峙しているのか。これとまったく同じようには二度と対峙することはできないのに、私とこれ(この場所)とはこのような出会い方をしたのだ。そのことから私は何を感じ、何をしていこうか」「この先、私はどうなって、これ(この場所)はどうなっていくのだろうか」などということをぼんやりと考えていると、あまりにも多くの刺激が一気に私の中に押し寄せてきて、旅行中からやや混乱した想いを抱え、その状態は現在も継続中…という感じだ。

「それ」が何なのか的確に言葉では表せないが「『それ』に出会いたい」と私が心から思って小旅行に参加したので、「出会わなければ良かったのに」というような後悔はしていないし、むしろ一言で表すならば「良い小旅行だった」と胸を張って言う。ちなみにお土産なども普通に買った(むしろ買い過ぎた。レジで私の豪快な買い物っぷりに私自身血の気が引いた。時間がなかったとは言え、お財布と相談しながら買おうよ私…と思った。でもどれもいいお土産で、むしろ買い足りなかったものもあり、想いは複雑だ)。

あまりにも多くのものに出逢った。

しかし、私と、ひとつひとつのもの、あるいは場所、人とは、このような出会い方をしたのだ。そのことから私は何を感じ、何を考えるか、そこから、何をしていこうか…。

参加者が14名という団体行動であったことについても、書いておかなければならない。私の見たい場所を見たいように見たいペースでという感じではなかった…というより、今回は私ひとりでは土地勘がない・事前の情報もない状態で何もできなかったので、皆と一緒に、時には誰かと話をしながら、時には黙り込んで、時には私だけが黙って他の人どうしが話すのを聴いて、時には山道で取り残されそうになってちょっと走って、という感じであった(それはメンバー各人も同じで、「どうしてもこの角度で見たい」とひとり走っていく人もいたりした)。折に触れ、何かについて、それぞれの人がそれぞれに知っていることを話すのを私は聴いていた。

私が考えすぎなのかもしれない。感じすぎなのかもしれない。感じないようにするために「何も見るまい」とわざと意識していたところもあるかもしれない。しかし、私が小旅行に行ってたくさんのものと出会い、それは他の誰でもない私が出会ったものである。ここから私は、何を、どうしよう。

いろいろな問題がある。個人的な問題から社会的な問題まで。「大きな」問題から「小さな」問題まで(「問題」という語について「大きい小さい」と形容するのは、重要性に優劣をつけているようで私に抵抗があるので、かぎかっこをつける)。短期的な問題から長期的な問題まで。…分類のしかたは様々あるのだろうけれど。様々な問題を抱えながらも、今、私が、そして他の13人のメンバーが、この場所のこれが、このように存在しているというのは本当のこと。今後それらの問題がどうなっていくのか、私にはわからない(たぶん他の誰にもわからない)。しかし、「今」という時がまぎれもなく在るのは本当のことで、小さいことでも私は私なりに何かをできないだろうか、と思って…。

言葉にならないことがたくさんあるので、続きはまた別の形で書くことになると思います。良い小旅行でした。今回行って良かったなぁ…と心から思いました。

今回、思うところがあって、写真は敢えて撮って来なかったのだが(カメラも持っていかなかった)、旅先で出逢った花がある。ゲンノショウコという花。小さくてピンク色の可愛い花であった。が、これでなかなかやり手で(?)、お腹をこわした時に効くらしい。今、Webをあちこち見ていたら「ゲンノショウコ」という名は「現の証拠」つまり「効き目がすぐに現れる」ということに由来するらしい。


話は変わって、思いつくままにメモ。

私は悲劇の主人公ではない。ただ、私の遭遇した「そのこと」によって、とてもとても悲しい思いをしたことは本当のことだ。「悲しかったし、今も悲しいんだよ」と大声で言いたい思いを持っている。でも「悲しい」だけではない。現にこうして普通にけろっと生きているし。時々(というか頻繁に)おっちょこちょいなこともする。「トリビアの泉」で大爆笑したりもする。でも、「そのこと」については悲しかったし、「悲しい」という内容は異なってきたとしても、今も言葉にできないほどの想いを抱いている。

私の遭遇した「そのこと」を「悲劇」「不幸」「かわいそうなこと」ととらえる人も世の中にはいるかもしれない。でも私は悲劇の主人公ではない。でも悲しい思いを抱えているのは事実。

…ひとくくりにされたくないだけなのか??…


楮のように生きたい。できれば、そこに山椒のように一味ピリッとしたものを加えて生きることができれば、もっと嬉しい。


2004年09月01日(水) 9月1日という日は / なぜか「さっちゃん」

やや疲れているので短めに、ということにする(後で付け加えるかもしれない)。

今日、9月1日は防災の日である。防災意識を高め、自然災害への備えを確認する日である(と思う)。各地で防災訓練なども行われたという。

しかし、そもそもなぜ「防災の日」なのかと考えた時に、1923年のこの日…9月1日に、関東大震災が起こった日なのだということを忘れてはならないと思う。

関東大震災について、私は直接は経験していない。知識としても「悲惨な災害をもたらした」ということは知ってはいるものの、どのように悲惨であったのか、その奥にある問題点まで深く考えることのできるだけの知識を、未熟な私はまだ持ち合わせていない(いずれ、少しずつ知って、考えていきたいと思う)。

「関東大震災が起こった日」というのが「防災」という観点にだけ集約されて欲しくはないと思うのだ。

防災訓練は確かに大切だと思う。いざという時に困らないよう「防災セット」を完備しておくことも確かに大切だと思う。

しかし、それだけで良いのか。

関東大震災という災害から、人間が考えていくことは、本当に「防災」という一言に集約していいのだろうかという疑問が残る。

それでは、どういう方向に広げていけるのか?と問われると、私自身もまだここに書ける形にはまとまっていないのだけれど、「防災」「危機管理」だけに集約してしまってはならないと思う。

当時の写真や記述資料なども残っている。あまり詳しくない私がこのようなことを述べられる立場にはないのかもしれないけれど、写真や資料に直面して思うことや感じることも、大事にしたいと思うのだ。たとえそれが「防災」という言葉になるものでなくても。

私自身の考えはあまりまとめられないのだけれど、この記事のこの言葉から考えさせられたことは大きかった。

「地震はもう絶対に起きてほしくない。でも、またどこかで起きたら、今度は何とかして助けてあげたい。その方法をみんなで考える」
「防災世界会議に向け、中学生らネット会議」(神戸新聞、9月1日、こちら…これも「防災」という言葉を使ってはいるものの、「防災」に広がりをもたせているように思う)

あまりうまくまとめられないけれど、防災の日は単に防災の日なのではなくて、関東大震災が発生した日なのだということも覚えておかなければならない…ということは、強く思う。


ここ数日、どうも体調がすぐれない。季節の変わり目だからか。だるさとふらつきがすさまじい。動けずに寝たままで仕事もさっぱりはかどらない…とか。焦燥感、寂寥感、孤独感…あ、ものすごく正直に書いてしまった。正直に書いて良かったのかなという迷いを抱えながら書いている。

せめて私が私を労わってやろうと、ぼーっと心を落ち着かせようとしていると、なぜか頭の中で「さっちゃん」の唄が回る。

♪さっちゃんはね さちこっていうんだ ほんとはね〜

なぜ「さっちゃん」…(注:私の本名は、どうひねりだしても「さっちゃん」という愛称は出てこない名前です。「さちこ」でもないし)。

季節の変わり目、皆様お体ご自愛下さい。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)