風紋 もくじ / この前 / この後
2004年10月24日(日)付けの朝日新聞(朝刊)に、「中高生のためのブックサーフィン どくしょ応援団」という面がある(朝日新聞には毎週日曜に読書についての記事が掲載されるが、この面は毎週かどうかちょっと不明)。その中に、三浦しをんさんが執筆されている「読書日記 三四郎はそれから門を出た」というコーナーがある。その文面の最後の文章が印象に残っているので、書きとめておく(朝日新聞のWebサイトに載っていないかと探してみたが見つからなかった)。 テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにいろいろな場面がうつしだされている。 次々といろいろなことが起こっている。例えば台風。ここ数日であれば先日の台風。例えば地震。ここ数日であれば昨日の地震。 見ていると、言葉を失う。「心が痛んだり、どうすればよいのだろうと思ったり、不安になったり、何かできることはないかと模索したり、気遣ったり」という状態に私はなっているということは事実だけれど、言葉にする前に、言葉にするのを押しとどめるものがあるように思う(だから「 」付きでしか書けなかった)。言葉にしていいのかという思いがあり、言葉を失う。一方で、ここで言葉を失ってはならないという気持ちも起こる。 テレビ、新聞、インターネットなどのメディアに直接うつしだされた人々のことを思う。うつしだされないところにも人々がいることを思う(その方々は“被災された方々”と呼ばれることもあるかと思う)。そして、いろいろな人がいろいろな人生を背負って、テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにうつしだされた場面をどのような状況で、どのような気持ちで見ているのかということを思う。 言葉にならないと思う。一方で、ここで言葉を失ってはならないとも思う。 そんな思いを繰り返していると、「そんなお前は何者か」とどこかの誰かから問われているように思う。常に問われているように思う。答えられない。しかし、この問いから逃げるまい。 今は「心配しています。心よりお見舞い申し上げます。無事を祈ります」という言葉をこの場所に書く。心からの思いを込めて。 相変わらず私自身は「今でなければならない」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしている。しかし、私がこのようにこの場所にあらわしたいということを、いま、この場所に書いておきたいと思ったから、書いた。 私が「そんなお前は何者か」という問いにどう答えていくのかは、少しずつ。 “一歩進む機会”を得た。素直に嬉しい。心を込めて、できるだけのことをしたいと思う。そのためにはどんな努力も惜しまない所存だ。少しずつ、いこう。 日記の「もくじ」ページを少しいろいろと工夫してみました。どうかなぁ。
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