風紋
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2004年09月07日(火) |
棒に当たっているけれど、チャンスにつながるかもしれない |
書きたいことを最後まで書くだけの気力と体力があるかどうかわからないが、今日は絶対にここに何かを書いておかなければならないという切実な思いがあるので。
「犬も歩けば棒に当たる」というのは、「物事をしようとしている者は思いがけない災難にあうものだというたとえ。また、思いがけない幸運にあうことのたとえにもいう」らしい。
先週末くらいから、どうも、歩いているつもりはないのに、次々といろいろな棒に当たっているような気がする。当たっているというよりも、降ってくるという方が実感に合う感じがする。それも、ただ複数の棒に当たるのみならず、それぞれの棒が微妙にシンクロして絶妙のタイミングで訪れる。「なぜ、他でもない今に、このこと(あるいはこのもの)に遭遇するんだろう??」というタイミングで、棒が次から次から降ってくる。
歩いているつもりは本当にないのだ。敢えて言うなら、私自身が気づかないうちに今も歩いているのか、過去に歩いてきたものの積み重ねか…。ただ、歩ける時は一歩一歩を着実に大切に歩もうと心がけている。その結果として、今、いろいろなものやことや人と出逢っている…のかもしれない。
「犬も歩けば棒に当たる」の「棒」は災難を指すこともあれば幸運をさすこともあるらしいけれど、私にとって、いま降ってきている「棒」のひとつひとつどれについても、災難なのか幸運なのか、今は判断がつかない。ただ、すごく大切な事柄をすごく絶妙のタイミングで受け取っているのだということは、渦中にあっても私自身ぼんやりとではあるが感じている。私にとってひとつのチャンスだと思う。これを、このタイミングで…と思うと、それぞれの棒=一つ一つの事柄、もの、人、に出逢えたこと、知ることができたこと…にとても感謝している。ありがたいと思う。この先、一時的には「災難」と呼ばれるような状況に陥ろうと、最終的には私にとって、そして周りの人々にとって幸運でプラスの方向にいくようにすすめたい。絶対にそうしてみせる。
それを本当に実現するためには、今は、…落ち着くこと、かな。
今でないと出逢えないことやものや人がある。今、触れておかないといけないことやものや人がある。今、連絡をとらねばならないことやものや人がいる。そう思うと、「今、私はどうすればよいのだろう?」と茫然とする。茫然とした中でもアンテナをぴんと張っておきたいと思うけれど。
反面、後から出逢うことやものや人がある。後から触れることができることやものや人がある。後から、連絡をとれることやものや人がいる。「明日出来ることは明日に回せ」とも言う。「果報は寝て待て」とも言う。
「今でなければならない!」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしているのが今の状態である。揺れていていいのだと私自身に言い聞かせる。揺れながらもアンテナをぴんと張り、落ち着いてひとつひとつの出逢いを大切にしなければならないと私自身に言い聞かせる。そうしないと、恐らく良い方向には進まない。
「チャンスの前髪を意地でもつかむ」気持ちを持ちながらも、反面、落ち着け落ち着け私…とも言い聞かせる。
ちなみに、今日の日記は「今でなければならない! 今日は書いておかなければならない!」という気持ちで書いた。…私は、書くことでも少しずつでも歩んでいるのかもしれない。それをなぜこの場所に書くかというと、やはり読んで欲しいからだ。ここは私が一番伝えたいことを伝えるための場所で、その意味では自ら棒に当たりにいっているというところもあるし、何らかの出逢いを求めているということでもあるかもしれない。
しかし、多少疲れてきたのも事実である。身体と心に十分な休養を取ってゆとりのある状態にしておかないと、何もできなくなってしまう。何もできなくなるのは本意ではない。落ち着くことにする。
時々は、深呼吸。
「今でなければならない!」「後からでもいい」の間で揺れながら、随時ぴょこぴょこと動いて、この場所や「風向計」「そよ風」に、言葉を綴っていこうと思う。
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