風紋

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2004年01月17日(土) (タイトルがつかない(朝と夜))

今日という日をどう過ごそうかと、数日前から悩んでいた。

一般的な「今日」ではなく、今日この日。2004年1月17日という日を私はどのように過ごすのだろう、と。

何か特別なことをするつもりはなかった。でも、何もしないわけにはいかない気もした。

でも、結局、今日はどこにも行かない(だろう)。少し体調が悪いので、時々横になりながらわずかな仕事を少しずつ進めることになるだろう。そうそう、昨日降って湧いた仕事もあるんだった(実は「降って湧いた」のではなくて単に「忘れていた」だけだが)。そのように、過ごすだろう。

ただ、祈らずにはいられない。何を誰に祈るのか、どのように祈るのか、わからないけれど。

この日がはじまりでも、終わりでもない。“いつもと同じようで、少しだけ違う日々”が続いており、朝になれば太陽が昇り夜になれば太陽が沈んで暗くなり夜空に星が見えるというのも変わらない時の流れが続いていって、その中で1年に1度この日がある。

だから祈り続ける。私などの祈りは、小さいものではあろうけれど、一途に強く。

(2004/01/17,AM5:30記。4時過ぎに、ふっと目が覚めて以来、何となく眠れずにいる)


今日という日は、あと1時間と少しで終わる。

この日をどう過ごそうかと悩んでいた割には、いつもと特に変わらず時間が流れていった。どこにも行かず、ずっと家にいた。少し体調が悪いので寝たり起きたりしながらごそごそとしていた(ちなみにほとんど仕事してない)。ただ、その時々で感じたこと、考えたことを大切に守っていこうと考えながら過ごした。それもやがて忘れていくのかもしれない。忘れるなら、それもまた良いのかもしれない。ただ、忘れたくはないと今は思っているからこうして残している。

「いつもと特に変わらず時間が流れていった」と書いたが、それはほんの少しだけ嘘だ。夜にちょっとしたことで感情が高ぶって長時間大泣きしてしまった。今はけろっとしているが、気を緩むと涙腺がこわれるかもしれないなという気もする。

BGM:「コーラル・ブルー 〜沖縄民謡“谷茶前”の主題による交響的印象〜」(真島俊夫作曲)

(2004/01/17,23:00記)


2004年01月12日(月) (タイトルがつかない…)

成人式に行ってきた。私が新成人になったのではない。所属している楽団の一員として式典に出席して、式典用の曲を何曲か演奏してきたというだけの話だ。20歳でなくても成人式に出続けているのは、やっぱり妙な気分である。(以上、昨年の「成人の日」の日記をほぼそのまま抜き出してきた記述)。

ところどころで出番があるので(記念品授与の時など)、出番をじっと待っていた。会場があまり寒くなかったので助かった。

帰りは昼過ぎ。帰りに、小学生くらいの男の子10人くらいが、空き地でボールを蹴って遊んでいるのを見た。一途にボールを追いかける眼。ボールの動きに伴って、集団が移動する。懐かしい風景だった。

「成人の日」に「新成人」と呼ばれる人と「子ども」と呼ばれる人の両方を見たということと、それから、「成人の日」でも小学生にとっては他のお休みの日と同じ日なんだろうなということが、なんだか不思議な感じだった。


昨夜は寝る時に、深海魚になった気分になるように心がけながら寝た。


2004年01月09日(金) 昨日の日記 / 今日の日記 / 眼科にいつ行くか

昨日(1月8日)は仕事に行って、帰ってきたら疲れ果てていた。今日も帰ってきてから疲れ果てているのだが(…疲れ過ぎ?)。

葉牡丹の上に、ピンク色の花びらがちらほらと散っていて綺麗だった。寒椿か山茶花かちょっと見分けがつかないが。

その場で私自身がどう見られるか、相手にとって私がどういう立場であるのかということを意識しながら、“私”がその人々に伝えたいことを一生懸命伝えようとしてきた。どう受け取られているかはわからないが、いつでもいいからいつかどこかで思い出してくれたらいいなと思う。


う。これでは昨日の日記になってしまう。

今日は…。…。…。?

3週間ぶりに会う人と話をしていて、この3週間私がどうしていて、どんなことを考えていたかを簡単に報告してきたのだけれど、話の最後に「こんな3ヶ月だったんですよ」と言ってしまった。急いで「あはは。3ヶ月じゃなくて3週間ですよね〜」と付け加えたのだけれど、3週間で3ヶ月分くらいいろんなことがあったかもしれないなと思った。私の中では。

本屋をふらふらしてから帰った。

「ずきんちゃん」というキャラクターが妙に気に入ってしまった。どうしよう。すごく好きかもしれない、このキャラクター。つぼにはまってしまった(学研トイホビーのページから辿ればどこかで行き着くはず)。


眼科にいつ行こうか迷っている。

年末に左眼が痛み、眼科に行き、目薬を2種類もらった。一応その時は「また年明けに来てください」と言われた。しかし、3〜4日で痛みがひいたので、もう行かなくてもいいかなというつもりでいた。しかし、昨日に久しぶりにコンタクトレンズを装用したら、再び左眼が痛くなった。眼に違和感があって、涙が出てくるので、帰りの電車の中で「悲しくて涙が止まらなくなっていると思われたらどうしよう」と思ってしまった…思われてもかまわないが…。

それと、コンタクトレンズ(ハード)の耐用年数がそろそろぎりぎりだということと、そろそろアレルギーの対策をした方がいい時期であることと(今までアレルギー対策はしたことがなかったが、昨年私はアレルギー体質だということがやっとわかったので、何とかしたいなとやっと思うようになった)、それに伴って「アレルギーなら使い捨てのコンタクトレンズにしたらどうですか」と前々から言われているということがあり、どれをどのように優先させていつどのように行こうかと混乱している。

うーん。やはり「お医者さんに行くほどのことでもないかもしれない」と最初に躊躇してしまうんだな。


BGM:「吹奏楽のための神話」(作曲:大栗裕)

以前演奏したことがある。当時は今の楽器にかわって間もなくだったので、随分苦労した。不意に思い出して、すごく懐かしくなってしまった。


2004年01月07日(水) う。/ 缶入り飲料 / こんな日 / 笑い転げた

う。

昨夜(1月7日の夜)は、割と早めに寝たのだけれど、夜中の4時くらいに、ものすごく疲れる夢を見て目が覚めた。あまりに疲れて落ち込んだので、だめもとで、この時間に起きていそうな友人の携帯に「起きてる?」とメールをした。運の良いことに「起きてる」と返事をもらったので、「お願い、ちょっとだけ喋らせて…」と電話をした。…結局、あっちこっちに話が飛んで(年賀状の話とか、大掃除の話とか)1時間近く話していたのだけれど、おかげで随分気持ちが楽になった。

明日…もう今日?(1月8日)は仕事の日。彼女とも話していたのだが、仕事の日の前の夜は「とにかく眠らなきゃいけない」という気持ちと、「下手に眠ったら起きられないかもしれない」という気持ちが混じる。で、結果的にあまりよく眠れなかったり、うまく眠るタイミングを逃がしてしまったりする。あまり良くない。それでも以前は、眠れなかったら眠れなかったで何とかなるだろうとかなり無茶をしていたのだけれど、今はそもそも体調があまり良くないからなぁ…。

眠れなかったら眠れなかったで、そのまま仕事に行っても何とかなるものなのだ、と頭ではわかっているのだけれど…。実際、春はどんなに体調がへろへろの状態で行っていても、仕事先では何とかなっていたので。


今日(1月7日)は、久しぶりに缶コーヒーを飲んだ。缶コーヒーは缶コーヒー独特の感じがあって、それはそれで好きだ。

ところで、大抵の場合、缶入りの飲料には「よく振ってお飲みください」という意味のただし書きがついている。

その時に、必要以上に振りすぎて、開けたら泡が吹きこぼれてきたとか、飲んでみたら最初の方は泡ばかりだったとかいう経験はありませんでしょうか。

私はあります。

また、缶入りの飲料の中身が、果肉入りのジュース(いわゆる「つぶ入りジュース」)で、振ってから飲んだにもかかわらず、最後の方に「つぶ」が残って悔しい思いをした経験はありませんでしょうか。

私はあります。

また、缶入りの飲料の中身が炭酸飲料だった場合、間違っても「よく振ってお飲みください」という意味のただし書きはついていない。それにもかかわらず、つい振ってしまって、開けたら泡が次から次へと吹きこぼれてきて収拾がつかなくなってしまい、「私って莫迦かも…。最初によく見ればよかった…」と後悔した経験はありませんでしょうか。

私は…、ありましたっけ? 他の人がそういう状況に陥っているのを見たことがあるのは確かですが。

ちなみに、子どもの頃に「三ツ矢サイダー」を絨毯の上に思いっきりこぼした挙句(半分残ったか残っていないかくらい、とにかく大量にこぼした)、「絨毯にサイダーをご馳走してあげちゃった」と、母親と笑いあった記憶はある。…ちょっと豪快な台詞かも。

ちなみに、「三ツ矢サイダー」のホームページがあった。こちら


本を読んだり、アイロンがけをしたり、夜には楽団の練習に行ったりしていた。「楽器を吹くときの身体の使い方」が、恐らく相当悪くなってしまっている。バテるまでの時間が早すぎる。


今日も、「笑いが止まらなくなって、本当に止まらなくて、お腹がよじれそうで、引っくり返っても笑いが止まらず、話そうとしても笑って笑って言葉がつながらない」という体験をした。ちなみに今日の笑いの原因は、飼い犬と私のコミュニケーションがうまく取れず、お互いに妙な行動をし合って、そのタイミングが可笑しくてしかたなかったということ。

私は犬が苦手、というか、怖い。基本的には犬には近寄れない。それは昔からのことだ。という状態で、家で犬を飼っている(「犬」と言って普通思い浮かぶ程度の大きさの犬)のは変な話だといえば変な話だ。家の犬にも最初は全く近寄れなかったのだけれど、徐々にコミュニケーションが取れるようになってきてはいる。しかし基本的に犬が苦手なので、そのコミュニケーションはぎこちなく、それを察した彼の動きも何となくぎこちなく、結果的にとても面白い状態になってしまう。


えぇと。変な時間に書いたので「今日」と「昨日」の境目が曖昧ですが、とりあえずもう1度寝てから仕事に行きます。
(2003/01/08,6:40記)


2004年01月06日(火) 特に何かをしたとも思わないが、何もしていないという気もしない、という1日

1日を振り返ってみると、特に何かをしたとも思わないが、といって、何もしていないという気もしない、という、何となく微妙な1日だった。どんな1日だよ…。

午後に少し話をする(誰と何の話をしたのかは省略させて下さい…)。身近な存在でありながら、私自身から話をしようという態度を取らなかったことによって、随分考え方のずれが広がって、余計に溝が深まっているのかもしれない…と思った。

とは言え、私自身の伝えたかった(で、伝えてみたけれど伝わったかどうかわからない)ことは、「私が思うことや感じていることについてもっと話をさせて欲しい」ということと、「話ができないこともあることもわかってほしい」ということなのだ。…両方をいっぺんに伝えるのは無茶苦茶なのだろうか…。私自身も無茶苦茶だという気がしてきた…。

しなければならないことはたくさんあるし、ないように見えても探せばたくさんあるのだけれど(例えば結局大掃除をしていない、とか)、何となく、わざわざ今日はしなくてもいいだろうという気がした。とすると、何をしようかと迷ってしまって、結局は以前読んだ本をもう1度読んだり(新しい本に手をつけるパワーがなかったので)、以前好んで聴いていた音楽を聴いたりしていた。

あと、ちょっとした駄洒落で笑いが止まらなくなって、本当に止まらなくて、お腹がよじれそうで、話そうとしても笑って笑って言葉がつながらないという体験を久しぶりにした(小さい時はよくそういうことがあったが、最近はなかったなー)。きっかけは本当に小さいことなのだが…。


2004年01月05日(月) 少しずつ始動 / 改めて初詣

年末年始の休みも明け、今日から少しずつ始動。世の中も少しずつ通常モードになっているのを、何となくほっとした思いで見つめている私がいる。年末年始も、通常通り、あるいは通常以上に活動している人や場所があったとはわかっている。しかし、朝にいつものテレビ番組が放送されていたり、駅にも出勤途中の人が何人もいたり…という風景を見ると、何となくほっとする気持ちもある。

とは言え、私自身は昨日まで完全に休養していたので、少しきついところはあった。仕事先にも「昼夜逆転していてつらいです」という人がいた。…私など、昼夜逆転どころかほとんど1日中寝ていたような気がするが…(いいのか、そんなので。←たぶんよくない)。


仕事の帰りに、初詣に行ってきた。元日に初詣に行ったのは自宅の近所の小さい神社だったが、今日行ったところは、それよりももう少しだけ遠くにあって、もう少しだけ大きいところ。しかし、ずっと昔から“ここ一番”という時にはお世話になっている。本当は元日にも、そこに行こうかという話はあったのだが、三が日は人が多いだろうということでやめたのだ(過去には三が日のうちに初詣に行ったこともある)。

今日は1人で行ったので、自分の思い通りにのびのびと新年への祈りと決意ができたように思う。

思ったよりもたくさんの人がいた(「混んでいた」というレベルではない)。そういえばまだ5日だから人が多くても不思議ではないなぁと遅ればせながら気がついた。出店などはほとんど片付けに入っていたが、お守りを買っている人も、お御籤を読んでいる人もたくさんいた。いか焼きととうもろこしの出店はあった…かな?

「いい1年になりますように」と祈りたかったが、一方で素直にそう祈れない気もした。

あまりうまく説明できないけれど。

理由の1つは、私の日頃の行いがあまり良くないのに、こんな時だけ祈るのは申し訳ないという気持ちがあるから。理由のもう1つは、結局、私自身が生きのびている間は、どんなことがあったとしても、年末には少しでも幸せの種を見つけて“それでもそれなりにいいこともあった”と振り返っているような気がするということから。理由のさらにもう1つは、1日1日の積み重ねが1年になるのだから…という気持ちがあるから。

というわけで、心の中でも「どうか、どうか…」としか呟くことができず、「どうか…」の続きをどう続けたらよいのかわからずにいた。今もわからない。

しかし、新しい年を迎えられたことに感謝すること、この先の1年のことを祈ることには意味があるとは思うし…。そもそも私自身が初詣に行きたかったから行ったのだし…。

ええと、幸いの多い年でありますように。どうか、できるだけ無事でありますように。それから、何がどうなってもそれぞれのことと真正面から向き合うことができますように。

…うまくまとまらないなー。


2004年01月03日(土) 軽やかに今日1日を振り返る

何か書かなきゃ、何か書きたいよ、と思う。今日はそう思う。でも何を?

そんなに日記を書くのに気合いを入れなくてもいいのかもしれない。…というか、書ける時に書けることを軽やかに書いていければいいのになぁ。最近は日記を書くたびに、心がとても安定すると同時に、心が大きく揺さぶられるような気がして、その微妙な感じが怖いということもある。

思ったことや考えたことを言葉にして、しかもこの場所に書いても差し支えのない形に整えるというのは、今の私にとっては少し負担のかかることでもあるようだ。しかし、思ったことや考えたことを言葉にして、この場所に書くことで「何か」が生まれそうな気がするので、この場所は守り続けたい。何が生まれるのかわからないけれど。


えっと。軽やか。軽やか。軽やか…なぁ。軽やかに今日1日のことなど振り返ってみる。

午前中は仕事もほとんどできずに横になっていた。

午後、年賀状と手紙を出しにポストのあるところまで行った。ついでに、少し遠回りをして前の家のあった地に行ってみた。

と言っても別に何があるわけでもなかった。逆に言うと何もなかったのだが。…いや、物理的には「何もなかった」わけではないが、私の心にとまるようなものはなかった。行って良かったとも行かなければ良かったとも思わなかった。…自覚的には。

もう今年のお正月になると、前の家の住所宛ての郵便物は宛先不明で差出人に戻っているようだ(はっきりしたことは不明だが)。しかも、ここ数年は年賀状を出せなかったので、特に昔からの知り合いには、転居通知をしそびれたままの人が多くいる。今年は少し多めに年賀状を発送したのだけれど、連絡がつかなくなった人がもしかしたらいるのかもしれない。

注:諸事情あって、「年が明けてから頂いた年賀状にお返事をする」という形でなく、私自身からきっちりと年賀状を出したのはいつが最後だったかしらとさかのぼってみると、丑年だった←何年前だ?

最近、夢の中に前の家が出てくることが増えた。前の家そのものがテーマになった夢ではなくて、夢の中で何かをしているシチュエーションが前の家の面影を残したものなのだ。夢は夢、と割り切っているけれど、知らず知らずのうちに、前の家のことを思い出さないようにしている努力をしているのもまた事実で…。

お正月休みなので、人通りが少なかったので、知り合いに会う煩わしさもなく気軽に歩けた。暖かでいい天気。幸せだなぁと思いながら、ほけほけと歩いていた。

それから本を読みながら、うとうととしかけていた。そのまま放っておいたら昼寝をしてしまいそうな勢いだったが、ちょうど電話をいただいてしばらくお話させていただいた。話をさせていただいていて、自然にふわりと前向きな気持ちになれそうに思った。少し道ができたように思った。人とお話ができるのって、いいなと思った。話をして、話を聴いていただいて。


軽やかに書いたつもりだったが、結局ここまで書くのに40分ほどかけてしまった(演奏時間が約40分の音楽を聴きながら書いていたのだ。書き始めると同時に聴き始めた。で、今、ちょうど終結部…あ、終わった)。


つけたし。どうでもいいようなことだが。

ドラマ(および映画)の内容は本当に全く知らないのにこんなことを書いていいのかよくわからないのだけれど(ほんとに「織田裕二さんが出ている」ということしか知らない)、「踊る大捜査線」のテーマ音楽(?)は割と好きだな、と、先日何気なくテレビを見ていて思った。


2004年01月01日(木) 年明け、など。

昨年の今頃も似たようなことを書いていたような気がするけれど。

“いつもと同じようで、少しだけ違う日々”が続いており、朝になれば太陽が昇り夜になれば太陽が沈んで暗くなり夜空に星が見えるというのも変わらないはずなのに、“昨日”には2003年、“今日”には2004年と名前がつくだけで何かが変わるように思うのを、不思議なことと思う。

そして、年が明けたからと言って「おめでとうございます」という気持ちになれない人も多くいらっしゃるのだろうと思うと、「あけましておめでとうございます」とここに書いてよいのかどうかよくわからない。

しかし、年が明けることは何かの区切りであるとともに、過ぎ行く年を振り返って新しい年を迎え、今日という日を生きることができることは、幸せなことだと私は思う。…私は、だけれど。


区切りとして、近所の小さい神社まで初詣に行ってきた。何を祈ったか私自身にもよくわかっていないのだが、よろしくお願いしますと祈った(だから何を「よろしく」なのだろう…)。


昨日の日記に書いた今年の目標を再び書き、少し付け加える(どちらかというと私自身のために)。

まず、1日1日を大切に過ごすこと。今は二度と戻らないということを心に刻むこと。別に、一分一秒に追われるような生活を送ろうということではない。動けない時も、休みたい時も、「動けないこと」「休むこと」「ぼーっとすること」を、堪能しようと思う。仕事をしないといけないのに休みたい時や、休まざるを得ない状況になった時はあせるけれど、それも1つの過ごし方なのかもしれない。でも、できる時にできることは頑張る。

それから、怖がらずに、いろいろな人やものと出会っていくこと。いっぱい恥をかくこと。おもてに出せないこともあるけれど、できるだけの精一杯の私で出会っていくこと。そして、出会った人やものと精一杯に向き合うこと。全身を使って。

それから、整理して考えること。1つ1つを整理して考える。乗り切った時は、とりあえずほっとしよう。乗り切れなかった時は、時期が来るのを待つ。

それから、あせらずに待つことを覚えること。いずれその時が来るのかもしれないし、来ないかもしれないけれど。

…欲張りすぎたかな(でも1つ1つが相互に絡み合っている気もする)。来年の今頃にこの記述を読んだら、私自身が恥ずかしくなって大笑いして穴があったら入りたい気持ちになっているかもしれない(穴がなかったら掘ってでも入っているかもしれない)。でも、今はこのように生きていこうと思っている。


夜は、炬燵に入って、テレビで「トリビアの泉スペシャル」を見ていた。このように有名になるまではよく知らなかったのだけれど、何となく好きだ。へぇ…。

注:実は有名になってからもしばらく知らなかった。細かいルール(1人の「持ちへぇ」が「20へぇ」であること(?)など)は全くわかっていなかった。


本年もどうぞよろしくお願い致します。良い1年でありますように。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)