風紋

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2003年12月31日(水) 2003年を振り返る(試練の年と出会いの年)

今年(2003年)を振り返る。

12月31日だから…というわけではなくて、数日前から書こうとは思っていたのだけれど、何となく書けなかった。でも今日には書いておかないと、私自身が納得できないなぁというわけで。

特に読んで下さっている方のためにというよりは、もっぱら私が私自身のために書くものだ。けれど、私自身にとって、私の中でとどめておくよりは、このように「読まれる」ということを意識して書くことにも何らかの意味があるだろうと思う。同時に、私がこの場所に日記を書き続けて(毎日ではないが)、1年3ヶ月ほどになるので、ある程度続けて読んで下さっている方には、「私ではわからない私の部分」が影絵のように見えているのかもしれない、とも思うと、「影絵」と併せてこれを読んでいただくのも1つの方法かなと思う。


前置きが長くなったが。

今年を短い言葉で振り返ると、「試練の年」であって「出会いの年」であった。そして両方をまとめると、「どうしてこんな時にこんなことが起こるの!!」と叫びたい気持ちになることが、良いこと・嬉しいことでも、悪いこと・苦しいことでも多かったような気がする。悪いことでも、後で「良いこと」に転じたこともあるので、良いと悪いでまとめられないことも多かったけれど。


まず「試練の年」。

いちいち挙げればきりがないが、とにかくきつい1年だった。新しく仕事をはじめたということに加えて、新しい仕事を一気に複数引き受けてしまったことが大きな原因だと思う。新しい仕事に伴うトラブルや悩みも数え切れないくらいあったし、同時に全然違う方向からいろいろな困難が舞い込んできたりもした。気持ちとしては、「ラケットを手にして、たった1人でテニスコートで球を打ち返す体勢を整えているのだけれど、四方八方から絶えず容赦なく球が飛んでくる」という感じだった。前から後ろから左から右から上から下から。何とか打ち返したものもあるし、よけたものもあるし、よけようとしなくても勝手に通過したものもあるし、身体にぶつけて打撲を負ったものもある…という感じ。打ち返そうというだけでパワーを使っているのに、身体にぶつけて打撲傷を負っているところにさらに球が飛んでくるので余計にきつい、という感じだった。気持ちとしては全部の球をきちんと自分で受け止めたうえで、きちんと打ち返したかったのだけれど。

注:本当は私はテニスは学校の体育の授業くらいでしかしたことがない。運動は苦手。

あぁ疲れた…(今も疲れている。現在進行形で)。

しかし、その中で得たものも多かったと思う。私はこんなことも出来るんだとか、私はこんなことに弱いんだとか、逆に私はこんなことを強みに出来るんだとか、とにかく、私自身が知らなかった「私自身」を、試練(?)を通じて知っていったし、開発(?)することができたと思う。そう思うと、「きつい1年だった」ということを、私自身はマイナスのこととしては考えていない。

その中で、いろいろな人に助けを求めた。今までは、「そつなく何でもできる私」というのを見せたかった…とは意識的には思っていなかったかもしれないけれど、「私にはできないことがある」というのをおもてに出すのを避けていた。そもそも人に話し掛けるのが苦手だったし、人に相談ごとをするのもすごく苦手だった(今も苦手)。しかし、新しい仕事の初っ端から転んでしまい、その後にもばたばたと苦難(というほどのことではないのかもしれないが)に陥って、どうにもならなくなってしまった。そこで、恥も何もかなぐり捨てて、いろいろな人に相談をしたり、話をしたりした。意外と人と話してみて、わかること…というか「あぁ、そうなのね」と思うことが多かった。だから「たった1人で球を受けていた」ように思えて、実は色々な人の助けを借りていたように思う。代わりに打ち返してもらったり、打撲傷を治してくれたり、と。

私信:「助けを求める」と「頼る」が微妙に違うとは思うのだけれど、あんまりうまく説明できなかったよ…。ごめん。宿題にします。

というあたりから、「出会いの年」にも絡んでくる。


というわけで、「出会いの年」。

新しい仕事をはじめたことを通じて、そして、この日記を通じて、その他いろいろなことを通じて、様々な人と出会うことができた。初めて出会えた人もいた。「知り合い」ではあったけれど、今まであまり知らなかった人と交流して、改めて「この人と出会い直した」と言えるなぁ…という人もいた。こんなに人と出会った年はなかったのではなかろうか。

出会い方も様々だった。一瞬だったけれど忘れられない出会い方をした人もいた。名前も知らないのに心に残るような出会い方をした人もいた。「この人とは一緒にやっていくのは難しいかも…」という人とも出会った。短期間に随分こちらが苦労させられたけれど、忘れられない人もいた。今までずっと近くにいたのに、あまり話をしなかった人と話して、この人は私にとって大切なのだと確認した人もいた。私の人生にとって決定的な意味を持つだろうという人との出会いもあった。

人見知りのきつい私なので、1人1人にきちんとお会いできたかどうか自信がない。というより、初めて会うのに失敗した場合が多かったような気もする。「明日は何が起こるかわからないのだから、この人と次はいつお会いできるかわからないのに、こんな出会い方をしたら駄目じゃない!」と自分自身に言い聞かせて落ち込むこともあった。後から思うと、それも1つの出会い方だったのかもしれないが。

様々な方との出会いを通じて、改めて私自身を見つめ直した。その意味では、他者に出会い、私自身にも出会った年だったのかもしれない。


昨年の12月31日の日記を読むと、「たくさん泣いて、たくさん笑った」と書いてあるが、それ以上に今年はよく泣いた。頻繁に泣いた。毎日泣いたこともあった。いやぁ、よく泣いた。笑う機会はあまりなかったようにも思うが、日常の些細なことに思わず微笑みたくなることもあったし、頻度として「笑う機会」は少なかったとしても、そこでは思いっきり心から笑ったので、まぁ泣いた分と同じくらい笑っただろう。

それから、昨年の12月31日の日記には「精神力も体力もつけて、もう少ししっかりしたいなと思う。」とも書いてあった。しかし実際は、精神力も体力も下がった…。いやぁ、下がった下がった。で、「しっかりすることができたかどうか」はよくわからない。わからないが、精神力とも体力とも名付け難い、何か大きな力を今年は手に入れることができつつあるように思う。それが何なのかよくわからないけれど。とりあえず、精神力や体力が下がっても何とかなると思った。

結論として、私は私でしかないというのを改めて実感した。で、こんな私としてどう進もうか。それは少しずつ考えていくことにしよう。


2004年の目標…。

正直なところ、まだ「球が容赦なく飛んできている」ので、2004年の目標と言っても考えが及ばない部分もあるのだけれど。

まず、1日1日を大切に過ごすこと。今は二度と戻らないということを心に刻むこと。

それから、怖がらずに、いろいろな人やものと出会っていくこと。

それから、整理して考えること。1つ1つを整理して考えて、それを乗り切った時はほっとして、乗り切れなかった時は、時期が来るのを待つこと。

それから、あせらずに待つことを覚えること。あせった時は、深呼吸。


新しい年は、幸せなことがたくさんでありますように。あなたにとっても、私にとっても。心からそう願います。…と、昨年と一字一句同じことを書いて、しかし込める思いはちょっとだけ違いつつ、何よりもこの言葉を発している私自身が昨年とは違う私になっているし、と、そんな気持ちで締めくくる。

風邪など引かぬよう、お気をつけ下さい(今、私自身が、喉がちょっとやばい感じになっているなと思う。気のせいでありますように)。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)